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虹の輝きに焼かれ、一面の光に染め上げられた視界は、まるで無数に降り落ちてくる白い花びらに全てを埋め尽くされているみたいだった。穏やかな春の陽射しの下で、ヨハンの指が伸びてきて、十代の髪の上に花を飾ってくれる―― 満開の桜を二人で並んで見上げていた日のことを思い出した。
あの日は、まだ少し肌寒かった。ひとつ学年が下の後輩達が卒業式を迎えて、花見の会場はまるでお祭りみたいな騒ぎだった。
『良く似合うよ、綺麗だ』
ヨハンが笑った。なんだか慰められているような気持ちがした。思い出の中のあの日のヨハンに、言ってやりたいことがある。
『綺麗なのはヨハンだよ。オレは誰より醜くて、もう人間の形もしていない。ずっと罪悪感があったんだ。最期に罰を与えてくれた正義の味方がお前で良かった』
心を無理矢理捻じ曲げられて、醜い怪物に恋をしてしまったあの日のヨハンはきっと首を傾げるだろう。十代は幻に背を向けて、頭の後ろで肘を触った。
『ほんとはまた優しくされたかった。なんてな。嘘だって。ヨハンに向けられるのが悪意でも、オレが返すのは……やっぱ、好きだよ。ヨハンが。愛してる。なんてさ。悪魔のくせに全然恰好つかないな。大好きだ。あぁもうほんとオレって、ばっかみたいだ。できれば隣で笑ってた姿だけ覚えててくれよな――』
幸福だった記憶をいくつも思い返し、愛しみながら、ヨハンに『さよなら』を言おうと思った。
しかし唇が強張って、上手く言葉にならない。気が付くと十代は光の中へ腕を伸ばしていた。
「神様……オレの、<超融合神>よ」
人の正義に裁かれた悪魔は、全知全能にして人でなしの神、光を統べる<究極宝玉神>と対をなす闇の竜に救いを求めていた。泣いていた。叫んでいた。
そいつは、<世界の終わりを告げる者>、<嘆きの血まみれ悪魔>、<ワールド・エンド・ドラゴン>、そして十二次元宇宙を統合せし<超融合神>なんて大層な名前で呼ばれている。全ての生命と非生命の上に<パーフェクト・ワールド・エンド>をもたらす、この宇宙の根源となる存在だった。
性悪の神はかつてユベル城において<チェーン・マテリアル>に呼び起こされ、<超融合>によって悪魔の半身を得るはずだった。しかし、神と共に宇宙と融合するはずだった召喚者は、ただの人間とひとつになる。
十二次元宇宙の統合が宙ぶらりんのまま放り出され、目覚めておきながら存在を与えられなかった神の原形質は、不定形のままで、この十二年の間ずっとあるべき姿を求めていた。自身を呼び覚ましたユベルを求めていた。因果律をいびつに書き換えてまで、ユベルとなった十代を器とするべく御許に引き寄せた。狂った運命を与え、再び<チェーン・マテリアル>の火を灯し、神との合一を求めて<超融合>に祈りを捧げるように仕向けた。
神はユベルに呼び起こされた時から、ユベルを模した心で十代に憧れ、追い続けてきた。その無垢なまでにまっすぐな姿は、両親の愛を求める幼い子供のようだった。
今、神の望みは叶えられた。
「お願いだ。頼むから……家に帰りたい。死にたくない。消えたくない。忘れられたくない。こんな結末は嫌だ。どんな形でもいい―― ヨハンと、龍亞と龍可と一緒に……また、家族と生きたい!!」
どうしてこんなに未練がましい男になってしまったんだろう?
あれだけ人を殺して、精霊を傷付けて、心の闇を食らって、どの口がそういうことを言うんだろう? 諦めが悪過ぎる。
ばかみたいだ。
金色の光の洪水の中を、緩やかにたゆたっている。
―― なぁ。神様。全知全能で、人でなしの神様。
薄目を開け、人としての最期の意識の中で、十代は二目と見られない竜の身体を得て満足そうにしている悪趣味な神に呼び掛けた。
―― オレは、あんたが大嫌いだよ。
全知全能の神は目が見えず、耳が聞こえず、善も悪もない。全てを所有して全てを知りながら、ただ聞き流し、見逃すだけだ。
人の心は十二の宇宙をあるべき形で受け止めることができない。共有される無数の生命体の心が、膨大な絆の力が、宇宙の始まりから終わりまでのあらゆる記録が頭に流れ込んできて、人間の自我を一瞬で押し潰す。
思い出は残る。だが、認識は消える。大嫌いな神になるとはそういうことだ。
人を超え、精霊を超えて神になりたい人間は沢山いた。何人も知っている。だが、十代は―― 。
ヨハンみたいな、優しい人間になりたかった。
十二の宇宙は混沌の化身である<超融合神>が見る夢に過ぎない。竜の目覚めは世界の終わり。 そのおぞましい姿を目に映した人間に破滅をもたらす、最高位の神格を持った盲目にして白痴の悪神は、星の中でまどろみながら、人と悪魔が愛し合い、呪われた血を受け継いだ幼子を孕む狂気の夢を見る。永遠に。
* * * * *
シティ郊外をゆるやかに流れていく河川を過ぎた。道路の上に県境の標識が見えたが、今はもう県の境目なんて意味がない。この国にある仕切りはネオ童実野シティかそれ以外かだけだ。つまらない境界線だ。
レンタカーの乗り心地は快適だった。さすがにKC社製の<プリズマー>だけはある。ボディは光沢のあるメタルブルーで塗装されている。原動機にKC自慢の永久機関を組み込んでいるから、給油の必要もない。素晴らしい。生まれ故郷で馴染んでいた車とは運転席と助手席の位置が逆さまに付いていたが、長い間日本に住んでいるうちに慣れた。
コンクリートで丁寧に舗装された山道に入った辺りで、ヨハンは後部座席に着いている龍亞と龍可に切り出した。
「お前達はこれからデュエル・アカデミア本校に留学することになる」
紅葉したくぬぎの木が枝を伸ばして赤と黄色のトンネルを作っている。落ち葉が空気の中をくるくると舞いながら降ってきて、サイドガラスに貼り付いているのを、龍亞が口を開けて熱心に眺めていた。急に話し掛けられて驚いた様子で、「え?」と声を上げた。振り向くと、ガラスに押し付けていた額が赤くなっている。
「聞いてない。勝手に決めちゃって、パパはいつもそう」
龍可がヨハンから目を逸らして面白くなさそうに言った。この娘はおとなしそうな顔をしているが、気に食わない人間の発言に異を唱えて、反発と軽蔑を映し込んだ目で睨む姿が昔のヨハンにそっくりだ。懐かしくて、少し気恥ずかしい気持ちになった。子供の頃のヨハンも、厳格で信心深く、ありもしない神を崇める父親を見る時にはそんな目をしていたはずだ。
「パパの都合が一番で、私達の都合のことなんてどうだっていいんだから。私達にだって先生に挨拶をしたり、友達にお別れを言ったり、そういうのがあるのに。ねぇ龍亞?」
「え? えぇ、うーん。どうなのかな」
龍亞は落ち付かない様子で尻を浮かしている。頬が紅潮している。『ワクワクしている』。
龍亞は後ろを振り返らない。目の前に見えるものを精一杯に楽しむ姿は、まるで母親を見ているようだ。
「……はぁ。龍亞ったら、こういう時、全然頼りにならない」
龍可は龍亞の性癖を知っているから、ふてくされてしまった。
「悪いと思ってる。でもお前達を利用しようとしてる悪い奴らがいるんだ。本校なら安全だ」
「ネオ童実野校だって安全は安全よ。シティは安全。だって、本物のヒーローが守ってくれてる」
「遊星だ!」
龍亞が叫んで、腕を振り回した。
「パパ、オレ達の仲間にはすっごくカッコいいヒーローがいるんだ。なんとオレ達は本物の決闘王と仲良しなのですー。ジャックもやっぱりカッコいいし、アキ姉ちゃんは龍可と同じで精霊が見えるんだ!」
「龍亞、また調子に乗ってる。別に龍亞がすごいんじゃないんだから。友達の自慢ばっかりなの、なんだかみっともない」
「そいつはすごいや。サイン欲しいなぁ。ねだったらくれるかなぁ〜?」
「くれるようにオレからも頼んであげていいよ! みんな仲間のオレのパパなんだから、絶対くれるよ」
「ほんとか〜? きっとすっごいデュエルが強いんだろうなぁ。デュエルしたいなぁ。会うのが楽しみだぜ!」
「……ばかみたい。二人共、子供じゃないんだから」
普通の家族みたいな会話だ。口許が緩んだ。
「龍可ちゃん。本校はとても良い所よ」
助手席から明日香が、一昨日の夜にヨハンが帰宅した時からずっと不機嫌な龍可を宥めてくれた。
「海に囲まれた学生だけの島。活火山に原生林、本物のね。デュエルの為のすべてがある環境。沢山の伝説が受け継がれてゆく場所。ねぇ龍可ちゃん、こんな顔と口だけが取り柄の、頭がおかしいお父さん相手じゃとんがってみたくなるのも無理ないわ」
「う、うん……?」
「何気に明日香先生ってキツいこと言うんだねー」
「あはは〜。ま、自業自得ってやつなんだなぁ」
「だけど『お父さんに強要されて、嫌々留学する羽目になってしまった』なんて、甲斐性なしで傲慢で強引なヨハンお父さんと関連付けて、そのせいで私達の大切なデュエル・アカデミア本校をつまらない場所だと思って欲しくないの。大体この男が本校を神聖な場所みたいに語るのはお門違いだわ。アークティック校から留学に来たのはいいけれど、すぐに事件に巻き込まれて、本校で学んだのはほんの数ヶ月だもの。<世界中のどの場所よりも怪奇現象が起こりやすい>っていう一面しか見ていない」
「事件?」
「ああ、話せば長くなるんだけど……異次元に飛ばされて……」
この世界とは別の次元に存在する異世界について、ヨハンが語れることは少ない。知らないことや、覚えがないことを人に説明しようとするのは、ひどくやり難くて骨が折れそうだ。
「性格が悪くて執念深くて卑猥な闇の精霊に身体を乗っ取られて、その間の記憶がないんだよ」
結局ヨハンは、正直に白状した。
「それってダークシグナーだった人達みたいなの?」
「ふうん……」
龍亞は良く分からないことを言って、龍可と二人で納得している。この二人もヨハンが見ていない所でいくつもの怪異を体験してきたようだ。さすが厄介事を引き寄せる体質の十代の子だ。血は争えない。
「ヨハンは本校留学時代、学校ぐるみで遭難した時に、みんなを助ける為に格好付けてひとりだけ犠牲になったの」
明日香は、あの地獄のような異世界で、ヨハンよりはいくらか長い間十代に付き合ったと聞いている。興味をそそられて横を向くと、「ちゃんと前を見て運転して」と頭を叩かれた。
「自分の身と引き換えにみんなの命を救うなんて、すっごくいい話じゃない? まるでヒーローみたいだよ」
「その後が悪かったのよ。あの人の前で自分を犠牲にする姿なんて見せ付けたら。……ナンセンスだわ。どうなるのかなんて、初めから分かりきっているじゃない」
十数年振りに再会してから、明日香がヨハンに攻撃的な態度を取っている理由は分かっている。良く身に染みている。だからこそやりきれなかった。
「……止しましょう。まあ、気が重くなることが色々あったのよ」
「なんだかパパと明日香先生って、夫婦みたいだよね」
龍亞がヨハンと明日香を見比べて、とても心外なことを言った。
「こんな女々しい男なんて論外だわ」
明日香が言った。
「ここまで漢らしい女性はちょっと手に負えないぜ」
ヨハンは言った。バックミラーに、明日香が唇に指を当てて首を傾げている姿が映っている。
「結婚前に殴り合いの喧嘩をしたこと、まだ根に持ってるの? 案外執念深いのね」
「俺は殴り返してないから、殴り合いってのは変だぜ」
「嘘よ。思いっきり殴り付けられたわ」
「人聞きの悪いこと言うなよな〜。仮にも女の子だぜ。そんなことできるわけない」
「仮って何よ。……心を。折れるまで。拳で勝って喧嘩に負けたってところだったかしら」
かつて、喧嘩の仲裁を買って出た十代の言葉を思い出した。
『やめろ明日香。ヨハンのライフはもうゼロだ。まだ殴り足りないなら、オレはヨハンの妻だ。気の済むまでオレを殴れ。なんで二人が喧嘩してんだか全然、さっぱり、これっぽっちもわかんないけど、とにかく弱い者いじめは良くねぇぜ』
大人になったくせに子供のように残酷な言葉だ。
「明日香って、行動的なのに変なところで臆病だよな。なんだかフェアじゃないなあとは思ってた。譲らないけど」
「おかしな気なんて遣わないでちょうだい。私は何もせずにターン・エンドを迎えた。ただデュエル場に突っ立っていただけ。だから負けた。当たり前だわ。それだけよ」
「いい大人の男の人のパパと、大人の女の人の明日香先生が、なんでそんな子供みたいな喧嘩なんかしたの?」
龍亞はヨハンと明日香の顔を見比べて、「少なくとも大人の男の人の遊星と、大人の女の人のアキ姉ちゃんはすごく仲良しだよね」と龍可に確認を取っている。
「ジャックとアキ姉ちゃんなら遊星を取り合って喧嘩するかもしれないけど」
「お前達の母さんを取り合ってたんだよ。俺達は」
龍亞が座席の頭に腕を回して、意外そうに身を乗り出した。「ガッチャ?」と首を傾げている。
「いや、あまりガッチャじゃなかった。リスペクトなんてどこにもないし、なんていうか、あれだ。明日香は結婚前にデキちゃったのが、すごく気に食わなかったんだぜ」
「デキちゃったって。なにが、どうして? ねぇ龍可」
「知らない」
龍亞は嘘も誤魔化しもなく不思議そうな顔をして、龍可に向かって「なにがデキたのかな?」と繰り返している。兄よりませている妹は冷たく視線を逸らした。明日香がヨハンを非難の眼差しで睨んでいる。
「やめなさいよ。子供の前で、そういう話」
「その通りだぜ。やめよう」
「とにかく負けた決闘を引きずることはしないわ。私は、悔しさをばねにして成長する。もっと強くなる。悔やむことはしないわ。……今回以外はね」
明日香は隣のヨハンにかろうじて届く位に抑えた声で、恨みを込めて続けた。
「あいつをあんなにして。生まれた子供達には、親に愛してもらえなかった自分達と同じ思いをさせないなんて言っておいて、この甲斐性なし」
「言葉もない」
数十年分積もった恨みの炎が、痛いほど熱い。
その<あいつ>は今日の早朝にヨハンの元へ帰ってきてからというものの、カードの中に引き篭もって人間世界に出て来ない。
龍亞から聞いた話だが、龍可に『二度と姿を見せないで欲しい』と言われたそうだ。何をやらかして反抗期の娘の機嫌を損ねたのかは知らないが、ヨハンよりもいくらかひどいことを言われている気がする。
昔は人の善意も悪意もお構いなしで、引き止めても追い出しても言うことを聞かず、気の赴くままに居座ったり姿を晦ましたりする男だった。それが龍可に気を遣っているらしい。初めて顔を合わせてから二十九年と三十九日と四時間二十一分もの月日が経てば、人は変われば変わるものだ。良い方向にも、悪い方向にも。
「喧嘩したのか? お前達」
十代は、カードの中から『うぷぅ』と変な声を出した。絵柄は背中を向けていて、寂しそうな後ろ頭と翼の付け根が見えている。
『ぷー』
「どんどん人知を超えていくわね」
明日香がそれほど驚いた様子もなく言った。遊城十代の友人を何年もやっていると、皆驚くという感覚が麻痺してしまうのだ。ヨハンが胸に下げているカードに向かって、「私よ。覚えている?」と話し掛けると、振り向いた十代は首を傾げてからにっこり笑った。無知で無垢の幼い微笑みだ。
「まるで出会ったばかりの頃みたいに笑うのね。その方がらしいわ」
どこか安心したような声だった。
樹木のトンネルを抜けると、道路の端でなだらかなカーブを描くガードレール越しに、眼下の森が展望できた。この辺り一帯の森はシティの住民に手近な避暑地として利用されており、木の一本まで人の手で管理されている。今はシーズンを過ぎて閑散としていた。
「そうそう、本校といえば、そういえばこないだね。海馬コーポレーションの空野さんって人がね――」
「あの男とは、今後一切関わるんじゃない」
龍亞が明るくその名前を口にした途端、ヨハンは強い口調で断じた。龍亞はヨハンのあまりに冷ややかで乾いた声に驚いて、座席に頬を押し付けた格好のまましばらく固まっていた。
「なんで?」
「あいつは元々悪魔の弟子だった。師匠から見様見真似で性悪さと胡散臭さを学んだが、あの野郎、気が済んだらあっさり裏切りやがった。人間のくせに、気のいい悪魔よりもよっぽど悪党なのさ」
「うーん。空野さんが悪い人だとは思えないけどなぁ……?」
「確かに胡散臭そうな人ではあったけどね」
「でもさ、お仕事中だったけどオレ達のこと邪険にしなかったし、青先輩の面倒も見てて、子供達を楽しませることを何より大事にしてるって言ってた。立派な大人だったじゃんか」
「青? 誰だそれ」
龍亞の口ぶりでは空野の関係者なのだろうが、聞いたことがない名前だ。龍亞は足を揺らしながら、兄貴分を自慢する時の翔みたいに、得意そうに顎を反らした。
「遊城青先輩。ネオ童実野校三年生の学園首席だよ」
「『学年』首席ね」
「うんそう」
「遊城?」
「そうそう、オレ達と同じ名字。青先輩、パパにそっくりなんだ」
「俺にか。顔が」
「うんうん、とても他人だとは思えない」
「うーん。似てる人を見たって、前にも言われたことあるんだけど」
かつて十代達が、異次元に取り残されたヨハンを探して闇の世界へやって来た時に、ヨハンにそっくりな青い髪の少年を見たのだと聞いたことがある。
「オレ、青先輩くらいパパに似てる人を他に見たことないよ。ね、もしかして兄弟とかじゃないの? そういえばパパって兄弟いるの? 一人っ子? オレも龍可も、今までパパと全然そういうの話したことなかったでしょ。普通の家族みたいな話」
「……本当に、すまなかった。俺の家族は沢山いたんだ。兄弟なんて十七人いた」
「す、すっごいね。全然知らなかった」
「でも、もういない。残ったのは俺を含めて二人だけだ。そのはずだ。どいつもこいつもしぶとくて、殺しても死ななさそうな奴ばかりだったから、火事であっさりくたばったなんて聞かされてもまだ信じらんない。一人くらいどこかで生きてても何の不思議もないんじゃないかって、今でも思うぜ」
「ふたり? それが青先輩じゃないの?」
「いや、それはない。<姉さん>は……」
ヨハンは、カードの中で鼻提灯を出したり引っ込めたりしながら居眠りをしているその人へ目をやった。純粋少年の龍亞と、反抗期の龍可と、十代を大切に想っている明日香の前では特に上手く説明ができそうにないし、どこから説明をすればいいのかも分からない。だからドロップアウト・ボーイの十代に出会って教えられた最良の方法を取ることにした。
「いつか話すよ」
難問の先送りだ。
「いつか、いつかって。パパはそればっかりじゃない」
「反省はしてんだ、龍可。一晩ではとてもじゃないが話しきれないが、初めから『終わり』まで、一から十まで、いつかきっと話すよ。ただ、今は……」
きっと、口に出すのが怖いのだろう。臆病者のヨハンを、明日香が腕を組んだ格好で、救いようがないというふうに眺めている。呆れていた。
「本当貴方って、十代がいないと駄目にも程がある。優柔普段で何かを選ぶっていうことができない。十代が駆けて行って貴方の欲しい物を全部取って来て、それを与えてもらうのを座り込んで待ってるだけ。口を開けて鳴きながら親鳥に餌をねだる雛のよう」
「俺ってそんなに可愛いかな〜? あんまり誉められても困るぜ」
「誉めてないわよ。責めてるのよ」
「いやぁ。本当に俺の奥さんは、全知全能の神様みたいだ」
「十代も十代よ。飼主がフリスビーを投げてくれるのを待っている飼い犬みたいだった。ヨハンの隣に立つため、ヨハンの力になるため、ヨハンを守るため、ヨハンの夢を叶えるため。貴方に出会う前の彼はあんなヨハン病じゃなかったのに。うんざりよ、もう」
「十代?」
龍亞が少し考える素振りを見せて、「遊城十代?」と繰り返した。
「それがママの名前?」
「また、忘れてしまったのか」
かつて十代がユベルの記憶を切除され、精霊との絆を断ち切られた時のように、二人の子供達は何度聞いても母親の名前を忘れてしまう。何度顔を合わせても父親の顔を忘れてしまう。
まるで存在を拒まれているみたいだ。双子を監視下に置いていた何者かがこの悪趣味な仕掛けを作ったのかもしれないと邪推をしたことがある。その通りなのか、それとも本当に生まれ付いての約束事―― たとえば、神の呪いのようなものなのかは分からない。
「お前達も、子供の頃は……」
『十代の後を追い掛けていた』と言おうとして、ヨハンは気付いた。双子の子供達は生まれてすぐに両親から引き離され、家族四人が揃って穏やかに過ごした事実は無かった。しかし何故か、とても穏やかで幸福で、満ち足りた情景がありありと浮かぶ。本当の記憶よりも本物らしいイメージが。
―― トップスの居住エリアに建つ高層マンションの、白いタイルが円形に敷き詰められた中庭は、太陽の光を反射して銀色に輝いている。『鈴蘭だよ』。ヨハンが、花壇に植わっている白くて小柄な花の名前を娘に教えてやっていると、横から息子が退屈そうに口を出す。『もっと格好良い話をしない?』。
飛行機が青空に一筋の線を引きながら飛んでいく姿を見上げると、ベランダの上で洗濯したシーツを干しながら、嬉しそうに、羨ましそうにヨハンと子供達を見下ろしてきている妻と目が合う。微笑み合う。チョコレート色の瞳が柔らかく細まる―― 。
楽しかった夢が現実と混在しているのだろうか。救いようのない思い出よりは、幻の方が余程素晴らしい。
「空野さんに頼まれたヒー……仕事でね、本校へ行ったんだオレ達。デュエル・アカデミア本校。そこで会ったんだよ。遊城十代。オレ達と同じくらいの歳で、同じくらいの身長で、赤い屋根のおんぼろ寮に住んでる本校の生徒だよ。赤い制服を着てた」
「悪ふざけじゃないの? 彼の名を騙るなんて」
明日香は信じられない様子だ。それでも龍亞は冗談を言っているふうもなく、腕を組んで上半身を傾けている。
「そんなふざけ方をする奴には見えなかったけど。明日香先生、本校の先生なのに十代のこと知らないの?」
「知らないも何も……そんな、本校で<遊城十代>を名乗る男なんて、後にも先にも一人しか知らないわ」
俯いて、「あの十代だけ」と呟いた。
「それにレッド寮はずっと前に取り壊されて、もう無いのよ」
成績最下位のドロップアウト・ボーイが集う吹き溜まりだと学校中から見下されていたオシリス・レッド寮は、デュエル・アカデミア設立以来極めて優秀な卒業生を幾人も輩出している。サイバー流プロ・リーグを立ち上げてオーナーの片割れとして広く活躍している丸藤翔。子供達の憧れ、おジャ万丈目。エリートカードデザイナーの前田隼人。そして、<幻の決闘王>遊城十代。
現在の本校では生徒の成績によって寮を区別する制度は廃止され、三原色は姿を消した。だが、栄光の時代を築き上げた先輩をリスペクトする意図で、あえて色分けをされた制服を身に着けるものもいる。
龍亞が見たという赤い制服の少年もそういった手合いだったのかもしれない。明日香もヨハンも頭ではそう考えている。だが、胸がざわつく。期待をしてしまうのだ。何もかもを根こそぎ奪われる前の、まともだった遊城十代にもう一度会えるかもしれないという空想を抱いてしまう。
もしも十八歳の十代にもう一度会えたとする。しかし、だからどうだというのだろう? レッド寮の前で、芝生にへばりついて頭でも下げるのか。顔の形が変わるまで殴ってもらうか。それとも抱き締めて愛していると言うのか。
分からない。
「オレと龍可は本当に本校に行ったんだってば。友達も一緒だったから確かだよ。海馬コーポレーションの研究開発ビルにある<NEX>っていう部屋に、本校までワープできる不思議な扉があるんだ。そこから一歩出ると海があって、空があって、火山があって」
龍亞は嘘を言わない。単純で純粋で、誤魔化しは苦手だ。
「そいつさ、笑って言ったんだ。『ようこそ、デュエル・アカデミアへ!』。眼鏡を掛けたオレよりちびの翔っていう弟分がいて、精霊が見えるんだよ。ね、龍可」
「うん。<ハネクリボー>の精霊を連れてた。<クリボン>のことも見えたの。あの島には他にも精霊が見えたり、声が聞こえたりする人がいるんだって言ってた」
「そうそう。他に、他に……誰だっけ?」
「『万丈目もヨハンも見えるし、エドと隼人は声が聞こえる』」
「良く覚えてるね、龍可」
「精霊が見える人の言葉だから。忘れられるわけない」
鶏小屋のようなおんぼろ寮で気ままに過ごしている赤い制服の少年。<伝説>を名乗り、精霊視の力を持ったエレメンタル・ヒーロー使い。当たり前のように友達の名前を紡ぐ声。万丈目。エド。隼人。―― ヨハン。
子供達が語る島は、二十九年前の、ヨハンや明日香が過ごしたかけがえのないデュエル・アカデミア本校そのものだ。
「……空野は何を企んでるんだ?」
「企むって。パパって空野さんのこと嫌いなの?」
「いや。生まれ変わっても仲良くなれなさそうな知り合いっているよな」
「あー。嫌いじゃなくて、大嫌いなんだね」
空野は過去を忠実に再現したような本島で、彼の前任者が遺した<何か>を探していたという。ヨハンに心当たりは無い。I2社とKC社は共同で<NEX>を立ち上げて精霊の研究に打ち込んでいたが、<KC−NEX>の最高責任者が代替わりをしてからは、お互いに反りが合わないこともあり、双方が秘密主義の色合いを濃くしていく。ライバル会社同士の競合の場のようなものだった。
「本当、何を考えてんだかな、あの野郎は……」
胸に下げたカードへ目を落とし、空野の<先輩>に尋ねてみた。
「何を遺したんだ? 元<KC−NEX>最高責任者」
何故か龍可が脅えたような顔つきで、身体を強張らせた。
『ん……あー?』
呼び掛けられて、十代は目を擦って起き上がった。首を傾げて欠伸をしている。
空野が龍亞と龍可を使って<遺品>を探していたというアカデミア本校。壊されたはずのレッド寮。そこにいた十代と翔。偶然にしてはあまりにも出来過ぎた組み合わせの本校生。空野が面倒を見ている、ヨハンにそっくりな遊城青。
分からないことは何一つ分からないまま、車は目的地へ向かって滑ってゆく。
「ね、パパ。誰かに会うって聞いたけど、本校へ行く前にどこか寄るの?」
龍亞は、そろそろ車の中でおとなしくしていることに退屈してきた様子だ。
「相手、オレ達の知ってる人?」
「赤ん坊の頃には何度か会ってるぜ。覚えてないと思うけど。その人、ちょっと変わってるというか、不思議というか、常識の外で生きている人間だから、覚悟をしておいてくれ」
「龍可ちゃんは特にね」
明日香が付け加えた。
「頭が良い子を手のひらの上で転がすのが大好きな人だから」
「どんな人? 怖い? それとも気難しい?」
「そうだなぁ。まともな時は俺が知ってる誰よりもまともだけど、まともじゃない時は俺が知ってる誰よりもまともじゃない。スイッチ次第だな。機嫌と気分は山の天気より変わりやすい。朝は晴天、昼から大雪、夕方から夜半にかけては亜熱帯性集中豪雨。季節感ガン無視。そんな感じ」
「天気に喩えるのは無理があるでしょう。気象庁が発狂するわ」
「弱きを助け、強きを助け、恋に恋する、恋する者全ての救世主。ただし自称。デュエルの貴公子、ブリザード・プリンス。ただし中年男性。その男の前ではサイバー流プロ・リーグ最強のヒールも過労死寸前、かつて人類全てを一度消滅に追いやった元<世界の敵>は気がついたら甲斐甲斐しい家政婦に仕立て上げられ、舌先三寸にかけちゃ歴代最強の<幻の決闘王>も有無を言わせず言い包められて拗ねちまう」
「なにそれ。無茶苦茶だね」
「明日香の兄さんだぜ。性格が正反対の兄妹なんだよ」
「何も間違っていないのが泣けてくるわね」
正直を言うと、今はあまり会いたい人物ではない。結婚前に妻と二人で一緒に心の闇を穿り出され、抉られ、弄ばれた時のことを思い出した。十代のカードを覗くと、分かっているのかいないのか、ヨハンを慰めるように笑い掛けてくれた。
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