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トップスの旧海馬コーポレーション<NEX>開発ビル跡地は、かつてシティに飛来し、破壊の限りを尽くした巨大怪獣の終焉の地とされる。今は街を守った虹の竜の像が立ち、瓦礫の山は整備されて森林公園になっているが、その一帯では不可思議な現象が頻発し、人知を超えた存在と遭遇したという噂が絶えない。良くないものを呼ぶ性質がある土地だと、シティに帰ってきたばかりの頃に、<遊星号>の整備をしている横で幼馴染の仲間が見ていた怪奇番組のリポーターが大げさな身振りで言っていたのを覚えている。
そこに大穴が開いた。突如としてネオ童実野シティ上空に現れた黒い靄が、瞬く間に大地に浸蝕し、街を覆い隠したのとほぼ同時期だった。
石畳ごと崩落した穴の中に呑み込まれた遊星は、気が付くと不思議な空間にいた。どことも知れない寂しい大地に倒れていた。空に空は存在せず、代わりに巨大な惑星と剥き出しの宇宙があった。
まず、当たり前だが、自分は死んだのかと思った。死因は墜落死。決闘者としてはどうもぱっとしない最期だ。だが、そうでなければ、更に理解し辛い事態になりそうだった。自分にも誰にも説明の付けようが無かった。ネオ童実野シティの高層ビル群と喧騒はどこにもなく、目の前には果てのない荒野が広がっているのだった。件の黒い靄を調査に来ていた牛尾とクロウが傍にいたはずだが、姿はない。通信も繋がらない。さすがに星間通信を行える程のスペックは、<遊星号>にも手作りのデュエル・ディスクにもない。遠過ぎるのだろう。木星を見ながら、ぼんやりと思う。
ひとまず<遊星号>を走らせていた。どこまで行っても乾ききった赤茶色の岩しか見えない。星を一巡りしてしまったのかもしれない。ずっとぐるぐる回り続けているだけなのかもしれない。景色が変わらないせいでそんな気分すらしてくる。かつてのB.A.Dエリアを思い出した。
「いや助かったよ、ほんとに」
耳のすぐ後ろで、少し前に道中で拾った連れ合いがしみじみと溜息を吐いた。
遊星の後ろにはイルカが乗っている。もちろんただのイルカは喋らない。シルエットだけを見たなら、かろうじて人間だと認識したかもしれない。<彼>はイルカが、もちろんハクジラ亜目のあのイルカが―― 気の遠くなるような長い年月を経て、やがて人類が滅びた後の未来に世界の支配者として君臨したとしたら、それのような姿をしているのだろう、人のような姿をしたイルカだった。肩に置かれている腕には三角形のひれがついている。体皮は見た目よりも固い。ゴムのような質感をしていた。体温が低く、傍にいるだけで首筋がひんやりした。理由は分からないが、このイルカは黒い靄を押し固めたような狂暴な黒犬に追い掛けられていたのだ。
「元は仲間だったんだ」
助けたイルカは、追ってくる狂犬を見返って哀しそうに言った。<遊星号>に振り切られ、吼えさかる声も遠ざかっていく。
「仲間達は次々に狂ってしまったんだ」
遊星は頷いて、きっと自分は悪い夢を見ているのだろうと思い直した。ここはあの世じゃない。自分に恨み言を言う亡者もいないし、先に逝った両親の姿も無かった。いるのは奇妙なイルカ人間と悪夢の使者のような狂暴な犬だ。そう言えば長い間まともに睡眠を取っていなかった気もする。また床の上で寝落ちてしまって、現実では仲間に苦労を掛けてしまっているのかもしれない。
「ここは木星軌道上の衛星イオ。昔は美しい星だった。それが今はこの有様だ。この辺りは元々海だったんだ。だけど海水は蒸発して浜辺の木々は枯れた」
「宇宙。これは夢じゃないのか」
「そう思うならそう思っていていいよ。前にここへ来た子は、自分は死んでしまったに違いないと言ってたよ」
イルカはそう言って、額に手を当てて溜息を吐いた。疑り深い人間の相手をするのは疲れるというふうに。
「貴方は、なんなんだ? ここはどこだ?」
「この星が浮かぶのはネオスペース。ネオス宇宙」
「―― ネオス」
忘れもしない名前だ。ヒーローが操る銀色の巨人。<あの人>のエースカードだ。
「私は絵に描いた善の使者、薄っぺらい正義の味方さ」
イルカは自嘲気味に笑って、自分を慰める言葉を付け足した。
「そりゃそうだよ、我々を創造したのは幼い子供だった。ねぇ、君はひとりぼっちの子供の気持ちは分かるかい?」
「オレには仲間がいてくれた。……幸福なことだ」
「同じ年頃の子供は、あの子の顔を見ると皆逃げていったんだ。あの子とデュエルをすると皆昏睡状態に陥ってしまう。だから悪魔だって怖がってね。あの子は孤独で、自分の想像の中でだけ、自分が作った空想の友達と遊んでいた。毎週楽しみにしていた勧善懲悪の特撮番組。テレビの前でオープニングから手に汗握り、待ちに待ったラスト三分。小学生の時の彼は、最強ヒーローの登場を待っていた。宇宙の友達はひとりぼっちの子供にも、正義の心さえあれば、分け隔てなく接してくれる存在だった。あの子には特別な力があって……孤独だったから特別になったのか、それとも特別だから孤独になったのか、それは今となっては分からないけど、幼い正義を心の底から信じている者達の世界を創造した。善と悪が綺麗にふたつに分かれた白黒世界。大人は息をすることすら苦しい世界。我々<ネオスペーシアン>は、ひとりの寂しがりの子供が思い描いた宇宙の友達のイメージだ。幼い子供は成長して、善と悪の物差しでは計りきれない物語を生み出す大人になった。僕らがいらなくなったんだ。僕らの創造主は」
イルカは、とても寂しそうに言った。
「あの子は今でも正義の味方を待っているんだ。もしかすると、君がそうなのかい?」
「オレは正義のヒーローなんかじゃない。……だけど、分かる気がする」
遊星は言った。
「<あの人>が待っているのは―― きっと正義の味方を正義の味方たらしめてくれる、守るべき者だ」
イルカは黙った。急に静かになった。モーメントで回転するタイヤが瓦礫の上を滑る音だけが聞こえた。
「きっとヒーローを待っていたんだと思ってた」
しばらく後で、イルカがぽつりと零した。
「悪を倒して全てを終わらせる絶対正義。でも人間はそんなものにはなれない。神はある一面においてはなれる。悪をまた別の顔として作り上げればいいんだ、純化した二つの心を完全に切り離してね。だけどそれは空想上の生き物だ。僕と同じさ。あの子はもう目を覚ましてもいい頃だと思う。正義のヒーローと悪の怪獣、その対立の呪縛から解き放たれてもいいと思う。現実は物語より奇妙だ。もしかすると……現実世界では、正義の味方と悪の怪獣が愛し合って、慈しみあって、仲良く暮らせる、教訓もなくて荒唐無稽な事実があるのかもしれない。僕らはそこでようやく荷が降りる。特別な物語の主人公じゃなくて、<ネオスペーシアン>というカードに宿った精霊になれる。僕らはそしてまた、ただのありふれた、ヒーローに憧れる、永遠の少年が操るカードになる。楽しいデュエルをするんだ。ワクワクを思い出せ。僕達がそう言っていたことを、彼に伝えてやって欲しい」
イルカが言った。
「遊城十代に会いに行け」
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