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光の先に、緑の草原と森と海が浮かび上がった。見渡すと、絶海の孤島という印象だ。海の向こうで水平線と空が混じり合って繋がっている。ひとつの島だと空野が言っていたことを思い出した。
背の高いオベリスクが空を突き刺すように聳え立ち、背後には活火山が見えた。キノコのような形をした巨大な建造物が、かなり離れているこの場所からでもはっきりと見える。確か、その特徴的な姿をネオ童実野校のデータベースで見た事があった。デュエル・アカデミア本校の校舎だ。
「龍可! おそーい! みんなもう先に行っちゃったぞ!」
錆の浮いた階段の手摺りにもたれていた龍亞が文句を言った。天兵もいる。二人は龍可を待っていてくれたらしい。
「ごめんごめん」
「もー」
龍亞が頭の後ろで手を組んで、龍可に文句の続きを言おうと口を開く。そこに、古びた蝶番が軋む音が響いた。目の前にある赤い屋根のおんぼろ屋敷の二階からだ。顔を上げると、部屋を出てきた住人と目があった。
「おー?」
髪先へ向かって綺麗に色が分かれた不思議な頭をしている少年だった。寝癖がひどく、愛敬のある顔立ちで、赤いジャケットを誇らしげに羽織っていた。歳は龍可達とそう変わらないだろう。その人はこちらを見つけると能天気な笑い方をして、「新入りかぁ?」と言った。
説明に困っていると、赤いジャケットの少年の後ろからもう一人、小柄な少年が顔を出した。こちらは黄色いジャケットだ。型は良く似ていたから、制服なのかもしれない。
「アニキ、見たことない制服だからまた留学生でしょ」
「へぇ! そーなのか!」
赤いジャケットの少年は、一人で勝手に納得してしまったらしい。頷いて、階段を駆け下りてきた。龍亞の手を握る。人懐っこい犬みたいだ。
「ようこそ、デュエル・アカデミアへ! 仲良くやろーぜ!」
「アニキったらまたそーやって。いきなり馴れ馴れしくするからその子達困っちゃってるッスよ。ごめんね、えっと……」
「龍亞だよ」
「龍可よ」
「天兵って言うんだ。よろしくね」
「うん。この人ボクのアニキなんだけど、誰にでもこうなんだ。ボクは翔。分からないことがあったら何でも聞いてね」
黄色いジャケットの少年は翔という名前らしい。どこかで顔を見たような気がしたが、過去同じクラスにはいなかったはずだ。他校との交流試合の時にでも見掛けたのかもしれない。
「アニキなの? オレの所も兄妹なんだ。こっちの龍可がさ」
「いや、そうじゃないんだ。本当のお兄さんは別にいて、この人は心のアニキ。筆記の成績はダメダメなのに、デュエルが強くて自信満々な所が羨ましいというか、ボクもその度胸が欲しいというか」
「あはは! 翔、それ全然誉めてねぇから!」
<アニキ>が豪快に笑って翔の背中を叩いた。細かい事は気にならない性格らしい。この辺りの心の広さが兄貴的なのかもしれないが、龍可には良く分からなかった。男の子は不思議だ。
案の定龍亞が食い付いていく。
「自信満々で度胸があるならオレだって負けてない! オレなんか、オレなんかえっと、超アニキだぜ!」
「あっはっは! 龍亞だっけ! お前おもしれーな!」
「いやあそれ程でも。良く言われるけど、あっはっはー!」
「……龍亞が二人いるみたい」
<アニキ>は龍亞と顔立ちもどことなく似ていて、能天気な雰囲気もそっくりだ。龍亞と龍可の頭を目を輝かせて見つめている。
「その髪の色すげーな! カッコいーぜ。お前達ハーフなのか?」
「あ、うん。父さんが外国人なんだよね」
「へえ! えっと、ヨーロッパとかの人だろ」
「分かるの?」
「留学してきた友達がそうなんだよ。あ、いっけね、まだ名乗ってなかった。オレ、遊城十代! よろしくなっ!」
十代が右手を差し出してくる。龍可は、龍亞と思わず顔を見合わせていた。
「ん? どうした」
十代が首を傾げている。龍亞が興奮した面持ちで、十代の手を強く握った。隣で翔の眉が跳ね上がる。尊敬する兄貴分の十代に軽々しく触れている龍亞に嫉妬しているらしい。
「すっごい偶然だな! オレも遊城っていうんだ! 遊城龍亞!」
「マジで!? すっげー!」
十代も昼間の猫のように目を丸く見開いて、頬を赤くしている。
「名字一緒の奴初めて見た!」
「運命だよ運命! オレの先輩にも遊城って人がいるんだよ。結構多いのかもね!」
「龍亞、オフのことはここではご法度だよ」
天兵が盛り上がっている二人に水を差した。龍亞が振り返る。
「ごはっと? ってなんだあ? じゅーだい」
「なんだぁ? オレもわかんねえ。わかるか、翔?」
「ルール違反ってことだよ」
「そっか〜! 翔、お前頭いいんだ!」
「へえ、翔は物知りなんだー!」
龍亞と十代はおつむの出来もそっくりらしい。頭が痛くなってきた。翔もさすがに呆れているようだ。
「こっちこそが兄弟みたいッス」
「ほんとの兄妹よりね」
「なんだ龍可。嫉妬してんのか?」
龍亞がにやけた顔で覗き込んでくる。いつも龍可が男子と話をしている時に、勝手に嫉妬をしているのは龍亞の方だ。腹が立ってきて否定をしようとしたところで、龍亞の肩の上から十代が顔を出した。龍可に鼻を近付け、無遠慮に匂いを嗅いでいる。
汗臭くはないはずだ。今朝もマーサハウスでシャワーを借りた。それでも頬が染まった。
「な、なに?」
「お前、デュエルが強い匂いがする! 強いだろ? なっ、強いだろ!」
十代は楽しそうににこにこしている。女子に失礼な事をしたという自覚も、罪悪感の欠片もないようだ。代わりに翔が龍可に向かって必死に頭を下げていた。十代は、このデリカシーが無い所も龍亞にそっくりだ。
「デュエルしようぜ! オレのヒーローがお前達と戦いたがってる!」
「十代もヒーロー使うの? オレのデッキのディフォーマー達もすごくカッコいいヒーローなんだ!」
「おう! オレのエレメンタル・ヒーローも超カッコいいぜ〜! こっち! オレの部屋なんだ!」
十代と龍亞が勢い良く階段を駆け上がっていく。大分足場が傷んでいて、踏み抜かないかが心配だった。乱暴に扉が開け放たれる。靴は放るように脱ぎ捨てただろう。間もなく『デュエル!』と大きな声が響いてきた。
台風と台風が正面衝突をしたら、こんな感じなのかもしれない。
寮は外から見た印象では今にも倒れそうな位におんぼろだったが、中へ入ると、やはり更にひどかった。傷だらけの壁に、窓は曇って罅まで入っている。トップスで生まれ育った龍亞と龍可は、三段ベッドなんて生まれて初めて見た。朝、目が覚めた途端に頭を打つに違いない。空気清浄装置どころか空調そのものがない。信じられないことだが、この家畜小屋のような環境で、十代は快適に過ごしているらしい。
「手が届く所に全部があるって結構いいもんだぜ。眺めはいいし」
十代が言うには、そういうものらしい。
デュエルは龍亞のターンを終えて、次は十代のターンだ。フィールド魔法カード<スカイスクレイパー>が発動された。摩天楼の絵柄には見覚えがある。ソリッド・ビジョンを使ったデュエルをしていたら、以前のようにさぞ迫力があっただろう。
「これ、コースケさんと一緒のだよね」
龍亞が龍可に目配せをした。龍可も頷く。あの正義の銀行強盗は今頃どうしているだろうか。
「国崎さんの知り合い?」
十代が首を傾げながら、覚えのない名前を口に上らせる。
「くにさき?」
「ヒーロー使いの国崎康介さん」
「え、もしかして十代、あの人のこと知ってるの?」
「おう! レッド寮の万年留年生だぜ!」
「留年続きで、もうおじさんなんだよね。でもあれっきり見ないよねえ。やっぱり卒業を諦めて、故郷に帰っちゃったのかな。どーしてるんだろ?」
翔が懐かしそうに言う。その国崎康介が今は銀行強盗に手を染めているとは、どうしても十代には言えなかった。
先程まで龍可の頭の上を飛び回っていたクリボンは、今は梁の上で羽根の生えたクリボーと顔を合わせて頭を下げている。挨拶をしているらしい。
珍しいモンスターだ。精霊だ。この島の住人なのかもしれない。クリボンが頬を染めているから、相手はもしかするとクリボー族の美的感覚ではかなりの美形の部類に入るのかもしれない。どちらも愛くるしい毛糸玉のように見える龍可には、どうも良く分からなかった。
ふと十代が顔を上げ、宙に向かって大声を上げた。
「相棒! 友達ができたのかー!」
十代と対戦中だった龍亞も、釣られるようにして天井を見上げた。しかし精霊視の力を持たない龍亞には、ただだらしなく寝そべっている太った猫しか見えていないはずだ。
「相棒? 急にどうしたんだよ、十代。あ、猫が?」
「ああ、龍亞くん、アニキはそうやって良く独り言を言う癖があるんだ」
気にしなくていいと翔が笑う。龍可は思わず身を乗り出していた。周りに聞こえないように小声で十代に囁く。
「あなたクリボンが、精霊が見えるの?」
「おう。龍可も見えるのか? あれお前の友達か? すげー! 尻尾なげー!」
十代は、『普通の人間にこの力の事を知られたら疎外されてしまうんじゃないか』という龍可の心配事など、気にも留めていない。大声で返事をしてくれた。目をきらきらさせている。
それよりも、精霊視の能力を持った同年代の少年がいるなんて、龍可にとっては誰も見た事がない生き物を発見した時くらいの驚きなのに、十代はちょっと珍しいカードがパックから出た程の反応だ。
「十代は精霊が見える人を見てもびっくりしないの? 私はしてるのに」
「オレが見えてるしな。万丈目もヨハンも見えるし、エドと隼人は声が聞こえる。なんかこの島にいると、精霊の声を聞いたり見えたりするようになる奴が多いらしいんだ。ヨハンは元々みたいだけど」
「ヨハン?」
「留学生だよ。すっげえおもしれー奴なんだぜ! デュエル強いし、一緒にいると楽しいし、もう一人のオレみたいな奴なんだ。龍亞にも似てるな!」
ヨハンと聞いて、稀に帰宅して顔を合わせても少しも笑わない父親の顔を思い浮かべた。同じ名前を持ってはいても、十代が言う留学生のヨハンは随分感じの良さそうな少年らしい。この島にはそんなに沢山精霊が見えるデュエリストがいるのかと、驚きを通り越して呆れた心地になった。
翔と天兵が、龍亞と十代と、それから龍可の方を見比べて、何やら話し込んでいる。
「遊城なんて珍しい名字そうないし、もしかしたら親戚なのかもね」
「イトコとかハトコとか」
「うーん、うち、親戚付き合いとか全然なくてさ。良く知らないけど、ほんとにそうだったら面白いのにな。でも聞こうにも、父さんと母さん仕事で忙しいから、滅多に家に帰ってこないんだよなぁ」
十代が言う。龍可は、まるで自分の境遇を他人の口から聞かされているような変な気分になった。龍亞もだろう。口を開けている。
「うちと同じだ〜」
「じゃあずっと一人だったの?」
「ああ、うん。子供の頃からそうだったな」
「私には龍亞がいたけど……」
「十代のパパって何のお仕事してるの?」
「龍亞、だからオフのことは」
「ボクもそう言えば、アニキの家族のことって何も知らないッス」
「ん? そうだっけ。オレも聞いた事無いから良く分かんないんだけど、多分、カメラマンか、記者か、新聞屋さんかな?」
「なんスか、その選択肢」
「子供の頃病院行った時に、先生とそういう話をしてたんだよ。良く覚えてないけど、朝刊だか夕刊だかそういう話。龍亞達の方はどんななんだ?」
「うちの両親は科学者なの。ママが海馬コーポレーションに勤めてて、パパはI2社」
「すっげー! デュエル強そうだな!」
「全然すごくないよ。二人共仕事しかできない人達なんだ。年に何回か帰ってくればいい方だから、二人の顔も良く覚えてない、実は」
「それ、オレもだよ! そーいうの、オレだけじゃなかったんだぁ!?」
十代が伸び上がるようにして、分かったような顔をして腕を組んでいる龍亞と鼻先を突き合わせた。あまりにも接近している二人に、翔が微笑みながらボールペンを折っている。男の嫉妬は恐ろしい。
「十代、大人って勝手だよねー?」
「そうだよな龍亞! 大人は子供のことなんて何も分かってないんだ」
「そうそう! 頭がカタくてオーボーなんだよ!」
「家族なのになーんかよそよそしいっていうか?」
「そーそー」
龍亞と十代は、しみじみと頷き合っている。ひととき静かになった。
龍可は呆れを通り越して、奇妙な心地になってきた。ここまで性格や境遇が似通った人が、果たして存在していても良いのだろうか。この遊城十代という人が、まるで自分達の分身のように思えてくる。
「龍亞と龍可って、なんか不思議な気がする」
十代が言った。
「オレも! なんか初めて会った気がしないぜ。他人の気がしないっていうか」
「うん。オレ、いつか結婚して子供とかできたらさ、その子には絶対オレみたいな寂しい思いさせたくないな。ま、結婚なんかしないけどさ。オレ、家族の作り方なんてよくわかんないし」
「オレも、龍可がいれば充分だよ。結婚なんてしない」
「あはは、なんか湿っぽい話しちまったな! オレらしくもねぇ! 忘れてくれよ!」
「こっちこそ!」
龍亞と十代は右手を打ち合わせて、中断されていたデュエルに戻った。話に夢中で自分のピンチを忘れていた龍亞が、情けない悲鳴を上げる。
「わわっ、待って待って!」
「ヒーローに待てはない! 行け、フェザーマン!」
「ああー!」
フィールド魔法の効果を得た<フェザーマン>が<D・パッチン>を攻撃する。通り抜けたダメージは龍亞のライフを直撃した。残りライフはゼロ。十代の勝ちだ。
「へへぇ。ガッチャ! 楽しいデュエルだったぜ!」
十代が指を二本揃えて龍亞に突き付けて笑った。
「ガッチャあ!?」
「な、なにそれ?」
思いがけないところでその言葉を聞いて、心臓が止まりそうな程驚く。当の十代は首を傾げて、当たり前のように説明をしてくれた。
「ん? ガッチャはガッチャだよ。いいデュエルだった、楽しかったとか、相手をリスペクトしてるとか、そういう意味」
「アニキ、皆にそれうつしてるよね。万丈目くんまで無意識にガッチャし始めた時は、ボクどうしようって思ったよ」
「……へえ、流行ってるんだ」
「流行ってるみたい」
「なるほど、ガッチャは誰かのガッチャを真似しちゃったのかもね?」
怪物のガッチャを知らない十代にとっては、龍亞の物言いの方が余程不可解だった様子だ。どんぐりのような目をまた丸くしている。表情が豊かで一時も同じ顔をしていないのは、龍亞と同じだ。
「意味わっかんねぇ。なんだそれ?」
「こっちの話」
改めて十代を見ると、どことなくガッチャに似ている気がした。髪も目の色も違うし、年齢も別だ。性別もどこからどう見ても男子に見えた。
ガッチャは完璧に整った顔立ちの美人だ。反対に十代は、本人に面と向かって言うのは憚られたが、どちらかと言えばひょうきんな顔つきをしている。全くの別人なのに、何故か二人が重なって見える。
「ガッチャの美形さに<収縮>のカードを使ったら、十代みたいになるんじゃないかな」
龍亞が龍可にこっそり耳打ちした。
「龍亞、それは十代に失礼でしょ」
「あ、いや、ガッチャってさ、元々が絶世の美人だから、ちょうど普通くらいになるんじゃない? ってことで」
「普通ってゆーなー! 顔なんかどーだっていいだろ? 男は度胸と熱い心だぜ!」
十代が両腕を振り回して喚いた。都合の悪い所だけが聞こえていたらしい。
「今日はもう帰るのかぁ?」
十代は残念そうだ。彼は龍可ともデュエルをしたがっていたが、用事があると聞くと、ようやく「しょうがない」と諦めてくれた。
「十代、今度はオレのシンクロ・モンスター、しっかり見せてやるからな!」
「しんくろ? よくわかんないけど楽しみだぜ! オレも次はエースを見せてやるからな! あ、そうだ」
十代が、そこで良いことを思い付いたというふうに手を打った。
「今度は島の案内をしてやるよ。な、翔」
「十代はこの島詳しいの?」
「おう! アカデミアはオレの庭だぜ!」
「アニキ、カッコつけたって森で迷子になったっていう事実が消えるわけじゃないんだからね」
翔が言うには、十代は方向音痴の気があるらしい。あまりあてにはならなさそうだが、本校生の十代達なら、今日やってきたばかりの龍可達よりもこの島については詳しいだろう。
「あのさ、十代、変わった話を聞いたことない?」
「そうそう、この島で。何でもいいんだけど」
「変わった話い? 怪談みたいなもんかぁ? そういうの、詳しいよな。翔が」
「うふふふ。いくらでも聞かせてやるッスよ」
「た、楽しみね」
龍可は引き攣った顔のまま愛想笑いをした。笑い掛けた途端に、翔の頬が急に緩む。
「可愛い子だなぁ〜……。ボクに笑い掛けてくれるなんて、もしかしてボクに気があるのかも……」
「む。龍可を変な目で見るなよな」
龍亞はまた嫉妬をしているようだ。この兄は、そのうち龍可が男子と口を訊く度に目を尖らせるようになるんじゃないだろうか。時々そう思う。
モノレールの駅を下りて、しばらくは皆帰り道が一緒だ。クラスメイトもまだ興奮が隠せない様子だった。足取りは軽い。この賑やかさは小等部の頃から変わらないように思う。そのせいでマリアが頭を痛めてもいるようだ。
「すごいぜ、カレー仮面がいてさ。滅茶苦茶に美味いカレーを作るんだ。あれはこのエリアの最重要人物に間違いない。だって美味いし」
「女子寮見た? お城みたいなのよ! あーあ、私も本校に進学すれば良かった」
「大したことねーよ。設備なんか旧式ばっかじゃねぇか。これならネオ童実野校の方がまだマシだぜ」
「オレもすごいデュエリストに会ったよ! でも次はオレの方がガッチャだからね!」
「龍亞、それじゃ十代の言ってた意味と違う」
「わ、わかってるよ」
龍亞が頭の後ろで腕を組んで、口を尖らせた。
「アカデミア本校かぁ。龍可が留学してたら、オレも龍可について行きたかったな。そしたら毎日十代とデュエルできたのに」
龍可は、驚いて龍亞を見遣った。
「その考えは思い付かなかった」
龍可は龍亞と離れ離れになるなんて考えられない。そんなふうにばかり考えていた。凍り付いたようになっていた思考が、一度融けて形を無くして、もう一度積み上げられる。十代と龍亞と龍可の学園生活。
精霊が見える十代ならガッチャのことも理解してくれるだろう。悪くないかもしれない。
「また明日ね!」
クラスメイト達が、今日も手を振って別れていく。龍亞が指を二本揃えて得意げに突き出した。
「へへっ、ガッチャ!」
「龍亞、調子乗り過ぎ」
「だってあんな奴初めてだよ。初対面って気が全然しなかった。生まれた時から親友みたいな感じ。さて、ガッチャの奴を迎えに行ってやらなきゃね」
「いい子にしててくれるといいんだけど」
少し心配に思いながら、二人でガッチャを預けたマーサハウスの方角へと歩いていく。
朝のニュース番組で流れていた天気予報の通り、日が沈んで間もなく雨雲がやってきた。冬に向かい、冷えていく大気の中、雨粒が地上へ滑り落ちていく。龍可の前で、龍亞が黄色い傘を軽やかに回しながら、マーサハウスの呼び鈴を押した。扉が開くと、賑やかな歓声が溢れてくる。
「白髪ー! ちぐはぐ目!」
「『ごめんなさい』って喋ってみろ!」
まず龍可の目に飛び込んできたのは、小さな子供に白髪を引っ張られ、気が弱そうな顔をして、相変わらず意味のない言葉を吐き出すその人だった。間を置かずにマーサの雷が落ちる。
「いい加減にしな! ガッチャはね、あんた達のために沢山働いてくれたんだ。罰として今夜は晩飯抜きだよ!」
「えーっ! そんなのないよ!」
「あんたもしっかりしな。男だろう?」
「んんー!」
不満そうな子供達が、ガッチャのシャツを恨みがましげに引っ張った。ガッチャはマーサに肩を叩かれて、鼻をすすりながらも、男だという点を力強く肯定している。確かに、この怪物は半分が男でもある。
「また明日遊んでやってもいいからな。明日は新入り恒例の冷蔵庫ミッションだ」
「台所の冷蔵庫から食べ物を取ってくる任務な。それができてこそ一人前なんだぞ」
半分程の背丈もない子供達に悪戯の誘いを持ち掛けられて、ガッチャは何度も頷いている。放っておけない。慌ててガッチャと子供達の間に割って入った。
「ちょっと、変なこと教えないで!」
「そうだぞ、ガッチャをいじめるならオレが相手になってやるからな!」
龍亞も加勢してくれるが、兄は肝心な時以外はまるで頼りにならない性格だ。思った通り、背後から忍び寄った子供に、毛虫の形をした玩具を背中に入れられて悲鳴を上げている。
「大丈夫? ガッチャ」
「あっ」
マーサハウスを出て、龍可は玄関口でガッチャに傘の差し方を教えてやりながら、顔を覗き込んでみた。もう泣き止んでいる。いつもの緩い笑顔だ。子供達にいじめられていたくせに、マーサハウスでの留守番を嫌がっている様子は無かった。どこか嬉しそうな顔すら見せている。
「楽しかったの? あれで?」
「あー」
「ほんとかなあ、よくわかんないよ」
「いい子にしてくれてたみたい。良かった」
肩を撫でて誉めてやると、ガッチャは嬉しそうに「あー」と鳴いた。
「最近寒くなったよね」
「うん」
龍亞が手のひらに息を吹き掛けながら言う。兄の白くなった指先を見て、ガッチャがとっておきの良いことを思い付いたという顔になった。背中からベルベットのカーテンのような翼を生やして、龍亞と龍可を包み込む。二人は慌てた。
「わー! しまって! しまって!」
「こんな所でそんなの出さない! 誰かに見られたらどうするの!?」
「あー……」
親切にしたつもりが、龍亞と龍可に叱られてしまったガッチャは、随分気落ちした様子でいる。大きな翼が雨に洗い流されるようにして消えていった。
人に見られてはいないだろうかと心配に思ったが、幸い住宅街まではまだ遠く、商業施設の姿も無いせいで、歩道の周りに人気はない。古びた街灯が力無く点滅している。雨が世界中の音を地面に封じ込めてしまったのではないかと思えるくらいに静かだ。真夜中のようだ。街は既に闇に染まり、高架橋を走るトラックのライトが頭の上で時折瞬いていた。
ホイールの駆動音が近付いてくる。
振り向くと、眩いライトに目を焼かれた。龍可の前を、空気を切り裂いて銀色の糸のようなものが過ぎ去っていく。パズルのピースを嵌め込んだような音がした。かちり。
触れ合う程そばにいたガッチャが、見えない腕に押し潰されるようにして、泥の混じった水溜まりの中へ倒れ込んでいく。ホイールのエンジン音は止まらない。
投げ付けられた捕獲装置がガッチャを捕えていた。怪物はワイヤーロープに絡め取られ、釣られた魚の恰好で濡れたコンクリートの上を引きずられていく。ひっくり返った黒い傘が、雨粒を弾きながら、地面の上をこまのように回転していた。
セキュリティ支給品のD・ホイールの上で、ぬめったような光沢のある手袋が、ガッチャの首筋を猫の子にするように掴み上げる。
「ようやく捕まえたぜ」
ヘルメットを邪魔っけそうに脱ぎ捨てて、セキュリティの制服を着込んだ男が言った。特徴的な尖った顎鬚と三白眼気味の目で、眉間には意地が悪そうな皺が寄っている。龍可はその男を知っていた。ガッチャの追跡者達の<隊長>だ。
「ガッチャを離せ!」
龍亞が叫んだ。<隊長>は嫌そうな顔をしている。
「ガッチャぁ? 不快な単語だ。そりゃアレだろう。人の顔面をゴム靴の底で踏みつけにしながらやる挨拶のことだろう。野蛮にも程がある。これだから日本人は嫌いなんだ」
<隊長>が、ガッチャの両手首を纏めて掴み上げた。
「こいつは人が人の為に造った竜さ。ある所じゃ、<世界の終わりを告げる者>、<嘆きの血まみれ悪魔>、<ワールド・エンド・ドラゴン>なんて名前で呼ばれてる。愛玩動物の犬や猫みたいな名前なんて必要ないんだよ」
大きくて武骨な腕が、半分は女性の肉体を持っているガッチャの右胸を鷲掴みにする。驚いた怪物は、白髪頭を逆立たせた。
「女の子に、なんてこと……!」
非難を向けても、相手はただせせら笑っている。意地の悪い目で、舐めるようにガッチャの身体を眺めていた。生理的な嫌悪感を覚える目付きだ。
「こいつはなぁ、もっとすげえ事をされてんだよ。悪い事を考える奴はいてなぁ。おそらくこの化物は嬢ちゃんが考え得る『ひどいこと』を、既に一通り経験済みだ。想像以上の事もな。人間様に卵だって孕まされてるんだ。乳を揉まれる位挨拶にもなりゃしねぇ」
「……竜の卵って食べられるのかな?」
鈍い龍亞には意味が分からなかったようだが、それがどういうことなのか、龍可には察することができた。胃の辺りから苦いものが込み上げてくる。この無垢な怪物が何も分からないまま慰み者にされる事なんて、到底あってはならないし、信じたくもない。それに龍可が気持ちが悪くて仕方がないのは、もしかするとガッチャを研究所へ連れ戻しに来た父親のヨハンも、この<隊長>の仲間かもしれないという事だった。
龍可はヨハンが一体どんな仕事に就いているのか、科学者という言葉以上のものを何も知らない。ヨハンがガッチャのような怪物を造っていたなんて想像した事もなかった。
「さて、お嬢ちゃん」
<隊長>が龍可に奇妙な形の銃を向け、おとぎ話でも語り聞かせるような口調で切り出した。
「おじさんがためになる話をしてやろう。この銃には、精霊を捕縛するカプセルが装填してある。簡易式の精霊捕獲装置ってわけだ。当然、人間には無害なもんだ。ゴム弾をブチ当てられる程度の衝撃しかない。しかし、嬢ちゃんは果たして人間かな?」
「お前何言ってんだ! 龍可はオレの妹だぞ」
龍亞が龍可の肩を抱いて、怒った声を上げる。
「オレ達が人間以外の何だって言うんだ!」
「嬢ちゃんの兄貴は少し黙っててくれ。嬢ちゃんには言ってる意味が分かるはずだ。さて、弾を撃ち込まれて可愛い顔に傷が付くか、鼠取りの鼠みたいになるか。人間かそれ以外か。こいつでそれが証明される。どうだ?」
意味はすぐに理解することができた。だからこそ恐ろしかった。もしも龍可が龍亞のように、立ち止まってものを考えるよりもまず走り出そうとする人間だったら、この恐怖と向き合うことは無かったのかもしれない。
物心ついた頃から龍可には不思議な力があった。精霊視と不思議な痣。
『もしかしたら私は人間じゃないのかもしれない』と思うことが良くあった。精霊界へ足を踏み入れた時の、ようやく家に帰って来たような感覚。人間界にいる時よりも、自分という存在が世界に馴染んでいる感じ。
『この人間の世界では私は異端者で、本当はいてはいけない存在なのかも』とも思う事があった。
人間の世界への未練はたった一つだけだった。しかしその未練は龍可にとっての全てで、人間界よりも精霊界よりもずっと大切な存在だ。龍亞。双子の兄がいる場所が龍可の居場所だったのだ。
「……いや」
龍可は脅えていた。銃で撃たれて傷付く事はそれほど怖くない。
怖いのは、精霊を捕まえる為の装置に、精霊として捕えられてしまう事だった。龍亞と住む世界が違う存在だと証明されてしまう事だった。
自身を異端者だと本当は自覚をしているくせに、気付かないふりを続けているのだと、龍可は薄々理解していた。その『気付かないふり』すらできなくなる事が何よりも恐ろしい。
「いや、龍亞、助けて……!」
「やめろ! 龍可に手を出したらオレが承知しないぞ!」
「龍可!」
トリガーが引かれた。捕獲装置が作動する。細い光の糸を組み合わせて編まれた網が広がり、龍可を守る為に<隊長>に飛び掛かっていった<レグルス>を絡め取ってしまった。
「ぐうう!」
白銀色の獅子が透明なカプセルの中へ閉じ込められて、息苦しそうにうめいている。<隊長>が泥で汚れたブーツの底で、龍亞の腹を抉った。
「レグルス! 龍亞!」
龍亞を守ろうと腕を伸ばすが、掴み上げられてしまう。煙草のにおいがした。<隊長>に左腕で羽交い締めにされているガッチャの姿が間近にあった。
その向こうに、白い塩の柱のようなものが、ライトに照らし出されて浮かび上がっていた。恐ろしい速度で迫ってくる。
<隊長>が舌打ちをした。龍可の全身が浮いて、落下の感触と一緒に龍亞の腕に抱き止められる。ホイールの上から放り棄てられたのだと理解する。山のような黒い影が、<レグルス>を捕えていたカプセルを突き破り、D・ホイールを悠々と蹴飛ばして行った。
こんなことがあり得るとしたなら、象の突進だ。ふと龍可は、昨日の昼間にガッチャが助けたクロサイが恩返しに助けにやってきたのだろうかと考えた。それが今の所は最も可能性が高いように思えたのだ。
だが、そうではない事は龍亞の呆然とした声で知れた。
「マンモス?」
数千年前に絶滅したとされる伝説上の生き物が、今龍可と龍亞の前にいるのだった。塩の柱のように見えたのは、一対の優雅な牙だ。跳ね上がったホイールが、孤を描いてぬかるみの上に落ちる。泥が盛大に飛沫を上げた。橙がかった宝石を額に嵌め込んだマンモスが、長い牙と鼻で雨空を突いた。巨体の影から、美しい薄紫色の毛皮を持った動物が飛び出してくる。しなやかに地を蹴り、未だガッチャを拘束している<隊長>の顔面を鋭い爪で引っ掻いた。猫に似ていたが、猫であるはずがない。体長は、動物園の檻の中でいつか見た、雌のライオン程もある。
「この野郎、痛ぇじゃねぇか!」
<隊長>が毒突いて、精霊捕獲銃を構え直した。再度トリガーが引かれようとする瞬間、骨ばった腕にガッチャが思いきり噛み付く。鋭い犬歯に突き刺されて<隊長>が罵声を上げた。発射されたカプセルが、見当違いの方角へと流れていく。
「龍亞! 龍可! 無事か!」
見慣れない背中が、<隊長>から龍可達を庇うように立った。聞き慣れない声が名前を呼ぶ。
それがヨハンだと気付くと、『今更どうして』と『来てくれて嬉しい』が混じり合った、安堵とも怒りともつかない、言い表しようもない感情で胸がいっぱいになった。
父が二人を助けに来てくれたのだ。
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