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「すっごいね」と、龍亞が今日何度目になるのか分からない言葉を吐き出した。龍可も意味は理解している。
「あうー?」
分かっていないのは、当のガッチャだけだ。いつのまにか値の張りそうな赤いドレスを着せられて、高級ブランドの装飾品で身体を飾られている。今朝はほとんど下着のような姿だったのに、半日が過ぎた今は、夜会に呼ばれたお嬢様みたいな恰好になっていた。
「ちょっと、疲れちゃった」
龍亞が、いつもの龍可みたいなことを言うのがおかしい。
「こいつ、こっちの世界でさ、これで生きていけるんじゃないかな」
「うん、私も思った」
ガッチャが、助けてあげた人にお土産に持たされたお菓子は何度もお腹が一杯になる程あったし、くどいくらいに飾り立てられて、ガッチャが不満顔をしている宝石だって、人一人が一生食べていけるくらいはあるように思う。
「なんかちょっと、遊星に似てるね」
龍亞が言う。確かに、あの人も人助けだけで生きていけるような人だった。見返りを期待しない人だから、余計に助けてあげたくなってしまうのだと、昔知っている人が言っていた。
「泣いてる人をほっとけない。力になりたい、助けてあげたい。なんだか龍亞みたいね。龍亞の力になりたい病、そっくり」
「そう? オレは、強そうなのにほんとは弱虫なとこ、龍可みたいだと思ったけど」
二人で顔を見合わせて笑った。ガッチャはまた分からないような顔で、「あー」と声を上げている。
今日は家族が増えた記念に、街のカフェで夕食を取ることにした。店はそれなりに混雑していたけれど、窓際の特等席に置かれているピアノは、今日は誰に演奏されることもなく寂しそうに佇んでいる。メニューを見ている時に、マスターが、お抱えピアニストが事故に遭ったのだと、お客のひとりに話しているのが聞こえた。
夕方を過ぎるとお酒を注文する人が増えてきて、酔っ払いのおじさんが、見た目だけはちょっと見ない程の美人のガッチャをどこかいやらしい目線で見るのが気になったが、ガッチャ本人は気にも留めない様子で、龍亞と龍可がオムライスを食べる姿をニコニコしながら見つめていた。
「精霊ってご飯食べないのかな?」
龍亞がスプーンでケチャップライスを掬って、ガッチャの口の傍へ持っていくと、上機嫌で口の中へ飲み込んだ。龍可は少し驚く。
「え、食べるの?」
「なんだよ。じゃあガッチャも注文しなよ。何でも好きなの頼んでいいぞ。オレの奢りだからね」
龍亞がメニューを開いて見せると、ガッチャは目を輝かせて、あちこちに指を動かした。エビフライ、エビピラフ、エビグラタン、エビサンド、エビカツカレー。
「エビばっかじゃない」
龍亞に指摘されて、それなら、という顔でフルーツパフェを指差す。雑食性なのだろうか。そう思っていると、ガッチャの顔色がみるみる青くなっていく。
「ど、どうしたの?」
呆気に取られていると、口を押さえてトイレに駆け込んだ。しばらくして戻ってくる。しゅんとした態度で、申し訳がなさそうだった。それで、龍可と龍亞は納得がいく。
「あ、やっぱり無理なんだ」
「食べられなくても、食べたくなるよね。すごく美味しそうだもん」
それにしても、食べ物を口にして、それを吐いてしまう事は初めてではないという感じだった。
「トイレのしつけ、ちゃんとできてるんだ。偉いなあ」
龍亞は感心しているが、龍可はそのことを想像して少し気が重くなった。ガッチャは見た目はどこからどう見ても大人なのだ。「できててよかった」とこっそり呟く。
「気分が優れないようですけど、大丈夫ですか?」
声を掛けられてふと見上げると、どこかで見たような顔の男の子が、心配そうにガッチャを覗き込んできていた。
「え、ええ。ちょっと、お腹の具合が悪いみたいで……」
龍可は愛想笑いをしながら、誰だったかな、と記憶を探った。出てこない。龍亞の方を見ると、驚いたような顔をしていた。覚えがあるようだ。それなら後で龍亞に訊けばいい。
デュエル・アカデミア高等部の男子制服を着ている。校章は三年生のものだった。青い髪は、龍亞と龍可よりも少し落ち付いた色味だ。灰色の瞳で、整った顔立ちをしていた。
男の子はマスターの所へ行って温かいおしぼりを貰ってくると、ガッチャに握らせて、「少し身体を冷やしてしまったのかもしれないね」と言った。
「学園首席!」
突然龍亞が叫んだ。何事かと思っていたら、男の子が「学年首席?」と聞き返す。「そう、それ!」と龍亞が叫んだ。龍可は、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。
「こないだは、ぶつかっちゃってごめんなさい。えっと、そんで、友達が教えてくれたんだ。学年首席。先輩の付けてたストラップって、オレとおんなじやつだよね? ずっとそのことを聞こうと思ってたんだけど、あれから会わなかったから」
「ああ、うん。僕も話がしたいと思っていたんだ、ずっとね。昼休みは大体教室にいるから、暇があれば三年の遊城に用があるって尋ねてきなよ」
「<遊城>?」
龍可は気になって訊き返した。「そう、<遊城>」と龍亞が厳かに頷く。
「天兵が……あ、友達ね。言ってたんだ。珍しい名字なのにオレと被ってたから覚えてたって」
「うん、そうなんだ。僕は遊城青って言うんだ。あお、ね。よろしく。ああ……大丈夫? どこかまだ苦しい?」
「んー」
青はガッチャをとても心配してくれているようだった。優しく背中をさすってあげている。まるで恋人にするみたいな触り方だなと思ったけれど、下心を感じなかったから、今日の昼間に色々なことがあったせいで少し神経質になっているんだろうと思う。
「このヘッドホン、壊れているみたいだね」
「あー?」
青がガッチャのヘッドホンを突付いて、「ちょっと貸してもらっていい?」と言い出す。遊星が戻ってきたら修理をしてもらおうと言っていたものだ。龍亞が期待を込めて瞳を輝かせた。
「直せるの?」
「機械にはちょっと強いんだ。ここをこうして……ああ、線が一本切れてたんだね。繋いで、よし、これでいいはずだ。ちょっと聴いてみてくれる?」
「あうー」
ガッチャが頷いて、プレーヤーの再生ボタンを押す。すると轟音と言ってもいいすさまじい音が、カフェの中で炸裂した。
龍可も龍亞も青も、両耳を押さえて「うわあ!」と悲鳴を上げてしまう。ガッチャだけが何事もないようにヘッドホンを頭につけて、この大切な機械の復帰を心から喜んでいるようだった。
「こんなの聴いてたら、鼓膜が破れちゃうよ!」
龍亞が怒鳴って、ガッチャのプレーヤーの停止ボタンを押した。音漏れが途切れる。周りから怪訝な視線がいくつも突き刺さる。
「あ、あははー、すいませーん!」
龍亞が笑って誤魔化しながら頭を下げた。「お前もだぞ!」とガッチャの頭を下げさせる。酔っ払いに怒鳴られても不思議はない状況だったが、意外に皆好意的な表情を見せていた。
「子供の頃に親父がよく聴いててさ、当時はうるさいなと思ってたんだけど、今聴くと、なんかな」
「ああ、懐かしいなぁ。うちもゼロ・リバースで実家が吹っ飛ぶまでは、レコードがあったよ。こんなにでかい、旧式の記録媒体でさ……」
「お嬢ちゃんは音楽の趣味がいいなぁ。どれ、何か、弾いてくれないか? おじさんは、綺麗なお姉ちゃんの弾いた曲が聴きたいねぇ」
怒鳴られはしなかったものの、絡まれてしまったようだ。この赤ん坊みたいなガッチャにピアノなんて弾けるわけがないとは思ったが、止める間もなく、好奇心の塊のようなその人はピアノの前に座って、嬉しそうに脚を揺らしていた。
指が鍵盤に触れる。叩き付けられる不協和音を予想して、龍可と龍亞は耳を押さえた。
しかし予想に反して、穏やかに音楽が始まる。優雅と言っても良かった。旋律はとても整っていて、赤ん坊のようなその人が奏でている音だとは、にわかに信じられない程だった。
「これ、クラシック?」
龍亞が言う。
穏やかに、不穏に始まったその曲は、徐々に勢いを増していく。突如として激しく鳴り響く。酔っ払いが一斉に歓声を上げた。
「これまた懐かしい! <海底軍艦>か!」
「え?」
怪訝にしている龍可達に、青が笑って教えてくれた。
「舞踏曲<サロメ>の<七つのベールの踊り>っていう曲だよ。作曲者がね、特撮映画の音楽も手掛けているんだ。同じフレーズがいくつか出てくる。ピアノでも弾けるんだね。僕が子供の頃母親によく聴かせてもらっていたのは、ヴァイオリンの演奏だった」
「へえー。さすが学年首席」
龍亞は素直に感心している。壮大な曲なのに、幼くて無知な赤ん坊のようなその人が楽しそうに弾いている姿が、ちぐはぐで印象的だった。何も持っていないようでいて、世界すらもその人を中心に回っているような気にさえなる。不思議な人だった。
「あんた、もうハシゴは止めた方がいいよ。顔にも脚にも出てないけど、もう呂律も回ってないよ」
店を出しなに、マスターがガッチャに忠告をする。「また弾きにおいで」と頭を撫でられて、ガッチャは嬉しそうな顔で右指を突き付け、「ガッチャ!」と鳴く。
白髪頭に嵌まっているヘッドホンを見て、龍可は思った。この人はすごく耳が良くて、そのせいで街中にいる困った人達の『助けて』という声が聞こえるんじゃないだろうか。だったら、その<声>を掻き消す程の大音量しか出せないヘッドホンを、誰が、どういうつもりでこの人に与えたのだろう?
ガッチャは造られた生き物だと、コースケと<隊長>が言っていた。人工の精霊、ということだろうか。わざと不良品に造ってあるヘッドホンをガッチャに与えた人は、ガッチャに優しくしてくれていたのだろうか。
「今夜はゆっくり眠るんだよ。あまり無理をしないで。大切な身体なんだからね。じゃあ、おやすみ」
青は別れ際までガッチャをとても心配していた。聞けば、今は親元を離れてアカデミアの学生寮に住んでいるという。
「青先輩、兄弟とかいるの?」
「いるよ。弟と妹が一人ずつ。龍亞くんと龍可ちゃんに似てるかな。またね」
青はそう言って学生寮の方角へ歩いていく。街は、今夜はどこか物々しい感じがする。
エンジンの駆動音と共に強い光が煌いて、龍可は小さく悲鳴を上げて目を瞑った。D・ホイールのライトだ。セキュリティの制服姿に心臓が跳ね上がる心地がしたが、良く見ると知った顔だった。牛尾だ。牛尾はまぎれもなく本物のセキュリティだ。不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「おい、こんな時間まで何してる。お子様はさっさと帰れ」
「いきなりご挨拶だなあ。今日、何かあったの? やけにセキュリティのD・ホイールが走ってるように見えるけど」
「ああ、ちょっとなぁ。どちらかと言えばオレ達よりも遊星なんかに向いた仕事だとは思うが、あいつは今どこほっつき歩いてやがるのか、姿を見掛けねぇしな。お二人さんよ、あー、信じられんかもしれんが……ゴホン。羽がついてて、蜥蜴っぽい鱗が生えてる蝙蝠人間みてぇな奴を見掛けたら、すぐにセキュリティに通報してくれ」
後ろの方は恥ずかしそうに顔を赤くして、周囲を覗い、声を潜めて言う。龍可は自分の頬が引き攣るのが分かった。隣の龍亞を見ると、龍可よりも分かりやすく『まずいんじゃない?』という表情でいる。
「ったく、都市伝説の類に、なんだってセキュリティがわざわざ出て来なきゃなんねえんだ。取り締まらなきゃいけねぇ凶悪犯は山ほどいるってのによ。目撃情報を市民から募っても、空を飛ぶ<ジェットお兄さん>やら森に現れた<コウモリ博士>やら、ケッタイなもんばっかりだ。ん、どうした」
牛尾に気取られたと思うと、背筋が強張った。しかし彼の注意は龍可達を通り過ぎて、ブロック塀に額を押し付けて蹲り、頭を抱えているガッチャへ向いていた。牛尾もさすがに、この人が今セキュリティが探し回っている『蝙蝠人間みてぇな奴』だとは気付かない。
「具合が悪いのか。病院まで運んでやりたいところだが、あいにく任務中で手が離せなくてな」
「だ、大丈夫よ。私達がなんとかする」
龍可はガッチャの肩を抱いて、そう言った。声が裏返らないようにするのが大変だった。龍亞も「オレ達に任せてよ!」と胸を叩いてみせている。愛想笑いが上手くいかずに、変な半笑いになっている。
牛尾はガッチャをただの酔っ払いだと思ったのかもしれない。「そうか、頼むぜ」と言い置いて、またエンジンをふかせて行ってしまった。
「ガッチャ、大丈夫? まだ気分が悪い?」
顔を覗き込むと、両目を強く瞑って、余程怖いものを見たように全身を震わせている。傍をまたセキュリティのD・ホイールが通り過ぎると、大きく肩を震わせた。
「D・ホイールが怖いの?」
「D・ホイールそのものっていう感じじゃなくて、なんだか、強い光が苦手なように見えるけど」
龍可はレグルスの言葉を思い出していた。悪魔族の精霊。闇の生物は、正反対の属性を持った光が怖いのかもしれない。
「あなた、光が嫌いなのに、もしかして私達と一緒にいたかったから我慢してやってきたの?」
「うー」
龍可が尋ねると、ガッチャは恐る恐るという様子で頷いた。胸が温かくなってくる。
「あなたって子は」
「うん、この龍亞様が一緒にいてやるからな。それにしても、精霊のペットなんて格好良いなぁ! みんなきっとすごく羨ましがるよ!」
「龍亞。内緒なのよ」
「わ、わかってるよ。言わないよ。でも、どうして触れるんだろう?」
龍亞が誤魔化すようにガッチャの肩に触った。龍可は首を振る。
「さあ。わかんないけど――」
「うわああ!」
頭の上から悲鳴が上がった。何事かと訝っていると、龍可たちの前にある雑居ビルの二階の窓を破って、<トマボー>が飛び出してきた。足に括り付けられた鉄球を引き摺りながら、呆気に取られる通行人の間を縫って走っていき、夜の街へと消えていく。
「<トマボー>が! デュエルをしてたらオレの<トマボー>がいきなり実体化して!」
「お前<デビルバスター>起動してたんじゃないのか?」
「あれはソリッド・ビジョンに触れるようになるだけだろ! 今の<トマボー>、オレに向かって舌打ちして『しょっぺぇ』って言ったんだ。本当にそう言ったんだ! あいつ目が死んでるからすげぇ怖かったよ!」
ビルの二階から、言い争うような声が聞こえる。
見上げていると、龍可の足元を、<ホワイトポータン>の群れが列を作って通り過ぎていく。龍亞が驚いて飛び上がった。龍可のデッキからもクリボンが飛び出してきて、ガッチャに警告を与えるように頭上を飛び回っている。
「クリリッ」
「あー……」
何故かクリボンに叱られて、うずくまっていたガッチャが面目無さそうな顔になった。その途端に、<ホワイトポータン>が幻のように消え去る。クリボンの姿もうっすらと透き通り、龍可のデッキに戻った。
「ガッチャ、どういうこと?」
龍可がガッチャのドレスの裾を引っ張ると、この不思議な人は怒られている飼い犬みたいな顔になって、また「あぁー」と力無く鳴いた。
* * * * *
シティの裏路地で、セキュリティの制服を着込んだ男がレシーバーを携えて佇んでいる。階級証に偽造の跡はない。しかし偽造されていないからと言って、本物だとは限らない。
例えば誰かに『セキュリティに擬装しているのか』と聞かれれば、彼は違うと答えるだろう。また、『貴方はセキュリティなのか』と聞かれれば、冗談じゃないと答えるだろう。彼はそういう立場だった。忌々しいことに、そういう立場に立たされていた。
『反応有り。目標、精霊の強制実体化能力を発動。<隊長>、命令を。今なら捕獲できます』
レシーバーから部下の報告が届く。あまり音は良くない。<隊長>の男はヘルメットを指先で神経質に叩いて、指示を出した。
「まあ待て。今は本物さんがうようよしてやがる。それに、トップスで暴れるのは賢くねぇ」
そう言って特徴的な顎鬚を撫でる。レシーバーの電源を切り、「まったく世話ねぇな」とぼやく。
欠伸をし掛けたところで、目の前の路地を見慣れた青い頭が歩いていくのが見えた。足取りは雲のように浮ついていて、頬が紅潮している。女のところだな、と直感した。
「おい青。青!」
名前を呼んでも少年は返事をしない。数歩通り過ぎて、そこでやっと気付いたというふうに振り返った。男の姿を見付けて、照れ臭そうに頭を掻いている。
「あ、すみません。まだうまく慣れなくて……。あんまり綺麗な名前だから、自分のことだって思えないんです」
彼、今は<遊城青>という悪趣味な名前の少年は、男を見上げて不思議そうに口を開けた。
「おじさん、今度はセキュリティになったんですか?」
「あ、ああ、いや。……うん。まあ、そんなもんだ。ご、ご機嫌だな」
歳を取ると、子供相手に自分でも恰好がつかないと自覚があるところを説明するには、胸を抉られるような、かなりの覚悟が必要になる。それで男は話を逸らした。それが一番無難で、ダメージの少ないやり方だ。青は単純に、「えへへ。分かります?」とはにかんでいる。
「やっぱりママは僕の<雪の女王様>だと思って」
また馬鹿馬鹿しいことを大真面目に言っている。男は呆れた。
「御伽噺だ。地に足がついてねんだよ、お前らは。妙ちきりんなあだ名を付けられといて、よくそこまで懐けるねぇ」
青い頭をしているから、名前は<青>だということになった。あれは、三毛の捨て猫に<ミケ>と名付けるような感じだった。その場で聞いた時には、あのイタチ男と一緒に開いた口が塞がらなかったものだ。
それでも青は彼の<雪の女王>を今でも慕い続けている。生まれた時に与えられた名前を棄てることに一瞬の躊躇もなかった。
「お前らの奇病は、罹っていない人間から見ると背筋がぞっとする」
「そうかもしれないけど、でも発症者は幸せなんです。僕はこの病気が不治の病であることを祈ります」
「理解したくもねえ」
男は吐き捨てて、トップス中央に建ち並ぶ高層ビルへ目をやった。
「あのインテリ野郎も可哀想な男だ。病原菌みてぇな怪物に完璧に人生を狂わされちまった。ざまあねえ」
青は緩んだ口元を引き締めた。複雑そうな顔になる。
「おじさん、ジェリーおじさんが言うように、もしもあの人が自分のことを可哀想だと思っていたら、僕はパパを、いえ……」
青は、珍しくはっきりとした口調で言いきった。
「ヨハン兄さんを殺してしまうと思います」
* * * * *
ようやく家に辿り付いて、玄関を開けると、龍可と龍亞はまず腕を広げて、「おかえり!」と声を合わせた。
「ようこそ、ガッチャ!」
「今日からここがあなたの家だよ」
ガッチャは玄関先で、いつもの呆けたような顔で突っ立っていたが、龍可と龍亞を見比べて、満面の笑顔を浮かべた。
「あー!!」
飛び付いてくる。押し潰される格好になって、龍亞が悲鳴を上げた。
「こら! お前、身体だけは大人みたいなんだから、上に乗っかられたら潰れちゃうよ!」
「あー?」
龍亞はガッチャに結んだ髪を噛まれて、「もォー!」と叫んでいる。
「ヨダレでベタベタになっちゃうよ!」
「あはは。やっぱり、分かってない」
龍可は笑った。
「パジャマ、あった?」
「うん。パパのだけど。ガッチャにはちょっと大きいけど、しょうがないよね」
「あー」
ガッチャは、男性用の無地のパジャマに着替えさせると、安心したようにおとなしくなった。余った袖を折ってやっていたら、龍亞がぽつりと零す。
「どうしてオレ達にこんなに懐いてるのかなぁ」
「さぁ……好きな匂いでもついてるのかも」
「匂いかぁ」
龍亞は腕に鼻を近付けているが、よくわからないようだ。ふと頭を撫でられて、龍可は顔を上げた。
ガッチャだ。優しい笑顔で龍可の頭を撫でてくれている。大人の手でそうされると、不思議と落ち付く。
「ママになってあげるって約束したのに、ガッチャの方がママみたいだね」
「あう」
ガッチャが頷く。龍可はおかしくなって、口元を綻ばせた。
「変なの。まだ赤ちゃんみたいなのに、まるでこの子、私達のこと自分の子供と思ってるみたい」
「へぇ、そっかぁ……えへへっ、オレ、こんなに優しいママが欲しかったんだぁ」
「あー!」
「ガッチャ、龍亞は調子がいいの。あんまり本気にしちゃダメ」
「な、なんだよう」
三人で一緒にベッドに入ったら、ふと懐かしい気持ちになった。
機械は何でもしてくれるけれど、抱き締めてはくれない。冷たい。寂しい。子供の頃に龍亞と二人きりで眠っていた時も、良くそんな事を考えていた。最近ではすっかり忘れてしまっていた。龍亞がいればそれで良いから、これからは二人で生きていくんだと決めた日から、傍に大人がいなくても何とも思わなかった。
ガッチャは幼い心を持っているけれど、身体はきちんと大人だった。外見から人間の年齢に換算すると、高等部の三年生くらいだろうと思う。遊星に初めて出会った時のことを思い出す。あの時のあの人くらいだ。
抱き締められていると安心した。ずっと誰か大人にこうやって抱き締めて欲しかったんだと、今になって思う。『飼おう』と龍亞に言われる間でもなかった。龍可はガッチャの頬に触って、囁いた。
「大丈夫。あなたは私たちが守ってあげる。どこにも行かないでいいんだからね」
父親は龍亞と龍可を抱き締めてくれるような人ではなかった。母親に至っては、記憶もおぼろげだ。幼い頃はいつも傍にいてくれた家庭教師の二人を思い出す。良くしてはくれたけれど、結局心を開くことができなかったのは、彼らが普通の人間だったからだろう。龍可は、普通の人間に、上手く心を開くことができない。
龍亞はもういびきをかきはじめている。この年齢になっても一人寝ができない龍可に付き合ってくれるのはありがたいが、兄はいびきと寝言がすごい。たまに歯軋りもする。しょうがないなあと思っていると、玄関の鍵が開く音がした。
「龍亞?」
龍可は龍亞のパジャマの袖を引っ張って、ベッドの上で身を起こした。龍亞は、慣れた様子で目を擦っている。
「なんだよ龍可……トイレぇ?」
「違う。誰か入ってくる。鍵が開く音がした。ガッチャを探している人かも」
「なんだってぇ?」
龍亞も飛び起きる。トップスのセキュリティ・システムの中、強盗にやってくる人間はいないだろうが、こんな夜更けに友人が訪ねてきたとも思えない。
「龍可は部屋で待ってろ。オレが見に行く」
龍亞が、足音を立てないように、忍び足で部屋を出て行く。しばらくすると、リビングから龍亞の変な声が聞こえてきた。
「……ええぇ〜!?」
「る、龍亞!?」
思わず龍可も部屋から飛び出した。リビングの龍亞の隣に並んで、同じように「ええ?」と首を傾げる。
玄関には良く知った顔が三つ並んでいた。三人共がペントハウスには不似合いな白衣姿だ。
「ただいま、龍亞。ただいま、龍可」
龍亞が素っ頓狂な声を上げる。
「パ、パパぁ?」
―― その人は、龍可と龍亞の父親のヨハンだった。
二人のエメラルド色の髪はこの父親譲りだ。北欧系の外国人で、龍可と龍亞は日本人の母親とのハーフだが、海外からの移住者が多いネオ童実野シティでは珍しいことでもない。重度のワーカホリックで、一年に数回会えれば良い方だった。
ヨハンの後ろに控えているのは、龍可と龍亞の家庭教師の二人だった。幼い頃は本当の両親のように面倒を見てくれていたが、物心ついた龍可が普通の人間の彼らを避けるようになると、アカデミアへ通うようになったこともあって、最近ではあまり顔を合わせることもなかった。
「しばらく帰ってこないんじゃなかったの? しかもこんな夜中になんで?」
「あー?」
龍可と龍亞の間から、ガッチャがひょっこりと白髪頭を出した。
「あ」
思わず龍可の喉から声が漏れる。ヨハンと見比べるようにしてから、どう誤魔化すべきか頭を巡らせる。そうして迷っている間に、ガッチャは二人の間から飛び出していった。
「あ〜っ!!」
龍可と龍亞に懐くように、ヨハンに抱き付いていく。嬉しそうな顔で白衣に額を押し付けるガッチャへ目を落して、ヨハンが冷たい声を上げた。
「二人が匿っていたんだな」
「え?」
ヨハンの反応はそっけなかった。ガッチャの頬を平手で張る。風船が破裂したみたいな音が鳴って、ぶかぶかのパジャマを着込んだ華奢な身体が傾いた。
「お前は何をしたのか分かっているのか?」
ガッチャは転んだ拍子にテーブルの脚で頭を打ち、それでも気にしたふうでもなく、にこにこしながらヨハンのスーツに縋り付いた。ヨハンの顔に自嘲の色が浮かぶ。
「何を言ってるんだろうな、俺は。分かるわけがないじゃないか――」
「あー。あ〜!」
ヨハンが無造作にガッチャの肩を掴んだ。立ち上がらせて、乱暴に引いて龍可達に背中を向ける。家庭教師が、ヨハンと龍可達を困惑しながら交互に見た。
「博士。龍亞くんと龍可ちゃんには……」
「ああ。戻ろう」
ヨハンの返事はそっけなかった。龍可は、喉を絞られたような心地がしたが、何とか足を踏み出して、去り行こうとする背中に声を掛ける。
「パ、パパ。待って。どうしてこんなひどいことをするの? その子をどこへ連れていくの? その子、うちの家族になったの。だから……」
「お前達には世話を掛けたようだな。あとは任せて、もう眠りなさい」
「パパ?」
龍亞も呆然としている。龍可は頭を振った。
「なによそれ」
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