サガセ!埋蔵金伝説
──元治元年、七月十九日(1864年8月20日)。京を乱した禁門の変。
土御門家陰陽道当主、土御門晴雄が「雑面の鬼」を率いて起こした虐殺事件から、しばらく過ぎたころ。
新選組屯所にて、藤堂平助と、替え玉幹部たちが顔をつきあわせている。
「一同、感謝する。此度、みなの働きで、こうして京の町を守ることができた」
本物の新選組幹部を殺した仇を討つことができた藤堂平助の表情は、晴れ晴れとしている。しかし──。
カタカタと小刻みに震える右腕は、先の池田屋の負傷がもとで力が衰え、愛刀の上総介兼重を持ちあげることすらかなわない。
ここらで潮時かと考えて、藤堂は眉を寄せて笑む。
「亡き新選組幹部たち皆の意志をつなぐため、こうして体を動かしてきたが……もう、ろくに役立たぬ。近藤局長。新選組をよろしく頼む。藤堂平助の使命は終わったようだ。私はこれより、亡くなった者たちの墓を建て、あの人たちの亡骸を弔いながら、皆の進む道を見守ろうと思う」
空気の抜けたような静かな声で、そう告げた。
* * *
「大怪我をして体が弱っているところに、仇を討って悲願を果たし、気が弱ってしまっているのです」
ソウゲンがそう言って、藤堂を部屋に連れ戻しに行った。先の内乱の際に、皆が止めるのも聞かずに床から飛び出していったので、また傷がひらいてしまったのだ。
他のものは、藤堂がいないと張りあいがなくなる。だからなんとなく集まって、ダラダラと過ごしている。
秋がきて、すこし冷えこんできた。体の大きなボウによりかかって、暖かいところに集まる猫みたいにまるくなって寝そべっていた。
「一番星ちゃんがいないとシラけちゃうけど、同じくらい、藤堂ちゃんがいないと締まらないよねえ」
スズランが、ボウのふわふわの肩にアゴを乗せて言った。
「つか、あのチビッコが、墓を拝んで念仏唱えて坊主の真似事して過ごすとか無理だろ。何かあったら刀握って飛び出していく、鉄砲玉みてーなヤツだよ、藤堂は」
「これからデカいヤマギャ来るぜ。あのハネっかえりの旦那が、寺の中にしおらしく閉じこもって、ジッとしてられると思うかよォ。オイラァ、無理なほうに賭けるぜぇ」
一番星が前転しながら、ちょっとした小山みたいなボウの腹の上に乗る。ギャタロウは逆に滑り台みたいに転がり下りて、頭から障子に突っこんでいった。
多くの人々の魂を糧にして、千年の時を経て復活した陰陽師「安倍晴明」を倒した。しかし、この国はいまだ動乱のさなかにある。
禁門の変にて、御所に向かって砲撃した長州藩は、孝明天皇より朝敵に指定され、都を追放された。新選組は勅令に従い、これより長州征討に向かうことになるだろう。
「無理だろうな」
「無理だ」
サクヤとアキラが同意した。藤堂は、誰が止めても止まらない。
己の誠にしたがって、どこまでも突き進んでいくしかできない男だ。戦になれば、また動かない体も動かして、刀を握って飛んでいく。
手持無沙汰で、ボウの腕の肉を無心にタプタプしていたサクヤは、その横で己の青い三つ編みをツンツンしながら「ね~。ボウちゃんのお肉のこの感触、ちょっと女の子のおっぱいに似てなーい?」とニヤニヤ笑ってささやいたスズランに、ゴミ虫を見る目を向けた。
助平男にイラッとしたアキラにほっぺたをつねられて、スズランは「いたっ」と声をあげる。
「よーし! 何か景気づけにやるか! 新選組全員で集まって、力比べ大会なんてどうだ」
「オマ! 一番星、楽しいこと、する?」
「ギャハハ! いいねぇいいねぇ! ハデにパパァーッとやろうじゃねぇか!!」
「やめときなよ」
いつもは一番星のやることには、真っ先にニコニコと賛成するスズランが、盛りあがりはじめた仲間たちをぴしゃりと止めた。
「いま、藤堂ちゃんに必要なのは、静かに悲しみにひたる時間。みんな一番星ちゃんみたいに、切り替え早くないの」
「たしかに、一番星。立ち直り早ェな」
一番星は、禁門の変で最愛の弟を亡霊の憑代にされ、最後の家族を亡くしたばかりだ。その明るい顔にかげりはなく、常と変わらない様子に見える。
「だらしねぇトコロ、見せらんねぇかんな。ツキトが見てる。おっ父も、おっ母も、きっと見てくれてる。だからよォ辛気臭ぇ顔できねー。俺ァいつだって、みんな守って笑って死んだ、強ぇツキトに胸張ってられる強ぇ兄ちゃんだからな!」
「一番星ちゃんは、強いねぇ」
「おう! ったりめーだァ!」
一番星は、スズランの背中をバシバシとたたく。
「誰もが君みたいに強くないんだよ。今は、藤堂ちゃんの好きにさせてあげよう」
「その言葉、貴様は以前も自分に言っていた。何か、坊主なりの意味があるのか」
サクヤがそう言いながら、上半身を起こした。スズランはきょとんとしている。
「え? そういえば。無意識だったけど、口癖になってるのかな。父に言われたんだ、小さいころに」
「スズラン。お主、親がいたのか」
「いるよぉ、そりゃ! アキラちゃん、僕のこと妖怪か何かだと思ってる? 父上はね。おーっきくって、優しくて、そんで、ソウゲンちゃんと同じ匂いがするの」
「いつもつるんでる相方のこと、親父くさいとか言ってやんなよ」
「あ、そうじゃなくて。お薬の匂い、ってことね! ウチ、おじいちゃんが長いこと重い病気だったの。だから周りにいる人は、お薬に詳しかったんだ。父が亡くなったのは早かったけど、あの人よく言ってたのね。誰もが君のように強くない。弱い人を見ても、その弱さを責めちゃダメよって。あとねあとね、君の強さは、弱かったり、困ってたり、苦しんでる人を助けてあげるために、神様がくれたのよって──」
「スズランの親父さん、いいおっ父だったんだな」
一番星がスズランをまっすぐに見つめて、しみじみと言った。
まじめな顔をしてそんなふうに言われると、何も成せないまま失意のうちに命が尽きた自分の父親が、じつはとても立派で格好良い男だったような気がしてきて、スズランは照れてしまってうふふと笑う。
サクヤは、なんだ、そうなのか、という顔をして、スズランから顔をそむけた。ずっと、意地悪を言われたと思っていたらしい。
「ギャハハ! オメエが誰を守るってんだよ? 非力なお坊さんがよォ。そういうのは、一丁前に刀振れるようになってからにしなぁ」
「違いないねぇ!」
ギャタロウがスズランの首に腕をまわして、煙管の煙をはきかけるので、スズランも笑って鼻をつまんで、「やだぁ、煙くさぁいー」と体をよじって嫌がるふりをした。
「ともかく、藤堂ちゃんは一番星ちゃんみたいに、そうやって割り切れないんだよ。どっちかっていうと、んー、弟っぽいところあるよね……」
藤堂平助を見ていると、新選組の本物の幹部たちに、とても可愛がられていたんだろうということが察せられる。上のものを疑いもなく敬愛し、孵りたてのひなのように、よちよちとついてまわっていたのだろうと。
藤堂が池田屋で斬られて倒れたそのときに、己は統率者に不向きだと自嘲したように、上役としては、確かに未熟なのかもしれないが──。
「弟、なぁ。たしかに、ンな感じするよな」
藤堂は、割り切るのが下手だ。皆がいなくなってしまっても、まだ、自分の頭の上にいるものに甘えてしまう癖が、たまにのぞく。消そうとしても、この先もずっと消えないのかもしれない。しかし──。
「兄貴から見りゃ、弟のそういうところは、たまらなく可愛いもんだ」
「オマ。一番星、お兄ちゃんの顔してる」
「上役に向かってかわいいとか言うな。バカ星」
「ンだ、コラァアーーーッ!!」
闇殺しを離れて別人に生まれ変わっても、掟がなければすわりが悪かったサクヤは、掟の体現の藤堂のことを崇拝していて、一番星が無礼をはたらくと突っかかっていく。昔と比べてやわらかくなったが、こういうところはいつものままだ。
仲がいいなあとホッコリしながら、スズランは、一番星と睨みあっているサクヤの袖を引いた。
「ねえねえ、サクヤちゃん」
「土方歳三と呼べ」
「土方ふくちょ」
「ふくちょ!」
アキラが、かわいらしい、と噴き出した。ボウとギャタロウは音の響きを気に入ったようで、ふくちょふくちょと繰り返している。
「藤堂ちゃんのコトは、しばらく僕に預けてくれない? 悪いようにはしないから」
サクヤは、うろんげな顔をしている。まるで信用されていない。
いつも藤堂を困らせる無責任なクソ坊主がなんか言ってる、と顔に書いてある。
「藤堂ちゃんのやりたいようにさせてあげたいんだ。恩返しできる機会、今しかないでしょ。お寺のことなら、僕、ツテに思い当たるところもあるし」
「寺の話は、自分にはよくわからない。わかった。坊主に任せる」
「承知ーっ!」
上役の藤堂のためとはいえ、サクヤの口から己に『任せる』と聞けたので、スズランは上機嫌になって叫んだ。
2
藤堂の部屋には、怪我をした藤堂のために折られた折り鶴と、だるまに似た小さな人形が飾られている。
「ボウちゃんの作ってくれたお人形さんだ。起き上がり小法師だね。会津の十日市で毎年売ってるやつだ」
「よく知っているな」
「いろんなところ旅してきたからね」
起き上がり小法師人形は、下半分に重りが入っていて、転んでもすぐに立ち上がる。会津の人にとっては、「赤べこ」の次に馴染みのあるおもちゃであり、縁起物だ。
倒れた藤堂がまた起き上がってくれるように。ほかの仲間たちも、誰一人倒れることのないようにと、ボウは祈りをこめながら作ったのだろう。
色とりどりのだるまは、九つ。藤堂と、替え玉仲間たち全員分があって、それぞれの特徴がよくあらわされている。
大きな筆で墨を入れたとは思えないほど、繊細な表情が描かれている。スズランは自分そっくりの、紫色の起き上がり小法師を手に取った。
人を化かす狐みたいな、にやけ顔をしている。
「僕って、もうちょっとキリッとしてると思わない?」と、藤堂を心配して見にきた一番星に囁くと、「いや似てる似てる似てる」と三回も言う。
「お前はそういう顔だぞ」と藤堂がぼやくように言い、ソウゲンが「おかわいらしいですよ」と微笑む。スズランは、一回でも褒められるとポッと赤くなって、機嫌がよくなった。
「ツキトちゃんもいるね。ふふ。かわいい」
スズランが、黄色い小法師の頭を指で撫でてやるのを見て、一瞬、一番星の顔が泣きそうにゆがんだ。
スズランは、ソウゲンと藤堂を横目で覗き見た。近藤局長殿は、弟の死からぜんぜん立ち直ってなんかいないくせに、無理なんかしちゃって。
皆、そんな顔をしつつ、何も気づかないフリを続ける。一番星は嘘もごまかしも下手だが、強情だから認めない。それでよくサクヤと喧嘩になる。
「あっ、そうそう! 藤堂ちゃん! さっきの話、うまく決まったよ。一番星ちゃん、ソウゲンちゃんも。しばらく留守にして苦労をかけちゃうと思うけど、あとはよろしくね。今日から僕ら、普通のお坊さんになります」
「えっ」
スズランは、藤堂の両肩を後ろからつかんで、その場の空気が明るくなるような、元気な大声で言った。寝耳に水で、藤堂は素っ頓狂な声をあげる。
どういうことだ、と坊主の相方の医者を見る。ソウゲンは、『は?』という顔をしている。一番星の顔を見る。『なんだそりゃ。は?』という顔である。
根回しもなにもなかった。己だけがわけわからんのではなかったと、藤堂は少し安心する。
「藤堂ちゃんが言ったんじゃない。亡くなった本物の新選組の幹部の人を弔いながら、静かな日々を送るつもりだって。それって、仏門に帰依したいってことでしょ! 歓迎するよ。ようこそ、コッチの世界へ……★」
「なんだかお前がそういう言い方をすると、うさんくさいというか、怪しげというか。とりあえずお前は色々なことで、神仏各位に謝ったほうがいいと思うぞ、スズラン」
たしかに、小一時間前に、そういう話をしたかもしれない。
『亡くなった本物の新選組の皆の魂を弔いながら、静かな日々を送るつもりだ』と──。
藤堂がそう言った次の瞬間。スズランは、友達が自分の好きな作品に興味を持ったと悟ったオタク特有の素早さで、藤堂の手をガッシリとにぎりこんだ。
『……そう。で、どこ推す? 誰推す? お寺? 神社? 宗派は? 藤堂ちゃんの推しが知りたい! 僕のオススメはねぇオン・ダキニ・ギャチ・ギャカニエイ・ソワカ……荼枳尼天様はどう、金閣寺あるでしょあそこでお祀りされてる白い狐に乗ったこの世のモノとも思えない美しいお姉さんなの! おっぱい、じゃなくて懐の広い神様でねえ、昔はどくろを抱えた怖い女神様だったんだけど最近は稲荷権現と同一視されて、お稲荷様はもちろん知ってるよね千本鳥居で有名な伏見稲荷大社あるでしょあそこね、身分を問わず誰のお願い事でも叶えてくれるってご利益があって芸妓のお姉さんたちにも人気が──」
「何を言っているかわからん」
「あっ弁天さまのほうがよかった? 琵琶を持った女神さまで「七福神」の一柱にも数えられてるよね、もとは天竺の聖なる河の化身で遠く伝わるうちにたくさんの神様を吸収してきた仏教の守護神の天部の一つなんだけど日本に来てからは宗像三女神のうちの一柱の市杵嶋姫命さまとも同一視されること多くて──」
「わからんが、女神ばかりすすめてくるのが逆にお前らしくて安心する」
オタク特有の早口で話し始めたスズランが何を言っているのか、藤堂にはさっぱりわからない。
この坊主がいつもつるんでいるソウゲンも、好きなことになると同じように、常人には謎の高速呪文を唱え始める。まあ、似たもの同士で、そういうところでウマがあうんだろう。
「僕ちょっとしたツテもコネもいろいろあるから、藤堂ちゃん好きなトコ選んで、なんでも言って、大体はいけると思うから」
「いけるって、何がだ。私はただ、皆の魂が安らかにあるようにと……」
「わかったーーーー!!」
「何が?」
そういうやりとりがあった。思い出した。
3
寺暮らしの朝は早い。
寅二つのころになると、たたき起こされる。山へ引きずり出されていき、ふんどし一丁で滝に投げこまれる。夏も終わり、水が冷たくなってきた時期である。
藤堂平助はしばらく前に生死の境目をさまよっていた怪我人だが、容赦は一切ない。律宗の大本山寺院、壬生寺の「南無毘盧舎那仏」を唱えながら、義手義足がほどよくふやけたあたりで、ようやく滝行が終わる。
ほかの僧が起きてくるころになると、寺の門を開けて境内を掃き清める。朝の勤行を終えた五ツ半ごろに、肉も魚もない、味気ない朝飯をモソモソと食う。少しでも音を立てるとゲンコツが落ちてくる。
そこからは、目が回るほど忙しくなる。
先の内乱で、京は目も当てられないほどに破壊されてしまった。怪我の具合が思わしくない者、病気の者、家から焼けだされてどうにもならず、路頭に迷って死ぬ者などなど、死人には事欠かない。
だから夜遅くまで、都のあちらこちらで、弔いの念仏を唱えて過ごす。夜がふけて寺に帰れば、くたくたの体を引きずりながら夜の勤行。それでやっと寝られる。意識を失うと、次の瞬間に布団から引きずりだされて「おはよ~」とゆるい声が降ってくる。
寅二つ。次の朝が来る。気が狂いそうになる。
壬生の地に葬られた本物の新選組隊士たちの魂を弔いたい──藤堂が、そうこぼしたのが発端だ。
翌朝目が覚めると、なぜか律宗大本山壬生寺の小坊主ということになっていた。
僧侶は、日常生活すべてがこれ修行。武家の庶子に生まれた藤堂だが、想像していた以上にキツい。
何も考えずに刀を振っているほうが、どれだけマシか。
なにより心をえぐるのが、師匠があのスズランだということである。なぜか、そういうことになっている。
「あいつは、いつものゲンコツの仕返しをしているのじゃないか」と、恨みがましく思う藤堂であった。
堂内の清掃を終えて、ほとんど気絶するみたいにして転がっていると、頭を持ち上げられて、やわらかいものに載る。
線香のにおいだ。スズランか。
「よくできました。えらいね。頑張ったねぇ」
膝枕をされてねぎらわれ、甘いにおいのする菓子を鼻の先に置かれた。
昔のように、理不尽なくらいにビシビシとしごかれた後に甘いものを出されて、藤堂はちょっと目がウルッときた。蜜よ、ザラメよ。黄金色のかすていらよ。
あまり口にしたことがない、こめかみがキーンとなるくらい甘い南蛮渡来のふわふわを腹に入れてしまうと、藤堂は薄茶を点てるスズランを、未確認生物を見る目で見ていた。
この男が茶なんか点てられるのかと訝ったが、そういえば坊主だった。酒以外のものを飲んでいるところなぞ、二日酔いの翌朝に「もう二度と呑まないから」とうめきながら青い顔で水を飲んでいる以外で、初めてみた。
「お前、本当に坊主だったんだな」
「なんだと思ってたの……」
藤堂に、山師かなにかだと思われていたのだと知ると、スズランは苦笑いをした。さすがに傷つく、と文句を言う。
「怪我人に無体をすると思うだろうけど、無理にでも動かしたほうが早く治るって、ソウゲンちゃんが言ってたから」
背の低い頭の上に、静かに降ってくる声。
落ち着いた喋り方をするスズランは、亡き斎藤一に生き写しだと、藤堂は思う。
「藤堂ちゃんはきれいな声してる。大きい声出るしね、いい読経ができるって、前から思ってたんだよね~。きっと本物さんたちにも、たくさん声が届いているよ。特等席からの念仏だもの。ほら、休憩しよ。いちゃいちゃしよ。膝枕してあげるわ、お客さん」
──誰が客か、いちゃいちゃなぞせんわ。
そう言ってやりたいが、使ったことのない使い方をした体が強張ってギシギシするので、藤堂は仏頂面をしながらも、素直にされるがままでいた。
ここ何日かは、スズランのまじめな顔ばかり見ていたので、なんとなく本物の斎藤一にしごき直されているような気がしてきて、借りてきた猫みたいになっている。
「さすが藤堂ちゃんは、ごはんを食べるところがきれいだよね。武家の子、って感じする」
「言ってはくれるな。私は落とし子だ。父親に認められない子どもは、生まれてきたことを認められないのも同じ。まっとうな侍ではないのだ」
「だから一番星ちゃんみたいな、強くて自信満々の人に惹かれるんだよね。僕もそうだったから、わかるよ。藤堂ちゃんの気持ち」
「……いや。親がいたのか、お前」
「いたよぉ!? アキラちゃんと同じこと言わないでよ。うちはね、色々訳アリで認めてはもらえなかったけど、大事にはしてもらえたんだ。父は亡くなったの早くて、僕もまだちっちゃかったから、あんまり顔も覚えてないや。生きてるときのあの方を見あげるときは、神様みたいに天を見あげてた。大きな人だったよぉ。六尺五寸はあったかなぁ」
「お前は、体格は父に似なかったのだな。六尺五寸……まるでソウゲンではないか」
「ソウゲンちゃんも大きいねぇ。ソウゲンちゃんの隣にいると心地がいいのは、亡くなった僕の父上を思い出すからかも」
スズランの手で、一定の間隔で優しく背中をたたかれていると、赤子に戻ったような気持ちになってくる。
そういえば、ツキトが振るった呪いの刀で身を斬られてから、炎で炙られるような痛みに毎夜苦しんでいたのに、今はなくなっている。こうして、理由もわからないまま寺に攫われてきて、疑問符を頭にいっぱい浮かべたまま、坊主の暮らしをはじめてからだ──。
禊に、念仏。
穢れを水で洗い流し、呪われた死者の魂を弔う行為。
「──そうか」
意味の分からなかったスズランの奇行が、頭の中で急に意味を結んで、藤堂は瞼をパチパチとした。
それが意味か。
「なぁスズラン。私には、祈りも救いもよくわからん。お前は、なぜそうも、人に優しくできるのだ? 今も、私を救おうとしているだろう」
「祈りも救いも、生きてる人の心を支えてくれるもの。そういうものがなければ、倒れてしまう人もいる。神様がいて救われる人がいるなら、僕はいると信じてるんだ」
噛みしめるようにスズランが言った。半分は、己に言い含めているようにも聞こえる。
「私は正直、神も仏も信じていない。ただ、亡き新選組の皆の魂が安らかであるように、いつも我々を見守っていてくれるようにと、手をあわせているだけだ」
「じゃあ、いるじゃない。藤堂ちゃんの神様」
「ん……」
「亡くなった新選組の皆の魂が、いつも見守っていてくれると信じてる。それって、神様ってことなんじゃないかな。藤堂ちゃんが信じて手をあわせる、君の神様。仏像なんかただのおっきい人形だし、人を救う力なんかないから、それでいいと思うよ」
寺の中で、そういう言葉を平然と吐く。こういうところが破戒僧なのだろう、と藤堂は納得した。
神や仏を妄信してすがるだけの軟弱者や、綺麗ごとばかり並べて信者を食い物にする坊主は嫌いだが、スズランの言う神ならば、藤堂はずっと昔から無心に信じている。
「きっと、神様はいるよ。僕らの祈りは、どこかにちゃんと届いてる。だから僕ら咎人は、こうして生きて新選組にいるんだし、みんなで力をあわせて、安倍晴明なんて日本の筆頭陰陽師をやっつけちゃったわけだし! いやー、あれはダメだと思ったんだけどね、僕! だってこの世でいちばん強い陰陽師だよ、絶対無理だって。でもあの時、僕以外は誰も諦めてなかったし……」
「知らぬというのは、ときに強さになるのかもしれぬ。とくに一番星の奴は、そういうところがある。聞けばアレは、安倍晴明の名も知らなかったそうだ」
近藤局長の記録書に、禁門の変において交戦した相手の名を「ハルウララ」と書いてあったときは、さすがに藤堂も膝から崩れ落ちそうになった。
「みんなが強い人たちだから、いっしょにいると僕も頑張れるのよ。僕は弱い奴だけど、ソウゲンちゃんが作ってくれたエレキテル錫杖のおかげで、今はみんなの力にもなれる」
「……やはり、優しい」
ぽつりと言うと、金色の飾りが揺れる耳が赤くなった。むずかゆそうに、頬がふにゃふにゃと動き、狐みたいな糸目になって笑う。
「優しくなんかないよ。藤堂ちゃんが思ってるみたいのとは違うよ。僕はいつも気分で、やりたいことしてるだけ」
「ならば、いつも、誰かに優しくありたいという気分なのだな」
藤堂は体を起こした。スズランの横に、どっかりと座る。ばつが悪そうに、視線が畳へ向いている。
「お前はすごいよ。私は、人を憎んでばかりだ。皆を殺した仇を、そして……お前たちに出会う前は、私ひとり置いて死んでしまった皆のことも恨んだ。なぜ私だけ置いていったのだ、なぜ私『を』置いて行ったのだ、と。度し難い、愚か者だ」
「藤堂ちゃんは、愚か者なんかじゃないよ。生き残ったのは、君でなければほかの誰にもできなかったことだから、そういう星だったんじゃない」
「星、か……」
藤堂は、いやな顔をする。土御門も同じことを言っていた。
京を混乱に陥れ、多くの罪なき民を殺め、その魂を利用した新選組の仇の言葉。
「星の巡りにあるのは、悪い意味ばかりじゃない。たまたま、私欲のためにそれを利用とした人がいただけで、人とは関係なく巡るものだよ。
それでも心が抗うなら、一番星ちゃんみたいに、そんなものはぶち壊してしまえばいい。僕には、彼のやることは、いつもとても思いつかないことばかりだけど。あの子のあり方には、憧れてしまうよね……」
うつむいて顔に影が落ちると、いくつかもわからないが、まあ大して年は変わらないだろうと思っていたスズランが、ひどく年を取って見えて、藤堂はギクリとする。
「藤堂ちゃんが、僕らに新しい名前と命を与えてくれたこと……。みんな照れて、面と向かって言わないから、僕がかわりに言っちゃうけど。無意味に終わるはずだった僕らの命を、京の守り人に生まれ変わらせて、意味を与えてくれたことを感謝している。
君が死に物狂いで新選組を支えて、ここまで導いてくれた姿を見てた。僕らみんな、君のために命を投げ出せる者ばかりだ。みんな君が好きなんだよ、藤堂ちゃん。だから君は、やりたいようにやるといい。僕らが力になるから。僕らはね、君に恩を返すことができないかって、いつも考えているんだよ。
……ま、僕は荒事はからっきし、念仏祝詞唱えるくらいしか役に立たない、ただのお坊さんだけど。あはは!」
最後に、いらんことを付け加えて茶化す。スズランの悪い癖だ。
これは照れ隠しなのじゃないかと、藤堂はちょっとわかってきた。
「とはいえ僕自身、星の巡りはあまり信じてないんだよ。生まれたときに、正反対のことを言われたんだよね。あまり良い星じゃなかったみたいで……都から訪ねてきた偉いお坊さんには、たくさん人を困らせる忌み子だから、今すぐ殺してしまうべきだって、さんざんひどいこと言われて。
反対に地元の神職の人には、たくさんの人を救う、皆が待ってた人だって言われた。二人いて、同じように神様信じてる人が星の話をしてるのに、ぜんぜん逆のこと言うの。それって、神様が二枚舌ってことになるでしょ。嘘つきってこと……。
だからねえ、小さい頃は祈りなんて、いい加減なものだと思ってた。神様なんかいないし、いても嘘つく奴なんだって」
「何を馬鹿なことを。京の偉い坊主だかなんだか知らんが、そんなものは嘘っぱちだ。そればかりは、どうやら神職のほうが正しい」
藤堂はまっすぐに、力が強い目で睨みつけるように、スズランを射る。
「お前はこの国を救ったのだから、悪い星など迷信だ。目に見えないものを信じないわけではないが、妄信は切り捨ててしかるべきだ。私は星なんぞより、スズラン、お前を信じている」
藤堂が大真面目に言った。
特大のデレ来た、とスズランは思った。真っ向からクソデカい好意と信頼をぶつけられてしまって、真っ赤になる。
「おまえは、褒められると弱いのか。育て方を誤ったか……。最初から、もっと褒めて伸ばすべきだった」
藤堂が、子育てに失敗した母親が思い悩むように言う。「もう」とスズランは怒ったふりをしてむくれて、この小さい上司を小突いた。
4
かねてより藤堂は、スズランのことを得体のしれない坊主だと思っていたが、本格的に『コイツはワケがわからん』と確信したのは、偉い僧の集まる場所に供をしたときのこと。
「あらぁ~っ、ヤダ、久しぶりーっ。法衣おそろっちじゃなーい。いつの間にそんなに偉くなっちゃったの? がんばったのねぇ。うふふ、びっくりしちゃった~っ」
「いやはや、スズラン様も、まったくお変わりがないようで」
口に手をあてて、甲高い声で叫ぶスズランは、完全に市井のおばちゃんである。
そういうことをやる相手が、これは見てわかるが──孫と祖父ほど年の離れた、めちゃくちゃ偉い僧である。まわりの若い坊主が青ざめて、脂汗を流すくらいには。
おそろっち、というのは、法衣の色のことだ。いつもスズランが着ている黒い法衣は、坊主皆が普段着にしているもので、行事があると僧階ごとに定められた色の法衣を着る。
紫の衣を着たスズランが、同じ色分けのされた顔ぶれに混ざると、爺さんたちの句会に、孫がひとりまぎれこんでいるような見た目である。場違い感がすごい。
あちこちから紫や赤の法衣を着たのがワイワイとにぎやかに湧いてきて、スズランが連れてきた藤堂を囲んで、あれこれ言いながらジロジロと見下ろしてくる。「毛ヅヤがいい」とか「ちっちゃくてカワイイ」とか言われては、犬か猫にでもなったような気がしてきた。
「藤」と、スズランが短く藤堂を呼ぶ。
寺で寝起きをして坊主の暮らしをするからには、師が弟子に僧名をつけねばならぬというので──。
『藤堂というのかい、贅沢な名だね。今からお前の名前は藤だ。いいかい、藤だよ。分かったら返事をするんだ、藤!』
『ぶち殺すぞ』
『ごめん』
そういう師弟の名づけの儀式があって、スズランは藤堂をそう呼ぶ。やはり、自分が犬か猫にでもなったような気がして、面白くはない。
「僕のお藤のこと見ててくれる? お礼まわりだけしてくるから。ちょっとその子のことでね、上の人たちにおねだりしちゃったのよぉ」
「スズラン様がですか。天気雨でも降りますかな」
高僧たちはそう言いながら、ニコニコとスズランを見送っている。
* * *
人が多いところでは傷にさわるだろうということで、スズランを待つ間、藤堂は茶室に通されて、紫の法衣を着た老僧に面倒を見てもらうことになった。
本当に飼い犬の扱いだと渋い心地だが、地位身分に弱いのは武家の男のさだめである。藤堂はしおらしく、伏せた子犬でいた。
「驚かれているようですな」
「いえ……はぁ、まあ。確かに……。スズラン……師匠が、失礼なことをと、心の臓が縮まる心地はしましたが」
「ははは。このあたりの寺を預かる坊主たちは、あの方の子どものようなものです……。聞いたこともない不思議な物語を、尽きもせずに毎夜に聞かせてくださって、よく続きをせがんだものだ」
「いったい、いくつだというのです。あのにやけ顔は」
「そうですな、爺にもよくわかりませんが……。三十年ほど前に、京の都を大きな地震が起こったのを、藤殿はご存じですか」
「話には聞いておりますが、なにぶん、生まれる前のことなので」
──文政十三年七月二日(1830年8月19日)、文政京都地震。
京の都に甚大な被害をもたらした直下型地震である。
地盤のゆるい二条城が、とくに被害を受けた。市中の二階建ての建物は、そのほとんどが倒壊し、洛中洛外の町人に三百人近くの死者が出た。
余震は翌年まで続き、京の町人たちを不安にさせたという。
「この爺が、スズラン様に初めてお会いしたのは、あの年の、西の化野でございました。京の町にやってきて、大地震に巻きこまれて命を落とした、どこの誰ともわからぬしびとのために、経をあげておられた。すでにあの方は今と同じお姿で、ひとつも年をとっておられません」
老僧が見たスズランは、紫の法衣を身にまとい、無数のしびとの山に囲まれていた。飯も食わず水も飲まず、生入定でもするかのように──誰かも知れず、誰にもかえりみられることのない躯のために、昼も夜も念仏を唱えていたという。
紫の法衣の着用を許されるのは、僧階六級の権少僧正以上の高僧のみである。どこの寺の偉い僧侶だかは知らないが、法衣の色にふさわしい立派な人物だと感動し、まだ若かった老僧はそれを見ていた。
スズランのたたずまいは、僧侶というよりも、どこか武家の人間に近いように見えた。仏の道に人生を捧げた、どこぞの城の若様だろうか──。若いころの老僧がそんなことを考えていたら、当時の師がこんな不思議な話をしてくれた。
──いわく、老僧の師がまだ子供のころに、京の都焼けがあった。
天明八年一月三十日(1788年3月7日)に起こった、天明の大火のことである。
未明ごろに、鴨川の東の町家から火が出る。放火であったらしい。それが強い風にあおられて、またたくまに市中に広がった。
御所が焼けた。二条城が焼けた。京の要所は次々に灰になり、京都市街は壊滅した。京都における最大規模の火災で、当時の被害は、応仁の乱の戦火を上回るほどであったという。
「この爺の師匠も、火事で焼け出されて身ひとつになり……路頭に迷っていたところを、スズラン様に救っていただいたというのです。
食うものに困っているものには粥を、裸で困っているものには着るものを与えて、いったいどこから出てくるのか、金子が尽きることは不思議となく……飢えと寒さがなくなれば字を教え、次に経の読み方を教え、亡くなった父や母が安らかであるように、祈り方を教えてまわっておりました。
その後、師が、またその師になった僧に話すと……都焼けの五十年ほど前に、洛中を焼き尽くした西陣焼けの折にもスズラン様が現れて、今とひとつも変わらぬ姿で、犠牲となったしびとたちのために念仏を唱えてくださったとか。
口の悪い者は、焼けた人の躯を食うため現れた、坊主に化けた古狐だと噂をしましたが……やがて皆、年をとって死にました。あのお方だけが、ひとつも変わらず美しいのです」
享保十五年(1730年)。今から百三十年前の昼過ぎに、家も寺も人も焼いた西陣焼け。
その焼け跡で、今と同じ姿で念仏を唱えていた坊主が、人間であるはずがない。
「──藤殿が、この話を信じるか信じないかはわかりませんが。私どもは、貴殿に感謝をせねばなりません。生きているうちに、スズラン様のお力になれたのですから。たとえ坊主に化けた白蔵主であろうと、命を救われた恩を忘れたことはありません」
「釣狐でもいいのです」と、老僧は噛みしめるように言って、藤堂に頭を下げると去っていった。
5
ソウゲンが藤堂を診にきたので、見回りの同行をすることにして、スズランは外に出た。
「しっかり修行に励むんだよ、サボらずにね」と藤堂に声をかければ、なんだかすごい顔をしていたのがおかしい。
「小生は、よくわからないのですが……。スズラン殿は本当に、藤堂殿を坊主にしようとしてるのですか?」
「んー。どうだろうねえ。そうでもいいし、そうでなくてもいい。人の信仰に誰かが口を出すのは、意味がないからね。藤堂ちゃんがそういう気分になったら、そうなるかも」
「どちらにしても、忙しくしているのは良いことなのです。規則正しい生活を送りながら、適度な運動をし……。大きな声を出すと、気持ちもスッキリします。藤堂殿の体は、屯所でどこかボンヤリしていた時よりも、良い方に向かっているのです」
「よかった。早く元気になるといいね。刀が握れるようになれば、ジッとしている性分の子じゃないから、飛び出して行っちゃうんだろうなぁ。ちょっと残念」
「おや。さてはあなた、本気でしたか」
「さぁ。……もし僕がいなくなったら、新選組に弔いをする人いなくなっちゃう。こんなに仏さまがたくさん出る場所なのに」
高台から京の市街を見下ろすスズランの目には、死者の溢れるこの町は、どう映っているのだろう。
眼球を引っこ抜いたり、頭蓋を切開して脳を取り上げたりして調べるわけにはいかないのが残念だが、ソウゲンは、スズランの視界というものに、たいそう興味を持っている。
三年坂を下りていく途中で、スズランが足を滑らせて転んだ。
「ふひゃ。いったーーーい!! おもっきし、お尻打ったぁ……」
「大丈夫ですか。年甲斐もなく、はしゃぎすぎなのです。そんなに嬉しいことでもあったのですか」
「ソウゲンちゃん、女の子にニブチンって言われない? 仲良しの友達といっしょにいると、誰だってそりゃ嬉しいのよ。それより、なんかアガらないなぁ。この坂ね、転ぶと三年以内に死んじゃうって伝説があって……あ、あんみつ。藤堂ちゃんに買ってってあげよ。あの子ねぇ、甘いの好きなのよ。かわいいねぇ」
スズランは喋りたいことが多いので、かしましい町娘のように、コロコロと話題が変わる。助け起こしたソウゲンの横をすり抜けて、甘味屋に入っていく。
涼しい音を立てて揺れている耳飾りの横の、細い首筋が、相も変わらず美しい形をしているのが見えた。
「ソウゲンちゃんも。おつかれさま。すわろ、こっち」
甘味処の店先に出た縁台に腰をおろすなり、スズランは隣席に座った器量のいい娘を見て、「おっ」とうれしそうな声をあげる。いつもの調子で、さっそく口説きはじめた。
「お姉さん、美人だねぇ。大きな牡丹の花の着物がよく似あってるねぇ。気をつけなよぉ、僕はかわいいお花を食べちゃう、わるーい毒虫かもしれないからねえ」
「ま、いややわ、お坊さん。ウチはもう旦那も子供もおるよ。あと五年早うに、ちょっかいかけてくれはったらよかったのに」
「あらら残念。気をつけて帰るんだよ。この辺、最近は物騒だからねぇ」
娘は待ち合わせていた友人と連れだって、先に店を出ていく。ニコニコと手を振るスズランの横顔を、ソウゲンはジッと静かに観察している。
団子と茶が運ばれてくると、抹茶椀を大きな手で包んで、ボソボソと喋る。
「先ほどの女性客に言っていたことですが。スズラン殿は、毒虫ではないのです」
「そりゃまあ、そうねぇ。いや、たとえよ、たとえ」
「……小生、あなたは、花だと」
「へっ?」
スズランは驚いて、素っ頓狂な声をあげる。頬が、ぽっ、と赤くそまった。
いつもいい加減なことばかり言って、たいていの人間には呆れられているので、まじめに口説かれると照れてしまうのだ。
「も、もう! お医者さんったら。どこで覚えてきたの、そんなこと!」
「そんなこと、とは。そう思ったまでなのです。まず、名前が」
「……あ、名前ね、うん、鈴蘭、僕」
「それと、たたずまいが。においも、そう──」
「たたずまい!? に、におい!?」
「スズラン殿は、花のような香りがするのです。少々甘ったるいような……お酒の匂いでしょうか」
「酒くさいって!? もう! あげるのおとすのどっち!? 白黒ハッキリしてー!」
* * *
市中見回りの仕事が終われば、ふたりは門前で別れることになった。
「では、スズラン殿。藤堂殿をよろしくお願いするのです。小生、また様子を見にまいりますので」
「うん! まーかせて!」
スズランは薄っぺらい胸をドンと叩いて、自信ありげに鼻息をフスッとこぼした。
「楽しかったよ。またふたりきりで逢引きしようね、ソウゲンちゃん」
「……? はぁ。逢引き、ですか」
「そうよ、うふふ。ばいばーい」
何とも言えず、困惑しているソウゲンを見上げて、スズランは軽やかに笑って身をひるがえす。
後ろ姿の細い腰が、やけに気になって見えて、ソウゲンは不思議な気持ちで胸をおさえた。大した運動もしていないはずなのに、妙に鼓動が早くなっている。
6
雨が降っている。
朝のお勤めを終えて、呼ばれた葬式に向かうところで、スズランと藤堂は、人相の悪い男たち数人に囲まれてしまった。
不逞浪士──いまだに京にとどまっている者がいたのだろうか。それとも白昼堂々町人を狙う、大胆すぎる物盗りか。顔に見覚えはなかった。雑面ノ鬼どもの残党というわけでもなさそうだが──。
相手は意外にも、新選組の斎藤一と藤堂平助を知らない様子だ。ふたりを無力な坊主だと、なめくさっている。
「スズラン、ちゅう坊主はどっちだ。にやけ顔か、かたわのガキか」
男たちに交互に指をさされて、スズランと藤堂は顔を見あわせて。
「僕だ」「私だ」と口々に声をあげる。スズランが『ちょっと藤堂ちゃん』と睨むので、藤堂は『非力な坊主は黙っていろ』という目で睨み返す。刀も振れない怪我人よりはマシだけれどもと、スズランは恨めしく思った。
「どっちでもええ。ちいとばかし、おとなしゅうしちょけよ。ようよう、聞きたい話がある。一緒にきてもらう──」
藤堂は舌打ちをする。足場が悪い。
壬生の地は、湿地帯だ。水場を埋めて造った二条城から溢れ出た水で、水浸しの土地である。雨の日は、とくに地面がゆるくなる。
さっきも足にはめた棒が、雨でぬかるんだ土に埋まって、転びそうになったところを、スズランに支えられたばかりではないか。
隣の非力な坊主に目をくばる。スズランは荒事には向かない。
お守りのように胸に抱いた、ソウゲンが作ったエレキテル錫杖は、雨の日は持ち主と同じくらいに使い物にならない。水たまりはよく電気を通すから、もしも今ここで通電させれば、場合によっては全員が感電死する。
「藤堂ちゃん。どうしよぉ~? 僕らふたりかどわかされて、つるされてさぁ……サクヤちゃんがするみたいな拷問、されちゃうのかも。僕、あれムリぃ~。あんなのされたら、すぐに何でも洗いざらいしゃべっちゃうよぉ~、今までの女性経験とか、いま狙ってる娘とかぁ、ぜーんぶっ!」
「貴様というやつは、本当にこらえ性がないな。そんなこと、誰も知りたくないから安心しろ」
「ねぇ。ねぇ藤堂ちゃん。あのねぇ、いやなこと思いついちゃったんだけど……」
「なんだ」
「もしかしてさぁ。僕らって、名前の通り、お花みたいに顔がかわいいし……。女日照りのおじさんたちに囲まれてさ? ひょっとして、今からよってたかって、すけべなことされちゃうのかも? 春本みたいに! 春本みたいに!!」
「少し黙れ、本当に」
「おじさんたちはやだ~~~~っ! 女の子がいいよぉ! 女の子に、よってたかってエッチなことされたい! 春本みたいにすけべなことされてみたい~~っ!!」
「スズラン、お前ほんとそういうところだからな」
キャンキャンと情けなく啼くスズランの言葉に、なにかそそられるものがあったのか。刀を握った男の一人が、目をすがめてふたりを品定めする。
「よう見りゃあ、本当にかわいい顔をしちょる」
「ほらぁ~~~っ! やだーーーーーーっ!!」
「……!」
遊女へ投げかけるような、いやらしい目で見つめられ、スズランと藤堂は総毛だった。
青ざめた顔で抱きあう。その気になった男たちが一歩踏みだし、輪を狭めてきた。
「こっちの坊主は、なんじゃオメエ、尻穴緩そうな顔しちょるなァ」
「はぁ!? 緩くないよぉ!? 失礼でしょ! おぼこよ生娘だよ僕のお尻は!?」
「けけ。よう鳴いて、嬲り甲斐がありそうじゃ。泣かせる甲斐がありそうじゃ」
下品に嗤われ、スズランはハの字眉で、ぐうと喉を鳴らす。
「やだぁ、怖いよぉ」と、あざとくベソをかきながら、怯えてすがるように藤堂の手を握って──ちょんちょん、と触る。
(長州ことばだね)
(鼠がまぎれこんだようだ。さて──)
藤堂も、スズランの手のひらをつついて合図を返す。
先の禁門の変にて、御所に向かって発砲した長州藩は、頼りにしていた安倍晴明の加護を失くして敗けて、京を逃げ出した。孝明天皇により朝敵に指定され、追討の勅命が発されたばかりだ。
ここにいるはずのない者がいる。捕らえて真意を問いたいところだが──現状は、こちらの命も心許ない。
「片輪のガキがええうちゃ。歳がいきすぎちょると、体がかとうて抱き心地が悪い。骨もやわらかい、体ができちょらん稚児が、ケツの穴の具合がええのよ」
「誰が稚児だ! 目が腐ってるにもほどがあるぞ。私は! 元服もとうに済ませておるわ!」
藤堂は、酔客が芸妓をからかうようにのびてきた手を、ぴしゃりと払いのけた。
反抗的な目と態度が気に食わず、ちょっかいをかけてきた男の目の色が、剣呑に変わる。藤堂は、変なところで、人を怒らせるのがうまい男なのである。
藤堂は、飛んできた握りこぶしを避けようと腰をひねって──ずるり。義足が滑る。体勢が崩れて、生身のほうの膝をつく格好になる。すぐに左のこめかみをしたたかに打たれて、小さい体が浮きあがった。
密着した状態で体格差があるときは、力の強いものが単純に勝つ。脳を揺らされるとたまらない。藤堂の視界に、ちかりと火花が飛ぶ。一瞬落ちてしまったか──。
「藤堂ちゃん!」
スズランが、声の裏返った悲鳴をあげた。
雨に濡れた刃の切っ先が、藤堂の額に落ちていくのが見える。頭に血が上って、かどわかそうと企んだことも忘れてしまっている。仲間が殺される、と思った瞬間──。
ぶちん、と音がした。
それはスズランが、自分の耳飾りを引きちぎる音だったか。それとも、頭の中でなにかが切れた音だったか。
──非力でも、戦が嫌いでも、やらねばならぬときはある。
動かねば失い続けるだけだと、まだ十年二十年かそこらしか生きていない童に教えられたからこそ、心を揺さぶられて、ここにいるのではないか。
ならば、どんなに弱くとも、死んだ身が生かされた意味を示さねば、仲間を守らねば──そういう強迫観念になかばとらわれて、スズランは夢中で体を動かしていく。
いまは藤堂のみに意識を向けている、浪士の側面に立ち──。
スズランを、刀も持たない、とるにたらない無力な坊主と知って舐めている侍の喉に、手のひらに包んだ血まみれの耳飾りを突き立てた。
さくり。皮膚の奥に押しこんだ感触は、粘土を刺すようだ。
突けば死ぬところは、人体にたくさんある。指の長さほどの細い棒でも、充分に死ぬ。
だから人を殺めるだけなら力はいらない。速く駆ける足も必要ない。重い刀を振るわなくてもいい。
スズランは目がいい。弱い生き物が、怖い奴らから逃げ隠れするために磨いたものだ。
立ちんぼうのまま、壊せば死ぬところをよく見て、なるだけ痛みの少ないところに──体を開けて魂を逃がす鍵のように、耳飾りの切っ先を、そっと差しこんでやればいい。
人間はすぐに死ぬ。
「……先にでかい方の坊主をやれ!」
ひとり殺したところで、殺気がスズランに集中する。
常ならば、相手の虚をついたところで全力で逃げているが、藤堂がいる。これは、スズランよりも大切な命だ。
「馬鹿者。弱いお前が、意味のないことをするな。とっとと逃げんか!」
いつものように藤堂に叱られながら、小さな体を背にかばう。たしかに何の意味もないが、一太刀を受けとめる使い捨ての肉壁にはなる。充分だろう。そろそろ『来る』はず──。
びゅう、と空気を切り裂く音がする。飛んできた暗器が、男たちの急所を正確に穿ちぬいていく。
サクヤが助けに来た。
誰も反応できない速さで、青い刀が稲妻みたいに飛んできて、またたくまに男たちを斬り殺してしまう。
スズランは、ほうと息をつく。騒げば来ると思って、見苦しく泣きわめいていた甲斐があった。サクヤが、いまの藤堂を放っておくわけがないから。
雨のなか、スズランは顎をあげた。
藤堂をかばう恰好のまま、動けなくなっているスズランの前に、いつのまにかサクヤが立って、冷たい目で見下ろしてきている。
「闇殺しのころによく見た。ここを突く。拷問に耐えかねて、自害する人間がよくやる。他人にやる者を見たのは初めてだが」
納刀したばかりのサクヤの指が、とん、スズランの喉をつく。
「以前、親を『父上』と恭しく呼んでいた。おそらくは自分と同じ──」
武家に生まれた男だろうと、サクヤが言った。
何があってスズランが、かびくさい経なぞあげているかは、サクヤは知らない。興味もない。
殺生を厭うはずの坊主は、ためらうことなく、エレキテルを敵に向ける。人体のなかにある、命を奪うところを金飾りで突く。
それは、武家の男の血の所以であろう。非力でも、刀を振るうのがいくら下手でも、人を斬って連ねてきた血が覚えているから、侍の子は人殺しが生来上手い。
「弱い坊主が、おびえて立ちすくまずによく動いた。自分がくるまで、時間をかせぎ、上役を守ったことは褒めてやる」
「あ……うー……」
見直したと言われているのだと気がついたときには、サクヤはすでにスズランの横をすり抜けて、藤堂に手を伸べて支えている。
スズランは、血の匂いのするサクヤの背中を振り向いて──助かったのだ。そう実感すると、どっと脂汗が出てきた。
* * *
黒いカタマリが、ノブスマみたいに袈裟を広げてサクヤにぶつかってきた。
スズランが、ぐずぐずと情けなく泣きながら、サクヤにすがりついてくる。
大量の涙とかよだれとか鼻汁が、派手にべちょお~っと着物にはりついたので、サクヤはゾッとして毛を逆立てた。ただただ、純粋に汚い。
「ザグヤ゛ぢゃん゛ん゛!! ありがどぉ…! 藤堂ぢゃん゛を助げでぐれでぇ、ありがどねぇ、僕なんの゛、ひっぐううぅ、オ゛エッ……役にも立でなぐでぇ!」
スズランの顔も汚い。元の造作の良さとかでは、もうどうにもならないくらいに、変な顔になっている。
人から感謝されることに弱いサクヤは、つい毒気を抜かれて、「ああ」と気の抜けた声で頷いてしまった。びゃーびゃーとうるさく泣くスズランなんか、いつもなら暑苦しいと吐き捨てて、剥がして捨ておくはずなのだが、珍しくされるがままになってしまっている。
こんなふうになったのは、焼けた京の町の民を支えるために、新選組が炊き出しを行ったあたりからだったろうか。
横暴で傲慢な父親と、武家の妻を演じることに必死で、子をかえりみる余裕のなかった母親のもとに生まれたサクヤは、両親が死んでからは、闇殺しで人の命を奪うばかりだった。
他人から恨まれてばかりの人生を送ってきたので、誰かに「ありがとう」と声をかけられたのは、記憶にあるかぎり、アレが初めてだった。感謝を向けられることに、まだ慣れていない。尻のすわりが悪いような気がしてきて、柄にもなく、まごまごとしてしまう。
千人の人を斬ったあとは、今度は救った人の数を数えはじめて──しかし、同じ人間ばかり救っている気がする。そこはちょっとイライラする。自分の命くらい、自分で救えというのだ。この、生臭こんにゃく坊主が。
「あど、僕のお尻も、守っでぐれでありがどう~~~……!!」
「それは本当にどうでもいい」
「ひどいぃ…!」
べそべそとまだ泣き続ける、スズラン。さすがにしつこいので、藤堂がくちばしをいれた。
「もういいだろう。演技じゃなかったのか、それは」
「ウソ泣ぎしでだら、なんが、止まんなぐなぢゃっだ……」
「……難儀なやつだなぁ、お前は」
藤堂はあきれて、ちょっと笑った。生真面目な性格で、己にも他人にも厳しく接してきた藤堂だが──。
最近は、こういういい加減でだらしがないが、まあ悪いやつではないんだろうなという人間が、ひとりくらいそこらへんウロチョロしていてもいいかな、という程度には、藤堂はスズランが好きになっていたのだ。
「藤堂ちゃん、大丈夫? 怪我したでしょ……」
「義足が壊れたが、もとよりないものだ。こんなものは怪我のうちに入らん。それよりお前だ、この大馬鹿者。さっさと屯所に戻って、ソウゲンに耳を診てもらえ」
「無事でよかったぁ」
スズランは、藤堂をぎゅっと抱きしめる。情けない顔で、ぐすぐすと泣き続けている。いい年をして、赤子みたいなにおいがしたから、藤堂は苦笑いをした。
でも、実の兄のように慕っていた新選組幹部たちがいなくなってから、誰かに抱きしめられたのは久しぶりのことで、それはちょっとだけ──悪くはなかった。
スズランと顔がそっくりだった斎藤一は、そういうことをする人ではなかったから、そこはすこし戸惑ってしまうけれども。
* * *
屯所に戻ると、耳からだくだくと血を流しているスズランを心配して、ソウゲンが出てきた。
「じっとしていてください。ああ、痛いでしょう。すぐに手当てをするのです」
スズランの耳たぶの破れたところに触れる、ソウゲンの指は優しい。人を救う指だと思うと、まぶしいような気さえしてくる。
斬られそうになっていた仲間と、斬り殺された襲撃者の躯を見てから、濡れた体がひどく寒かったのに、おだやかに降ってくる声が、スズランをゆっくりと溶かしていく。頭がふわふわしてきた。
ソウゲンが触れると、薬のにおいが濃くなる。よく知っているにおいだ。
薬──スズランの記憶に紐づいているのは、病床についた父のにおいだ。
『のう、せがれや。すまんな。お前には、何も残してやれずに置いて逝く。本当に、何もなせずに……情けない父で、すまん。父なきあとは芦塚を頼れ──』
死に際の、薬に漬かった、しびとの匂いがする。
廊下の先で、藤堂が、サクヤに向かってきゃんきゃんと啼いている。
「私のことはかまうなと、言いつけてあったはずだぞ。土方副長。貴様の役目は、新選組を率いる近藤局長の助けになることだ」
「わかった。自分は新選組を支えよう」
「だから、私のお目付け役などしている暇はないはずだが?」
それはまるで、心配性のしもべを煙たく思ってつっぱる、昔の己の姿を見ているようで、スズランは頬をむずむずとさせた。くすぐったい感じがする。あと恥ずかしい。黒歴史だし。
『なんだ芦塚。どこにでもついてくるな。子供の使いでもあるまいに。オレはひとりで立派に、何だってやれるのだ』
『しかし、爺めは心配なのです、せがれ殿──』
しびとのにおいのする。優しい父の影。周りの人にどれだけ愛されているかも知らぬ、無知で幼稚な己の影。何不自由なく暮らしていた、楽しかったころの記憶の再現を見ているようで、混濁していた意識が落ちついてきた。
ここには、あの日、落としてきたすべてがあるのだ。守りたい。守らねばならぬ──。これが欠けては、あまりにもむなしい──まるで信仰のようにそう思って、スズランは荒く息をつく。
耳の傷の熱さを、今更思い出してしまった。
「スズラン殿。そんなに痛みますか」
「……んーん。だいじょぶ。お薬塗ってくれたから。ねぇ、ソウゲンちゃん。あとでお膝かーして。なんか今日は、人肌恋しいの。花街に行けなかったから」
「また島原ですか」
「あそこ好きなの。名前が、故郷といっしょで」
「では、どこかで、以前お会いしたことがあるやもしれません。小生もしばらく、近くに」
「きれいなところよね、かんざらし……。甘くて、また食べたいなぁ……」
「もっと早くに出会えておりましたら、よりスズラン殿とともに過ごす時間が増えていたと思うと。意味のない想像ですが、もったいないことをしました」
「もしも、もっと前に会えてたら、それからずっと今みたいに楽しかったね。どんなだっただろ。あとで話そ。ソウゲンちゃん」
「それは贅沢な『もしも』の話なのです」
「うふふ」
ふたりは顔を覗きこみあって、穏やかに微笑んだ。
7
「ソウゲンちゃん。ちょっといい?」
ソウゲンの部屋を訪れたスズランは、猫の鼻息みたいなささやかな眉が傾いて、困り顔になっていた。今日の昼にサクヤが殺した襲撃者の躯を開いていたソウゲンは、「はいはい、どうしました」と振り向く。
「僕の耳飾りなかった? そのへんの死んだ人の喉に、片方、まだ刺さったままだったかも」
「いいえ? 見ていないのです」
「んー。ソウゲンちゃんが言うなら、本当になかったんだね……。とすると、さっきの場所に落っことしてきちゃったかぁ。ちょっと出かけてくるね」
「なんだオメエ、坊主よ。昼間に名指しで狙われてンのに、イマイチ危機感ギャ足りねェんじゃねーか」
「だってギャタロウちゃん~。あの耳飾り、大事な──女のひとに贈られたものなの。なくしちゃったら困るよ。大体どこで落としたか察しつくし、すぐ戻るからぁ」
スズランは、そわそわしながら屯所を出て行った。
「だいじなおんなのひと?」
縁側で呑みはじめていたボウが、ポカンと口をあけて、スズランの言葉を反芻した。胡乱そうに、隣で杯を傾けているギャタロウと、視線をかわす。
「あの色狂いの破戒坊主、本命相手がいたのかよォ? 先生ェ、いつも一緒にツルんでんだろォ。スズランの女ってェのを知ってるかい」
「小生、思い当たる方が多すぎるのです。どちらのことかわかりません」
「オマも」
「オイラも」
三人で顔をつきあわせていると、庭で素振りをしていた一番星も、話にまざってきた。
「スズランみてーな、遊び方をよく知ってるヤツが、意外と急にちゃんとした女を連れてきて、いっしょになっちまったりするもんさ。一度嫁さんもらっちまったら、遊びまわんのピタッとやめて、まじめになって、家のやつらを大事にする。そういうもんじゃねぇの。ウチのおっ父がさぁ、そうだったらしいぜ」
「あのクソ坊主が。意外過ぎて想像できない」
「私も」
廊下を通りかかったサクヤも、まじめなスズランが想像できなさすぎて、眉間に皺を寄せている。肩の下のほうで、藤堂も頷いた。
「……? ああ……」
「ソウゲン。どうした」
「いえ。お気になさらず、藤堂殿。はさみを、取り落してしまいました。つい……」
「ソウゲン、うっかり、珍しいねぇ」
ボウはそう言って、つぶらな瞳をまたたかせながら、巨大なおにぎりをまたひとつ頬張った。
横で躯を解剖するところを見ながらでも、ひとつも食い気に衰えるところがない。米の備蓄の残りのことが心配で、藤堂は逆に食欲がなくなってきた。
「スズラン殿が、もし妻帯したとして……妻子のために、まじめに働く。お酒をやめて健康になる。色街で娼妓の女人にちょっかいをだして、病気をうつされてくる心配がなくなる。良いことずくめなのです。……ですが、なぜか小生、気分がモヤモヤとしてきました」
「ああ、わかるわかる。寂しいよなぁ。俺もさぁ何度かあるんだよ。地元にずーっとつるんでたダチが何人かいたんだけど、どいつもこいつも、家庭持った途端、バカ騒ぎの集まりに顔出さなくなっちまった。しばらくしてから顔あわせたら、別人みたいになっててさ。嫁がナンだか、ガキがアレだか、家族がドーだかの話しかしなくなってて、でも、それがソイツらダチ公の幸せだってんだから、祝ってやんなきゃだよな。バカやんのやめて変わっちまっても、立派にやってるアイツらのこと、俺あ好きだし応援してるよ。今でも」
「……そう、ですか」
ソウゲンの声は、当人も知らず少し震えていたが、元よりそういうしゃべり方なので、誰も気づくものはなかった。
ソウゲンは、初めてできた友達が、ある日急につるむのをやめて、隣からいなくなることなんか考えたことがなかったので、それが相手の幸せだと言われても、どうもピンとこない。
月がでてくると、スズランが、酒瓶を抱いて楽しそうにすりよってきて、隣あって縁側にでも座って話しこむ。
そういうひそやかな楽しみを、あの男がいつか、ほかの誰かとやるようになる──夜がくれば酒も飲まずに、妻子の待つ家に帰っていく。見たことがない顔をするようになる。話が噛みあわなくなる。
想像すると、心臓のあたりがヒヤリとする。
友人が変わってしまっても、その心が離れてしまっても、相手の幸せを祈るのが、本当の友人というものならば。
もしかするとソウゲンは、スズランの友人ではないのかもしれない。
では、なんだ。
ソウゲンには、よくわからなくなってきた。
スズランとふたりきりで穏やかに過ごす時間は、かけがえのないものだ。それをあの人の、まだ見ぬ未来の妻や子供に譲りたくはない。厭だ。
この気持ちは、なんだ。
スズランが聞いていたら、おかしそうに笑って、妬いているのかといじわるを言ってふざけはじめただろうが。当人がいないので、ソウゲンはひとりで考えこんで、結局そのまま答えは出なかった。
すこしあとで、そんなことで悩んでいる場合ではなくなったのである。
* * *
スズランが、昼間に落っことした耳飾りを探しにいこうと屯所を出たところで、アキラの姿を見かけた。
雨の夜。傘をさして歩く姿は、珍しくうつむいていて元気がない。常はスズランと正反対に、背筋を伸ばしてしゃんと歩く娘だから、気になってしまう。
「アキラちゃん? どったのぉ。おーい」
声をかけると、アキラはわかりやすくギクリと飛びあがり、スズランを見るとホッと息をつく。
あきらかに何かある。それも男がらみだと、スズランは直感がビビッときた。
* * *
「桂小五郎さんの様子がおかしい?」
アキラが頷いた。
禁門の変のあと、新選組に助力してくれた桂小五郎は、しばらく姿を隠すと言い残して消えた。このアキラの男、長州藩士の桂は、長州藩が朝敵に指定された今、追われる身となっている。
「その桂を見かけたのだ。先ほど、花街の近くで……。べ、別に男と女がどうだとかいうわけではないが、さすがに心配でな。声をかけてみたら……」
アキラは、気落ちしたようにうつむく。
「誰だ、お前のような侍なぞ知らん、と」
スズランは思わず、アキラの両肩を強くつかんだ。
「ス、スズラン? いきなり、な、何を!?」
「知らないって言われたの? うちのアキラちゃんにちょっかいかけておいて、いまさら初対面ですみたいな顔したの? 桂さん、いや桂小五郎? えっ? なに? それ? キレていい? この話を聞いたの藤堂ちゃんなら、君の男の首はもう落ちてるよそれ」
「あ、ああ、いや。それが妙でな。奴は冗談ばかり言うが、そんな感じではなくて。本当に拙者がわからない様子だったのだ。もしかすると、どこかで頭でも打ってしまったのかと……」
「うーん……」
スズランは、しばし考えこんで──たちの悪い化け狐みたいな顔で、ニーッと微笑んだ。
「桂小五郎を、花街の近くで見かけたんだよね? じゃあ、男同士のつきあいしようよ。沖田総司さん」
「は?」
「いいからいいから。通い慣れてないと、男ひとりで花街に入る勇気出ないもんね。わかる。経験豊富な斎藤一お兄さんがついていってあげるよ。桂さん見つけたら、屯所に引きずって帰ってみんなを呼ぼうね」
目を白黒させているアキラの背中を押しながら、たぶん君の男は死ぬかもだけど、と心のうちで付け加える。
このころには、なくした耳飾りのことは、スズランはもうさっぱりと忘れていた。
8
──島原。
新選組屯所、八木邸からちょっと行ったところにある、京都で、もっとも古い歴史を持つ花街である。
「西新屋敷」が正しい名だが、今の場所へやってきた当時にあった、移転騒ぎの慌ただしさが、まるで同じ時期に起こった「島原の乱」のようだったというので、そう呼ばれ始めた。
新選組の屯所から近いので、隊士たちの出入りも多い。そこで、古くから営まれている角屋へ、スズランとアキラはやってきた。橙色のろうそく明かりが、いくつも灯されて、夜の屋内を昼のようにしつらえている。
傘と刀を玄関で預けて、中庭の横から二階の座敷に揚げられたあと。カチコチに固まったアキラが、耳まで真っ赤になって、スズランに噛みついてきた。
「人探しの供をしてくれたことには、礼を言う、しかし……。お主は店の者に顔を覚えられるほどに、売春宿を出入りしているのか。この助平坊主。女を金で買うなどと、まったくもって浅ましい。男に、金を出すから殴らせてくれと頼むのと、同じではないか」
「アキラちゃん、なにか勘違いしてるねぇ。花街と遊郭は違うよ」
「なにが違うというのだ? 同じではないのか」
「アキラちゃんが考えてるようなのは、吉原みたいな遊郭のことだね。女の人たちを牢屋みたいな狭い囲いのなかに閉じこめて、格子の隙間から見世物にする。お金をもらって、一夜限りの関係を結ぶ。わかりやすくいうと、スケベなことをする」
「そ、そうだ。そのとおりだろう」
「花街は違うよ。歌と舞でお客さんを楽しませて、お料理を出す宴会場なのね。お行儀のいいところっていうか……お公家さんとかもよく遊びに来てるでしょ、不便な場所なのに。それに、べつに夜だけのいかがわしいお店ってわけじゃなくて、お昼も普通に開いてる。句会が開かれたり……与謝蕪村は知ってる? あの人がここで句を教えてたの。文芸をたしなむ者同士の、語りの場って感じ。
花街の人は、うちはお高い遊びの場だって誇りを持ってて、芸も見せずに体の関係を結んでお客さんにお金をもらう遊郭と、いっしょにされるの嫌がるんだ。そういうお店じゃないのよって怒られちゃう」
「うっ」
アキラは、あわてて口をおさえた。店のものたちを勝手に誤解して、いやらしい目で見てしまっていたから、羞恥と申し訳なさでプルプルと震える。
「遊郭も僕は行くけど、疲れちゃうからあんまり度々は行かないかな」
「か、体の、関係を、するのだろう。そっちは」
「そ。男と女のね」
「破廉恥な!」
「だからこそ、祈りを必要としている人がたくさんいるよ。生まれることもできなかった小さな水子たち。生まれてすぐに捨てられた子どもたちに、お客をとれなくなって捨てられた女の子たち。生きてる人も死んでる人も、皆が等しく地獄にいる」
「……。すまぬ。見くびっていた」
「いいよぉ。さてさてそんなわけで、この角屋は男と女が一夜限りの恋をする遊郭とは違って、花街の料亭だから、お泊りはやってないの。どれだけ深酒して酔っても、カゴに乗せられてお家に帰されちゃう。屯所に朝帰りしたことないでしょ、僕。……だからアキラちゃんのいい人は、この島原の花街をウロチョロしていたからって、べつに心変わりしたわけじゃないと思うよ」
「……うう。拙者は、たまにお主が怖い。なにも教えてはいないだろう、なのに……。こ、心変わりを、不安に思っていただとか……。なぜそうも女心がわかるのだ。
いや拙者ばかりではない、町の娘たちの考えていることも、よくよくピタリと当てるであろう。髪を切ったと気づいてほしいとか、好いた男ができたとか、つける紅の色に迷っているときだとか」
「んー。女心がわかるっていうか……。女の子だったんだよね、僕。家の都合で」
「は?」
「昔ね、僕の兄上と姉上が、うちと仲の悪い家の人に捕まったときのことなんだけど。姉上は女の子だから命を助けられたけど、兄上は家を継ぐ男の子だったから……。うちの父上への見せしめのために、あちこち引き回されたあげくに首を斬られちゃったの。兄上はそのとき、まだ八つだったのよ。かわいそう」
「治安が悪すぎないか。お主の地元」
「どこもそんな変わんないでしょ。父上は引っ越した先の国で生まれた僕が、また悪い奴にさらわれて、兄上みたいに殺されるんじゃないかって怖かったのね。だから僕のこと、女の子と偽って育てたんだ。そりゃ徹底しててね、元服するまでは僕、自分のこと本当に女の子だと思ってた。おしゃれにお歌に甘いものが大好きなお姫様だったの。かわいいでしょ」
面白そうに歯を見せて笑うスズランは、しっかりと男の顔をしている。
やわらかいしゃべり方の端々に、女のことばがよくのぼるとは、アキラも思っていた。幼いころの癖が口について、いまだに抜けないでいるのか。楽しかったころの思い出に、意識して残しているのか。
「ま、昔のことだし、そのおかげで女の子にモテるし。一回はやっといてよかったよね、そういう珍しい経験も」
「お主というやつは、最後はいつもそこに行きつくのだな。破廉恥坊主め」
* * *
京都、島原。角屋の二階、青貝の間。
部屋の飾りに青貝をちりばめた、異国情緒のある部屋だ。
夜を昼間のように明るく──貴重な明かりを惜しまず使うのは、高級料亭の所以である。それなので、がまむしろの天井と、山水画が描かれたふすまは、大量に灯した蝋燭のすすで焼けて真っ黒になっている。
スズランとアキラが通された座敷を覗きに、子どもがやってきた。
稚児だろうかとアキラは邪推したが、ここはそういう店ではないのだと、諭されたのを思い直す。花街は、老若男女が自由に出入りする、大宴会場である。どこかの親が子を連れて遊びにきたのだろう、と。
子供はまっすぐにスズランのところへ飛んできて、膝に抱きついてはにかんだ──。
「おっ父。おかえり」
アキラはぽかりと口を開け、スズランの顔を、穴があきそうなくらいに凝視した。『おっ父』。生臭坊主はニコニコと微笑んでいて、内心がうかがい知れない。
「ただいま。好次。いい子にしてたかい?」
「うん。おっ母が、いい子でいたら、またおっ父が帰ってきてくれるって言ったから」
「そうかあ。えらいねぇ」
子どものあとについて、スズランよりも年上に見える女が追いかけてくる。手には何に使うのやら、水の入った桶を持っている。
アキラはあまりのことに驚いて、しばらく口をぱくぱくしていたが──。
「お主……。妻と子供がいたのか。すでに家庭がありながら、町で次々に娘たちをひっかけていたのか、度し難い! 妻子がありながら、ほかの女にうつつをぬかすとは何事か!」
「うへっ」
アキラのすごい剣幕に、スズランはひるんでいる。
子どもの母親は怯えた様子で、両手で口を覆い、アキラに探るような目を向けてきている。
「あの……お父様」
「沖田さんは味方だ。困ることは何もしないから、大丈夫」
「そうどすか……。うちは、福いいます。お侍の沖田さま。『パードレ』いう言葉を、知ってはりますか」
「は? いや、知らんが……」
「『バテレン』ともいいます。『父』という意味の、南蛮言葉どす。キリスト教の宣教師様を、そう呼ぶんですえ。せやからうちら、このお人をお父様と慕っとります。老いも若きも、皆が同じ神の子やから」
「僕をパードレなんて呼んだら、隠れキリシタンだって一発でバレちゃうでしょ。捕まって死罪にされちゃう。僕みたいに」
ぶかぶかの袖を揺らして、スズランが飄々と言う。この男が咎人になった理由は、隠れキリシタンの密葬を手伝ったせいだと聞いている。
アキラは「そうか」とぼやいて、どっかりとあぐらをかいた。こうも勘違いが続くと、まるで目の前のいかがわしい破戒僧が、至極真っ当な聖職者のように見えてくる。それを疑ってかかってばかりの、己の心のほうが、あさましいように思えてくる。
そもそも、スズランの日頃の行いの悪さが原因なのだ。ふてくされているアキラを、スズランは誤解を受けて怒るでもなく、悲しむでもなく、微笑みながら見つめている。
女好きのスズランは、女に何をされても怒らないのである。
「洗礼を授けてくれはるお父様が、店に来られはった聞いて、無理言うてあがらせてもらいました。ほんまに急で申し訳がたたんけど、次はいつお父様にお会いできるか思うと……」
「かまわないよぉ。アキラちゃんも、いい機会だから見ていく? キリスト教の洗礼式。すぐ終わるし。なかなか見れないよー」
スズランは、母親の福が持ってきた水盆に手をつける。濡れた手のひらを、向かいあった子どもの頭に押しつけ、ぐい、と押さえこむような動作をする。
「本当は全身を水につけるの。『浸礼』っていって、お風呂とかでもいいんだけど」
ほかの人に見つかりやすくなるから、簡略式の『滴礼』で、とささやく。
「じゃあ好次、君に新しい名前を授けよう。ペイトロ。殉教した僕の養父の名だ。この名前は、誰にも教えてはいけない」
「人に教えたらどうなるん?」
「おっ父に、もう二度と会えなくなってしまうよ」
「わかった。ぜったいに言わへんよ」
洗礼を受けた好次が、大きく頷いた。
アキラは拍子抜けした。すぐに終わるとは聞いたが、本当にこれだけなのか。
「水につかるのは、今までの自分の死をあらわすんだ。水のなかから出ることで、生まれ変わったことになる。罪を水で洗い清めて、新しい命と名を与えられるんだ」
「生まれ変わりか。まるで拙者たちだな。我々咎人は藤堂流の洗礼を受けて、新選組に生まれ変わった──そういうことになるのか」
「そうね。新選組の掟の藤堂ちゃんが神様。サクヤちゃんとか、とくにそんな感じ。強い信仰心だ。最初はちょっと妄信にかたよってたけど、最近はなんかいい感じじゃない?」
ペイトロ好次の洗礼が終わると、母親の福はキリスト教の手の組み方をして、スズランに頭を下げた。
福が懐から出した金子の包み紙を、スズランは、そこは頑として受け取ろうとはしなかった。見返りに金ももらわないのに、露見すれば命をとられる危険な祈りを、ためらいもなく捧げる──。
スズランの趣味はどうかしているが、アキラもまた咎人だから、何も言う気はなかった。
「ほんに、ありがたいことやね。お父様。前にあった大火で、島原の東のほうはあらかた焼けて、立派な大門も燃えてしもうたけど……。覚えてはります? 息子は、その年に生まれましたんえ。好次の名も、お父様につけていただいた名前どす」
「このあたりで大火事があったのは、十年は前のことだろう。スズランよ、いくつだお主」
「大人に年を聞くのは野暮よ」
「む……」
アキラは鼻白んだ。スズランを、同じくらいの年の男だと、勝手に考えていたのだ。
「ほんに、不思議な方やねぇ。お父様は、うちがまだ息子と同じくらいの歳の娘のころに、『レシイナ』の名を授けてくださったときから、なにも変わらんお姿で……。きっと、好次がうちと同い年になったときにも、今とひとつも変わらへんのでしょうね」
アキラはなんとも言えずに、スズランの得体の知れないニヤケ面を見た。人を化かす古狐かもしれぬと思う。狂言の釣狐に出てくる、坊主に化けた白蔵主ではないか。
この男について知っていると思っていたことが、今夜は、なにひとつ真実ではないような気がしてきた。何事も白黒はっきりさせたいアキラは、落ち着かない気持ちになってくる。
「スズラン。お主は、いつもこんなことをしているのか?」
「いつもじゃないよ。今日は特別。みんな用心深いの。ばれたら信仰を捨てて『転ぶ』か、きっつい拷問に刑罰殉教待ったなしだから」
「隠れキリシタンたちは……お主にとって、特別なのだな」
「うーん。そういう感じでも、べつに。経をあげてほしい人もいるし、祝詞を望む人もいる。ただ何もしないで話だけ聞いてほしいって人もいるし、いろんな事情で放っておかれてる死者の魂を、供養してほしいって人もいるし。僕は祈るしかできないから、それで役に立てるなら何でもする。困っている人の魂はね、こういう夜の深くて暗いところに、明かりがたくさん置かれていると、自然と集まってくるの」
「まるで、虫みたいに言うのだな」
「虫、ね。そうかもね……。みんな、危ないってわかってるのに、火に飛びこんで焼け死んじゃうもんね」
アキラは、いつもと変わりのない調子で喋るスズランの姿が、行燈に照らされて、見たこともない不気味な怪物のように見えてきた。背筋が寒くなる。
* * *
夜が深くなる前に、キリシタンの母子を帰したあと。
酒をついでまわる芸妓に、ふにゃふにゃデレデレとしながら、スズランが切り出した。
「じつはこの沖田総司さん、桂小五郎さんに懸想をしていてね。最近見かけないから、心配してるんだって。いちおう、表向きには敵同士だから、うちの近藤局長や土方副長には内緒にしてほしいんだけど」
「お、おい! 斎藤一殿。そういうことは……」
新選組の沖田と長州藩の桂は、はっきりと敵対関係にある。ふたりの間になにかあると知れれば、どちらもタダでは済まない。
桂との秘めた関係を、女たちの前で平然と口にするスズランに、アキラはあわてて目を白黒させる。
「照れなくてもいいよ。みんな口が堅いし、応援してくれるって。男同士だからって、変な目で見たりしないから。そういうの最近流行ってるでしょ」
「そもそも、男同士では──」
「こないなきれいな兄さんと、あないにきれいな兄さんが。そういうことやったら」
芸妓がアキラの初心な反応を面白がって、口を開く。店側としては新選組にも桂にもつかないが、色恋の話なら構わないという心づもりらしい。
アキラがひとりで店を訪れて、馬鹿正直に桂の行方を聞いてまわっても、軽くあしらわれて済んでしまっただろう。スズランの口のうまさに半分感心し、半分呆れる。
今夜すこしは見直したものの、やはり口八丁のうさんくさい坊主である。
「だから、桂さんを見かけた娘がいたら教えてほしいんだ。うちの沖田さんを傷物にされて、捨てられちゃうのはかなわないからね。……まあねぇ、沖田さん、もしものときは僕とかどう? そっちの趣味はないけど、沖田さん相手なら、かわいいからいけちゃうかも」
「結構だ」
「うふふ、ふられちゃったぁ」
スズランがニヤニヤしながらうめくので、まわりから和やかな笑い声があがる。
坊主がふざけるたびに空気が抜けていき、娘たちの口が緩くなっていく気配を、アキラは肌で感じとった。
「そういえば、見かけたかもしれへん。桂さん。でも、店の表からこっちを見とっただけよ。たまたま通りかかった、みたいな。言われてみたら、変な感じやったね。目つきがちょっと……睨むみたいな怖い目で、桂さん、そんなお人とちゃうでしょ? 何度も来てくれてはってるのに、初めての町に来たみたいな、どっかよそよそしい感じがしたし」
「そ、そうなのか」
『桂は何度もこの店に来てるのか』という言葉を、アキラは呑みこんだ。
スズランから花街の何たるかを指南されていなければ、短気な己は、おそらく度し難いと怒りだして騒ぎ、情報集めにならなかっただろう。まただ、と感じる。スズランの手のひらの上で転がされている気分だ。
スズランがいい奴なのは確かだが、人心をいじくる術を知り尽くしているようで、こいつちょっと怖いなと、アキラはそっと思った。味方でよかった。もしも敵ならば、真っ先に斬らねば厄介な性質だ。
「そういえば、最近そういう、変わった感じのお人が増えたかもて、みんな気にしてるんよ」
「変わった感じ……そんな性格の人じゃないのになぁ、と思うってこと?」
「せやの。狐憑き、いうて噂になっとりますよ」
芸妓が、紅を引いた唇を、スズランの耳に近づける。
「斎藤さんのこと、信じとるから話すんよ。ここだけの話にしてくれるて。うちねぇ、この前、長州藩の浪人さんと、しばらくええ仲やったの」
御所を襲って京を追い出された長州藩の浪士が、まだ島原をフラフラと歩いていたのを、深い仲だった芸妓が見かけたのは、ほんの数日前のこと。誰かに顔を見られたら、男は殺されてしまう。
芸妓は、男が命の危険もかえりみず、己を迎えにきたものと思ったらしい。しかし──。
「長州へいっしょに来てくれと、さらってくれるものかと思うたの。それやのに、お前なぞ知らん、言いよるんよ。あんたはウチの男やろて泣きついても、『自分は島原の何某、故郷と同じ名のこの場所に、つい立ち寄ってしまっただけだ』とかなんとか、ワケのわからんことばかり言いはって……。急に、別の人間になってしもうたみたいで」
相手の浪士は、女の身を案じて、わざと知らない素振りをするような、器用な男ではなかった。ほんのわずかな間に、中身がまるで別人にとってかわってしまったようで──。
相手がお尋ね者の身の上なので、芸妓は誰にも相談できずに悩んでいたのだという。
「たしか沖田さんも、桂さんにそう言われたんだったよね。お前のことなんか知らないって」
「あ、ああ」
「何か関係あるのかな……」
アキラとスズランは顔を見合わせたが、結局それ以上の情報は集まらず、店を出る時間になった。
* * *
「おおきに、斎藤さん。この前は災難おしたなぁ。いや、無事で何よりでしたわ」
玄関で、預けていた刀を返してもらうときに、店の者に気の毒そうに声をかけられた。
この町の者たちは、耳ざとい。新選組が仕事をしくじって、お取り潰し寸前だったが、その後目覚ましい活躍をして面目躍如、先の内乱でも力戦奮闘したらしい──そんな噂を、知らない者はいない。
「お客に変なこと言うけど、斎藤さんは人を見る目があるから、あぶれたらうちの帳場で働いてもらいたかったんやけどねぇ。ちょっと残念やわ。いっしょの兄さんは、初めて見る顔やね」
「同僚の沖田さんだよ」
「ああ、このお人が。いま町で、斎藤さんよりおなごに人気があるっちゅう噂の美男子かいな。なるほどなぁ」
「そういうこと、斎藤さん本人の前で言わなーい。やいちゃうよ」
ケラケラと笑うスズランの横で、アキラは黙って軽く頭を下げた。
花街の勝手がわからなさすぎて、スズランの行く先々へ、ちょこまかとついていっていたので、女童のころ父親のうしろについて、付き合い先に挨拶まわりをした時みたいな心地になってしまっていた。
「食い詰めたらうち来てな。新選組の組長さんは、だれもかれも顔のええお人やから、どこでも引く手あまたや。歓迎するで」
「そりゃ安泰だねえ。ねぇアキラちゃん、次に何かあって新選組がお取りつぶしになったら、僕らみんなで、いかがわしいおうどん屋さんでも開こうか。サクヤちゃんとアキラちゃんがいればさぁ、若い娘さんが入れ食い状態。僕ねぇ、おいしいきつねうどん作るの得意だよ。案外今より儲かるかもー」
「お主はまったく坊主のくせに、たくましいというか、生き汚いというか」
狐と聞いて思い出したが、狐憑きとは、また面妖な噂である。アキラは、なんだか嫌な予感がしてきた。
すこし前に新選組は、雑面ノ鬼勢力との決戦において、この元治の世によみがえった平安時代の陰陽師、安倍晴明を討伐したばかりだ。
またいかがわしい魑魅魍魎が、京の都に湧いて出て、ことを構えることにならねば良いが──。
「そういえば、スズラン。さっきの……お主が洗礼を授けたキリシタンの母子は、なぜ伏見稲荷の狐のお守りなぞを大事に持っていたのだ? 父と慕うお主の似姿か」
「僕ってそんな狐っぽい? 心外。キリシタンの人は、いろんなものを神様に見立てて拝むの。聖母マルヤ様に似た観音様や、聖なる証としてイクトゥス……お魚のことね、あと神様の姿っぽい柄が見えるアワビの貝殻とか……ここまでくると屁理屈みたいだけど。クルスは誰かに見つかり次第そこで詰むから、これでかまわないよね、って感じで」
「ふむ。しかし、キリスト教と稲荷神に、なんの関係があるのだ」
「いろいろあって長くなるから、また教えてあげる。それより、君の男のことだけどさ……」
アキラは、歩みを止めたスズランの目線の先を追った。
雨の中、かつては島原大門のあったあたりに、傘もささずに男が立っている。
アキラの探し人、桂小五郎であった。
9
「ああ。ああ、まさか再び『島原』の名の地で、あなた様にお会いできるとは」
桂小五郎の人となりを、スズランは正直よく知らない。貴公子然としたその男が、男女の仲であるアキラを、素知らぬ顔ですりぬけ──なるほど、本当に『知らない』のだ──スズランを腕にかき抱く。
感極まった様子で涙を流して、その触り方には、きっと桂がアキラにしたような、恋慕の気配はない。親が、迷子になった子を見つけたときに、安堵のあまりに思わずそうする類のものだ。
「よくぞ……ご無事で」
「芦塚……?」
スズランは瞠目した。『桂』の喉から零れだすのは、遠い昔に聞いた覚えのある声。
米俵みたいに尻をかつがれて、足が浮いた。
「御免。どうか、おとなしく攫われてくだされ。決して、悪いようにはしませぬゆえ」
「アキラちゃん! 『君は正しい』……!」
スズランは叫んだ。アキラが、ハッと息を飲む。
菊一文字を握りなおし、切っ先を迷わず『桂』に向ける。
「誰だか知らんが、仲間を離せ。お主には、屯所で話を聞かせてもらおう」
「幕府の犬か。娘、邪魔だてするなら斬る」
『桂』が、腰の備前長船清光に手を伸ばす。それを肩の上からスズランは、抜けないように必死に押しこんだ。
うぐぐ、とうめく。さすがに、馬鹿みたいな力だ。それでも桂の剣を、アキラへ向けさせるわけにはいかない。
「アキラちゃんに手を出さないで。僕も攫われる気はない」
「……御意」
『桂』は、存外簡単に諦めた。
サクヤが、藤堂の命に異を唱えることのないように、スズランを望みの通り自由にする。背中を押し出されて振り返ると、もう美丈夫の姿は消えていた。
あいかわらず、妖怪みたいな男だ。
アキラは、桂がまるで別人のようだと直感した。正しい。芸妓に聞いた、奇妙な客の話にも合致する。
「狐憑き──」
* * *
スズランとアキラが屯所に戻ると、白けたような、とても冷たい目をした仲間たちが、玄関先で腕組みをして、勢ぞろいして待ち構えていた。
「昼間あんな騒動があったのに、呑気に今夜も花街へ行ったそうだな。しかもアキラを連れてった? 藤堂がここにいりゃ、今ごろ頭と胴体くっついちゃいねーぞ、スズラン」
一番星が、拳をポキポキと慣らしながら、数刻前にスズランが言ったのと同じことを吐き捨てた。
近藤局長殿は手加減しないから、顔の形が変わってしまうかもしれない。非力なスズランは青くなった。
「アキラ殿にいい人がいるのは、スズラン殿もご存じでしょう。これはさすがに度し難いのです」
「あっなんか、ソウゲンちゃんにまで勘違いされてる。アキラちゃん助けて……」
「う、うむ。皆の者。拙者とスズランはべつに、度し難いようなことは誓ってしておらん。ただ、そういうことをするスズランを、拙者は部屋の隅で見ていただけで」
「ちょっと、言い方……」
スズランが、悲鳴みたいにうわずった声をあげる。
見ればギャタロウは真顔になっていて、いつもニコニコしているボウでさえ引いている。
うまくスズランの誤解をといてやれなくて、アキラは焦ってきた。
「遊女とよろしくギャってるのを、アキラに見せつけてきたってのか? とんでもないド変態だぜ。逆にスゲーよ、坊さんよォ」
「それは、やっちゃいけないやつ……」
「へっ? いや、そ、そういうんでは……そ、そうだ! 見ていたのは拙者だけではなく、隣には、スズランを父と慕う幼子もいたぞ。だから、うむ、大丈夫だ」
「なにが大丈夫なの!? 僕、そんな恨まれることしたっけ? アキラちゃんの村でも焼いた?」
「……仲間の誰も知らないうちに、家庭を持っていた」
「だめだコイツ、所帯持っておとなしくなるヤツじゃねー。おっ父みたいな立派な男と違う、ただのクソ野郎だった」
家族に繊細な地雷を持つサクヤを激怒させた時点で、すでに詰んでいる。
その上、一番星に完全に見限られて、さすがにスズランは顔を引きつらせた。
アキラが口を開くたびに、泥沼にズブズブとはまっていく。
「ちょっとちょっと信用なさすぎない? 仲間でしょ、僕を信じてー!?」
「日頃の行いの賜物だな。斎藤一。その発情した猿のごとき素行の悪さは、目に余る。士道に背いている。よって、切腹を申し渡す。このような些末は、藤堂が戻る前に片付けてしまおう」
「いやサクヤ、さすがに命は取らねえよ。スズランだって一応、これまで一緒に戦ってきた仲間だしよ」
「一番星ぢゃんん。一応ってなに……」
「だが、ちんこは切り落とす」
「えっ」
「アキラを辱めた落とし前は、きっちりつけてもらう。いいな、スズラン」
「ひいぃ」
一番星に本気の目で射貫かれて、スズランは往生際悪く、救いを求めてキョロキョロした。だって本当に、何も悪いことはしていないのに。
「だな」「オマ」と、ギャタロウとボウも、うんうんと頷いている。サクヤはもう、真剣を取りまわして準備を整え始めている。味方がいない。
「お待ちください、近藤局長」
「ソ、ソウゲンちゃん……」
スズランにとっての最後の希望、親友のソウゲンが歩み出てきた。
人望のあるこの男がいさめれば、ほかの者もひとまず落ち着いて、話くらいは聞いてくれるようになるだろう。スズランは、ホッと安堵したが──。
「斎藤一殿の局部の処置は、小生におまかせを。……スズラン殿、ご安心を。あとも残さず女人のように、綺麗に仕上げてさしあげましょう」
「女の子にされちゃう!!」
「切り落としたモノは、無駄にはいたしません。小生が開いて調べて剥製にして、大切に保管しますゆえ」
「お部屋に僕のちんちん飾るの!? 正気!? これからどんな顔してソウゲンちゃんのお部屋に遊びにいけばいいのよ!」
「自業自得でしょう」
「ま、待て! さっきからお主ら、スズランを誤解している。日頃の行いを見ていると、信じられんかもしれん、でも、そんなやつではないのだ、こいつはけっこう、ちゃんとしていて……!」
アキラがスズランの前に立ちはだかって、男の象徴をもいでしまおうとする仲間たちの手から必死に守ってくれる。
「ア、アキラぢゃんん……」
「──童貞なのだ!」
よく通るきれいな声で、叫んだ。
しばしの、沈黙。
『えっ、マジ?』という、仲間の信じられないような目がスズランを突き刺す。だってお前、かたっぱしから女を口説くわ、毎晩花街に出かけるわ、春本大好きスケベ奉行人みたいな男のくせに。
みるみるうちに、スズランの顔色が真っ白になっていく。あ、マジだ、と皆思った。
「意外かもしれんが、花街の芸妓も言っていた。スズランは見た目はチャラいし言動も軽いが、本当は仏の道に真摯に向きあい、清らかな体を守っておる立派な坊主だと。七条新地出身の元娼妓にも話を聞いたから、これは確かな情報だ。スズランは遊郭へ来てもお喋りだけの本番なしで体が楽だし、金はじゃんじゃん払うから、コイツが来たら実質有給休暇で最高の金づる未通男だと!」
「わあああああああああああああああ~~~~~~~~~~ッッッ!!!!」
アキラが言い放ったとたん、スズランは、ワァッ、と泣き崩れた。根性なしの童貞野郎が、でかいホラを吹いてイキっていたのが、いつもツルんでいる男友達みんなにバレた。美人の女の子の口で童貞だと言われた。それに、粋な顔して女たちの前でかっこつけてた夜の街でも、めちゃくちゃ馬鹿にされていた三重苦で、立ち直れなくなったのである。
殺気立っていた男たちは、それですべてを察し、理解した。
皆の態度が一転して和やかになり、迷いこんできた野良の子犬に餌をやるみたいに、スズランを囲んで、慰めの声をかけはじめた。
「泣くなって、ダチ公。俺たち、スズランのこと誤解してたんだな。悪かった。勘弁してくれ。この通りだ」
「ギャギャっと元気出せよ。坊主の心意気は本物だァ、立派な奴だよ。オイラにゃ、とてもマネできる気ギャしねーや」
「オマ。スズラン、いい子だと思う。お芋食べる? 元気出して」
「あと、これも芸妓たちが言っていたんだが……。スズランは女好きっぽく振舞っているが、どうもそれは、目くらましのような気がする……じつは、男のほうが好きなのかもしれない、と」
アキラが付け加えると、スズランをあやしていた男たちは、急にスンとした顔になって、股をサッと手で覆った。スズランは目に涙を浮かべながら、いつの間にか自分を遠巻きにしている、調子のいい男どもを睨みつけた。
「いま、ちんちん隠した人。あとで床にもぐりこみに行くからね。朝まで抱いたり抱かれたりしてやるから」
「ごめんて。ギャめて」
「俺も、スズランのことそういう目で見れないから。いい友達だと思ってるから」
「やれるものならやってみろ。玄人詐欺のクソ童貞」
「いーっ」
スズランは癇癪を起こした小さい女の子みたいに歯を剥きだして、足元に転がっていた空の酒瓶を、サクヤの頭にぶつけた。即、胸倉をつかまれる。
「こらこらァ、物騒な喧嘩やめろォ」
今までサクヤとなにかといがみあっていた一番星が、『そんなことは何も知らない』みたいな顔をして、乱闘をはじめそうになっているふたりをたしなめる。いくらか良識のあるギャタロウが、お前ギャ言うな、という顔をしてあきれていた。
圧倒的な力の差で、サクヤにゴミみたいに放り捨てられたスズランは、ぬるぬると畳の上を這っていき、この面々のなかで自分にいちばん甘いソウゲンに泣きついた。
「ソウゲンちゃぁん……」
「いまのはスズラン殿が悪いのです。喧嘩は、先に手を出したものが悪いのです」
「だってぇ」
スズランはサクヤに向かって「いーっだ」と捨て台詞を吐くと、蝉みたいにソウゲンにしがみついて、ふてくされてしまった。
なんだか今夜のソウゲンは、やけに機嫌のいい顔をしているなと、スズランは気がついた。さっきはけっこう怖かったけれど。真剣にスズランを去勢しようとしていたけれど。
「ソウゲンちゃん、なんでそんな嬉しそうな顔してんの」
「はて? 小生、そのような顔をしておりましたか」
逆に、ソウゲンに不思議そうな顔で聞き返されてしまった。
自分の感情の機敏に、極端に疎いこの男のことだ。なにか良いことでもあったのに、気づかずに過ごしているのかもしれない。
何だか知らないが、うれしい出来事があったのならいいことだ。スズランは深く考えずに、うん、と頷く。
* * *
屯所に戻ったスズランとアキラは、八木邸の中の間で、仲間と顔をつきあわせている。
急に別人になってしまった桂小五郎に遭遇したこと。昼間の荒くれ者たちに続いて、スズランがかどわかされかけたこと。そういう話をする。
「スズラン、お主、名をなんと呼んでいたか……。例の、桂であって桂でない何者かは、知り合いなのか」
「うん。僕の身内の人。芦塚のご隠居さんだよ」
芦塚のご隠居は、スズランの家に祖父の代から仕えてくれていた家来だ。
若いころから力持ちで鳴らし、スズランの家系の男はみな体が弱かったから、いつも助けてくれるこの男を、家の者たちは頼りにしていた。
ご隠居はスズランが生まれると、三代目の跡継ぎになる未来の主が生まれたことを、スズランの実の父親よりも喜んでくれた。
スズランの父は、昔からいがみあってる家の者に、生まれた息子を皆殺しにされていたので、末の男児もこれでは命を奪われると怖がったのだ。スズランの運命を心配し、『なぜやや子が娘ではなかったのか』と嘆いていたのである。
「僕ねぇ、生まれてすぐに父上のこと泣かせちゃった。女の子じゃなくて、悪いことしちゃったよね」
「拙者のところとは、正反対の家だったのだな」
「兄貴たち全員が殺されたってのは、穏やかじゃねぇな。ん。どうした、ソウゲン。変な顔して」
「いえ……。お話にあった、スズラン殿のお世話役……芦塚殿というと。長崎にいる時分に、何度かお聞きした名なのです」
「ねぇ、ソウゲンちゃんも変だって思うでしょ? 生きてるわけないって。僕を、赤ちゃんのときから育ててくれたおじいちゃんだよ。ずっと昔に死んじゃってるの」
「スズラン殿」
「ん? なぁに」
「あなた、いったいいくつなのです」
「大人に歳を聞くのは野暮よ」
スズランは、アキラに言った同じようなことをソウゲンに言って、すっとぼけている。
ソウゲンは、またこの男は冗談を言っているのだろう、という顔になった。
花街の女のあいだで話題になっている、狐憑きの噂。
桂小五郎。芸妓といい仲だった男。長州藩の男ふたりに、おそらくは──『島原』のしびとたちの魂が取り憑いている。故郷と同じ名の島原を懐かしんで花街を訪れたというから、いやに自我がハッキリとした幽霊だ。
また魑魅魍魎の世界の話かと、新選組一同は食傷気味になった。化け物の相手はもうコリゴリだ、とお互いの顔に書いてある。
「昼間に藤堂殿とスズラン殿を襲い、かどわかそうとした浪士もまた長州藩の者。つながりがあるような、ないような。よくわかりません。情報不足なのです」
「逆に、本人に聞ギャあいいんじゃねえのか。アキラの男の桂モドキをとっつかまえてきて、屯所で話ぃ聞かせてもらおうぜ」
「は? べつに……拙者の男ではないが?」
「大丈夫? すっごい強いよあの人。頭もいいし。勝てるかなぁ」
指をパチンと鳴らすギャタロウに、アキラとスズランが顔を寄せて詰める。「負けねーよ」と一番星が、あっけらかんと言った。
「腕っぷしのクソ強ェ爺さん。上等だァ。スズランの地元じゃちぃとは有名な喧嘩屋なのかもしんねーけど、俺ァ知らね。やりゃ勝つに決まってんだろ。体は桂さんだから、怪我させねー程度にゃ手加減してやんよ」
「安倍晴明と戦ったときも、一番星ちゃんはそんな感じで余裕だったよね。いいねぇ、そういうところ僕すごい好きぃ~」
「おいおいー、褒めてもなんも出ねぇってー」
スズランがパチパチと拍手しておだててくるので、一番星は照れ笑いをしつつ、例のハルウララと名前が並ぶようなトンデモ爺さんなのかよ、と内心ちょっと引いている。
にぎやかにやっているところへ、藤堂が入ってきた。
壊れた義手義足を取り替えており、昼に作った怪我もなさそうだ。これ以上小さい上役に傷を増やされてはかなわない皆は安堵する。
「皆の者聞け。昼間に襲ってきた長州藩の狼藉者を、サクヤが拷問し口を割らせた」
藤堂とともに戻ってきたサクヤは、一番星とスズランを一瞥し、またバカどもが騒いでいる、という冷たい目をしている。
* * *
──慶長三年八月十八日(1598年9月18日)。
天下人、豊臣秀吉は、朝鮮半島に遠征軍を送りこんだ文禄・慶長の役のさなかに病没する。
死期を悟っていた秀吉は、まだ幼かった息子の秀頼のために、全国から四億五千万両の黄金を集めると、しもべの武将、幡野三郎光照に命じて隠し場所に埋めさせた。
その後、長じた秀頼が大坂の陣において敗けて自刃した際に、秀吉から黄金を託された幡野も死んだ。黄金の在処は誰からも忘れ去られて、時が過ぎていった。
しかし近年、豊臣の隠し財産の在処を記した幡野の記録文書が、その子孫に受け継がれているという情報が、とある信用できる筋から長州藩にもたらされた。
この幡野の血を引く者が旅に出たおり、他国で客死した。しびとが持っていた幡野の文書の原本を、偶然に無縁仏を弔ったスズランという名の旅の坊主が、読経代がわりに譲り受けたという。
豊臣秀吉にまつわる黄金伝説は、庭の飛び石が黄金でできていただとか、金の茶室を作っただとか、枚挙に遑がない。豊臣家滅亡後に発見された財産は、全国の鉱山からかき集めたにしては、どうも帳尻が合わないので──。
秀吉の隠し遺産は、誰も知らない場所で、いまも手つかずのまま眠っているのではないか。
江戸幕府が開かれたころより、まことしやかに囁かれている噂である。
長州藩の浪人は、隠し金の手がかりを知る坊主の話を聞きつけると、すぐに国元を脱走して京に駆け戻った。スズランと名を呼ばれていた僧を、京の町で見た覚えがあったから、藩に先駆けて大金を手に入れようと考えたのだ。
サクヤが長州藩士を拷問して得た情報を聞いて、皆の目がスズランへ向く。
「スズラン。さきも島原へ出かけていたそうだが……貴様は毎夜遊興に出かけていくが、その金はどこから捻出している。サクヤが不逞浪士に吐かせた情報は、まことか」
藤堂に問い詰められ、さりげなく逃げようと腰を浮かせたスズランを、全員でとびかかって取り押さえた。
「この話やめよ? ロクなことにならないからいつも」
「逃げるってェコトは、偉い大名の埋蔵金の地図持ってんの、マジなんだなオイ。普通に見てーんだけど」
「見たい見たいー。地図見せて、スズラン」
「花街の芸妓から、尽きることなくじゃんじゃん金を使っていると聞いたが……。お主もしや、人の金をちょろまかして使いこんでいるな。度し難い」
「逆に、いくらたくわえこんでんだ? 跳べ。チャリンチャリンいわせろっ」
「うひぃ~。耳もとでいっぱい喋んないでぇ」
「うさんくさい坊主にまつわる、うさんくさい与太話だが。ま、長州藩側はその気のようだし、意外に穴でも掘れば本当に、ボウの食い扶持程度は出てくるやも……」
大食らいのボウが、恐ろしい勢いで食料を食い尽くしていくので、屯所の米のたくわえのことで日々頭を悩ませている藤堂は、片手で器用にそろばんをはじきながらサクヤに目くばせした。
サクヤも心得たもので、ふところから羽箒をサッと出す。ボウに羽交い絞めにさせたスズランの足の裏を、こしょこしょとくすぐりはじめた。
「ひぃん!? やめて! ごめんなさい! なんでも話しますう! 言うから! 言うからぁ!! サクヤちゃんコチョコチョするのやめてぇ! 僕お肌敏感なのぉ!? いやあぁんっ!!」
「妙な声をあげるな。気色悪い」
「気色悪くないぃ! やめてって、ほんと、死んじゃうぅ! ほわあぁ!!」
「医者がいるから死なないのです。ご安心を」
足をバタバタとさせて悶えるスズランを、楽しそうで何よりだなぁと、ソウゲンは微笑ましく見守りながら声をかけた。
「はふん、埋められたのは埋められたんだろうけど……。簡単に見つかるようなのは当時の江戸幕府が回収しちゃっただろうし、何百年も前の話だよ。隠し場所の入口だって落盤でふさがってて、土の下の奥深く……。無理だよぉ」
「そこに埋まってんのがわかってなら、掘り出しゃいいじゃねーか」
一番星が、『何を言ってるんだこいつは』という顔になった。スズランは思い出した。そういえばこの男は、瓦礫の山と化した京の街を見渡して、『さて元に戻そうか』と簡単に言って、何年かかるかもわからないのに、手近なところから片付けを始める男だった。
「見苦しくゴネているのは、どうせ遊ぶ金が惜しいだけだろう。クソ強欲坊主を連れていき、案内させればいい。都度拷問も辞さない」
「辞して!?」
スズランは叫んだが、上役の命令は絶対である。サクヤの拷問は怖いし、己の口のゆるさも自覚している。観念して大の字になった。
「おそらきれい……」
「するてェと、浪士ギャ吐いた信用できる筋つーのも気になるな。二手に分かれて当たったほうギャいいかもなァ」
「では、私は情報の出所を探ろう。長州藩士が妙な動きをしているというのも気になる」
「藤堂、動いて平気か」
「ああ。世話をかけた、近藤局長。どこかのお節介なクソ坊主に無体を働かれているうちに、このとおりだ。寺の修行よりましだ」
藤堂は以前よりも明るい表情で、寝転んでぐったりしているスズランを一瞥する。
スズランは、本当はまじめで仲間想いの優しい男のはずなのだが、こういうクソの煮凝りみたいな姿を見ていると、またダメだこいつはという気持ちになってきて呆れている。
「では、小生が藤堂殿についていましょう。怪我人が無茶ばかりされますので、心配なのです」
「拙者もあの桂モドキにもう一度会って、話が聞きたい。同行しよう」
スズランは蚊の鳴くような声で、「僕も、ソウゲンちゃんといっしょに行くー……」とうめいたが、サクヤと一番星の鍛え抜かれた筋肉で両肩を羽交い絞めにされて、「貴様はこっちだ」「お前がいねーと話になんないんだよ」と交互に言われるし、アキラに「スズランは、荒事が得意な面々といっしょにいるほうが安全だろう」と大真面目な顔でトドメをさされたので、世を儚んでしくしくと泣いた。
「僕も肉体労働組ぃ……!? お坊さんには無理ー!」
「逆に、なんであんなにきつい修行ができて、非力なままでいられるんだ貴様は」
藤堂が半目で言った。
10
──多田銅銀山。
摂津国の猪名川を中心に、東西南北三里にわたって広がる、巨大な鉱山地帯である。
間歩(まぶ/坑道)の数は実に二千以上にも及ぶ。山中に、蟻の巣のように複雑に入り組んだ穴が、縦横無尽に張り巡らされている。
関東では金を重用するが、関西は昔から銀が珍重されてきた。この銀が、豊臣秀吉の直轄領だったころの多田銅銀山から、大坂城の台所を潤すほど多く出ただとか、秀吉が馬印の千成瓢箪を入口に掲げることを許すほどにとれたという話がある。豊臣氏ゆかりの坑道である。
最盛期には、銀山三千軒とうたわれるほどの賑わいを見せた多田銅銀山だが──地下から湧き出した多量の水で度々水没し、採掘が困難になってしまった。
銀が出なくなると、人も去る。
かの平賀源内もまた、多田銀銅山から出る大量の銅に注目していて、オランダ製エレキテルの復元に成功した技術でもって、地下に溜まった水を抜くために自ら指導をしたというが──結局往時の賑わいは戻らず、銀山の町は廃れていった。
この多田銅銀山の二千を超える坑道のなかに、豊臣秀吉の命を受けた配下の幡野という武将が、四億五千万両の黄金を、二十一の場所に分けて埋め隠したという。
──大事あれば 掘り出しても見よ 摂津多田 白銀の山に眠る宝を。
銀山まわりの集落には、こういう和歌が残されている。
幡野の遺した絵巻は現存しない。その子孫が旅の途中で客死したときに、金をめぐって争いが起こるのを憂いて、最期を看取ってくれた坊主に焼き捨ててほしいと言い残した。
それなので黄金の在り処の地図は、いまはスズランという旅の僧侶の頭の中だけにある──金に目がくらんで長州藩を脱藩した浪人の口を割らせると、こういう話が出てきた。
「長州藩が豊臣家の隠し遺産を探しだし、多額の埋蔵金を使って軍備拡充を目論んでいることは、すでに容保公のお耳に入っている。奴らの手に渡れば、また戦になると憂慮されておられる。我々はこれを秘密裏に回収し、敵方が力をつけるのを防ぐ。これは京都守護職の命令である」
土方歳三副長のありがたい訓示を聞きながら、当のスズランは平隊士の手前、斎藤一として涼しい顔をしているが、その背中をいやな汗が伝っていく。酒の席で話題にするような与太話が、いつのまにやら、組を巻きこんだデカい話になってしまった。
これで何も見つからなければ、切腹かもしれぬと思う。己は何も悪くないのに。
だいたい武士の男というものは。みんな気安く腹を斬りすぎである。
「そういやぁ代官所で、秋山さんと話ぃしたんだけどさ。十二歳で家をついで、そっからずーっと銀山役人やってるんだってよ。立派だよなあ」
間歩へ向かう途中、一番星が能天気に言った。
秋山とは、今日代官所で会った銀山役人の秋山良之助のことである。一番星の人脈作りのうまさは天性のもので、気がつくと誰とでも友達になっている。
秋山は銀山唯一の役人で、このあたりで起こることに細かく気を配り、毎日かかさず日記をつけている筆まめな男だ。
最近、近くの住民から、よく相談が寄せられるという。
いわく、土の下から声が出る。
多田銅銀山は高槻藩の預かり所であるが、勝手に穴に入りこんで石を掘る不届き者も多い。間歩はあちこちに風まわしの穴があき、地表と地下とで繋がっている。どこかの穴から、また誰かが入りこんだはいいが、出られなくなって助けを呼んでいるのかもしれない。
そういう馬鹿野郎がもしいれば、改めついでに引っ立てていただきたい、と言われてきた。
* * *
銀山にいくつも開いている坑口は、四ツ留と呼ばれている。
入り口には木の柱が鳥居の形に組まれてはめこんであって、間歩の加背(大きさ)は大体どこも幅三尺、高さが四尺程度。人ひとりがやっと通れる狭さだ。
当然のように、体の大きいボウが中に入れない。
力仕事で一番頼りになる男が、ここで真っ先に降りてしまう。ボウは猪名川にたくさん落ちているどんぐりを拾ったりしながら、地下に降りていく探検隊の帰りを待つことになった。
どんぐりのツヤツヤ具合を吟味しているボウを羨ましそうに横目に見ながら、新撰組隊士は各々がカンテラやサザエの殻に油を入れて、間歩のなかに入っていく。
間歩に一歩足を踏み入れると、温度が下がり、体のまわりの空気がじっとりと濡れているのがわかる。雨や地下水が溜まりに溜まり、外が晴れでも、中はずっと雨が降っているような状態だ。
すぐにびしょ濡れになる。冷えた体を震わせながら、手すりの布木を頼りに、丸太に切り込みを入れた足場を降りていくと、採掘の作業場がある。
坑夫はツチやタガネを使って、地表に露出している部分の鉱脈を掘りつくすと、今度は地下鉱脈に向かって垂直に岩を掘り進んでいくわけだが──毎日刀を振るばかりの侍には、もちろん鉱脈を見る目なぞあるわけがない。
宝の地図を頭に入れた坊主を引きずっていって、岩が崩れて埋まった道を掘り進む。染みてきた地下水を、とい座という竹の節を抜いた管を使って、排水坑道に捨てにいくのを繰り返す。
そういう、侍って何だったっけ、と己の矜持を疑問に思うような日々が、何日か続いた──。
11
一方、大坂。
土佐堀川に浮かぶ船の上で、藤堂とアキラ、ソウゲンは、団子を食みながら、常安橋の船着場先にある、諸藩の蔵屋敷に並び立つ長州藩蔵屋敷を眺めている。
屋敷は米や何やかやの貯えのほかに、藩士の宿舎としても利用されている。先の政変で、七人の公家が京の都を追放されて、長州藩へ落ちのびる際に立ち寄った場所でもある。
──残念ながら件の桂モドキは、今は出かけているようだ。
「蔵屋敷を調べさせていた者が言うには、長州藩主の毛利敬親から、スズランを探せと直接の命が出たそうだ。とすると、近しい者の助言だろう。亡霊にとりつかれた桂か……」
「あの桂モドキはスズランの顔を見て驚いていたから、違うんじゃないか。無関係とも思えないが、今はほかに仲間がいると考えたほうが筋が通る」
「まったく非科学的ですが、興味深いので中の方に一度お会いしてみたかったのです。スズラン殿のお知りあいとのことなので……そのうち顔をあわせる機会もありますか」
──仏に仕える身であるくせに、なぜか隠れキリシタンの密葬を手伝って斬首されたという、宝の地図の最後の持ち主であった僧侶。
それが生きていたのを、京の町で見たという者がいる。
もしも坊主の首がつながっていたならば、かどわかしてでも連れてきて、埋蔵金の隠し場所まで案内させよ──。
そういう密命が、萩城の主から出た。いくさ支度のさなかの長州藩士たちが、血眼になってスズランを探している。
そのスズランが今頃、汗と涙を流して働かされているであろう多田銅銀山は、高槻藩の管理下にあり、秋山良之助という代官所役人がひとりで預かっている。
この男が長州藩蔵屋敷に出入りするのを見たのは、つい先ほどのこと。
生真面目そうな男である。新選組の敵という感じでもない。
時勢について、京都守護職が預かる新選組の銀山御用改めには思うところもあるのだろうが、せっかく都から大勢の役人が来たので、助力をしたいと言うのなら任せてしまおうと考えたのかもしれぬ。藤堂は秋山の気持ちが、なんだかちょっとわかる。
ワンオペのクソ忙しい職場である。人が足りず、手が回らないことも多くある。何にでもすがりたい。たとえ新選組にでも。──たとえ咎人にでも。
「どうされました、藤堂殿」
「拙者らの顔に、なにかついているか」
「いや……」
藤堂はつい元咎人たちの顔をまじまじと見てしまって、立派に育ってくれたものだなあと感じ入っていたのを、咳ばらいをしてごまかした。
銀山役人に長州藩とのつながりがあり、役人が銀山を改めている新選組の話をすれば、例の桂モドキならば、そこに斎藤一──宝のありかを知るスズランがいるとわかるであろう。
長州藩が探している埋蔵金が、いまにも江戸幕府の手に渡ろうとしているとなれば、また現れるのではないか──。
ここは一度、近藤局長と合流したほうがよさそうだ、という話になった。
* * *
藤堂一行が、近藤局長を追って猪名川にある代官所へ到着し、少ししたころ。
にわかに間歩のほうが騒がしくなって、泥だらけの一群が穴から出てきた。
先頭、一番星の肩にかつがれて、尻が歩いてくる。「まだがんばれぇ斎藤、意識落とすなぁ」と発破をかけられ、ピシャンと張り手をされて、「うひゃ、やんっ! 局長のえっち!」と尻が啼いた。
年上の男が生娘みたいな喘ぎ声をあげるのに、かなりイラッときたサクヤが、スズランの尻に食いこんでいる紐をつかんで投げ飛ばす。
「坊主のくせに変な声を出すな。キモい」
「キモくないぃ。ふんどしちぎれたぁ。土方ふくちょが変な持ち方するからぁ。もうむりぃ、動けないよぉ」
前に組対抗の相撲大会をやったときとそっくり同じに、サクヤにふんどしを駄目にされたスズランが、うるさく泣き言を言った。
すぐ後ろを歩いている三番組の平隊士たちは、スズランの体はふつうの大人の男のそれなのだが、女形みたいに色っぽくくねくねするので、新選組が男所帯なのもあって、かわいい女の子みたいに見えてきた。
上司の尻は、毛穴のブツブツやデキモノもなく、ツルツルとした綺麗な尻である。さすが斎藤先生だな、と感心していた。
「なんという破廉恥な格好を」
藤堂が羽織りの袖で、娘みたいに思っているアキラの目を隠して、呆然と呟いた。泥と汗にまみれた汚い男尻祭りなぞ、嫁入り前の女子に見せるものではない。
藤堂にアキラ、ソウゲンの姿に気づいた組長たちの半数は、とくにうら若き乙女のアキラの目を気にして、裸の胸や股を隠して「キャッ」と叫んだ。それなので、アキラが女子と知らない平隊士たちは、『組長たちの間では、沖田さんが抱くほうなのかな』と納得した。
とくに、サクヤにふんどしをちぎられたスズランは、合流した仲間の視線に気づくと、耳まで真っ赤になっていた。頬かむりをといて、腰にまいてうずくまる。
「やぁーーっ。僕いま色々丸出しでみっともないから近寄っちゃダメ、汗くさいし、顔もまっくろだし。髪留め切れちゃって髪がぐちゃぐちゃだし、そばで見ちゃイヤよぉ。水浴びして着替えてくるからちょっと待って」
「女か」
「肉体労働のあとなのに、汗ひとつかいてない天人みたいな男は何もいわないでー。僕は人間なの。汗かくの、匂いもきつくなるの。恥ずかしいの。土方ふくちょ、なんで匂いしないの? ほんとに生きてる?」
サクヤがボソリと吐き捨てるのに、一々かしましく言い返すスズラン。ソウゲンは、仲のいい相方が困っているのでかわいそうに思って、コートを脱いでスズランの肩にかけてやった。
「やはりスズラン殿に、力仕事は向いてないのです」
「ソウゲンちゃん……」
「あまり肌を出されないように。このあたりはまむしが多いと聞きますので、油断をしていると死にます」
そっと肩を抱いてくれるのが、あまりにも様になるしぐさだったので、スズランは一瞬、自分がどこかの城に生まれた、やんごとなきお姫様だったような気分になって、ポーッとなってしまった。すぐに、イヤイヤ、と我にかえる。
「そんなに体臭が気になりますか。小生はわかりませんが」
「ふやややぁ。やめてって、嗅がないでぇ。いまきっと酸っぱいにおいすると思うからぁ」
スズランが、汗くさい、と言ったのに、ソウゲンは興味をもったらしい。かぶせられたコートごと抱えこまれ、うなじに鼻先をあてられたり、腕を上げさせられて腋を覗きこまれて、スズランは長い髪を怯えた獣みたいにぼぼぼと逆立たせた。
恥ずかしがって逃げようとして、手足をカサカサと動かすが、腕の力と体重の差のせいで抜け出せない。
「むぅ。やはり匂いが甘いのです、花のようで……尿崩の症状かもしれないので心配です。多量の飲酒に食べすぎ運動不足、どれもあなた当てはまるでしょう。屯所に戻ったら斎藤一殿の尿を採取させていただき、蜜尿の検査をさせていただきたいのです」
「おしっこ」
「はい。場合によっては、しばらくお酒を控えていただきます」
「うぅー。山南敬助さん、お医者さんだもんねえ。僕ひとりだけじゃない、恥ずかしがってるの。なんかくやしいっ」
スズランが叫ぶと、部下の三番組連中も、かわいい組長の真似をして野太い声で騒ぎだした。
「私も、やだ、急にはずかしくなってきちゃった」「もうっ、お肌荒れちゃった」「斎藤先生、見て、アタシ手にマメできちゃってる。信じらんない。やぁーん」
心なしかうっすらと、まわりに花が飛んでいるようにも見えてきたので、ほかの組の男どもは疑わしくて目をすがめてしまう。
局長が「俺らも泥おとすか……」と声をかけると、下の者たちも「うす」と言葉少なに頷いてながら、間歩のすぐ前を流れる野尻川にゾロゾロと降りていった。
「三番組、組長の影響が深刻だな。素行がメスになっていく」
「こわ……近寄らんとこ……」
サクヤがぽつりとつぶやく。ギャタロウは自分の肩を抱いて、ぶるりと震えた。
* * *
「山南さんよォ。俺、黄金見つけちゃったんだけど。ほら、この石、金色のキラキラした粒が中に入ってるじゃん。これ絶対金だよな。普通の石より重いしさぁ」
「これは黄銅鉱なのです、局長殿。銅を含む石なので、ふつうの石より重いのです」
「お医者先生ェ、オイラも青いキンキラが入った石ィ見つけたんだけどよ。コイツぁさぞかし値打ちがあるモンじゃねぇかと思うんだが」
「孔雀石なのです。原田殿が拾われた藍銅鉱とともに、群青、緑青という絵の具の材料となります。値打ちというと……なんでもこの絵の具には、金と同等の価値があったとか。桃山時代の狩野派絵師は、とくに好んで使ったそうで、かの豊臣秀吉公に採掘の独占権を与えられていたそうなのです」
「ほぉ~。絵の具が黄金と同じ値段……逆にスゲェや」
「ソウゲン、物知りぃ。この石の絵の具で、絵描いてみたいねぇ」
お宝探して石を掘る。男の子の心がソワソワしてきて、気分がアガってしまった一番星にボウとギャタロウが、童のように目をキラキラさせて、物知りなソウゲンを囲んで質問攻めにしている。
スズランはその辺に捨てられたゆりかすに腰かけて、寺子屋の先生みたいな相方を、ニコニコしながら見ていた。ソウゲンが仲間に尊敬されていると、親友の自分まで褒められているような気がして、『僕のソウゲンちゃんはすごいでしょ』と嬉しくなるのである。
もっともスズラン自身は、大酒呑みの気分屋だ。まじめで働き者のソウゲンと正反対の性格で、替え玉仲間から完全になめられている。
「ところで局長殿に副長殿、すこしお話が。斎藤一殿と永倉新八殿は、おふたりのようにもう若くないのです。年をとるごとに人間は無理がきかなくなります。なので体を酷使したり、冷やしたりするのは健康上よろしくないのです」
「そういやおっ父も、若い時と同じように動いてたら、腰やっちゃったことあったっけな……。ごめんな、スズラン、ギャタロウ。俺いまからお前らのこと、おっ父だと思って接することにするわ」
「承知した。山南の進言通り、斎藤と永倉は年寄り相応の扱いをしよう。もう若くないお前たちふたりは、今後は後ろで見ていていいぞ」
サクヤにシッシッと手で追い払われて、スズランとギャタロウは願い通りなのになにか面白くなくて半目になった。
「ソウゲンちゃんが言うとすぐに聞いてもらえるの、さすがの人徳~……なんだけど。でもなんか釈然としないんだけど?」
「逆に、テメェらもすぐにオッサンになるんだよォ、若人ども」
「スズランはいくつなんだ、逆に」
「うむ、逆に」
町で妙な噂ばかり聞かされていた藤堂とアキラは、うろんな顔でスズランを見る。
またあざといぶりっこをしてごまかされるので、イラッとしてくる。最後にはいつも通り、きっと皆この口のうまい山師に騙されているのだろう、という結論に行きつく。
「近藤先生。ちょっと来てもらえますか」
「おぅ、なんだァ」
「間歩の奥、鉄砲下りのあたりで仏さんが出ました」
平隊士から報告が入り、一番星はすぐに出た。仏さんと聞けば、スズランもうれしそうな顔をして、念仏かしら祝詞かしらとウキウキしながら、組頭のうしろについていく。
呼ばれて案内された先は、急なしき下がりを降りていったところで、昼前に瓦礫をのけた水平坑道であった。
水路の一部が崩落しており、落ちくぼんでいる。地面までは五間ほどあるだろうか。中は空洞になっており、水に没している。
その、冷たい溜まり水に飲まれた廊下から、こちらを見上げてくるものがいる。
荒事になじんだ男たちが、ひっ、と短い悲鳴をあげて、皆が局長と副長の背中に隠れる。それほどに異様な風体であった。
男だ。洗いたての着物みたいに真っ白な顔をした若い男が、ひざまずき、両手を上にだらりと伸ばし、誰かをあがめるような格好で、新選組の男たちを見上げてきている──。
「これはこれは、珍しいものが。永久死体なのです」
水路の水抜きをしている間にソウゲンが呼ばれてきて、興味深そうに、水中から引き上げられた躯を覗いている。
「通年安定した温度の洞窟内で、循環のない冷水に浸かって腐敗を免れたために、脂肪が蝋化し、このように生前とほぼ変わらないお姿で保存されていたのでしょう。ご遺体の状態を見たところ、数十年は前に亡くなられた方のようなのです」
「ふところに、こんなものを入れていた」
サクヤが、黄金の棒を床に並べた。
『竹流金』と呼ばれる、人差し指ほどの大きさの棒状金貨である。
かつて大坂城に蓄えられていた『千枚分銅金』を溶かし、持ち出しやすい大きさに改鋳したもので、男の死体はそれを懐や袖まわりに大量に詰めこんでいた。
死んだ男はどこかでこの金の棒を見つけて、持てるだけ持ち出してきたが、外に出ようと踏みこんだ床には、重いものを支えることができないように、わざと割れやすく細工がしてあった。
金は重いから、床が抜ける。男は黄金もろとも水路に落ちた。
ふところの金が重りになって、そこでおぼれ死んでしまったのである。
「腹いっぱいの金の棒、ってこたぁ。持ちきれなかった宝が、まだこの先に残されてるってことだな。よっしゃ」
前髪を束ねて気合いを入れた一番星が、鋤をつかんで、水位の低くなった排水坑道を駆けていく。どん詰まりは、崩れた天井が道をふさいでいたが、二度三度とかきわけていくうちに、奥へと続く穴が見えてきた。
黄金。四億五千万両。ゴクリと、皆が唾を飲んだ。
天下人の遺した宝が、この穴の先に眠っているのか──。
一番星の背中に注目していたスズランは、誰かに足をつかまれた。いたずらするのは誰だろう、と目を落とすと──。
さきほど水中から見上げてきていた躯である。
ソウゲンに観察されていたはずの死蝋化した男が、いつの間にかすぐ後ろについてきている。
濡れてふやけた蝋燭みたいな感触が、ハッキリとした意思を感じさせる手つきで、ギュウと足首を握っていた。黒目の色の褪せた目玉と、たしかに視線があった。
「ア゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
スズランが、あざとく取り繕うのも忘れた、野太い悲鳴をあげた。こんな男らしい声出るんだコイツと、まわりの者はそっちのほうが驚いた。
「化けモンかァ!? いや逆に念仏唱えてビビらせてやれェ! テメェは坊さんだろーが!」
「宗派なにぃ!? わがんな、あ゛っヤダぁ今お尻さわっだ!? や゛め゛でぇ! いきなりお触りはだめよぉ!? ソウゲンぢゃん゛助げでえぇ!!」
男の躯が、溺れる者がすがりついて救いを求めるように、脆い腕でスズランの背中に這い上がってきて張りつく。気管に詰まった水がゴボゴボと鳴る。何かを喋ろうとしているのかもしれないが、声にはならない。
ソウゲンが飛んできて、くっついてきた遺体を引きはがして助けてくれたが、得体のしれないヌルヌルが体中にこびりついてしまったので、スズランは嫌いな虫を投げつけられた童女みたいに泣いた。
「大丈夫ですか。スズラン殿。何なのです、これは」
「わかんない、意味わかんない……。ぶええええええええん……」
魂もないのに意志でもあるかのように動く、壊れた肉の体なぞ、坊主にとっては地雷もいいところである。
水の中から引き上げられたときから、躯は、空気に触れて崩れはじめていた。動くたびに、小さい部位をぶちまけながら砕けていく。
細かく分かれた死蝋男の一部は、指だの耳だのそれぞれが、ビチビチと魚みたいに跳ねていたが、しばらくすると乾いてきて動かなくなった。
スズランは半泣きのまま、とりあえず放っておくのもかわいそうなので、適当な宗派の念仏でも唱えてやろうと身をかがめたところで──。
頬に風が当たることに気がついた。
* * *
一番星が開けた穴が黒い穴から奇妙な面が、ぬう、と突き出していた。
垂れ目の下に大きな鼻。ニヤついた口の中には、鋭い牙が生えている──狂言面狐である。
奥から吹きこんでくる冷たい風とともに、狐面をかぶった男が何人か、ゾロゾロと出てきた。
「また化けモンか。もしかして、お宝の番人か……?」
「いや、近藤局長、空気が流れてきてる。反対側の廊下が、どこかでほかの四ツ留と繋がってるんだ。そっちから入ってきちゃった人だね、たぶん」
「どちらにせよ、面をかぶっているようなのにロクなものはいない」
サクヤが抜刀したのを合図に、各々が刀を構える。
面の男が近づいてくると、先ほどスズランに絡んできた死蝋の男の体の一部が、また生きているみたいにビクビクと動き出した。理屈はわからないが、磁石でも近づけたみたいに震える。
なんだろう、と訝っているあいだにも──和泉守兼定が、面の男のひとりを撫で斬りにする。
相手方は、斬りあううちに分が悪いと判断したようで、再び穴の奥のほうへと下がっていく。逃げるつもりだ。
「近藤局長、拙者が追おう」
間歩は狭く、体の大きい男は身動きがしにくい。刀を振るうのも難儀する。小柄なアキラが身を翻し、斬りあいをしている仲間の横をすり抜けて、黒い穴の向こうに突っこんでいった。
「待って、沖田総司さん」
アキラのあとを、スズランが追っていく。水の多いところではろくな戦力にならないものの、若い娘ひとりを危ない場所へ向かわせるわけにはいかない。
その背中のうしろで狐面が、ふところから出した爆薬に火をつけた。
「──は」、あっけにとられたような声は、誰が零したものか。「退避! ッベェ、退避ー!」一番星が大声で叫んで、すぐあとに爆発が起こった。
轟音。穴ぐら全体が揺れる。
下向きに開かれた採掘作業場の天井が、次々に崩れて落ちてくる。
太い悲鳴と罵声をあげながら、新選組の面々は地上に向かって走った。しき下がりの通路を、隊士の最後のひとりが命からがら登りきったところで、土砂で完全に埋まってしまった。
地表に何か所も開いた風まわしの穴から、白い煙がのろしのようにたちのぼる。
「埋蔵金ーーーッ!!」
「四億五千万両ーーーッ!!」
間歩の外に出たギャタロウと一番星が、名残惜しそうに暴れるので、「危ない、ダメ」とボウにはがいじめにされている。
「沖田総司と斎藤一がまだ中にいる」
「なんだと!?」
サクヤが鋭く囁いて、藤堂が目を見開いた。
爆発に巻きこまれていたら、今ごろふたりはぺしゃんこである。助かりようがない──。
12
アキラが目をあけると、桂の横顔が見えた。
普段は顔を合わせるたびに、いらぬ睦言を囁くその男は、床のなかの、髪の長い、見知らぬ美しい女の額にそっと触れ、いつくしんで、ほう、とため息をつく。
「……あの頃と、ひとつも変わらず、おかわいらしい」
一瞬、その男が心変わりをしたのかと、まだ寝ぼけたアキラはキレそうになったが、桂の口からこぼれる声は別の男のもので、ハッと我にかえる。
そもそも床に寝ているのは、女ではなかった。スズランだ。喋るといろいろ台無しになる破戒僧だが、顔の造作は整っていて、髪をおろして目を閉じている姿は女と見まごうばかり。
それなりの格好をして、目と口を閉じて座っていれば、御伽草子から出てきた若君のように映えるだろうに、大体はクソ寒い駄洒落を言うか、破廉恥なことをわめくか、荒っぽい面々に泣かされるかしているので、たまに麗しい色男だということを完全に忘れてしまう。
それでもやはり、きれいな顔ときれいな顔の距離が近くて面白くないので、むうとうめいていると、アキラが目が覚めたと知って桂モドキがふりむいた。
やはりアキラを見る目は、いつもと違っていて、そのせいで初めて会う人間のようで、居心地が悪い──いや、この男とは、本当に初対面なのだ。アキラはそう思い直す。
狐面を追いかけていたところで、アキラは後ろからスズランに体当たりを食らって押し倒され、直後に起こった爆発で吹き飛ばされて意識を失った。
するとアキラは、己を爆風から守ってくれたスズランとともに、この桂モドキに救われたということなのか。それとも、生きた人間ではない、得体の知れない何者かに、囚われたということなのか。
「友達がおらんのだ、この方は」
スズランの寝顔を見下ろしながら、桂モドキがささやいた。アキラは、そうだろうな、と思う。
うさんくさい生臭坊主である。女にもてるが、ろくに友達がいるようには見えない。破門されるような僧なぞ、もともと寺でも浮いていただろう。
そういえば、己も友達はいなかった。アキラは己をかえりみる。
どこの娘も右へならえで、口を開けば着物にかんざし、好いたの惚れたの意中の殿方だの──そんなものには目もくれずに、木刀ばかり振り回していたら、あの娘はヤバいと噂になって、アキラはいつもひとりだった。
女も男も、『なんか違う生き物がいるな』という目で、アキラを見た。
アキラが侍を殺して死罪になろうが、もしも──あの日、己を辱めようとした男どもに、抵抗かなわず強姦されて、家に帰って首でも吊っていようが、泣いてくれるような友人は、ひとりもいなかったのだ。
「友ならいるぞ」
アキラは腹が立ってきて、荒っぽく言った。
己はスズランが死んだら悲しいし、己が死んだらスズランは悲しむだろう。それが友というものではないのか。
仲間たちは皆、アキラが死のうが、スズランが死のうが泣く。馬鹿みたいに情にもろい奴らである。
サクヤは泣かぬだろうが、そのぶん怒る。その場で口では冷たいことを言うかもしれないが、相手を生かしてはおかぬだろう。
とすると今、スズランには友が何人もいる。いつもソウゲンとつるんでいるし、ギャタロウと酒を飲んで藤堂をからかい、一番星をおだててサクヤに嫌味を言い、ボウの腹の上で昼寝をしている。
そういうことを言ってやると、桂モドキはまぶしいものでも見たように、目を細めた。
「幼きころに貴殿のような友がいれば、この方の運命も変わっていたやもしれぬ」
「お主は、何者だ」
「私は芦塚大左衛門と申すもの。この方の家に三代つかえた家来でござる。……娘。頼みがある。しばしの間でいい。何も聞かずにここにいてくれ。私は、この方をお守りしたいのだ」
「信用に足るものかを見定めてもおらぬ者に、なぜと問わぬわけにはいくまい。生きた人間にとりついて操るしびとの魂が、良いものだと拙者には思えぬ。……今すぐに桂を自由にしろ」
アキラは、刀があれば斬りかかっていただろう。芦塚と名乗る男を睨みつけていると、スズランがうめき声をあげた。
崩落のときに打った頭を押さえて、「なに、昨日、また呑みすぎちゃったっけ」とぼやいている。まだ寝ぼけているのだ。
「せがれ殿。お目覚めになられたか」
「芦塚……。えっ。なんでいるの……お化け……?」
とろんとしたスズランの目に、とつぜん涙が、ぶわあ、とあふれた。泉から湧き出すように、こんこんと流れ出す。鼻をすすって、幼子のように泣きだしたスズランを、芦塚は孫を見るまなざしで見守っている。もらい泣きをしたのか、目じりの涙を指で拭った。
「なんで死んじゃったの……。自分でおなかを斬るなんて、そんなの絶対痛かったでしょ。病気のおじいちゃんが、何てことをしてるのよ、ばかっ」
「申し開きもできませぬ。お守りかなわず、無念にございます。……おお、幼き日のように素直で優しいせがれ殿を、久方ぶりに見て安心いたしました。元服のすぐあとグレて、まことに扱いにくいクソガキに育ってしまわれていたので、爺はこの先どうなることやらと、本気で心配しておりましたぞ」
「黒歴史の話はやめてぇ……。誰しもが通る道なのぉ……」
めちゃくちゃ身内会話なので、アキラは人の家に勝手にあがりこんだような気分になってきて、なんとなく気まずくて黙っていた。そもそも、ここは桂の家なのだけれど。
そばにアキラがいて、女の子に醜態を見られたことに気がついたスズランが、羞恥に悶える一幕もあったが──。
落ちつくと、スズランはまだ涙声だったが、アキラと並んで芦塚と向きあう。
「こんな形でも、君にまた会えたのはうれしいけど、桂さんとアキラちゃんに迷惑かけちゃだめだよ。僕が弔ってあげるから、もう安らかに眠ってて。なにがいい? 仏教神道キリスト教。祈り方いっぱい覚えたから、なんでもいけるよ」
「私は、神も仏も信じておりませぬ。信じるものは、ただ我が主君の命のみにございます」
「じゃあ、八幡神にする? うちのおじいちゃん、死んだら八幡神になりたいって言ってたでしょ」
「そうではありませぬ。せがれ殿も、もうさすがに懲りられたでしょう。数多の祈りを覚えても、信仰は何ひとつあなた様を救わぬ。人に魂あれども、神などおらぬのです。もしおれば、あなた様を呪って苛むばかりのその不届き者、この手で斬ってさしあげとうございますが」
「物騒だなあ……」
「……島原へ戻りましょう。故郷へ。せがれ殿、眠る者に声なぞかけても聞こえておりませぬ。しびとに捧げる無為な祈りなぞ、誰にもどこにも届いておりませぬ。もうよいのです。いくさの世から逃げて隠れて、己の在り様までも偽り続ける、あなた様のあまりに哀しき生き様を、爺は叱りはいたしませぬ。馬鹿な童を慈しみ、守り見届けとうございます」
「それはいくらなんでも口が過ぎるんじゃない、芦塚──」
スズランが低く、冷たい声ですごんだ。
この男は、しびとに捧げた祈りを軽んじられることを何より嫌うと、ソウゲンが言っていた。
獣が威嚇し毛を逆立てるように、おろした長い髪がぶわりとふくらむ。滅多に本気にならないこの男が、静かな怒りを見せると、姿も表情も急に別人になったようだ。
きれいな男ときれいな男が、本気で睨みあっている。普段は穏やかな男ふたりがやるから、余計に迫力がある。
桂が新選組の面々を怒らせた日には、屯所でこのような光景を見ることになるのだろうなと、アキラはいまひとつズレたことを考えていた。
「桂殿。土御門晴栄(はれなが)様が、お話があるとのご連絡です」
「そうか。出よう──申し訳ございません、せがれ殿。しばしごゆるりと。私は用ができましたので、これにて」
上役が亡霊に体を乗っ取られているとも知らないで、長州藩士が桂を呼びにきた。その口にのぼった名に、スズランとアキラは覚えがある。
土御門──安倍晴明直系の公家一族である。最後の当主、土御門晴雄は、雑面ノ鬼を率いて多くの罪なき民を惨殺し、奪った魂を霊式兵器に転じて、この国を混沌に陥れたのちに死んだ。
人の魂を利用する術を知る、土御門家の縁者。近ごろ京を騒がす『狐憑き』──。話が繋がる。
安倍晴明を現代に蘇らせた土御門家陰陽道の技ならば、長州藩士の男たちにしびとの魂をとりつかせることなど、造作もないはず──。
「土御門家は当主の晴雄を失ったあと、跡取りがいなくて断絶したはずだけど。君はいったい、その晴栄さんと何を企んでるのかしら?」
「あなた様は知らなくてもよいことです。ただ幼いころのように、蝶を追い花を愛で、男に守られておれば」
「そうやって、お姫様みたいにしないで!」
「お姫様でしょう。何やら京の町では、女好きの色男で通っておられるそうですが……。元服して己が男と認めても、幼きころに女人として育まれたお心は、今でも昔とお変わりがないとみえる」
桂にとりついた老人の亡霊が、こともなげに言った。
「喧嘩にちゃんばら、カエルを毛虫を投げてくるような、乱暴な男と遊ぶのが怖い。だからあなた様は、己と同じ、やわくて優しい女人とばかり遊ばれる。好色な遊び人をよそおうのは、女の顔をあらわにして女と遊べば、変わった男だと気味悪がられるからでしょう。
あの日もきれいな着物を着せられて、頭飾りにつかわれておられましたな。この爺は、二度と許しませぬぞ。──そのお心が女人なら、好いた男でもお作りになって、花をさしあげられるとよろしい。きっとお父上は許されましょう。かよわき女が、男の戦に口を出すことはなりませぬ」
「……さいてーっ!! ばかっ!!」
バチン!としもべに平手打ちをして、スズランは涙ぐんで逃げていく。
お姫様だ、とアキラは思う。仕草のひとつひとつがたおやかで、女に生まれていれば、非の打ちどころのないお姫様だっただろう。あと、桂はなにも悪くないが、最低だ。恨んで睨む。
殊勝な顔で「よろしく頼み申す」とか言っているお化けの横を通り抜け、部屋に戻る。スズランは隅で座りこんで、子供みたいにふてくされていた。
「……アキラちゃん。誤解しないでね。子供のころの話なの。今は違うからね。僕は、そこまでかっこわるくないのよ」
「あ、ああ! わかった」
「内緒にしてくれる?」
「拙者、口はかたいのでな!! その……安心するといい。お主は、おなごのくせに男を装う拙者を、気味悪いなどと言わぬだろう。もしも、今もそうでも、お互い様だ。拙者も悪くは思わぬ。あいつらとて……いや、ダメだな」
「サクヤちゃんなんか、めちゃくちゃ馬鹿にするよね。おえーって顔する、絶対する。あと、変なあだ名とかつけてくる。趣味が最低のやつ……きぃーっ」
「お、おほん。いや、子供のころの話と言ったが、おぬしは充分かわいいぞ」
「ありがと」
「拙者も、スズランのようなあざといかわいこぶりっこができればと、い、いつもうらやましく思っている」
「ほめてくれてる、それ……? んん……? アキラちゃん、人を慰めるの下手すぎじゃない……?」
* * *
見張りをつけられて軟禁されてはいるものの、それなりに丁重に扱われているスズランとアキラは、仲間にどう連絡をつけようか悩んでいた。非力な坊主と女である。武器はない。詰んでいる。
しょうがないので、勝手に家探しをして春本を探したりしていた。『ぜったいエグい性癖の本がある』派のスズランと、『桂は春本なんか読まない』派のアキラの意見は交わらず、そのうちふたりとも飽きてきて、縁側に出て桂の金で高い菓子をむさぼり食いながら、ダラダラと喋りはじめた。
「小さい頃はね、すてきな殿方に、かんざしをもらってみたいって夢見てたり。かわいいって言われてみたいなーとか、僕は誰にお嫁にもらってもらえるんだろ、すてきな若様がいいなとか。男をお嫁にもらってくれる物好きはいないけどさ、何も知らなくて、本当にそう思ってたの。
ある日、急に髪を切られて、男の人たちによってたかって、お気に入りだった鈴蘭の着物を脱がされて、ぜんぜんかわいくない男の子の服着せられて、お前は立派な日本侍だ元服だって言われて……そのあとのこと、びっくりしすぎて気絶しちゃって、ちょっと覚えてない」
「そうか、拙者は男がよかったのに、ままならないものだな。とりかえられればよかったのだが、好きなほうに。ソウゲンに頼んでみるか」
「驚かせちゃうんじゃない? さすがに」
赤くなった顔をしかめているアキラの横で、スズランはくすくす笑う。
「なにも考えない癖がついちゃってたのよね、結局。だから、生まれ変わって、正直スッキリしちゃった。僕、新選組に入ってからの今の暮らしが、人生でいちばん楽しいんだよね。いろいろ荒っぽいことあるし、大変は大変だけどさ」
『桂』と長州藩士が出て行ってしばらくしたころ、玄関のほうからドタバタと、誰かが争うような物音が聞こえてきた。
屋敷が襲われている。新選組の仲間たちが助けにきてくれたのか──。
「しかし、どうやって拙者らの居場所がわかったのだ?」
「ソウゲンちゃんなら、なんでもわかるからわかるかもしれないけど」
襖が荒っぽく開いた。現れたのは、新選組ではない。
見たこともない顔の男たちである。
「桂先生が抜け駆けして捕らえた金づる坊主ちゅうさあ、お前か」
浪士連中の頭の男が、ドスの効いた声ですごんだ。
13
アキラとスズランは、桂の屋敷に押し入ってきた浪士連中に捕まって、どこかへと運ばれていく。死罪になったとき以来、久しぶりに頭にかぶせられていた麻袋を取られると、あたりは深い闇。
目が慣れてくると、蔵の中だと見当がついた。
「さて坊主に女。桂先生にも同じことを聞かれたじゃろうが……。今のうちに金の在り処を洗いざらい吐きゃあ、痛い目を見んで済むで。意気地なしの桂先生はお優しいけぇ、無体なことをせんと思うちょるじゃろうが、わしらは違う。幕府の犬どもとのいくさ支度は、時間が勝負じゃ、死んでも今すぐ吐いてもらう」
アキラは、壁に立てかけられている道具に、嫌になるほど見覚えがあった。サクヤがよく使っている拷問道具だ。蔵のなかは音を立てても外に聞こえにくいから、捕まえた敵方の者を痛めつけて、口を割らせるのに向いている。
すると自分たちは、これから拷問をされるのか──そう思うと、アキラはぞっとした。侍たちが、あの日と同じ下卑た目で見つめてくるので、体が震えるのが情けない。
隙を見て、相手の刀を奪うしかなさそうだ。己がなんとかしなければならないのだと、アキラは自分に言い聞かせる。
スズランは非力で、荒事はからっきしの根性なしである。だからアキラが守ってやらねばと──。
「あれ、この娘も拷問しちゃう?」
「いっしょにおったんじゃ、お前の女じゃろう。先に女を拷問すりゃあ、ちったあ口が緩うなるか」
「僕は知らないよ。この娘、桂小五郎さんの婚約者なんでしょ。ひどいことしちゃ、君たちがあとで困るんじゃないかな」
余裕ぶった顔をして、スズランが言った。ホラを吹くのが、なるほど堂に入ったものである。
──断じてあの男は婚約者ではない。結婚を申しこまれたが。かなり心が揺れたが。自分は京を守る新選組の一員であり、女としての幸せよりも、仲間とともに歩む剣士の道を選んだのだ。
何を喋り出すのだとスズランに文句を言いたいのに、アキラは呑まれたようになって声が出ない。
「君たちのことが知りたくて、彼女にちょっかいかけようと思ったんだけど……。いや、悪いことはするもんじゃないな。君も……名前も知らないけど災難だったね、かわいいお姉さん。こんなことに巻きこんでしまって、そこは君の良い人には申し訳なく思っているよ。僕は、女の子を困らせるのは好きじゃないんだ」
「け。色男がよう。ペラペラと調子のええことを喋りやがって」
ニヤニヤと笑うスズランの顔に、浪士が面白くなさそうに唾をはく。
アキラの目の前で、スズランの唇が音もなく開く。
──逃げて。皆に知らせて。
そういう形に動く。アキラは蒼白の顔で、拳を握りしめる。
またスズランの掌の上で転がされている、と感じる。アキラが桂の名前と女の身の上を利用してひとりで脱出し、仲間を連れて戻るのが最善だ。
しかしそれでは、危険な目にあうのはこの男ばかりではないか。受け入れがたいが、ほかに道がないことも理解はできている──。
「桂先生の女ちゅうさあ本当か、女。名は」
「い、幾松いいます……。京の……三本木の、芸妓……どす」
「三本木の吉田屋に、桂先生が女目当てで通い詰めちょったのは確か。……まあ、女ひとりに何ができるのかちゅう話じゃ。おい、幾松は屋敷へ戻してこい。桂の女に手を出したら面倒じゃ。ありゃ、何を考えちょるやらさっぱりわからんけぇな。坊主のほうは好きにしろ。口を割らせるためなら、何をしても構わん」
浪士のひとりが、アキラの腕をつかんだ。
かよわく震える女の体を、好色そうな醜い面で撫でさする。
アキラの震えは演技ではない。怒りと、仲間を置いていかなければならない苛立ちからくるものだ。
「こらこら、やらしーことしちゃダメでしょ。お兄さんたち。桂さんに言いつけちゃうよぉ」
スズランが茶化すようなことを言って、アキラに触る男をからかった。
これはふざけているように聞こえるが、本当は怒っているのだろうと、アキラにはわかる。
(スズラン。すまぬ。耐えてくれ。拙者は土方副長たちを連れて、すぐに戻る)
アキラは心のなかでつぶやく。男たちは、スズランの口を割らせろと言っていた。
それならば、情報を聞き出すまでは殺されはしないだろうが──新選組で荒っぽい男たちにもみくちゃにされるたびに、いつも悲鳴をあげるか弱音を吐くか、地面に大の字になって「おそらきれい」とかぼやいていた根性なしのスズランが、はたして拷問に耐えられるのか。
気がかりがすぎて、アキラは後ろをちらりを振り向いた。
スズランの整った顔に、熱した焼きゴテが押し当てられるところだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーー……ッッッ!!!???」
いつもの情けない悲鳴ではない、気管が裂けたような、初めて聞く声でスズランが絶叫する。
じゅうううう、と、おぞましい音が響きわたる。
すぐに、人の肉と髪が焼ける、焦げくさいにおいがしてきた。
「な……っ!? おい、な、なにを……何をしてる!?」
「顔の綺麗な男は、気に食わんけぇなぁ。なに、どうせもうあの坊さんは、お日さんの下を歩くこたぁねぇよ。桂先生の女に見せるもんじゃねぇ。さっさと忘れるんじゃのぉ。アンタの男によろしゅう伝えてくれよ」
浪士の男の大きな体が割って入ってきて、アキラが見慣れた、ひょろっこい袈裟姿が見えなくなる。
スズランの名前を叫びそうになるのを必死にこらえて、アキラは拷問部屋に背を向ける。
仲間を呼ばねば。一刻も早く。グズグズしていると──スズランが殺されてしまう。
元闇殺しのサクヤのやり方とはまた違う、拷問の意味すら何も考えていない、素人が無茶苦茶に相手を痛めつけるだけの行為がはじまった。背中のうしろから、恐ろしい物音が、どこまでも追ってくる。
「……はは。死ぬるかもなあ、坊主」
「殺しはせんじゃろう。金のありかを吐き出してからだ。じゃけど、あの馬鹿野郎、顔からやりやがった。よっぽど色男が憎いと見える」
「ああ、残念じゃのぉ。女みたいにきれいな顔をしてやがったけぇ、戻ったら尻を犯して啼かせちゃろうと思うちょったのに」
「儂は、よう動く口を使いたかったそに、あねーな焼けた面じゃ、膨らんだマラもしぼんじまう。化け物じゃ。女が見たら失神するで、けけ」
浪士連中が、和やかに笑いあっている。
男たちの暴力と身勝手な欲望が、仲間のスズランに向けられているのだとアキラが悟った瞬間──ただの町娘だったころに、侍どもに集団で囲まれて暴行されかけた、己の過去の記憶が重なった。耐えきれない。
アキラは吐いた。
「これじゃけぇ、女ちゅう奴は」
アキラの弱さをあざける、卑しい笑い声が降ってくる。
* * *
意識が落ちかけていたのを、水をかぶされて引き戻される。何度目だろう。
迫害を受けるキリシタンには、よくあることだ。拷問をうけて、祈りを捨てろと脅される。
最期まで信仰を捨てずに命を落とした人たちをよく知っているし、その人たちの魂が安らかに眠れるようにと祈ってきた。
それは、本当の信仰だろうか。
そうでなければ──これまで捧げてきたスズランの祈りは、いったいどこに届いているのだろう。
顔の左半分に焼けた鉄の板を押し当てられて、視界が片方なくなったのは、もうずっと前だったような気がするが──まだほんの一瞬前だったのかもしれない。時間が、引き延ばされているように感じる。
鉄の棒で後ろから頭をどつかれた衝撃で、スズランの、焼けただれたほうの顔面から、食いしばりすぎて割れた歯の欠片と、白濁した目玉が落ちて転がっていく。
「ほれ、坊主。さっさと吐かんと、仲間のかたわのガキと同じになるで」
刀というにはあまりにも鈍い、手入れもろくにできていない刃を、左足首に押し当てられて脅される。
これは拷問ではない。私刑だ。
この長州藩浪士は、サクヤのような拷問技術を持っていない。本職の闇殺しは、情報を聞き出すまでは相手を殺さない。
素人だ。だからこそ、これは殺されるかもしれないと、スズランはうっすら覚悟した。
──なまくら刃の鋸挽き。痛いだろうなあ。ゾッとする。
しかし、なぜか藤堂にこだわる。スズランは訝ったが、なるほど、と腑に落ちる。
新選組に仲間を殺された浪士が思い浮かべる仇の姿は、藤堂平助その人なのだ。一度見たら忘れられないほどに、あの子の姿には凄味がある。欠けた体を動かす意志の強さに、圧倒されるのだ。
「あらぁ……。藤堂ちゃんが、そんなに怖いんだねぇ……」
スズランは意識が定まらなくなって、つい、一番星みたいによけいな口をきいてしまった。
案の定、怒りすぎて顔色を真っ黒にした浪士が、刀をぎいこぎいこと前後に引いて、大根を切るように、スズランの足首に食いこませ始めた。痛い痛い。血を流しすぎて、もう大声も出ないけれど、口から血の色をした泡があふれてきたし、失禁して法衣も袈裟もびしょびしょになる。痛い。痛すぎて、わずかのあいだ失神していたら、気がついたら左手首も同じように無くなっていた。藤堂とおなじに──。
「ざまあのぉ。弱いくせに、生意気なことを言いやがるけぇこうなるんじゃ」
拷問部屋の扉が爆発した。
火薬の煙を切り裂いて飛んできた刀が、スズランを嬲っていた男の頭を突き通す。
この輝きは、アキラの刀だ。菊一文字を携えて戻ったということは──。
皆が助けにきてくれたのか。
「──スズラン!」
藤堂が飛びこんでくる。
スズランの姿をみとめるなり、鬼のような形相をして、ぐいと顎を動かす。すぐうしろに控えたサクヤが、和泉守兼定をひらめかせた。
縄で縛られ、吊られていた体が落っこちていく。藤堂が、小さい体で無謀にも、よろめきながら受け止めてくれた。
一番星が言った通りだ。藤堂は、じっとしてなんていられない性分だ。鉄砲玉みたいに、いちばんに飛び込んでいく。動かない体も動かしてくる。
とても強い精神力で、そういうところが好きだった。スズランは、にこりと微笑んだ。
「……えへっ。藤堂ちゃんと、おそろっちなっちゃった~」
「馬鹿者。ほかの奴らも、生かしてはおかん。私の仲間をこのような目にあわせた奴らを、全員目にもの見せてくれる」
「承知した。そのようにしよう」
納刀したサクヤの、冷たい視線が落ちてくる。
もうスズランを見限る目をしている。元闇殺しは、そういう判断の速さが身についているのだ。
──ぐい。サクヤが、スズランの胸倉をつかんだ。
「誰にやられた。全員だ。言え、ハゲ鼠」
「僕を拷問しないで!?」
「スズラン殿」
穴倉の闇のなかから、ソウゲンの長細い体が、ぬう、と現れた。
サクヤから、片手で吊り下げているスズランを受け取る両手が、あまりにも優しい。
「お迎えにあがりました。もう心配ないのです。スズラン殿に無体を働く輩は、死にました」
「助けにきてくれてありがと、ソウゲンちゃん。みんなも」
スズランはソウゲンに、穴があきそうなほどまじまじと見つめられて、気恥ずかしくなってきた。
手入れをかかさなかった髪は、切られてざんばらになって、ところどころ焼けて焦げている。それが妙に気になる。
(というか、はげちゃってない? 左の生え際あたり)
焼けただれた醜い顔は、自分でも見た。木桶の水面に映されて、『ええ男の顔が、こねーに不細工になってしもうたな』と、嬉しそうに嗤われて──。そのあと水責めにされたから、よく覚えていない。
今はどんなふうになっているのだろう。目玉も片方、そういえば、どこかへ行ってしまったのだっけ。
お化けの顔になっている。
「あんまり見ないでね、恥ずかしいから」
スズランはモジモジとしながら、闇の中でささやく。
いい年をした男が、純情無垢なお姫様でもないだろうに。ソウゲンは、遺体を嬉々として解剖する男だ。スズランの顔がどうであれ、なんとも思わないだろう。
ただ、元の形が残ってるときに、どう思うかとか、どこか好きな形をしたところがないかとか、ソウゲンなりの感想がほしかっただけで──。
(いや、いつまでふざけてるつもりなのよ、僕は。こんな時にまで)
ソウゲンが長い首を伸ばして、スズランの片目の視界に迫ってくる。
蛇に睨まれたみたいで、首筋がぞわぞわする。
「お花、枯れちゃったねぇ」
スズランは、ソウゲンがいつか花にたとえてくれたことを思い出して、焼かれた顔で笑った。
「枯らしません」
穏やかな声が、揺れもしないで落ちてくる。いつもどおりだ。
医者は患者の前で感情を揺らさない。習性だ。知っている。
それでもスズランは、ソウゲンにそう言われると、『なんかわかんないけど、大変なことになってるけど、僕は今回も大丈夫なんだなあ』と安心した。
「スズラン殿。ここに天才がおりますゆえ、ご心配なく。傷を診るのは医者の十八番。あなたの体は、小生が跡形もなく治してみせるのです」
「うふふ、頼もしいよ、ソウゲンちゃん。これじゃ、女の子にモテなくなっちゃうもん」
スズランの腰に、ソウゲンの手がまわる。抱きあげてくれようとしたのだろう。それを、やんわりと押し返す。かわいくない顔、ソウゲンちゃんに見られたくないの、と口の中でつぶやく。
ソウゲンにはきっと、意味がわからないだろう。
女の子が、お化粧が崩れたところを見られるのを嫌がる気持ちが、今は自分ごとのようにわかる気がする。この男には、いちばんかわいい顔を見ていてほしい──いつも自分がそう思っていたことに、スズランは今更気がついた。
(なんだそりゃ。僕はそんな柄じゃないし、ソウゲンちゃんもそういう感じじゃないでしょ。女の子見ても盛り上がらないし、かといって男が好きなわけでもないし、そもそも興味がなさそうだし。
そんな人が、いくらなんでも、顔の崩れたお化けみたいな、ついでにちょっとハゲちゃった男に、かわいいとかなんとか思うところあるわけでしょ)
きっと明日の夜には、なんでもない顔をしてソウゲンと並んで、酒を飲んでいるはずだ。これは手ひどくやられましたねえ、なんて言われながら、においのきつい薬を塗られているだろう。
こんなふわふわとした、つかみどころのないくせに持て余す不思議な気持ちは、屯所に戻って酒を呑んだら、忘れてしまうに決まっている──。
「ソウゲンちゃん、抱っこ大丈夫だよ。手がふさがると危ないでしょ。荒事の役には立てないけど、ごめんね」
「しかし、あなたは足が──」
「もー、いけるいける。女の子の前なんだから、かっこつけさせてよ」
「……承知。では、参りましょうか」
ソウゲンはすぐに引き下がって、患者のやりたいようにさせる。
スズランは、受け取ったエレキテル錫杖に体重を預けて、「斎藤一さん、お世話になるねぇ」とか言っている。
痛みを感じている様子がない。荒事の最中なので、神経をはりつめて、一時的にそうなっているからなのか。それとも、すでに体の機能が壊れているのか。それは、診てみなければわからないが──。
人間は、頭が冷えれば体も冷える。脈拍が減る。冷汗が出て、中身に異常が出てくる。
スズランは真っ青な顔だ。血を流しすぎている。今は命のやり取りのさなかで興奮状態にあるが、止まれば冷静になってしまう。その時に、これは死ぬなと思ってしまえば、本当に死ぬ。
いくさ場では、死にかけているギリギリのところで救われたような半死人は、しばらく仲間にぶん殴られることがある。気が安心して意識が落ちれば、そこでそのまま死ぬからだ。
危なっかしく、ひょこひょこと片足で歩くスズランを、ソウゲンは横で支えてやる。処置できる場所に着くまでは、患者の意識を死からそらさねばならない──。
「藤堂ちゃんのことよく見てたから、義足の使い方はわかるよ。参考にね」
新選組が来たと悟って、拷問部屋に不逞浪士がなだれこんできた。たしかにスズランのいう通り、ソウゲンに抱っこの余裕はなくなった。
「竹馬みたいなものだよね」と、スズランが自分に言い聞かせるように喋っている。むごい目に遭わされたばかりなのに、いつもと変わらぬ呑気な声で。
* * *
日々、繰り返し行なってきたような鍛錬で、基礎体力をつけるのはともかく。ナントカ流だとか、なんやかんやの構えだとか、書に記されて広く知られているそれらは、混戦になったとたんに役に立たなくなる。
いくさ場では、ただ人と人とでもみくちゃになって、重い鉄の棒切れで殴りあう。刃は何人か切ったら血と脂で汚れて、切れ味が各段に落ちるからだ。
何人斬ったか。サクヤほどの規格外の強さがなければ、並みの侍は、そんなものは数えている余裕がない。刀なぞロクに握ったこともない者ならば、なおさら。
ソウゲンは医者である。手術道具の扱いに長けてはいるが、刀を振るのはそう慣れていない。何人斬ったか。あと何人か。爆薬が使えればそんな些末は気にせず、すぐに事は済むのに、狭所であるのが恨めしい。
はやく患者を安全な場所へ連れて戻り、診てやらなければならぬのに──。
患者に死なれるのがいちばん嫌いな医者は、もちろん診察を邪魔されるのが大嫌いだ。今は血を止め、痛みをごまかしてあるだけ。早く正しく処置しなければ、手遅れになるという、焦りがあったかもしれない。
冷静ではなくなっている己というものを、もう一方で冷静な己が認識している。その耳のうしろのほうから、ぶうん、と空気を切り裂く音が迫ってきた。
闇にまぎれて、鉄の棒が降ってくる。さては頭でも割られるかと、うそ寒くなる。
「──ソウゲンちゃん!」
スズランが、自分の体が欠けても泣き言を言わなかったくせに、せっぱつまった悲鳴をあげた。
ソウゲンの体が浮いた。スズランが、片足でよくもそこまでの力が出るものだと驚くほどの、強い踏みこみで突進してきた。
スズランに、ひとまわりふたまわりは大きなソウゲンの体を、突き飛ばすほどの力があるとは信じがたいが──いつも逃げ足だけは早いから、そこだけ鍛えられているのだろうと、意識のうちの冷静な医者の部分でそう納得する。
ソウゲンの視界に、花のようにほころぶスズランの笑顔がとびこんできた。
なぜ笑うのか。そんなにも痛々しい体になってしまっているのだから、喜ぶ理由がわからない。
幼子が、大事な宝物を見つけたかのように輝いているその顔は、むごたらしく焼け崩れているのに、スズランがソウゲンに見せた顔のうちで、いちばん美しい。今までソウゲンが重ねてきた人生の中でさえ、これほど眩いものはない。
花は、咲いて散る姿さえ美しいのだ──。
そう胸のうちに浮かべた瞬間、ソウゲンが今までスズランといるときに感じていた、説明のつかない奇妙な心と体の動きが、ひとつの点に収束していく。ようやく形を成した。
──この男が、いとおしい。
人を慕うことが、こんなにも心地のよいものだったとは知らなかった。
男と男の、子もなせない、何か物悲しいようなつがい方が、それがいざ己の身の上に降り注ぐと、これまでの記憶のそのすべてが、なにか甘い蜜のように変わるような気さえする。
スズランの口が動いて、何か言った。そこへ──。
浪士が手に持つ、どこかで野垂れ死んだ侍の躯からはぎとってきたような、なまくら刀が滑りこんできた。スズランが斬り開かれていく。
スズランの体は、鍛錬を面倒がって逃げてばかりだから、いつまでも柔らかくて脆い。それがほどけていくのを、ソウゲンは見ていた。己も同じように思っていると、伝える暇もなく──。
不潔な刃が、畜肉をたたき切るような無作法で、四方から落ちてくる。斬られたスズランは、あっという間に解体されて、泥にまじって踏みつけられていく。
スズランが身を挺して防いだ浪士の刃が、今度こそソウゲンへ向いた。
ソウゲンの目は、そうなっても、土の上にひろがって咲いたスズランに惹きつけられたまま──山南敬助の魂が宿った赤心沖光の刃を振るう。
スズランを腑分けた男たちを殺す。足元の土の上で、不逞浪士どもの新鮮な死肉から噴き出した血が、愛しいスズランのかけらと混ざってしまったので──。
「──ああ」
ソウゲンは耐えがたいような気がして、思わず声を漏らした。
手塩にかけて育てた大事な娘が、狼藉者に手籠めにされているところへ踏みこんだ父親のような──そんなむなしい、魂の抜けおちた声を。
* * *
散らばっているスズランを、ソウゲンは拾い集めていく。何人分もの肉片が混ざってしまっているなかで、ひとつも間違いなく、鑷子を使ってこぼれたものを袋に入れていく。
落ちていくところをつぶさに観察していたから、手つきにすこしも迷いがない。
「──大丈夫です。問題ないのです。ご心配なく」
闇の中に、気の抜けたような、いつものソウゲンの声が、穏やかに響いた。
スズランに逃がされたおかげで、無事に屯所へたどりついて、仲間を連れて戻ったアキラが息を呑む。
「何が問題ないというのだ? スズランがこんなふうになって、お主は、あんなにも仲がよかった相方に、もうすこし……かけてやれる優しい言葉が、何かないのか!」
そこで、違和感に気づいて口をつぐむ。
ソウゲンと目が合わない。仲間の誰にかけられた声でもない。
スズランの無残な遺骸に、優しげに語りかけている。
「見ないでほしいと、そう仰られましても。何も恥じることなどないでしょう。顔の傷など気にされずとも、そんなものは……。スズラン殿? おや、寝ておられるのですか」
皮とわずかな肉で、胴体からぶら下がっただけのスズランの頭を抱いて、ソウゲンが優しく言った。
開いたほうのすみれ色の目を、すうと撫でれば、躯の薄い瞼が閉じている。
「ふふふふ。幼子のようにあどけない顔で眠られて、あなたという人は、これだから……おかわいらしいですね」
ソウゲンが嗤う。その風体に異様なモノを感じた仲間たちの、ぞっとしたような顔に目もくれず──。
「ご安心ください、スズラン殿。どうか、今はお辛いでしょうが、心を乱されませんよう。医者がここにおりますゆえ。先ほど、この口で確かに申し上げましたとおり、小生がすぐに元の姿に戻してさしあげますので──」
* * *
──すこしだけ、時をさかのぼる。
長州藩、十三代藩主毛利敬親の住まう萩城、地下。
暗闇のなかに、不可思議な光を放ちながら駆動する、大がかりな鉄のカラクリ仕掛けがある。
どこからともなく、仄かな光の粒が蛍のようにたちのぼり、卵に似たまるい形のカラクリのなかへ吸いこまれていく。
おおん、と人の啼くような音が鳴った。
奇妙な狐面をかぶった男が、カラクリ仕掛けに向かいあっている。
南蛮人の血がどこかに混ざっているのか、髪は月の光のごとく淡い金色。いまだ少年にも見える、細身の若い男である。
冷たいカラクリの表面に、そっと手で触れる。
「魂がお降りにならない。考えられるとすれば……この動乱の世のいずこかに。あの乱から二百余年のちの日本の地に、いまだ神の奇跡において──」
男は闇の中で、老人のような低い声を漏らして、かすかに笑んだ。
「生きておられるのですか。キリシタンの救世主、天草四郎時貞様は──」
制作:紫鈴堂(旧gokamoka)」
著者:えしゅ
初めて書いたソウスズのお話です。
新書版/500P/FC表紙&カバー&ブックケース付属
紙の本をとらのあな様にて頒布中です(大幅加筆あり)