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拝啓、遊城十代君。
お元気ですか。オレは相変わらず元気です。能無しのおジャマどもに足を引っ張られようが、小生意気な後輩に嫌味を言われて心がくじけそうになろうが、毎日上手くやっています。
時に進学もせず就職活動もせず、のんべんだらりと観光旅行を続ける人生の負け組の君に、今日はひとつお願いがあります。
今すぐオレと決着をつけろ。この馬鹿が。
丸藤プロリーグにていつまでも君を待っています。
この果たし状を受け取ったら今来い。すぐ来い。お前の万倍多忙な万丈目サンダーを待たせるなど許さんからな。
今はオレの恨みの炎に焼かれて、泣きっ面で命乞いをする君の事ばかり考えています。
君の生涯のライバル、万丈目準より。
* * * * *
会場のエントランスホールに設置された喫茶スペースには、営業時間はすでに終わっているために、この丸藤プロリーグの最高責任者の一人である丸藤翔と、兄貴分の遊城十代の他に人の姿はない。
翔はテーブルに肘をついて紙のカップを両手で包んでいる。湯気を立てているインスタントのカフェオレに、まだ口を付ける気配はない。猫舌だった覚えがある。上目遣いで、隣のテーブルに行儀悪く腰掛けている十代に訪ねた。
「『恨みの炎』とか書いてあるけど、アニキなんかやったの?」
「まるで覚えがない。でもかなり本気の匂いがするだろ? 船をキャンセルして戻ってきた」
十代が翔へ向かって、墨書きの手紙を小さな旗のように振る。面白そうに言った。
「まあ、万丈目くんの唐突な逆恨みは今に始まったことじゃないしね。そんなことよりアニキ。今年の夏の大会なんだけど、スポンサーがまだ決まってないようならボクらにやらせて欲しいんだ。ボクはアニキの力になりたい。それに発足したばかりのうちのリーグにとっても、今みんなが注目してるアニキのスポンサーになれるのはすごく名誉なことだと思うんだ。知ってるよ。<決闘王>武藤遊戯と互角の戦いをしたんでしょ?」
翔が真剣に言った。
デュエル・アカデミア本校を卒業したばかりの頃はお仕着せのようだったスーツも、最近は幾分馴染んで見えるようになった。しかし十代は、弟分の申し出に首を横に振る。
「オレひとりの力でどこまでやれるもんか試したい。気持ちは嬉しいぜ。ありがとな」
「もう。最近のアニキは人の好意を無下にしすぎッス」
「……思い当たることが多過ぎる」
「え、自覚あったんだ。でもね、アニキがそう言ってもやっぱりボクはアニキと一緒にいたいよ。最近のアニキってば、ちょっと目を離すとすぐに音信が途絶えちゃうんだから。ねぇ、この前あれ欲しがってたじゃない? シリアル・ナンバー入りの限定版ブラック・マジシャンのフィギュア。あれをあげるからさ……ねっ?」
「い、いや、だからそーいうのとこれは別で」
<ブラック・マジシャン>と聞いた途端に、十代が顔色を変えた。テーブルの上で落ち付きなく脚を揺らしている。餌を目の前にぶら下げられた野良犬の顔になっていた。十代が、憧れの武藤遊戯の名前を出すと骨抜きになってしまう癖があるのを、弟分の翔は知り尽くしていた。
「お前だって大切にしてるじゃないか? あれ」
「いやね、あのフィギュアって師弟セットでポーズを取ってるじゃない? ボクはブラマジガールだけ欲しいというか、正直ブラック・マジシャンを持て余しているというか」
「翔、お前……とりあえずブラック・マジシャンと遊戯さんに謝れ」
十代は半目になって、翔の首に腕を回して締め上げた。「ギブギブ」と翔が笑いながら十代の袖を叩く。アカデミア時代そのままのじゃれ合いをしている。
「十代か。とっくに出発したものだと思っていたが」
二人の後ろから、珍しい姿に目を留めたのだろう、亮が十代の頭に手を乗せた。
「ああ、戻ってきたんだよ」
「翔。やめておけ、お前の兄貴分がどういう人間かは、お前が一番良く知っているはずだ」
「そうだけど……でもね、ボクはずっとアニキとお兄さんの背中を目指してきたんだ。いざ一人立ちするぞって覚悟は決めても、目標が急に消えちゃうってすごく寂しいものなんだよ」
「一人で歩くとはそういうことだ。寂しいが、見晴らしはいい。そうだろう十代」
「そうそう。カイザーの言う通りだぜ。そういうもんなのさ」
十代が調子良く亮に合わせる。翔は拗ねたような顔になって唇を尖らせた。
「うそつき。アニキったら絶対寂しいとか思ってないでしょ?」
「機嫌直せよな。これでも食えよ」
十代が、荷袋を漁って淡いブルーのパッケージを引っ張り出し、翔に押し付けた。「土産」と笑う。包み紙にはイルカの絵が描かれていて、<イオ名物・アクアクランチ>と丸いロゴが入っていた。翔が微妙な顔になる。
「水族館にでも行ってきたの? チョコレートクランチなんてお土産のテンプレじゃない。アニキらしくないな。もらって困るヘンなタペストリーとか買ってきそうな人なのに」
「そういうの選び方から何からうるさい奴がいてさ……。そんなわけで、実質あいつからってことになるな」
「げ、元気そうで何よりだよ」
十代の口振りからそれと悟った翔が、頬を引き攣らせて愛想笑いをした。土産物屋で、十代の後ろからあれこれと口を出すユベルを想像したのだろう。
「しかし、何故お前がここにいる」
今更に亮が不思議そうに首を傾げる。
「サンダーに呼ばれたんだよ。ほら。果たし状だって」
十代が、万丈目から受け取ったという手紙を広げて見せた。
「なんだ、これは」
「あれ、お兄さん知らないの? てっきりボク、お兄さんの方に万丈目くんから話が来てるもんだとばかり」
翔が兄と揃いの方向に首を傾けた。
「―― それについては、ボクから説明しよう!」
唐突な大声が響いた。翔が、亮が、十代が、揃って振り向く。重なった視線の先には、スーツ姿で天上を指差す男がいた。誇らしげな仕草で、どこか浮世離れして見えた。天上院吹雪。共通の知り合いの姿を認めた三人の表情が同じものへと変化していく。
「ああ……納得した」
「なるほどなー」
「うちのリーグ会場を勝手に娯楽に使わないで欲しいッス。いい歳して落ち付きないなあ」
翔が不満そうに鼻を鳴らした。
吹雪は、翔の嫌味が聞こえてはいるはずだったが、自己陶酔した表情のままだ。気高く天井を指していた腕を下ろすと、ふと怪訝になって、背中の後ろから腰に掴まり、いつもよりも青白い顔をしている藤原の肩を気安く叩いた。
「藤原、キミびくびくし過ぎ。十代くんは悪いことをしてない子には噛みつかないから大丈夫だよ」
「いや、分かってはいるんだけど……」
「心配ないさ。それよりもキミがボクに抱き付いてお姫様をやっているままだと、ボクとしてはキレよく腰が振れなくて困るよ」
「あいつらの誰もそんな事は望んでないと思うよ」
亮が、普段は見せない同情の目を十代にやった。
「どうやらお前は吹雪に目を付けられたらしいな」
「オレ? なんで?」
「理由はわからない。お前も災難だが、あいつが飽きるか別の面白いものを見付けるまで耐えるしかない」
「相変わらず慣れてんなカイザー。なんか、藤原も」
「腐れ縁だからな」
十代と亮の横を、小さな肩をいからせて翔が通り抜けていく。スーツの内ポケットから書類の束を取り出して、強引に吹雪に押し付けた。
「吹雪さん。会場使用申請書と利用料請求書ッス。いくらお兄さんの親友でもビタ一文まかんないッスからね」
吹雪は感心したふうに幾度かまばたきをして、額をぴしゃりと叩いた。
「いや、しっかりした弟さんだねぇ。亮がいつも自慢してるだけのことはある。あ、サインはここでいいかい?」
「はい、あー、サインはそういうサインじゃなくて……普通に漢字で書いて欲しいッス、普通に」
吹雪が書類の署名欄に洒落て<10JOIN>と記入する。翔は事務的な様子でこの年長の元同級生を窘めた。
新設とはいえ、ひとつのプロ・リーグを預かる身としての責任感からの口出しなのか、弾けている状態の吹雪への信頼に今一つ欠けるのか。十代には全面的に甘い顔をしている所を見ると後者なのだろうが、すでに半分諦めているようだった。
藤原が、そこへきてようやく目の前の十代の姿に馴染んできたようで、まだ少しへっぴり腰のまま顔を上げた。不思議そうに辺りを見回す。
「あれ? あいつは一緒に出てこなかったのか」
「あいつ?」
翔が首を傾げる。藤原がこちらを見付けて「あっ」と声を上げる。顔がまた茄子のように青くなる。つられるようにして翔も首を回したが、こちらと目が合うと何も見なかったふりをして吹雪の相手に戻った。
亮はしばらく立ちんぼうでいたが、友人たちがしばらくこの空間に居座るらしいぞと判断したようで、椅子を引いて腰を掛けた。少し微笑んで十代を見つめた。弟や明日香に向けるものと同じ目だ。
こちらは初対面で殺気を向けられたことを良く覚えている。ヒールの恰好もあいまって、恐ろしく凶悪な男なのだと思っていたが、今はとても優しい目をしている。元々がこうなのか、あれから何かの心境の変化があったのかはわからない。
「大きくなった」
亮が目を細めた。
「急になんだよ、じーさんみたいに」
十代はくすぐったそうににやにやして、「どうせなら『綺麗になった』って言ってくれ」と芝居がかった調子で言った。
「?」
「なんてなー」
レイの真似だと笑いながら、十代も亮に倣って椅子に座り直す。土産のクランチの包み紙をほどいて、がつがつと口に運んだ。どの辺りが土産なのかがわからなくなってきた。亮はそんな十代に孫でも見るような目を向けている。十代の言うように<じーさん>の目だ。
十代自身も良くそういうふうに、深い挫折を知って子供ではいられなくなった者の目をする。大抵は同級生の翔や万丈目に向けられる。亮と十代が並んで談笑していると、どこか老人同士が日向ぼっこをしながら縁側で将棋を指しているような雰囲気がある。これでもこの二人は、片方は成人して間もなく、片方は未成年だった。
「お前は、変わらなくて良い所は変わらない」
亮が十代の頭を子供にするようにゆっくり撫でる。少し羨ましそうでもあった。十代は微妙な顔になって、困ったように眉を寄せる。
「……やっぱり、ヤじゃないんだよなぁ」
「どうした」
「んーん。最近友達がヘンなんだ。だから。カイザーのはイヤじゃない」
どこかふてくされたような言い方だった。
そばで鈍い音がした。こちらの、万丈目の怒りに一応の責任を感じて吹雪達と一緒に会場へやってきたが、再会の<劇的なタイミング>というものを計る吹雪に付き合い、また親密に話し込んでいる十代と亮に、覗き見に徹することしかできなかったヨハンの手に握り込まれたスチールの缶コーヒーが、強烈な握力で凹む音だ。
藤原が恐る恐るヨハンを見て、また恐る恐る視線を戻した。苦手な虫を見たような顔だ。
「藤原、どうしたんだ。ゴキポンでもいるのか」
十代が椅子から身を乗り出した。こちらを振り向く。目が合う。
「……あ。ヨハン」
急に、何故だか十代の顔が、あからさまに赤く染まった。珍しいものを見た。
彼ほどの美人が見せてくれる表情はどれも魅力的だが、これもそのひとつだろう。意外性があるのもいい。
嫉妬を忘れて見惚れていると、十代が大股でヨハンの所へやってきて、手首を掴んで引き摺って歩き出した。翔と藤原が揃いでぽかんとした顔になった。吹雪は意味ありげにヨハン達の方を一瞥した後、亮に何かを耳打ちしていた。
裏口から会場の外へ出て、駐車場の壁に押し付けられる辺りになると、さすがにヨハンも両手を上げて降参の仕草をした。最近は十代を怒らせるような心当たりが多過ぎて困るところだ。
「積極的過ぎるぜ十代」
とりあえず、軽口を叩いてみた。
しかし、いつもの減らず口をくれるんじゃないかというヨハンの予想は外れる。十代はへの字に口を曲げていた。
「ごめんな」
いきなり謝られて驚いた。亮と仲睦まじく話し込んでいた事かと思ったが、十代は居心地が悪そうに目を横に逸らしながら「この間のこと」と言う。どうやら別件のようだ。
「十代。お前に謝らなきゃならない理由ならいくらでも思い付くけど、お前に謝られる覚えがないな」
正直にそう言った。十代が溜息をつく。
「……このごろヨハンが変だから、オレはそれがなんか違うんじゃないかって思ってたんだ」
「最近特に変わったことなんかないさ。俺はずっと昔からお前のことが好きだぜ」
「そうそれだ。すげえ変だろ。オレはなんでそうやってお前にお姫様扱いされなきゃならないんだ。そう思ってた。それがなんで……その、そういう話になるんだ」
「そういう話って?」
「こ……子供とか、そういうのだよ……ありえねえ」
ひどく言いにくそうに喉から絞り出す。ヨハンは納得する。思い当たる所があった。
十代は酔った勢いでとんでもない事を口走ってしまったと後悔しているらしい。貴重な狼狽ぶりを見て、ヨハンもこの先酒の席での自制を心掛けようと決めた。そもそもアルコールは苦手なのだ。
「だからな、オレ自身そんなの考えたこともなかったんだよ。そういうんじゃないんだ。本当だ。ただ朝になってシャワー浴びてたら思い出したんだ。悪い夢でも見てるんじゃないかと思った。そっからずっとぐるぐるしてる。あれじゃまるで、オレがお前と、その……考えてるみたいじゃねえか。なんでオレあんな事ヨハンに言っちまったんだろう? わかんない。全然わかんねえ」
「落ち付け十代」
ヨハンは、混乱している十代の背中に軽く腕を回した。この親友は相変わらず華奢な体格で、簡単に胸の中に収まってしまう。その人の存在感とは真逆な感触が、また愛しかった。
引寄せた身体が震えた。急に抱き締められて驚いたらしい。僅かな身長差のために、自然に上目遣いになる鳶色の瞳が揺れていた。その眼に、頷いてみせる。
「わかってるって。大丈夫だ」
「本当に? なにを? オレは今、自分でも何が言いたいのかさっぱりわかってねぇんだぞ」
「わかってる」
「よくわかんないけど、わかってるって、言ってるだけじゃないのかよ」
「俺はお前のわかんない事でもお前がわかるんだ。なあ十代、お前は俺の気持ちを知って、いつものお前じゃいられないくらいに混乱してる。いつものお前が思いもしないようなことだって考えちまうぐらいに。そうだろ?」
彼が一番欲しがっている『いつも通り』の為に、そう思い込みたいんだろうと暗に含める。十代は一瞬だけいたたまれないという顔になった。それをごまかすように、目を鋭くしてヨハンの胸倉を掴んだ。
「いいか、忘れろ。忘れてくれ。じゃなきゃこのまま死んじまいそうだ。恥ずかし過ぎるだろ……な、なんで、笑ってるんだよ?」
十代は咎めるような口調だが、これはしまりのない顔にもなる。こいつはかわいいなあと、口に出したらぶっ飛ばされそうなことを考えてしまった。
「それって、お前が無意識にでも俺との未来の可能性を考えてくれたってことなんだぜ? そりゃ嬉しいに決まってるじゃないか」
「……バカ。本気でわけわかんねぇよ」
「ああ」
頷いて、十代の頭を先ほど亮がそうしていたように撫でてやった。
「だからやめろって」
すぐに手を払われる。ヨハンは、それが面白くない。
「どうしてだよ。カイザーに頭撫でられた時は嫌がんなかったじゃないか。なんで俺はダメなんだよ? 十代お前、もしかしてカイザーのことが好きだとかそういうんじゃないだろうな」
十代の目が丸くなる。昼間の猫のように、瞳孔が窄まる。寝癖のひどい髪が逆立ったようだった。
「お前って、ほんと、バカじゃないのか?」
一言一言を短く区切って、ヨハンへというよりも、自分に言い聞かせるような口振りだ。
「容赦ないなぁ。俺はきっとバカだけど本気で心配してるんだ」
「ヨハン、人の話全然聞いてなかっただろ。だからオレはそういうのがヤだって言ってんだよ」
「じゃあなんでカイザーはいいんだよ?」
「そりゃ、カイザーに頭を撫でられるのは嫌じゃなかったし、吹雪さんにも嫌じゃない。大徳寺先生にも、先生はそもそも身体がないからもうオレの頭なんか撫でらんないんだけど、嫌じゃない。でもヨハンにだけは、そうされるのは……」
十代が急に黙り込んだ。まるで自分の中で奇妙なパズルが組みあがってしまって、それが信じられない。そういうふうな顔つきだ。
「十代?」
『―― 遊城十代!』
館内のスピーカーから、がなりたてる万丈目の声が響き渡った。
『貴様もうここまで来ているんだろう! オレをこれ以上待たせるな! さっさと姿を見せろ、大馬鹿者!』
「あ、ああ。そうだった」
夢から覚めたような顔になって、十代がヨハンの腕の中から抜け出した。
「これ以上万丈目の奴を待たせたら、また半日は説教されちまうな。そういやあいつ、なんでいきなり決闘なんて言い出したんだ? ……まさかサンダーまでオレを好きだとか言い出さないよな」
「それはないだろ。自意識過剰だぜ、十代」
「ヨハンが言うなよ」
十代はヨハンのせいで、少々ライバル不信になりかけているきらいがある。
「万丈目がお前を目の仇にする理由、俺は知ってるけど……」
「あ、なんだよ」
「そりゃ炊き付けたのは俺って事になるみたいだからさ。でも俺が十代に教えるような事でもない」
「いやに含みのある言い方だな。まあデュエルすれば分かるさ。サンダープロと本気のデュエルができるチャンスのためなら、地球の裏側からでも駆け付けるってもんだ」
十代はいつもの調子に戻って、楽しそうに口の端を吊り上げた。ヨハンを見上げて、しかしまた少し恨みがましいような目をする。
「宝玉獣のヨハンともやりたいんだけどな」
「俺はいつでもいいぜ」
「……いや、やらない。こんなわけの分からない気持ちでデュエルしてもきっと楽しくない」
「前の十代なら、わけの分からない気持ちだからデュエルで決着をつけようぜって、そう言いそうなもんだけど」
ヨハンは苦笑した。
「そうだよな。デュエルしたらきっとお前、知りたくないところまで俺を理解しちまうから怖いんだ」
「なんとでも言ってくれ」
大切な親友はそっけなく顔を背けた。図星だったろう。
* * * * *
万丈目と顔を合わせるなり、潤んだ瞳で、十代はその色の白い手を壊れ物のように取った。さも真摯に告白をする。
「万丈目。実はオレ……初めて会った時からお前の事が好きだったんだ」
そう言いながら、万丈目の手の甲に指先で幾度も円を描く。かたちの良い眉が、切なげに顰められていた。
「お前の心までもらおうなんて考えちゃないからさ……オレの気持ちだけは知ってて欲しいんだ」
「な……な、な」
あまりのことに万丈目は声も出ないようだった。つい先ほどまで激昂のあまり真っ赤になっていた顔が、急速に色を失っていく。紙のようになる。金魚のように口を開けたり閉じたりしている。
「な、何を阿呆な事を言っている!? ありえない! 認めんぞ十代! お前は単細胞の世界トーナメントがあったら間違いなく優勝できる程の大馬鹿野郎だが、一応このオレがライバルだと認めてやっているんだぞ。ならそれらしくしろっ、いきなりそんなわけのわからん事を言い出すな! オレは嫌だぞ! 死んでも嫌だぞっ!」
「ほらやっぱり」
十代が、海の潮が引いていくように、きらめく瞳をあっさりと引っ込めた。途方に暮れた顔でいる万丈目の両肩を何度も叩いて、「いや、よかった」と言う。
「安心したぜ、サンダー。その反応が欲しかった。普通はそうだよな」
「……悪ふざけが悪質すぎるぞ! 十代ーっ!!」
ここへきてようやくからかわれていたことに思い至った万丈目が、悔しそうに怒鳴り、十代にアームロックを掛ける。
「あー。サンダーに怒られるとなんかスッキリする。この感じも久し振りだな」
「オレをライフポイント回復に使うなっ!」
十代の頬をつねって、力任せに引っ張っている。ヨハンは反射で万丈目の手首を掴んだ。彼の腕は十代よりも更に細い。日本人は華奢なくせに馬鹿力の多い不思議な人種だ。
「こら万丈目。美人になんてことすんだ。そのまま伸びて戻らなくなったらどうする?」
「この間抜け面が美人だと? エセ外人、日本語に謝れ」
「なあ十代。万丈目とお前がすごく仲いいのは分かる。俺も好きだ。面白いし。でもこれは俺と十代のことだぜ。はぐらかされるのは面白くない」
ヨハンは十代の頬に触れ、真剣に言い聞かせた。たとえ冗談でも心臓に悪い。
「それに何より、嫉妬する」
十代は綺麗な顔を渋くして、万丈目の方は当てが外れたという表情になった。
「ヨハン、貴様まで調子を合わせるな。大体だな、お前が甘やかすからこの馬鹿がどんどんつけ上がっていくんだぞ」
「あーあ、なんか飽きた」
「こら十代っ、反省がない、反省が!」
「何スか、その不快なノリ」
「ああ。恋の病ってやつ」
翔が騒いでいる三人をうるさそうに見上げてくる。笑って返すと、隣の十代がひどく疲れたふうに溜息を吐いた。
そこへ、日本茶独特の若い草を思わせる良い匂いが香る。明日香がポットとバスケットを抱えて顔を出した。
「あら……賑やかだと思ったら、兄さんと十代が来ていたのね」
意外そうな表情だが、ヨハンの方でもこんな所で彼女の姿を見るのは意外だった。
「よお明日香。万丈目に呼ばれたのか?」
「万丈目くん? いいえ。亮と翔くんよ。男所帯だといろいろとひどいでしょ」
明日香は、不摂生を繰り返す友人と兄の親友を放っておけずに、日頃から彼らの面倒を見ているのだろうと察する。腰に手を当てて亮と翔を睨んでいる。翔は若干脅えながらも、とても幸せそうに見えた。
「まったく貴方達ときたらまたろくに食事もとらないで、家にも帰らずに……会場への泊まり込みは禁止だって言ったじゃない」
「ああ。気を付ける」
「なんだか明日香さんがお嫁さんにきてくれたみたいで、嬉しいなあボク」
翔は、不純な妄想が透けて見えるくらいに締まりのない顔をしていた。そこへ万丈目の嫉妬の視線が突き刺さる。ヨハンはこの恋狂いの気持ちが少しは理解できるから、思わず声援を送りたくなってしまう。
自分よりもひどい醜態を晒している人間を見ていると、少し救われるような気分になるのは、人間の悪い性質のひとつなのかもしれない。
「天上院くんが貴様のようなちんちくりんのお、お、お嫁さんだと!? おこがましいっ、寝言は寝てから言え!」
「少なくとも何年も前に明日香さんにフラれちゃってる万丈目くんよりは、ボクの方が可能性があると思うなぁ」
「元金魚の糞のくせに、このオレ様に何という暴言を……十代の前に貴様から片付けてくれる!」
「やるの? 万丈目くん。ボクはやる時にはやるんだよ」
「十代。貴方は食事を取ったの?」
明日香は勝手に盛り上がる万丈目と翔に動じない。慣れが見えた。十代が首を振る。
「急いで帰ってきたからまだなんだ。すげー腹減ってる」
「そうだろうと思ったわ。少し多めに作ってきたの。良かったら貴方もどう?」
明日香が持ち込んだバスケットの蓋を開けると、中にはおにぎりが詰まっている。形はいびつだが、少なくとも翔は空でも飛べそうなくらいに感動しているようだ。
「相変わらず無茶な暮らしを続けているんでしょ。また痩せたんじゃない? 貴方はせめて地図くらい持って旅に出るべきだわ」
明日香が十代の手首を掴んで顔を覗き込み、心配そうに言った。
「明日香はなんだか面倒見が良くなったな。トメさんみたいだ」
十代が歯を見せて笑う。昔みたいに幼い笑い方だった。明日香は、返答に困ったようだった。困っているのか、笑っているのか、微妙な表情をする。
「ほ、誉められてるのよね……」
「アニキ、それちょっといけてない」
翔が半目になった。
「アニキは相変わらず女心ってもんが全然わかってないんだから」
「そんな事はない。今のは十代くんにとっては最上級の誉め言葉のつもりだよ」
面白そうに成り行きを見守っていた吹雪が、十代の両肩に手を置いて落ち付いた口調で言った。
彼は<恋の伝道師>を自負しているらしいから、恋をしている人間と、恋愛対象にされている人間がはからずも寄り合っているこの場の流れが楽しくて仕方がないのだろう。ふとヨハンは、何から何までがこの吹雪の手のひらの上で踊らされているんじゃないだろうかという気分になった。
すぐに打ち消す。きっと気のせいだろう。邪推だ。
「家庭的で、優しく、母親のように面倒見が良い……男なら誰しもそんな女性像に憧れるものさ。十代くん。そうだね?」
吹雪が十代の首筋を指で辿り、顎を持ち上げる。そうされて十代が、空を見上げて天気の感想を言うような調子で、「あー」と気の抜けた声を上げた。
「入ってんだ?」
「入ってるわね」
明日香が、額に手を当てて応じた。場の空気を読むのが致死的に苦手なヨハンは、何が『入っている』のか分からない。首を傾げる。
「何が?」
「なんか、変な吹雪さんのスイッチ」
「また兄さんの病気が」
十代が苦笑いをする。明日香は悲嘆に暮れる。
吹雪が十代の頬をまるで恋人にするように優しく両手で包み込む。あまり見ていて気持ちの良い光景ではなかったが、何故か咎める気にはなれなかった。吹雪は不可思議な魔力のようなものを持っているのかもしれない。
「十代くん。万丈目くんがキミに熱を上げる理由、分かるかい」
「なんでなんだろうな。あとで本人に聞こうって思ってたんだけど。まあ、あいつはいつも熱いやつだから、特に理由なんてないのかも……」
「これは明日香のフィアンセを決める戦いなんだ」
言葉を途中でぶつ切りにして、吹雪が断じた。十代を相手にそういう喋り方ができる人間は多くない。
「……なんかそれ、昔どっかで聞いたことあるような気がするんだけど」
十代の顔に困惑と郷愁が混ざり合った色が浮かぶ。明日香が耳を塞いで目を閉じた。これ以上の面倒事は何も聞きたくないし、見たくもないという彼女の確固たる意志の顕れに見えた。
しかし明日香は吹雪の妹だから、この兄が持ち込んだ混乱を家族の自分こそが何とかしなければならないという強い責任感との間で揺れているようだった。
「万丈目くんはキミに嫉妬しているんだ、十代くん。万丈目くんの中ではキミは彼と同じくらいに、いや、それ以上に明日香にふさわしい男だと認識されているんだろう。きっとそれが許せないんだ。彼は恋に殉ずる誇り高き決闘者だからね」
「ちょっと兄さん? 一体何を言い出すかと思ったら。私の知らないところで勝手にそういう話をしないでって、何度言ったら分かってくれるのかしら」
明日香の、この種類の揉め事とは絶対に関わり合いにならないという硬い意志は折れる。
「んー」
十代が「フィアンセ」と反芻する。口の中で転がして、その言葉の違和感に堪えきれないふうに顔を顰めた。
ヨハンの告白を聞いた時とよく似た表情だ。『少なくとも俺と明日香は同じライン上にいるらしい』と、ヨハンは他人事のように考えた。自分に照らし合わせて深く考えると、ひどく落ち込んでしまいそうだったのだ。
「なんでみんなそんなふうにヘンな勘違いするんだろ? なあ明日香」
「し、知らないわよ……」
「フィアンセって柄かよ。こいつ男と変わりない――」
鈍い音がした。空のバスケットで明日香が十代を殴り倒した音だ。
「天罰だ」
「今のはアニキが悪い」
いがみ合っていた万丈目と翔が、声を揃えて十代を罵倒する。当の十代は床に鼻の頭を打ち付けて、痛みに悶えていたが、しばらくすると顔をさすりながら緩慢に身体を起こした。
「……なんでオレ、殴られなきゃなんないんだ?」
「ダメだなぁ。キミは。昔よりも大人っぽくはなったけれど、まだまだ女性の扱いに不慣れのようだね」
吹雪がしたり顔で、十代の頭を子供にするように撫でた。手品のように袖口からカクテルグラスを引き出して、この大人を自負する年少者に握らせる。優雅だが、どこか軽薄な仕草で赤い液体を注いでいく。
「景気付けに一杯どうだい? キミの挑戦を祝福して」
「悪いけど、吹雪さん。酒は控えることにしたんだ」
「若さゆえの勢いとはとても大事なものだとボクは思う。たとえば思ってもみなかった無意識の発露だ……普段は理性という鎧に守られているキミの本当の想いだとかね」
「そ、そんなんじゃないって」
十代が急に顔を赤くして吹雪から目を逸らした。少し声が上擦っている。
何を思い浮かべての反応かは知れた。ヨハンの親友は、分かりやすい男だった。居心地悪そうに「そんなんじゃ、ないんだ」と繰り返す。
彼はまだ何も気付いていない。
「吹雪さん!」
ヨハンは慌てた。十代からグラスを取り上げようと身を乗り出した。吹雪の手のひらの中にあるボトルには見覚えがあったのだ。
『どんなつれないご夫人も振り向くという、とびっきりの媚薬さ』
昨日吹雪はそう言って笑った。
しかし伸ばした腕を後ろから掴む者がいる。振り向く。意外な邪魔者の姿があった。
藤原だ。
「離せ藤原ぁ!」
「すまないヨハン……これもお前の幸せのためだって吹雪が言うから! ここでお前と十代に生贄になってもらわないと次は誰がとばっちりを食うかわからないんだ! 僕かもしれない!」
「どう考えても後ろの方が本音だろぉ!? 吹雪さんやめてくれ! 十代にそんなの絶対ダメだ!」
叫ぶが、吹雪にヨハンの声を聞き入れる様子はない。いつもと同じ朗らかな微笑だ。背筋が泡立つのが分かった。
ここへきてヨハンはようやく、『俺はとんでもない人に相談事を持ち掛けてしまったらしいぞ』と思い当たるのだった。
「どうしたんスかヨハン。急に大声上げたりして」
翔がぽっかりと口を開けている。余程物珍しそうな様子だ。今の吹雪には何を言っても無駄だと悟ったのか、十代が溜息を吐いてグラスを傾ける。
「いい加減にして」
救いは神様でも悪魔でもなく、身近なところから現れた。
明日香が、十代の手からグラスを素早く奪い去ると、腰に手を当てて中身を一気に飲み干してしまった。
「嫌がる未成年に無理にお酒を薦めるなんて、兄さんこそ大人の風上にも置けないわね」
いい飲みっぷりだ。しかしその液体はおそらく彼女が思っているようなものではない。少なくとも酒ではない。予想もできるはずがなかった。
横目を吹雪にやると、世界の滅びるさまを目の前で見ているような顔だった。実の妹への健全な愛情は、スイッチの有無に関わらずに、きちんと持っているようだ。そこばかりは安心する。
「目を瞑るんだ明日香! 今すぐにだ!」
「な、なによ、突然」
「いいから言う通りにするんだ……!」
吹雪が首に巻いていたスカーフを解いて、明日香の頭に巻き付けて目隠しをした。眩暈を堪えるように額を押さえている。
「なんて不運だ……」
そう、不本意ながら事情を知るヨハンの耳もとで嘆いた。顔色は青い。貧血を起こしているのかもしれない。
「大変なことになってしまった。この惚れ薬は、薬を飲んで初めて見た人間に恋をしてしまう――」
「それなら問題ないんじゃないか? 明日香は、元々十代が好きみたいだし……」
ヨハンは腕組みをして、何も問題はないだろうと頷いてみせた。吹雪が悲痛な表情で頭を振る。
「ボクが心配しているのはそうじゃないんだ。ただでさえ、ほのかな恋心を抱いている十代くんだ。彼が目の前にいる。この媚薬は強力な効果によって、女性の奥ゆかしさや羞恥心という最後の砦を破壊してしまうかもしれない。もしも思い余って理性という枷が外れてしまったら……明日香はきっと力に任せて十代くんを自分のものにしてしまう」
「なんだって!? それは困る!」
ヨハンの脳裏に、明日香に無理矢理手篭めにされて、ベッドに伏せっている十代の姿が思い浮かんだ。心も肉体も傷付き、憔悴している。
『ひでぇよ。お前のことは大切な仲間だって思ってたのに……』
悲しそうにこう言うだろう。イメージは簡単だ。それはヨハン自身が良く見る悪い夢でもあった。
「恋愛は科学反応とは違う。そんなことになったら明日香も十代くんも不幸だ」
吹雪は実直な表情だ。まさか彼自身が準備した惚れ薬だとは、とても思えない程だった。
「兄さん? 一体何の真似?」
明日香は頭の後ろでリボンの形に結ばれた目隠しを、怪訝に外そうとしている。思わず唾を飲み込む。彼女の目の前にはちょうど十代が立っていた。
「ダメだ、目隠しを取るな明日香! 目の前にとんでもなくいかがわしいものがあるんだ。まともな女性はこんなもの見ちゃいけない!」
「そうだよ明日香。こんな卑猥な生物見たら赤ちゃんができてしまうよ! 十代くんは成人指定商品だから!」
吹雪も力強く頷いて、ヨハンに加勢してくれた。
散々扱き下ろされた十代は、何も知らない。驚いたように目をまるく開いたが、徐々に細く眇め、一目で知れるほど不機嫌になる。
「いかがわしくて悪かったな」
ヨハンにぎりぎり届く、小さな声だった。
「お前オレを……とか、言うくせに……」
「…………」
「ばか」
そうじゃないんだと言い訳をするべきだったのかもしれないが、どこから説明をしたものかも分からない。恋愛相談のために吹雪を訪ねた辺りからだろうか。随分長い話になりそうだったし、十代は更に臍を曲げるだろう。分かっている。
吹雪が、苦しげにヨハンの背中を叩いた。
「残念。胸キュンポイント、マイナス三十点」
俺は悪くないとヨハンは考えた。繰り返す。俺は多分、悪くない。
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