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 かつて、世界の中心にいた。柔らかい糸を大切に重ねて造られた繭のような世界だった。その中でまどろんでいるうちは、ある種の絶対性を信じていられた。
 楽しいことばかりの明日が来ること。大好きな人が明日も隣で笑っていること。人を信じて、人に信頼されることの幸福。愛情は報われること。どんなに辛いことがあっても、ヒーローは必ずハッピー・エンドを迎えること。この世界もそんなに捨てたものじゃないこと。
 結局の所は、幼い幻想だったのだろう。繭は引き裂かれる。幼虫は現実を知る。
 この世の終わりを見たことがある。無限のようだった世界ですら、壊れるのは一瞬だ。絶対なんて誰も約束できない。少女は何もかもに挑みかかるような眼で、人が造った街を高台から見下していた。
「化け物の子は、化け物よ」
 謳うように言った。
「そう。怪獣の子は怪獣。鬼の子は鬼。竜の子は竜。悪魔の子は悪魔。覇王の子は覇王」
 カーテレビからは多頭の怪物の訃報を告げるニュース番組が流れ続けている。誰も彼もが少女の母親を<世界の敵>と呼び、その死を祝って熱狂していた。誰も悲しんではくれなかった。誰の気持ちも分からなかった。滅びた後の世界は致命的にずれていた。
「ママは私を抱き締めてくれた。包み込んで、壊れるまで守ってくれた。迷子になったらいつでも、どんな闇の中にいても手を引いて、灯りの下へ連れ戻してくれた。あなたはそんなママに、ママの子供でもないのに与えられるばかりで……一体パパは何をしてくれたっていうの?」
 空の虹はもう消えた。少女が抱いていた幼稚な幻想を引き連れて、誰の手も届かない最果てへ去ってしまった。
 少女は人を、精霊を憎悪した。怒り、悲しんでいた。胸が苦しかった。疑惑は確信へ変わっていた。狂信者が神託を書き記した経典を掲げるように、五つの邪心を抱いて、この狂った十二の宇宙に向かって宣言した。
「私は覇王。この世界を支配する者。力こそ全て。力こそ正義。力によって神様を殺して、私がママを取り戻す。大切なものが何なのかも選べないパパにはできない。パパなんかもういらない」
 失望しながら、吐き棄てた。
「役立たず」
 ネオ童実野シティの高層建築群が、薄い青空の中に白く浮かび上がっている。巨大な墓標が乱立しているような光景だった。朝が来て、醜い世界を光が暴き出していた。
 ここは怪物が支配するおぞましい星だ。寒気がする。夏の陽射しも身体を温めてはくれない。両親はもう娘を抱き締めてくれない。
 少女は昏い瞳で、母親を殺して英雄になった男を見つめていた。
「綺麗な思い出になんか変えさせない。ママがどれだけパパを求めていたのか。ママみたいにあがいて。ママみたいに絶望して、悔やんで、自分を責めて。……同じ気持ちになって、思い知るがいいわ」

 * * * * *

「わかったか? 留学生」
 上の空で聞いていた龍亞は、頬杖を崩して慌てて顔を上げた。
「え? ご、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「聞いてなかったのかよ……。いいか、三度目は無いからな」
 夏の陽射しと火山の地熱に蒸されて、今日もデュエル・アカデミア本島の気温は三十度を上回っている。そんな中で、ブルーのロングコートを着崩しもせずに羽織った男子生徒が、うんざりと繰り返した。
「我々伝統あるデュエル・アカデミア新聞部は、毎年夏が来ると怪談特集を組んでいるんだ。今年はアカデミア島怪奇事件マップを作ることにした。だけど何分人手不足で困ってたんだ。部員は情報部に取られちゃうしさ……。はい、アシスタント君。これ島の地図な」
 そう言って、アカデミア本島の地図を渡された。黄色い紙に赤いペンで区切り線と注意書きが入っている。本校は決闘者の伝説の地だ。それと同時に、オカルトマニアの聖地という何とも言えない一面も持っている。
「電子データでいいよ。紙だとすぐにくしゃくしゃにして無くしちゃうんだ」
「その方が気分が出るだろ」
 相手は片目を瞑って肩を竦めた。
「いいな、港から女子寮までそれぞれひとつずつピックアップ。取材は一人三分間。それから、アンケート箱の中身を纏めて高寺先生に提出すること」
「なんで留学生のオレがやんなきゃなんないの? それっておかしくないかな?」
「オカ研の高寺先生に相談したら、留学生がアカデミアの地理を把握するのに良い方法だって言ってたんだ」
「めんどくさいよぉ〜」
「デュエルで負けたんだから、往生際が悪いことを言うのは男らしくないぞ」
 その通りだ。仕方がなく、録音用のマイクをしおらしく受け取った。龍亞が本校に留学してからというものの、遊城という名字を異様に珍しがられて、賭け事みたいなデュエルを挑んでくる生徒が後を絶たない。


 龍亞は中庭のベンチで龍可の隣に座って、引いたドローパンの包みを解いた。パンの隙間から大嫌いな人参が覗いている。目の前が霞んで見えた。
「うわぁ。野菜の国の赤い悪魔だぁ……」
「毎回嫌いなパンばかり引いてる。無理しないで、他のにすればいいのに」
 龍可が呆れた目をくれた。自分のパンの包みのシールを丁寧に剥がしている。
「龍可ってあんまりドローパン好きじゃないのに、最近良く食べてるねぇ?」
「知らないの? 龍亞」
 龍可は首を傾げて、宙に向かって「ねぇ」と笑い掛けた。妹がこうして何もない虚空に向かって話し掛けている時は、傍に精霊がいるそうだ。龍亞には見えない。
「一日一個だけ。黄金の卵パンが隠れてるの」
「全生徒にひとつだけ?」
「そう。ドローすると何でも願い事が叶うって噂」
「へぇ〜! 怪奇だねぇ」
「……なにそれ?」
 龍可が目を丸くした。黄色い紙の地図を見せると、呆れた顔になる。
「あ。何だよ、その反応。まさか今更幽霊は信じてないとか言い出すつもり? 前に二人で見たじゃないか」
「逆。わざわざ探しに行かなくたって、そこに沢山いるじゃない」
「お、脅かすなよ……」
「そう? ごめん」
 龍可が悪びれもせずに笑った。冗談に聞こえない。背中を冷汗が流れていく。
 生まれた時から人には見えないものを見て育った龍可は、たまに普通の人間と世界観がずれている。変な目で見られることを怖がって、普通の人間の前では、自分の目に見えている世界の話はしない。龍亞の前だけだ。
「そう言えばパパからメールが来たよ」
「……私の所も」
「えーと。元気でやってるみたいで、良かったね?」
「龍亞。らしくない」
 パックのピーチネクターにストローを差して吸い込みながら、龍可が冷たく言った。
「龍亞が気なんて遣ったってしょうがないじゃない」
「まあ、そうかもだけど」
「私、あの人がママだなんて認めない」
 龍可はかたくなだ。一度殻に篭ってしまうとなかなか意見を変えない。嫌がることを何度も繰り返して言うと怒り出す。龍亞は龍可を良く分かっていたから、今日の所は説得を諦めた。


 授業が終わり、寮へ戻って携帯端末に父親へのメールの返信を打ちながら、龍亞は天井を見上げて溜息をついた。子供の頃から聞いていた『仕事のため』とは全く違う理由で、龍亞の両親は今世界中を飛び回っている。
「あの二人大丈夫なのかなぁ。遊星がいてくれたら、きっとすぐに助けてくれるのに」
 龍亞がリスペクトする不動遊星は、事件に遭遇しやすい体質をしている。事件が彼を呼ぶのか、彼がいるから事件が起こるのかは分からない。そして彼は身の周りに困っている人を見付けたら、誰でも分け隔てなく手を差し伸べる男の中の男だった。今回も出掛け先で何かのトラブルに巻き込まれたらしく、アキとメールの遣り取りをしている龍可から聞いた話では、またしばらくネオ童実野シティには戻っていないそうだ。事件に遭いやすい体質と、巻き込まれざるを得ない性質。ヒーローの日常は波乱万丈だ。
「遊星、オレも困ってるんだけどなぁ。……なーんてねぇ。遊星に頼ってばかりの子供だったオレじゃもうないぞ。龍可もパパもママもオレが守るんだ!」
 椅子に片足を乗せて、威勢良く立ち上がって拳を振り上げてみた。心配事は山積みになっていたが、困ったことはこれまでに何度もあったし、何ともならないことは無かった。頭を使って答えが見つかった覚えも無かった。空元気を出すと気分が少し晴れた。


 デュエル・アカデミア本校へ留学に訪れてから、龍亞が初めてこの島へやって来た時に出会った、母と同じ名前の少年の姿を見たことがない。成績最下位の落第生徒の掃き溜めと言われたオシリス・レッド寮も、既に解体されて存在しないそうだ。
「わざわざ解体しなくても、台風か何かでぺしゃんこになりそうだったけど」
 おんぼろのプレハブ小屋を思い出す。赤茶けた錆が浮いている手摺りに、今にも踏み抜いてしまいそうな階段と、歩く度に軋む頼りのない廊下。建て付けの悪い扉に三段ベッド。風化したようなシンクと罅の入った窓、見ようによっては人の顔の形にも見える染みのついた壁。
「ある意味昔のサテライトよりひどかったよね。でもキャンプみたいで楽しそうだったな〜」
 あの寮に満足していた十代にも、サテライト育ちの遊星にも怒られそうな独り言を言う。
 もしかすると、海馬コーポレーションビルの<デビルバスター>開発室にあった不思議な扉が、実はタイムマシンだったのかもしれない。龍亞達はあの日過去のアカデミア本校へ飛んだのかもしれない。ネオ童実野シティの科学力は世界一だ。タイムマシンの一つや二つ位あってもおかしくはない。そう考えてみたが、やはりごく普通の少年だった十代が、白髪頭の絶世の美人に成長したと考えるのには少し抵抗があった。
「あの十代が成長してオレのママになるんなら、オレだって大人になったら遊星みたいに世界一格好良くなっちゃうよ、うん。いや、なるけど。うん」
 それでも確かに龍亞は十代とデュエルをした。あれは何だったのだろう。レッド寮は、十代は、今はどこへ行ってしまったのだろう?
 窓の外の空は白く濁っていた。少し前まではいい天気だったのに、薄明るい灰色の雲があっという間に空を覆って、夕立ちが降り出した。大粒の雨が窓ガラスを叩く度に、柔らかくて平べったい音が鳴る。授業の帰りに購買に立ち寄っていたらびしょ濡れだっただろう。寮の前を通っているコンクリートの歩道の上を、鞄を傘代わりに頭に乗せて走っていく生徒達の姿が見えた。
 雨はすぐに上がった。雨雲はやって来た時と同じく、あっという間に空の彼方へ消え去った。綺麗に晴れると、水の匂いがする青空に大きな虹が現れた。思わず龍可に「窓の外見て!」とメールを送って、窓を開けた。頭の真上にできている虹のアーチを見上げていたら、ノックもなく部屋のドアが開いた。
「あー、ついてねぇ。タオル貸りるぜ」
 不躾に唐突に現れた訪問者は、泥だらけのブーツを扉の前に脱ぎ散らかすと、勝手を知った様子で洗面所の棚からバスタオルを引っ張り出している。龍亞は何だか良く分からないまま、勢いに飲まれて頷いていた。
「あ、うん。どうぞ。降られちゃったんだ」
「ああ……」
 バスタオルを頭からかぶって、乱雑に水気を拭っていたその人の動きが止まる。怪訝そうになる。
「……?」
 気だるそうに腕を組んで、首をひねる。そういう仕草が妙に絵になって見える、格好の良い人だった。その顔は良く知っていた。
「……ここ空き部屋じゃねーの?」
 <ガッチャ>が、流暢な日本語で喋った。
「ガ、ガッチャ?」
 龍亞の母親の悪魔族の精霊は、今は父親に連れられて、悪の組織に追われて世界中を飛び回っているんじゃなかっただろうか。白髪でちぐはぐ色の不思議な瞳をしていて、赤ん坊のように幼く、口が利けない可哀想な人で、いつも誰かが傍についていてやらなければ泣き出してしまうような、放っておけない危うい存在ではなかっただろうか。
「……? ああ、ガッチャ」
 忘れていた挨拶をするみたいな仕草で、その人が人差し指と中指を揃えて突き出す。『ガッチャ』の仕草だ。


 ベランダに出て水浸しの赤いジャケットを絞りながら、ばつが悪そうな顔で、その人が言い訳をした。
「原っぱで昼寝してたら急に降り出してさ……」
「授業は?」
「面倒臭い」
 そこは悪びれもしない。龍亞の母親に酷似していたが、話を聞くと、どうやらこの人はアカデミアの生徒のようだ。他人の空似だ。見た所上級生のようだが、仕草や口調が何だか不良っぽかった。
「この部屋に住んでた留学生、もう故郷に帰っちまったんだ。だから今は空き部屋だと思ってたんだけど」
「その割には堂々とオレの部屋の備品使ってたよね」
「変な癖がついちまってるんだ。あいつ、ここに馴染み過ぎてたんだよ。きっとそのせいだ」
 濡れ鼠になって、随分身体を冷やしているみたいだ。ホットミルクを入れてやると、窓枠に腰を掛けて、吹いて冷ましながら美味そうに飲んでいる。真面目な生徒ではないようだが、悪い人でもなさそうだ。
 その人と向かい合っていると、落ち付かない気持ちがした。良く知っている顔なのに中身は全然別の人間だ。
 チョコレート色の髪は、綺麗に二色に分かれている。上がミルクで下はビター。変わった色味だ。<ガッチャ>にそっくりだが、瞳は髪よりも少し明るい色のブラウンで、ブラウンにエメラルドを掛け合わせたような色味の龍亞よりも赤味を帯びている。目付きは荒んでいて、『孤高の一匹狼』だとか『歴戦の喧嘩番長』という印象を受けた。
「幽霊かと思った。龍亞」
 龍亞を上目遣いに見て、落ち付いた声で呟く。
「オレのこと知ってるの?」
「もう忘れちまったのか。十代だよ」
「え?」
 その人は、龍亞が良く知った名前を当たり前のように口にした。能天気な遊城十代と、<ガッチャ>ともまた違う目の前の自称十代が重なり合わなくて、龍亞は思わず聞き返していた。
「あの十代?」
「そう、あの十代」
 十代は言われ慣れているというふうに、唇を皮肉っぽく歪めて喉の奥で笑った。意地の悪い笑い方だ。龍亞が知っている『どの』十代もそんなふうには笑わないはずだった。
「変わりすぎだよ」
「良く言われる」
「カップラーメンにお湯を入れて、三分待ったら中からプリンが出てきたぐらい変わりすぎ。びっくりだよ」
「その喩えは良く分かんねぇけど、色々あったんだよ」
 ホットミルクを飲んでしまうと、十代は湿った赤いジャケットを羽織って、絨毯を濡らさないように爪先立ちの軽い身のこなしで玄関まで歩いていく。
「邪魔した。じゃあな」
 あっさり言ってドアノブに手を掛けた。龍亞は大急ぎで、後ろから十代のジャケットの裾を引っ張った。
「待って待って! 証拠見せてよ。十代だっていう。えーと、じゃあさ、デュエルしない? うん、それがいいよ!」
「……オレとデュエルしたって、楽しいことなんか何もないさ」
「あ、早速あの十代っぽくない台詞。じゃあいいよ、うん、なんでもいいよ。あのさ、オレ、すっごく困ってるんだ。助けてくんない!?」
「人助けなら他を当たってくれ」
「オレの周り、最近よくわかんないことばっかりなんだよ! 龍可は相談したらきっと怒るだろうし、でも十代なら少なくとも話を聞いてくれるでしょ?」
「オレは暇人だが親切じゃない」
「オレ、説明下手なんだよ。何とか分かってもらえない? 心を読めるとか、分からないことが分かるとかさ。だって十代、人間に化けてる悪魔族の精霊なんでしょ?」
 チョコレート色の髪が、ハリネズミみたいに逆立った。
「……お前、何者だ」
 十代の声のトーンが落ちる。恐ろしく冷たい目付きになる。龍亞は構わずに十代の肩を掴んで、せっついて言った。
「あのねオレ、もしかしたら十代の未来の息子かもしんない!」
 十代は昼間の猫のように瞳孔を窄め、何度かまばたきをして、指の綺麗な手で龍亞の額に触った。
「……頭、大丈夫か?」
 龍亞が駄洒落を言った時に、龍可が返してくれる声とそっくりだった。

 * * * * *

 構内で噂話に興じる女子生徒の姿というのは、どこの学校へ行ってもそう変わりのない光景だった。耳たぶにキスをするみたいに唇を近付けて囁く話、多彩なボディ・ランゲージを交えてする話。沢山の話。
「最近ソワソワしてるじゃない、彼。授業が済んだら寮に直帰。好きな子でもできたのって聞いたら……」
「毎晩逢引き?」
「えーなにそれ。ちょっとショック」
「たとえドロップアウト・ボーイだって、お金持ちでハーフなんて将来有望よね。それにさ……ね?」
「ね。<伝説>の御曹司だもんね。付き合うだけで勝ち組間違いなし。セレブだし」
 くだらないひそひそ話だと思った。それでも、覗うように覗き込んできた目と視線が合うと、龍可は曖昧に微笑んで、首を傾げて言葉を濁す。
 これが普通の世界なのだ。周囲から浮き上がらないように細心の注意を払う。突出は駄目だ。落第も駄目だ。
 怪物にはなりたくない。
「龍可!」
 ワックスで念入りに磨かれた廊下を、大きな足音を立てて龍亞が走ってきた。腕には教材が入ったダンボール箱を抱えている。また授業中に居眠りをしていた罰を受けているのだろう。
「龍亞。……最近会わないね、あんまり」
「龍可女子寮だもんなあ。あそこ男子禁制だし。あ〜、最近寝れてないでしょ。目の下にくま」
 龍亞は鼻先を龍可の傍で何度か蠢かして、「疲れてる匂いがする」と言った。
「こっそりオレの部屋おいでよ。一緒に寝よ」
「大丈夫よ、子供じゃないし。それより最近、毎晩誰かと会ってるって本当?」
「あ、そうそう」
 龍亞は得意そうに歯を見せてにやついた。
「シャッキーン! アカデミア島の怪談マップ、現在鋭意製作中。やりだすと結構面白いよ。墓守が守ってるネクロバレー遺跡に、希望の灯台に廃寮跡地。地下ジャングル。あいつがいなきゃ、オレ森の中で迷って帰ってこれなくなるところだったよ」
「……あいつ」
「この島に詳しい奴と仲良くなったんだ。サボリ魔なんだよ。人が来ないところ、良く知ってんだ」
「不良じゃない」
「うん、不良……かな。でも遊星レベルのイケメンだね。ちょっと似てる」
「へぇ……」
 龍亞は慌てて、目に見えない透明な壁を撫でるような仕草をした。
「あー龍可はだめだめ。なんか相性悪そう。もうちょっと、心の準備してから」
「どうして?」
「絶対修羅場」
 よく分からないことを言う。チャイムが鳴ると、飛び上がってまた駆けていく。

 * * * * *
 
「ほう。じゃあお前は未来でオレのことが苦手な龍可に、今のオレと会ってるのを話せないってのか」
 十代が言った。
 いい月夜だ。アカデミア本島の火山地帯を除いたおおよそ半分を覆っている、熱帯性の森の中を、龍亞は十代と連れ立って歩いていた。右手には黄色い地図、左腕にはデュエル・ディスク。十代は龍亞よりも夜目が利くようで、曖昧な黒で塗り潰されたようになっている獣道を、足元も見ずに歩いていく。
 ブーツのつま先で土を蹴っ飛ばしながら、龍亞は頷いた。
「龍可、十代みたいになりたくないんだってさ。反抗期なんだよ。ま、子供なら誰にでもあることだから気にしないほうがいいよ。二度と顔を見せるななんて本気な訳ないでしょ。勢いがついて、ついきついこと言っちゃうくらいあるよ」
「そんなん言われてんの? オレ?」
「あ、オレが十代を慰めてあげたの、内緒ね。龍可、オレが好きだから。嫉妬しちゃうから」
「お前のノリは良く分からないけど……ま、いい判断だ。オレみたいな不良と付き合ってるなんて、周りの奴らに言わないほうがいい」
 二十八年前の龍亞の母親は、気だるそうに赤いジャケットの肩を竦めた。頭の天辺からブーツの踵までが、映画のワンシーンみたいに様になっていた。
「もしかしてまだオレの話信じてくれてないの? もー、往生際が悪いなぁ」
「お前みたいな間抜け面の言うことに説得力があるかよ」
「ひっどいなぁ! 仮にも未来の息子に向かって!」
「はいはい」
 軽くいなされた。
「そういうつれない所、ほんと龍可にそっくり。オレの言葉が信じらんないなら、十代はなんでオレに付き合ってくれるの? この島を案内してやってもいいぜ、なんて」
「さあな。気まぐれだ」
「ふうん」
「遊びに付き合ってやるふりをして、見張ってるのかもしれないぜ」
「なにを?」
「お前が何かしでかさないかってな」
「心外だね! オレ悪戯したりしないからね。やれって言われることは良くあるけど」
 両腕を振り上げて抗議した。十代はうるさそうに顎を上げて、枝の間から白い光を投げ掛けてくる月を見上げている。
 二〇〇七年十月。それが十代の生きている時間らしい。彼が言うには、ちょうど一年前に高校三年生に進級したが、長らく休校になっていたせいで卒業が半年間延びたそうだ。不真面目で授業にも出ていない十代だが、留年をしている訳でもないらしい。
 未来を生きる龍亞が二十八年前の過去の世界へ迷い込んだのか、過去の人物の十代が二十八年後の未来へさまよい出たのかは分からない。ひとまず十代は幽霊には見えなかった。第一死んでいない。龍亞の時代の十代の姿については、黙っておこうと決めた。いくら十代でも、言葉も記憶も失ってしまった未来を知ったら、ひどいショックを受けるに違いない。
 龍亞はディスクを振って、腹の辺りまで背丈がある茂みを払い除けながら、そう考えていた。
「あー困った。困ったなあ」
 わざとらしくぼやいて、前を進む十代を覗う。聞こえているのは間違いないが、振り向きもしない。可愛くない。違和感がある。龍亞が知っている十代は、ペットみたいですごく可愛いのだ。お手だってできるし、いつも笑顔でいる。この十代はむっつりだ。
 アカデミアの有名怪奇スポットのひとつ、<低級霊が集う古井戸>は森の奥にあるそうだ。朽ちた木が折り重なった地面を踏み付けて歩く度に、小枝が割れる乾いた音がした。
「……すっごく困ってるんだけど、何に困ってるのかわかんないんだよ」
 十代が、ふと龍亞を見た。可哀想なものを見るような目をして、また前を向いて歩く。相手にされていないような気になってきた。
「あのさ、もしかして馬鹿にしてる?」
「してない。その気持ちは知ってる。一歩後に引いて自分の背中を見てみろよ」
「全体を見る目、ってやつだね! デュエルでも重要な戦略だって先生が言ってた。そしたら分かるの?」
「いや。分からないことが分からなくて悩んでる馬鹿で無力な自分を見ていると、殴り倒してやりたくなってくる」
「何も解決してないじゃん、それ」
「何でもかんでも解決すりゃいいってもんでもない。悩みなんて馬鹿馬鹿しい。面倒臭い。全部棄てちまえ、そんなもの」
「なんでそんなに荒んでるんだよ」
「自分に言ってるんだよ」
 十代が、いやにくたびれた溜息をついた。あまり機嫌が良くは見えなかった。悩み事でもあるのかもしれない。一瞬足を止めて、また歩き出す。
「何もしないでいたら何も起こらないわけじゃない。頭で悩んで答えが出るなんて、信じてるわけじゃない。解決するのはいつも身体を動かした時だと決まってる。でも動いた途端に世界が壊れてしまいそうな気がして、一歩も踏み出せない。……オレは馬鹿な野郎さ」
「その気持ち、良く分かるよ。湯船にお湯を張り過ぎた時とか、コップにジュースを注ぎ過ぎた時。動くと零れちゃいそう」
「……オレ、ほんと馬鹿だ。救えねぇ」
 世を儚んでいるようだった。
 目の前を大きな蛇が横切った。十代は歩く速度を緩めもしない。龍亞は驚いて悲鳴を上げたが、蛇はもっと驚いたように十代を見上げ、丸い目を見開いて頭を下げると、慌てて逃げて行った。動物に懐かれない体質なのかもしれない。
 少し開いた距離を小走りになって詰めて、龍亞は十代の顔を覗き込んだ。そっけない顔だ。遊星も見た目と喋り方はそっけないが、彼は熱い心を持っていて優しい。十代はそっけないだけだ。全然優しくない。だけど二人はどこか似ている。
「龍可なんだけどね。オレの妹、きっと怖いんだよ。みんなと違うのが」
「ふうん」
「ふうんって。そんだけ? 何かアドバイスしてあげてよ。おんなじ精霊が見える者同士でしょ」
「力なんて欲しがる奴からは取り上げられて、使い道のない奴に分不相応な位にでかいものが与えられる。そういうもんさ。運命は意地が悪い。力を正しいことに使えそうな奴には、そんな良い方にも悪い方へも揺れる不安定な力を与えないんだ。時々この宇宙を統べる神様の無謀さに、あの野郎は本気で神様をやる気があるのかどうか疑わしくなることがある」
「龍可は、十代みたいに達観してないんだよ。でもわかるよ、十代の言うこと。たとえばオレ達兄妹が逆だったら……オレが特別な力を持ってて精霊が見えて、龍可が普通の女の子だったら、きっと『上手くいった』になるんだと思う。龍可はなりたかった普通の女の子になれるし、オレだって今よりずっと上手く龍可を守ってあげられたと思う」
「仲良いよな、お前達兄妹」
 十代が、少し羨ましそうに言った。
「十代って一人っ子だったよね?」
 以前交わした話を思い出しながら確めると、十代は尊大に頷いた。龍亞と大して身長は変わらないのに、ものすごく高いところから見下ろされているような気分になった。まるで偉ぶった王様と話しているみたいだ。玉座の上でふんぞり返ってこう言うのだ。『良く来たな勇者よ。待ち侘びたぞ』。
 想像してから、それは王様ではなく、みんなを苦しめている魔王の台詞だと気付いた。
「ひとりだ。お前みたいに兄弟がいたら、オレの自分勝手さも、もう少しましになってたのかもな」
「自覚してたんだ。力が不公平に行ったり来たりするのは分かったよ。それで、欲しくもない力を持っちゃった人はどうしたらいいんだろう?」
「街で暇そうな爺さんをつかまえて道を聞くのとは違うんだぜ。人に教えられた通りに生きても、納得なんかいきっこないさ」
「でもアドバイスくらい構わないと思うよ」
「オレに言えることは何もないが……」
 十代は腕組みをして、視線を宙に向けた。
「誰かを傷付けたり、人と違うことを知って怖くなったりするくらいなら、オレみたいに昼間から部屋に篭もって寝てりゃいいんだ」
「それ言えないよ。ほんとに龍可、部屋から出て来なくなっちゃいそうだもん」
 龍亞はさすがに呆れて、両手を広げて文句を言った。
「十代ってさ、龍可にそっくり。ヒキコモリって言うんでしょ? そういうの。ダメだよ。妹はね、十代と違って優等生なんだから。嫌々だけど一応ちゃんと毎日授業にも出てるし、テストの成績もいいもん」
「やれやれ、オレの方がアドバイスしてもらいたいくらいだ。まだ希望を捨ててない。偉いぜ、龍可は」
「十代は絶望してるわけ?」
「そんな大層なことはしてないが……まあ、似たようなもんかもな。部屋から一歩外に出たら、どこにも自分を好きになってくれる奴がいない世界ってのは、正直しんどいもんさ」
「オレは十代好きだよ。カッコいいし」
 素直にそう思う。綺麗な顔をしているし、手足も長くて格好が良い。目付きは面倒そうに眇められている。不良っぽく斜に構えてはいたが、ぶれない芯を持っているのが分かる。
 十代は白けたような顔で、前を見つめたままだ。龍亞の方を向きもしない。ひねくれ方が友人のスライに似ているような気がした。
「そう、人の好意を信じられない。しんどい」
「なんで信じられないの?」
「みんなに嘘ついてるからだよ。普通の人間のふりしてさ」
「なーんだ。仲良しのみんなに本当のことを言えなくて拗ねてるって、案外十代って正直者でいい奴だよね」
「オレは嘘吐きのプロさ」
 十代は少し赤くなった。照れているらしい。
「お前がこの前言ってたように、悪魔だ。人に化けてるんだよ。上手く化けてるだろう? 本当は馬鹿でかい怪獣なんだぜ。もしあの姿を見ても好きだって言ってくれる奴がいたとしたら……」
「ら?」
「オレそいつのこと崇拝してもいいぜ。神様だって」
「じゃあオレは好きになってあげるからさ、十代、オレのこと『すーはい』するといいよ。『龍亞さま』って呼んでいいからね」
「……あー。オレ龍亞と話してると」
「なんだよ。呆れた?」
「息がしやすい」
「なにそれ」
「ありがとう、って言ってんだよ」
「なんだ、そっか。嘘くらい何だい、毎日エイプリル・フールなんて結構楽しいよ。そう思えば?」
 龍亞が肩の上で拳を握ってそう言うと、十代は目を細めて、少しだけ口許を綻ばせた。
「笑った。うん、笑った方が綺麗だよ。十代は」
「……ばかか」
「あ、かわいくない」
「お前、オレの親友に似てる。傍にいると周りの空気が綺麗になったみたいな感じがする」
 電化製品みたいに言われた。それでも悪い気はしない。
「オレは十代と話してると、良く分からないけど頭が良くなった気がするよ」
「気のせいだ。オレは万年ドロップアウト・ボーイだそうだ。赤点の数じゃこの学園でオレに勝てる奴はいない。今までもいないし、これからも未来永劫いない」
「変な自信だけはたっぷりなんだね。そういうんじゃなくてさ……。大人っていうのかなぁ。ねぇ、どうやったの?」
「なろうとしてなった訳じゃないさ。ただ子供でいられなくなっただけだ」
 十代は目を伏せて、緩く頭を振った。何だか哀しそうに見えた。まるで誰かの葬儀に出ているみたいだ。
「力の責任。何も知らない子供のつもりで振りかざしたら、またみんなを傷付けちまう。知らない音楽を鳴らされて、知らない歌を唄えって言われて……それでも正しい歌を唄わなきゃならない」
「理不尽だね」
「それが力を持つ者の義務さ。正しく果たさなきゃならない」
「果たせる人いるの?」
「まさか。少なくともオレは無理だった。間違いを犯して、今は贖罪に奔走中」
「大変なんだ」
「ま、自業自得だ。悪いばかりじゃない。走ってる間は何も考えなくて済む」
「十代はすごいな」
 龍亞は正直に言った。難しくて何を言っているのか良く分からない。前に会った時は龍亞そっくりの能天気な子供だったのに、ほんの一瞬の間に、いきなり大人になってしまった。
「背も伸びたね」
「……お前、いい奴だな」
 十代が、しみじみとした顔で言った。そう言えばアカデミア一年生の龍亞と、今年度で卒業だという十代の身長はそう変わらない。同級生の間では小柄な部類に入るのかもしれない。
「きっとじきにお前のが高くなるさ」
 含みを帯びた、不思議な言い方だった。



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−「P.W.E」…<
arcen>安住裕吏 10.04.04-10.04.11 −