「お前、いつの間に天パ治ったの」
 順平くんが『そう言えば』って感じで、僕の頭を指差して言う。
 僕らは湯上りにシャツとジャージと首からタオルって言うフリーダムな格好で(湯上りってのはこういう格好をするべきものらしいのだ)、順平くんの部屋で、新しく発売されたデキシー・カートをやっている。僕が操作するレキシーは、何度かスリップしながらも、懸命にゴールを目指している。
「そうだっけ? 自分では良く分からないなあ」
「こないだまで猫ッ毛が雨降ったら絡まるとかでさ、ブーブー文句言ってたじゃねーの。ねっ、真田サン」
「うるさい、話し掛けるな。集中が途切れる」
「……そりゃどうもすんません」
 結局一位は負けず嫌いの真田先輩が攫っていき、二着が僕、三位が天田くん、びりが順平くんでゴールした。ゲーム機の上に並んでいる冷えたパックのジュースに、勝った者から順に手を伸ばしていく。真田先輩はいつもどおり牛乳だ。僕はいちご牛乳。天田くんは大分うらめしい顔をしながらコーヒー牛乳。順平くんは残りもののフルーツ牛乳。
 天田くんの顔つきを見ると、彼は本当は甘いいちご牛乳かフルーツ牛乳が飲みたかったんだろうなと察することができた。でも彼は大人っぽくコーヒー牛乳を選ぶ。
 難しいもんだなあとじっと見ていると、僕の視線に気付いた彼がぱっと頭を上げ、ちょっと具合悪そうに顔を顰め、「なんですか」と言った。僕は苦笑いしながら、「なんでもないよ」と返した。
「いちご牛乳と替えたげようか?」
「結構です。そんな甘ったるいもの、子供っぽいですよ」
「そうなのかな」
「それより今言ってたの、天パでしたっけ。治るんですか?」
「さあ。順平くんが言うにはそうみたいだね」
「何かやったんですか? 僕もちょっと困ってるんですよ。癖っ毛なんです」
「お前はそのままがいいって。似合ってるから」
 僕らはだらだらと喋りながら、冬の夜を過ごす。外は随分冷え込んでいて、雪が降っている。今年の冬は特に寒いとテレビの天気予報で言っていた。
「そういや荒垣サンはどうしたんスか。桐条先輩も、帰ってきてから見ないッスけど」
「シンジなら下だ。山岸に料理を教えているらしい。美鶴は家に呼び出されたとかで、明日にならんと帰って来ない」
「はあ、平和ッスねえ」
「そうですね」
「いいことじゃない」
「な、コタツ欲しくねえ? 上に蜜柑が置いてあるやつ。実家にはあったんだけどな。あれ無いとなんか寂しいな」
「いいねそれ。僕ああいう日本っぽいもの大好き」
「お前そういや海外暮らしが長かったんだよな。なんかいっつも寒そうな格好してっけど、あれか? 日本さ、前まで住んでたとこよりあったかいとか」
「ああ、うん。そうだったかな。僕ね、なんだか寒いとか良くわかんないんだよ。外気温に鈍感だって良く言われる。こないだもね、真冬に半袖で外に出るなって怒られたんだ。アイギスさんに。彼女はとても面倒見が良い人だよね。僕としては天田くんの半ズボンにも何か言ってあげて欲しいんだけど」
「アイちゃん最近お前のことダメダメって言わなくなったな。慣れたんかな」
「そうでもないよ。昨日彼女のことを順平くんみたいに『アイちゃん』って呼んでみたら、調子に乗らないで下さいって蜂の巣さ」
「いや、蜂の巣はねぇだろ」
――――
 会話が途切れると、一瞬ふっと沈黙が落ちた。「静かですねえ」と天田くんが言う。僕も「そうだね」と頷く。
「外にいる人達、大丈夫でしょうか」
「影人間だよな。どっかが保護するって話は聞いたことあっけど」
 順平くんは溜息を吐き、「つーか最近この街もヘンな事んなっちまったな」と言う。
 彼の言っていることに、僕も心底同意する。ビラで埋め尽くされた建物の隙間を徘徊するNyx教徒、そして無数の影人間。この国はもう終わりだって学校の先生が言っていた。両親に連れられて、日本を捨てて他の国へ出て行く人間は生徒の中にも何人かいて、彼らは僕に『大変な時期に転入してきちゃったな』と同情してくれる。
 言われていることは良く分かるけど、僕は彼らに、「でも僕この国好きだよ」と答えることにしている。――いや、ちょっと間違っているかもしれない。
 僕が好きなのはこの国がどうとかじゃなくて、仲間たちだ。友達だ。可愛い女の子たちだ。
 僕はとても人間のことが好きなのだ。例え彼らが澱んだ目で滅びを求めていようと。
「Nyx教とかねえ、あれ何なんでしょうね。僕でもおかしいって解るのに、なんでみんなあんなのに引っ掛かっちゃうのかな」
「シューキョーなんてそんなモンなんだろ。オレ良くわかんねぇけど」
「うん、順平さんは多分そういう崇高な理想っていうのを理解するの、無理そうですね」
「……天田くん、オレっち今小学生にすげえコケにされたの?」
「まさか、誉めたんですよ」
 順平くんと天田くんがじゃれている。僕はちょっと笑って、「僕も良く女の子たちに話を聞くんだ」と言った。
「今月の月末にね、滅びの神が空から降りてきて、世界を滅ぼすんだってさ」
 仲間たちは「またまた……」と胡散臭そうな顔になり、溜息を吐く。「どうする」と僕は聞く。
「もし本当に世界が滅んじゃうとしたらさ、何をしたい? 僕はさ、可愛い子と結婚して、沢山子供作って、とにかくすごい大家族になることが夢だったんだけど、月末までしか猶予がないとかあんまりだ。みんなは?」
「お前らしい浮ついた夢だな……俺は、そうだな、滅びの神とか言うふざけた奴が降りてくるのなら、そいつをぶちのめしてやりたいな。やりたいことも特にない。しいて言うならトレーニングだ」
「出たマッチョ脳……あのなあ、滅びねーって、世界がそう簡単に」
「例えばの話だって」
「じゃ、オレっちも好きな子と結婚したい」
「じゃあ僕もです」
「なに? 天田くん、チミまだ小学生なのに、そんなマセたこと言ってんの? お前くらいの歳の子はな、一回でいいからフェザーマンに会いたいとか、握手したいとか、そういうことを言うべきデスよ」
「ヒーローなんて信じてませんよ、そんな子供っぽい。それに僕の方がフェザーマンより強いですしね、間違いなく」
「夢がないなぁ天田くんは。ああごめん、ヘンなこと言っちゃったね」
「ほんとだぜ」
「世界中みんな君達みたいな人間ばかりなら良かったのになあ。僕ほんとにみんなが好きだよ」
「はあ? 何を言ってるんです。世界中みんなこちらのお二人みたいな進化の過程から取り残されたような人間ばかりだったら、原始時代に逆戻りしちゃうでしょう」
 『こちらのお二人』と小学生に目で示された二人は、微妙に渋い顔をしている。無理もない。僕はひとしきり笑いを堪えて、「ほんとにごめんよ」と言う。
「最近街も学校もおかしなことになっちゃっててさ、多分それがこたえてたんだと思う。ほっとしたよ。ありがとう」
「無理もないが、気にするな。俺達は俺達にできることをするだけだ」
「まあお前だけじゃねえって」
「僕も大分げんなりしてますよ」
「うん」
 僕は頷く。







 シャドウを倒し、タルタロスを探索する。この一月で僕も塔の中の探索というものに随分慣れた。――正確には、塔のエントランスの風景にも随分慣れた。僕はみんなみたいに探索に出掛けることはできない。
「真田先輩、敵を撃破。大丈夫ですか? 今日は少し探索ペースが早いです」
 風花さんが僕らの頭の遥か上にいる探索メンバーを気遣って、声を掛けている。僕も一緒になって、「無理をしないでよ、みんな」と彼らを励ます。『心配ねえって』と順平くんの声が返ってくる。みんなまだ元気そうだ。
「随分上まで上がったね。頂上も近いんじゃないかい?」
 ここまで来るには随分時間が掛かったらしい。僕がこの学校へ転入してくる以前、四月から彼らはこうやって塔を上り続けている。
 エントランス前から眺めても雲に隠れて頂上は見えないけれど、必ず果てはあるはずなのだ。たぶん。
――山岸、先はどうなっている?』
「あ、ちょっと待って下さい。階層調べますね……ええと、もう少し上層の方に、ぽっかり空いた空間があります。たぶん頂上まであと少しです。でも……すぐ上の階層で封鎖されてるみたいですね。行き止まりになっちゃってます」
「残念だなあ。ねえ、行き止まりってどんなふうになってるの? 前聞いた話じゃ時間が経てば自然に開くって話だったけどさ、誰かいるのかな。誰か、道を開けたり何なりする人がさ」
『おまっ、こんな辛気臭い所で気味悪いこと言うなってのー!』
「えっ、ごめん。もうすぐ戻ってくるよね? お疲れ様。気を抜かないでね」
 僕は仲間たちを迎えようとターミナルに近付き、奇妙な光沢のある機械をぽんぽんと叩いた。何気ない仕草のつもりだったのだ。





「りょ、綾時くん! ダメ、それ触っちゃ――





 風花さんが慌てて僕の袖を掴んで引っ張った。
 でも彼女が僕をエントランスに引っ張り戻すのが、少し遅かったようなのだ。ターミナルは点灯し、目の前が光に包まれ、気がついたら目の前に武装した僕の仲間たちの顔があった。





――上に飛ばされちゃうから、」





 言ってから、風花さんももう時は遅かったんだってことに気が付いたようだった。
「あちゃあ、やっちゃったみたいだ」
「そ、そうみたいですね……」
 風花さんも『やっちゃった』って顔で、居心地悪そうにしている。僕は一歩前に出て、「ごめんよ」と皆に謝った。まあ悪気は無かったんだし、しょうがないだろう。
「びっくりしたよ、急にワープしちゃうんだもの」
「お前らは、何をやってるんだ!」
「まあまあ、怒らないで下さいよ先輩。風花さんは僕を引きとめようとして一緒に飛ばされてしまったんです。叱るなら僕だけで。彼女は悪くない」
「こんなとこでまでマイペースに紳士を貫けるお前のことはある意味心底尊敬しても良いんじゃねぇかなって思ったんだけど、やっぱりダメだこのお馬鹿!」
「あ、痛い。順平くん耳引っ張らないでよ」
 両耳を揃えて思いきり引っ張る順平くんから逃げて、僕は痛む耳を押さえた。まったくひどい。暴力反対だ。きっと赤くなっているに違いない。
「本当だ馬鹿、この辺りのシャドウは半端なく強いんだ。お前ら二人を守りながら戦えんぞ!」
「邪魔にならないように気を付けますね」
「しかも反省がない!」
 「まったくお前ときたらいつもいつも」と真田先輩と順平くんに怒られた。心外だ。僕は反省はちゃんとしているのだ。
「もういい、説教は帰ってからにしてやる。ターミナルを探すぞ」
 みんなくたびれた顔で「了解」と頷いた。
 僕も初めての探索だ。「了解!」とやる気を込めて頷くと、「お前は何もするな」と怒られてしまった。
「だからお前は、たまには人の話というものを――
 またお小言が降ってきたので、僕はなにか弁解をしようとした。そこで、ふと気付いてしまったのだ。僕を叱るみんなの背後に、赤いコートを着た奇妙な人影がある。僕も話には聞いたことがある。確か死神タイプの、





――刈り取る者だ。





 鎖の擦れ合う音に気付いた瞬間、誰ともなく駆け出していた。
 誰も振り向きはしなかった。







「災難だったね」
 僕が言うと、「お前が言うな!」と返された。僕は「うん」と頷き、「でも悪いやつには見えなかったけどなあ」と言った。
「んなわけねーだろ! あいつオレら見掛けたら根深い恨みでもあるみたいに銃ぶっ放しながら追い掛け――あれ? ぶっ放、さなかったよな。今日は」
「なにか用事でもあったんじゃあないのかな」
「刈り取る者は仲間になりたそうにこちらを見ている。仲間にしますか?――お前はゲームのやりすぎだ。なんかもうとりあえず一発殴らせろ。いや、一発だけじゃなく殴らせろ」
「だからごめんってさ、さっきから謝ってるじゃない。……ああ、それにしても随分高いところまで来たね。今日は満月じゃないんだ。残念だな」
 行き止まりの障害物は、どうやら誰かが綺麗に片付けてくれていたらしく、何もなかった。やっぱりこの塔には誰かがいるのだ。お手伝いさんや掃除夫みたいな人が。
 そこは吹き抜けになっていて、下を見下ろすと果てのない暗闇が続いている。風がきつく、耳もとでごうごうと唸っていた。なんだか懐かしい感じのする場所だった。
「はあ? こんなトコで月見なんかできっかよ。薄気味悪ィ」
「そうでもないさ。――望月ってさ、いい名前だろう? 僕は満月が好きなんだよ。ああ、そうか。そうだったね」
 僕は頷く。





 ああ、そうだった。





 先へ続く道は開けていた。吹き抜けの階段が、頂上までずうっと続いている。
 タルタロスの天辺はもうすぐそこだ。
 みんなはあの場所を目指して、今日まで必死にこの塔を上ってきた。





「長かったね」





 僕は言う。順平くんは、「お前まだうち入ってそんななんねぇだろ」と言う。





「うん。いや、僕じゃないよ。君達の話さ。随分頑張ったね。そばで見ていられて、本当に良かったよ」
「しんみりすんのはよ、天辺まで上ってからにしようぜ。ほんじゃま、行きますか。あとちょっと――
「無理だよ」





 駆け出した順平くんが、見えない壁に顔からぶち当たって、数段階段を転げ落ちて行った。「いってえ!」と彼は叫び、涙目になっている。
「ちょっ、ちょう怖え! ここっ、こんなトコ落ちたら死ぬって! 死んじゃうでしょ!」





「……エレスは聖域だ。大事な場所なんだよ。とても、とてもね。申し訳ない話だけど――僕は本当に君達のこと大好きなんだ。友達だと思ってる。でもあそこだけには、入れる訳にはいかないんだ。誰もダメなんだ」





 みんなは『何を言ってるんだ?』って顔をして、僕を見ている。
 何を言っているんだろう。僕もそう思う。
 やっぱり心の狭い奴だって思われるだろうか?
 僕は階段を上る。透明な障壁は、僕を弾かず、優しく受け入れてくれた。





 階段を上る、ごとに、僕の意識はクリアになっていく。





 欠落していたピースが埋まっていく。それは僕を補完するというよりも、ただ欠落を加速させていくだけのものだ。





「リョージ?」





「僕がはじめてこの場所で目を開いた時には、とても大きな満月が見えたんだ。それが僕のはじまりの記憶だ。十年ほど前になるかな。あの場所、タルタロスの天辺。王居エレスってみんなは呼んでた。僕が生まれた場所だ」





 みんなはぽかんとしている。さっきまで楽しくじゃれていたっていうのに、まったく僕ときたら本当に空気を読めない。最近ようやく自覚するようになったのだ。でも僕にはどうすることもできないのだ。





「……何言ってんの、帰国子女? お前、まだ影時間の混乱、続いてるのか?」





「そうだったらいいね。ほんとにさ。――あの時、僕はひとりじゃなかった。いや、一人は一人だったんだ。でも僕は僕だけじゃなかった。僕の隣には、鏡みたいにもう一人の僕がいたんだ。いや、鏡だとあべこべになっちゃうから、鏡よりもずうっとおんなじだね。彼には貌も名前も無かった。まあ僕もだけどね。でも僕には、僕を彼みたいに『カオナシ』って名付ける人間がいなかったんだ。僕は誰にも認識されることがなかった。みんな空気みたいなもんだと思ってた。誰も僕に触る事はできないし、僕も誰にも触れない。――僕がおかしくなったと思うかい? まあ、そうだね、じゃあこんなのはどうかな」





 僕は撫で付けた髪を崩し、前髪を乱雑に下ろしてみた。





「ちょ、」





 みんなは息を飲む。
 まあそりゃそうだろう。彼らはもう一人の僕の顔を良く知っているのだ。





「カオナシ……っつーか、黒田! おま、」





「そう、僕らは同じだ。まあ彼のほうが僕よりも幾分か可愛げがあると思うけど」
 僕は溜息を吐く。「もっと色々な話をしたいのは山々なんだけど」と言う。





「僕はここまで君達を見てた。この場所へ辿り付くまで、ずっと見ていたんだ。おめでとう、僕はみんながここまで来れたことを嬉しく思う。本当だ。かなうなら世界中が君達みたいな人間ばかりなら良かった。そうすれば――そうすれば世界は滅びなかったのに」





 そして、僕は宣告する。





「まもなく終わりの時間が来る。僕はそれをみんなに教えるために生まれたんだ。望月綾時なんて人間は、本当はどこにもいないんだ。帰国子女? 僕はこの国のこの街しか知らない。全部嘘だったんだ。僕が僕に嘘を吐くように仕向けたんだ。何も知らずに君達と仲良くなって、今までそりゃ随分楽しかったよ。本当は、僕はこれからも――いや、やめとくよ」





 呆気に取られているみんなに背中を向けて、僕は「ありがとう」と「ごめんね」を言う。
 一方的な宣告だ。この上なく傲慢で身勝手で、全く救いのないものだ。
 僕には全てを話す義務があった。でも何も言わずに逃げ出した。僕は逃げたのだ。





 そのことがずうっと僕の心を、彼らに縛り付けていた。





 これこそが僕の遣り残したことだった。
 僕は僕の口から、どうしようもない宣告を、大好きな彼らに下さなければならなかった。





「じゃあまたね。月末に。その時は僕はきっと、もうこんな人の姿なんかじゃないだろうけど」





 僕は歩き出す。みんなの罵る声はない。多分、まだ上手く理解することができないのだ。





「それでも僕は本当に君達のことが好きだったんだよ。たぶんね」





 勝手な言い草だなと考えて、僕は苦笑した。
 身体中から力が抜けて、思わず座り込んでしまいそうになるくらい、僕は皆の目の前にいることが怖かった。でもほっとしていた。僕はやっと務めを果たしたのだ。







 ――そして僕は彼らS.E.E.Sの前から姿を消し、塔を飛び出した。
 苛立ちに任せてエントランスの前をうろうろしていたシャドウを蹴っ飛ばした。口を尖らせ、「僕は納得がいきません」とぼやいた。
「なんであんな奴らなんか気に掛けてやるんですか。あいつら馬鹿ばっかりです。ずうっと気持ち悪くてしょうがなかった。さっきだってあんな目であなたのことを見るなんて、あそこで誰か一人でもあなたに悪口言ってたら、もう我慢出来ませんでした。滅びの前に僕がこの世で一番苦しい死に方させてやってましたよ」
(そんなことをしたら僕は君のことを嫌いになっていたよ)
 この半月程、僕の身体と記憶を好き勝手に動かしていた『彼』が涼しい声で言う。
「……嘘です、申し訳ありません」
 ぐっと詰まり、とりあえず謝ってしまったが、僕は悪くない。僕は正しい。僕の皇子様を悪く言う奴に、僕の目の前で息をしている資格なんかないのだ。
 頭の上に取り憑いていた小さなシャドウを胸に抱いて、大分気だるさを感じながら、「これで満足したんですか?」と訊いてみた。
 (したよ)と返事が返ってきたけど、『彼』に消えたり成仏(?)したりする気配はない。僕は溜息を吐き、やれやれと肩を竦めた。
 まったく今更だが僕らは良く似ている。今までS.E.E.Sの連中は、誰も仲間の中に僕がまぎれ込んでいるってことに気がつかなかったのだ。
 以前、「僕は随分沢山の未練を君達の世界に残してきたんだよ」と『彼』は言った。
 「とりとめのないことさ。特に気にすることはない。全てが滅びれば一緒に消える程度のものさ」とも言った。
 でも『彼』にこの残り僅かの命と忠誠を捧げる僕が、『彼』の望みを放り出したままでいられるわけがない。
(もしかしたら、僕はあのまま彼らに責めて、なじってもらいたかったのかもしれない。ひどいことを言われたかったのかもね。僕の罪がそれで少しでも贖われるんじゃないかって、きっと期待したんだ。でも彼らは僕を罵ってはくれなかった。うーん、だからダメだったのかな? 望むことが無くなれば、僕はただの往生際の悪い未練の塊なんだから、消えてニュクスに還るはずなんだけど。ううん、やっぱりあれなのかな……)
「あれとはなんですか?」
(まあこっちの話さ)
 皇子様は僕の腕に身体を預けて、機嫌が良さそうだ。揺られるのが気持ちいいのかもしれない。
 僕はなんとなく小さなファルロスだった頃の彼を抱いていた時のことを思い出していた。あの頃の彼はどこからどう見ても混じりけなく可愛らしい人間の子供の姿をしていたから、妙なものだ。
 でも僕は例え彼がガムテープだろうが輪ゴムだろうが同じように忠誠心を抱いているのだから、特に何も言い立てることはないのかもしれない。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜