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白銀が閃いた。氷上の舞姫がその優美な肢体をくねらせ、しなやかな脚を振り下ろす。透明な刃が翔の胸へと吸い込まれていった。
ブレード・スケーターのダイレクト・アタックを受け、小柄な翔の身体は宙へ弾き飛ばされた。悲鳴が上がる。
「はかない夢だったよ〜っ!」
ライフ・ポイントのカウンターがゼロを指し、ブザーが響く。対戦相手が完全に沈黙をすると、明日香は豊かな胸を張って、つんと顎を上げた。
「次は誰かしら?」
「……おっかねーな」
「なにか言った!?」
「いや……」
明日香の両目は白いスカーフで覆われていたが、その奥のきつい眼差しで睨みつけられているところを想像したのだろう。十代が、言葉を濁して俯いた。
二人の身体は今にも触れ合いそうな程に接近していて、それは密かに、いや、それを知る人間が数人ばかり存在する今となっては密かにとは言えないが、十代に想いを寄せている明日香の神経を照れ隠しで尖らせもする。そして、明日香に想いを寄せる万丈目に、家紋入りのハンカチを齧らせもする。恋愛感情というものは、ごく客観的に見た場合には、とても面倒な性質をしているようだった。
ヨハン自身にも身に覚えがあったが、それは今は思案しないでおく。
このデュエルの起こりは、少し前に遡る―― 。
* * * * *
丸藤リーグにて、喫茶スペースの隅で万丈目と吹雪が小声で話し込んでいる。
「今何と言いました、師匠」
万丈目が、神妙な面持ちを上げた。
「それじゃ明日香たんは、明日香たんが、目隠しを取って初めて見た相手を好きになってしまうと?」
「信じたくはないが、その通りなんだ。万丈目くん」
吹雪が苦しげに吐き出した。事故とはいえ彼は自らの手で災厄を招いてしまったのだ。後悔の面持ちだった。
万丈目はそんな吹雪を気遣わしく見上げていたが、やがて腹の前で拳を作った。頼もしく胸を叩いて見せる。
「……オレにお任せ下さい! 明日香たんは、いや、妹さんはオレが必ず幸せにします。お義兄さん。毎朝味噌汁を作ります。絶対に泣かせたりしません。すぐに十代の馬鹿のことも一時の気の迷いだと……」
「お義兄さんはやめてくれ、万丈目くん」
吹雪の制止は咎め立てる響きだった。万丈目の鼻の先に指を突き付け、詰問する。
「まさかキミ、明日香に振り向いてもらいたいがために、あの禁断のスカーフの結び目を自ら解こうっていう訳かい? 惚れ薬なんかで最愛の人に好きになってもらっていいのかい?」
「い、いや、それは……事故です、師匠。オレとしても本意ではないです! でも、一回くらい……たとえ幻聴でも聞き違えでもいい、オレは明日香たんに『好きよ、準くん』と言ってもらいたいです……!」
「ときめかない。そんなことは断じて恋ではない! <黒竜の雛>よ、万丈目くんの胸キュンポイント全部持ってっちゃって!」
「そんな、師匠〜! オ、オレはそんなつもりじゃ」
機嫌を損ねた時の明日香そっくりの仕草で顔を逸らす吹雪に、万丈目が情けない声を上げて取り縋る。
「何を話しているの」
二人の後ろから、明日香本人の冷たい声が掛かった。三文芝居まがいの遣り取りも忘れて、吹雪と万丈目が思わずといった調子で手を取り合う。
「い、いやね、明日香。彼とは今古典的哲学について語り合っていて」
「そ、そうなんだ、天上院くん。イマヌエル・カントの<純粋理性批判>は古典ながら実に名著だと僕は思うのだが、お義兄さんはカントよりもどちらかというとヘーゲルに傾倒していると……」
「全部聞こえてたのよ。随分と楽しそうね。人をオモチャにして」
「い、いや、ええと。……な、何とかならんのか十代! お前のいかがわしい力はこんな時のためにあるんだろうがぁ!」
脅えきった万丈目が、話は聞こえていたろうに暢気にポテトチップスを齧っている十代の胸倉を掴まえて上下に揺すった。救いを求めるにしてはいささか乱暴なやり方だったが、十代は特に気にするでもない。もう長くなる付き合いで慣れているようだった。
「何とかって言われてもな。ユベルも何でもできるってわけじゃないし、それに……」
「ええい、役立たずめ!」
「……何とかできるなら、オレだって何とかしてもらいてぇ奴がいるし」
十代が物言いたそうな視線をヨハンに向ける。ヨハンは頷いて、ポテトチップスの袋に手を突っ込んだ。
「俺にもくれよ」
「……ん。ヨハンはさ、オレが伝えたい事は何でも分かるくせに、当て付けは通じないのな」
「うめぇ。何味だこれ? へぇ、納豆? 初めて見た」
「新しく出たんだよ。さっきコンビニで」
「ええい、パリパリパリパリとうるさいのだ! 貴様らは!」
「落ち付きたまえ、万丈目くん」
苛立たしげに息を荒げる万丈目の肩へ、吹雪が静かに手をやって宥めた。
「ここで取り乱したって仕方のないことだ」
「師匠……」
「誰のせいだと思ってるのかしら」
明日香の目は相変わらず極圏ほども冷たい。しかし吹雪も動じない。この兄妹は、お互いの世界観が絶妙にずれていた。
「ここで議論したって始まらない。誰に恋焦がれてしまうのかも知れず、盲目の闇に囚われてしまった明日香の不幸を嘆く前に……」
「だから、誰のせいだと思ってるのかしら」
「ボクらはまず根本的なところから問題を見つめ直すべきだよ。それはすなわち、明日香にふさわしい男を今決めてしまうんだ。ボクの聡明で美しい妹を任せられるほどにデュエルが強く、熱いリスペクト精神を持つ。それが誰かを、探す時なんじゃないかな」
「なるほど……すばらしいお言葉です、師匠!」
誰彼問わずとんがっている万丈目は、天上院兄妹が相手になれば話は別のようだ。胸の前で手を組み、神に祈るようなポーズで三白眼気味の目を潤ませている。
「ちょ、ちょっと。いきなりなんでそんな突飛な話になるの」
「ボクがこれまで見てきた中で、明日香の隣に恥じない男を挙げよう―― まずは情熱部門トップ。万丈目くん」
「はっ! 光栄です、お義兄さん!」
「お義兄さんはやめてね。将来有望部門トップ、翔くん」
「っス!」
いつのまにか万丈目そっくりの夢でも見るような瞳で、翔が吹雪に傅いていた。明日香が、中等生に非行を奨められているキッズ・スクール生を目の当たりにしたような後ろめたい顔で、翔と亮を見比べながら頭を抱えた。亮はまたあの十代とよく似た老人の目をしている。
「翔くん……別に兄さんの悪ふざけに貴方まで付き合うことはないのよ」
「放っておけないタイプ部門が藤原で、理想の夫部門は亮だね。優しさ部門トップのヨハンくんも、恋愛観がグローバルで棄てがたい。そして総合部門トップ、現在一番の有望株はキミだよ。十代くん」
「そういうの、興味ない」
ヨハンの隣で、空いたポテトチップスの袋をくしゃくしゃに丸めて、十代がそっけない返事をした。吹雪が理解しがたいという顔になる。
「どうしてだい? キミはそんなにも魅力的なのに……このボクですらキミの美貌の前には、こうして」
十代の前で膝をつき、頭を垂れて、手を取って口付けようとする。
慌ててヨハンは吹雪から守るように十代を抱き込んだ。悪ふざけにも程がある。明日香も目を塞がれていながら異変は悟ったようで、「ちょっと、兄さん」と困惑した声を上げている。
吹雪は行き場のなくなった手のひらを残念そうに開けたり閉じたりしながら続けた。
「こうして傅いてしまうんだよ、十代くん。キミは正しくキミ自身の価値を知っているはずだ。それともなにかな。キミの心はもう誰かにすでに奪われてしまっているというのかい? 誰だい、その罪深いひとは」
ヨハンまでが心臓を掴まれたような気になる問いかけだった。明日香も一瞬の間唇の端を引き締めている。
十代の返事は簡潔で明瞭だった。
「遊戯さん」
「そう言えばキミがミーハーだという事を忘れていたよ」
「……冗談だよ。オレ、遊戯さんとはそういうの、絶対に嫌だ。遊戯さんもきっとそうだよ。よくわかんないけど」
「へぇ」
吹雪がすべらかな顎を撫でながら何度も頷いた。どこか嬉しそうな、そんな顔だった。
ヨハンもきっと同じ顔をしていたろうと思う。
「キミは確かヨハンくん相手にも、そういうふうに言っていたよねぇ」
「……吹雪さん。なんで知ってるんだ?」
十代が不審の目を上げる。吹雪は自分に酔うように胸に手を当て、十代に流し目をくれている。
「武藤遊戯もヨハンくんも、十代くんにとっては『そういうのは絶対に嫌』なんだね。でもそれっておかしな話だなぁ。二人とも、キミにとっては命よりも大切な人物なんじゃないかな?」
「……大切だよ。だから、あんなふうにはなりたくないんだ」
「『あんなふう』、ねぇ。それはキミにとっての恋愛観というか、いやいや、それよりも思い描く家族像というか……」
「吹雪さん」
十代の声が咎める響きを帯びた。彼はおかしな所で堅物で、奇妙に真面目な男だった。
吹雪が、少し遊び過ぎたと思ったのか、むずかる子供へ向けるような柔らかい微笑を向ける。
「ああ、ごめんよ。随分話が逸れてしまった。でも十代くん、キミはひとつ誤解している。恋とは素晴らしいものなんだ。だからキミにもぜひ参加をしてもらいたい」
「参加って?」
「そう!」
吹雪が十代の目の前で、猫騙しのように両手を打ち合わせた。ブラウンの双眸が丸くなる。本物の猫のようだった。
「決まっているじゃないか。明日香は誇り高い決闘者だ。彼女の配偶者もまた誰よりも誇り高くなければならない。だからこそ……この丸藤リーグにて、天上院明日香争奪戦、恋のバトル・トーナメントを開催しようと思う!」
「お見事です、師匠〜!!」
「勝手に道楽にうちのリーグを使わないで欲しいなんてもう言わないっス! 吹雪さんはボクの二人目のお兄さんっスよ!」
万丈目と翔が仲良く吹雪を持ち上げた。二人は先程までいがみあっていたくせに、すでに目の前にぶらさげられた餌に夢中になっている。詐欺師に騙される人間とはこんなふうなのだろう。
「さあ、十代くん」
吹雪が、姫君にそうするように十代の手を取った。あまりにも特殊な勢いに呑まれて、十代はそういう話題が出た時によくある不機嫌そうな顔を作ることも忘れている。
「誇り高い決闘者として、キミの力を見せて欲しい。ボクはキミにならお義兄さんと呼ばれても――」
「いい加減に、して!」
王族のように煌びやかな微笑を湛える吹雪の、その横顔に、明日香の右拳が突き刺さった。視界が塞がれていることが信じられない正確さだ。 「顔はやめてくれアスリン! ボクの商売道具なんだから!」 頬を腫らした吹雪が、悲鳴のような声で懇願した。
「黙っていれば好き勝手なことばかり言って。兄さん、私はね、好きになる人くらい自分で決めるわ。もしも報われない恋をしたって……それが自分の気持ちなんだから譲るつもりはないし、忘れるつもりもない」
少し口篭もって、しかし気高くそう言い放った。明日香は在学中に<アカデミアの女王>の二つ名で呼ばれていたが、彼女の苛烈な程に潔い気質を見せ付けられるとなるほどと納得がいく。
天上院明日香、彼女ほどの完璧な女性がはたして異性に想いを寄せることがあるのだろうかと、かつては本校の男子連中が噂をしていたのを知っている。彼女ほどの女性が想う異性がもしも存在するなら、どんなに素敵な殿方なのだろうと、ファンクラブの女子生徒が話題にしていたことを知っている。
明日香の心を射止めているのが、大金持ちの御曹司でも成績優秀な優等生でもなく、落第寸前の風来坊だと知ったら、彼らは、また彼女らはどんなふうに感じるのだろうか。
発狂するのかもしれない。
「勝手に決められた人を好きになるくらいなら、鏡でも見た方がましよ」
「さすがデュエル・アカデミアの元女王ッス……」
「明日香たん……痺れるー」
明日香が、いつのまにか侍っている二人の男子には取り合わずに、兄を挑むように睨み、指を突き付けた。
「大会? いいわよ。私も出るわ。誰にも負けるつもりはないわよ。もしも負けたら私はそこまでの女だったっていうことだもの。十代?」
「え?」
「貴方は私をサポートしなさい。こういうおふざけには興味ないんでしょ。私は眼が使えないの。私の代わりにドローしてちょうだい」
「お、おう」
十代が、コントロールを奪われたモンスターのように頷く。
この女王にはあの十代でも逆らえはしないのだ。強敵だ。
「さすがに潔いね。明日香、ボクは兄として誇らしい。キミこそが女王だ」
吹雪が慈愛の表情で頷く。全く懲りていない様子のこの男の顔面に、今度は妹のヒールが叩き付けられた。
* * * * *
客席は懐かしい顔で埋まっている。吹雪の追っ掛けは、元より彼が何かを仕出かした際にはどこにいても駆け付けると評判だった。
学生時代に明日香の取巻きをやっていた女子も、『憧れの明日香様をついに射止めるのは一体どんな男性なのか』と気を揉んでいる。同時に、半端な男では許さないという気迫も、彼女達は持ち合わせていた。
そんな中で翔との対戦を終え、明日香の同伴から戻った十代は、心なしか神経をすり減らしている様子だった。大事な弟分がスケート靴に踏み躙られている光景を目の当たりにしたからか、怒っている明日香が単純に恐ろしいのか。どちらの理由もあるだろう。
「おかえり」
封を切ったポッキーの箱を差し出してやる。十代は二本引き抜いてヨハンの隣についた。
「ヨハン。チョコ溶けてる」
「熱気がすごいんだよ、ここ」
兎のように食んでいる十代の横顔を見つめながら、切り出した。
「疑ってないのか?」
「なにを」
「吹雪さんはお前に一服盛ろうとしていたんだ。明日香じゃなくて、十代」
「ヨハンの差し金だって?」
「そう。軽蔑しないのかなって」
大人びた十代は聡い。今までの遣り取りで、ヨハンが吹雪に相談事を持ち掛けたことには、もう気が付いているだろう。深読みをされていれば、ヨハンが吹雪と結託して強引に十代の心を手に入れようとしたふうにも取られているかもしれない。 それが間違っていると強くは言えない。十代がどうしても欲しいのは真実だ。しかし、彼は首を振った。
「ヨハンはそんなことしない。吹雪さんが良かれと思ってやったんだ。そのくらいは分かる。オレだって、ヨハンのこと。親友だから」
「そっか……」
十代はまだ無心にヨハンを信頼してくれる。
昔からそうだ。幼いばかりの頃も、大人びた今も、十代はヨハンの言葉を疑わない。
「オレが飲めば良かったのにな」
「ん?」
「吹雪さんの惚れ薬。ヨハンに恋のひとつでもできたら、きっとすごく楽になれた」
チョコレートで汚れた指を舐めながら、そんな事を真面目に言う。いやにくたびれて見えて、おかしくなって、ヨハンは喉で笑った。
「……馬鹿だなぁ」
「馬鹿なのかな」
「お前ってほんとにいい奴だぜ。十代。言葉にはしないけど、言葉にするのはへたくそだけど、お前ほど優しい奴を知らないよ。望んでもいないことなのに、俺の気持ちを受け流さない」
「そりゃ……ヨハンだからだよ。ヨハンがオレに向けてくれる事なら、できれば全部受け止めたい。だから、できたらオレも、その、さ……できればいいんだけど。……わりぃ」
「十代」
ヨハンは笑って十代の頭を撫でた。髪を乱暴に掻き混ぜた。十代はいつものように苦い顔をしたが、今は止めるでもなかった。
「ありがとう。俺の言うこと本気で考えてくれたんだ。すっげー嬉しいぜ」
「ヨハンはほんとに前向きだよな。明日はいいことばっかりだ、とか考えてるんだろ」
「そんなの当たり前だろぉ? 人間はさ、希望がなくちゃ生きていけないよな。お前だってそうだぜ」
「オレもかよ」
「そう。お前はワクワクする天才だ。他ならない俺が認めてるし、きっと皆も知ってるよ」
「ヨハンほど能天気じゃないさ。……お前みたいになれたらいいってずっと思ってたんだけど」
見つめ返してくる瞳は、どこか不思議な色だった。いつか同じものを見た気もするが、いつのことだったのか、それは現実だったのか、何も決め付けることはできなかった。
その視線がふいと遠くへ向く。その先には、『万丈目サンダー闘魂!』と書かれた旗を掲げている万丈目の舎弟達の姿がある。
「次は万丈目が相手か。明日香との対戦だからなぁ。また変なデッキ組んでんのかな」
「へぇ、楽しみだ。いつも変なデッキの万丈目の、もっと変なデッキかぁ」
「うん、ちょっと見てらんないくらいひどいな。……あのさ、ヨハン。ヨハンがずっとひどい奴なら……」
十代は、言うべきか言わないでおこうか迷う素振りを見せている。俯いて言葉を選んでいる。
最近彼はそういう仕草が多くなった。子供の頃は何でも言葉に変えてしまった十代は、今は知恵を得て裸でいることを知った原初の人間のように、胸の中に吐き出されない様々な感情を溜め込むようになった。
故郷で、夜半過ぎの雪が音もなく降り積もっていくさまを眺めていた時も、こんな気分になったことを覚えている。
ヨハンは苦笑して、十代の背中を叩いてやった。
「ああ、俺がどうしたって?」
「……もしそうだったら、ヨハンがオレを『手に入れようとしたら』、オレはきっとお前のものになってたと思うんだけど」
「ああ……」
それを知ってはいたつもりだった。
きっと十代を手に入れることはできた。おそらくとても簡単で、たった一言で済んだ。
しかし赦せなかった。
ヨハンはまた力任せに十代の頭を撫でてやった。
「何を言い出すかと思えば。俺は正々堂々と戦う男なんだ」
「……そうだよな。良かったぜ」
十代が、かすかに笑った。久し振りに見る安堵の顔だと思った。
* * * * *
「紳士淑女の諸君、さぁ、いよいよ第二戦の開幕だ。無謀かつ勇猛な愛の戦士が見事勝利を手にし、女王の微笑みを手に入れるのか。はたまた気まぐれな女神に愛想を尽かされるのか……挑戦者はご存知の通り、我らが万丈目サンダー!」
司会席で熱弁を振るう吹雪の隣には、<解説>と印字されたカードを前に置かれた藤原が困惑顔でいた。彼はテーブルに肘をついて、「まあ賭けは僕の勝ちのようだけど」と零している。吹雪は超短距離走者だという彼の確信は正しいものだった。
「サンダー! サンダー!!」
「サンダーさん、今日はライバルの遊城十代と決闘するんじゃなかったのか?」
「まあいいじゃん、面白そうだし」
客席には万丈目のファンが詰め掛け、異様な熱気で他を圧倒していた。今やプロ・デュエリストの万丈目は多くの視線と期待を受け止めることに、さすがに慣れた様子で、拳を振り上げた。また歓声が上がる。吹雪がそれに、満足そうに頷いた。
「勇敢な恋の騎士の求愛を受けるのは優雅かつ誇り高き淑女、天上院明日香! アスリン、愛してるよ!」
「明日香様ぁ!」
「誰かのものになんてなっちゃイヤ!」
明日香の元取巻きの女子達が悲鳴を上げる。明日香は頭痛と羞恥にひたすらに耐える様子で、万丈目と向き合っていた。傍らには十代を従えている。先の翔との対戦と同じ構図だ。
「一回戦の時にも言ったと思うけど、ここでもう一度説明をしておこう。明日香は不幸にも愛の媚薬に冒されてしまったんだ。盲目の闇から解き放たれるその時が、運命の時間だ。彼女は目の前にいる男性に強烈な一目惚れをしてしまうだろう。だからこそ彼女を支えるパートナーとして、相応しい人間がそばにいる。ボク達のヒーロー、永遠の憧れ! 遊城十代くん!」
「うらやましいぞー!」
「代われ十代ーっ!」
「さて、気をつけないと、もしも事故で明日香の目隠しが外れてしまったら……彼女は対戦者に関係なく隣にいる十代くんを好きになってしまうかもしれないねぇ」
「……妹の闘気が怖いよ吹雪」
情感たっぷりに謳い上げる吹雪を見上げて、藤原がぼやいた。彼の言うように、明日香は凍えそうなほどに冷たい空気を背中に背負っている。
「ねぇ、十代」
傍らの十代の肩に爪を立てた。十代も、この氷の女王然とした友人には少し気後れしたふうに応じる。
「な、なんだよ」
「……力を貸してちょうだい」
「へ?」
明日香が、子猫を摘み上げるように十代の首の後ろを掴んだ。強く引き、仰け反った額にカードを叩き付ける。鋭く叫んだ。
「<サイバー・エンジェル−弁天−>を実体化召喚―― 兄さんを黙らせて!」
肉体を得て、明日香が信頼するカードの精霊が人間世界に解き放たれた。十代の中のユベルも、こんなふうに特殊能力を利用されるとは思わなかっただろう。弁天の攻撃は狙いを寸分も違えずに、司会席を司会ごと破壊した。
「見事だアスリンーっ!」
吹雪が散る。
「こうなるって読めてた」
巻き添えを食う形になりながら、<オネスト>の加護か藤原に傷はひとつもない。
観客が呆然と口を開けている。「丸藤リーグのソリッド・ビジョンはハンパねぇ」というざわめきも聞こえる。普通の人間にしてみれば、それが最もまともな感想だろうと思えた。
「頼むわよ、十代」
明日香の隣で、心得たふうに十代が頷く。
「ドロー。……<サイバー・ブレイダー>だ、明日香」
引いたカードを指の先で器用に回して、明日香の耳の間近で囁いた。その男の声は、気だるさと達観が混じった心地の良いトーンで、案の定明日香の耳が染まる。
昔よりも聡くなったくせに、おかしな所で鈍感な十代は、怪訝に首を傾げた。
「どうした?」
「な、なんでもないわよ。ねぇ、あんまりそばで囁かないでくれるかしら」
「なんでだよ。サンダーに聞こえたらデュエルになんないだろ」
「それは、分かってるんだけど。……もういいわ。<エトワール・サイバー>と<ブレード・スケーター>を融合。<サイバー・ブレイダー>を召喚よ」
明日香が洗練された淑女の仕草で、デュエル・ディスクにカードで触れる。夜の色を纏った女が、薄衣をはためかせて現れた。彼女が操るモンスターは、主に似て皆気高く美しい姿態でいる。
ただそんな事はお構いなしに、十代は明日香に横目をやり、おそらく彼の思ったままを口にした。
「顔が赤いぞ。のぼせたのか」
「……鈍い男ね!」
「いってぇ!」
ヒールの踵が十代のブーツの甲に突き刺さる。明日香の唇はきつく引き結ばれていた。彼女はさぞ歯痒いに違いない。その気持ちは理解できた。
「いいなぁ、女の子って」
知らず、ヨハンはそう零していた。左隣に座っている明日香の取巻きの二人組が、一体何事だという様子でヨハンを眺めている。
リングに向かってせり出している最前列の客席からは、明日香の手札の絵柄も、二人の遣り取りも良く見える。必要以上に眼が良いのは、ヨハンの取り柄のひとつだった。
見せ付けられているような気になってきて、馬鹿なことだと否定する。こんなに心の狭い様子はまるで<彼>のようではないか。
「十代めぇ……天上院君とあんなに仲が良さそうにくっついて……」
明日香と向き合っている<彼>が、万丈目が唸った。嫉妬と羨望で息をすることも忘れているようだ。想像の通りだった。
「<サイバー・ブレイダー>で、おジャマ・ブラックに攻……」
攻撃宣言を前に、明日香の動きが止まる。
のびやかに一点を示す腕が不自然にこわばり、呆けた様子で口を開く。
「……ちょ、ちょっと。なに? 今の」
狼狽しながら、頭を巡らせる。
「何か……十代、貴方の……柔らかいものが今、私に……」
明日香のただならない様子に、観客席がさざめいた。
「まさか十代ーっ!!」
「最低だ! 気持ちは分かるがセクハラなんて最低だ!」
怒号が飛び交う。謂れのない中傷に、十代は不満そうに耳を塞いでいた。
「天上院君を穢すな! 許さんぞ十代、バカヤローっ! オレ様が貴様を去勢してやるっ!」
万丈目の罵声に、明日香はようやく我に返ったようだった。
「おかしな勘違いをしないで!」
顔を赤くして叫び返す。
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