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その毛糸玉のような姿に今更気付くのは、従来から彼がどれ程自身に無関心であるのかを示していると言える。翼を広げたまま滞空し、感じ入ったふうに声を上げた。
「な、なんだこりゃ? おお……! オレ飛んでる!?」
「十代の声で喋るハネクリボーって、なんか面白いぜ」
ヨハンが腕を伸ばすと、ハネクリボーの小さな体躯は両手のひらの中へ簡単に収まってしまう。触感はきちんとあったから、実体を伴っているようだ。
「ボクにはアニキの声で喋る毛玉ってすごい違和感なんだけど」
翔が半目になった。
「小さいな。うりゃっ」
柔らかい毛合いが心地良く、またこの中へ入っている魂の常体を思うと、微笑ましい心地にさせられる。大きな犬の頭を撫でるように毛を掻き回してから、ふと思い出したのは、近頃十代がヨハンに髪を撫でられるのが気に入らない様子でいたことだった。
今は大人しく項垂れ、されるがままになっている。
「お〜。嫌がらないのか?」
「……もう一々反応する気力もない」
「かわいい〜! ねぇ、次ボクいい?」
「わ、私も……その」
レイが頬を火照らせて手を差し出してくる。明日香も、どこか気後れした様子だが、その後ろに続いている。女子という生物は、いくつになっても可愛いものへの興味が尽きないらしい。
ユベルは最愛の存在がヨハンの腕に抱かれて、レイと明日香に弄くり回されている光景がいたく気に入らなかったのだろう。力任せに小さな<十代>を奪うと、さも大切そうに胸に抱いた。
「お前たちが本気でボクからこの浮気者を奪おうというつもりなら、バトルロワイヤル方式でも何でもいいよ。いくらでもまとめてかかってくるんだね。返り討ちだ」
毛を逆立てているユベルに、溜息を吐き、後ろ頭を掻き混ぜた。この精霊はどうも見境というものが欠落しているようだ。今は頭に血が上っているらしいから、昔と同じで、宥めても応じないだろう。
「吹雪さん。明日香を頼む」
「確かに、明日香を二度とあんな目に遭わせたくはないね」
吹雪に明日香を任せて、レイにも今は下がっているように諭した。ユベルとデュエルを行うということは、きっと<そういうこと>なのだ。
案の定レイはむくれていたが、ヨハンの顔をしばらく見つめた後、急に大人しく引き下がった。思うところが何かあったようだが、よく分からない。
「なんだぁ? 俺の顔になんかついてたか?」
「女の子は、いつだってイケメンの殿方のお願いに弱いものなんですのよ」
頭の上から、観客席の少女が教えてくれた。黒髪の淑女然とした彼女は、明日香の取巻きのひとりだったように記憶しているが、未だ名前を聞いたことはなかった。
オベリスク・ブルー級の待遇でアカデミア本校に留学をしたものの、オシリス・レッド寮の十代の部屋にばかり入り浸り、どれだけブルー寮の連中と疎遠であったかを思い知らされる。
「十代先輩って、もしかして武藤遊戯みたいな多重人格者だったのか……?」
「決闘者は神レベルに到達すると、人格が分裂しちまうってことなのかなぁ」
「いや、あれはきっと悪霊に乗っ取られたんだ」
観客席が小波のように揺れている。心配になるのは、十代の<こちら側>の、つまり人間としてのスタンスだった。
十代は自身の身体と能力に、他人から価値を見出される事を嫌っている。以前コブラやガラム財閥がそうしたように、ユベルの力を掌中に収めようとする人間から半身を護ろうとする意図だろう。
見上げると、先程は気が付かなかったが、場内のスクリーンには、<決闘中に不可解な現象が起こることがありますが、すべてソリッド・ビジョンです>というテロップが流れ続けていた。いささか強引だが、この会場の所有者なりに気を遣ってくれたのだろう。
「お前とは一度決着をつけなきゃならないってずっと思っていたんだ、最近ね」
十代の気遣いを知ってか知らずか、ユベルがデュエル・ディスクを展開する。その頭の上へ、もう諦め顔でいる十代が、巣篭もりをするような格好で落ち付いた。ユベルの眼の色を差し置いても、どこか牧歌的で微笑ましい光景に見える。
肉体を追われてしまった十代に頷いて、こちらもディスクを起動させた。カードを伏せて先行ターンを終える。
「お前が十代をどれだけ大切に想っているのかは知ってるつもりだ、ユベル。でも俺だって負けていない。俺は永遠に十代を愛し続ける」
「あ〜」
ユベルは遠い日々へ想いを馳せるように瞳の焦点をぼかして、気の抜けた声を上げた。
「そーいう台詞が言えるのも最初のうちだけだからねェ。はじめのうちは甘い言葉を囁いていても、じきに『それはお前の妄想』とか『この世から消滅させてやる』とか『減らず口が治らない』とか可愛くないことばっかり言うようになるんだよ」
「前よりも随分荒んじまってるけど、お前の身に一体何があったんだ?」
「お前には関係ない」
切り捨てられる。ユベルの頭の上で短い肘をつき、様子を覗っていた十代が、呆れたように口を開いた。
「お前全然人のこと言えねーだろ。昔はもっとやりやすい奴だったのに、なんだってこんな性格ひん曲がっちまったんだろう」
「キミのせいに決まってるだろ。このアバズレ覇王」
「そりゃ悪いことしたな」
悪びれたふうもなく、十代が身体を振る。その遣り取りを見て、明日香は顔色を白くしている。吹雪が妹の肩を気の毒そうに抱いていた。
「明日香には、あの<十代くん>はちょっと刺激がきつすぎたみたいだね」
ユベルが動かしている十代の肉体は、確かに少々蓮っ葉が過ぎる。明日香には馴染まないかもしれない。
「ボクはね、心配してやってるんだよ。十代、あいつの心は能天気なキミが思ってるような光り輝く宝玉じゃない。キミへの欲望が渦巻いているドロドロの塵溜まりだ。あの不必要なまでにきらめいている目に騙されちゃいけない」
ユベルが断じた。人間の心の闇を糧とする悪魔の言葉だ。重みがある。ヨハン自身も、思わず苦笑いをしそうになった。
しかし十代は応じなかった。
「……ヨハンは、綺麗だよ」
間違いのない答えを言う口振りだった。
そうやって頑ななまでにヨハンを信頼する姿は、まるで彼の方が、ヨハンを崇拝すらしているのではないかという錯覚すら起こさせる。ヨハンの恋慕は、十代の親愛と向き合うと、もしかすると幼い我侭に過ぎないのではないかと、ふとそんな気になった。
ユベルは半身の理解を得ることができず、また少し苛立ちを増したようだった。
「じゃあ見てな!」
デッキからカードを引き抜き、ユベルが恨みの篭った眼でヨハンを睨み付けた。本来は十代のものであるはずの肉体が、敵意と殺意を持って目の前に立ちはだかるのは、気分が良いものではない。
「ねぇヨハン、<好み方>をシフトさせたことに自分でも気付かないほどに、確かにキミは初対面から十代に好意を抱いていた。親友としてね。十代は今のキミを変だと言ったろう? それはキミの急激な態度の変化にある。さて、変化のタイミングは何だったろう? だけど、キミ自身は何も変わらないと思い込んでいるんだよね。いや、思い込まされているのかな」
手札を開いて、つまらなさそうに続ける。ユベルの意図が分からずに目を眇めるが、そう言えばこれこそがユベルという精霊のやり口だったのだと思い至った。
人の心の闇を目ざとく見付け、抉り出し、食い物にする悪魔は、極上の食事を目の前にするように舌なめずりをしている。背筋が寒くなった。
「キミはキミ自身の存在理由に抗いながら、結局は誰かに決められた運命を甘受しているのさ。偉そうに愛を語るけれど、それは本当のキミの気持ちじゃないんじゃないかな? キミが変わったのは……あの時からだ」
ユベルは大仰に腕を広げ、さもヨハンを軽蔑するように、粘ついた声色を紡ぐ。この精霊は世界すら滅ぼせる力を持った、最高位のモンスターだ。十代とひとつになり、彼を守るために存在する<味方>なのだという認識を得てから忘れ掛けていた、本能的な危機感が呼び起こされた。
「あの時、キミは見てしまったんだ。十代がキミの種を孕める身体になったその可能性だ」
「それって、お前と同じ雌雄同体の身体のことを言ってるのか?」
尋ねると、出来の悪い生徒を見る教師の一瞥が返ってきた。腹が立つが、回りくどい喋り方をする相手が悪いのだと考える。
「もっと根本的なことさ。十代に初潮がきた。ひどいタイミングだったね、あれは」
ユベルの言葉に、ヨハンの中にあって、どうしても忘れる事ができない記憶がまた鮮やかに蘇る。
そう、あの時―― 。
* * * * *
語学書と観光案内で良く知った気になっていたその国へと、度々足を運ぶようになったのは、アカデミア本校への留学を終えた頃からのように思う。
物心ついた時分から、他人には見えない精霊を見て、どこか浮世離れして生きてきたという自覚は持っていた。そこへ初めてできた、かけがえのない人間の親友との再会を求めての旅だった。
しかしこの親友、遊城十代は、本校を卒業してからというもの、風のように世界中を飛び回って一所に留まらない。その為に行き違いになってしまうことも、また度々起こった。
そうしてデュエル・カレッジの長休みに、何度目かの日本を訪れた折のことだ。調度十代も弟分が立ち上げたばかりのリーグを見に帰国していて、聞けば泊まる場所も考えていないという。日本へ戻ったのなら実家へ帰ればいいものを、そうしないのは、彼なりに未だに両親への後ろめたさと不信を感じているせいだろう。
おかしな気の遣い方を覚えた十代は、リーグの為に奔走する翔を頼るという選択肢も頭にないようで、兄貴分の為なら暇も命も惜しまないあの弟分が知れば、また盛大に「最近のアニキは」と嘆いただろうと容易に想像できる。
放っておけば河原で野宿でもしそうな十代を、半ば無理矢理に連れて宿泊していたホテルの部屋へ戻ると、彼は豪奢な調度品や、一人で眠るには大き過ぎるサイズのベッドを眺めて、「さすがは<宝玉獣のヨハン>に用意されただけのことはある」としきりに感心していた。
望めば比喩ではなく、何でも手に入るくせに、あえてそうしないのが十代という人物ではあった。<所有>という言葉を殊更面倒がっているのだ。
今回の十代はひどく薄汚れたなりをしていた。どこへ行っていたのかと尋ねると、「ジムんとこ」と答える。
それですぐに納得してしまった。大方朝から晩まで化石を掘っているあの男の横で、ワニと昼寝でもして、作業が一段落つくと起き出してきてデュエルを強請っていたのだろう。微笑ましいが、未だ学生を続ける身と、片や風来坊の身の上で、この頃はろくにデュエルもできない親友としては、価値観が似た行先を選んだ二人に少し妬けた。
十代が、ぼろの荷袋を部屋の隅へ放り出して、まずシャワーブースへ駆け込んでいく。ヨハンは十代程は身綺麗にしておくことに頓着がなかったから、好きにさせておいた。
ただ替えのシャツを抱いて「絶対に入ってくんなよ」と念を押す姿に、少しの違和感を覚えた。出会ったばかりの頃は、オシリス・レッド寮名物の露天風呂へしきりに誘ってきたというのに、この男も大人になったものだと妙な感心をしてしまう。
―― しかし、そうではなかった。
十代は誰にも言えない肉体の秘密を抱え込んでいて、ただ実害はないものとして、この時はまだ棄て置かれていたのだ。
あまりにも長風呂が過ぎるので、ふと心配になってバスルームをノックした。返事はなく、勢い良く湯の流れる音だけが響いてくる。
「十代?」
呼び声にも応えはない。ノブを回すと、鍵は掛かっておらず、ドアは簡単に開いた。
十代はシャワーノズルを握って、呆然として立ち尽くしていた。まず視界に飛び込んできたのは、異様な裸身だ。半身はいつもの十代に相応しい、痩せた青年の肉体だった。もう半身は、今までに見たこともない種類のものだった。
ひどく驚いたはずだったが、熱い湯気が立ち上り、かすかな血の匂いが香ると、頭の芯がどこか痺れたようになって、それ以上は何も考えられなかった。
十代はそこでようやくヨハンに気付いた。薄く色付いた柔らかな腿を、赤い滴りが伝って落ちていき、排水溝へ吸い込まれていく。奇妙な半身を腕で覆って、力なく呟いている。
「あ……違うんだ」
それが何に関するもので、どう違うのかは、十代自身にも良く分かってはいなかったに違いない。流されても再び溢れ出し、脚を汚す血の染みが、それをヨハンの目に晒すことが耐えられないふうに、十代は頭を振った。壁にもたれたまま、倒れ掛かるように座り込んでしまう。
「オレは、そうじゃなくて、……ごめん。ヨハン、ごめんな」
何もかもを曝け出して共有する親友へ、その肉体をひた隠しにしていたことを、彼は裏切りだと考えていたのだろうか。もしもその通りなら、馬鹿だと笑ってやりたい。
十代を安心させる為に、どうすれば良いかは知っていた。細い体躯を抱き込んで背中を撫でてやると、少しずつ強張った肢体が解けていく。服を濡らしたが、まるで構わなかった。
水を含んだシャツ越しに、柔らかな肉の塊が触れた。それが裸の乳房だと知れると、目が眩むような心地になった。
この親友の半身は、今やまぎれもなく女のものだった。
華奢な脚を染めているのが、経血であることはすぐに知れた。十代の狼狽ぶりを見る所、これが初めての経験なのだろう。雌雄同体の肉体が両性の機能を正常に有しているのだという、確かな証明だった。
顔色を覗き込むと随分青い。ヨハンの腕の中で濡れた頭が傾き、四肢が力を失う。
「十代……」
貧血を起こして気をやったようだった。
いつのまにか熱が下腹に集まっていることに気が付く。硬くなったものを、十代が悟っていないことを祈りながら、親友に欲情をしていると、どこか今更のような気持ちで理解する。
十代の身体を抱き上げると、思ったよりも軽い。同年齢の男としては華奢な部類に入るのだろうが、翔や万丈目を見る限り、人種的な特徴でもあるように思えた。
丁寧に肌を拭ってバスローブを着せてやり、ベッドに横たえたところで、ふと手のひらに付着した赤い染みに気付く。抗えず、舌で掬うように舐めとると、ひどく甘美な感覚が背筋を痺れさせた。
その後は衝動的と言って良かった。十代に覆い被さるようにして、両脚を大きく広げさせると、バスローブの分かれ目から、陰嚢と一連なりになった女性器が顕になった。
未だに経血を零し続けるそこへ舌を付ければ、もう一度あの上等の媚薬のような血液を啜れるのだ。そう思うと、熱に浮かされたようになって、うまく思考が纏まらなくなる。身体が、意志とは関係がなく、十代を求めて勝手に動いた。
しかし、それこそがこの親友への裏切りなのだという思いが、ふと沸き起こる。後は罪悪感に引き摺られるようにして、緩慢に身体を離した。机の上の携帯端末に手を伸ばす。
本校の医務室の番号を検索しながら、ともあれ最愛の人間が第二次性徴を迎えた現場に居合せた人間とはどれほどいるのだろうかと考えてみたが、詮無いことなのだろう。
十代が目を覚ましたら、一度殴って貰うべきだ。そうとしか考えられなかった。
* * * * *
ユベルが言った。
「現場に出くわしたキミの中には突然強烈な衝動が生まれた。<この人を守らなければならない>―― 以前よりもずっと強く、親友を守るためにしては少し重過ぎるくらいに……それは本当にキミの心だったかい? まるで本能が囁いているようじゃなかったかい? キミの中には別の何かが潜んでいて、そいつが大声で喚き散らしている感じ。キミにもさも自然そうに生まれたその決定事項を少しは不審に思わなかったのかな。まあできそこないのキミが、そんな小難しい事に気付く程聡明だとは期待しないけど」
ユベルが回りくどいやり方で示すところに、理解はできるつもりだった。
ただ、昔はそれをひどく畏れていたように思う。あの人の特別な存在にはなり得ないと思っていた。ただ、無心に触れてみたかった。声を聴いてみたかった。
今はかつてとは随分考え方も変わっていて、だから誰に恥じることもなく、はっきりと宣言できる。
「それでも俺は十代が好きなんだ」
ユベルの―― いや、あの精霊が操る十代の表情が嫉妬に醜く歪んだ。本当の十代は絶対にし得ない顔で、頭の上に落ち付いている当人は、そんな自身を見たくはないようで、毛玉の身体を伏して短い腕で目の辺りを覆っていた。
「どの面を下げてそんな事が言えるのかな……だって、キミは」
「ユベル……」
「キミは十代を可哀想な奴だと思っていたじゃないか! 昔のキミが、十代を、どんな目で軽蔑していたか――」
「ユベル!」
思わず、大声を上げていた。
ユベルの言葉を遮り、しかしそうする権利を持ち得ないことを誰よりも分かっているのも、またヨハンだった。
頭を下げて懇願する。
「……やめてくれ。お願いだ。十代の前でそれだけは……」
「何を調子の良い事を言っている? 今更愛してるなんて虫のいい話だよ! 十代にはお前なんか――」
ユベルが息を呑む。十代の顔が、声が、別の誰かの意志を持ってのことだとしても、冷徹にヨハンを突き放そうとする。
「お前なんか、必要ないんだよ」
―― その言葉に刺し貫かれることを、幾度想像しただろうか。
幾度畏れただろうか。数を数えていたことも、幸福で穏やかな日々を当たり前のものとしてからは、もう忘れてしまっていた。
しかし、覚悟はできていた。その言葉が、もしもあの人から向けられた時に、自身が返すべき答えも既に見付けている。それを、ただまっすぐに十代の半身へと向けた。
「必要とされなくたって俺の気持ちは変わらない。俺は、俺の魂を十代に捧げたい。傍にいたい」
「うるさい! うるさいっ!」
癇癪を起こして腕を振り払い、忌まわしい呪いを込めて虹彩異色症の眼がぎらついた。ユベルの怒りはもっともだ。ヨハンなら、おそらく癇癪では済まなかっただろう。
「キミは借りを返さなければならない。一生を掛けて十代を守らなければならない。その為にはずっと傍にいなきゃならない。だからキミはただ、十代で全てを間に合わせてしまおうとしただけだ。恋をすればキミの後ろめたさが綺麗な愛情に昇華されるとでも思ったのか。なんて醜い心だろう。なんて―― 赦せない。キミに応えないのはね、十代のせめてもの情けなんだ。キミの人生が狂ったまま過ぎ去って、幕を終えることがないように。キミの言う愛情は、ただの罪悪感からの贖罪だ。憐れみで十代を自分のものにしようとする奴なんて認めない。ボクはただ純粋に十代を愛してる」
「そんな奴にアニキは渡せない……そうだ、がんばれユベル! ボクがついてるっス!」
観客席で翔が腕を振り上げた。当の十代は何を思っているだろう。ユベルの頭の上で、まだ顔を伏している。
「ボクのフィールド上に<トーチトークン>を二体攻撃表示で特殊召喚し、お前の場に<トーチ・ゴーレム>を召喚。<所有者の刻印>を発動し、<トーチ・ゴーレム>をボクの元へ戻す。この三体の悪魔族を生贄に、<ラビエル>を特殊召喚する」
蒼躯の幻魔皇が出現する。翼を広げて鋭い爪を振り被り、ユベルの憎悪を反映するかのように、空気を引き裂く雄叫びを上げた。
これには十代も、自身の肉体の髪を引っ張ってユベルに抗議をした。
「そんなもん喚んで、またダークネスが出てきたらどうすんだ!」
「いいよ。もう出てきてもいい。こいつら全員、あいつの世界に引っ張り込んでくれていい。誰もいなくなったらまたボクと十代は二人きりになれる」
「お前オレと超融合する前と、思考回路が全然変わってないな」
心底呆れ果てたという、十代の声だった。毛玉はヨハンを一瞥し、ユベルの額を叩く。
「力押しだけじゃヨハンに二度目は通じないぜ。お前の手の内は読めてるだろうしさ。でも……」
十代という人間には珍しく口篭もり、困りきったような視線が向けられた。頷き、拳を握る。
「ああ。俺はあの時、ずっと眠らされていたんだ。意識をレインボー・ドラゴンの中に閉じ込められて。だからお前や十代程詳しい訳じゃないけど……闇のデュエルって本当に相手と傷付け合うことなんだよな。そんなデュエルを十代の身体とやるなら消えたほうがましだ」
「……でも、ヨハンはバカなんだ」
十代がくたびれたように、そしてどこか誇らしげにそう言った。
ヨハンは親指で心臓を示して見せる。ユベルへ向かって頷いた。不思議と静かな心地で、畏れは無かった。
「やれよ」
相手は初めからそうするつもりだったと悟ったのだろう。唇を噛み締めて、本当に悔しそうな顔になった。
「……お前、本当に殺したいよ」
「だろうな。ユベルに嫌われてるのは知ってるぜ」
「でも、そうしたら十代がボクをどういう目で見るか。以前のボクなら最高に悦んだだろうけど、お前はその事がちゃんと分かってる。それが赦せない。大嫌いだ」
十代の右腕が、ヨハンへ向かってまっすぐに伸ばされた。
「消えちゃえ」
瞳の色が変化する。殺意を孕んで輝くちぐはぐの眼が、チョコレートブラウンの落ち付いた色へ。十代の鋭い声が、ヨハンへと突き刺さる。
「……<ラビエル>の攻撃。<天界蹂躙拳>!」
容赦はなかった。こちらのブラフをものともせずに、無防備の場へ巨大な体躯が爪を振り下ろす。
実際にモンスターに身を引き裂かれるとは、どんな気持ちがするものなのだろうか。地獄のような異世界で、全く楽しくないデュエルを強要され続けて生きてきたという十代の気持ちは、きっとどれだけ説明されたところでヨハンには理解が及ばないのだろう。
デッキから家族の悲鳴と呼び声が聞こえた。幻魔の拳が地面へ突き刺さり、ライフ・ポイントの消滅を知らせるブザーが鳴る。
それでも生きている。半ば安堵からヨハンは床へ膝をつき、倒れ込んだ。
「生きてる」
呟く。確かに生きている。顔を上げると、十代が傍へやって来ていた。特に表情らしい表情もなく、覗き込んできている。ハネクリボーの姿はもうなくなっていた。
ふと気が付いて、ヨハンは口を開いた。
「もしかして、今のは十代か?」
「ああ言うけど、ちょっと悪いことしたなって思ってるんだ。あいつ」
ユベルのことを言っているのだと理解するまでに、少し時間が掛かった。あの精霊が反省をする姿が上手く思い描けなかったのだ。
十代がヨハンの腕を引き上げ、自身の細い肩に回して立ち上がった。背丈の差のせいで、若干頼りない感じはあったが、こと腕力にかけてはこの細腕に勝てる人間など、身の回りでは明日香くらいのものだ。
十代は首を巡らせ、空いた手で観客席へ向かって<ガッチャ>をやった。
「これで終わりだ。騒がせたな」
控え室へと続く廊下へ、ヨハンを引き摺るようにして歩いていく。喧騒が遠ざかると、心地の良い落ち付いた声が紡がれた。
「少しじっとしてろ。言われなくたって、自由に動かないだろうけど。大分ユベルに食われてるぜ、ヨハン」
「く、食われてるぅ?」
「心配するな。人間の心の闇なんて、少しかじられたってすぐに元通りだ」
その心の闇が十代そのものだと、藤原にヨハンの闇を引き出されたあのバトルロワイヤルの際に、彼はもう知っている。少しの沈黙の後でそれを口にした。
「あのさ、ヨハン。さっき、ユベルが言ったこと」
「……ああ、本当だ。出会う前から、お前のことは知ってた。精霊が見える可哀想なやつだって。俺と一緒だって。昔俺は、十代を……」
「いいよ、今は。オレは、なんで話してくんなかったんだって、そういうことは何も言えない」
「いつか話すよ」
「気長に待ってるぜ」
十代が眉を顰めて笑った。自身の闇を今までヨハンに曝け出せなかったことへの罪悪感が感じ取れて、そんな顔をさせてしまう自分が情けなくなり、腹が立ってきた。
「お前が悪いと思うことなんて、何もないんだ」
少しだけ強い口調で言うと、十代はやはり困った顔で、「うん」と少年のように素直に頷いた。
廊下を抜けると、白い光が瞬いた。眩さに目が眩む。
「遊城十代だ!」
誰かが叫んだ。無数のストロボライトが炸裂する。カメラを向けられることが苦手な十代が身体を強張らせるのが、触れ合った肌から直接伝わってきた。
「先輩、十代先輩! さっきのデュエル本当に良かったです。俺先輩をヨハンに盗られちゃうんじゃないかって心配で心配で。次は、俺と結婚前提でデュエルして下さい!」
「オレ、先輩が半分女の子だって……出会った時に気付いてたら! そしたら卒業デュエルの時に袖のボタンを貰いに行ったのに!」
「ふたなりガッチャさん萌え〜!」
「や、やめろ……写真を撮るなぁ!」
十代は、雌雄同体の肉体が周囲の知る所となれば、また子供の頃のように気味悪がられて排斥され、独りぼっちになってしまうのではないかと考えたのではないだろうか。それが怖かったのではないだろうか。
これはヨハンの空想でしかないが、彼が風のように駆けて、一人だけ先へ先へと走って行ってしまうのは、ともすればその反動にも思えた。置き去りにされる位なら、誰もを置き去りに前へ駆けて行ってしまえばいいと、そう考えたのかもしれない。
十代の不器用な性質が殊更愛しいと思う。自身の価値について理解をしていないのは、この十代本人に違いはないのだ。
「やっぱり皆お前に憧れてるんだ。お前を好きにならない奴なんかいない。俺はお前への気持ちを誇りに思ってる。その身体も好きだ」
「ヨハン……」
十代がまた眉を寄せる。それに首を振って応えた。最近はこの人を困らせてばかりいる気がする。
「俺は負い目や借りや同情で十代の気を引こうとは思わない。そんなものは俺達の絆には必要ない。そんなじゃなくて……俺の気持ちは変わらない。お前の力でも、変えられない」
十代へ向ける言葉は、一言一言が、それが何よりも大切な感情だと知った。噛み締めながら口にする。
「お前の心を手に入れようなんて思ってなかった。俺がただ好きで、それでいいじゃないかって。俺のほうへ無理に捻じ曲げる事は、お前の信頼を裏切ることになるって。でもやっぱり俺はそんな無欲な聖人にはなれないんだ。こんな俺だけど、……お前の傍にいたい。俺と一緒に生きてほしい。……やっぱ、ダメかな? できれば観念して、俺のものになってくれるとありがたいんだけど」
両手を包んで、懇願にも似た気持ちで告げると、十代がまた眉を寄せる。
「……ほんっと、どーしようもねぇ……」
呆れ果てたという口調だが、表情はどこか泣きそうなふうにも見えた。いつのまにかヨハンよりも体温が低くなっていた手のひらを、胸に抱き締める。『俺は今天使を口説いているんだ』と、頭のどこかで厳かに考えた。
「俺、もっと強くなるから。かっこいい男になるから……。お前を、もう誰にも傷付けらんないように。お前が人を傷つけなくたっていいように。十代が大好きだ」
十代は、生まれたばかりの無垢な幼子を愛おしむ老人のような瞳で、ヨハンを静かに見ていた。
「ヨハンは、ばかだ」
寂しいような、切ないような、何とも言えない声色だった。
ヨハンの頭へ手を伸べて撫でる仕草が、なにか神聖なものに見える。
この人は、いつの間にかこんなにも孤高で、誰よりも美しい。
「ばか」
十代が言った。
* * * * *
少し時を遡る。
投函するあてもない手紙が増えていき、机の引出しが一杯になった。今日こそは腹を決めて処分をしなければならない。
デュエル・アカデミア・アークティック校を卒業する日に、燃やしてしまうことにした。
手紙は宛先ごとに丁寧に仕分けされていて、一つずつ実家のシンボルが刻まれた封蝋で閉じられている。我ながら几帳面な事だとは思ったが、そう言えば件の老アンデルセンは厳格な人で、形式ばった手紙をしか受け取りはしなかった。
しかし、あの<家>とは関わりのない今となっては、何もかもがどうだって良い事だ。
『カーレンは俺の<月>だったんだ。君の<白鳥の王子>だ、エリサ』
封蝋を開けると、興奮を隠しきれない字体でそう記されている。
『頼むからそこにあの人はいないと言って欲しい』
日付はすべての次元が元の形に還り、あの人が空へ消えた日の翌日になっていた。これは冷静ではいられなかったはずだ。
引き出しを探り、手紙の束を纏めて紙袋に放り込んでいく。手紙の山が随分減った頃に、今よりも十数年前の日付が記された封筒が出てきた。紙面は黄ばみ、あちこちに折れ目がついている。封蝋はすでに劣化して罅が入っていた。
『ぼくよりもかわいそうなカーレン・アンデルセンへ』
懐かしい気持ちになって封を切ると、手紙はそう始まった。一瞬で続きを読む気を無くし、小汚くて幼い文字を直視することもできずに、力任せに丸めて紙袋へ投げ入れた。
そんな事をしても、目の端に映ったそれを再び忘れてしまうには、随分と時間が掛かりそうだった。
『きみなんていますぐこのせかいからきえてしまえばいいのに』
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