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 森は焼け、人の手が造り上げたものはあらかた破壊し尽くされていた。風が氷の粒を運ぶ音だけが寂しく聞こえてきた。廃墟に変わり果てたデュエル・アカデミア・アークティック校の死んだような静寂の中で、その人は凍て付いた大地を裸足で踏み締めていた。
 十代は、焼け残ったカーテンを一枚だけ素肌に纏い、ほぼ裸に近い格好だった。胸に眠り込んだ娘の龍可を抱いている。片方の手を見慣れない子供と繋いでいた。
 迎えの車を瓦礫の山に乗り付けると、十代はすぐに子供達と一緒に後部座席に乗り込んできた。さすがに寒さが骨身に染みた様子だった。暖房を強めてやると、人心地がついたように溜息を吐いている。
「なんて格好です。大丈夫ですか、十代先輩」
 雪が降る中で、正気の沙汰だとは思えない格好は、正直を言って目のやり場に困った。十代は運転席にまで身を乗り出してきて、面白がるような顔でいる。
「なーに赤くなってんだ」
「あ、いや」
「大悟ちゃーん?」
 この人にはいつまで経っても頭が上がらない。顔が近寄ると血の匂いがした。
 十代が連れてきた子供は、柔らかい毛質のエメラルド色の髪と、人形のように整った顔立ちをした少年で、ヨハン・アンデルセンにそっくりだった。歳は龍可とそう変わらない程だろう。
「その子は?」
「かわいーだろ。オレの息子」
 十代が当たり前のように言った。
「……連れて帰るんですか?」
 少年は妙におどおどしている。くすんだ銀色の目には光がなく、まるで悪魔に心を食われてしまったかのようだった。窓の外に広がっている、頭を潰された死骸が折り重なっている景色を一瞥して、一体何が起こったのかを想像するのは簡単だった。怪獣に睨まれたのなら、この脅えようも無理のないことなのかもしれない。それ以上の詮索は止した。
「十代先輩は気まぐれだから。名前は何て言うんです?」
 少年の方はどう見ても口がきける状態では無かったから、十代に尋ねると首を傾げている。
「名前。そうだな、えっと……」
 虹彩異色症の眼が、腹を減らした蛇のように少年を覗き込んだ。美しい怪獣と間近で向き合って、あどけない顔が引き攣るように歪み、笑顔にも見える表情を作る。これはストックホルム症候群だろう。敵意よりも好意をカードに使うのは、確かにこの遊城十代に対しては賢い判断だと思えた。
「<青>だ。頭が青いから。遊城青」
 十代が、良い思い付きだというふうに手を打った。
 細かい雪が舞い上げられて、フロントガラスを柔らかく叩いている。秋は完全に終わりを告げ、長い冬が始まろうとしていた。

 * * * * *

 昨晩夜なべをして作った赤い服は、手作りのお面を被って寝ている十代を見る限り、満足がいく出来だった。十代の衣装作りは空野の趣味のようなものだ。雌雄同体の十代が、身体に合わないスーツを苦しそうに着ている姿を見たのが始まりだったと思う。我ながらできた後輩だと、空野は自分を誉めてやりたい気持ちになった。
 やはり十代には赤が似合う。これは警戒色だ。毒を持った危険な動物は鮮やかな体色をしている。派手な衣装は社員の間でも少々浮いていて、十代が<赤い悪魔>と呼ばれる所以にもなっている。
 日本へ向かう国際線のファーストクラスは、ちょっとしたバーのような造りで、がらがらに空いていた。壁に掛かっているテレビは日本のアイドルのトーク番組を映していた。それを龍可が、テレビの前の席に着いて熱心に見上げている。この少女は両親譲りのミーハーだった。
『ボク、難しい恋ばかりしちゃう癖があるんですよねー』
 モニターの中の早乙女レイが笑顔で言った。アイドルのブッキーにプロデュースされて、瞬く間に国民的アイドルに昇り詰めた彼女もまた、アカデミア本校の卒業生だ。十代や空野の後輩にあたる。
『圧倒的で、絶対的で―― 普通の女の子のままじゃ振り向いてもくれなさそうなヒトを好きになっちゃうから、ボクはそのヒトを追い駆けてずっと走っていけるんです。立ち止まらずにいられるんです。ボクの心の支えです。恋は、報われないことも含めて、ボクの人生のすべてだって思ってる。恋をしているうちは誰よりも綺麗でいられるから』
 他人事ながら、恋をしたせいで高潔だった魂が血と泥と心の闇で薄汚れてしまった十代には、とてつもない皮肉だと思える。起きていたら苦笑いでもしただろう。
 剣山から聞いた話では、レイは幼い頃から十代に恋をしていたそうだ。そのことは少し前に、『十年越しの片想い! 国民的アイドルの恋のお相手は、人妻子持ちのふたなり娘』というタイトルで週刊誌に掲載されてもいた。『人妻』なのに『娘』というのが引っ掛かったことを覚えている。
 十代が熱狂的なレイのファンの恨みを買って、下手をすれば命を狙われかねないと心配をしていたら、『人妻』で『ふたなり娘』の辺りが好意的に受け入れられたようで、ネット上の掲示板でも『むしろ良し』という書き込みが多く見られた。ファン心理というものは複雑だ。
『初恋のヒトにふられちゃったのは小学校五年生の時。次に好きになったヒトも、随分前に他の人と結婚しちゃったんだけど……』
 レイが、画面の外へ向かって悪戯っぽくウィンクをした。
『ねぇ、見てる? 十代サマ! 私、不倫でもいいんですけど!』
「じゅうだい?」
 龍可が首を傾げて、椅子の上で手足を投げ出していびきをかいている母親へ目をやった。だらしのない寝相を見て、龍可の『もしかして』という表情が『まさかね』に変化する。
「……よくある名前だしね。ママがトップアイドルのレイちゃんに相手にしてもらえるはずないか」
 しばらく不思議そうな顔で母親を見つめていたが、ふと「初恋のヒト」と、レイの口真似をした。
「ねぇ、空野さん」
「はい、何ですか。龍可ちゃん」
「私、ママに恋してるかも」
 思わず口に含んでいたコーヒーを盛大に吹き出してしまった。龍可を見ると、面白がるような表情をしている。
「冗談よ」
 オレンジとグリーンの双眸をちぐはぐに眇めて、龍可が言った。やはりこの少女は十代の娘なのだと実感してしまった。
 将来が心配だ。
 ミスター・ビーンズマンは煙草臭いとエコノミー席へ追いやられ、影丸は先程まで水槽の持ち運び方の乱暴さについて文句を言っていたが、今は十代の膝掛けの上で居眠りをしている。青と名付けられた子供は、まだ緊張が見えたが、初めて乗った飛行機に興味を持ったらしい。ぽっかりと口を開けて窓の外を見ている。
 龍可はレイの出演番組が終わると、テレビには興味を無くしてしまって、青と頭を並べて窓から外の景色を見ていた。幼いながら、疲れて眠っている母親を起こさないように気を遣っている。
 常に破天荒な十代も、眠っていれば静かで無害な生き物だった。この人は派手な格好や言動も相俟って、アメリカ支社へ出向していることになっている夫がいない間、欲求不満から誰とでも寝る女狐だというあらぬ噂を立てられている。
 そんな訳がない。十代が、どんなに難攻不落で鉄壁の城なのかということを、空野はきちんと知っている。確かに十代は無防備にも程がある。それなのにどうしても手が出せない。そんな人だった。
 十代のいびきは、いつのまにか止んでいた。膝の上に投げ出されている白い指が、時折痙攣するように震えている。夢を見ているようだ。
 お面の下に覗いている細い顎を伝って、透明な滴が流れ落ちた。
「……パパ」
 舌足らずで、あどけない寝言が零れた。普段の十代からは想像もつかないくらいに弱々しい囁き声は、お面のせいで篭っていて、かすかに涙が混じっていた。どれだけ人の道を踏み外そうと、この人も一応は人の子なのだ。かつて、十代が『父さん』を『パパ』と呼んでいた子供の頃の夢を見ているのだろう。
 社内に保管されているデータで知った十代の幼少期は、実に醜く歪んでいてひどいものだった。だからこそ、こんなふうに規格外な大人が出来あがった。
 何年も前に、穏やかで幸せな家庭の中にいる十代を遠くから眺めていた頃は、十代にとってのヨハン・アンデルセンは、運命の恋人や理想の夫のようなものなのだと思っていた。
 しかし、それは間違いだ。十代はそんなものを誰にも望んでいない。
 十代が欲しがっていたのは、悲しい夢を見て目が覚めた時に、涙を拭って、頭を撫でて、抱き締めて安心させてくれる存在だ。この人はそんな人間を、おそらく幼い子供の頃からずっと求めていた。
 自分にはできないことだと空野は思った。十代に触れることすらできない。


 日本の領空に入った辺りで、西側の窓から影が差した。数百人の乗客を乗せたボーイング機の傍を、全面を黒く塗られた小型の戦闘機が、優美な曲線を描いた腹を見せて通り過ぎた。
「すごいな。漆黒の<D−3>じゃないですか」
 カナード付きのエンテ型だ。映画で見たことがある。龍可が空野を見上げて首を傾げた。
「あの飛行機もママの会社で造ったの?」
「いいえ、うちの製品じゃありませんよ。<ドッグファイト・デュエル>試作機、夢の空飛ぶD・ホイールです。でも空を飛びながらデュエルを行うにはまだまだ安全面に問題がある上に、何よりコストが掛かり過ぎる」
「コスト?」
 今まで黙ったままだった青も、龍可の隣で物珍しそうに瞬きをしている。少年という生き物は、ごく当たり前のように乗り物が好きだ。特に空を飛ぶものは夢があっていい。空野も子供の頃はそうだった。人差し指を立てて、二人の子供に丁寧に説明をしてやった。
「つまり大金をはたいて手に入れても、デュエルをする相手が見つからないという悲しい存在です。あんなの博物館にしかないと思ってました」
「ふうん」
「へぇ……」
 戦闘機は華麗に旋回すると、ガトリング式の機関砲でジェット機のエンジンを狙い撃ちにした。巨大な銀の翼に取り付けられた四基のエンジンのうち、一基が火を吐いて停止する。機体が強く揺れ、窓の外には不吉な黒煙が吹き上がった。
 黒い機影は急激に加速した。上昇し、姿が消える。雲の上に影は落ちていない。こちらの真上に付いている。
 漆黒の<D−3>に関しては、以前デュエル・マガジンの誌上で、次世代デュエルマシンとして特集されていた記事を読んだことがある。材質はD・ホイールと同じ金属で出来ていた。エンジンは旧型のターボファンが搭載されている。軍のトップが道楽を兼ねて演習用に揃えているシリーズだ。本国空軍の所有機には、シティが利権を独占しているモーメントが使われていない。
「ああ、龍可ちゃん、すみません。お母さんを起こしてもらえませんか?」
「うん」
 十代は一度眠ると、社内ミーティングの予定が入ろうが、急な来客があろうが、寝飽きるまでは絶対に起きない。安眠の邪魔をしようとする者には容赦をしない。ただ、娘だけは特別だ。
「ママ? 起きて」
「……るかぁ?」
 一声で目を覚まし、龍可の頭を抱いて、鳥肌が立つくらいに優しい声で「おはよう」と言った。
「どうした、龍可?」
「危ないから、シートベルトちゃんと締めなきゃ」
 娘も娘で、暢気なことを言う。
「ママ、顎濡れてる。よだれ?」
「へ? あ、ああ。空野、わりー。タオル」
 バーカウンターに備え付けてあったおしぼりを持って来ると、十代は自分で作ったお面で顔を隠しながら、後ろを向いて顔を拭いている。耳が少し赤くなっていた。
「普通逆なんだがなあ」
「んぁ?」
「あ、いえいえ」
 普通の人間は、泣き顔よりも涎を垂らしている姿の方が余程恥ずかしいと思うのだが、そこはさすがに十代だ。感性が一般人とは違うのだろう。お面を上げると、もういつも通りのふてぶてしい顔つきだった。
「お客さんか」
「はい。上司の食事を僕が台無しにしちゃいけないなと思いまして」
「出来た部下だよお前は。子供達を頼んだ」
 腕にデュエル・ディスクを装着しながら、十代が言った。

 * * * * *

 夢見が悪かった。悪夢を見ることには慣れきっていたが、龍可が傍に帰ってきてからは一度も無かった。なんだか嫌な感じだ。
 景気付けに、歌でも唄いながら機外に出た。<Wake Up Your Heart>、いつかのデュエル世界大会の公式イメージ・ソングだ。独自の振り付けを混じえてくるくると踊っていると、ようやく身体が温まってきた。高度一万メートルの上空は空気が薄く、とてつもなく寒い。アークティック校で全裸にされて磔になっていた方が随分ましだった。気圧が低く、深海魚の気分になる。
「なんか、調子出ないんだよなぁ」
 重く感じる下腹を撫でて、溜息を吐く。
「生理来たかなぁ……」
 強烈な向かい風を受けながら旅客機胴体の外板に立つと、すぐ頭上を真っ黒の戦闘機が轟音を立てて通り過ぎていった。

 * * * * *

 次世代<ドッグファイト・デュエル>の模索の為に、試験的に製造された<D−3>で構成された空軍のマーベリック隊は、仲間内でもトップガン・マニアの長官の道楽と馬鹿にされている。だが、もしもデュエル・モンスターズのカードが実体化するような環境が存在すれば、話は違ってくる。
 破壊されてもなお蘇るモンスター達、強力な魔法カードに狡猾な罠カード。それらが現実世界にカード一枚で現れるとしたら、無敵を誇る理想の兵器となる。
『チャーリーよりマーベリックへ。目標を確認』
 レーダーが捕捉した通り、厚い雲の上を飛ぶ大型の旅客機が見えた。胴体の上に赤いシルエットが現れた。まるで毒を持ったひきがえるのように、派手な色だ。ジャンボ・ジェット機と比べると蟻のように小さいが、奇天烈な衣装のおかげで目を引く。すれ違い際に不思議な輝きを放つオレンジ色の瞳と視線が合った。
 旅客機の乗客を道連れにしても、隊員の命と引き換えにしても、<KC−NEX>の遊城十代というその人間を、決して本土へ上陸させるなという指令を受けた。
『マーベリック号だ。いやに可愛らしい娘じゃないか。まだ歳は十代ってとこだろう。聞いていた名前の通りにな。今日のデートの相手は主婦だって聞いたぞ』
『私は美青年だと聞いた。確かにいい男だ。死なせるには惜しい』
『男? 女だろう。いい女だが若過ぎるな。あと五年もしたら食い頃になるだろうが、残念だ』
 危なっかしくジャンボ・ジェットの上に立つ娘は、世界を終わりへ導く滅びの竜だという。普段なら悪い冗談だと思う所だが、基地を出る前に『見た目に騙されるな』と強く釘を刺されたことを覚えている。確かに見た目に関しては、修学旅行中の女子高生だと紹介された方が納得がいく姿をしていた。
 機銃掃射を受けて、被弾した赤いドレスの肩から血が吹き出した。赤い血だ。やはり普通の人間と変わりがない。この十代がどれだけ危険な存在なのかは知らないが、後味の悪い任務になりそうだった。
 十代は表情を変えずに首を傾げている。まるで痛みを感じていないように。

 * * * * *

 何も聞こえない。違和感の正体に、十代はようやく思い当たった。無音だ。あの頭がおかしくなりそうな位に大きな悲鳴も叫び声も聞こえない。心の闇が見えない。人の常識の外へ足を踏み出す以前へ戻ったような感覚だ。
「何か小細工があるな」
 戦闘機そのものに仕掛けがあるのか、特殊な機材でも積んでいるのか。どちらかは知れないが、人間の悪意に対するジャミングを備えている兵器など、人や国家を相手に戦うためのものじゃない。
 完全に対ユベル戦を想定し、かつ第二形態以上の巨躯を相手に闘えるように造られている。
 巨大怪獣を相手にデュエルができる戦闘機など、<世界の敵>を深く理解し、危険を認識していない多くの者にとっては、道楽にしか映らなかったはずだ。<これ>は自分の為に造られたのだ。そう思うと、今までずっと忘れていた、子供の頃に大切にしていた玩具箱の中身のことを思い出した。
 あの沢山の玩具はどうなったのだろう。まだ押し入れの中に大切に仕舞い込まれているのだろうか。それとも、もう棄てられてしまったのだろうか。
「面白いぜ。だけどこのオレに通用するなんて思うなよ」
 ガトリング砲を撃ち込んできた機体が旋回し、上昇しながら空中で分解した。実体化した<レアル・ジェネクス・ターボ>が蒸気を吹き上げながら、引き千切ったエンジンの残骸を抱えて、十代の背後へ降り立った。
 十代は、モンスター・カードを指先でくるくると回しながら唇の端を引き上げた。
「警戒してるのは<ナイトメア・ペイン>だけか? オレは攻める方が性に合ってるんだけどな」
 雲の中から新たな機体が飛び出してきた。姿を見せると同時に、通常兵装が内部へ引っ込み、デュエル・モードへ移行する。搭載された<コズミック・クローザー>が上部へ迫り出した。黒い腹部のスリットが開き、中から<サイクルリーダー>の群れがばらばらと落下してくる。ジャンボ・ジェットの外板にしがみつくと、口部分からレーザーを放って、合金製の表面を溶かして啜り始めた。この巨大な鋼鉄のダニを蹴っ飛ばして雲の下に落としながら、十代はデッキからカードをドローする。
「チューナー・モンスター、<アーリー・ジェネクス・バードマン>を召喚」
 古びたブリキの鳥がカードの中から飛び出し、赤い上着の胸に収まってけたたましく喚いた。ちょうど腕に抱けるほどの大きさで、可愛らしい姿をしてはいるが、目付きを見るとやる気は充分のようだ。
『融合じゃないのか!?』
 上空から見下ろしてくる戦闘機乗りが、驚いたような顔をしているのが、馬鹿に視力が良い十代の目に映った。
「悪いが融合は使えない」
 ぬいぐるみのように抱いたバードマンのくちばしを撫でながら、十代は肩を竦めた。『使わない』じゃない。『使えない』。まだその時じゃない。そんなことよりも、今は憧れの<すごい技>の方が重要だ。楽しんだ方がいい。
「さて、行くぜ。レベル四の<レアル・ジェネクス・ターボ>とレベル一<ハネクリボー>に、レベル三、<アーリー・ジェネクス・バードマン>をチューニング」
 手のひらを上向けて、バードマンを押し上げるように宙へ放った。
「宇宙を包みし闇、今永遠の命と交わる。 ―― シンクロ召喚!」
 重なる光輪の向こうへと、感応し合ったモンスター達が集い、巨大な光球へと姿を変えていく。
「鋼誕せよ、<レアル・ジェネクス・ヴィンディカイト>!」
 高高度の空へ、深緑色の翼を持った戦闘機が飛翔した。頭部に有機的な印象があり、そのせいで空を飛ぶために進化したかまきりのように見える。力強くエンジンを燃やし、超音速で<コズミック・クローザー>を打ち砕いて、敵機を撃墜した。
『奴がシンクロを使うなんて聞いてないぞ!』
 雲の表面には、水中の大魚のような影がいくつか浮かび上がっている。まだ諦めてはくれないらしい。程なく前方に一機、後方に広がるようにして二機が、薄い雲の膜を突き破って、こちらを挟み込む形で現れた。
「なんでまだ向かってくるんだよ……。ほっといてくれたらもう殺さずに済むのに」
 十代は、溜息を吐いてぼやいた。
『十代を生かしてシティへ帰すわけにはいかない。分かるな』
『勿論だ。あの方の信頼を裏切ることになる』
 前方に見える一機が再び雲の海の下へ潜り、ジャンボ・ジェット機の尾翼の後ろへ現れる。入れ替わるようにして、左後方についていた一機が急上昇した。反射的に、太陽を遮る影を目を眇めて見上げた瞬間、雲の中から赤紫色をした無数の蛸の足のようなものが伸びてきた。
 <エネミー・キャッチャー>の腕だ。四肢を絡め取られた上に尻を撫でられて、思わず背筋に寒気がはしった。
「このっ……どこ触ってんだ! スケベ触手!」
 無機質なアイセンサーに向かって罵声を上げる。十代の自由を奪ったことを確認すると、後方に回った<アンリミッター>付きの戦闘機が、今しがた上昇し、こちらの足場のちょうど真上に浮かんでいる<コズミック・クローザー>を乗せた仲間の機体を撃ち抜いた。
 鋼鉄の塊が、炎と黒煙を吹き上げながら落下してくる。
「<ヴィンディカイト>!」
 <ヴィンディカイト>が、墜ちてくる戦闘機の軌道を逸らそうと体当たりをする。直撃は免れたものの、ジャンボ・ジェットの片側の主翼が根元から折れた。翼はリブと外板の欠片を撒き散らしながら、壊れた戦闘機と、巻き添えを食らった<ヴィンディカイト>と共に、もつれ合いながら雲の中へ消えていった。
 足場が大きく傾いたせいで、十代は鉄の胴体の上に投げ出されて膝をついた。息もできない程の強風が、ディスクに差し込んだデッキのカードを次々と吹き飛ばしていく。
「あー!」
 慌てて腕を伸ばしたが、捕まえ損なったカードが空へ巻き上げられていく。十代は、がっくりと肩を落とした。
「味方を撃っただけじゃなくて、オレが有休を潰して組んだデッキを台無しにするなんて。血も涙もない奴らだな」
「君が言うと誉め言葉にしか聞こえないな」
 ゆっくりとした老人の声が聞こえた。振り返ると影丸が、首が入った水槽をミスター・ジェリー・ビーンズマンに抱えさせて、見物にやってきていた。
「じーさん」
「暇そうにしている若者がいたものだから、特等席で君の力を見に来たわけだ」
「さっさとやっちまえ、化物! こんな空の上でお前みたいな未確認生物と心中なんざ俺はごめんだ」
 『暇そうにしている若者』と評されたジェリーは、首を十代に投げ付けて怒鳴っている。
「ふむ。デッキが空のようだが、十代君」
 影丸が十代のデュエル・ディスクを眺めて言った。幸い大切なカードは墓地へ送っていたおかげで無事だ。だがデュエルの続行は難しい。
「じーさん、古狸だってよく言われるだろ」
 呆れた心地で、十代はぼやいた。影丸の首は涼しい顔をしているが、何を求めてやってきたのかは分かるつもりだった。
「なに、たまには生徒の我侭を聞いてやっても良いと思ったのだが」
「よく言うぜ」
 苦笑いをして、水槽の外蓋の留め金を外した。そして、久し振りに金魚鉢から解放された生首の額に悪魔のくちづけを落とした。
 
 * * * * *

 雲を抜けると、突然現れた巨躯の男が旅客機の外板の上に立っていた。黒々とした長い髪をはためかせ、顔つきは野性味を帯びていて、獅子を思わせた。両拳が握り締められると、はっきりと浮き出た血管を熱い血が伝う様が見えた気がした。鍛え抜かれた筋肉が盛り上がる。
 十代が召喚したモンスターだろうか。その姿を、どこかで見たことがあるような気がした。記憶を辿って、思い当たると愕然とする。
 その大男を、歴史の教科書で見たことがある。若かりし頃の影丸だ。しかしあの老人は百歳をゆうに超えているはずだし、遊城十代によって暗殺されたと聞いている。
 男は、肩の上に止まり木をする小鳥のように、赤いドレスの娘を乗せていた。デュエル・アカデミア至上最大の俗物と評された彼自身を殺したとされる十代を、まるで伴侶のように扱っている。その姿を見ていると、ある想像が浮かんだ。
 影丸は、晩年は不老不死の妄想に取り憑かれ、数多くの非道な実験に手を染めた男だ。もしも若返りの秘法と引き換えに魂を売ることを十代に持ち掛けられたとしたら―― 三十路に近いというのに、十代の小娘の風貌を持った遊城十代だ。さぞ真実味があっただろう―― その時影丸が悪魔の囁きに耳を貸さなかったはずがない。
 この生命力に満ち溢れた男は、若返った影丸本人だ。
「この力……漲る。久方ぶりに漲るぞ!」
 獣が歓喜に吼えた。足場から無造作に引き抜いた鋼鉄のワイヤーを、槍投げのように投げた。それは正確に仲間の戦闘機の主翼へ突き刺さり、翼をもがれた胴体部分が螺旋を描いて投げ出された。
 墜ちてゆく機体の腹へ、影丸が闘気と共に拳を突き刺した。早贄にされた蛙のような格好で、破壊された鉄塊が持ち上げられていく。
「……化物ばっかりだ」
 白けたような目付きの男が、そう吐き棄てると機内へ頭を引っ込めた。十代が仰向けに反り返った格好で、感心したふうに口笛を吹いている。
「すげーなじーさん。ネオス並の腕力」
「今の俺は醜く老いさらばえた年寄りではない。<じーさん>はやめろ。女狐が」
 忌々しそうに、野獣が歯を剥き出しにして凄んだ。十代は気にするでもなく肩を竦めている。影丸は抱えた戦闘機を振り被り、投擲した。信じられないことだ。人間業ではありえない。
「この地上の神となりうる力。思い知るがいい!」
 デュエル・モードを備えた戦闘機でも、生身の人間に正面から同サイズの機体を投げ付けられる事態は想定していない。避けようがない。
 隊長機に、スクラップの大きな影が直撃した。

 * * * * *

 翼をもがれたジャンボ・ジェット機は、急速に高度を落とし始めた。エンジンが発火し、火花と煙を撒き散らしている。墜落していく心許無い感覚の中で、飛来する銀色の巨人と光輪を背負った怪鳥を見た。
「……ネオス」
 おそらく、娘の龍可が召喚したかつてのエース・モンスターに、十代は背中を向けて、影丸の後ろに隠れている。
 ネオスは少しの間、黙って十代の方を見つめていた。やがてホルスと共に機体の腹に取り付き、旅客機を押し上げて落下速度を緩めている。赤く染まった夕日が、雲の上に黒い機影を落としていた。
「ごめんな」
 十代が呟いた。声は、柄にもなく罪悪感を孕んでいる。この人知を超えた性悪の女狐は、いつもふてぶてしい顔で生意気な口ばかり利く癖に、何よりも信頼していたはずの正義の味方に脅えている。
「つまらん畏れだ」
 十代は、拗ねるように俯いた。焦茶色の頭が傾いた。
「じーさんにだって、怖いものくらいあるだろ」
 機体は雲海に潜った。濁った視界が再び開けると、眼下には一面の海が広がっていた。小波が白い糸屑のように、現れては消えていく。黒ずんだ海面が夕日を反射して橙色に輝いている。
「ふん。精霊を操り永遠の命を持つ貴様の力があれば、俺に怖いものはない。十代。我が身に永遠の若さを授けるがいい。俺の手を取り共に歩け。そうすれば、この圧倒的な力で貴様のくだらん感傷を消し去ってやろう」
「じーさんに口説かれるなんてな。冗談だと思ってた」
 十代は意外そうに虹彩異色症の目を瞬きさせた。
 久し振りに、欲しいものができた。
 この悪魔は、かつて影丸が求めてやまなかった三幻魔をすら従える。人の概念や理解を鼻で笑い飛ばして、どこまでも駆けていく。
 とても人に似ている。しかし人はどれだけ長く生きてもこの怪物には届かない。影丸が、そんな存在になりたいと野望を抱いた姿だ。理想だ。
「俺は貴様が欲しい。俺が探し求めていた最強のカードとして……そして、一人の女としてもだ。煉獄の山頂でダンテを迎えた永遠の淑女よ。この俺こそが、最高位のモンスターとしての貴様を支配するに相応しい存在なのだ」
 十代は哀しそうに目を伏せた。赤い靴の爪先が、足元に意味の無い図形を描く。
「神様になりたいって奴、じーさんの他にも何人も見たよ。みんなそうやって特別な存在になりたがるけど、そんなに良いもんじゃないぜ。永遠にひとりぼっちなんてさ……」
 俯き、とても尊くて壊れやすいもののように、その名を口にする。
「オレはヨハンみたいな優しい人間になりたかった」
 静かに祈りを捧げるような姿は、世界を敵に回した悪魔の癖に、まるで祝福の光を浴びた神の使徒のようだった。
 妙な子供だ。三幻魔をも従える力を持ちながら、十代はヨハン・アンデルセンという脆弱な人間を、ただひとりの神のように崇拝している。
 遊城十代は、全てにおいてちぐはぐな存在だった。人であって人ではない。怪物であって怪物にはなりきれない。互い違いの悪魔の眼を持ち、男でもあり、女でもあり、そのどちらの性の匂いもしないが、どちらの性をも妖艶に惹き付ける。大人だが子供の心を忘れず、人心を乱し、安定させる。人類を救い、人を食い殺す。愛され、怖れられる。何にでも変わる可能性を持っているが、譲らない魂も持っている。
 不定形な闇そのものだ。
 おそらく、そういうものを人間は、畏れを込めて神と呼んでいる。
「人を崇める神か。何という滑稽。道化。矛盾。だからこそ貴様は――
 美しいままで成長を止め、永遠に十代の命を生きる運命になった横顔に触れ、生まれて初めて頭を垂れたいと思った。
「お前は、こんなにも美しいのか」
 十代が、顔を上げた。
 おかしな冗談を聞いたという表情だ。目を細めて狐のように笑う。
「どんな奴でも恋をすると綺麗になるって、昔レイが言ってた。なら今のオレは綺麗なのかなァ。オレの手、両方ともこんなに血で汚れちまってるんだけど」
 海面が近付いてくる。着水の衝撃で水飛沫が上がった。白い霧が生まれ、傍でイルカの群れが跳ねるのが見えた。
「きたねぇ……へへっ、なまぐせー、みっともねぇ―― 馬鹿みたいだ」
 十代が言った。

 * * * * *

 旅客機の乗客は、破損した機体を海中からモンスターが押し上げている光景に初めのうちは驚いていたが、やがて恐る恐る自前のデッキからモンスターを召喚し、愛着を持ったカードが実体化した姿を見ると、歓声を上げて喜んでいる。暢気なものだと思ったが、最初は空野自身もそうだった。
「海馬コーポレーションのゲームがあれば、非力なオレが実体化したモンスターを操って戦闘機とだって戦える! <デビルバスター>! デュエルモンスターズのカードも使えるぞぉ! みんな安全な製品版が出たら買ってくれよなー!」
 外板の上に立って、十代が客室から上がってきた乗客達に向かって、愛想良く手を振り、笑顔で叫んでいる。空野は感心した。
「この場で企画書段階のゲームの販促をするなんて、やっぱり目の付け所が違いますね、あの人は」
「戦闘機と喧嘩ができて、安全なものに仕上がるわけがないだろうが」
 隣で、ひねくれ者のミスターが言った。
 先程まで暴れ回っていた影丸は、はしゃぎ疲れて元の姿に戻ってしまったようだ。十代が何気ない仕草で、人の目に触れないように、首入りの水槽を鞄の中に突っ込んだ。
「どなたか、この中に水属性デッキを持ったデュエリストの方はいらっしゃいませんか……!」
「デュエリストだが、火属性のデッキなんだよ。ここじゃ役に立ちそうにないな」
「私は機械族なんですけど。水に濡れたらショートしちゃいそうだから、実体化させちゃ駄目ですよね……やっぱり」
 墜落のショックもあっただろうが、サイコ・デュエリストのようにカードを実体化させられることに、機上は大賑わいだ。<お注射天使リリー>に抱きついて、感極まって泣き出す者もいる。
 上層部へ企画をアピールするには良い機会になりそうだ。ただしこの場にいる人間が、無事に本土へ帰り着くことができれば。
「モンスターを実体化させられるなんて、本当に神様みたいな力じゃのう」
「ありがたや、ありがたや」
 『カードの絵柄を実体化させる<デビルバスター>というゲームを開発中』ということになった海馬コーポレーション社員の空野は、十代と一緒に老人に拝まれた。無茶な誤魔化し方をした上司は「いやぁ、あははは」と照れたように笑っている。自身の精霊実体化能力を人間にひけらかすことを嫌う十代だから、内心は知れない。ただ複雑でもあり単純でもある性格をしているから、誉められて悪い気はしていないのかもしれない。
 和やかに漂流する墜落機の元へ、やがて蜃気楼のようにぼやけた影が向かってきた。
「救助の船だ!」
 誰かが叫んだ。灰色をした巨大な護衛艦のシルエットがはっきりと見て取れるようになると、また驚きの声が上がった。軍艦が迎えに来るとは誰も考えていなかっただろう。機内に持ち込んでいたカメラで写真を撮っている者もいる。
「でけぇ」
 十代が観光地を巡る修学旅行生のように、口を開けて顎を上げている。艦が海上を漂う旅客機の残骸の横に着くと、タラップから士官服の男が降りてきた。男は十代よりもいくらか年齢が上で、優しげで爽やかなルックスをしている。両親からミーハーな性格を受け継いだ龍可が、夢を見るような瞳で見惚れていた。
 彼は目を引く格好の十代へ視線を留めると、人好きのする笑顔で腕を広げた。
「やぁ、十代くん。久し振り」
「オサムお兄さん!」
 十代が驚いたように声を上げた。
 このオサムという男のことは、記録映像で見知っている。子供の頃の十代の世話係を買って出ていた、近所に住む年長の友人だ。幼い十代を泣かせたせいで、十代を護る精霊の怒りを買い、昏睡状態に陥っていたはずだ。いつ目が覚めたのかは知らないが、少なくとも見た目の上ではそのことで十代を恨んでいるようには見えなかった。
 彼も昔の十代のようにユベルの記憶を切除されているのかもしれないし、もしかすると十代と関わるという上で、そのことは納得尽くだったのかもしれない。
「元気だったかい? 大きくなったね。随分背が伸びて、それに綺麗になった」
 馴れ馴れしく十代の肩に触れて言う。この男とは間違っても仲良くなれそうにないなと空野は思った。
「さ、身体を冷やすといけない。中へ入りなさい。温かいミルクを飲んでから、君が大好きなデュエル・モンスターズのカードカタログでも見よう」
「カタログ! すっげぇ!」
 十代は子供の頃と同じように、人懐っこくオサムの首に飛び付いた。
―― オレを連れてって、目撃者達はこのまま海に沈めて消すつもりだよな」
 乗客に混乱を招かないように配慮をしているのだろう。抱き付いた格好のまま、声を落として、オサムの耳の傍で囁いている。
「全員墜落事故で死んだことにするんだろ? そんで、昔みたいにユベルを……ああ違うな。『オレを』、ロケットに乗せて宇宙へ飛ばすんだ。今度は戻って来られないくらいに遠くまで。オサムお兄さんには悪いけど、オレは最後じゃなきゃ一緒に行かないぜ。皆の無事を見届けてからだ」
「……君の我侭は何でも聞いてあげないわけにはいかないからね。言う通りにするよ」
 オサムは、しょうがないという顔になって両手を上げた。



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