やあ、こんにちは。元気にしているかい?
まあ君にそれを聞くのは野暮ってものかもね。僕の方は元気かどうかはさておいて気分がいい。ここ何日か鬱々としていたのが嘘みたいだ。
その折には、君にも随分迷惑を掛けたと思う。そのことは心からすまないと思っている。僕は多分逆境に弱いんだろう。予想しない事件だとか、突発的な事故だとか、そういう許容外のことに遭うと取り乱してしまって、ひどくみっともない姿を晒してしまう人種なんだろう。
単純に打たれ弱いんだと思う。慣れていないんだ。何せ君が今まで守っていてくれたからね。
僕は鶏の羽の影に隠れて震えている雛みたいなものだったんだ。比喩ではなくだよ。
君は今頃僕がどこで何をしているかということに気を揉んでいるかもしれない。揉んでいるんだろうね。一月前と同じふうに。君は随分心配性だから、何度か僕を探してくれたかもしれない。
でも見つかる訳がないんだ。諦めて仲間とカートゲームでもやっていてよ。あの愉快なデキシー・カートさ。得意だろう?
僕のことなら何も心配はない。言ったろう、むしろ僕は君のほうが危なっかしくて心配だよ。
それにしても最近僕らは良く離れ離れになる。昔なら考えられないことだね。
でも、こう考えてみて欲しい。近しい君と他愛無い話をしている時には、僕はこんなに君を強く想うことは無かったんだ。君の姿を思い描いて、今頃何をしているんだろうかってさ。
お腹を減らして泣いているのか、誰かと喧嘩でもしているのか、涎を垂らしながら眠っているのかもしれない。僕は君のことを考える。とてもとても君のことを考える。
これは僕が君で君が僕だったあの頃にはできなかったことだ。今はこの強く求めるということを楽しんでおいてよ。悪くないんじゃないかな。執着が嫌いらしい榊貴先輩あたりは反対しそうだけどね。
何かを懸命に追い掛けるってこと、僕は素敵だと思うんだけどな。君はどうかな。
そんなふうに強い感情ってのは、僕にとってみれば言わばひとつひとつが宝石みたいなものだったんだ。怒りや不安や悲しみ、心配、憎しみなんてものまでもね。
君の隣にいられた時分の僕は、そんな宝石ばかりいくつも両手に抱えてジャグリングしているような状態だった。今は空っぽだ。僕の両手のなかには何もない。両手すらもない。そのかわり気分はとても軽い。空だって飛べそうなくらいだ。何も背負ったり引き摺ったりはしていないからね。ただ物足りないとは思う。
そう言えば先日のクリスマスはすごく楽しかった。とても普通なところが良かったな。
僕は随分とこの『普通』ってものが気に入っているんだと思う。『普通』ってのは『当たり前』って意味もあるようだけど、少なくとも僕にとっては当たり前ではない。憧れとか、幸福のかたちって言うんだろう。
チキンもシャンパンもケーキも、僕にはもう味なんか分からないし、多分身体中を例の薬に蝕まれた重度の薬物中毒者の君にもほんとはわかんなかったんじゃあないかな?
でも僕は口に入れたものを美味しいと感じたんだ。本当だよ。何でかは僕にも分からない。
君の笑顔を見ながらの食事だったからかな。
こう言うと女の子たちは顔を赤らめてくれたり、もしくは口が上手いって呆れたりするんだけど、君はどうだろう。
うん、きっと僕に賛成してくれるんだろうな。君だものな。
僕は君がひとりじゃないことにはじめのうちは随分嫉妬したものだったけど、今となってはほっとしている。彼らに感謝しているくらいだ。だって君は彼らの前じゃ最低限は格好つけてぴんとしているものね。どうかそのままでいて。
まずチドリさんは順平くんにはかなりもったいないくらいの美人だ。君は何かにつけて悪く言うけど、本当は君だって彼女のことを誇らしく思っているはずだろう?
だって君は自分で彼女を貶す分には随分と楽しそうだけど、知らない人間に彼女を貶められるとすごく怒るものね。本当に素直じゃない。
まあそれに関しちゃチドリさんも同じか。君らはとても良く似ているよ。性質ってやつが、そう、おしとやかそうに見えて暴力と悲鳴を愛するところなんか特に。違ったっけ?
ともかく僕としては是非彼女のドレスを着た君を見てみたかったな。きっと似合うに決まってる。
白戸くんには随分きまりの悪い思いをさせたかもしれない。彼は確か人見知りをする性質があったよね? 昔君から聞いたんだったかな。良く覚えていない。僕は可愛い女の子と自分に関しての情報くらいしか、上手く取り扱うことができないんだ。自己中心的な人間だった。多分君と同じ位じゃあないかな。
そんなで、君たちきりで完結していた君たちの家で、一月ばかりお世話になった訳だけど、僕はその間ずっとピリピリしていたから、随分怖がらせてしまったんじゃないかと思うんだ。
できれば謝ってあげたいんだけど、僕はいつもその手間を他のものへ向けてしまう。つまりチドリさんのほっそりした魅力的な指を誉めたり、僕の一言一言に以前の百倍くらい大きなリアクションをくれる君の相手をしたりね。
悪いとは思っているんだ。本当だよ。でも僕にとっては僕以外の男ほどどうでも良いものはないんだ。ああ、君は僕のうちに含まれるから安心してほしい。これはもう習性なんだ。
随分ひどいことを言っているな。でも本当に悪いとは思っているんだったら。
あとは榊貴先輩か。彼のこともどうでもいいと思っているのかって? いいや、反対に僕は気になって仕方がなかったよ。人間ってものは、異質なものや恐ろしいもの、気持ちの悪いものが視界にあると、ついつい目を向けちゃうものなんだね。
理解したよ。
できれば夜中に窓の外に妙なポーズで浮いてるのは止めてくれって君から言っておいてくれないかな。たぶんワイヤー・アクションか何かなんだろうけど、随分肝が冷えたよ。順平くんならまず間違いなく失禁しているね。絶対さ。
そう、順平くんと言えば、彼らにも随分すまないと思っている。
結局僕は彼らに何も告げることができなかった。滅びや宣告者やニュクスや、望月綾時なんて人間は本当はどこにも存在しないなんてことを、僕は何も言わずに行くことになる。
決して彼らと会ったり話をしたりすることが煩わしかった訳じゃない。むしろ逆だ。僕は彼らに会って、本当のことを言おうと何度も思ったんだ。でもできなかった。
さあ今日こそはって、何度も思ったんだよ。でも無理だった。どうしても無理だったんだ。
結局のところ、僕は怖かったんだろうね。彼らの絶望する顔を見ることが、泣かれたり喚かれたりなじられたりすることが、僕はひどく恐ろしかったんだ。なけなし残った僕が、今度こそ粉々になってしまいそうな気がしたんだろうね。
消えてしまったら同じなのに、おかしいね。
僕は彼らがせめて何も知らないまま逝くのが幸せだとか、変に混乱と不安を与えたくないんだとか色々言い訳をつけて、僕が口を閉ざしていることをさも真っ当なことのように、なんとか思い込もうとしていたようだ。ずるい奴だ。
今となってはそれが正しかったのか、間違っていたのか、結局その方が良かったのか、死期を知らせてせめて最期の時を精一杯生きて欲しかったのか、何も分からない。ものが上手く考えられないんだ。
何か僕が僕にとって不利なことを考えるとするだろう? そしたら耳もとでわんわんやられるんだよ。あなた様は何一つ間違っていない、すべて望み通りに、すべて意のままにってさ。今の君みたいなやつさ。それが何千人分も、何万人分も、何億人分も鳴り響くんだ。たまったもんじゃない。
おかげで僕は大分頭をやられているみたいだ。次に君に会う時まで正気を保っていられるのか、正直わからない。もしかすると僕はもうおかしくなっているのかもしれない。でもそれについて考えると、また耳もとでやられるんだよ。あなた様は世界で一番正しい存在だってさ。まったくうんざりだよ。だからこのことについて考えるのはもう止めよう。
希望を言うとね、僕は君には傅くよりも、前みたいに理不尽に振舞って、僕がなにか君の気に入らない事を言った時には怒って欲しかった。
君だけができる仕事だったんだ。この世界で僕を怒っていいのは君だけだったんだ。なにせ君は僕の――ああ、やめよう。やっぱり照れ臭いや。
まあこんなことを言うけど、僕は従順な君が嫌いだったわけじゃあないよ。むしろちょっと気に入っていた。慣れなかったけど。
僕が君の傍を離れるにあたって、君にいくつか頼みたいことがある。
まず君の敵の彼らに関することだ。いや、君にとっちゃ敵でも、僕にとっては違ったんだ。彼らにとっちゃ僕は最悪に敵かもしれないけれど。
ともかく、彼らのことだ。
僕に関することでは何も心配させたくないんだ。僕のことを考えてくれる余裕があったら、彼らは彼ら自身の輝かしく僅かな人生について考えるべきだ。今を精一杯楽しんで生きて欲しいと僕は願っている。なんとかならないかな。
本当のことは話したって話さなくたっていい。僕のことについては、君の口から説明したって、彼らはきっと信じやしないだろうから、随分骨が折れるかもしれない。
上手く皆の頭の中にある僕についての記憶が消せればいいんだけど、僕は人の記憶を操るということがあまり得意ではないんだ。上手くやれる自信はない。多分人の心ってものの大切さを知ってしまったせいなんだろうな。僕が彼らと過ごした日々をとても大事に心の中に今も仕舞っているからかもしれないね。
記憶なんてそう重要なものじゃないと僕は思っている。でも記憶ほど大事なものはないとも僕は思っている。棒磁石のS極とN極みたいに、まるきり正反対の意見が僕の中にあるんだ。
まあ人間てのはそういうもんなんだろうね。まったく不思議だ。
それから二つ目、僕は随分沢山の未練を君達の世界に残してきた。シャドウたちが僕の意思を、良かれと思って勝手に組み取って、いくつか悪さをしてしまうかもしれない。
言っておくけど、彼らに悪意はないんだ。魔法使いの弟子が途方に暮れている横で、箒たちは勝手に動き続けてしまうんだよ。残念ながら魔法使いは月末にならないと帰ってこないんだ。
もし彼らがろくでもないことを仕出かしたら、君から叱り付けておいてよ。君の言うことは聞くように言い付けている。僕の言い付けを彼らが正直に聞いてくれるかは知らないけどね。なにせ脳味噌がないんだ。あまり過剰な期待はしないほうがいいかもしれない。
最後に、僕たちの約束を覚えていて欲しい。
僕はあの月へ君を連れていく。子供の頃の他愛無い約束だ。当時僕は空っぽで、君も空っぽだった。
でもあの頃の気持ちは今も何も変わらない。
必ず君を迎えに行くよ。たとえどんなに無茶なことだろうが、僕がどんなに変質してしまおうが、変わらない大切なものが僕のなかにもひとつきりくらいあったっていいんじゃあないかなってね。これは希望だ。
じゃあまた、今日はこの辺で。
どんな時でも君は僕の目の中にいる。いつも君を見ているよ。君も僕をいつも感じてくれたら、これ程嬉しいことはない。
×××
● 僕の最愛の人へ ●
本当は「最愛の僕の妻へ」って書こうと思ったんだけど、君をそう呼ぶのはまだ随分気恥ずかしい。
僕がこんなになってもまだ恥ずかしいなんて言っていることに、自分で心底びっくりするよ。
今になるけど、何度か君を穢してしまいそうになったことについて、僕はすごく心苦しく思っている。
でもその反面、僕が肉の体を持っているうちに、一度くらい君と繋がっておけば良かったとも思っているんだ。激しい後悔ってやつだ。
これも棒磁石のS極とN極みたいなものなのかな? 良く分からないよ。
多分君にも分からないな。ごめんよ。
じゃあまた、近いうちに。
僕と君の終焉に、いつか君が読み聞かせてくれた絵本みたいなハッピーエンドは期待できないけど、できるだけ救いのある結末を期待するよ。
×××
僕と君には名前が沢山あるから、どれを使って署名すれば良いのか随分迷ってしまう。
だから一番気に入っている名前を書いておく。
黒田栄時へ。
楽しかった普通の日々の思い出に。
望月綾時より。
うん、これでいい。非の打ち所がないくらいにすごく普通だな。
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