□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
各校で定期的に行われる合同職員会議の開催場所に今回選ばれたのは、デュエル・アカデミア・ネオ童実野校だった。
明日香がネオ童実野シティを訪れた時にいつも思うのは、この街は凄まじい速度で変貌を続けているという事だった。自身がまだアカデミア生の頃に修学旅行で訪れた際には、ここはまだ童実野町と呼ばれていた。当時から<デュエルの聖地>と呼ばれてはいたが、まだどこか牧歌的な風景が残っていたように思う。
過去を懐かしむのは、それだけ自分が年を取った証のような気がする。しかし思い返してみると、明日香は子供の頃から大切な思い出を何度も振り返りながら、そこに愛する兄や仲間の姿があることをきちんと確認しながら生きてきた。今更それは変えられないし、変えるつもりもなかった。
「天上院先生! 遠い所お疲れ様です!」
へリがネオ童実野校に着くなり、オレンジ色のスーツを着込んだ女教師が校庭から快活に出迎えてくれた。明日香も腕を振って応える。
「こんにちは、マリア先生。三ヶ月ぶりかしらね」
「はい、前回のノース校以来です」
並んで歩き出しながら、明日香は何気なく隣のマリアに切り出した。
「双子の生徒さん達は元気?」
「ええ、とても」
「どんな子達なのかしら」
「ええ、デュエルを愛していて、まっすぐでいい子達です。あの、あの子達がなにか?」
マリアは怪訝に首を傾げる。担当している生徒の話題に少し戸惑っているようだ。明日香は「大したことじゃないんだけど」と言い置いて、話を続けた。
「本校に留学の話が決まれば、私が受け持つ事になっていたから」
「あ、そうなんですか! でもびっくりしました。本校に留学するチャンスがあるのは学年首席の子達と決まっていたから、まさかうちのクラスから選ばれるなんて思わなかったです。でも龍可ちゃんは、その、乗り気ではないみたいで。あの子は身体が弱いところがあって。留学となると不安なんだと思います」
「ええ。本当はあの子達にとっても、その方が良いのかもしれない。無意識に重圧を感じ取っていたのかもしれないわね」
「え? どういう?」
「親が偉大過ぎるって、子供には重荷ではないのかしら。少なくとも<遊城>という名前を本校で名乗るのは、普通の子供なら疲れてしまうと思うわ」
「龍亞くんと龍可ちゃんのご両親ですか。ごめんなさい、私は面識がなくて……」
「あの甲斐性無しのフリル男は、ろくに子供の面倒を見もせずに何をやっているのかしらね」
不機嫌さを隠さずに鼻を鳴らすと、マリアは答えあぐねているという顔で目を白黒させている。言葉が足りなかったせいで混乱させてしまったようだ。
「ごめんなさい、つい。龍亞くんと龍可ちゃんの両親とは長い付き合いでね。私の同級生だったの。アカデミア高等部時代に、三年間」
「あ、天上院先生と」
「ええ」
「龍亞くんと龍可ちゃんのご両親ともなれば……その……」
マリアは言いにくそうに口篭もってしまった。顔が引き攣っている。誉めようとしたのだろうが、嘘が吐けない性格をしているのだろう。微笑ましい気持ちになる。
「もちろん、アカデミア始まって以来の落第生だったわ」
マリアが『やっぱりそうだった』という顔になる。素直な人だ。子供達の前でも同じなのだろうと考えると、この女教師にまた好感が持てた。
「あいつときたら毎日授業をサボってばかりで、テストを受ければ赤点を取り、落ち零れが押し込められるレッド寮に、寮が取り壊されるまで最後の一人として居座っていて、本当にどうしようもない生徒だった。生き生きと参加するのは実技の授業だけ。他はおかしなお面を被るか、瞼にマジックで目を描いて寝ていたわ」
「それはひどい。確かに龍亞くんも居眠り常習犯ですけど、あの子はまだ良心の呵責に苦しんでいる感じですし、隣には真面目な龍可ちゃんがいますから。そこまで諦められると、いっそ清々しいですね」
「そう、ドロップ・アウトの見本のような生徒だったのよ。でもデュエルだけは強かった。天才的で、私は一度も敵わなかった。兄も。兄妹揃って最後まで勝ち逃げされたわ」
「天上院先生だけじゃなくて、お兄様のブッキー様まで負けちゃったんですか!?」
「ええ。その呼び方やめてちょうだい」
「ご、ごめんなさい」
マリアが顔を赤らめる。彼女はアイドルをやっている明日香の兄のファンらしい。
「あいつの子供達か。面白そうだわ。本当に」
明日香は旧友である遊城十代の子供達を、書類上の写真では見知っていた。双子だ。エメラルドの髪色は父親譲りで、愛敬のある顔立ちは母親に良く似ていた。様々な要因が重なって、まともに顔を合わせたことはない。
はっきりとした性別を無くした初恋の人の顔に、女としての喜びを見るのが怖かったのかもしれない。あの事故から双子の父親が本校の同窓会に姿を見せなくなったせいもあるだろう。気持ちは推し量ることができた。本校には十代の思い出が多過ぎて、意気地のないあの男には少々酷なのだろうと思えた。
懐かしい日々に思いを馳せていると、見慣れた黒スーツ姿が腕にコートを掛けた恰好で、正面玄関の横に佇んでいるのが見えた。万丈目だ。どこかそわそわした様子で、明日香を見付けると急に背筋を正した。万丈目の隣には、座り込んでボードにボールペンを押し付けている翔もいる。彼も正装姿だったが、小柄な身体と童顔のせいで、今もアカデミア生とそう変わりがなく見える。
「て、天上院くん!」
「こんにちは、明日香さん」
「万丈目くん。翔くんも。二人とも、偶然ね」
「あ、ああ。小等部のデュエル講義に特別講師として呼ばれてね」
「ボクは高等部の公開デュエルを見にきたッス。やっぱり有望な生徒は早くから目を付けておきたいッスからね」
翔が胸に抱いているボードは、どうやら彼のリーグへの引き抜きリストを作っていたものらしい。この明日香の同級生の二人は、今では結構な有名人だった。横を向くとマリアが色紙を背中に隠しているのが見える。マリアは兄の吹雪のファンでもあるようだから、やはりミーハーな性格をしているらしい。
「いやあ、本当に偶然だ。これは運命かもしれない」
万丈目が明日香から目を逸らして、どこか空々しく言った。翔が半目になって万丈目の袖を引く。
「万丈目くんのことだから、本当は明日香さんが来ると知って夕食にでも誘えたらって下心があったんでしょ」
「それはお前だろう!?」
「そっちこそ!」
二人の不毛な罵り合いはいつものことだ。取り合わず、明日香は例の双子の生徒のことを考えていた。ネオ童実野校まで遥々やって来たのだから、一目くらいは見ておきたかった。
「今あいつの話をしていたの」
「あいつ?」
「十代よ。あいつの遺した子供達がここに――」
「十代? 誰だ、それは」
万丈目が怪訝そうに翔を見た。
「さぁ。ボクも知らないよ」
翔も首を傾げて、明日香を見上げた。冗談を言っている様子ではない。かつて生涯のライバルを自負していた万丈目と、一生の憧れを公言していた翔が、まるで覚えがないという顔でいる。
明日香は困惑した。
「何言ってるのよ。十代よ? 遊城十代。落ち零れのくせに私達の誰もあいつに追い付けなくて、万丈目くん、貴方絶対に負かしてやるって意気込んでたじゃない。翔くんも、アニキって呼んであれだけ慕っていたでしょう?」
「アニキって言われても、ボクのお兄さんは一人だけだよ。明日香さんも良く知ってるじゃない。あ、ほら。亮兄さん」
翔が大分余っている袖を上げる。振り返ると、ジュラルミン・ケースを下げた亮の姿が目に入った。思わず駆け寄って行って、兄にするような仕草でスーツの裾を引っ張った。
亮は吹雪の失踪騒ぎがあった頃に、明日香の兄代わりを買って出てくれていた。そのために、今でも二人目の兄のような気がして、気安い癖が治らない。
「十代を覚えているでしょう?」
亮は面食らったようだった。
「どうした。いきなりだな」
「だって万丈目くんと翔くんが、あいつを忘れてしまったなんて言うのよ。そんな馬鹿なことがある訳ないじゃない。亮は覚えているでしょう? 遊城十代よ。それとも貴方も忘れてしまった?」
「ああ……」
亮は何とも言えない顔になった。何かを迷うような、この男には珍しい様子でしばらく押し黙っていたと思ったら、静かに目を閉じて頭を振る。
「そんな人間のことは忘れた」
「変な物言いね」
明日香の中で、ますます納得がいかなくなる。万丈目と翔を睨むと、二人はどうしてか亮を見上げて肩を落としていた。
「オレもあれだけ身長があれば」
「ボクも遺伝子的には可能性があるはずなのに。なんで兄弟なのにボクだけ……」
落胆している理由は背丈に関する問題らしい。昔と何も変わらない様子に、どこか安らいだ気持ちになった。雑談を続けながら腕時計へ目をやると、じきに会議の時間だ。
「またね」
「ああ」
小さく手を振ると、亮も頷いて背中を向けた。万丈目と翔はまだ食い下がるようにして残っている。
「い、いや、良ければ今夜一緒に食事でもどうだろう! オレ、いや僕はちょうど予定が入っていなくてね。会議が済むのを待っているよ」
「いやボクと!」
「オレとだと言っているだろう! 帰れ元金魚の糞!」
「ボクがいつ誰の金魚の糞だったっていうのさ!」
明日香は首を振り、二人の誘いを丁重に断った。
「悪いわね。少し気になることがあって、会いたい人がいるのよ」
「誰だい、それは?」
「お、お、男ッスか?」
「ヨハンよ。覚えているでしょう? もしかして彼のことも忘れてしまっているのかしら」
「まさか! ダメだ! 危険過ぎる!」
「男やもめなんて捌け口のない欲望の塊ッスよ! ダメッス! どうしてもというならボクらもついていくよ!」
十代を忘れても留学生のヨハンの事は覚えているらしい。ますますおかしな気持ちになった。
「そうしてくれるとありがたいわ。貴方達にもちょっと確めたいことがあるし、私一人だと平手打ちじゃ済まないかもしれない。じゃあね」
「平手打ちッスか?」
「ヨハンに? それともオレ達にだろうか」
「……万丈目くん的には、どっちがいい? ボクは」
「い、言うな! 馬鹿者! 破廉恥だぞ!」
赤い顔になって、万丈目が翔とじゃれている。あの二人は相変わらず仲が良い。以前同性の友人が少なそうだと指摘された事がある明日香には、少し羨ましかった。しかしそれを誰に言われたのかを思い出して、また少し腹が立った。
「会議を始めるであります!」
黄色いサングラスにチェリーピンクのスーツを着込み、ピンと立った髭を撫でながら、ハイトマンが言った。円形に並べられた机を見渡して、満足そうに何度も頷いている。緑色のネクタイと反り返ったブーツも相俟って、まるでエリートセールスマンのようだが、この男はデュエル・アカデミア・ネオ童実野校の教頭だ。
「天上院先生って、魔性の女ですね」
パイプ椅子を引いて隣に着いたマリアが、急にそんな事を言い出した。
「いきなりなにそれ、マリア先生。熱でもあるの?」
「いえ……素敵です……」
顔を赤らめている。良く分からない。
「教職員の皆さん、各校から我がネオ童実野校にお集まりいただきご苦労様です」
ネオ童実野校の校長が落ち付いた声で言った。スーツは渋いブラウン色で、身長は高くないががっしりとした体格だ。質実剛健を地で行く人格者の校長と、エリート主義で派手好みの教頭というところだろう。どこのアカデミアでも良くある構図なのかもしれない。
「最近生徒たちの間で、ある違法薬物が流行っているのはご存知ですかな。教育者として赦してはならない事態です。ハイトマン教頭」
「了解であります!」
ハイトマンがワゴンを押してくる。レースのハンカチを丸い上蓋に被せ、開けると、銀色のトレイの上に手のひらに乗るほどの大きさのキューブがあった。半分に欠けた白い金平糖のようなものが樹脂で固められている。黄色いサングラスが恭しく一礼して、室内を見回す。
「こちら現在シティを中心に出回っております違法薬物、<ライトイレイザー>のサンプルであります。今回の会議の為にセキュリティの牛尾捜査官から特別にお借りいたしました。老化を止めて若さを保つとか、身体能力を増強するなどのうたい文句で、女性や学生を中心に使用されているようなのであります。嘆かわしい限りでありますが!」
「教頭先生、質問です」
明日香の隣で、マリアが手を挙げた。
「はい、何でありましょう?」
「材質……材料となるのは一体どんな物質なんでしょうか? 植物の種子や葉のような、その、例えば生徒達の間でも容易に製造が可能なものなんでしょうか」
「不明です」
「不明ですか?」
「そう、不明であります。セキュリティが最新の技術を駆使して調べても、判明したのは未知の物質を利用と、それだけであります。何かの生物の卵ではないかという推測も出ているようですが」
「どういうことでしょう?」
「だから、分からないのであります! 成分はともかく、ただ断固撲滅すべきなのは確かなのであります! この<ライトイレイザー>、強い中毒性がありまして、摂取を続けると程なくして廃人になってしまうのであります。こちらの映像を見て欲しいのであります」
ハイトマンがリモコンのボタンを押すと、宙空にパネルが開いた。まだ少年や少女と言っても良い年齢の男女が、隔離病棟のベッドの上で虚ろな声を上げ続けている映像が流れる。彼らの髪はすでに老人のように真っ白になっている。集まった教職員達が顔を顰めた。
「我が伝統あるデュエル・アカデミアの生徒達を、このような目に遭わせるわけにはいかんのであります! 我々が取り得る方法として――」
室内の空調装置に取り付けられた盗聴器には誰も気が付かないまま、会議は進んでいく。
* * * * *
龍可達が向かった廊下の先で、青が溜息を吐いて携帯電話を閉じる姿が見えた。
「……あれはそんなふうに俗っぽい使い方をするもんじゃないのに。みんな全然分かってない」
どこか怒ったような様子で、回線の切れた携帯電話を睨み付けている。友達と喧嘩でもしたのかもしれない。龍可は少し声を掛け辛く思ったが、一緒に来た龍亞はいつものようにお構いなしだった。
「青せんぱーい!」
良く人に慣れた犬が尻尾を振るのを思わせる動作で腕を振っている。青が顔を上げて笑った。不機嫌そうな雰囲気は、龍亞と龍可を見た途端に吹き飛んで行った。
「やあ、やあ。こんにちは。さっきぶりだね。実技の授業を見ていたよ。ディフォーマーだっけ、格好良いモンスターを使うんだ。授業中に話し掛けても良いのかなって思って、声は掛けられなかったけど」
「オレも見てた。先輩すっごいね!」
龍亞が感動している理由は、龍可もよく知っていた。この学年首席の遊城青という三年生は、最初のターンが始まる前に、レポートノートに対戦相手が使用してくるカードを全て書き出し、デュエルの流れを完全に予測してしまったのだった。結局戦う前に勝ってしまったのだ。
「超能力少年なんでしょ? ペガサス会長の弟子なんじゃないかって先生が言ってたよ」
「まさか。別にそんなじゃないよ。前に対戦相手の試合を見ていたんだ。カードも覚えてた。詰めデュエルと同じだよ。一度もデュエルを見たことがない相手のことは分からないもの」
当たり前のように言うが、内容は滅茶苦茶だ。天才とは、こういう人のことを言うのかもしれない。
「青先輩って、授業はいつもあんな感じなの?」
龍可が尋ねると、青は恥ずかしそうに頷いた。
「授業に出てるって言わないよね、あれは。僕のクラスは研究者志望コースだからいいけど、プロを目指す教室なんかだと、実技の単位が足りなくて留年か、それとも退学になってるだろう。僕と対戦してくれた人にも申し訳なく思ってる。楽しくないよね、あんなの。僕には決闘者を名乗る資格はないと思う」
「確かに手品をせずに種明かしだけ見せてくれるマジシャンみたいだよね。先輩くらい強かったらデュエルしたらすごく楽しいんじゃないの?」
「僕はソリッド・ビジョンを使ったデュエルができないんだ。システムを切って別室のテーブルでやることが多いかな。それでも心臓に負担が掛かるとかで、デュエルをするとすごく疲れちゃうから」
「ふ〜ん。なんだか龍可みたいだなぁ」
龍亞が腕組みをしながら龍可を見て頷いている。青が声を落として、呟くように続けた。
「それに、怖くて」
「怖い?」
「度胸が無いんだよ」
笑う。青の顔はやはり龍亞と龍可の父親そっくりで、変な気分になる。ヨハンが笑っている所なんて見たことはないが、とても他人だとは信じられない。
「本当にパパに似てるなぁ」
龍亞が言う。
「ほんとね」
龍可も頷く。
「意外と兄弟とかかもね」
青が微笑して言った。
「そうだったら面白いなぁ!」
龍亞が目を輝かせた。単純そのものの反応だ。龍可と青も笑うしかない。
「今日、<ドクターD>の所へ行くんでしょ?」
<ドクターD>とは、龍可はまだ顔を合わせたことがないが、龍亞が今夢中になっているゲームを作ったKC社員らしい。龍亞と青の共通の知り合いなのだという。
ゲームといえば高等部へ上がるお祝いに、<コクーン・シリーズ>のぬいぐるみを龍亞に貰ったのだった。龍可の為にポイントを貯めていたらしい。女の子が好きそうな景品もあるというから、一度説明書を覗いてみたこともあったが、街中を走り回るゲームだという話を聞いた時点で気が遠くなった。早々に諦めて今に至る。
ガッチャはアカデミアに連れて来るわけにもいかず、朝から留守番だ。面倒見の良い遊星がいないから、結局昨夜は家には戻らなかった龍亞と龍可と一緒に、マーサハウスの世話になっている。
マーサは遊星の育ての親というだけあってさすがに察しの良い人で、何も言わずに子供が好きらしいガッチャを手伝いに雇ってくれた。『働かざる大人は食うべからず』が信条らしい。そもそもガッチャは人間の食べ物を受け付けない体質をしていたから、『食うべからず』の辺りは少し心配だ。
今朝になって雑賀がそれとなくガッチャの身元を探っていたが、雑賀のウエスタン・ルックが妙に気に入ってしまったらしいあの怪物に絡まれて、作業はろくに進んでいない様子だった。
「でもガッチャ、なんで雑賀さんにワニの置物なんて背負わせようとしてたんだろうね」
「さあ」
赤ん坊のようなガッチャのやることは、いつも突拍子がない。
「青先輩、あのさ、今日友達も一緒にいいかな? 内緒だってのは分かってるんだけど、天兵に話を聞かれちゃってさ……」
龍亞が申し訳なさそうに青を見上げて頭を掻いた。階段の踊り場からは、少し遠巻きにいつもの顔ぶれが頭を覗かせている。熊のように身体が大きいボブに、褐色の肌のパティ。龍可はいつもパティの金髪が羨ましく思えてしょうがない。天兵もいる。少し離れて、素直じゃないスライもいるはずだ。
「うん、いいと思うよ。そんなに堅苦しい事を言う人じゃないし」
青が頷いた。クラスメイト達が歓声を上げる。
「調子いいんだから」
龍亞が自分のことを棚に上げて言った。
放課後になって向かった先は、アカデミアからモノレールで二つ離れた海馬コーポレーション第二ビル駅だ。改札を下りて社員専用のエレベータに乗ると、空中回廊を通って銀色のビルへと流れるように移動していく。
「青先輩、<デビルバスター>の開発者と友達なんてすごいね!」
「遊城先輩に面倒見てもらえるなんて、龍亞くんが羨ましいなぁ」
「龍亞のくせに生意気っていうんだよ、そういう時は」
クラスメイト達は、年長で学年首席の青に憧れの視線を送っている。その後ろの方で、スライがつまらなさそうに外を見ていた。このひねくれ者は絶対に友達の輪に入ろうとはしないが、いつも一緒にいる。
青は後輩達を邪険にせずに、困ったような顔で微笑んでいた。
「龍亞、青先輩ってもてるでしょ」
「うん、多分ね。でも珍しいよね。龍可がイケメンに見惚れてないなんて」
「人をそういうふうに軽い女の子みたいに言わないでくれる?」
「だってそうじゃん」
「私は普通。でも、青先輩は……何ていうか」
龍可は青の方へ目をやった。彼に失礼な事を考えているようで、後ろめたい気持ちになった。
「今日改めて見て思ったんだけど、パパに似過ぎてるのよね。だから、そういうのちょっと違う気がする」
「確かにねぇ」
龍亞も龍可の言いたいところが理解出来たようだ。
エレベータが止まった。パネルは十階を示している。両開きの自動ドアをくぐると、壁にチェッカーが設置されている。青が生徒手帳をかざすと、中に挟まれていたIDカードを読み取ってロックが外れた。扉の横には<NEX-KCデビルバスター開発室>と刻印されたプレートが嵌め込まれている。
「空野さぁん」
室内に踏み込むなり、青が気の抜けた声を上げた。
「青です。こんにちは、お邪魔します。龍亞くんと龍可ちゃんを連れてきました。二人の友達も一緒です」
「青くん、君はもう少し気を付けた方がいいですね」
返事をくれた相手は、黒いスーツの上から白衣を羽織っていて、いかにも科学者と言った恰好だが、幅の広いサングラスを掛けているせいで表情は分からない。ここへ来るまでにもKC社員と思える人間と何度かすれ違ったが、全員がこのサングラスを着けていた。制服の一部なのかもしれない。ちょうどカップ麺に湯を入れている所だった。
「あ、大人数で来たの、まずかったですか?」
「それは構いませんよ。ただ空野さんではなく、今はプロフィールが謎に包まれた<ドクターD>です。ユーザーの子供達の夢を壊すのは良くない。中の人なんていちゃいけないんです。この前も<デビルバスター>の販促イベントに出ている時に、本名を呼ばれてどうしようかと思いましたよ」
「それは僕じゃないと思いますけど」
「ええ、僕の上司です。そして、君のお父上です。あの人は最近めっきり深刻な顔をしているくせに、空気を読まない所だけは昔のままだから困ります。フォローが大変でした」
カップ麺の蓋を閉めて、<ドクターD>が腕を広げて「やあ、いらっしゃい」と歓迎してくれた。本名は空野と言うらしい。
『こんにちは!』
社会見学に来た小学生みたいに、声を揃えて挨拶をする。
「本物の<ドクターD>だ! イベントの時に見たのと同じだ〜」
「今作ってるこれって続編?」
「えっと……実体化なんて危なくないの?」
気になっていたことを尋ねると、空野はにこやかに微笑んだまま龍可に頷いた。
「ええ。実体化の際にルールを取り決めているんですよ。ゲーム・モンスターの三原則です。まず、人は決して傷付けないこと。攻撃対象が人間に設定された時点で安全装置が作動します。攻撃命令を下したプレイヤーのID停止措置もね。二つ目、自我を持たないこと。高性能の人工知能を搭載すると良くあることなんですが、まるで心を持っているように振舞うこともある。そういう研究をしている上では喜ばしいことなんですが、不特定多数の人間がゲームを楽しむという状況ではあってはならない事です。そして三つ目、元々の世界にあるものは何一つ壊さないこと。これが守られないと、簡単に犯罪に利用されてしまいますからね」
「実体化っていうからには、難しいんじゃないの? 実体化したモンスターも、『この世界にあるもの』になるじゃんか」
龍亞が口を出した。空野はいい質問だというふうに顎に手をやった。
「実はその辺りは企業秘密なのですが、今日は特別に教えてあげましょう。このゲームには量子力学が応用されていまして」
「はあ」
『さっぱり分からない』と龍亞の表情が言っていた。龍可も分からない。クラスメイト達も、顔中に疑問符を浮かべている。
「実体化しているのはモンスターではなく、世界の方なんですよ」
「せかい? モンスターが実体化します、って説明書に書いてあったじゃんか」
「まあ、結果的にはそうなります、ということなんです。つまりこの世界とは別の次元に、モンスターが実際に存在する世界があるとしましょう。そちらとこの世界の境界を、先ほどの三原則という約束事を取り決めた上で取り払ってしまうわけです」
「すごい話みたいだけど」
「ええ。もちろんすごい話なんです。我らが<NEX>の科学力は世界一の水準ですから」
「……なんだかサイコ・デュエリストの能力みたい」
カードを実体化させる力を持ったアキは、きっとこのゲームの説明を聞いて嫌な顔をするだろうなと龍可は想像した。特別な力を娯楽のように扱われるのは、きっと面白くないだろう。空野が、俯いた龍可を慰めるように首を振った。
「いえ、実の所、『みたい』という話ではなくてですね。このゲームの基盤となったプログラムを作った方は、とても不思議な人でして。この世界が、別の次元で暮らしているモンスター達と―― あの人は<精霊>と呼んでいましたけど。彼らと僕たち人間が仲良く手を取り合って一緒に暮らせる世界になるようにと、それが夢なんだと仰っていました」
龍可は弾かれたように顔を上げていた。誠実そうに言う空野の表情は、サングラスの向こうにあって良く分からない。本気で言っているのだろうか。それとも冗談なのだろうか。
「子供騙しだなぁ」
「馬鹿みてぇ。ゲームだろ、ただの」
ボブとスライはつまらなさそうに文句を言っている。パティは二人の男子とは違って感心した様子だった。
「おとぎ話みたいで素敵じゃない、そういうの。そういう事言える大人ってカッコいいな。ねぇ、どんな人?」
「ああ、怖い位の美形だったね。大人も子供も男性も女性も、皆一目見るなりその人に夢中になった」
「わあ、なんだか遊星みたいね!」
「実は今日青くんに頼んで、龍亞くんと龍可ちゃんをここへ連れて来てもらったのは、その人の作ったもののことなんです」
空野が言うには、この<デビルバスター>というゲームには、開発者ですら良く分からない部分が多数あるらしい。
「馬鹿じゃねぇの。自分らでも良くわかんねぇもんを商品にして売ってるのかよ」
スライが皮肉を言った。空野が困ったように笑う。どこか青に似た笑い方だった。
「<デビルバスター>として使っているのはほんの上辺の部分でね。僕が先代から受け継いだプログラムを利用させてもらったんだ。ただ僕も完全に理解している訳じゃないから、綻びがいくつもある。僕や青くんも色々なエリアを回ってデバッグをしてるんだけど、そう、その時に龍亞くんと会ったんでしたね」
「あ、うん。あの時はびっくりしたよ。でっかくて変な犬みたいなのがいてさ」
高等部に進学した日、<コクーン>のぬいぐるみをくれた龍亞が改まって話してくれたことを思い出す。何でも本物のヒーローになったんだという。龍亞のヒーローになりたい病は今更の事だったから聞き流していたが、つまりこういうことらしい。
<デビルバスター>をプレイしていた際に、龍亞は<悪の手先>に遭遇したのだという。
「黒い霧が出てきたんだよ。気が付くと周りに誰もいなくなってて、宇宙からの侵略者<ネオスぺーシアン>が現れたんだ。<ブラック・パンサー>っていう狂犬病の犬みたいな怖い奴でさ、目なんか金色で、狼みたいにギラギラ光ってた。涎なんかもダラダラ垂らしててさ、あっこれやばいって思ったんだ。もちろんオレのディフォーマーも黙っちゃいなくて、あいつを破壊した<パワー・ツール・ドラゴン>の勇姿! みんなにも見せたかったよ」
龍亞が得意そうに鼻の下を擦る。また調子に乗っているようだ。
ともかく、<デビルバスター>の動作チェック中だった空野の傍にいた龍亞は、偶然診断モードに巻き込まれてしまったそうだ。その時に<ネオスぺーシアン>を退治した腕を買われて、<正義の味方>にスカウトされたらしい。
「オレが正義の味方として戦ってるから、みんなは安心してゲームができるんだぞ。感謝してよね」
「それ、デバッグのバイトだろ。正義の味方とかじゃなくて」
ボブが呆れたように言う。しかし、龍亞がベルトに下げているストラップから目を離さない。空野と青が同じものを身に付けているのを見て、羨ましくなってしまったらしい。
「おれのと交換しろよ。そのストラップは龍亞には勿体無いぜ」
「……いいな、それ。欲しいな……」
「だーめ! オレだけの特別なの!」
じゃれている男子を眺めていた空野が、ふと気付いて、机の引出しから毛布を引っ張り出してきた。いつのまにか空いた席に着いて眠っている青の背中に掛けてやっている。
「なんだか空野さんって、青先輩のパパみたいね」
パティがそんなことを言った。
「<ドクターD>ね。青くんが物心ついた頃から面倒を見ているから、そう見えるのかもしれないね。彼は父親に恵まれていなくて、弟と妹に苦労をさせないようにいつも気を遣っているんだ。昨晩も妹の為にプラネタリウムの投影装置の不具合を直していたから、睡眠不足なんだと思う。寝かせておいてあげてくれ。さて、話の続きですが」
空野が両手を打ち合わせて、龍亞と龍可に向き直った。彼はどうやら、龍亞と龍可、青と話す時だけ敬語になる。<お嬢様>に<お坊ちゃま>という感じだ。どうしてなのかは分からない。
「プログラムの綻びの大元があるエリアを突き止めたんですよ。そこはひとつの島なんですが、結構な広さがある上に施設が多過ぎて、まだ調べがついていないんです。<アカデミア・エディション>の専用エリアだから、どう見ても対象年齢以外の僕だと、足を踏み入れにくいエリアなんかもありますし。時間のある時でいいので、龍亞くん達にそこで探し物をしてもらいたいんです」
「うん。いいけど、何を探せばいいの?」
「さっき言っていた、大元のプログラムを組んだ人が隠したものですよ。その人が何かをそこへ置いて行ったはずなんです。ただ、何を埋めたのかも分からない」
「わかんないの? 前の人に訊けばいいんじゃないの? 直接」
龍亞が休憩スペースに設置してあるジュース・バーから勝手に紙コップを引き出して、メロンソーダを注いでいる。まず男子連中が後に倣い、パティも気になるようで、何度も空野の顔を見ている。
「いいよ、いいよ。龍可ちゃんも遠慮しないで好きなものを飲んで下さい」
「でも……いいんですか? お仕事中なのにこんなに好き勝手しちゃって」
「我が<NEX>の部訓は、『正義は子供にあり』ですから。入口をご覧下さい」
言われた通り、入口の扉の上にはお世辞にも達筆とは言えない毛筆で一文が記されて、立派な額に入れられて飾られていた。端には猫の肉球の形が、サイン代わりに押されている。
「何だか、酔っ払いが一時のテンションで書き上げたものみたいに見えますけど」
「鋭いですね。その通りです」
空野は誇らしげに笑って、「僕の宝物の一つです」と言った。この人も読めないなと、龍可は思う。
「龍亞くんが言う<前の人>なんですが、その人十五年前に死んじゃいまして」
「ねぇ、空野さん!」
「<ドクターD>ね」
「もしもその<前の人>が埋めたお宝を見付けたら、報酬におれをD・ホイーラーにしてよ!」
「ボブの体型じゃ無理だよ」
「あたし、海馬コーポレーションのクリスマス・パーティーに出たい! ドクターもKC社員なんだから毎年出てるんでしょ? 有名人が沢山やって来るのよね。綺麗なドレス着て出たいなぁ!」
「オレ、レイちゃんのサイン欲しいなあ〜」
「……オレは、オレの考えたモンスターをカードにして欲しい」
「うわっ、スライ欲張り過ぎ!」
「いいよ、約束しよう。期待してるよ。じゃあ早速転送を始めよう」
空野が部室の奥に設置されている奇妙な形をした機材のパネルに触ると、扉のようになっている部分が左右にスライドした。中には白い光が満ちている。
「一番乗りぃ〜!」
「あーっ、ずるいぞ!」
龍亞とクラスメイト達は、次々と光の中へ飛び込んでいく。龍可も続こうとして、ふと空野に声を掛けられた。
「龍可ちゃんは、モンスターと人間がもしも同じ世界に存在したら、仲良くなれると思いますか?」
振り向くと、空野は微笑していた。それ以外の表情をこの人が浮かべている所が想像出来ない。龍可は戸惑いながらも頭を振った。
「いい子もいると思う。でもモンスターは、鋭い爪も、尖った牙も持ってる。人間と対等の身体を持ってたら、友達にはなれない子もいると思う」
空野が、これは特別なことだというふうに、もったいぶった仕草で頭を振った。
「実はね、僕の前任者なんですが……これは社外秘なんですが、その人、精霊だったんです」
「え?」
「人間じゃなくて」
「嘘でしょ?」
「人間に化けてたんです。鋭い牙と鋭い爪を持っていて、食べ物は人間の心の闇でした」
龍可は口篭もって、空野の真意を探ろうとした。黙って顔を見つめる。意図は、やはり読めない。
ただ、どうしても気になることがあった。
「その人は……誰かを傷付けた?」
空野は、あっさりと首を振った。
「いいえ、誰も」
「誰かを傷付けるための鋭い牙と鋭い爪があって、人の心を食べるんでしょ。……本当に?」
「ええ。握手をする時も、誰かを傷付けないように、鋭い爪を自分の皮膚に食い込ませるような性格でね。どれだけお腹が減っても、人の心を泥棒みたいに食い荒らす位なら餓死した方がましだと言い張って、可哀想に思った人間が無理矢理その怪物の口を開けて心の闇を捻じ込んでやるような感じでした。生きるのに向いてなかったんですかね、結局。でもある時人間に化けた精霊だということが、みんなにばれてしまった。その人、神と殴り合いができるくらい高位のモンスターだったもので、みんな怖がって、退治してやろうという人が山ほど来ました」
空野は滑稽なことだと言いたそうに、肩を竦めた。
「やる気になりさえすれば、象と蟻の決闘です。その人は望むだけで相手を殺すことができたのに、剣で斬り裂かれても槍で突かれても、大声で叫んでましたよ。『人間が大好きだ! 傷付けたくない! 仲良くなりたい! 友達になりたい!』―― 傷付いて、もう声すら出せなくまで。誰も信じなかったんですよ。恐ろしい怪物が、本当に自分達人間と仲良くなりたいと思っているなんて」
自分が異端者であることを理解している龍可には、そのおとぎ話は辛過ぎた。龍可に姉のように接してくれるアキも、きっとこの話を聞いたら、眉を寄せて哀しそうな顔をするだろう。
龍可には、自分が普通の人々に排斥された時、傷付けられても相手を傷付けずにいる自信がなかった。人が好きだと叫べる自信が無かった。
ふとガッチャの顔が思い浮かんだ。あの怪物の優しい性質が、空野の語るその人と重なる。
「……大好きな人間に、その人は、退治されちゃったの?」
「はい。その人は自称正義の味方達にやっつけられて、爪も牙も肉も卵も大好きな人間の為に利用されてしまいました。何だか現実だなあって思いません? 夢のないおとぎ話だって」
空野がどこかくたびれたように言った。本気なのか冗談なのか、まだ判別がつかなかった。
龍可は何とも答えることができなくて、兄と友人達の後をただ急いで追った。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
戻る ・ メインへ ・ 次へ
|