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 今日は件の<幻の決闘王>がやってくる日だ。オフィスは朝から騒然としていた。
 その男は今夏に開催されたデュエル世界大会において優勝したものの、初代決闘王との再戦が果たされていないことを理由に<二代目決闘王>の称号を辞退してしまった、大人びた顔をしているくせに青臭い男だった。
 彼は今、入口の自動ドアを踏み込むなり、受付の前で社員を掴まえて「社長秘書になりたい」と言い出して、破天荒な社長の下で日々ストレスに胃腸を押し潰されそうになっているKC社員を困らせている。
「ですから、貴方は新規に発足した部署にヘッドハンティングをされたんです。先の大会において『我が社の社員として申し分なし』との判断が下りまして」
 弱りきった様子の社員が、身振り手振りを加えて宥めに掛かっている。その人は眉を下げて、『話が違う』とばかりに相手のネクタイを引き絞っている。
「社長秘書は? 海馬さんの身の回りのお世話は? あわよくばデュエルは?」
「すみません、そういうのはちょっと、無いと思うんですが」
 初代決闘王に憧れていると思っていたら、彼のライバルの海馬瀬人にも目がないようだ。デュエルが強ければ相手を問わず、という性癖は相変わらずだった。
「十代って、結構浮気性なんだぁ?」
 背後から肩を叩くと、黒のスーツが見惚れる程様になっているその人が振り向く。「あ、ヨハン」と、学生時代と同じ顔で笑った。


 窓際の休憩スペースに設置されているソファに十代を座らせて、脇の自販機にコインを投入しながら、「コーラ?」と確認すると、「うんそれ」と返事が返って来る。自分にはグレープソーダのボタンを押して、その人とテーブルを挟んで向かい合って座った。灰色のソファはシンプルだが、座り心地は決して悪くない。
「『力を持って放浪するのは、世界に無作為に危機の種を撒くことになる』って」
 アルミのプルタブを上げて、十代がそう切り出した。ここへ来た理由のことだろう。正直こちらも、まさか本当に十代とこの場所で顔を合わせることになるとは思っていなかった。持ち掛けられた話を蹴って、またジムの化石発掘にでも付き合っているのではないかと想像していたのだ。
「それって、お前を口説きにきた社員さんが言ってたのか?」
「そ。子供の頃、主治医だった人だよ。KC系列の病院の院長さんだかで、脳外科の権威なんだってさ。よくわかんないけど。『もう昔みたいに無責任な子供じゃないんだろう』って、言ってることは分かるんだけど、なんか面白くない」
 十代はそこで皮肉に唇を歪め、大げさな身振りで肩を竦めた。
「なんでだろうって考えたら、怪物扱いされて面白くなかったんだよ、オレは。そんなことはもう自分でも納得済みだ。ただ、他人の口から改めて聞くと結構ショックだったみたいなんだよな。オレもまだまだだな」
 他人事のような口調で言う。十代が呼び付けられた理由は、夏の世界大会の戦績だけが理由ではないらしい。
 ヨハンもよく知っていたが、十代が子供の頃、周囲の人間に害を与えるユベルを、海馬コーポレーションのロケットに乗せて宇宙へ飛ばした。その時に、精霊が見えるばかりではなく、任意の人間を昏睡状態にしてしまう程に精霊の力を引き出せる遊城十代少年の名はチェック・リストに登録されていたのだ。そのおかげで本校入学の際も便宜を計られたと聞いているが、十代の実力があれば余計な気遣いだったことだろう。
「今までオレから話したことは無かったと思うけど……まあ、みんなはもう校長先生から聞いたとかで知ってるんだけど。子供の頃、オレとデュエルをした友達が、みんな昏睡状態になっちまうってことがあったんだ。ヨハンは、それ……」
「ああ、よく」
「うん。オレが望んだことなんだよ、あれは。もっと一緒にいたいとか、負けて悔しいとか、そんな思いをユベルの力が叶えてくれた。結果はともかく。主治医の爺さんが言うには、オレは病原体みたいなものなんだってさ」
「病原体ねぇ」
「『ここにいれば自由は保障します。それでも放浪を続けるつもりなら、我々は世界を守る為に全力で貴方を阻止します』」
 実直な口真似に、思わず吹き出してしまった。その場にヨハンが居合わせたら、間違いなく相手をただでは済まさなかっただろう。
「そんなことができるもんか。そいつは十代を見くびってる。どこかへ行きたいと思ったら誰も止められないし、出てってくれと頼まれたって、居付く気になったら誰も追い出せないような奴なんだ、お前は。病原体? 馬鹿げてる。まさかそんな話を信じちゃいないだろ?」
「頭から信じる程、オレは素直な子供じゃないさ、もう。でも海馬さんの秘書にしてもらえるなら、それもいいかもって思ったんだけど」
 十代は半目になって、「そういうのは無いって」とぼやいている。まだ未練があるようだ。
「あーあ、つまんねぇの。やっぱりまたイオあたりに飛んで、新しいヒーローでも探そうかなぁ」
「それって、前言ってた木星の衛星? すっごいなぁ! 次は俺も一緒に連れてってくれよ」
「いいけど、ヨハンこそ何でこんな所にいるんだよ。しかもスーツで」
「お前と同じ理由さ。きっと」
 ヨハンはソファに背中を預けて、頭の後ろで腕を組んだ。I2社において、本格的に精霊の研究を行う部門が今秋から発足することになる。以前からペガサス会長が精霊という存在に並々ならない興味を抱いていたという背景もある。
「俺の夢は前に話したろ。精霊と人間の架け橋になる仕事ができるって聞いて、ぜひ関わらせて欲しいって会長に頼んだんだ。夢を叶えるチャンスだ。正直嬉しかった」
「ふーん。精霊の研究ってことは、精霊と話せる奴ばっかりなのかなぁ」
「さぁ? 俺も今日挨拶に来たばかりだからなぁ。I2社と海馬コーポレーションの共同研究部門だっていうから、俺もこっちに住む所を探さなきゃなんない。ホテル暮らしもいいけど、肩が凝るんだよ。ホテルって。十代はこの辺詳しいか?」
「まぁな。親切なじーちゃんもいるし」
「俺さぁ、今住みやすそうなマンション探してんだけど。できればレッド寮みたいにおんぼろで……どうした?」
 十代の顔が、面白いことを思い付いたように綻んでいた。上半身を乗り出してテーブルの上に頬杖をつき、目を輝かせてこちらの顔を覗き込んでくる。
「オレ、ヨハンの秘書でもいいなぁ」
「秘書ぉ?」
 思わずその人のタイトスカート姿を想像してしまい、頬が染まった。十代は悪戯でも仕掛けるような様子で、一人で頷いている。
「うん、それいい。部屋は遊戯さんちの近所がいいな。じーちゃんに毎日会えるし、遊戯さんが帰ってきたらデュエルの相手もしてもらえる」
「十代、そういうのはストーカーって言うんだ。追っ掛けどころじゃない。て、なんでお前まで住むような口振りなんだよ」
「ルームシェアってやつ?」
「お前……大歓迎だけど、無防備にも程がある。襲われたらどうするんだ」
「ヨハンにか?」
「俺にだよ」
「大丈夫だよ。ヨハンはそういう奴じゃない」
「魔が差すってことはあるんだぜ。俺だって男なんだから」
 話し込んでいると、サングラスを掛けた社員がやってきた。ビニールパックに入った真新しい白衣を十代に渡して、丁寧に頭を下げて廊下の奥を指した。
「お二人とも、こちらです」
「これ、オレが着ていいの?」
「はい、我が社の支給品です。どうぞ。ヨハンさんは既にI2社の方で用意をされていたと思いますが」
「ええ。今日は挨拶だけのつもりでしたから」
「なんか変な感じだな。大徳寺先生みたいだ」
 歩きながらパックを破って白衣を広げ、当たり前のような顔で鞄をヨハンに、不用になったビニールの残骸を社員に押し付ける。我侭なお嬢様に同伴している気分になった。
 ヨハンは何となくむずむずした顔でいる十代の白衣姿を眺めて、正直な感想を言ってやった。
「実際よりも頭が良さそうに見えるな」
「へへェ」
 機嫌を良くして、昔のように幼い笑い方をする。晴れ着を誉められた子供のようだった。姿形は大人びたが、ヨハンの前ではまだそういう仕草をする。空のパックを背広の内ポケットに収めたサングラスの社員が、小声でこちらに耳打ちをした。
「……なんだか急に物分かりが良くなりましたね。わ、笑っておられますし。さっきまで『働いたら負けだと思ってる』って、話も聞いてくれなかったんですが。ヨハンさん、何を言ったんですか?」
「別に、大したことは言ってない。普通です。十代がどうかしたんですか?」
「十代さんは扱い辛い人間ですから……。まあ、我が海馬コーポレーションにおいて、扱いやすい人材というものは羊の群れに過ぎないと、面接でまず除外されますからね。だから癖の強い人間しかいない。あ、胃薬飲んでいいですか?」
「どうぞ」
「すみません」
 サングラスの社員は、今ちょうどパックをしまったばかりの背広の内側から、魔法のように胃薬とペットボトルのミネラル・ウォーターを引っ張り出した。気苦労が絶えないようだ。


 扉を開けると、好奇の視線が十代へ突き刺さった。白衣を着た社員が十人ばかり席に着いている。
 誰かが「カーレンだ」と囁いた。その名前が耳に飛び込んできた途端、ヨハンは心臓が凍り付いたような心地になって、思わず足を止めた。十代は何も知らずに、サングラスの社員に促されるまま部屋へ入っていく。開け放された扉には、<NEX>とマジックペンで書かれた紙が便宜的に貼られていた。I2社と海馬コーポレーションの共同研究機関の名だ。ヨハンの夢の形の一つでもある。
 社員の一人、ヨハンと同じく外国人の男が、興奮を隠せない様子で十代に話し掛けた。流暢な日本語だ。
「あなた、<カーレン>ですよね? <赤い靴症候群>の」
「いや、人違いだ。オレはそんな名前じゃない」
 十代は、当然だが、首を振る。
 しかし男は取り合わない。十代が冗談を言っているものだと取ったのだろう。二人ばかり、周りの同僚が目を輝かせている理由が分からないと言った顔の社員もいる。どちらも日本人だ。
「きっと人違いですよ。その人は、八月のデュエル世界大会優勝者の遊城十代さんでしょ?」
「ああ。確かに、あだ名みたいなものなんだ。つまり<赤い靴症候群>というのは、名前の通り童話<赤い靴>が由来なんだ」
 くすんだ金髪の男が、得意げに頬を紅潮させて腕を広げた。自分の話に夢中になって、周りを省みないタイプの人間だろう。目の前にいる当人にもお構いなしだ。研究者にはこういう人種が多い。
「ある所に、精霊の力を現実のものにできる能力を持った子供がいた。でもデュエルをすると周りの人間を片っ端から昏睡状態にしてしまうっていう、迷惑な能力だったのさ。当然その子は友達もおらず、親からも見放されて不幸だった。ある高名な脳外科医はその子の両親の依頼で、その子から精霊に関する記憶を消したんだ。記憶を削除されたことで特別な力を失い、普通の生活に戻ることができたその子を、勝手に踊り続ける足を斬り落とされたことでようやく幸せになった童話の主人公になぞらえて<カーレン>と呼んでいる。<赤い靴症候群>は非常に珍しい症例で、これまで確認されているのは一件だけ。この人だけだ。非常に貴重だ。<カーレン>はうちの国の教科書にだって載っている。日本ではあまり知られていないようだけど……はじめまして、<カーレン>。お会いできて光栄です」
「あ」
 手を差し出されて、十代は一歩後ずさった。ヨハンの胸に、骨の浮いた背中が当たる。
 十代は、どこか脅えたような表情をしていた。自分を自嘲気味に怪物と呼ぶこの異能者が、ただの人間へ化物を見るような目を向けるのは、性質の悪い冗談のようで滑稽だった。
 やはり殴ってでも黙らせるべきだったかもしれない。後悔する。
 他の社員達も勢い付いて席を立った。稀少な<カーレン>を間近で見ることができて余程嬉しいらしい。
「記憶を消されて普通に暮らしてると聞いたんですけど、昔のことは覚えていますか?」
「昏睡状態の子供は目を覚ましたんですか? その後はどうなったんですか?」
「警察や病院はどういう対応を?」
 十代は口を開けたり閉じたりして、目を見開き、身体を強張らせている。心音が早くなり、呼吸が浅くなっているのが、触れ合っているヨハンに直に伝わってきた。今の十代は無邪気な少年でも、大人びた青年でもなくなっている。かつての怖がりの子供だ。ヨハンは、そのかぼそい両肩を強く掴んだ。
「そんなこと関係ないだろ!」
 思わず怒鳴っていた。十代の身体が跳ねる。振り向いてヨハンを覗う顔は、叱られた子供のようだった。あの頃の十代そのもので、ふと懐かしい気持ちになる。
「俺たちのすることは、特別な人間をあげつらうことじゃない。精霊と人間がより良い関係を築き上げていく手伝いをすることだ。確かに十代のような例もある。そういう時に、そんな子供を助けるために、記憶を消されて精霊と人間の絆を断ち切ってしまわなくてもいい方法を見付けられれば」
 十代の喉が鳴る。かすかに「ヨハン」と名前を呼んだようだった。ヨハンは、かつては笑い者になることを怖れて簡単には口にしなかった言葉を、澱みなく言い放った。
「それが、精霊と人間を繋ぐ架け橋ってことじゃないのか」
 部屋はようやく静かになった。社員達は十代とヨハンを見比べて、居心地の悪い様子で俯いている。急に頭が冷えて、目の前にいるのが教科書の中の<カーレン>という登場人物ではなく、一人の血肉を持った人間だということを思い出したようだ。
 十代がヨハンを見上げて微笑んだ。一瞬だけ、泣きそうに顔を歪めた気がした。
「……ヨハンは、いつもオレを守ってくれる」
 小さくそう囁く。息を吸うと、良く通る声で「記憶は戻った!」と言った。吹っ切れた表情だ。
「昔のことは全部思い出した。昏睡状態の子供は目を覚ましたよ。その後は知らない。うちの家族は逃げるようにしてすぐに街を引っ越したからな。警察や病院は精霊の仕業だなんて信じなかった。両親に通院を勧めたくらいさ。あと、オレの名前は遊城十代だ。<カーレン>なんて女の子の名前じゃない」
 頭の後ろで手を組んで、退屈そうに背中を向ける。白衣が翻った。
「モルモットだと思ってくれて構わない。オレは頭が悪いから、そっちのが役に立つだろう。聞きたいことがあれば何でも聞いてくれ。答えるかどうかはわかんねぇけどな」
「十代?」
「いいんだ」
 十代は大人びた顔で笑った。幼い頃の怖がりの十代も、無邪気で太陽のようだった少年の十代もしない表情だ。左右がちぐはぐの表情で、意地が悪そうにも、面白がっているようにも見えた。
「オレはオレの夢を果たすことにした。お客さんで来てるわけじゃないんだぜ。な、オッサン」
 十代はそう言って、サングラスの社員から掠め取るようにして社員証を受け取った。左胸に付けている。安堵した表情のサングラス社員が、ヨハンへ向かって感謝の意を示すように、深々と頭を下げていた。十代のご機嫌を取るなり、何でもして彼を引き止めておくように、幹部から指示を出されていたのだろう。世界の為に。
 遊城十代、この人は強くなった。あの頃とは違う。
 そう思った。


 資料室は真新しいながらも、どこか古臭い埃の匂いがする。部屋の入口付近にはDVD化された映像記録がレンタル・ショップのように棚の中へ並べられていたが、ビデオテープやレコードなどは、旧時代の再生装置と共に隅のロッカーに押し込まれている。何十年もの歳月と共に量を増やしてきた旧式の記録媒体の山をデータ化する為には、途方もない労力が必要なのだろう。故郷の<家>の物置を思い出した。
 同時に恵まれなかった幼少時代の思い出も記憶の中から呼び起こされ、気分が沈んでいく。同級生に落ち零れのくせに目付きが生意気だと絡まれて、一晩中物置に閉じ込められたことがあった。その相手が女の子だったことも、憂鬱さに拍車を掛ける。
「なんだ、その顔」
 知らないうちに情けない顔をしていたようで、十代に頬を引っ張られた。何でもないと頭を振って、紙媒体が並ぶ本棚を調べる。目当てのものはすぐに見つかった。
 それは、一人の人間にスポットを当てたものにしては膨大な量のレポートだった。
 隣で十代が目を丸くしている。「すげぇ」と呟いた。レポートをいくつか棚から引き抜いて渡すと、困惑した顔になる。確かに、こんなふうに研究施設の資料棚に自分の子供時代の写真が並べられているところを見たら、それがまともな反応だろうと考えられた。
 十代は、先の社員に呼ばれた<カーレン>の名前や<赤い靴症候群>、『教科書にも載っている』という言葉がどうにも引っ掛かったままでいるようだ。こちらにとっても良い機会なのかもしれない。いや、<機会>よりも<潮時>という日本語の方が上手く当て嵌まるような気もした。口の中がいやに乾いていて、やはり今更ながら緊張をしているのだと自覚する。
「これは精霊に関する事件の中でも、特に稀少なケースのひとつだ。日本に不思議な子がいる。邪悪な精霊に魅入られていたが、記憶を切除して、精霊視の力も失った。記憶と精霊視には関係があるのか? それとも別の要因か? これは精霊研究者のテキストにもなっているけど、彼らの疑問の結果はまだ出ていない。何故ならこういう事例って、被験者が亡くなった辺りでようやく結果が纏められ始めるんだ。研究対象はまだ生きていて、元気に生活してる」
 講義の口調で説明をする。自分のデータを知らないうちに何年にも渡って取り続けられていたことを知って、やはり十代は微妙な顔になっていた。
「ヨハンも読んだのか、これ」
「ああ。何ならそらで言えるけど」
「ええ?」
 十代が、疑わしい様子で眉を顰めた。ヨハンは自分の側頭部を指で示して、「お前と同じように、観察されていた子供達のデータも全部頭の中に入ってる」と白状する。
「故郷の国の政府が進めてる教育の一環で、そういう授業があったんだ。うちの国じゃ、特別な子供を人工受精で作り出すんだよ。試験管の中でさ」
「作られたって、なんか怪人みたいだな。そいつらにはなんかいい所でもあるのか?」
「大したもんじゃない。たとえば、とある子供なんかだと、ただ周りの人間達の中に上手く解け込んで、誰にも悟られずに思い通りに導いていくことができるっていうだけの能力があった。その程度さ。性格も話も相手が一番望むものに変えられるから、そいつ、<カメレオン男>ってあだ名を付けられてたよ」
 十代が吹き出した。
「怪人だ!」
 身体を折り、腹を抱えて笑っている。ヨハンも微笑みながら、「そう、ヒーローにブッ倒されちゃうな」と頷いた。
「滑稽だぜ。よりによって、ヒーローを好きになっちゃう怪人なんてさ」
「うん。まさかあの<カメレオン男>がねぇ。わかんねぇもんだよな」
 十代が笑いを噛み殺しながら、わざと真面目くさった顔をして、知ったふうな口調で言った。まるで長い間ヨハンが押し込め続けていた心の闇など、大したことではないというような感じだった。この人はまた自分を救ってくれようとしているんだと、ヨハンは悟った。
「あれは、天才を作る工場なんだ。そこで工業製品みたいに『製造』されて、俺は自分が人間じゃないと思っていたのに、それをただの人間だと思い知らせてくれて、感情を呼び起こしてくれたのは精霊達だった。それでも血の繋がった家族がいる奴が心の底から羨ましかったよ。今でも」
「ひっでぇ国だな」
「兵役がある国なら珍しいことでもないぜ。平和なお前の国が特別なんだ」
「兵役。兵隊。オブライエン」
 十代は友人の傭兵の顔を思い浮かべたようだ。国家同士の戦争の脅威をいつも頭の片隅に置いたまま生活をするというのがどういうことなのか、彼には理解をすることができるだろうか。
 ヨハンは十代と向き合って、鳶色の瞳を真正面から見つめた。いざとなると上手く言葉が出てこない。不自然な沈黙が落ちる。十代は、ただ黙ってヨハンを見つめ返してきている。
 昔の十代ならこんな時はどうしただろう。辛気臭い話なんて止めてデュエルでもしようぜと言い出したかもしれない。
 今は、実際の年齢よりも大人びて、時折老人のようにも見えるその人は、ヨハンの告白をただ待ってくれていた。落ち付いた瞳を見ていると、もしかするとこの聡明な人にはもう何もかもが分かっているのかもしれないとも思えた。
「俺の役目は、選ぶことだった」
 観念して、切り出した。
「遊城十代。お前がどっちなのか。特別なお前を守って利用するのがまず俺の役割だった。十代を見定めて、もしも世界にとって危険だと判断したら殺す。選択する。守るのか、殺すのか」
「どっちだ?」
「まだわからない」
 大きく息を吐き出した。上手く呼吸ができない。
 十代の方は、特に驚いた様子でもなかった。動じない。どうでも良さそうな顔で肩を竦めている。
「ふうん。オレ、べつにいいよ。ヨハンになら」
「……殺されてもいいなんて、お前の口から聞きたくない。だから言いたくなかったんだ。……ずっと言えなかった」
「嘘だよ。ヨハンがオレを殺すなんて、冗談でも面白くない」
 十代は人の悪い顔で笑っている。今更この人を殺せるわけがないことを、既に自分でも何より理解していた。そういう意味では選択は済んで、ヨハンの役割は果たされていた。もう何年も前に果たされていた。
「最初お前の話を聞いた時は可哀想な子だなと思ったよ。かけがえのない存在を記憶ごと失うなんて。でもそれでお前は普通の人間に戻って、撮られた映像データの中で、みんなと友達になって、精霊を見ていた頃とは正反対の顔で明るく楽しく笑ってた。分からなくなった。精霊に選ばれて孤独な俺、精霊を失って笑う十代。可哀想なのはどっちだ? 精霊狩りのギースが言ってた言葉が、今でも胸に刺さったまま抜けないんだ。精霊と人間が本当に分かり合えることはない。あいつにも元々は信頼し合える精霊がいたんだ。でも精霊を傷付ける人間になった。その線はいつ、どんな時に引かれてしまうんだろう?」
「そんなこと考えてたのか。お前もやっぱ大人になってくんだなあ」
「お前は俺の親かよ。……えっと、この辺りだな」
 ロッカーを開けると、ヨハンが探していたビデオテープの束は、ビニールのリボンで一纏めにされていた。背ラベルはすでに黄ばんでしまっている。稀少ケースであることを示す<UR>の文字が記されていた。
 十年以上前の映像データだ。中身は、十代本人にももう見当がついているだろう。
「オレが子供の頃、両親は忙しくて、運動会や授業参観なんかの学校行事があっても二人は来てくれなかったよ。クラスメイトの両親がビデオカメラを回してる姿を見て、すげぇ羨ましいって思ってた。そんなだからうちの家にもこれだけの量のオレの写真も映像も無いぜ。きっと十分の一も無いんじゃねぇかな。部屋に入らねぇよ。誰だか知らないけど、ご苦労様って感じだ」
 十代は、データを収集した人間には思い当たらないようだ。ヨハンを見上げて、首を傾げている。もしかするとこの人は、全てを受け入れてくれるんじゃないだろうかという気がした。そして、そんなふうに期待をする自分が赦せなかった。重く感じる口を、ようやく開く。
「ずっと見てた。十代、お前が羨ましくて、憎くてしょうがなかった。お前にはきちんと両親がいて、自由で―― 逆恨みだぜ、これ。お前が独りぼっちになって、誰にも遊んでもらえなくて泣いてるところ、資料テープが擦り切れる位何度も見たよ。お前が傷付いている場面が特に好きだった。こいつは俺より力がなくて、俺より可哀想なやつだ。どんなにみじめな目に遭っても、俺より恵まれない姿を見ると胸がすっとした。でもお前は、そんなどうしようもない世界から一抜けた。正直拍子抜けしたんだ。そんなの、いいのかよって思った。お前は大切な精霊を棄てて笑うようになった。はじめのうちは、なんて奴だと思ったぜ。精霊との絆を棄ててまで笑いたいなんて俺は思わない。こいつは落第した。そう思おうとした。でも―― でもお前があんまり馬鹿みたいに楽しそうに笑うから、見惚れちまうのが悔しかった。
 そのうち、お前が笑うところばかり、何度も繰り返して見るようになった。お前が笑ってるところを見ると、まるで俺がそうしてるみたいで、なんだか気持ちが良くなった。馬鹿みたいだって思ったけど、目が離せなくて、俺はきっと、俺と同じだったお前の笑顔に救われていた。その時気が付いたんだ。『俺と同じなのに』とか『俺と同じくせに』とか十代に対して感じていたのは、俺が十代をもう一人の俺として見ていたからだって。魂の片割れ、双子の兄弟、そんなふうに。その俺の半分が知らない国で知らない誰かに笑い掛けてる。なんでそれが俺じゃないんだろう、そこに俺はいないんだろうって本気で悩んだ。
 お前と話をしたいと思った。嫌いだった日本語のテキストもちゃんと読むようになった。何年掛かってもいい、一言だけでもいいから、会って言いたかった。……『ごめん』。お前のことを馬鹿にした分だけ、俺も馬鹿にされたいって、思ってた。でも、お前、そんな奴じゃない。いい奴だ。本当は俺なんかと全然違う。だから他の方法で、一生掛けて贖いたいと思った。
 俺はお前を守ると決めた。同情と憐れみで、本物のお前に会う前の俺は十代の傍にいたいと思ったんだ。そのことを十代に知られるのが何より怖かった。出会って一緒に過ごすごとに、恐怖は積み重なっていった。大好きになっていくごとに、お前に俺の本当のことを知られるのが死ぬより恐ろしくなった。
 傍に精霊しかいなかった俺が人間の世界で笑えるようになったのは、十代、お前のおかげなんだ。でもこんな盗み見みたいな形でなんてさ、良い気持ちにはならないだろう。知らないままでいて欲しかった。知ったら、十代はもう俺を信頼しちゃくれないだろう。軽蔑されるのが怖くてずっと騙していたんだよ。俺は卑怯者だ。ごめん」
 俯いたまま、「ごめん、十代」と繰り返した。顔を上げて、その人がどんな表情でいるのかを知るのが怖かった。瞼を硬く瞑り、太腿の横で拳を握り締めて、ただ恐ろしい何かが過ぎ去ってゆくのを待っている。そんな心地だ。それが十代の不信や怒りであれ、軽蔑であれ、恐ろしくてたまらない。
 頬に冷たい手が触れた。肩が大きく跳ねるのが分かる。
「そんなにびびるなよ。取って食いやしないさ」
 その人は、喉の奥で笑っている。信じられないような気持ちになった。
「あの頃は世界にひとりぽっちで立ってると思ってた」
 十代が言う。弾かれたように顔を上げると、優しい鳶色の瞳と目が合った。
「でもオレのことを見てくれてた奴がいたんだ。オレは空気でもモノでもなかった。ヨハンが傍にいてくれた。あの頃から、お前の存在はオレにとっての救いだったのか」
「……違う。俺は十代を軽蔑してた。馬鹿にしていた。条件は俺と同じだったのに、優しい親がいるおかげで恵まれたお坊ちゃんにしてもらえたお前を憎んでいたんだ。世界から消えてしまえとさえ思ってた。そんな最低の俺が、救いなんかであるもんか!」
「いいさ、理由なんか。オレのことを見てくれていてありがとう」
 十代が笑う。月の光のように柔らかい微笑みで、向けられると心が空っぽになった。目が熱くなる。泣きそうになる。感情が吹き出す予感が少しずつ、しかし確実にやってきて、それをやり過ごす為に奥歯を噛み締めた。
 まるで理解ができない。何故この人は、こんなにも優しいのか。
 十代に触れたい衝動が沸き起こってくる。それに逆らえずに抱き締めてしまっても、拒絶はされなかった。
 その人が救いを求める手を拒まないことを、ヨハンは深いところで理解しているのだろう。そう考えると、やはり自分が薄汚い悪魔のように思えて嫌になる。
「ユベルが言ってたよな。俺はお前の傍で一生お前を守るから、お前で間に合わせてしまおうと思ったって。その通りなのかもしれない。それに俺は、きっと十代を一人占めしたかったんだ。ずっと見てきたから、俺より十代を見てる奴なんていないから、俺が一番十代に相応しいって、思っているのかもしれない」
 声には涙が混じり始めて、ひどくみっともなかった。十代が少し驚いたような表情になる。思い返してみれば、この人の前で泣き顔を見せるのは初めてだったような気がする。憐れみを乞うようでどうしても嫌だったが、もう自分ではどうにもならなかった。
「俺は、十代、お前みたいに綺麗になれない。恋をすれば、お前へ向けた気持ちが全部愛情になるかもしれないって期待してた。そんなことはなかった。俺の心は汚いままで、恋は何も浄化なんてしちゃくれなかった。俺は十代が大切だ。大好きだ。そうやって笑ってると、すごくいい気持ちになれた。許されたような気持ちになれた。でも憎い。羨ましい。嫉妬する。安心する。胸が痛くなる。傍にいたい。笑って欲しい。罰して欲しい。愛して欲しい。もうなんなのか、わかんねぇよ」
 遣り切れないほどに手が震えた。十代の白衣に縋り付くような恰好になる。体温が低くて、腕の中に収まってしまう細い体躯が、何よりも欲しいと思った。
「俺のこの醜い心は、まるで人間じゃない。綺麗なお前を好きになる資格なんかない。だけど好きになっちまう。憧れてしまう。心だけは止まらない。恋してるって自信を持って言える自分が許せない」
 十代の腕が、戸惑いを感じさせながらもヨハンの背中に回された。宥めるようにゆっくりと撫でている。母親に抱かれているような錯覚に陥った。
「ヨハン」
 静かに名前を呼ぶ声に、目が眩む心地がした。抑制が効かない。十代の袖を掴まえて、床に引き倒して馬乗りの恰好になる。不器用に結ばれたネクタイを解いていく。白いシャツの合わせ目を力任せに開くと、あっけなく弾け飛んだボタンが床を転がっていった。
 ガーゼの包帯に包まれていた胸が零れ出る。殊更きつく縛られているのが、この人が女としての半身を無いもののように扱っている象徴のようだった。ベルトを緩めて、ジッパーの隙間から手のひらを差し入れた。下着越しに性器の膨らみを感じる。
 頭に血が上っていることを自覚はしていた。
 ここへ来ては十代も黙っていない。新品の革靴がヨハンの股間を蹴り上げる。言葉にならない激痛のおかげで、別の理由の涙が零れた。
「……!! いってぇええ!!」
「頭冷やせ。今オレをゴーカンしても、あとでヨハンが後悔するだけだぜ」
 まるで対戦相手が上の空で初歩的なミスを犯すのを咎めるような声で、十代が言った。落ち付いた声色だ。詰られるよりも余程目が覚める。
 ヨハンは項垂れ、深い溜息を吐いた。
「……確かに、その通りだ」
「そうだろ」
「ごめん。俺はまた……十代を傷付けるような真似を……」
「……だけどさ、胸くらいなら触らせてやってもいいんだぜ」
 一体何を言われたのか、理解が追い付くまでしばらくの時間が必要だった。我に返って、恐る恐る十代を覗う。この人は自分が何を言っているのか分かっているのか。
「じゅ、じゅうだい?」
「お、オレが触らせてやるって言ってんだよ。不満かよ」
「いや、なんで胸?」
「触るのか触らないのか、どっちなんだよ。はっきりしろ!」
 真っ赤になった顔で怒鳴られた。『恥ずかしいことをさせてやる』という一応の理解はあるようだ。
「あ、ああ」
 気圧されるように頷いて、控えめに十代の胸に触った。男の平らな胸。女の膨らんだ胸。包帯越しにも乳房の弾力が伝わってくる。何度か手のひらを蠢かすと、十代の腰がかすかに震えた。それ程大きくはないが、触れていると不思議と落ち付いた気分になる。
「結局、恋は、まだしてんのか?」
 十代が呆れた顔で見上げてくる。喧嘩の言い訳を聞くみたいな顔だなと思った。
「うん」
「ばか」
「好きなんだ」
「ヨハンが、そんな難しいこと考えてたなんて意外だった。能天気な馬鹿だと思ってたぜ」
「能天気な馬鹿になりたかったんだ。お前みたいになりたかった。お前は俺の故郷じゃアイドルだったんだから」
「はあ〜?」
 思いもよらない、という顔だった。ヨハンは、いかに誰もがその人に憧れていたのかという話をする代わりに、少しだけ自分の昔話をした。デュエルと出会い、落ち零れには無理だとからかわれながらもアカデミアを志したこと。実力でヨーロッパ大会を勝ち抜き、チャンピオンになった時、初めて自分を誇らしく思ったこと。宝玉獣達と出会い、正しい心の有り方に気が付いたこと。
「オレはオレの全部を知って、それでもヨハンが初めからオレに笑い掛けてくれたことが嬉しいんだ」
 急に、十代はそんなことを言い出した。
「ありがとう。ヨハン、お前はオレにとって、かけがえのない、誰よりも大切な―― 親友だよ。お前に会えてよかった。これからもいいライバルでいようぜ」
 無邪気に微笑む。ヨハンは眉を寄せて、また十代の乳房を掴んだ。握り込むとマシュマロのように形を変えていく。十代の喉から、「ふわ」と変な声が零れた。ヨハンは冷静に告げた。
「親友は、こんなことしないと思うけど」
「うん……」
 十代が弱りきった顔になる。自覚はあるようだ。
「親友、っていう言葉が好きなんだよ。オレは」
 頬を赤くしたままで、言い訳をするような口調だった。
「好きで好きで、たまんないくらい好きなんだ。まさか自分が使える日が来るなんて思わなかった。それが、ヨハンに使えなくなるのが嫌だ。恋人とか家族とか、そういう言葉はあまり好きじゃない。オレは一番好きな言葉で、一番好きなヨハンを語れることが何より嬉しかった」
 恥ずかしそうに目を伏せて、「子供っぽいのかな、こんなのは」と訊いてくる。可愛いところがあるものだ。微笑ましい気持ちで、チョコレート色の髪を梳きながら頭を撫でてやった。いつものように嫌がる素振りは見せないが、戸惑っているのが分かる。視線が揺れていた。
「そんなことはない。俺だって大好きだ。いい言葉だ。でも俺が感じている気持ちは、それだけじゃ収まらないんだ。誰よりも十代の幸せを願っているのに、誰よりも不幸を願ってる。傷付いた十代が、いつか誰か優しい人間と新しい絆を育めるようになればいいって、そう思うのは本当だ。でも、俺を選んでほしいと強く願ってもいる。十代に触れたい。俺の親友で、それから俺だけの女の子にもなって欲しい。でも俺が触ったら、取り返しのつかないことになるような気がする」
 『触る』という意味を、十代も悟っただろう。ヨハンの中のその感情を改めて確信しただろう。梳いた髪から零れた耳が赤く染まっていた。
 ヨハンから目を逸らして、何もない床の一点を見つめながら、照れ隠しのつもりかぶっきらぼうに吐き棄てる。
「オレ、いつかもし誰かと二人で生きてくなら、そいつはヨハンがいい」
「それって、婚約者に俺を選んでくれたってことでいいのか!?」
「きょ、興味が湧いたらだけどな!」
 慌てて付け加えるが、もう遅かった。顔が緩んでいくのが自分でも分かった。あまりにも分かりやすかったのか、十代が半笑いになっている。表情にどこか自嘲が含まれているのは、その人がいつも言うように、ヨハンを見ていると昔の自分を思い出してしまうせいだろうか。
「ヨハンは、オレを好きなんだろ?」
「ああ」
「うん。あのさ、キスくらいならいいぜ」
 余程恥ずかしそうに言う。ヨハンと目を合わせようとはしない。十代こそ照れていると一目で分かる顔だった。
 『胸』から『キス』だ。順序がおかしい気がしたが、やはり女の子の感覚とは違うのだろう。胸を触られても男は何とも思わない。ただ、変貌した身体に、その最も顕著に女性の特徴を顕した部分に触れることを赦されたのが嬉しいと思う。
「ああ。ありがとう十代」
 額を合わせる。十代が目を閉じる。瞼が震えていた。恋愛感情に疎い十代でも、こういう時に緊張をすることがあるんだと知ると、新鮮な発見をしたような気持ちになった。唇を寄せる。十代の手が、ヨハンの上着を強く掴んでいる。
―― ヨハン・アンデルセン様。I2社のペガサス会長がお越しです。至急、<NEX>部室までお戻り下さい』
 呼び出しのアナウンスは、無慈悲に資料室の中で響き渡った。
 そう言えば勤務中だったと今更に思い出した。十代を見ると、ほっとしたような残念なような微妙な顔でいる。ヨハンの視線に気がつくと、困ったように笑って背中を叩いてくれた。
 その肩を抱いて、唇を合わせた。
「んんっ?」
 目を閉じることも忘れて、鳶色の瞳がまるく見開かれている。文句を言おうとする口の中へ舌を差し込むと、諦めた顔になって舌を触れ合わせてくれる。
「……不良社員だ。会長に言い付けてやる」
 離れ際に、自分のことを棚に上げて言う。頬が上気している。ウインクしてやると、複雑そうに口の端を曲げた。
「可愛いぜ。未来の奥さん」
「急に元気になりやがって。単純な奴」
 十代は溜息を吐いている。
「あのさ、恋とかオレには分かんねえけど、ヨハンが嬉しそうな顔をしてたら、それはすごく大切な宝物みたいに思えるよ」
「ああ」
「やっぱりバカなんだ。オレも」
 皮肉な調子で言うくせに、その顔はどこか嬉しそうで、天使みたいに可愛かった。
 その人はヨハンの夢そのものだ。今は触れる身体を持って目の前にいる。
 なんていう幸福だろう、とヨハンは考えた。



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