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 <デュエル・アカデミア・アークティック校幼等寮>、つまりうちの家は人里から離れた深い森の中にある。後継ぎの牧師がいなくなって捨てられた教会を利用して作った寄宿舎で、建物自体は古いけど頑丈だ。正午になると古い神話を描いたステンドグラスに太陽の光がまっすぐに射し込んで、宝石みたいにきらめいて綺麗だった。
 親父が子供の頃に通っていた教会だって言うから、それなりに思い入れがあったんだろう。錆びた煙突を新調したり、割れた窓を直したりして、そうやって生活に必要な分を入れ換えただけで、あとはほとんど手を加えていない。
 教会の周りは大きな湖に取り囲まれていた。冷たくて、黒々としていて、底の見えない湖だ。この湖には怪獣が住んでるって噂されている。謎の未確認動物ってやつだ。本当にいるのかどうかは知らないけど、小さい方のクラウスは見た事があると言っていた。だけどあいつは嘘吐きだからあてにならない。
 湖の対岸にはもみの木の森が広がっている。ここは山の上にあるから、一番近くの街までもボートと車で出掛けなきゃならない。あそこへは買い物の手伝いがある時にしか行かないけど、人間が沢山いるからあまり好きじゃなかった。


 夏が来て気温はどんどん上がっていく。庭のりんごの木はまだまだ実を付けない。森へ行って黒すぐりの実を取ろうと思ったけど、これもまだ早い。ツルコケモモもまだだ。野いちごの熟したのを口に入れたら腐っていた。
 本当は酸っぱい木の実じゃなくて、もっと甘いものが食べたい。この前、日本からやって来たお客さんがお土産にくれた板チョコレートや飴玉はすごく美味しかった。
 うちの家では、決まった分だけのささやかな食事を、朝、昼、晩の三度、時間をきちんと決めて行儀良く食べる。おやつの時間は週に一度だけ、庭になっている木の実を煮込んで作ったパイが一切れ。全然足りない。
 それでもがっついてマナーがおろそかになると食事抜きの罰を受けるから、取り合いなんかはもっての他だ。うちは兄弟が多いから、自然に一人の取り分が少なくなる。夕食が終わって三十分もすると、もうお腹がぐうぐう言い始める。
 そういう時は、ビデオで見たあの子が憎らしくなる。
 あの男の子は、日曜日の朝刊と一緒に入っていた折り込みの玩具ショップのチラシを見ながら、テレビを付けっぱなしにして、床に寝そべってコンソメ味のポテトチップスを食べていた。その時に赤ペンでチェックを入れた携帯ゲーム機が、次の週の日曜日には部屋の勉強机の上に出現していた。
 学校がある日は、帰ってすぐに冷凍庫を開けて、チョコレートチップのアイスクリームを食べていた。夕食の前にだ。それでも親に叱られない。
 夕食にしたって、マンションの一階に入っているコンビニへエレベーターを降りて行って、好きなお弁当を選ぶことができる。カレーにエビフライ、ハンバーグ。食事をしながらヒーローもののアニメを見たあとで、一番新しいゲームをする。行儀が悪くても尻をぶたれない。夜更かししてゲームのレベル上げをしたって構わない。パパとママは仕事でいないから。
 そして一日の終わりに日記を書く。今日も楽しかったです。おわり。夢みたいな暮らしだ。
 いつもお腹一杯で両親もいるのに、その子はさも自分は世界にひとりぼっちで生きてるんですというしけた顔をしていた。思い出すとまた胸がむかむかしてきた。うちの兄弟もみんな俺と同じ気持ちだったはずだ。『なんで?』って。『こんなに恵まれている子供がいていいの?』って。
 遠い国で暮らしている、この生き別れの兄弟を初めてビデオで見た時、俺はもちろん頭にきて積み木を床の上に叩き付けたし、いつも一匹狼を気取っているすかしたヨハンも、その時ばかりは一番機嫌が悪い時の顔で、誕生日に買ってもらった十二色入りの色鉛筆を握り締めて真っ二つにへし折っていた。
 あいつがテレビの画面を睨み付けながら、「こんな勝手なやつ、死ねばいいのに」と押し殺した声で恨み言を言ったのも覚えている。ヨハンはむかつく奴だけど、その時だけは俺も同じことを考えていた。本当に、こんなやつ死んじゃえばいいのに。
 その子は何不自由なく好きなことばかりして暮らしていて、まるで魔法の国の王子様みたいだった。
 その子が持っている変形合体するロボットや、変身ベルトにラジコンカー、新しいゲームソフトと漫画で一杯の棚を見ていると、俺たちの玩具がまるでごみみたいにつまらないものに見えた。


 ―― ある日、家の庭に桜の木が植えられた。親父が言うには日本からの贈り物だそうだ。
 桜と一緒に兄弟もひとり増えた。たまにうちへやってきてお菓子をくれる熊みたいなおじさんの子供だ。
 親父はその子供の人生を残らず録ったビデオテープを預かった時に、その子のすべてを知ったからには自分の子も同じだと言って、<赤い靴のカーレン>っていう名前を付けてやった。カーレン・アンデルセン。俺たちと同じアンデルセンの子供。
 ただ、同じって言っても全然違う。基礎訓練も受けていない。訓練っていうのは、ジェームズ・ボンドやスパイ大作戦みたいなこと。その子は銃の取り扱い方や、ナイフの持ち方や、身体のどこを刺したら人は死にやすいのかとか、肩の外し方や足音の消し方も知らない。何もできないし、しなくても良かった。
 そして、赤い靴の童話に出てくる本物のカーレンが足を斬られて助かったように、記憶を消されて幸せそうな顔をして落ちこぼれていった。思い出を無くした人間には何の価値もない。それでも羨ましさとやっかみは消えなかった。
 あとになって、何不自由なく育てられたカーレンこそが選ばれた存在になったと聞いた時、この世界の不公平さを実感したものだった。
 なんであの恵まれた落ちこぼれが?


 腹を減らしたまま森の中を歩いていたら、もみの木の下で、<貧しい絵描きのヨハン>がスケッチブックを広げて絵を描いているのを見付けた。俺と同じ顔をしている兄弟は何人もいたけど、ヨハンは癖の強い空気を纏っているからすぐに分かる。
 苔の絨毯の上に座って、いつものように超然としている。落ちこぼれのくせに生意気な眼は相変わらずだ。同じ顔をしているのが我慢ならないくらいにむかつく奴だった。
「絵なんか描いて何してんだよ。ばかみたい。食べられるわけでもないのに」
「俺に構うな。家に帰ってパンでも踏んでろ」
 絡んでやっても見向きもしない。
 ヨハンはいつもしかめ面で、つまらなさそうな醒めた目をしている。誰もヨハンが笑ったり泣いたりしているところを見た事がない。同じように落ちこぼれだった<口のきけないエリサ>が死んでから、余計に無口な人間嫌いになった。
 人間の友達がいなくても、精霊には懐かれているらしい。ヨハンは周りに精霊をいっぱいくっつけている。人間のくせに、人間世界との接点が薄い奴だった。この分じゃいつか精霊世界に旅立ってしまうんじゃないだろうかとも思える。
 実際、ヨハンはよく迷子になって家に帰って来ないことがある。精霊の庇護があるから、ひとりで森の中で過ごしていても、何も困ったことが無いそうだ。たまに野生化している。
「へったくそな絵。こんなの紙の無駄だぜ」
 精霊の絵を描いた紙を破いて意地悪をしてやっても、ヨハンは気にしない。他の兄弟みたいに突っ掛かってこないし、泣き出して親父に言い付け口もしない。スケッチブックの新しいページを開いて、黙って森の奥へ去って行こうとする。『ついてない、面倒な奴に会っちゃったな』というふうに。
 俺のことを相手にもしていないっていうヨハンの態度が、日本にいる我侭なカーレンとだぶって見える時がある。カーレンのことを考えたら余計に頭にきて、ヨハンの手を引っ張ってやった。
「何だよ。気安く触るんじゃねぇよ」
「うるせぇ。生意気なんだよ、その目」
 そのままヨハンを倉庫まで連れて行って、閉じ込めて外から鍵を掛けた。
 夕食の時間にヨハンの姿が無くても、あいつは頻繁に行方不明になる奴だから、いなくても誰も気にしない。兄弟は食事の取り分が増えて喜んでいたくらいだ。
 倉庫の真っ暗闇の中で一晩中過ごす羽目になって、怖がってべそをかいていれば面白いと思ったのに、朝になって窓から中を覗くと、ヨハンは何でも無さそうに寝ていた。また頭がかあっとした。なんでこいつは俺と同じ顔をしてるのに、俺のことを気にも留めないんだ。


 ヨハンはたまに寝言でカーレンの名前を呼ぶ。
 日本に住んでいる恵まれた兄貴のことを、ヨハンはすごく嫌っている。憎んでいると言っても良いくらいだ。人間に無関心なヨハンの眼が、憎悪の感情を映す所なんて初めて見た。
 俺が死んだ姉貴の形見の木の実を隠しても、顔を歪めもしなかったのに、本当にむかつく。
 でも、俺はどっちに腹が立ってたんだろう?
 ヨハンが初めて執着した<カーレン兄さん>に?
 王子様みたいなカーレンにいかがわしい眼を向ける<ヨハン兄さん>に?

 * * * * *

 うたた寝の最中に、子供の頃の夢を見ていた。生徒手帳の着信音で目を覚ますと、夢の中の風景、夏の森や幼い頃の兄の姿が一瞬で消え去って、何もない部屋と、涎の染みが付いたノートとシャープペンシルと消しゴムが目に映った。宿題の最中に自室の机に突っ伏して寝てしまっていたようだ。
 着信音は鳴り止まない。億劫に通信回線を開くと、がなり声が鼓膜を突き刺した。
『また授業をさぼりましたね、ドロップアウト・レディ! アンデルセン校長の娘だからって特別扱いはしませんよ!』
 相手は高等部の担任教師だった。欠伸をしてから、目を擦って返事をする。
「はいはい、悪い、先生。明日は出るから怒鳴らないでくれよ。そんなだから頭に毛が生えないんだ」
『ミス・アンデルセン!』
 回線を切って、一度背伸びをして椅子から立ち上がった。宿題を片付ける気はとっくに失せていた。
「あの禿げ猿、何かにつけて先生面しやがって。今時そんなの流行らないんだよ」
 欠伸混じりに文句を言いながら、校舎の地下へ降りていく。ブルーのコートの胸の上で、羽を模ったペンダントが揺れた。綺麗な石だ。他人が大切にしているものだと余計に輝いて見える。
 石造りの広間へ足を踏み入れると、ステンドグラスを背に、祭壇の上で崇拝を受ける神のような姿で、美しい生き物が磔にされている。全身を鎖で繋がれたまま眠り込んでいる。けちなスクルージの元へ忠告にやってきたマーレイみたいに、沢山の重りと錠前を付けられて身動きも取れない。その無惨な姿を見ていると胸がすっとした。
「ざまあないな。今までの恵まれた生活がぶっ壊れた感想は?」
 人の気配に気付いて、そいつは目を覚ました。<赤い靴を履いたカーレン>。魔法の国の王子様。みんなの憧れ。それがひどく弱々しい様子で、顔を上げて縋るような表情をした。衰弱しきっているが、口を開いて出て来るのは、捕まえた時からずっと同じ言葉だ。
「龍可……龍可は無事なのか……」
「お前はそればっかりだな。俺のことなんか眼中にもないって?」
「龍可……るかぁ……」
「お前と良く似た奴を知ってるよ。どっちも人の話を聞かなくてつまんない奴さ」
 肩を竦めて、ベンチに座って足を組んだ。そいつは本当におかしな身体をしていた。身体の中心を境にして左右で性別が違う。眼の色だってちぐはぐだ。女の方の胸は、腹が立つことに俺よりあった。
 自然に生まれ付いた奇形というよりも、どこか合成獣めいた不自然な匂いがする。普通は男か女、どちらか片方でちょうどバランスが良くできている。たとえば具材を盛り過ぎたピザは胸焼けをする。そいつの身体はそんな感じだった。
「あの落ちこぼれの兄貴は、よくお前みたいな気持ちの悪い怪獣と子供を作ったもんだよな。エッチしたんだろ。こうやって?」
 女の胸を掴んでやると、喉が反った。
「うぁ……」
 かすかに声が零れた。下腹には男性器も備わっている。見ていると意地の悪い気持ちが湧いてくる。男性器の先をつまんで、親指で強く擦ると勃ち上がってきた。意識が朦朧としているから、面白い反応は期待できそうにないと思っていたら、予想以上だ。
「やめ……」
 硬くなって、大きくなる。これを胎内に入れたら『龍可』と同じ顔をした怪物が作れる。考えるとまた気持ちが悪くなった。ブーツの甲で下から睾丸を蹴り上げると、雌雄同体の化物は痛みに悶えながらくぐもった悲鳴を上げた。
「ほんと、みじめな奴」
「……ヨハン……」
 カーレンは俯いて、せつない声でヨハンの名前を呼んだ。剥き出しになった男の太腿を伝って、女の体液が滴り落ちていく。薬に支配されて、夢と現実の境目が曖昧で、俺とヨハンを混在しているんだろう。同じ顔に勝手にヨハンの幻を見て、股を濡らして、涙を流している。
 ヨハンに抱かれた時もそうやって泣いたんだろう。よがって、喘いで、足を腰に絡めたかもしれない。女の半身はもう使用済みだ。形だけは人間に似ているそいつが、蜥蜴みたいに卵を産んでいる姿を想像すると、グロテスクで胸が悪くなった。


 俺や他の兄弟達は、そいつの事を自分自身よりも大切に想うように刷り込みをされて育った。そのことを知っている。身体だって人の道を外れた存在と子供を作れるように、普通の人間とは少しだけずれている。
 いつかこの地球の上に<破滅の光>が降り立って、宿敵の<優しき闇>との最終決戦が起こった時に、人類を滅びの運命から救う為に『優れた次世代の人間を生み出す』のが、俺達を造ったデュエル・アカデミア・アークティック校の目的だった。
 <破滅の光>と<優しき闇>は、どちらも人知を超えた計り知れない力だ。<破滅の光>は言わずもがな、<優しき闇>だって人類にとって<優しい>ものだとは限らない。人が滅びようがお構いなしで、また新しい生き物を生み出して優しく育むのかもしれない。
 だからまず俺達は選ばなければならなかった。<優しき闇>が人類にとって優しいものなのか、そうでないのか。
 <優しき闇>が人の守護者になり得るなら、俺達はその子孫を作って血を増やし、共に<破滅の光>と戦う。<優しき闇>が<完璧に造り上げられた女>を孕ませるか、<完璧に造り上げられた男>の子供を孕む。そうやって特別な存在を増やし、人類そのものを強化する。来るべき侵略者から地球を守るために、人は力を得て進化する。
 だけど反対に危険な存在なら、殺してその爪を剥いで牙を抜いて力に変え、人類は<破滅の光>の降臨に備える。人は人の知恵と力で破滅から繁栄を勝ち取ろうとする。
 俺達の<学校>と同じことを考えている組織は世界中に存在するけど、<優しき闇>の力を国益に利用しようとしたり、<破滅の光>に取り入ろうとしたり、やっている事は様々だし、個人から国家レベルまで規模の大小もばらばらだ。
 そんな中で、アークティック校の校長をやっているうちの親父は、日本の情報機関と協定を結んだ。
 協定の証明として親父は、宇宙から降り注ぐ電磁波がこの星に及ぼした影響を計測し、年単位で数値化した立体モデルを日本に贈った。世界的天才科学者アルベルト・ツバインシュタイン博士の手によるもので、価値は計り知れない。そのお返しに、日本からは長官の息子でありながら異能児の<十代>のデータを譲り受けた。
 親父は日本のやり方の問題点にも気付いていた。あちらは『異能児を探し出し、戦士として教育する』方針だ。見付けた異能児が<優しき闇>を統べる存在そのものだっていう可能性もある。そう指摘して、十数年後にその通りになった。


 親父は<優しき闇>に異常な程に執着していた。いつからそうだったのかは分からないけど、俺が生まれた時には既にそうなっていた。
 思えば、親父がカーレンの映像に向ける眼差しにも引っ掛かる所があった。慈愛に満ちていて、思い出のアルバムを眺めて懐かしむような目だ。少なくとも俺達は、厳格な親父にそんな優しい顔を向けてもらったことはなかった。
 いつか親父は日本の長官にこう提案した。
 『カーレンをしばらくうちに預けてみないか、ホームステイとして?』―― その時は、長官が悪魔憑きの息子を持て余していることを悟って、気を利かせたんだろうと思っていた。
 でもそうじゃない。親父はカーレンが<優しき闇>そのものだって、本当は最初に顔を見た時から気付いていたんじゃないだろうか。時々あの男は誰も知らない世界の成り立ち方について、全て理解しているんじゃないかと思ってしまう時がある。


 俺達兄弟はこの世界の為に親父に造られて、この世界に捧げられて死んでいく。
 十七番目の、頭が空っぽな<みにくいアヒルの子>は<白鳥>に食い殺された。
 十四番目の支配欲に溢れたゲルダと十五番目の依存症のカイは、兄弟の誰よりも出来が良いから、<雪の女王様>が歴史に現れるまで、大切に氷漬けにされて眠っていた。コールド・スリープっていうのは、俺も一度体験したことがあるけど、ろくなもんじゃない。目が覚めたばかりの頃は全身が痒くてしょうがなかった。
 十三番目、親父から臆病の気をもらった<口の利けないエリサ>。
 あいつは口が利けないだけじゃなくて、目も見えなかった。子供を産む能力も無かった。同じ試験管の中で育ったヨハンとは仲が良かったみたいだけど、<白鳥の王子様>が迎えに来てくれることを最期まで信じながら、精霊の実体化実験の最中に死んだ。
 十二番目、敵意に満ちた<貧しい絵かきのヨハン>ももういない。
 あいつは処分されても良いくらいの落ちこぼれだったが、馬鹿に強いデュエルの腕だけで生き残った。<月>という名前の憧れの存在への距離は、そのまま手が届かないことを思い知らせるための比喩だ。誰よりもカーレンを嫌っていたヨハンだったのに、今では子供なんて作っている。あいつも運命には抗えなかったんだと知って、何だか失望したような気持ちになった。
 他にも、博愛やら信頼やらの綺麗な感情を親父から受け継いだ子供達は、上手く育てずに、番号すら振られないうちに死んだ。みんな人類のために用意された生贄だ。<優しき闇>さえいなければこの世に生まれて来ることも無かったけど、その方が良かった。食われる為に生まれてきた豚や羊と同じだ。未来に希望なんて何もない。
 少なくとも俺は、死ぬまで親父の妄執から解放されることのない人生に嫌気が差していた。生まれてから一度も楽しいと思ったことはない。人を好きになったこともない。
 カーレンの顎を掴まえて、上向けて唇に噛みついてやった。初めてしたキスは血の味がして、鉄臭かった。
「今頃シティの奴ら、血眼になってお前を探してるよ。でも見つかるはずがない。お前はこのアークティック校の地下に封印されて、これから男にも女にも永遠に犯され続けて子供を産むだけの機械になるのさ。いい気味だぜ」
「アークティック校……ヨハンの……」
「本校に監禁する予定もあったんだけどな。お前の移送は危険だ。どこもネオ童実野シティとは事を構えたくないのさ」
「本校……鮫島校長は……」
「もちろん一枚噛んでる。ショックか? でも日本のお偉いさんが考えた封印計画よりは随分ぬるいぜ。あっちじゃ、お前を地球から追い出そうとしてるんだ。お前は地の底で人類が滅びるまで子作りさせられるか、宇宙の果てまでロケットに乗せて飛ばされるか、選べる未来はその二つなんだよ。もう戻れない」
 日本にいる熊みたいな国防長官の姿を思い浮かべた。カーレンの実の父親だ。子供の頃、たまに寄宿舎を訪れては甘いお菓子をくれた。その度に、その男の人の子供のことが羨ましくなった。
 カーレンにはちゃんとした父親がいた。毎日好きなだけお菓子を食べて、普通の子供と一緒に学校へ行って勉強をしている。優しい母親もいる。
 両親はたまにしか家に帰って来なくて、カーレンはいつもひとりぼっちで寂しい思いをしている。だけどいるだけ大違いだ。俺達の両親は試験管だった。
「オレは……まだ足を……止めるわけには……」
 カーレンが言った。
 傲慢だ。親父から傲慢な性格を受け継いだ俺よりも傲慢だ。二十九年間も面白おかしく暮らせたんだから、殺されたとしても、何の文句があるっていうんだ?
 今まで生かしてもらえたことや、恵まれた子供時代を与えて、楽しい未来の夢を見せてくれた両親に感謝をするべきだ。

 * * * * *

 ずっと前に龍亞が、捕まえたかぶと虫を虫篭に入れていた時のことを思い出した。あのかぶと虫の気持ちが、精霊捕獲用のカプセルの中に閉じ込められている今の私には分かる気がした。窮屈な思いをして、珍しそうに眺められて、良いことなんかひとつもない。今度龍亞が目を覚ましたら、私は『おはよう』の後に、虫篭の中に虫を閉じ込めるなんてすごくひどいことだって注意してあげようと思う。
 ガラスを一枚隔てた外では、私と同じくらいの年頃の男の子と女の子が、向かい合ってデッキの見せ合いをしていた。さっきまでは泣いている私を珍しそうに見ていたけど、もう飽きて、パパと同じ顔をした女の人が持ち去ってしまったネックレスの話をしている。
「キラキラしててすごく綺麗だったな、あれ。羨ましいな。僕も欲しかったよ」
「うん。まったくあいつは妹の癖に、ちょっと先に歳を取ったからってさ、いつも何でもかんでも一人占めしちゃうんだよね」
「デュエルは僕らが一番強いのにさ」
「ねぇ?」
 二人は私と龍亞みたいに、そっくり同じ顔をしていた。双子だと思う。エメラルド色の髪で、目の色こそ違ったけれど、私達やパパによく似ていた。
「ママは無事なの?」
 尋ねると双子は同じ動作で顔を上げて、私の方を見た。
「喋った」
「喋ったね」
「そりゃ無事だよ。君のママはこれから僕達の子供を産むんだ」
「子供を産んで、産ませるだけの道具になるんだ。ずっとね」
「そんなのダメ、私のママを傷付けたら許さない!」
 透明な壁を叩いて、私は叫んだ。早くママを助けてあげないと大変なことになる。今頃怖くて泣いているかもしれない。二人の子供は私の方を見て、動物園へ遠足にやってきた子供みたいに目を輝かせていた。
「ねぇ、龍可だっけ? 君みたいに魂を0と1に置き換えられるって、どんな気持ちがするんだろう?」
「飛ぼうと思えば空だって飛べるんだよね、龍可は。ちょっと羨ましいかな」
「でも嫌な感じだよ。だって君ったら、僕らのカーレンにあんなに大事にされてるんだもの。ひとり占めだ」
「カーレンは僕達の<雪の女王様>なのにね。君を元のメモリーチップの姿に戻したら、あの人はどうするだろう。泣くかな? 怒るかな?」
 双子はお揃いの面白がるような顔をして、捕獲装置のボタンを押した。カプセルが動き出して、中にいる私ごと遠心分離フィールドの中に沈んでいく。
「やめて……」
 大きな洗濯機に入れられて、泡と渦の中へ巻き込まれていくような感覚の後で、透明な身体をばらばらにされて、私が消えていくような気がした。存在があやふやになっていく。


 気が付くと私は光の中にいて、大きな門の前に立っていた。
―― 龍可」
 門の前で、綺麗な形の手が私の頭を撫でてくれた。優しい声が私の名前を呼んでくれた。見上げると、その人は男の人でも女の人でもなくて、実体があるけれど幻でもあって、すごく懐かしいけれど全然知らない人でもあった。かがんで抱き締められると、チョコレート色の髪は私が使っているのと同じシャンプーの匂いがした。
 その人が差し出したデッキを手に取った時、ふと私は思い出した。この人が、一体誰なのかっていうこと。
 私はこの人に呪われて、おかしな白髪頭になったんだった。パパと龍亞と私はママから引き離されてしまった。この人はママが欲しくて仕方が無くて、運命のカードのテキストを書き換えた。難しい言葉で言うと、『選択肢の抹殺』、『因果律の改変』。こんな感じ。ママが助けを求めるように、この人を望むように。
 そうして、この人はママに求められて、ママの中に入ってママになった。カマキリのお腹に寄生するハリガネムシみたいに。
 ハリガネムシは、充分に成長して時が来れば、宿主のカマキリを水辺に誘い出して自殺させるって本で読んだことがある。本当にそんな感じだ。ママのお腹の中に取り付いた寄生虫。でも人間や精霊達みんなには、<神様>って呼ばれてる。
 私はこれが大嫌いだ。



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