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 十代から聞いていた通り、<いとしの天上院君>とカードを交える時の万丈目のデッキはひどいものだった。常のおジャマデッキが至って硬派で実直な組み合わせに思える。それでも頭に血が上っている万丈目は本気で、その薄ら寒いまでの情熱は時に明日香の神経をすり減らし、時にあの寛容な十代を苦笑いさせた。
 決着が着くのは時間の問題だったと言っていい。
「あぁーっ! 明日香た〜ん!」
 おジャマごと蹴散らされ、ライフ・ポイントの消滅を示すブザーが響いた。
 愛しい女王の気を惹く事ができなかった憐れな男が泣き崩れる。仮にもプロ・デュエリストとして目に余る醜態だが、観客席からは同情といたわりの声が掛けられた。
 この万丈目サンダーという男には、他人を惹き付ける力が確かにあった。しかしながらその特性は、惚れた女にはまるであてにならないらしい。
「サンダー! へこたれるな! 次がある!」
「頑張れサンダー! でも、できればずっと俺達だけのサンダーでいて欲しい!」
 万丈目のファンが、偶像崇拝の対象の無惨な姿に、大声を上げてむせび泣いている。
 ヨハンも、気持ちばかりだが手を合わせておいた。いつかあの無謀過ぎる挑戦者に幸福が訪れんことを。


「つまらなさそうね。見えなくてもわかるわ」
 勝負がつき、挑戦者の求愛をまたひとつ叩き折って、だが明日香は醒めたふうに言った。
「そうね……貴方にとっては私も兄さんも滑稽でしょう。十代。貴方に恋する女の気持ちなんて分からない」
「恋する気持ちね。わかんねぇよ」
 十代が肩を竦めて応じた。
 彼と明日香の間には、ぎこちないひずみが存在している。昔はどうだったろうかと、かつて二人に初めて出会った頃のことを思い出していた。
 底抜けに明るく、能天気で、無邪気な十代。そんな十代をどこか面白がるように眺めている明日香。
 十代には明日香が胸に抱いた想いが分からない。誰の想いも分からない。いつまでも子供っぽい男なのだ。
 しかし、彼は変わる。子供から大人へ成長する。変わらないものも確かにある。
 ただ、明日香はまだ戸惑っている。
「たとえば貴方の未来に私がいなくても、きっと貴方は何も変わらないんでしょうね」
「そうでもないさ。明日香のことは大切な仲間だと思ってる」
「ええ、私も十代のことが大切だわ。少なくとも貴方が思っているよりは」
「明日香は本気で信じてるのか?」
「どういう意味よ」
 鼻白む明日香に、十代は一瞬迷う素振りを見せてから口を開いた。大方また機嫌を損ねて足を踏まれる心配をしたに違いない。
「本当に、一目見ただけで恋心とやらが生まれるとして、そんなに大切なものだと信じてるのか。人の想いを、たった一度見たからってそれっぽっちのことで動かせるって。それまでの気持ちもそっからの出来事も関係なくさ……もしもそうならユベルの力より随分便利だな。恋ってやつは」
 気だるげに零した意味が、明日香には理解できたのだろう。力なく頭を振った。
「貴方の考え方も理解はできるわ。私も、昔はデュエルのことしか頭になかった。デュエルに恋をしていた。だけど、もしもよ、まるで台風みたいに現れて、価値観を全部吹き飛ばしていくような……その人が存在しただけで世界が変わるような……誰よりも強くあろうとしていた自分を、いつも必ず守ってくれる人が現れたら。……考え方のひとつだって、変わってしまうというものよ」
 ひととき、十代の身体が強張った。
「……どうしたの?」
「い、いや。なんでもない。……な、なんだよ。いやに知ったふうに言うんだな。お前のことが好きだって言うサンダーをあそこまで叩きのめした、あの明日香が」
 十代の変化を敏感に悟って怪訝になる明日香に、彼はどうしてか狼狽して、わざとと知れる軽い調子で返した。明日香はそれが気に食わなかったようだ。十代の手首をきつく握り込んだ。
「あのねぇ、馬鹿にするのもいい加減にして。誰の話だと思ってるの? 私は他ならない貴方の――
「ど、どうしたんだよ、またなんか怒ってんのか」
 明日香が息を飲み込んだ。この麗しい女王が、声を裏返らせて、まるで中等部生のような初々しさで頬を染めていた。
「私は、ずっと、貴方のことが……」
 いつしか、丸藤リーグのデュエル・ホールは静まり返っていた。観客の一人一人が息を詰めて二人の遣り取りを注視している。
 万丈目は目の前でエースカードを破り捨てられる光景をただ見せつけられるように、呆けて目と口を虚ろに開けていた。
 視線を上げると、倒壊した司会席の残骸に持たれ掛かって、吹雪が藤原に頭へ包帯を巻かれているところだった。おそらくそれは怪我が元ではなく、藤原なりの当て付けなのだろう。気に留めず、吹雪は目を輝かせて拳を握り、まるで自分の事のように真摯に妹の告白を見守っていた。
 しかし、雑音が途切れたせいで頭が冷えたものらしい。明日香はふと我に返った様子で、首を巡らせた。
 今にも泣きそうでいる万丈目。半笑いで手を取り合い、成り行きを見守っている取巻きの少女たち。兄の『してやったり』の顔。塞がれた彼女の瞼の裏には、そんなものが映ったかもしれない。
「あ、貴方の……貴方のことが」
 そんなものが明日香の理性を呼び覚まし――
「き、気に障って……しょうがなかったのよ!」
 そして真逆のほうへ疾走した。頭に血が上ったまま、十代を罵倒する。
「兄さんがあんなふうにわけの分からない快楽犯になったのも、元はといえば十代、貴方のせいよ。貴方のその不真面目な態度が、性質の悪い病原菌みたいに、兄さんにまで感染したに違いないわ。貴方程の力を持った決闘者だもの。兄さんだって一目置いている。そんな貴方がいい加減で人の気持ちなんて何も考えないで、アカデミア時代だって学生の本分をサボってばかりで、卒業したらしたで友人の私達に一言の断わりもなくさっさと行方不明……今朝一番にお気に入りのブーツのヒールが折れたのも、通販で届いたばかりのストッキングが伝線したのも、兄さんにおかしな薬を一服盛られたのも全部、みんな貴方のせいなのよ!!」
「ちょっと待て。いくら何でも言い掛かり」
「何か文句ある!?」
「……いや」
 涙の滲んだ声で理不尽な文句を並べ立てられて、さすがの十代も『どうしたものか』というふうに、救いを求めるように辺りを見回した。
「ひどいぞ、十代ーっ!」
「明日香さんを泣かせるな! このろくでなし! 人生落第男!」
「仕事しろ! 無職がっ」
 しかし上手く味方を見つけることはできないようだった。
「……オレは今日は、厄日だ」
 肩を落としてぼやく。随分くたびれていた。
 その背中を叩く者がいる。
 十代がふと気落ちした顔を上げて、不思議そうに傾げた。
「カイザー。次の相手はあんただっけ?」
「………」
「いくらあんたでも気を付けた方がいいぜ。明日香、すっげー気が立ってるみたいだ。……でもカイザーがこういう話に乗ってくるのって、なんか、意外」
「……そうね……そうよ、意外だわ……」
 明日香も緩慢に同意した。しかし本当は、そんな事はどうでも良かったのだろう。彼女は照れ隠しとはいえ、心と裏腹な言葉を十代へ散々に浴びせ掛けてしまったことで、ひどく落ち込んでいる様子だった。
 十代には全く気にした様子もない。その通りだとでも思ったのだろうか。いつも通りに平然とした態度が、明日香にとっての救いなのか、そうではないのかは分からなかった。
「うーん。親友だし、付き合い長いみたいだし、吹雪さんの悪ふざけを止めらんなかったって、責任でも感じてんのかな」
「責任感なんかでそんなこと……守ってもらいたくなんかないわよ」
「だよなあ」
 十代が妙に感慨深い調子で、そこだけは同意した。今の彼には理由は知れないが、『守ってもらう』や『恋』といったワードが鬼門のようだった。
 亮は物珍しそうな二人の後輩には構わず、小指ほどの背の高さのガラス瓶を、まっすぐに十代へ差し出した。
「十代。飲め」
「これ。吹雪さんが明日香に飲ませた惚れ薬じゃないか」
 十代が瞬きをして、小瓶の蓋を外して鼻を近付ける。
「あ、意外と美味そうな匂いすんだ」
「な、何してるの? 貴方達」
「あーっ! お兄さん! ずるいっス! 卑怯っス! 見損なったよ!」
 翔が、兄の予想外の暴挙に悲鳴を上げてスピーカーを叩いた。
 そしてヨハンもまた、そこで粛々とした傍観者をやめた。
―― 本当だ、見損なった!」
 手摺りを一跳びで跨いでデュエル・リングへ上がり、亮の元へ詰め寄って胸倉を掴み上げる。背丈は相手の方が大分上だった。そのせいで恰好はつかないが、構わずに罵声を上げる。
「ヘルカイザー亮。俺は十代が自分の意志で誰かを好きになるならそれを止めないさ。俺のことは関係ない、こいつの恋の応援だってする。だけど薬の力なんかで無理矢理誰かを愛するなんて、絶対に認めない。なぁ、あんたは十代を幸せにする自信があるのかよ。あるならこんな卑怯な真似をしないで、正々堂々と闘ってくれ。十代はなぁ、こいつ自身の心に正直に生きて世界一幸せになるべきなんだ。それだけの価値がある人間なんだぜ」
 亮を突き飛ばすようにして離れ、十代の両肩を抱いた。十代は驚いたようにヨハンを見上げ、一瞬の後には苦い顔になる。
「……なんでそうやって、ヨハンは……」
 拗ねた子供のように口の端を曲げた。自棄になったように、口を開けたガラス瓶に唇を触れさせる。
 翔が顔色を変えた。
「あー! アニキ! 早まらないで!」
「いい機会だろ。皆がおかしくなっちまってる恋なんてものが絶対じゃないって、証明できるってもんだ」
 そう嘯いて、止める間もなく一気に<惚れ薬>をあおる。
 最近では、周りの友人たちよりも頭ひとつ抜きん出て思慮深い性格になったと思っていた。普段ならこんな暴挙をやらかすような男ではない。すると、十代もやはり頭に血が上っているのだろう。
「……一体何をやってるんだ、十代!」
 ともあれ、ヨハンは十代の頭を後ろから腕に包んだ。
 吹雪の言う所によると、まず初めて見た人間に惚れてしまうのだったか。一時凌ぎだとは言っても、このまま彼の心を強引に捻じ曲げられてしまうのは、どうしても勘弁願いたかった。翔が十代の手を取って、何度も頭を下げている。
「アニキ、ごめんね。本当にごめんよ。でも大丈夫だ。アニキのことは、ボクもふつつかなお兄さんと一緒に責任を取るよ。だから心配しないで。これから楽しくデュエルして、幸せな家庭を築いていこうね……!」
 翔の<ふつつかなお兄さん>は、腕を組んで、ただ静かに十代を見つめている。表情はいつもと変わらない。期待をする様子も、気が咎めている様子もなく、本当にいつもの通りだった。癪に障るが、ここでこの男に対して怒るべきは十代だ。ヨハンではない。
 ヨハンは十代を覗き込んで、耳の傍で囁いた。
「……十代? 心配するな、大丈夫だ。お前が誰を好きになったって俺は何も変わらない。死ぬまで傍でお前を守ってやるからな」
 十代の口の端がまた硬く引き結ばれる。この頃は、何度この顔を見ただろうか。いつ見ても幼児がむずかるように見えてしまう。それを大人びた今の十代がやるから、どこか微笑ましいものにさえ感じていた。
「……だから、なぁ!」
 十代が身体を捻る。ヨハンの腕が、力任せに振り払われてしまった。
 十代はヨハンを、真正面から、その解放された眼で睨み付けた。
「守るなんて言うなっての。馬鹿ヨハン」
 挑むような視線に、血の下がる思いだった。
「お前っ、……馬鹿! 見るな!」
 反射的にもう一度十代の目を塞ぐが、今更の事だと思い当たる。
 十代の心は、彼の他の何物の力でもっても捻じ曲げてはならないものだった。尊いまでに誇り高い美しい魂だった。
 彼が望んだのならそれが誰でも構わなかった。ヨハン自身の想いとは別の所で、それは大切な選択だ。ヨハンのやるべきことは何も変化はしない。十代と、彼が選んだ人間を、もしもそんなものが存在するならの話だが、命を懸けて守るつもりでいる。
 『もしもそんなものが存在するなら』。
 それが仮定になってしまうのは、かつて十代が深く傷付き、その傷痕がいまだに癒えていないからだろう。
 彼は愛する者を失うことを極度に恐れるようになってしまった。また確実にそうなる未来が見えてしまっていた。
 この一年で、ヨハンはまた少し背が伸びた。十代は一ミリも変わらない。
 つまり、そういうことなのだ。
 十代には恋愛感情というものが欠損しているらしい。しかし、友人達を何より大切にしている。馴染んだ人間といつでも絆で繋がっていると確信することで、彼の魂が癒されればいい。
 そう思っていた。傲慢でも期待でもなく、ヨハンは十代をこの世界に繋ぎ止めていられる架け橋で、それははからずも、長年抱き続けていた夢だった。
 ほんの少し前に、十代はヨハンにこう言った。
 ヨハンがずっとひどい奴なら、ヨハンが十代を『手に入れようとしたら』、きっと十代はヨハンのものになっていただろうと。
 もしも<その形>でしかヨハンが十代の傍にはいられないと宣言をすれば、十代はヨハンを、ヨハンが望む形で受け入れてくれただろうと思う。その位には、彼の中でかけがえのない存在だった。
 ただ我侭を言えば良かった。十代は叶えてくれる。
 それがどうしてもできないのは、ヨハンの性分だった。後ろめたさや気まずさと言った友人への誠実とはどこか別の世界にある、信じる神へそうすることに何の疑いもないというある種の崇拝だった。
 そうされるまでの、美しい人だった。
 いつからこんな考え方をするようになったのかは、あまりにも当たり前のように染み込んでいたものだったから、もう覚えていない。
 だが、もう手遅れには違いない。
「ごめん、十代。全部俺のせいだ。はじめに俺が吹雪さんに相談を持ち掛けたから」
「兄さん?」
 明日香が意外そうに声を上げる。ヨハンと吹雪の組み合わせが想像し辛かったのかもしれない。
「別にヨハンが謝るような事じゃないさ。いつもの吹雪さんの気まぐれだ。それに、少しだけど、興味もあった」
 十代が邪魔っけそうにヨハンの腕から抜け出し、気恥ずかしくなる程にヨハンを見つめてくる。亮がその肩を叩いた。
「どうだ。お前の心は何か変わったか?」
「………」
「あんたは気安く十代に触らないでくれないかな、ヘルカイザー」
 惚れ薬を飲ませて十代の心を手に入れようとしたはずの男が、十代の視線がヨハンに向いても何も気にする気配がないのは妙だった。
「大丈夫なのか、十代?」
 ヨハンは怪訝に、十代の頬を両手で包んで、それを確めてみる。
「好きだ」
 囁くと十代の腕が伸びてくる。ヨハンがそうするように、手のひらが頬に触れる。今更ひどい罪悪感が頭をもたげた。
「十代、俺こんなのは……いってえ! いててて! 痛いぜ十代!」
 十代の細い指が、ヨハンの頬を抓って力任せに引っ張った。憮然と口を開く。
「寝言は寝て言え」
「……あのさ、ヘルカイザー、こいつ、普段と変わりはないみたいだけど」
「そう、変わるはずがない」
 亮はそう言って、十代からガラス瓶を奪うと、残った液体を全て飲み干した。空の瓶を床に叩き付ける。明日香の目を塞いでいるスカーフを解き、珍しく不憫そうな目で後輩達を眺めた。
「惚れ薬などというものが本当にあるのかは分からないが……少なくともこれはそんな大した代物じゃない。ただのグレープジュースだ。奴は何年か前にも、同じことをやらかしている」
「え、マジで?」
 十代の肩を掴んで注意深く瞳を覗き込むと、そこには最近良く見るようになった、どこか迷惑そうな色がある。
「やっぱり」
 どうしてか、十代が残念そうにぼやいた。
 明日香と翔が呆けている。視線を上げる。壊れた司会席の司会が、親指を立てて応じてくれた。この快楽犯は、してやったりという得意げな顔もない。ただ恋の殉教者への無償の慈愛を湛えていた。それが空恐ろしい。
「お前って最悪だよね」
「やだなあ藤原。心外だ」
 笑顔だ。

 * * * * *

 この騒動が吹雪の口車による実害のない悪ふざけと知って、明日香は心から安堵しているようだった。人心地がつくと、気になる事があったようで、リングの壁にもたれて口を開いた。
「さっきの、どういうことかしら」
「さっきのって?」
「貴方が兄さんに相談を持ち掛けたっていう。なんだか意外だわ。さっきの惚れ薬の狂言も、ヨハンの為に兄さんが用意したものだとすれば、それもおかしな話」
「おかしいかな。確かに変なことになっちってたけど。今度から吹雪さんに相談する時は気を付けるよ」
「まだ懲りてないのかよ」
 十代が呆れた様子でヨハンの袖を引っ張った。
「なんだからしくないと思ったの。でも、もういいわ」
「ああ。でも、らしくなくもなるさ。俺の好きな人は一筋縄じゃいかない。俺のせいで今日もまた随分迷惑を掛けた」
「迷惑って」
 明日香が意外な顔で壁から背中を離した。彼女も不思議に思ったことだろう。先の騒動に巻き込まれて最も困った目に遭わせられたのは、明日香と、それから――
「だけどすごく心の広い人だから、嫌な顔はするけど拒絶はしない。優しいんだ。なっ、十代。俺は本当にお前のことが大切なんだって再確認したぜ」
 笑って十代の背中を叩いた。
「やっぱり、十代が大好きだ」
 何故か十代が顔を青くする。脂汗まで浮いている。
 会場は再び静まり返っていた。ひとときその無音が続いた後、無数の囁き声が、先の十代への罵声の代わりに宙を飛び回る。
「……あの外人、そういう趣味?」
「ああ……どうりで、なんか納得。あいつらやっぱり……」
「ヨハン君、イケメンなのにもったいない」
「あら、それもありですわ〜」
「っだぁあ〜!!」
 十代が、頭を抱えて振り回した。
「どうした十代。落ち付け」
「ヨハンっ、お前なんでこんな所でそーいう事を言っちゃうんだよ!」
 見上げてくる目には涙が浮いていた。少し前の明日香の表情にも似ている。ふと明日香を見遣ると、呆けてヨハンを見返してきていた。首を傾げて応じる。
「明日香? 変な顔してどうしたんだ」
「貴方の、好きな、ひとって。まさかそこの……貴方の<親友>のこと?」
「あ〜。やっぱり気付いてくんなかったんだ。俺は君を一方的にライバルだと思ってんだけど」
「……気付くわけないでしょ!? だって貴方男子じゃない!」
 ようやくそれと悟った明日香が、ヨハンと十代を交互に見比べて、顔を赤くして噛みついてきた。
「確かに貴方の言う通りよ、ヨハン。口説く度に嫌な顔をされるって、いくら十代でも同性の親友にそんなおかしな事を言い出されたら困ってしまうに決まっているじゃない」
「そんなおかしな事でもないぜ。今は」
「そりゃ文化の違いもあるでしょうし……もしかしたら貴方の国ではそうなのかもしれないけど……」
 変だと、明日香は断じることができない様子だった。彼女ももう、本当はどこかで感付いているのかもしれない。十代は、明日香に妙な所で憐れまれて、どういう反応を返すべきか考えあぐねているようだ。
 ヨハンは彼の肩を引寄せた。勢い良く上着を捲って見せる。
「前にも言ったろ。こいつ、男じゃないんだ。半分は」
 露になったのは、ガーゼの包帯で覆われた奇妙な肢体だった。
 左半身は、相応の痩せた青年の身体だ。ただ、右半分が、柔らかみを帯びた線で構成されている。薄い布地を押し上げているのは、豊かだとは言えないが、まぎれもなく女のものだった。
―― ばかやろーッ!!」
 観客席に挟まれた巨大スクリーンに、真っ赤になった十代の顔と潤んだ鳶色の眼が投影される。それを認識した途端、乾いた音を聞いた。
 十代に平手で頬を張られたのだった。
 羞恥と怒りが、彼の目の縁を赤く染めている。髪は人に慣れない野良猫のように逆立っていた。
「なんで怒ってるんだ? 十代」
「この馬鹿っ! ヨハンは馬鹿だーッ!!」
「……なにがどうとか言うより前に、貴方って、サイテーね」
 明日香の声は、まるで極圏の冬空のようになっている。
「な、なんだ? あの身体」
 観客席がさざめく。大画面に映し出された十代の奇形を目の当たりにして、彼らは何を思っただろうか。平手打ちをされて腫れた頬を擦りながら、ヨハンは円形の観客席を見渡した。
「男? 女?」
「ちょっと気味悪くないか。普通じゃないって」
「あの十代のアニキが、そんな……」
「みんな、見ての通りだ。十代は<こう>なんだよ」
 デュエル・リングの眩いライトの中で、両腕を広げて叫んだ。
「……ヨハン」
 十代は、痛みを感じたような、寂しいような、そんな表情でヨハンを静かに見つめてきていた。
 彼はヨハンに裏切られたと思ったのか。
 やはり何も分かっていない。
「ただ、そんなことで十代の価値が変わることはない。いや、<だからこそ>だ」
 だからこそ輝いている。ひとつの迷える魂を救った証明を、誇らしく思うべきだ。なにも後ろめたいことはないのだと、ヨハンは続ける。十代に自身の身体を誰にも恥じて欲しくはなかった。
 振り返ると十代は本当に困った顔をしていた。
「なんだよ、面白い顔だぜ十代」
「……ヨハンは、この頃よくそうやってオレの価値の話をするけど、オレには良く分からないよ。いや、自分に価値なんかないなんて言わないさ。ただお前が思ってくれるふうには、なんだかピンとこないんだ」
「俺の正直な気持ちだぜ。それだけさ」
「……やっぱり、オレ、ヨハンの言うことってわかんねぇ」
「ああ。俺はさ、十代、お前が誰を傍に選んでも構わないと思ってる。これは本当さ。俺の気持ちとは関係のないところでもう決めたことなんだ。お前は俺の命の恩人だ。だから一生をかけて守る」
「そんなの、恩とか負い目なんかで守ってもらったって、嬉しくなんかねぇんだよ」
「でも俺自身の想いはそれとはまた別なんだ。俺はお前の心を大切にしたい。同じくらいに、俺の心のままに生きたい。心のままに十代が好きだってことをお前に伝えて、だけどそれはお前を困らせることにもなってる」
 使命と望みが無限のループを描く。ヨハンは腕を組んで虚空を見上げた。
「つまり、どうすればいいのか分かんないんだな、これが。う〜ん。なんか上手い方法ないか?」
「そんなもん、オレに訊かれても困る」
「だよな〜?」
 ヨハンは頭を掻いて笑った。難しい顔をしていた十代も、つられるようにして、少し笑った。
 そのかすかな表情が、見惚れるほどに綺麗だった。思わず腕に抱きしめたくなって、手を伸ばすが、明日香に十代の首根を引っ張られて届かない。今の女王は、愛しい仔猫を災いから遠ざけようとする母猫のように見えた。
「十代。ヨハンから離れなさい。今の貴方達の関係はとても危険だわ。十代が」
「ひどいぜ明日香。俺はケダモノかっての。確かに俺の家族は動物ばっかりだけどさぁ」
「その冗談は全然面白くないわよ」
「オレは明日香、ヨハンよりも、お前のとても女とは思えない馬鹿力の方が危ないって思」
「十代?」
「い、いや」
「ねぇ十代。アカデミアにいた頃に、二人でペアデュエルに出たことがあったでしょう。私、あの時は、貴方がおかしくなってしまったんだと思ってた」
「……無理もないさ。人は変わる」
「違うわ。貴方はおかしくなったんじゃなくて……おかしかった昔の貴方が、今になってようやくまともになったのよ。昔の貴方は、確かにあんなふうだった」
 気高い仕草で、明日香の指がヨハンへ向いた。照れて笑うと、十代は嬉しいのか呆れているのか、どちらともつかない曖昧な表情で、少し頬を染めた。
「うん……知ってるよ」
「……どうしたの。そんな顔」
「顔?」
 十代が、そう言われて不思議そうに自分の頬を両手で触る。明日香は迷う素振りを見せてから、口を開いた。
「今、なんだか女の子みたいな顔をしていたから」
「……ばっ、馬鹿言うなっ! オレは男だ。生まれて十八年男だったんだからな。何がどうなろうとそこばっかりは変えらんねぇよ」
「し、知ってるわよ。そんなこと、貴方の心が以前の十代のままだってことくらい」
 顔色を変えた十代に、明日香も慌てて同意した。自分と同性の十代というものを想像したくなかったのだろう。
 いや、既に遅かった様子だ。食中りを起こしたような顔色になっている。
「か、考えんな。頼むから!」
 随分と情けない顔になっている十代の肩を、後ろから優しく支える者がいる。
「十代くんにはやはり赤が似合うね。情熱の赤い薔薇のドレスだ。さすがのボクもキミの身体のことは予想外でね、次の機会には必ず用意をするから許して欲しい」
「いや、吹雪さん。冗談だろ?」
 明日香のモンスターに早々に退場させられたと思っていたが、吹雪は堪えた様子もなく、自慢の顔にも傷一つついていない。十代へいたわりと慈愛の視線を注いでいる。
「もう気付いてもいい頃なんじゃないかな。恋はキミを変える。十代くん、キミの心を惹き付けてやまないひとは誰だろう? 明日香かな。それともヨハンくんだろうか?」
「だーかーらっ、オレは、そんなのはヤなの」
 誰も自分の言い分を聞き入れてはくれないと、拗ねてしまったようだ。いつのまにか昔の口振りに戻っている。
 子供っぽい顔でふてくされている十代が奇妙に懐かしく、また愛しく思えて、つい微笑んでしまった。明日香も同じことを感じたようで、口元に手を当てている。吹雪が満面の笑顔で両腕を広げた。
「さて二人とも、キミ達は今こう思っているはずだよ。『このままでは埒があかない』とね。そろそろ決着をつけようじゃないか。キミ達は今新たな伝説の決闘者の前にいるんだ。デュエルに魂を捧げた者同士、デュエルで決めてしまおう。明日香とヨハン君、どちらがこの次世代の決闘王に相応しいか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ吹雪さん。なんだそれ、そりゃ目指してはいるけど、そんなに勝手に決闘王って。遊戯さんに顔を合わせらんねぇよ!」
「あれ、そっち? まぁまぁ、いいじゃないか。キミが武藤遊戯に匹敵する決闘者だって言うのは、他ならないあの人だって認めてくれているんだろう?」
「……そ、そう、かな?」
 十代の頬が仄かに染まった。恋愛感情を理解出来ないなどと言うくせに、その顔は恋する乙女のものではないのだろうか。
 ヨハンは溜息を吐く。武藤遊戯病の十代の気持ちは分かるが、ヨハンだって嫉妬をしないわけじゃない。ヨハンよりもいくらも潔癖な明日香の額には、すでに青筋が浮いていた。
「いつもいつも口を開けば遊戯さん、遊戯さんって。貴方もいい歳なんだから、いい加減その武藤遊戯オタクを治しなさいよ。みっともない」
「はは、無理無理。無理だって。カッコいーもん武藤遊戯。あーあ、羨ましいぜ。俺もあのくらい十代に愛されちゃったらなぁ」
「あ、明日香だってサイン欲しがってたじゃねーか。愛とか言うなヨハン。お前がそういうこと言うと、なんか嫌な思い出が蘇ってくる」
 吹雪が、宥めるように十代の肩を叩きながら、こちらへ力強く頷いてみせた。
「さあ二人とも。十代くんは拒まなかった。つまり、キミ達二人の勝ったほうが十代くんのフィアンセだ!」
「なんでそうなっちゃうんだよ!?」
「うん? まさか十代くん、キミはアカデミア本校首席卒業生の明日香も、ヨーロッパ・チャンピオンのヨハンくんも、まさか自分に相応しい決闘者じゃないと言うんじゃないだろうね? 彼らなどキミや、キミが唯一リスペクトする武藤遊戯の足元にも及ばないと……」
「……そうなのか十代?」
「なんですって!?」
 聞き捨てならない言葉に、声のトーンが自然に落ちた。
 十代は吹雪の言葉に驚いた様子で目を丸くした。心外そうに何度も首を振る。
「い、いや、そうじゃない。二人はすげえ決闘者だ。リスペクトしてる」
「じゃあ何も問題はないね!」
「……何だろう。すごい言い包められた気がする」
 十代の沈黙を見届けて、デッキ・ケースから家族達を呼び起こす。デュエル・ディスクを構えて、そう言えば明日香と闘うのは初めてだったはずだと今更に思い当たった。
 気高い人間とのデュエルは楽しいものに違いない。女王と呼ばれる決闘者を前にしても、負ける予感はまるでなかった。
「行くぜ明日香。勝ったほうが十代のフィアンセだ!」
「挑まれたデュエルは受けて立つわ……!」
「な、なんで明日香まで吹雪さんに乗っちゃうんだよ……?」
 ひとり孤島に取り残された漂流者のような体でいる十代の頭の上から、手摺りに肘をつき、明日香の取巻きの少女が二人、さも嬉しそうに声を浴びせた。
「まさか今もまだ<フィアンセ>の意味が分からないとか」
「言いませんわよね〜?」
「なんで、こんなことになるんだよ……」
 十代が頭を抱えてしゃがみこんだ。
「ちょっと待って! ボクは会場所有者として提案する。そういう事なら敗者復活戦をするべきだよ」
 翔が観客席から身を乗り出して叫んだ。彼は兄貴分の問題となると、途端に血相を変える性質があったから、翔の口出しは理解できる。だが、ここで意外な顔も名乗りを上げた。
「オレも出ます」
 万丈目だった。
 明日香に一途なこの男が一体どういう心変わりなのかと訝る。恋愛のエキスパートを自負する吹雪も、意外そうな顔をした。
「キミは明日香一筋じゃなかったのかい? 浮気な男はいけないねぇ」
「か、勘違いしないで下さい! オレはそーいうんじゃなくて」
 心外だと否定する。
「……ただもしも、もしもですよ。ヨハンがデュエルに勝ってしまったとすると、いや妹さんが負けるはずはなくて、でも彼女が勝ってしまうのもオレは困るんですけど。ともかく、あいつが。……自分に照らし合わせて考えてみたら、あまりに憐れで」
 照らし合わせて、という部分は、つまりこういうことなのだろう。
 万丈目にかけがえのない友人で、ライバルでもある男がいる。同性の、気のおけない相手だと思っていた男が、ある日突然求愛行動を始め、挙句憧れの異性へ自分を巡って決闘を申し込む。
 そうなる<もしも>を想像して、万丈目はやるせなくなってしまったらしい。
「うん、友人は幸せになるべきだっていうんだね。キミはいい子だなぁ」
 吹雪が感慨深そうに万丈目の頭を撫でた。
「ずるい! 私も十代サマをモノにしたいのに!」
「レイちゃん、女の子が『モノ』とかはしたないドン。でもアニキの一大事ザウルス。これはオレも出るしかないドン!」
「僕も出ます。半分女の子なら……僕でも先輩と結婚できますよね? 法的に」
「ガッチャさん! まさかガッチャのアニキがふたなりっ娘だったなんて、ボクは、ボクは……! これリアルですよね。二次元じゃありませんよね?」
「誰かこのオタクを引っ込めろ。丸藤先輩、俺にも出場の権利を与えて下さい! アカデミア在学中からずっと十代先輩に憧れていました!」
「昔はオシリス・レッドの子猿だと思っていましたけど……今の彼なら全然アリですわ〜」
 熱の篭った視線が、十代へ一纏めになって突き刺さる。彼は本校最強の決闘者として、数々の武勇伝を置き土産に卒業を迎え、そして今日まで、非公式ではあるが、また伝説を築き続けている。遊城十代という人間には、熱狂的なファンが多い。
 ただ、偶像のようにもてはやされることに馴染めない当の十代は、まるで幼いところばかりが目に付いたかつてのように、地団駄でも踏みそうな様子でいた。
「ああもう! いい加減に……」
 口を開いて、ただ言葉が不自然にぶつ切れる。瞼が閉じられ、再び開くと、その眼は落ち付いた鳶色ではなくなっていた。
―― いい加減にしなよ、お前達!」
 紡がれたのは、普段の十代よりも、いくらも棘のある声音だった。見開かれた瞳は苛ついたふうに眇められ、険しい。ひとときで常と変わり果てた十代は、どこか芝居がかった仕草で肩を竦めた。
「まったく見苦しいったらないよ。何を勝手な事ばかり喚いているんだい。フィアンセ? そりゃボクのことさ。前世からそうだった。寝言はこのボクの心臓を貫いてから言うんだね」
 親指で、軽く左胸に触れる。この妖しい言動から、思い当たるところがひとつしかない。ヨハンは「あー」と気の抜けた声を上げた。
「ユベル?」
「気安く名前を呼ぶんじゃないよ。お前気持ち悪い」
 容赦も慈悲もない、鋭い刃の切り返しだった。そんな十代の声色を、貰ったことはなかった。思わず口元を綻ばせる。
「うわぁ……すげぇ。十代にそういう罵られ方するの、俺初めてなんだ」
「うん。アニキの顔で、これはちょっと、くるね」
「ヨハンも丸藤先輩も、二人ともマニアックザウルス……」
「すげぇ久し振りだな。顔を合わせるのはユベル城以来だっけ? 十代の中にいるとは聞いてたけど、相変わらず元気そうだなぁ! ところでお前が出てきたって事は十代はどうなったんだよ」
「お前って、前回最後に顔を合わせたのがあのシチュエーションで、良く笑ってボクに声を掛けられるよね。十代は……十代?」
 ユベルが、十代の姿で呆けた表情を作った。遊園地へやってきて、いつのまにか子供とはぐれてしまった親のように、細い首を巡らす。ふと、その虹彩異色症の瞳に奇妙な物が映り込んだ。
 ボール状で、毛足の長い絨毯を丸めたようなそれが、床の上に伏しているのだった。柔らかそうな毛合いは十代の頭の色にもよく似ていた。僅かに震える。生きている。
「ハネクリボー?」
 ヨハンにも良く見覚えのあるそれは、十代の精霊だった。やがて緩慢な動作で白い翼を広げ、舞いあがる。怒ったように両目を見開いて、主のはずの十代を睨んだ。
「いてて。いきなり何すんだよユベル」
「な、なにこれ。なんでこの忌々しい毛玉が十代の声で喋るわけ?」
 ユベルが、口元を押さえて声を上げた。



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