(以下、性的表現を含みます。18歳未満の方の閲覧を禁じます。)
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そして、二つ目。僕の主のこと。
僕の主人は名前を望月綾時という。
先月末にまた僕を離れ、消えてしまったが、彼の未練がまだこの世界に繋ぎとめられている。それも大半は僕に責任があるらしいのだ。
「やあ、こんばんは」
彼は影時間になるとやってきた。僕の腹の上に乗って、にこやかに挨拶をする。彼が子供の頃と何ら変わりはない。
だが困ったことに、彼の身体はもう子供のものではない。僕よりも少し大きい。重い。つまり僕は僕よりも重い男性一人分の体重を腹に受け止めているのだ。これで彼が幼かった頃のようにダイビング・ジャンプなんて食らおうものなら、僕は内臓が潰れて死んでいる。
彼もその辺りはなんとか自覚してくれているらしかった。ジャンプはしなかった。でも僕が息も絶え絶えに「こんばんは、皇子様」と返すと、「うん」と頷いて、にこにこ笑いながら僕をくすぐりに掛かる。最近の彼は無慈悲すぎる。
僕が弱い脇腹なんかを重点的に攻撃してくる。彼とは子供の頃からずっと一緒にいたから、彼は僕の弱点を知り尽くしているし、僕は彼の弱点を知り尽くしている。でも彼はいつのまにか世界で一番偉くなっていたから、僕は反撃できない。成す術がない。だから悲鳴を上げるしかない。
「お、お、皇子様ぁっ! ちょ、いきなり、これはひどい仕打ちです!」
「うん? 皇子様?」
「うっ……りょ、綾時様!」
「様はいらないけど、まあ許してあげる。二人きりの時は名前を呼んで」
僕は息を荒げながら、涙目で「はい」と頷く。学生をやってらした時はあんなに優しかったのになあと、僕はこっそり考える。デス様として覚醒してからの彼は、ちょっとひどいところがある。虐めっ子だ。
「今晩はどうされたんですか?」
呼吸を落ち付け、僕は聞いた。ホテルの広い部屋に、僕らは二人きりだ。もう影時間になるから、静かなものだ。でも僕の兄弟たちが、うるさいと怒鳴り込んでくるわけでもない。昔もそうだった。彼が現れた時には、いつも僕と二人きりだった。他の人間には見えないのかもしれない。
正しくは、今の彼は僕の皇子様本人ではない。あの方が残した未練の塊だという。未練というのは、人の心だという。
消えしなに、彼は言っていた。「僕の心は、全部を掛けて、この世界に惹かれているんだ」と。
十二月最後の影時間に、闇に融けていくあの方を見送った後、僕は泣いていた。それも大泣きだ。ファルロスが消えた時以来の大泣きだ。考えてみれば、僕は彼に泣かされてばかりだ。
でも気がついたら、あの方の未練は僕のそばにいた。「泣かないでよ」と言ったのだ。小さなシャドウの姿をしていて、それは今も変わらない。
――そのはずだが、僕の目の前の皇子様は、相変わらず僕とほとんどおんなじ顔をして、僕の腹の上で微笑んでいる。人間にしか見えない。
「それ、どうされたんですか?」
「ちょっと君の頭の中に潜り込ませてもらってるよ。無防備に眠っていたから」
「はあ、狭いところで申し訳ないです」
良く分からなかったが、僕は頷いた。また僕は彼に寄生されているらしい。彼が僕の寝ているところに耳を通って、脳に浸蝕しているのだ。
僕なら他人の脳味噌に住み付くなんて随分気持ちが悪いことだったけど、彼に気にした様子は特にない。昔からあまり色々なことを気にしないお方なのだ。
僕は今、夢や幻覚のようなものを見ているのだろう。
「ねえカオナシ、僕はこの間君に手伝ってもらって、みんなにようやく本当のことを言えたんだ。でも僕の未練は消えない」
「はあ、他に何か。僕で良ければ何でもお手伝いしますよ。ただ、貴方が消えてしまうのは、あまり嬉しいことじゃないけど」
「お手伝い、本当に?」
「はい」
彼は今更何を言っているんだろうと、僕は訝った。僕は彼のためにあるのだ。僕は彼のものだ。彼のために働かないわけがない。
そう思っていたら、彼は僕をしげしげと眺めた後で、とんでもないことを言った。
「僕、君に僕の赤ちゃん産んでもらいたいんだよね」
「……は?」
「子供だよ。僕と君の子供さ。君とエッチしたいなぁ。そしたら僕、今すぐ成仏できる気がするんだけどなぁ」
「成仏って……」
僕はどこから突っ込めば良いのか分からず、まず「僕は男です」という、すごく基本的なところから始めることにした。これで何度目だろう。彼はまったく僕の言うことを聞いてくれない。
「男同士で子供はできません」
「できるよ」
「……できません。貴方は幽霊じゃないんですから、成仏もないです。僕貴方にもうじき殺されることだけが楽しみで、今を精一杯生きてるんですよ。貴方が今いなくなっちゃったらすごく困ります」
「でも僕には分かるよ。君は僕の言うことを、何だって聞き入れてくれる。僕も随分涙ぐましい我慢をしていたんだよ、生前。君は知らない? 何度も何度も、結構身の危険が迫ってたんだよ君」
そんなことを言われても困る。
僕は顔にこそあまり出ない性質だが、ほとほと困り果てていた。皇子様はそれを知っているはずだが、特に気に留めた様子もない。にこにこ微笑んで好きなことを言っている。彼は傲慢と我侭を許された人種なのだ。しょうがない。
「少しの間だけど、僕と君はまたひとつになっていた。以前とは大分状況が違っていたけど、そう変わりはないんじゃないかな。僕の見たものを君が見る。同じふうに考えて、ひとりの人間を演じる。君もここしばらく僕と一緒に望月綾時をやっていたんだから、少しは君が知らなかった世界の成り立ち方ってのを分かってはくれたんじゃあないかな? 例えば、ほら、あれだよ。順平くんに借りた、」
「綾時様!」
僕は真っ赤になって、「駄目です」と、彼がその先を続けるのを止めて下さるように懇願したが、それは聞き入れられなかった。皇子様は相変わらずにこにこしながら、何でもないふうに言った。
「エッチなDVD。是非感想を聞きたいんだけどなあ」
「そ、そんなもの、ありませんから。大体僕には関係ないです。普通の身体じゃないんだから」
「真っ赤になっちゃって、カオナシったら可愛いね」
「綾時様……」
僕は心底勘弁して下さいという気持ちだった。溜息を吐き、何でこんなふうになっちゃったんだろうと考えてみた。僕と彼ははじめは同じものだったはずなのに、いつからこんなふうになっちゃったんだろう? 皇子様は顔を赤らめもしない。でも答えは見つからなかった。分からない。
「拗ねないでよ。まあ拗ねた君も嫌いではないよ。ねえカオナシ」
「はい、なんですか」
からかわれても、昔のように「知らない」なんて返事ができるわけがない。今は僕らの立場は、もう随分違うのだ。渋々返事をすると、皇子様はシーツの上から、僕の腹の辺りをそっと指でなぞった。
そして身体を屈めて、僕の腹の辺りにキスをした。シーツの上からだ、もちろん。
でも僕はあんまりびっくりして、固まってしまった。「なにすんですか」も「駄目です」も言えないまま、ひどく混乱している僕に、皇子様は「なんでこんなことになったんだったかな?」と言った。
それは僕に訊いているというよりも、自分の記憶の中から思い出を正しく引っ張り出すための合図のように思えた。独り言だ。彼は「ううん」と唸り、「あ、そうだ」と頷き、手を打った。思い出したらしい。
「『幾月さん』だったよね。あの変なおじさん。駄洒落はまあ悪くなかったけど、僕あのおじさん嫌いだったな。君にひどいことばかりするんだもの。まあ彼には僕のことが見えてもいなかったんだから、僕が一方的に悪意を抱いていただけだけどさ。『受胎告知』だよ。神様に選ばれた君は、お腹にチューされるだけで、穢れを知らないまま神の子を身篭るんだ。うん、まあ間違ってはいなかった。まああのアイギスの封印は、チューなんて可愛らしいものじゃなかったけど、君は処女のまま僕を孕んでいたんだものね」
「いや、僕は男ですから、処女とかじゃなくて……」
「間違ってはいないけど、君はもう二度と僕を孕むことはない。もう僕は世界に生まれ落ちてしまったんだから。でも君は僕の子なら孕むことができる。この先何度も何度も孕むことができる。それには人間同士の性交ってものが必須だけど」
「綾時様、滅びの皇子様の貴方がそうやって世界がこのまま永遠に続くみたいな言い方をしないで下さい。自分で自分の存在を否定してどうするんですか」
「滅びは避けられないものだよ。大丈夫さ。僕は僕の存在がどういうものかを、誰より正しく理解しているよ、そりゃね。でも僕は君の子が欲しい。生命というものに大分憧れを感じるんだね。世界が滅びて、君が影人間になってしまっても、僕は変わらず君を愛してる。ねえ、理解できるかい?」
「はあ」
僕は頷きながら、なんだか嫌な予感がした。皇子様は相変わらずにこにこしている。僕は、なんだかそれがとても恐ろしいもののように感じた。この人は、まさか、
「君の考えているとおりだよ。君の心が死んでしまっても、身体がそこにある限り、沢山可愛がってあげるよ。僕はそれが君なら、白骨化していようが灰になろうが、例え髪の毛一本にだって欲情できる自信がある」
「変な自信を付けないで下さい。あまりそういうところを想像したくないんですが、ああもう、何でそういうことを言われるんですか。あなたは皇子様なんですから、そういうのは駄目なんですってば。なんでそんなふうになっちゃったんですか」
「変なことを言っているつもりはないんだ。ただ君を必死に口説いているつもりだったんだけどね。まったく君は鈍いよ」
皇子様はやれやれと肩を竦めている。やれやれってのは、僕の方が言いたい。彼はファルロスだった頃の思い出を引っ張り出してきてからというもの、本当に僕に容赦がない。それも色々な意味でだ。
加えて更に、この皇子様の『未練』というものは、本当に性質が悪いものだ。僕が恥ずかしくて死にそうなことを言うし、遠慮も加減も知らない。なにせ真顔で男の僕に向かって子作りをしようなんて言い出すのだ。
「あれ、カオナシ、怒ったかい?」
「……いいえ。僕はあなたにただ忠実であるものなんですから、あなたに怒るとか、そういうのはありえないです」
「僕のこと好き?」
「そりゃあ……あなた以外には何もいらないと思う位には好きです」
「身体に触ってもいいかい?」
「いや、それは……その、はい。あなたが望むなら、僕は何だってその通りに」
「うん」
皇子様はくすぐったそうな顔になり、「あのカオナシに何でも言うことを聞いてもらえるってだけで、僕はデスで良かったって思うな」と言われた。『あの』というのが何だか気になったが、僕は「はい」と頷く。
「宣告者デス、滅びの母ニュクス、君の憧れるものだね、カオナシ。ヒーローだ。僕は本当はね、世界を滅ぼす役回りなんか死んでも嫌だと思ったんだ。望月綾時の夢の終わり際にね。でも君にかしずかれるなら悪くはない。君が愛してくれるならって意味で、今はそう思うよ。他の誰にもこの役割は譲れない」
「僕が好きだってだけで?」
「うんそう」
「なんだか変な感じです。僕はデス様じゃなくたって、あなたのことが好きですけど」
「……そう?」
皇子様はちょっとびっくりした顔になった。僕は「はい」と頷く。
彼がもしもデスじゃなかったとして、そりゃこうやって絶対服従なんてしちゃいないだろうが、僕は確かに、間違いなく、彼のことを世界で一番愛している。彼は僕で、僕は彼なのだ。彼は僕の中にある、僕自身が気に入っている部分をかたちにしたような存在だった。
「ちょっと嬉しいや、カオナシ。照れ臭いのを別にして言えば、すごく嬉しい」
皇子様は、親に甘える子供みたいに僕を抱き締め、ベッドの上で僕の裸の胸に頬を擦り付けた。そしてシーツを引っぺがし、僕の太腿を撫でた。
「あの……」
「うん? 分かってるよ。今夜は触るだけ。僕は君を孕ませたい訳だけど、君はまだ恥ずかしいんでしょ。それに怖がってる」
「いや、僕に怖いものはないですけど」
「うん」
皇子様は頷かれたが、いつものことながら、あまり僕の話をまともに聞いている気配はない。
そしてゆるやかに僕の身体に触れる。最近の彼は随分と意地悪なのだが、触り方はやっぱり優しい。昔から変わらない。彼は子供の頃からずっとそうだ。優しい。
ろくに喧嘩もなかったし、殴り合いもなし。僕の兄弟たちとは全然違う。
そして僕だけじゃなくて、女子にも優しい。彼はなんでいきなりあんな女好きになっちゃったんだろう。
僕を養分にして育ったにしては、僕らにはずれが多過ぎる。まず僕はとにかく女子が苦手なのだ。チドリをはじめとして、学校の女子連中なんて、理不尽と横暴のカタマリみたいなものなのだ。意味も理由もなく僕を虐めるのだ。でも彼女たちは僕にはひどいのに、皇子様にはとても親切だ。花さえ飛ばしている。
僕はそっと皇子様を見た。僕は女子が苦手だが、彼は女の子が大好きだ。性格だって正反対だ。似ているところと言えば顔だけだ。まあ顔にしたって、基本的な造作が似通っているってだけで、僕には彼のような綺麗なブルーの瞳はない。気持ちの良い微笑み方もできないし、くるくる表情が変わらない。
そして今や、これまで唯一僕の方が圧倒的に勝っていた身長すら追い抜かされた。僕はもう駄目だ。今まで偉そうな顔をしてしごいてやっていた後輩の部下が、いつのまにかすごく出世して、あろうことか社長になってしまったサラリーマンのような気まずさを感じている。僕は平社員だ。
とにかく僕は全体的に地味なのだろう。自覚をしている。まあ生き方とかそういったものが見た目にまで反映されているのだろう。僕がこそこそ物陰に隠れなきゃいけない人生を歩んできたのに対して、彼は世界の王様なのだ。人の上に立つ存在なのだ。
「何を拗ねてるの?」
「いや、拗ねてませんけど」
「嘘だ。子供の頃から見てるから、僕は君の表情にはちょっと敏感なんだ。ずるいって顔をしているね? みんなに見える君だけ怒られて、僕だけお咎めなしだった時とかの顔だよ」
「いや……」
「また卑屈なことでも考えているのかい? 君は調子が良い時はすごく自信満々でご機嫌だけど、拗ねると「どうせ僕なんて」とか、そういうのが多くなるよね。皆をやっかんだりさ。躁鬱の差がとても激しいんだね。難しい性格だと思うけど」
「……すみません」
僕は顔を赤くして俯いた。僕の考えは、何故か昔から近しい人間には筒抜けになってしまうのだ。自分ではクールなポーカーフェイスだと自負しているだけに傷付く。
皇子様は「思うけど」と繰り返された。
「でも嫌いではないよ。僕には君のなかで、嫌いなところを見付けられないんだ。僕自身の中にはいっぱいある訳だけど、君だけはさ」
彼は僕の腹をとても大事そうに撫でて、僕の目を覗き込んだ。
「ずっと好きだったんだ」
「はい、僕もです」
「君の好きとは……どうなんだろう。聞いている分には、同じものなのかなあ。なんだか微妙に違うもののような気もするけど。まあいいや、僕は君が好きだよ。好きだった。僕はもうこの世界にはいないはずの存在なんだから、過去形で語ることしかできないのが残念だけど、それでも今も僕は君をとても大事なものだって思ってる。僕より世界より大事なものだって思ってる。ただすごく残念なことに、もう身体がない」
「綾時様はここにいます」
僕は皇子様の腕に触り、彼のはっきりとした感触を感じながら、「触れますし」と言った。本当なのだ。嘘じゃない。触れる。
「僕はもう、ほんとはどろどろでぐちゃぐちゃのコールタールみたいなものなんだよ? 触れるのだって、今だけ、君だけだ」
「昔もそうでした。あなたが子供の頃のことです。あなたが望むのでしたら、僕はいくらでも身体を明渡します、以前のように。この世界の何がそんなに面白いのかは分かりませんけど」
「君は本当に細かいことを気にしない性質だね」
皇子様は面白そうに、そして少しほっとしたように言われた。
僕は頷き、「あなたと同じですから」と言った。僕は僕らがもう同じものじゃないと理解していたが、それでもやっぱり「同じ」という言葉はすごく気持ちが良いものだった。
「同じ、ねえ」
皇子様は僕の上にうつぶせに乗りかかり、膝を曲げ、足を宙でふらふらとさせながら、頬に手を当てた。彼がファルロスだった頃からの癖だが、今になってやられると、潰されそうに重いし、それに彼の肘が僕の裸の鎖骨のあたりに突き刺さってとても痛い。
皇子様はそれに気がついてらっしゃらないのか、それともあえて気にも留めていないのかは知らないが、僕に片方の肘を突き立てたまま、もう片方の手を無造作に伸ばし、僕の胸に触った。
「ひゃ」
「僕も君と同じってのは、すごく素敵なことだと思う。安心するよ。でも、僕らが別々の二人の人間だっていうのも、同じくらい素敵なことだと思うんだ。君に感じてもらえるしね」
彼は僕の胸をまさぐるように、手を動かしている。くすぐりとは、また少し違った感じだ。
僕もくすぐったいのとはなんだか違った感じがする。ぞわぞわするのだ。
「あ、あれ?」
「気持ちいいかい?」
「あ、はい。貴方に触られるの、好きですから」
僕は頷く。でも変な感じだ。
皇子様が僕の耳もとで「思い出して、ほらあれ」と囁く。
◆◇◆
順平に借りたDVDのパッケージの中から、ピンクの下着姿の女の子が、挑発的な微笑みを浮かべてこちらを見つめてきていた。それから「無修正」「十八禁」という文字が記載されている。見るからにアダルトDVDという奴だ。
順平は確か(留年していなければ)僕と同じ十七の男だったから、彼はどこでこういうものを購入してくるのかと、興味を覚えて訊いてみた。答えはこうだった。
「ハア? 歳なんかわざわざ訊かれねえよ。黒田とかみたいなチビだと中坊に間違えられてうるさく言われるかもしれねえけどさ」
「へええ、日本はすごいね」
「や、日本あんま関係ねーっつーか。……今度和服モノでも探しといてやろーか?」
「え、いいのかい? 嬉しいなあ。ぜひ見てみたいよ。着物はとても綺麗だものね」
「……おう? あれ? オレっちさ、なんか最近お前と喋ってると、特にズレのようなものを感じるのはなんでだろうか。リョージってこんな奴だったっけな……」
「うん? 何を変なこと言ってんの。じゃ、ありがと」
僕は順平に礼を言って、部屋に引っ込み、大分ソワソワしながらプレーヤーにDVDを挿入した。
まず第一に感想はといえば、「うわあ」というものだった。それも二種類の「うわあ」が僕のなかにあった。「うわあ、さすが順平くんの目にかなっただけはあるなあ。すごいや」ってのと、「うわあ、こんなの駄目です。なにこれ、なんだこれ?」ってのだ。興味津々の僕と、それを窘める僕がいる。
◆◇◆
「つまりあの時、二人でエッチなDVDを一緒に見てたんだよね。でも残念だなあ、せっかくだから、今みたいに身体は二つ欲しかったよね。僕は恥ずかしがるカオナシが大好きなのに」
「りょ、綾時様!」
僕は真っ赤になってしまったが、皇子様はまたそれが面白いらしく、にこにこしている。彼は最近まったく人が悪いのだ。
「君は胸も大きくないし、身体だって硬いね。あ、お尻は可愛いけど」
「うう」
皇子様は僕の身体に、なんだかやらしい手つきで触るのだ。「観念したほうがいいんじゃない?」と彼は微笑む。
「君だって興味ない訳じゃないでしょ。ただ恥ずかしいだけだ。でもカオナシ、考えてもみなよ。ここには君ひとりだけだよ。君が何をやっていたって知る人間はいないし、君を叱る人もいない。だって僕らは同じものなんだからさ」
ここで『同じもの』ってのを蒸し返すのはちょっと卑怯だと僕は思ったが、皇子様が僕の耳もとで囁く言葉を聞いていると、身体から力が抜けていく。彼は本当に恐ろしい人だ。
「そう、力を抜いていてね。僕に身体を預けて。うん、いい子だね」
皇子様が子供をあやすみたいに僕に言う、が、そこばっかりは僕はどうしても納得ができなかった。どうしても駄目だったのだ。僕は「なんでなんですか」と、我ながら覇気のない、死にかけの蚊の羽音みたいな声で言った。
「なんで、僕と貴方の知識は、同じ程度だったはずです。見るのも聞くのも。なんであなたばっかり、その、」
「やっかまないでよ。僕はデスだよ? 生き物が次の生を紡ぎ出す行為については良く知っているよ。だってそうやって生命が産まれてくれなきゃ、僕は誰にも呼んでもらえないんだからね」
「ううう」
「なんてね。そんな理由じゃないよ。僕は望月綾時をやってる間、君に一生懸命恋をしていたんだもの。そりゃ好きな人としたいことには詳しくなるでしょ。仲間に順平くんって、アダルトDVDに関してのスペシャリストもいたことだしさ。僕彼のコレクションから、必死で君に似た子が出てるのを探したりもしてたなあ。――なんでか女優の好みが真田先輩と被るのが、なんでなのかなあってあの頃は疑問だったんだけど、ああなるほどなー」
「ああも、順平も真田も、明日の朝起きたら殺しにいきます。僕の皇子様になんてこと教えてくれてんだ」
「混ぜてあげなかったからって拗ねないでよ」
「そんな理由で拗ねてるんじゃないです」
「まあまあ。君に恋をしてるってのは今も何も変わらないんだからさ、それでご機嫌を直してはくれないかな?」
「ううう」
皇子様に優しく微笑み掛けられて、その上あやされたりなんかしたら、僕にはもうそれ以上何も言うことはできない。僕は溜息を吐き、「すみませんでした」と謝るしかないのだ。
そこで、もしも生まれ変わりなんてものがあればなと、つい僕は考えてしまった。現実逃避みたいなものだ。もしも生まれ変われるものなら、今度は僕がデスになりたい。そして皇子様、つまりデスの僕にかしずく望月綾時という人間に、思いきり我侭を言ってやるのだ。覚えてろ。
一瞬そんなことを考えてしまって、すぐに僕は海よりもモナドよりも深く反省した。僕は何を身のほどを知らないことを空想しているんだ。きっと昔の癖が――ファルロスという子供だった頃の皇子様をやっかむ癖が抜けきっていないのだ。違いない。
「ファルロスのくせに、って? 君今のそれ、僕の悪口考えてる顔」
皇子様が面白そうな顔をして、片手でまた僕の胸をまさぐった。それだけならまだしも、もう片方の手を僕の股間へ伸ばして、性器をぎゅっと握り込んだのだ。
「ぎゃあッ! ど、ど、どこ触って、きっ、汚いですか、ら、あれ、……あっ?」
僕は変な声を出してしまった。声だけじゃなく、変な顔もしていたに違いない。
「気持ちいい?」
「えっ? いや、なんか、そうじゃなくて」
「うん」
「苦しい? ぞわぞわします。変な感じ、です、これ」
「へえ」
皇子様は首を傾げて、「そう言えば君、精通もまだだったよね」と言った。
「まあ間違いなくあの抑制剤の副作用なんだろうけどさ。もったいないなあ。すごく気持ちが良いのに」
「はあ」
そんなことを言われたって困る。
僕ら造られたペルソナ使いには、生殖機能なんてものは一番どうだって良いものなのだ。ただペルソナが召喚できればそれでいい。子供なんか作らない。そういう余計な機能をすべて削ぎ落として、僕はシンプルに、最強の戦闘能力というものを手に入れたのだ。
皇子様はふと良いことを思い付いたという顔をして、僕と向かい合った格好で、いつもの制服の吊りズボンのジッパーを下ろして、性器を取り出した。「見ててね」と言う。
何をされるのかと思えば、彼は自分の性器を手で擦り、自慰みたいなことを始める。僕が戸惑いながら「あ、あの?」と声を掛けても、お構いなしだ。
「ん、ほら、すごく気持ちいい。君のお腹の中はどんな感じなんだろうって、考えながら触るんだ。君を犯すところを空想するんだ。よがってる顔なんかをね」
なんだかとんでもないことを言われた。
それにしても、主人の自慰行為なんか、僕がまともな顔をして見ていられるわけがない。目を逸らそうとすると、「ちゃんと僕を見てよ」と叱られた。僕は一体どうすれば良いんだ。
皇子様の性器はすぐに硬くなって、赤く色付く。そういうところを見ていると、さすがに僕も変な気分になってくる。僕に子作りする機能なんて多分もう残ってはいないけど、敬愛するお方のやらしい姿なんかを見てしまって、目も逸らせないものだから、本当に困る。しかも、加えて僕のことを考えてそういうことをされるんだから、ものすごく困る。
ほどなく、皇子様が精液を吐き出す。
「あの、綾時様」
僕は、下手に今彼に触れて叱られはしないかという不安はあったものの、皇子様を両腕で抱き締め、背中を撫でた。彼は呼吸を浅く、早くしている。そういうのが気持ちいいなんて言うが、僕には苦しそうにしか見えない。
「カオナシ、いいの? 付いちゃうよ」
皇子様が僕を見上げて言う。彼の手には、どろっとした体液がこびりついている。彼は「ついちゃうよ」なんて言うくせ、僕の顔にぬるんだ体液を塗り付け、「綺麗だね」と笑う。
以前の皇子様からは、本当に考えられないことだ。彼は僕なんかにも礼儀正しく親切に振舞ってくれたし、優しかった。僕を大事にしてくれていた。
あの頃の彼がこの状況を見たら何て言うかなと、僕はこっそり考えてみた。卒倒されてしまうかもしれない。
今の皇子様は人間の常識とは切り離されている、彼の未練そのものだ。丸裸にされた彼の心であり、素直な望みでもある。つまり、彼が本来そうありたい姿である。
僕は消え際の皇子様が、「僕の未練がろくでもないことを仕出かしたら、君から叱り付けておいてよ」と言われていたことを思い出していた。きっと彼はこうなることを知っておられたに違いない。多分死にそうな位恥ずかしかったに違いないのだ。今なら分かる。
でも僕が叱り付けようがどうしようが、彼が僕なんかの言うことを聞いてくれるとは思えない。僕は皇子様の下僕なのだ。奴隷みたいなものなのだ。
「うわっ」
ぬるついた手のひらで、皇子様がまた僕の股間を撫でた。後ろから腰を抱かれて、丁寧に性器を揉み解されていく。「どうなのかなあ」と皇子様が言う。
「君、男としての機能なんて残ってるのかな。物心ついたころから子宮で僕を愛してくれてたことを考えてみると、女の子みたいに中のほうが感じやすい?」
「あの……生物学的に全否定されると、僕もさすがに泣きたくなるんですが」
僕はげんなりしながら、「僕だってやろうと思えば何だってできるんです」と、言わなくても良いことを言ってしまった。むきになって言い返すのは、僕の良くない癖だと自覚はしているのだ。僕はそうやって何度言わなくて良いことを口に出して、ひどい目に遭ったろう。
「へえ?」
皇子様がにこにこしている。相変わらず僕の股間を揉みしだき、「まだ柔らかいよ」と言う。
「ここまでやったのに興奮しないかなあ。君はやっぱり朴念仁だよ。不能だよ」
「……変な気分には、なってます、よ。その、貴方を見てたら」
「ドキドキしてくれた?」
「あ、はい」
僕は頷く。
そして皇子様にベッドに押し倒され、「じっとしててよ」と命令をされた。
「カオナシ、今から何をされても抵抗をしないこと。僕の好きにさせてよ。ね?」
「はあ、了解です」
僕には拒否権など存在しないのだ。それを良いことに、皇子様は僕の性器に、あろうことか唇を付けてキスをする。舌を出して先を舐める。咥える。口の中で転がすようにして、たまに噛む。
「え、えええっ、あの、な、何やってんですか?」
「悔しいじゃない。君が悪くないのは知ってるさ。悪いのは君をそんな身体にした奴らや、薬のせいなんだ。でも今夜はね、僕君が勃起して、ちゃんと射精できるようになるまで離さないから」
ふにふにと食まれて、僕は「ひえっ」と間の抜けた悲鳴をあげた。
「だめ、だめですうっ、皇子、様、」
「綾時ね」
皇子様が僕の性器に、軽く歯型を付ける。僕はまた悲鳴を上げる。あんまりだ。
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