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「いっそ殺して欲しいのだが」
 金魚鉢の中でたゆたいながら、首は喋った。
 「あぁ」と、正体のない返事が返ってきた。いかにも気だるげな声で、娼婦のような艶が含まれている。深酒が過ぎたようだ。紙煙草の紫色の煙が、この水の中にまで溶け込んできそうなくらいに立ち込めていた。
 切れ長の双眸が狐のように細くなっている。その妖艶な顔つきの中に、今になっても無邪気な幼さを探してしまうのは、おそらく長い間それがとても好ましいものだったからだ。
 残念なことに、今は百年と数十年を生きた老人よりも余程老獪に見えた。
「でもじーさん、死にたくねぇんだろ?」
 狐が言った。

 * * * * *

「おい! 危ないぞ、そこ!」
 万丈目は叫んだ。途端に、道の真ん中を歩いていた小汚い身なりの男が、驚いた顔をして、上から降ってきた鉄骨から転がるように逃れた。シートに覆われた建築中の高層ビルを見上げて「気を付けろ!」と怒鳴っていたが、作業員の姿はどこにも見当たらない。
「妙な話だな。狙ったかのようなタイミングだ。どうした、万丈目?」
 コーヒー・ショップから、眠気覚まし用のエスプレッソが二人分入った紙袋を下げて、エドが戻ってきた。
 荷物を押し付けられる前に、万丈目は駆け出していた。さっきの危機一発男の身に、少し気になるものを見付けたのだ。
「ちょっと待った! そこの貴様! 背中に付けているおかしなものは何だ!」
 男を呼び止めて、シャツの背中に貼り付いているカードを引っぺがしてやった。捲る。<死神の呼び声>だ。薄寒い心地になった。
 相手もそこでようやく気付いたというふうに、気味が悪そうな顔になった。
「いつの間に。性質が悪い冗談だぜ」
 頭を掻いている。万丈目は男に指を突き付けて、親切に宣告をしてやった。
「その目の下の隈、血色の悪い顔色、人生に疲れたオーラ。貴様、死相が出ている」
「多分二徹のせいだ。勘弁してくれ」
「呪われてるぞ。お前の背後にドス黒い怨念が見える。誰かの恨みを買っている」
「身に覚えがありすぎて、逆に誰だか分からないな」
 男は皮肉っぽく顔を歪めて、ふと気付いた様子で万丈目を凝視した。
「な、なんだ。じろじろ見やがって。無礼な奴だな」
「おぉ、あんたおジャ万丈目プロだ!」
「さん、だ!」
 指摘した途端、目の前でカメラのフラッシュが焚かれた。猫騙しを食らった猫のように呆けていると、一眼レフを構えた男が、ポケットから名刺を抜いて万丈目の手に握らせる。
「いや、俺はこういう者で」
 <ジャーナリスト・国崎康介>とある。報道関係者のようだ。
「いきなり写真を撮るな! 礼儀を知らんのか!」
「あんたにちょっと尋ねたいことがあるんだが。いや、時間は取らせない。少しでいいんだ」
「何か話があるならマネージャーを通せ。まったく。行くぞエド。つきあってられん!」
 大股でその場を離れようとするが、国崎はなおもしつこく付き纏ってくる。
「ちょっと待ってくれ! あんたプロだろう。<ライトイレイザー>って聞いたことはないか」
「何だと? その位自分で調べればすぐに分かるだろうが」
 面倒臭くなって眉を顰めていると、待たされることが嫌いな性格のエドが、横から嫌味ったらしく口を出した。
「『装備モンスターと戦闘を行ったモンスターをゲームから除外する』。装備魔法だ。こんな所でいいかな。失礼だが、我々には急ぎの用事があってね。では。さっさと行くぞ万丈目。ぐずぐずしていると間に合わない」
 エドが顎をしゃくって船を待たせている埠頭を示し、荷物を万丈目に押し付けた。付き人時代の癖でつい受け取ってしまうのが恨めしい。せめてもの意趣返しに皮肉ってやった。
「フン。記憶力の無駄遣いだな」
「僕が自分を負かした奴の使ったカードを忘れるはずがないだろう」
 エドは憮然となった。紳士然とした物腰は消え、ただの目付きの悪い後輩の顔になる。
「お前だって忘れたわけじゃないだろう? あの人妻に叩きのめされた。えげつないやり方で」
「う、うるさい!」
 あの夏、自分達を負かして世界最強の座を手に入れた<二代目決闘王>は、初代の不参加を理由に称号を返還してしまった。こけにするにも程がある。
 初対面から自分勝手な人間だと思っていたが、あれはその極みだった。武藤遊戯以外のデュエリストを、ライバル達を、一体何だと思っているんだ。彼は能天気な笑顔で、あの大会に参加していたライバル・デュエリスト達に、おそらく一生消えない傷を与えてくれたのだった。
 そして伝説の<幻の決闘王>となったそいつは、学園を卒業して二度目の同窓会でこう言った。
『次のプロ・リーグの出場予定? いや、ねーけど。オレ、普通のサラリーマンになったんだわ』
 三度目の同窓会には、少し膨らんだ腹を撫でながらこう言った。
『なんかさぁ、デキちゃったんだよな。うん。結婚するんだ。しばらくは子育てに専念するつもりさ』
 一年を掛けて、念入りに準備をしているんじゃないかと勘繰りたくなるくらいに、毎年何かしらの爆弾を用意している奴だった。
 プロとしての矜持のためにそいつとの再戦を誓っていたのに、相手はまたあっさりと対抗心をかわして主婦になった。性質の悪い冗談のようだが、本当に主婦になった。
 再戦は果たされていない。


 恩師に呼ばれてデュエル・アカデミア本島の地をまた踏むことになった。母校は、在学中は島一つがまるごと自分の家のようなものだったのに、何年も前に学園を去った自分は、いつの間にか場違いな存在になっていた。学生だけの島。思えば特異な空間だ。
 鮫島校長は相変わらずの禿げ頭で、久し振りに揃った教え子達をぐるりと見渡し、息子の成長を喜ぶ父親のように目尻を下げて満足そうに頷いた。
 六人いる。丸藤兄弟にエド、吹雪と藤原。そして万丈目。あの頃は一緒に肩を並べることになるとは思いもしなかった面々だ。ただなんとなく、ぽっかりと空気穴が開いたような気持ちになる顔ぶれだった。そこにいるのが当たり前の誰かがいない。そんな感じだ。
「今日は君達が忙しいところ集まってくれて嬉しく思っています。立派になってくれました。―― さて、話を始めよう」
 鮫島は禿げ頭を振り、厳かに言った。
「世界に、終わりが訪れようとしている」
「またですか」
 思わず食傷気味になった。三幻魔復活に破滅の光事件、ユベルの十二次元統一未遂にダークネスの出現。この世界は一体何度危機を迎えれば気が済むのだろう。例の、頭の中身がいつもご機嫌なヒーローがいなければ、まともに立ち行かないんじゃないかと心配になる。
「この件は元々は影丸会長の発案なのだが、君達七人には<新生セブンスターズ>として、この世界の終わりを食い止めてもらいたい」
「それは名前が悪いでしょう」
 当時セブンスターズによってひどい目に遭わされた亮がすかさず言った。「そうですよ」と万丈目も加勢する。
「他の名前では駄目なんですか? たとえば<アイドルブッキーとイケメン軍団>とか」
 元セブンスターズの吹雪が言った。
「そもそも、七人には一人足りないですよね」
 三幻魔事件に居合わせなかった藤原が、少し的外れだが、的確な指摘をした。そう言えばそうだ。鮫島を見ると、「いや、遅刻のようなんだ」と困ったように禿げた頭を撫でている。
「君達も良く知っている彼なんだが」
 面子を見渡して、あいつだろうか、と見当を付けた。プロ・デュエリストやリーグ経営者、多忙を極める錚々たる顔ぶれが指定された時間を守って集まったというのに、このあり得ない程のいい加減さだ。最後の一人は、あの世界最強の主婦に違いない。
「そもそも元祖の生みの親はどうしたんです。影丸会長は?」
 尋ねると、校長は妙に弱りきった顔になった。渋るところにドアが開く。
 入ってきたのは、どうやら七人目ではないようだ。知らない顔の男だった。体格が良く、鍛え抜かれた筋肉をスーツの中に押し込めている。長い黒髪をうなじのあたりで一纏めにしていて、眼光が鋭く、ただの一般市民にはどうしても見えなかった。
「何だ、貴様は」
「話の途中に失礼する。影丸会長の代理として、君達を呼んだ者だ」
「その影丸会長はどこだ」
 鋭い目が万丈目を射た。どこかで見た眼差しだと思ったら、兄が昔の自分を落ち零れだと罵っていた時のあの目だと気付いた。嫌な感じだ。男は「すぐに分かる」と無愛想に言って、鮫島に頷いた。
「お願いします。鮫島校長」
「……はい。彼らにはあまり見せたくないのですが、しょうがない」
 鮫島は観念した様子で溜息をつき、リモコンをモニタに向けた。映し出された映像はひどく悪趣味なものだった。
 車椅子の上に首のない老人の身体が乗っている。周囲にはテープが張り巡らされていて、散乱した本や割れたガラス瓶の上に、まだらに血が飛び散っていた。
「見ての通りだ。影丸会長は亡くなられた。頭部が欠損しているが、血液から本人だと断定されている。頭は今も行方不明のままだ。会長はお休みになる前に読書をなさっていたそうだ。医師が様子を見に伺った際に、首のない会長の遺体を発見した。この間おおよそ三十分程だ。会長は殺害され、会長が行っていた不老不死に関する研究が持ち去られた。犯人が特定できる痕跡は残っていない。プロの犯行だと警察は見ているようだが」
 男が、物語を朗読をするように、落ち着いた様子で言った。影丸の遺骸は、どこか現実味がなく、マネキンの首をもいだようにも見えた。
「誰がこんなことを仕出かしたのか、警察ではなく、貴方は見当が付いているようにも見えますが」
 エドが硬い声で言った。日頃の言動のせいでつい忘れがちになるが、彼は正義感溢れるヒーローだ。
「怪物だ」
 男がこともなげに答えた。エドは、馬鹿にされていると感じたのだろうか。いつも他人を小馬鹿にしているような男だが、他人に見下されるのは我慢がならないのかもしれない。綺麗な顔に不快そうな皺を浮かべている。
「怪物ね。……失礼ですが、僕らはまだ貴方の自己紹介を聞いていない。顔は何度かテレビの中で見たことがありますがね。今回は、ご自身の身分を明かせないような用件なんでしょうか?」
 鮫島が背筋を正し、畏まって、手のひらで男を指した。
「すまない、紹介が遅れてしまった。こちらは本国国防省の世界長官殿だ。我が国の防衛の任務に着かれている。しかし、犯人の目処がついているとは、私は聞いていませんが」
「フェニックス氏の察しの通りだ。今回影丸会長を殺害した者は、ネオ童実野シティ治安維持局の保護下にある。あそこは君達も知ってのとおり、ほぼ自治国家のように振舞っている。外部からの介入は難しい。国家そのものと言えどもおいそれとは手が出せない」
「ばれないようにそいつを外まで引っ張って来いと言うのか? 政治問題に関わるのはごめんだ」
 万丈目は不機嫌に鼻を鳴らした。
「国家や政治の問題などではない。あれは悪魔だ。器に選んだ人間を胎児のうちに食い殺し、成り代わって生まれた怪物だ。奴は、すべての闇を侍らせる存在だ。宇宙創世の時に発生し、人の中に生まれて世を乱し、死を迎えれば転生を繰り返して、次の世代に災いの種を撒く。<破滅の光>と対をなす脅威だ。今回は、あれを倒すために生まれた実験体の肉を乗っ取って生まれてきた。―― 皮肉な運命なのか、それが狙いだったのかは、分からないが」
「実験体?」
 怪訝に訊き返すと、相手は無表情で頷いた。
「我が国が、これまでヨーロッパと共同で行ってきた極秘研究で生まれた実験体だ。闇の支配者を滅ぼすために造られた子供達だ」
「子供を人体実験に使ったのか!? ひどいことをする!」
 非難をしても、罪悪感など欠片もないというふうに、鉄面皮は眉の一つも動かさない。
「人類存続の為の犠牲が必要だった。安易なヒューマニズムなど問題にもならない。目覚めた闇の意志を打ち倒さなければ、それこそ罪もない子供達の未来が幾千万と消えるのだ。敵の名は被検体十号<カーレン>という。君達には、影丸会長の無念のためにも奴をデュエルによって打ち負かし、世界の終わりを食い止めてほしい」
 そういう仕事こそ<奴>の役目だろう、そう言い掛けた所でタイミング良く扉が開いた。振り返って、しかしそこにあった姿は、予想とは少しだけ違っていた。
 知った人間だ。ただ、対の<片割れ>の方だった。
「いやぁ、遅れた遅れた! 俺方向音痴だからなぁ〜!」
 まったく悪気がない様子で、十代の夫が、ヨハンが笑った。何でもない顔をして万丈目の隣へ落ち着く。長官も気にしたふうもなく話を続けた。
―― 奴は永い年月を掛けて、今や強靭な竜の肉体と不老不死の生命を手に入れたと聞く。言い替えればそれは、もう転生はしないという意味だ。確かに完全に消滅させることはできない。だが、封印する事ができる」
「悪いが忙しい身でね。他を当たってはくれませんか」
 亮がにべもなく言った。彼は昔から遠慮を知らないし、空気も読まない。横から翔が慌てたふうに兄のコートの裾を引く。
「ちょっと、お兄さん! 間違っても相手は偉い人なんだよ。確かに気乗りはしないけど、断わり方ってものがあるでしょ!」
「残念ながら他人事ではない。我々は同じ穴の狢だ。おそらく我々の次は、君達だ。こうなる」
 長官が影丸の死体を映したモニターへ目をやった。背筋が寒くなった。ただ、少し聞き咎めたことがある。『我々』?
「類稀なデュエリスト・センスを持ち、私と共通する切り札を君達は持っている。だからこそあれは君達を捨て置かないだろう」
「切り札ですか」
 全く身に覚えがない。もしも昔の十代がここにいたならば、『正義を貫く熱い心だぜ!』と暑苦しい事を当たり前のように言い放っただろう。今の十代ならどうだろうと考えてみたが、よく分からなかった。ただ、つまらなさそうに欠伸をする姿しか思い浮かばなかった。
 長官が頷いた。
「そうだ。我々には切り札がある。猫騙しのような些細なものだが、それは奴を滅ぼす一手になる。あれと闘えるのは君達しかいない。―― アンデルセン君はヨーロッパの<カーレン>封印計画に参加しているところを、こちらに来てもらった」
「あ、はい」
 ヨハンが相変わらず能天気に返事をした。それが、とても意外なものに思えた。
「個人的には、私は本当なら君達とはこんな出会い方はしたくなかった。以上だ」
 長官がそう締めくくり、話は終わった。


 せっかくのアカデミア本校来訪だというのに、残念ながら二年生の生徒達が修学旅行に出払っている。普段は壇上に立って教鞭を振るっている明日香も、引率の為に不在だ。校舎の中はとても静かだった。
 それにしても、今のアカデミア在校生達が羨ましくて仕方がない。明日香の授業が聞けるのだ。いっそのこと、もう一度アカデミアの一年生として編入したいものだと、万丈目は考えた。
 ヨハンは隣で物珍しそうにして、忙しなく首を巡らせている。先刻からの違和感の原因は、こいつの態度によるものだ。
「貴様、何故あんなうさんくさい男のうさんくさい話に荷担した?」
「ええ?」
 エドも頷いて、気に入らない人間を見るあの目をヨハンに向けている。
「お前らしくないなとは思ったな」
「ああ」
 ヨハンは照れた様子で、とても大切なもののように、その名前を口にした。
「カーレン・アンデルセン。……あの人の名前さ。俺の大好きな姉さんだ」
 ひととき、静寂が耳に染み入るほどに静かになった。
「……このことを、十代は知っているのか?」
「なに変な事を言ってるんだ。困るだろー、あの人に知られたら。ま、賢いあの人にいつまでも隠し通せるもんでもないと思うけど」
「?」
「それよりこれなに? すっげぇ美味い」
 ヨハンはその話題からはさっさと興味を失って、目を輝かせながら、大袋のポテトチップスを貪っている。道に迷って購買に辿り付き、珍しい日本の食べ物に感動して片っ端から買い求めたそうだ。納豆嫌いのエドが嫌そうな顔になった。
「納豆味だろう。理解できない。臭いがもう駄目なんだ」
「なっとう? へえ、初めて食べた! これが納豆か! 感激だなぁ」
「今更なにを言ってるんだか。来なくてもいいのにレッド寮に毎日押し掛けて食べてたじゃない」
 翔が冷たい目をしてぼやいた。ヨハンに兄貴分の十代を寝取られたことをまだ引き摺っているらしい。男の嫉妬は根深い。

 * * * * *

 初めて訪れたアカデミア本島は、実に素晴らしい場所だった。見晴らしが良く、火山の迫力も満点だ。ありったけの小遣いを使って珍しい菓子を買った。昆虫の標本集めが趣味の父への土産に、森の中で珍しい蝶を見付けた。
 島を見物して回っていたら、崖の傍に佇んでいる見知った姿を見付けた。日本人の<おじさん>だ。さっきは<長官>と呼ばれていた。こちらに気付くと振り向いて、「十七号か」と頷く。
「はい。俺です。ここって、昔あったって言うレッド寮の跡地ですよね。あの人が三年間生活していたっていう」
「…………」
「さっきの話しぶりじゃ、おじさんが一番なんですか? 偉い人は最後だって思ってたんですけど」
「若い彼らを先に死地へやる訳にはいくまい。それに彼らが危機を理解するまでには、まだ時間が必要だ。まずは私が―― 元々あれは私が片をつけなければならない問題でもある」
「おじさんに頼みがあるんですけど」
 靴のつま先で地面を叩きながら、もじもじとした心地で「俺を一番に行かせてくれませんか?」と切り出した。
「本物のカーレンを、俺の<白鳥>を、一度でいい、見てみたい。ずっと憧れだった。もっとも、あの人の方は俺達アンデルセンの子供の事なんて知らないだろうけど」
 返事は無かった。好きにしていいということだろう。嬉しくなって、くるりと踵を返し、手を挙げてから駆け出した。
 あの人に会える。そう思うと空でも飛べそうな気持ちになった。こんなにいい気持ちを、あの落第した兄弟がずっと抱き続けていたのだと思い当たると、かなり妬けた。
「十二号兄さんはずるいぜ、まったく」
 思わず口をついてやっかみの文句が出てしまうくらいに。

 * * * * *

「ああ、彼の弟くんかぁ」
 森の茂みの中で、購買で購入した納豆味のポテトチップスを齧りながら、吹雪が手のひらを軽く打ち合せた。
 目の前の草原を駆け去っていく姿は、まだどこか少年じみていた。アカデミア三年生の頃に見た姿と何も変わらない。まるで鏡の世界の住人だ。
「そっくりだよね」
 もそもそとポッキーを齧りながら、藤原も頷いた。

 * * * * *

 同時刻、アカデミア本島の研究所跡で、十代は生首入りのカンテラを手にぶら下げてジャングルをうろついていた。
「何度考えても、あまりにも惨いという結論に達する」
 影丸の首はまだ文句を言い足りない様子だ。肩を竦めるとカンテラが揺れる。「あまり揺らさないで欲しい」とぶつぶつ言っているが無視した。
 子供の頃はただ忌まわしかったこの老人の研究に、今になって初めて興味を持った。
 自分が十五歳の時に、彼の野望を叩き折ってやったことがある。それからというもの、影丸はしおらしい老人になってしまっていた。
 だが、やはり未練が残っている。この同じ穴の狢は、年齢相応の積もりに積もった心の闇を抱いている。死への恐怖と若さへの憧憬だ。伊達に長生きをしていない。
「惨いって、首から下のことを言ってるのか? 動かない身体なんてぶら下げてたってしょうがないだろ。すっぱり斬っちまえばいい」
「君は潔過ぎる」
 溜息をつく。カンテラのガラスが息で白く曇った。
「せっかくだ。この老人の愚痴を聞いてくれるかね、十代くん」
「どうぞ、じーさん」
「君にデュエルで負け、野望を失って好々爺のように生きていると、死ぬことがあまり怖いと思わなくなっていた。醜く老いてしまうこともね。このまま穏やかに茶を立てて花を生け、温泉を愛して死を待つのもいいと思っていたんだ。それこそ昔の私が何より恐れていた安穏とした人生だ。そうだよ、不老不死への憧れを無くした時点で、私の中でぎらぎらと燃えていた命の炎が消えてしまっていたんだ。あれは私の夢だった。その夢の為なら、時間も労力も金も、大切な生徒達の命をも、何物も省みずに、なりふり構わず走り続けることができた。目的が消えた。野望も描けない男ほどみじめなものはない。老いも死も安穏も享受するほどに無気力だ。―― 正直に言おう。衰えない力と、永遠の美しさと、人を外れた異能を掌中に収めた君がひどく羨ましい。その身体が私も欲しくてたまらない」
「じーさんみたいな意地汚い奴が永いこと生きてたって、周りの若い奴らが面倒臭いだけだ。断言してやる。あんたの一番の右腕が誰だか知らないけど、そいつ今頃せいせいしてるよ。我侭な年寄りの介護で人生終えなくて良かったってさ。あんたの首がもげて、一体誰が泣いてくれただろ」
「この私にそこまで無礼な口をきいた人間は、十代くん、生涯で君一人だ。まったく」
「そりゃ愛のない人生だったな。怒ってももらえないあんたは不幸だ」
「まったく、口の減らない……私があと百年若ければ、君に求婚していたな。他の男の妻だろうと構わない。奪って私のものにした」
「じーさん、まだ色欲が残ってるのか? すごいじゃないか」
「いいや。やはり老いが憎い。今の老いぼれには、君についていける気力も体もない」
 おしゃべりな生首はようやく黙った。諦めたようだ。拗ねたのかもしれない。
「合宿旅行の行き先が母校の地下研究所跡っていうのは、予想外も予想外でしたけど」
 空野は、施設が放棄された時にそのまま捨て置かれた機材を見上げて感心している。テントの組み上げを手早く済ませ、熱心にメモを取っている。
「老朽化が進んでいるからこのまま利用はできませんけど、これ宝の山ですね。随分参考になる。偉大な先達がいたものだなぁ」
「だろ。悪人の動機ってのは、当事者になって初めて共感できるんだ」
「先輩、いつもこんな人気のない廃墟でサボってたんですか? 不良じゃないですか」
「ドロップアウト・ボーイだそうだからな、オレは」
 ジャングルの中は、以前に訪れた時よりも濃密な野生の気配に満ちていた。大方の教職員や生徒達は、この研究所が存在したことすら忘れているだろう。地熱で温められた密林は、これからも閉ざされたままで独自の生態系を築き続けていくのだろう。
 茂みの中から、蔦を掻き分ける足音と荒い息遣いが近付いてきた。空野がふと顔を上げる。虎だ。飢えた様子で、久し振りの獲物だとばかりに飛び掛かってきたが、闇の中に佇む巨大な鋼鉄の鳥が翼を広げて威嚇したせいで、驚いてすぐに退散した。
「偉いぞ、ホルス」
 主人の空野が、ホルスの黒炎竜の脚を撫でて労いの声を掛けた。
「便利ですね、先輩の実体化体質。十代先輩がいると僕地雷原でも超えて行ける気がしますよ」
「足元までは面倒見れねぇよ。気のせいだ」
 岩に腰を降ろして一息つき、カンテラを膝に置いた。ようやく揺れが収まって、影丸の首もほっとしたようだ。
「理事長、この図面なんですが」
 空野がしゃがみこんで影丸にノートを広げて見せている。首が満足そうに頷いた。
「ああ、うんうん。君は随分と頭が良い。確かオベリスク・ブルーの最優等卒業生だったな。それに引き換え――
「悪かったな、落ち零れで」
 先の無礼の仕返しのようだ。頭の出来に関しては何も反論できない。十代は憮然として膝を抱えた。
「先輩は元々頭がいい人なんですよ。ただ興味がないことには見向きもしないだけで」
「買被りだ、それは。オレは馬鹿なんだよ」
 立ち上がった所で、足元に死んだ蝶を見付けた。熱帯地域に住む種に良くあるように、極彩色の美しい羽を持っている。
 <死者蘇生>のカードをかざしてやると、蝶の死骸が瞬く間に生命を取り戻した。蟻に運ばれかけていたのを、羽をつまんで救い上げ、宙に放してやると、よたよたと舞い上がる。
 しかし、蘇った蝶が視界から消えた途端に、魔法カードは輝きを失った。その場限りの効果だ。死んだものが蘇っても、十代の眼が届く範囲を外れると、再び元の黙する死者に戻ってしまう。あの蝶も命を失って再び地に落ち、やがて蟻に運ばれていくだろう。
 自分でも悪趣味な能力だと思った。無力で、ただ幻をこの世界に連れてくるだけの力だ。
「どうやら、実体化するよりも造り直したほうが簡単かもしれないですね」
「ああ……身体をもう一度造って、魂を呼び戻すのか。お前頭いいな空野」
 機嫌が良くなって、腕を広げてくるくる回る。ダンスのステップを踏むように。
 かつて影丸が行った非人道実験の跡や、デュエル・エナジーの収集を試みたプロフェッサー・コブラの遺産は、誰に触れられることもなく、その場所でただ朽ち果てるのを待っている。機械音痴の十代が下手に触れて、壊すなと叱られても面白くない。回収は仲良くやっている空野と影丸に任せることにした。
 ぽっかりと開いた空洞の先に足を踏み入れると、壁際で奇妙な機械が横倒しになっている。透明なガラスの花瓶のようだ。ただし背丈よりも随分大きい。見覚えがあった。確か、精霊を捕獲して閉じ込めるためのカプセルだ。
「へぇ、懐かしいな。こいつもまだ残ってたんだ」
―― おい! おーい!』
 呼び声が聞こえたが無視する。今は一々そんなものに構ってはいられない。
『お前、聞こえないのか! 誰か、俺の声が聞こえる奴はいねぇのか! 畜生、なんでこんな目に……!』
 このおかしな身体になってから、無数の救いを求める声が昼も夜もなく聞こえるようになった。はじめはうるさくて眠れない程だったが、やがて慣れた。かつてヒーローになりたがっていた頃は、慣れてしまっても良いのかと大分悩んだ記憶がある。
 表面のガラスに触れると、何となく嫌な心地がした。精霊の半身がそう感じたのかもしれない。
『その機械に触るな。そいつを仕上げるのに、いくら金が掛かったと思ってるんだ!』
 ふと驚いて、十代はようよう振り返った。人間世界に重なるようにしてもう一つ存在する世界、虹彩異色症の眼が映す異形の世界に人影が見える。顎鬚が尖った、目つきの悪い男だ。
「これ、お前の手作りだったのか?」
 相手はあれだけがなっていた癖に、いざ十代が振り向くと驚いたようだ。幽霊のようになってしまった存在を認識してくれる者が現れると、本気で思ってはいなかったのだろう。少し意地の悪い気持ちになって、唇の端を上げる。
「意外と頭いいんだな。ヨハンには人質を取っても勝てなかったのにさ」
『……何でそれを知ってる。何者だ、お前は?』
 相手は、まだ十代が誰なのか思い当たらない様子だった。あの頃とはまるきり別人になってしまったからかもしれないし、そいつの覚えが悪いのかもしれない。どちらでも構わない。特に興味はなかった。
 とにかく、十代はその男のことを知っていた。<精霊狩り>のギース・ハント。私利私欲の為に精霊達を追い回す金の亡者だ。
 宝玉獣を人質に取ってヨハンにデュエルを挑んで敗れ、光の中に消えて行った。どこへ行ったのかと思えば、こんな所で次元の狭間に落っこちていたらしい。
「なんだ、ヨハンを覚えてるのにオレのことは忘れちまったのか。そんなにヨハンが好きなのかよ。情熱的だな」
「先輩、嫉妬はみっともないですよ」
 空野が、宙に向かって語り掛ける十代を怪訝に思った様子でやってきた。この距離まで近寄れば、<今は>彼にも十代の世界が見えるはずだ。目を眇めて、「また妙な友達がいるもんですね」と自分のことを棚に上げて言った。
『……あ――― !!』
 唐突にギースが大声を上げた。十代を指差す。
『お前はもしかしてあの時の……ヨハンとのデュエル中にいきなり空から降ってきて、俺の顔面に全力で蹴りを入れやがったあのガキか!? 完全に別人じゃねーか!』
「先輩? 何です、そのまるで天使みたいな登場の仕方」
「挨拶だって、挨拶。ガーッ、チャ。な?」
 肩を竦めて、錆び付いて廃材になったバイクから、小型のカプセルをいくつかと捕縛網を回収する。この部屋にはもう用がない。先へ進もうとすると、背中の向こうからだみ声で罵られた。
『待ちやがれ! 返せ! 泥棒野郎!』
「人から物を盗んでばかりいたお前に、物を盗られる人間の気持ちを思い出させてやろうって親切だよ」
『そんなひねくれた親切はいらねぇ! おい何とかしろ! 俺がこんなケチな目に遭っているのはヨハンとお前のせいなんだぞ!』
 ギースが怒鳴った。十代を頭からつま先まで舐めるように眺めた後で、急にわざとらしい猫撫で声になる。
『お前もヨハンと組んでるからには<そう>なんだろうが。知ってるぜ。正義の味方気取りのヒーロー使いだ。正義感溢れる善人が、苦しんでいる人間を放っておけるわけがないよなぁ?』
 空野が『あーあ』という顔をして首を振った。十代はもちろん、持ち前の正義感と、悪人への怒りの間で苦悩する表情を作り、重々しく頷いた。
「ああ……人が苦しんでいる姿なんて見ていられない。たとえ、精霊たちに危害を加える悪人だったとしても、ここでお前を見捨てたら、オレは人間失格だ。ヨハンに合わせる顔がない」
『そうだろう、そうだろうよ。へへ、話が早くて助かるぜ……』
「だけど苦しんでいる精霊達の姿も見ていられないんだ。見てみろ、お前が生前――
『死んでねぇ! ただ異世界に引き込まれちまったんだよ!』
「散々苦しめてきた、かよわい精霊達を見ろ。耳を傾けてみろ。聞こえてくるだろう? 『処刑人はどこだ?』、『はらわたを引き摺り出して食らってやる』、『いや、生きたまま脳味噌を啜る方がいい』、『裏切り者に制裁を! 死よりも永劫の苦痛を!』、『殺せ殺せ殺せっ!』」
『む、むみみ〜!?』
『ゴキポンッ!?』
 ギースの周りを飛交う精霊達が、驚愕の表情で、忙しなく全身を震わせている。空野が日和見に笑った。
「あはは。そんな怖い事言ってない、って聞こえるんですけどね」
「困ったぜ。オレは大切な精霊達の声と尊い人の命、どちらを優先すればいい? そうだ、この手があったか! という訳でギース・ハント、お前の処遇を今から決めようと思う。空野、アミダ」
「はい、十代先輩!」
 空野がすかさずノートを広げて、ボールペンで縦の棒線を書き付けた。辿り付く先には、『放置』、『食餌』、『晒し首』とあった。この後輩もさすがによく心得ている。影丸の首が、身に照らし合わせてか、ひどく恐ろしそうに頭を震わせた。
『いや、ちょっと待て狐野郎。隣のイタチ野郎が用意したその選択肢は何だ?』
「苦しめられた精霊達を代表して、本来ならお前と闘って勝ったヨハンに引かせてやりたいところだが、ここにはいない。代理としてオレが引き受けるぜ」
『ちょっと待てって言ってるだろう。それはお前が検察も弁護人も裁判官もやる無茶苦茶な裁判ってことじゃねぇのか』
「私刑ってそんなもんだろ」
『ふざけるな! 相方を呼んで来い! 良い子気取りの幸福なお坊ちゃんのあいつなら、お前みたいな鬼畜よりは格段にまともだ!』
「いねぇ」
『は? いいからさっさと』
「……いねぇって、言ってんだろ」
 空野がまた『あーあ』という顔をして、回し蹴りを顔面に食らい、岩の上に頭から叩き付けられるギースへ、虫取り網に掛かった餓を見るような目を向けている。ギースはすぐに勢い良く起き上がって罵声を上げた。
『おい、こんな真似していいのかよ! 正義の味方!』
「知らなかったのか。ヨハンと違ってオレは人間失格なんだよ。すでに」
『ヨハンに合わせる顔が無いって言ったじゃねぇか!』
「このオレがそんなに殊勝な奴に見えたのか?」
 涼しく言い放つ。
 ふと肩を叩かれて振り向くと、中空に見覚えのある小さな豆の戦士が浮かんでいた。この精霊はヨハンに救われたくせに、どうしてまだこんな所をうろついているのだろう。
 ヨハンはカードを持ち主の元へ帰さなかったのか? 不思議に思った。
「<ジェリー・ビーンズマン>。どうした。お前がクジを引きたいのか。このおっさんに引導を渡したいのか? 可愛い顔をして憎悪が根深いな」
『むみっ!? むみみ、みー!!』
 勢い良く首を振る。訴え掛ける眼差しは純粋なものだ。人間のような濁りはどこにもない。
「助けてやれって? あいつが守ったお前の頼みは聞いてやりたいけど、オレはヨハンを傷付けたその男が嫌いなんだよ。どうしたもんだか」
 ギースは額に青筋を立てて、歯を食いしばり、吼えさかる猛犬のような顔つきになっていた。侮り、蔑み、いたぶることに最高の楽しみを覚えていた弱い精霊たちに可哀想な奴だと思われるのは、この男にとって、どんなに嘲笑され、こけにされるよりも堪えるのだろう。
『ふざけるな! こんな屑みたいなモンスターに憐れまれたって惨めなだけだ……とっとと消えちまえ! この弱小精霊、偽善者、二度と姿を見せるな!』
 十代は目を細めた。面白いことを閃いたのだ。向かい合ったジェリー・ビーンズマンの小さな眼に、狐のような顔が映っている。脅えて後ずさる精霊に首を傾げて、念押しをした。
「いいぜ。助けてやる。ただし後悔するなよ」
 精霊は純粋だ。人間のような打算はしない。答えを待つ間でもなかった。
 金色のカードを指先でくるくると回す。
―― 発動せよ、<超融合>」
 カンテラの中の影丸が不憫そうに頭を伏せるのが視界の端に映った。



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