□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
頭の上には午後八時の真夏の星空が輝いている。蠍座はまるで天の川に頭を突っ込んで水を飲んでいるみたいな恰好だったし、白鳥座は気持ち良さそうに水浴びをしているみたい。
この星空を天井に映しているのは、<ジェミニスター>、第三世代統合型プラネタリウムと呼ばれて、昔はもてはやされていたらしい。でも今ではプラネタリウム自体が流行らなくなって、閉館になった民間の科学館の払い下げを私の両親が買取った。そこへ手を加えて造り上げたものだと教えてもらった。
『どうせ買取るのなら、小学生の頃遠足で見に行って感動したカール・ツァイス・イエナ社製がいいと言っていたくせに、機体の名前を訊いた途端に食い付いたんですよ、あの人』
この前空野さんはそう言って笑っていた。
ソリッド・ビジョン・システムを搭載されて、きちんと実体を持っている。私の周りの草原までも、草木の一本までも触れるし、みずみずしい青い匂いもある。そういうふうにできている。たまに、本物と偽物の差って何なんだろうと、私は首を傾げそうになることがある。
この孤島の風景は、私の大好きな人が大好きだった眺めだから、今は両親がいなくても寂しくはなかった。もう片方もいるし。
「さて、お嬢ちゃん」
おじさんが切り出した。
「今日はおじさんがひとつためになる話をしてやろう。プレゼントのラッピングを開ける時の心構えと、受け取り方のマナーみたいなもんだな」
このおじさんはこずるそうな顔だけど、お菓子みたいに可愛い名前の人だった。
煙草の臭いがする。私の前では吸わないけど、もう服に染み付いてしまっている。よれよれのスーツは皺だらけだし、きちんと洗濯してるのか、ちょっと心配になった。
「つまり箱の話だ。いつかは開けられる為にある箱の話だ。開けられない箱はただの置物だからな。タイミングも大事だ。中のものが腐ってしまう前に、箱は役目を終えなくちゃならねぇ」
「おじさんは講釈を垂れるのが好きな生物なんだって、空野さんが言ってた」
おじさんはジェリービーンズのパッケージを力任せに破いて、袋から直接口に流し込んだ。お行儀が悪いけど、おじさんには叱ってくれるパパもママももういないみたい。だけど、私にもいないから、言い訳にはならないんじゃないかって思う。
おじさんはいつも甘いものを食べてる。虫歯にならないか心配だけど、沢山お砂糖を食べないと死んじゃう身体なんだって。
可哀想なのかもしれないけど、私のもう片方が訊いていたらすごく羨ましがりそうだった。
「……奴は他に何か、このオレ様の悪口を言っていたか?」
「自分に自信がない人ほど子供にものを教えたがるって。にわか先生になりたがるんだって」
「あのイタチ野郎……どんどん上司に似てきやがる」
おじさんは狭い額に皺を寄せた。
「それで、まだあるんだろ。そういうのが」
「うん、ほんとの立派な先生ってのはすごく大変なものなんだって。ええと、でも立派な先生の中にも、立派だけど悪い先生っていうのがいて、そういう人は自分ができなかった何かを未来へ繋げてくれるものを探そうとするの。そんな迷惑な人に限って、自分よりもすごい<自分のコピー>を造りたがるんだけど、<世界で一番すごい人>が自分じゃないと意味がないから他人を認められない。生徒の中の<自分を脅かす可能性>を摘んで回るから、自分以上の生徒を育てることができないんだって」
「おじさんは先生が嫌いだ。授業は拷問だった。中等でドロップ・アウトして、おかげで学はないが、困ったことは一度もない。立派な先生ってものは、理屈っぽくて横暴で横柄だ」
「それはいい先生に出会っていないからでしょ? いい先生っていうのは、生徒を無条件に信じることができるって。自分の価値観や人生や命を省みずに、まるで親みたいに愛してくれて、そういう先生に育てられた生徒は自分の人生を光り輝くものにすることができるって。これは別の人が言ってたんだけど」
「まあ先生の話はどうでもいいんだよ。今は箱の話をしようや、嬢ちゃん。このしみったれた箱だ」
おじさんが手を広げて、作り物の、でも私にとっては本物よりも宝物の夜空を仰いだ。おじさんはこの星空が嫌いで、この島が嫌いで、この海も嫌いだっていう。
私には、おじさんが好きなものの方が、いまいちよくわからない。
おじさんが世界で一番好きなものは、自分とお金だって言ってた。私は私があんまり好きじゃないし、お金も使い道がないから、特に好きでもない。前にそれを言うとおじさんは、「俺には嬢ちゃんの身内の価値観はひとつも理解できないよ」と苦い顔をしていた。
「さてさて、そいつは外から見ると大層開けてみたいものじゃなきゃならない。簡単に開かなきゃ余計に中身に期待する。まぁ、おじさんはそういうのは得意だ。プロだからな、錠前破りとか」
「じゃあおじさんが開けてくれるの?」
「バカ言え。甘えんな。しかしだな、期待をして開けてみても、箱には大抵はロクなものが入っちゃいない。これはおじさんの長年の経験による勘だ。まずはトラップが仕掛けられている。パンドラの箱やら、浦島太郎やら、昔話にも例には事欠かない」
「私、ああいうの嫌い。ほんとに開けちゃダメなら、鍵を掛けて誰にも届かない所に仕舞っておけばいいのに。お礼だなんて言って、きっと試すような真似をした。神様は意地悪だから」
この世界にきっといるっていう神様のことを考えると、私はいつも胸がむかむかしてくる。まずひとつは、私と私のもう片方の身体をこんなふうに繋げて創ったこと。そのもう片方がもう随分眠ったままいること。綺麗で優しいママをいじめたこと。私達の髪が、こんなふうにお年寄りみたいな白髪に変わってしまったこと。パパをあんなに意地悪に創ったこと。
こんなに他人に意地悪ばかりしていて、どれだけ偉いのか知らないけど、神様なんていつかひどい目に遭えばいい。
「だから嫌いなの。神様なんて」
「その通りだ。嬢ちゃんは頭がいい。神様はくそったれだ」
おじさんが腕組みをして、しみじみ頷いた。おじさんも神様に沢山意地悪をされて生きてきたみたいだったけど、おじさんの場合は<自業自得>とか<因果応報>っていうものだって、この前空野さんが言っていた。
「つまりラッピングを開ける時の心構えってのは、期待が大きければ大きいほど、取り返しのつかないリスクが潜んでいることをまず頭に入れておくべきだってことだ。どうしても欲しいって気持ちを餌に、相手はそいつのことを食ってやろうと箱の中でヨダレを垂らして潜んでいるのさ。本当に欲しいものなんざ、丁寧にラッピングされてプレゼント箱の中になんて入っちゃいない。おじさんの知り合いにも、とびきりやばい箱を開けちまった奴がいる」
「それ、最近の人? まだ生きてる? どうなったの?」
おじさんは少しだけ考えてから、答えてくれた。
「生きても死んでもいない」
「私とおんなじね」
「そいつの話を聞きたいか?」
私は頷いておじさんを見上げた。怖そうな顔をしているけど、おじさんが私を可哀想な子だと思ってくれていることは、なんとなくだけど分かった。おじさんは自分が他の人に可哀想だと思われたくない人だったから、おじさんに尋ねてもきっと『そんなわけない』って怒るんだろうけど、私は嫌な気持ちにはならなかった。
「お話を聴かせて、おじさん」
おじさんは、子供のころに亡くなったお爺さんの話を思い出すような遠い目をして、私に、私の知らないあの人の話をしてくれた。
「そいつは、何に関してもちぐはぐな奴だった」
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
戻る ・ メインへ ・ 次項:<ワールド・エンド>へ
|