□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 



 今夜は海の向こうのシティの明かりが見えない。おんぼろテレビの電波も届かない。ラジオが頼りない声でモーメント施設の故障を伝えていた。
 満月だ。人工の灯りが無くなっても不自由はしないだろうと思うが、シティに住む人間にとっては、街中の電気が消えるということは世界が終わるくらいに大変なことらしい。人々の慌てふためく声がスピーカー越しに聞こえてきた。
 昔ながらのエネルギー源を使うサテライトには関係のないことだ。
 真夏の夜の公園へ向かう道、月明かりの下で、浮ついた足取りで赤い靴が踊っていた。厚紙で作られた変なお面を被っている大人が、ふと闇の中から現れた。音もなく、幻か悪夢のように。
「よう坊主。元気か? 飯は食ってるか? いい子にしているか? 楽しいデュエルはしているか?」
 赤いドレスが翻り、陽気な声を畳み掛けるように浴びせられた。半分はマーサのように胸が膨らんでいて、もう半分は自分のように痩せていて平べったい変な体つきをしている。声は男のものだった。
 ピエロが巡回サーカスの宣伝にやってきたのかなと考えてみたが、もう月が大分高くなっている。こんな時間に夜回りをしているピエロというのも何だか不気味だ。
 幽霊かもしれない。そう思い付いたが、相手は死人にしてはいやに明るかった。しなやかな指が中空から手品のようにデッキを引っ張り出すと、デュエル・モンスターズのカード達はその人の手の上でひとりでに飛び回ってシャッフルを始める。思わず歓声を上げていた。
「すごい」
「そう、すごいんだお兄さんは。君は素直でいい子だな。そんな君に今夜はサンタさんからプレゼントだ」
 確かに全身真っ赤だが、八月の真夜中にクリスマスはない。時期外れにも程がある。
 ふとその人が肩に羽織っている白衣に、金色のバッジが取り付けられていることに気が付いた。『KC』という文字を模っている。それが何を示すのかを、うんざりする程良く知っていた。
 この奇妙なピエロもどきは、死んだ両親と同じ海馬コーポレーションの社員だ。シティの偉い人だ。権力を笠に着てサテライトの人達を虐げる彼らのことは、正直を言って好きじゃない。
 それでも初対面の人間に失礼をするとマーサに叱られるし、何よりシティの人間の機嫌を損ねたら、マーサハウスのみんなにも迷惑がかかる。
「別にいいです……あの、オレ友達と約束があるから」
 なるだけ丁寧に聞こえるように返事をした。
「ま、固い事を言うなよ」
 見えない手で繰られていくデッキから勢い良くカードをドローして、しゃがみ込み、手書きのお面の目をこちらと同じ位置に合わせて、引いたカードを差し出してくる。
「ラッキーカードだ。こいつが君の所へ行きたがっている」
 手渡されたカードを見てぎょっとした。今まで見たこともないような美しいドラゴンのカードだった。
「こんなに星が沢山付いているモンスター、本当に貰ってもいいんですか?」
 声が上擦った。胸が興奮で震えた。しかしマーサが言っていた言葉を思い出す。タダほど高いものはない。うまい話には裏がある。分相応か、分不相応か、そいつを自分の目でちゃんと見極めるんだよ。
 ―― どう考えても分不相応だった。
「いいんだ、いいんだ。元々そいつは君んだからさ」
 その人は頭の後ろで手を組んで、とても重要な仕事が終わったとでもいうふうに背伸びをした。
「あなたが誰だかは分かりませんけど、随分酔ってるみたいに見えます。オレみたいな子供にこんな見たこともないようなレアカードを渡すなんて。あとで、朝になったら後悔するに決まっています。酔っ払いはみんなそうなんです」
「オレは素面だよ。酒は止めた」
「じゃあ変な薬でも飲んだんじゃないですか? 最近そういうのが多いから、気を付けろってマーサが」
「いや。ただ、悲しいことが沢山あったんだよ」
「どう見ても楽しそうに見えますけど……」
「実はな、坊主、オレは悪魔なんだよ。だから悲しいのは嬉しいんだ」
 とっておきの内緒話でもするように、それでいてどこか面白がっているみたいに、その人が声をひそめて言った。「はぁ」と気の抜けた声が喉から漏れた。どうも相手の調子を狂わせる人だと思った。
「……でも、こんなカードを貰ってもオレにはお礼もできない。何も持ってない。お金も、トレードできるようなカードもないし、やっぱりダメだ。返します」
「後払いでいいさ」
「え?」
「君がいつか成長して子供から大人になった時、世界で一番悪い奴をやっつけてみんなを守ってくれりゃそれでいい」
「……柄じゃないですから。そんなの。そういうのは、ジャックみたいなヒーローがやることだ。オレは生まれつきの悪者だ。だから」
 両親のせいで沢山の人が死んだ。二人は罪を償わないまま死んでしまった。
 両親がいないせいで孤児の寂しさを知って、両親のせいで自分と同じように寂しい気持ちを持った子供達が沢山いることを理解した。笑顔や温かい手のかわりに、世界に対する罪悪感だけが自分と一緒に遺された。
 父と母は悪者だった。子供の自分が、きっと一生を掛けて代わりに罪を償わなければならないのだろう。物心付いた頃にはそう決めていた。
 その人は腕を広げて、まるで親が子供にするように抱き締めてくれた。ふざけたようだった声は落ち付いて、とても優しいものへと変わっている。
「できるさ。強くなれ、坊主。君は強くなるよ。悪い奴をやっつけて、みんなを守れる正義のヒーローになれ」
 その人は満足がいったように離れると、踵を返して赤い袖を振った。
「じゃあまたな。大きくなったら、昔で会おうぜ」
 奇妙な物の言い方をした。やはり酔っていたんだと思う。
 仲間の気配を感じて振り向くと、水入りのバケツを持って公園から戻ってきたクロウと目が合った。彼は不思議そうに首を傾げて、「そんな所でなにぼさっとしてんだ?」と言った。
「お前来ないから、もう花火終わっちまったぞ」
「クロウ。この人がオレにカードを……」
 振り向いて、指を差した先にはもう誰もいない。
「はぁ? 誰もいないじゃんかよ」
「……ほんとだ」
 幻は掻き消え、夢は覚めてしまう。しかし受け取ったカードは消えずに、きちんと手の中にあった。
 <スターダスト・ドラゴン>。星八つのシンクロ・モンスター。
 赤い悪魔が再び目の前に現れるのは、随分長い時間を隔てた後だった。

 * * * * *

 モニターに、闇の中で円形のテーブルを囲む二人の男の姿が映し出されている。見ようによっては人目を忍んで悪趣味な黒魔術の儀式を執り行う悪魔崇拝者のようにも見える。
 片側は金の刺繍入りの白スーツを着て、後ろに撫で付けた黒髪を項の辺りで一つに纏め、左眼に眼帯を巻いている。上品な海賊のように精悍な顔つきで、顎鬚は良く手入れをされており、太い眉は鋼鉄の意志を伺わせた。千里眼グループのトップ、エドのスポンサーのコステロだ。
 もう片方は対照的に黒い背広姿で、目付きの悪さが弟とそっくりな万丈目グループ当主の万丈目長作だった。長年反目し合ってきた千里眼グループと万丈目グループの企業協定を確約する書類に調印がされたのは、つい三十分前の事だ。
『これより君達にはネオ童実野シティへ向かってもらう』
 ヘリの中で、エドはモニター越しのスポンサーの声に注意深く耳を傾けていた。
『まさか、生涯の商売敵と結託することになるとは思わなかったよ』
 コステロが、冬の海のような色の隻眼を細めて自嘲気味に零した。
『当局からの要請は全て蹴った。国家は関係ない。我々が勝手にやることだ』
『感謝する、コステロ会長』
 長作が苦い顔でうめいた。この男もまた、ライバルグループと手を取り合うなど予想もしていなかったという顔をしている。
『<七星>諸君、本国国防省の遊城世界長官が殺害された。傲慢で敵の多い男だったが―― この万丈目長作を、理想を論じるばかりの軟弱な政治屋だと何度もこけにしてくれたのだ、あの男は。気に食わん。だが人を殺して良いものではない。親殺しなどもっての他だ。世界長官を亡き者にした<カーレン>の身柄を当局に引き渡すよう、ネオ童実野シティ治安維持局に再三の要請を行っているのだが、先方には黙殺されている。
 政府とシティは一触即発の状態だ。認めたくはないが、どうやら双方共に多くの者がそれを望んでいるようだ。政府はモーメントを喉から手が出る程欲しがっている。シティは名実共にこの国の政府そのものに成り代わろうと考えている。紛争が始まれば、諸外国も何かと口実を作って介入してくるだろう。モーメントの所有権を巡って世界中で悲劇が起こる。多くの人間が死ぬ。たった一人の人間の為にだ。馬鹿な話だ。
 君達には<カーレン>を暗殺してもらいたい』
「人を殺して良いものではないんじゃないですか、兄さん」
 向かいの席に着いて憮然と話を聞いていた万丈目が、兄の揚足を取って文句を付け、睨まれている。
『相手が人間ならお前の力などいらん。金さえあればどうとでもなる』
「金、金って。長作兄さんはいつもそうだ」
『準、これはお前の失態でもあるんだぞ。その<カーレン>を掌中に収めていれば、我らは既にこの世界に万丈目帝国を築き上げていたはず。この世の栄華は万丈目一族のものだったのだ。聞けば奴は雌雄同体で、大層お前を慕っていたそうではないか。それを横から奪われただと。不甲斐無いにも程があるぞ。それでも男か』
「あいつのいかがわしい冗談を真に受けないで下さい! それに、オレにはもう心に決めた女性がいるんです! あんな下品な男女とどうにかなる位なら、舌を噛み切って死んだ方がマシだ!」
 万丈目の兄弟喧嘩には構わず、コステロがエドに向かって頷いた。
『もう一度言うが、国家は関係ない。君達はシティの横暴に反抗する為に立ち上がった民間人だ。ただの一市民だ。一旦シティ内部へ立ち入ってしまえば、外部からの支援は期待できない。セキュリティに捕縛されればそれまでだ―― 構わないかね?』
「もちろんです」
『本音を言うと君のような花形にこんな汚れ仕事を回したくはない。だが……』
 コステロの言いたい事は分かっている。<幻の決闘王>に勝てる見込みのある決闘者はそういない。黙って頷いた。万丈目はまだ文句が言い足りない様子で、腕と足を組んで溜息を吐いている。
「下らん。相手があいつじゃなきゃ、こんな割に合わない仕事は絶対に受けてなかった」
「そう言うな。僕も同じだ」
 ヘリの内部を見渡してみる。エドと共にシティへの降下作戦に参加する、深緑色のベレー帽を被ったデュエル・アカデミア倫理委員会。デュエル・ディスクの手入れを終え、壁にもたれ掛かっている。モニターに映り込んでいるアカデミア各校の校長達。その中には馴染みの鮫島の禿頭も見える。
「……みんな、同じだ」
 それにしても何とも頼りのない<七星>だ。オーナーは殺害され、藤原と吹雪には連絡が付かない。丸藤兄弟も同じだ。兄の亮はどこかへ姿を晦まし、弟の翔はリーグ会場で倒れているところを病院へ搬送された。まだ目を覚まさない。そしてヨハンは、アンデルセン家の血統ごと葬られたそうだ。
 ヨハン・アンデルセンは<カーレン>に殺害されたアークティック校の校長の息子だったという。出会って十年程になるが、彼の身内の話を初めて聞いた。
 あの男も人間だ。おとぎの国からやって来た間抜けな王子のようでいて、もちろん親も兄弟もいる。
 しかしエドはそのことに関してはあまり考えたくなかったし、思い出したくもなかった。突き詰めるとゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうだ。姉と弟で『そういうこと』になるなんて、二人共頭がどうかしているとしか思えない。
 残る<七星>は二人きりで、エドはともかく相棒は<おジャ万丈目>だ。ひどく心許無いタッグだった。
『君達の肩には世界の運命が掛かっている。健闘を祈る』
「ええ、了解、分かりました。僕らはこれからシティへ出向いて<カーレン>を暗殺し――
 万丈目はこちらを見て、不快そうな顔を隠しもしない。相変わらず分かりやすい男だ。嘘と虚飾に満ちた世界に立っていると、彼の馬鹿正直で不器用な所だけは好ましいと思える。そう思いながら、言葉を続けた。
「<カーレン・アンデルセン>を殺して、遊城十代を保護します」
 倫理委員がざわめいた。万丈目はそっぽを向いている。
「僕が責任を持って奴を預かる。罪を裁くだけじゃ駄目だ。何が悪かったのかをあいつは理解するべきだ。奴は馬鹿だから、一々誰かが傍について教えてやらないと分からないんだ。……それに、リーグでタッグを組む決闘者が一人欲しいと思っていた所です。ちょうど良かった」
『ダブル・ヒーローとは中々面白いじゃないか』
 コステロは、どこか満足そうだった。彼もまた遊城十代という男が気に入っている人間の一人でもある。エドの意図を汲んでくれているだろう。
 ヘリ後部の扉がゆっくりとスライドしていく。丸い月から白い光が降り注いで、吹き込んできた風が耳の後ろで唸っていた。
『頼んだぞ。世界を救ってくれ』
 コステロが言った。指を立てて頷き、夜空に飛び込んで行った。


 彗星のように雲を突き抜け、空気を切り裂き、地上の星を見た。繁栄を享受するネオ童実野シティの宝石を散りばめたような夜景が近付いてくる。
 一際高い建造物群で構成された区画へ着地して、パラシュートを切り離した。街の中心部、トップスに位置する海馬コーポレーション研究開発ビルの屋上だ。
 闇の中に蠢くものが見えた。
 細い光の筋が走り、柔らかい茸のような格好で降下してくる後続のパラシュートを撃ち抜いた。空中に放り出された哀れな男は、かなりの高度から屋上のコンクリートの上に叩き付けられ、水風船が弾けるような音を立てて潰れた。
 背筋が寒くなる。振り向くと、青ざめた肌を持った胎児と視線が合った。舌は腕の半分程もあり、鼠のような尾を尻に生やしている。血走った眼をぎらつかせて、玩具のような銃を構えている。
 <スナイプストーカー>、悪魔族のレベル四モンスターだ。ごく当たり前のように実体化している。
 青ざめた胎児の背後の暗闇から、続々と異形の者達が姿を現した。計算機付きの<ザ・カリキュレーター>がエンジンの唸るような音を立て、顔の半分を赤いぼろ布で覆った<終末の騎士>は鈍い色の剣を手に悪い夢のようにぼんやりと佇んでいる。
 デュエルの敗北が死に直結する、邪悪な精霊によって支配された異世界で過ごした地獄のような日々を、今でも時折夢に見る。あの時エドは一度アモン・ガラムに殺され、死を体感した。万丈目もそうだ。肉体を持った異形達の出現は、十数年ぶりに嫌な記憶を呼び起こしてくれた。
 実体化したモンスターを使役しているのは、デュエル・ディスクを装着した揃いの黒い背広姿だ。良い月夜だと言うのに、無粋なサングラスを掛けて顔を隠しているいかがわしい集団だ。襟元には海馬コーポレーションの金の社章が見える。ビルへの侵入者を出迎えに来てくれたKCお抱えのセキュリティ・ガードという所だろう。
 一介の警備担当者がごく当たり前のように肉を持った精霊を操っている。この国は救いようがない。
 貯水タンクの下に続いている階段から、白衣の男が顔を出した。屋上の様子を眺め、墜落死した男のピザソースのように飛び散った肉片を革靴の先で突付いてから、後ろを向いて誰かにお伺いを立てている。
「不躾な訪問ですね。先輩、どうします?」
「最近は懐かしい顔を良く見るな」
 耳に馴染んだ声が聞こえた。しかし記憶の中にあるものよりも随分気だるげで、艶のある声だ。
 月明かりの夜の中へ、鮮烈な赤が現れた。遊城十代が、肩の上にどこか宗教的なショールのように白衣を羽織って、赤い袖を組んでこちらを見ていた。夜会服を思わせる派手な衣装は、会社勤めの研究員よりもプロ・リーグのスポットライトの下にいる方が余程相応しいように思えた。
「万丈目。エドもいるのか」
「久し振りだな。十代」
 十代が何かを言う前に、畳み掛けるように続けた。
「お前を攫いに来た。今は話をするつもりはない。それに、僕は忙しいんだ……あまり手間を掛けさせないで欲しいですね、先輩」
「悪いが行けない。オレのことは放っておいてくれよ」
「貴様はなぁ、狭い部屋に引き篭もっていてもろくなことにならないんだ。力ずくで引き摺り出してやる」
 万丈目が忌々しそうにがなり声を上げて、デュエル・ディスクを展開した。エドも続き、数年振りに見る十代の姿を注意深く観察した。
 不思議な気持ちになった。この男はこんなにも小さかっただろうか。出会って間もない頃は、会話を交わす時、彼の目を見上げていた覚えがある。成長して、ひとつ年上の十代の背丈を追い抜いた時は嬉しかった。もちろん後輩のエドに身も心も見下されて十代は悔しがっていたが、「すぐに追い抜き返してやるよ」と笑った表情はどこか演技めいていた。
 あの時、どうして十代がああも寂しそうな顔をしていたのかを、エドは今ようやく理解した。
 十代は『十代』のままだ。全く歳を取っていない。アカデミア時代に撮影された卒業アルバムの中の姿と不自然な程に同じだった。
 ただ、ひどく疲れている印象を受けた。死んだことを忘れて、この世をあてもなくさまよっている幽鬼のようだ。随分の間まともに眠っていないらしく、目の下に不健康な隈ができている。
 忘れもしない数年前のあの夏、デュエル・ワールド・リーグを圧倒的な力で制し、世界の中心に立って、太陽のような輝きを放っていた<幻の決闘王>はどこにもいなかった。エドを含めて、多くの人々を魅了した遊城十代の光は死んでいた。
 彼の表情は虚勢に満ちていて、妖しいちぐはぐ色の目付きばかりが鋭かった。弱々しく、手を差し伸べて抱いてやらなければ今にも崩れ落ちてしまいそうな姿だ。
 隣に立っている白衣の男は、そんな十代の姿を特に気にしていないように見えた。あるいは気付かないふりをしてやっているのかもしれない。
「現役プロを相手に十代先輩とタッグ・デュエルか。ワクワクしますね」
 まるで昔の十代の口真似のような台詞だ。本気なのか、それとも痛烈な皮肉なのかは判断できなかった。
「忘れちまったよ。ワクワクなんて言葉」
 十代本人は肩を竦めてつまらなさそうに鼻を鳴らしている。
 白衣の男は一見十代の影に徹しているように見える。しかし、影に収まり切れない自己顕示欲を持て余しているようにも見えた。
 エドはプロ・リーグでそういう種類の人間を幾度も見てきた。自分よりも強い力を持った存在に媚び諂いながらも、いつか相手を食ってやろうという獰猛な意志があけすけに見て取れる。エドが嫌いな人間の中でも特に気に食わない人種だ。
「友人は選べ十代。その男は下心が見え見えだ」
「知ってるさ」
 十代は当たり前のように頷いた。
「空野はオレを支配したいと思ってる。心の底ではオレを見下している。いや、見下してやろうと必死だ。でもできない。あまりに『完璧』だから崇拝してしまう。早くオレを打ちのめして、組み伏せて、子宮を犯してやらなきゃ、自分自身の存在を確めることができない」
「なっ……!?」
「し、しきゅう」
 十代の唇に上った、彼らしくない言葉に耳を疑った。顔に似合わず純朴なところがある万丈目は、多感な男子中学生のように茹で上がっている。十代は気にする素振りもなく続けた。
「本当の自分に戻れない。オレの存在が運命を狂わせたと恨んでいる。オレはな、心の闇が見えてしまう身体なんだよ。見たいものも見たくないものも眼に映っちまう」
「知っていてどうして傍に置いている。僕がお前だったら、まず相手にはしないな」
「それはな、エド、オレが人の心の闇を食らう悪魔だからさ。……なぁ空野?」
「そうですね。つくづく僕はあなたが恐ろしいですよ」
 空野が溜息を吐いた。サングラスに覆われて表情は伺えない。
 ふと記憶に触れるものがある。デュエル・アカデミアに在籍中のことだ。同学年でオベリスク・ブルーの首席生徒の一人だった男もまた、空野と言ったはずだ。アカデミアの授業にはほとんど顔を出していなかったが、自分と同じ学年トップの成績保持者のことはおぼろげに覚えている。
 勤勉で生真面目で誰にでも親切な優等生で、あれは絵に描いたような秀才だった。目の前にいる、十代をトレースし損なったような男とは別人だろう。
「目標、<カーレン・アンデルセン>を確認した。ただちに捕縛しろ! 分隊はビルの制圧へ向かえ!」
 倫理委員の女性が叫んだ。リーダーの命令に応えて雪崩のように押し寄せてくる屈強な男達を前にしても、十代は表情ひとつ動かさない。月の下に咲き誇る毒の花のような赤を、セキュリティ・ガードの巨体が黒い靄のように覆い隠した。糊の効いた袖を掲げ、ディスクにカードで触れてモンスターを実体化する。ドローの動作に迷いは無い。<闇のデュエル>に随分手馴れているようだ。
「奴ら、少し様子がおかしいぞ」
 万丈目が怪訝そうに眉を顰めた。確かに、ライフポイントを削られて本物の死に歩み寄っても、このビルの警備を務める黒い背広姿の男達は声ひとつ上げない。どんなに苛酷な訓練を受けたとしても、ここまで死への恐怖を押し殺せるものなのだろうか。まるで感情が欠落している。人間の肉を使って造られた機械のようだ。
「そいつら、もう馬鹿になっちゃってるから痛みも怖さも感じないぜ」
 十代が言った。
「そこまで人を捨てたか、十代……!」
 詰っても十代はもう何も答えず、ただ静かに微笑んでいる。失望した。この男への信頼を、全て突き返されたように感じた。
 心を食われた空っぽの人間達は、十代が言うように敵を怖れる様子が全くない。ビルの中からも次々に沸いてくる。セキュリティ・ガード、白衣姿の研究員、幹部と見られる太った老人、残業の為に社内に残っていたらしい事務員―― 虚ろな表情で、デュエル・ディスクを構えて人を殺す肉体を持ったモンスターを召喚する。「まるでデュエル・ゾンビだな!」と万丈目が叫んだ。
 民間人を傷付けるわけにもいかず、躊躇を見せたせいでライフを削られ、次々と倒れていく倫理委員会の上へ、黒い背広の群れが餌にたかる蟻のように覆い被さっていく。瞬く間に死の匂いが空気に混じり込み、地獄のような光景が広がった。
 それが、轟音と共に炎が吹き上がり、不気味に蠢く黒い塊は爆風に薙ぎ倒された。火の粉が舞い散り、汚れた黒煙が夜空を覆った。
 何が起こったのかも分からないうちに、気が付くと十代の姿は例の白衣の男と共にいずこかへ消えていた。

 * * * * *

 階段を降りたところで、鉛弾が十代の頭を正確に狙って飛んできた。モンスターへの攻撃命令を出したデュエル・アカデミア倫理委員は、すぐにターゲットが傷付くはずだった場所から血と脳漿を噴き出して仰向けに倒れていった。最高位の悪魔を傷付けることができるものはいない。
「邪魔が入ったな」
 ぽっかりと穴が開いた壁を前にして、十代が呟いた。煤けた廊下に焼け焦げたカードが落ちている。襲撃者が仕掛けた発火装置が作動した痕跡だ。燻っていた火は床を舐めて炎に変わり、勢いを増して、天井にまで這い上がっていった。
「うわぁ、ひどいですね。どこの誰がこんなことを」
「エメラルダ辺りじゃないか、多分。彼女はそつのなさそうな人間だったからな。お前みたいに」
「知り合いですか」
「十年前に、ちょっとな」
 どこかで防火シャッターが閉まる音が聞こえた。火災報知機がけたたましく鳴り始めた。爆発の衝撃でモーターが焼き切られて、スプリンクラーは使い物にならないようだ。十代が気だるそうに首を巡らせて腕を組み、空野に命じた。
「<コクーン>のバックアップを持ち出せ。子供達を頼む」
「十代先輩は?」
 十代は肩を竦め、皮肉を言っているようでも、自嘲しているようでもある、ちぐはぐな顔になった。
「なあ、空野ォ。オレはお前を利用した。だからお前がオレを利用する時も、気兼ねをすることは無いんだぜ。元気でやれよ」
「最期みたいに言わないで下さいよ」
 意地の悪い悪魔の顔を引っ込めて、十代は静かに微笑んだ。その時、この人は、いやに透明な存在のように見えた。
「……またな」
 悪夢を吹っ切るように赤い靴が跳ね上がり、踊った。悪魔は穴だらけの白衣を翻し、炎の中に消えていく。

 * * * * *

 炎の中で、エドが追い駆けてきた赤い背中がようやく足を止めた。ドレスのような上着の裾が熱風に翻っている。振り向いた十代は瞳を閉じて、静かに頭を振った。
「しないぜ。エドはオレの大切な友達だ。だからデュエルはやらない」
「僕の知ってる遊城十代はそんなこと言わない。デュエルが命よりも大切なデュエルバカだ」
 カードをドローして召喚したヒーローは、異世界にいた頃のように実体化している。先程、屋上で肉体を持ったモンスターを見た時は、海馬コーポレーションの科学力が次元を歪める特別な装置を造り出したのかもしれないと考えていた。
 どうやらそうじゃない。十代の瞳だ。見慣れていた鳶色の眼は深い緑と橙色に変化し、機械めいた硬質の輝きを放っている。十代がユベルの力でカードを実体化させているのだ。
 十代自身が組み込まれたデュエルだけではない。広範囲に渡る次元の組換えを行い、傍にいる人間へ無差別に力の感染を引き起こしている。まるで毒の花粉を撒き散らす腐った花のようだ。人を人知を超えた力に目覚めさせる病原体だ。
「力が抑えらんねぇんだ。あの日から。だからデュエルしたくない。やればエドを殺しちまう。でもオレ止まれねえからさ」
「舐められたものだな」
「そうじゃない。デュエルの強さもプロの矜持も関係ない。エドなら分かってるはずだぜ」
 十代が薄く微笑を湛えながら、親指を立てて赤い上着の胸を示した。
「ほら来いよ。オレの心臓はここだ。なぁ、優しいエド」
「……馬鹿にするなっ! 手札をコストに<ダンクガイ>のエフェクト発動!」
 エドが下した攻撃命令に従い、<パワー・ダンク>が十代のライフを直撃する。抵抗はない。かぼそい身体はあっけない程簡単に壁に叩き付けられた。
 床の上にくずおれて動かなくなった十代を認識した途端に、頭に上っていた血が一瞬で冷えた。駆け寄って、抱き上げた身体は幻のように軽かった。まるで遊城十代ではないような感じがした。エドよりも小さな手足は力を失ってだらりとぶら下がり、冷たい肌は死体のようだ。
「……十代!」
 肩を抱いて呼び掛けても、十代は返事をしない。動揺で視界がぐらついた。
「目を開けろ、十代!」
「ほらな?」
 腕の中で、十代が平然と瞼を上げた。
 彼は『死んだふり』が成功し、悪戯が報われたような性質の悪い表情を浮かべている。性質の悪さにかけてはちょっとした自信を持っていたエドにとっては、殊更に腹の立つ演技だ。
「無理だって、エドには。エドはヒーローだけど、悪を倒すために欠けているものがある。お前、意地悪だけどいい奴なんだよ、本当は。友達のオレのことをすっげぇ大切にしてくれる。だから非情になりきれない。殺せない。どんなに闇に染まっても、生きて欲しいと願ってしまう。きっとまた正義の心を呼び覚ますことができるって信じてる。悪を叩き潰してこの世から滅ぼしてやろうって激しさが無いんだ」
「……最低だよ、お前は。ヨハンはこのことを知ってるのか」
「知ったら、きっとあいつはもうオレを愛してるなんて寝言を言わないさ」
「嘘だらけの顔であいつの隣で笑うのか。ヨハンもそこまで馬鹿じゃない」
「気付かせないさ。絶対に。……あいつの目に汚れた世界は映さない」
 十代の瞳に宿る狂気を見た気がした。たったひとりの神を崇める狂信者の目だ。今そこに生きている人間を語るような十代の口調に、エドは確信した。
―― ヨハン・アンデルセンは、やはり生きているんだな」
 ヨハンは、アンデルセン家の一族と共に十代の手によって惨殺されたと聞いている。そんなはずはなかった。遊城十代はどれほど闇に染まり、おぞましい怪物に変貌したとしても、十代の心が彼自身のものである限り、決してヨハンを殺さない。
 腹立たしいが、エドが決して十代を殺すことができないように、決まりきっている運命だ。
「エドならオレを殺してくれるかもって期待したけど、がっかりだ」
 十代は多くを語るつもりはないようだった。ただ、残念そうな顔をした。
「その様子じゃデュエル続行は不可能だ。だけど命は取らない。代わりに、オレを知らないお前とデュエルしたい。そんときゃエドはきっとつまらない躊躇なんてしないよな」
 赤い袖が伸びてくる。異形の眼に見つめられると、身体が石のように動かなくなった。
「待ってるぜ、運命のヒーロー」
 十代は、彼と出会ってからの思い出も、彼を友人として大切に想う気持ちも、全てを食らってエドの中から消去しようとしているのだ。それに気が付くと、絶望で皮膚が粟立った。
 エドにとって遊城十代は、数少ないかけがえのない友達だった。破滅の光から自分と親友の斎王兄妹を救ってくれた恩人だ。一生を掛けても返しきれない借りがある。
 しかし、悪魔がもたらす優しい眠りから目覚めた少しだけ未来のエドは、十代を忘れ、正義の名の元に世界の敵を倒そうとするだろう。エドの手は十代を無慈悲に断罪し、実体化したヒーローが彼の肉を引き裂いて骨を砕く。悪を根絶する。そのことに何の感慨も無い。十代の死を悼まず、これ以上罪のない人間達が傷付くことはないと安堵する。十代の死体は千里眼グループに引き取られ、事務的に処理される。
「やめてくれ……」
 十代が消えても悲しまない自分の姿を想像すると、目の前が真っ暗になった。喉から引き攣ったような声が漏れた。
「頼むから、僕にお前を殺させないでくれ。悪い奴でもお前は僕のかけがえのない友達なんだ」
 十代は答えなかった。滑らかな額を一筋の線が縦に割り、黄ばんだぎょろ眼が開いた。三つの眼に睨まれると、闇の中を覗き込んでいるのか、闇に覗き込まれているのか分からなくなった。自我と闇との境界が曖昧になって、視界が黒一色に染まった。


 どこからか、あどけない子供の声がした。
 ―― ママ。
 ―― 龍亞、龍可……ヨハン。
 とても大切なものへ呼び掛ける、優しい十代の声が聞こえた。音を伴わずにエドの頭の中に響く。
 抱き締め、抱き締められて安心する。世界の中に確かに存在する自分を感じ、人を愛することができる柔らかな心にたゆたう。闇に覗かれ、闇を覗き込み、そんな、幸せな気持ちと同調した。
 ―― みんな、愛してる。
 それは十代にとっての世界そのものだった。幼い頃から渇望していた家族の愛情を、無条件に、惜しみ無く与えてくれる彼らは、十代にとって絶対を信じることができる神ですらあった。ちっぽけな人間の腕の中に抱き締められるだけで、何物からも守られているような気がした。
 しかし、それは錯覚だ。膨大な破滅の光の奔流が全てを奪っていく。
 眩い光の中に滅びた街が見えた。爪が溶け、皮が剥がれて焼け焦げた手が見えた。瓦礫の山の中の炭化した死骸が見えた。亡くした家族を追い駆けて踊る赤い靴が見えた。それらは断続的に切り取られた記憶の欠片だ。
 駆け出した十代には目の前にある家族の背中しか見えない。悪いものも正しいものも小さなものも強いものも何もかもを踏み潰して、ただまっすぐに走る。他の選択肢など無かった。
 走ることしかできない。遊城十代は、そういうふうにできている。
 ―― ヨハン、龍亞、龍可。オレを……。
 乾いた叫びは、エドの中にある旧い記憶を呼び起こした。かつて、絶対を信じた世界が崩れた時のことを思い出す。
 ―― 父さん! 父さん、起きて。僕を……!
 父の亡骸に縋って、幼かった自分は泣き叫んでいた。
―― 置いていかないでくれ……!』
 壊れた世界を受け入れることができない者の慟哭は、時を超えても何も変わらない。絶望にまみれていて、無力を思い知り、虚しく、哀しい。
 ここにひとつの選択肢がある。仮定だ。あり得るはずのない『もしも』だ。
 あの時エドは小さな子供だった。ただのちっぽけな人間だった。だが、もしも父を失ったあの時、自分の腕に鋭い爪が生えていたら? 硬い鱗を持っていたら? ちぐはぐ色の妖しい眼があれば、強大な悪魔の力があれば?
 おそらく、たとえ罪のない人々を傷付けても、世界を敵に回しても、あの時のエドは力を振り翳すことに躊躇いはしなかった。
 これはただの仮定だ。エドは無力な人間だ。父の仇を追い求め、悲しみを引き摺って生きてきた。そうする他に道はなく、復讐の為に歩んできた道を振り返るといつの間にか正義という名が付けられていた。
「可哀想な十代。お前は、僕と同じ思いをしたのか……」
 十代の肩が、脅えるように震えた。
 昔の十代は可哀想な頭の出来を沢山の人間に気の毒がられていたのに、『ヨハン・アンデルセンの夢を叶える』というつまらない夢を叶えるために、彼を追い駆けて分不相応な立場を手に入れた。最近では憐れまれることも忘れてしまっていたようだ。
 デュエル・アカデミア一のドロップアウト・ボーイが、今や世界でも指折りの天才科学者だと賞賛されているのは、何ともむず痒い心地がした。腹を抱えて笑ってやりたかった。指を差して馬鹿にしてやりたかった。昔の彼を知っている人間なら間違いなくそうするに決まっている。
 誰にも笑ってもらえない十代が可哀想だった。
「家族に置いてかれる辛さ、僕も良く知ってる。お前は悪い奴なんかじゃない。ただの弱虫だ。お前と同じ僕には止める権利なんかない。だけど十代、お前が望むなら……」
 滑稽なヒーローを演じてもいいと、そう思った。
 互い違いの色味を持った宝玉のような瞳は乾いていた。それが少し意外だった。
「お前は泣かないんだな。父さんを亡くした時、僕は沢山泣いた」
 十代は、少し憮然として言い返してきた。
「そう何度も年下に格好悪い所を見せられるかっての」
「なるほど。だが、ひとつ言っておく」
「なんだよ」
「僕がお前の立場なら、もっと上手くやった」
「お前は相変わらず嫌味な後輩だな」
 人に与えられた絶望とは、あるいは一種の救いだったのかもしれない。大切な人の死を前にして無力を思い知り、空っぽで虚しい日々を過ごしても、やがて時が全てをぼやかして、悲劇は優しい思い出に姿を変えていく。
 希望を持ってしまった人間は、温かな心を魔物に変える。多くの者に同じ悲しみを振り撒く悪魔に成り果てる。
 ひどく眠くなってきた。宙に投げ出されるような頼りのない感覚があって、気が付くと赤い腕に抱かれていた。
 これが最後になるかもしれない。そう思うと、心にもない言葉が勝手に唇から滑り出してきた。
「僕は、お前が好きだったよ」
 頭の上で、虹彩異色症の瞳が哀しげに眇められていた。今にも泣き出しそうで、まるで意固地になっている幼い子供のようでおかしかった。堪えきれずに噴き出して、手を伸ばして頬を抓ってやった。
「ほら……そうやってお前に困った顔をさせるのが……すごくね……」
「ひでえ友達だ」
 十代も喉の奥で笑った。久し振りに見る楽しそうな笑い方は、なんだか息が詰まって苦しげにもがいているようにも見えた。
「さよなら。ありがとう」
 深い眠りの霧の中を手探りで歩くような、おぼろげな意識の中で、他愛のない夢を見た。幼い頃、誕生日を迎えて、家族で穏やかに過ごした夢だったように思う。とても楽しくて幸せな夢だった。
 頬に触れる膝は柔らかく、枕としては上出来だった。建物が焼ける匂いに混じって微かに花の香りがした。髪に触れる指は細く、とても優しい。なんだかいい気持ちになった。
 この手は誰だったろう。
 もう思い出せないが、もしかすると母親とはこんなものだったのかもしれないと思った。



□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

戻る ・ メインへ ・ 次へ

このコンテンツは二次創作物であり、版権元様とは一切関係がありません。無断転載・引用はご容赦下さい。
−「P.W.E」…<
arcen>安住裕吏 10.02.28-10.03.08 −