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―― 僕の前では、あの人は泣かなかった」
 ふと、エドさんが言った。表情からはさっきまでのような不明瞭さが消えて、はっきりとした感情が顕れていた。純粋な怒り、苛立ち、憎しみ、侮蔑、それから――
「家族を追い掛けてあの人は駆けていた。この僕ですら追い付けないくらいに速く、軽やかに走ってた。光に狂ってしまったんだと思ってた。違う。あの人は……あいつは、奴は、あの馬鹿は、ただ前しか見ずに走っていただけだ。取り柄は足の速さだけだ。……遊城十代は、いつも周りの迷惑なんか全然顧みない」
 深い悲しみと喪失感。
「みんなを傷付ける怪獣を退治する。……そうだ。本当は、ボクがその役目を果たそうと思ってた」
 翔さんが、月のない夜、暗い部屋を手探りで灯りのスイッチを探していて、ようやく電球を点けることができた時のように、ひとときの安心の表情を見せた。それが、留守の間に空き巣か猫が入っていて、部屋がひどく荒らされていたように、悲嘆に暮れるものに変わる。
「あの人のことを最後まで見てた。ボクはあの人の怒りも憎しみも悲しみも苦しみも、絶望の後にやってくる無感動も、共有してあげられずにただ疑ってた傍観者だった。だけどあの人が空の彼方に消えてしまった後に散々後悔したんだ。失うくらいなら、なんで痛みを分け合ってあげられなかったんだろって。間違った時に、ボクが命をかけて止めてあげられなかったんだろうって。……結局、そんなことは無理だったんだ。あの人を止めるなんて誰にもできない。神様にだって悪魔にだって無理だ。できるのは背中を追い掛けるだけ。隣を歩けもしなかった。だってあの人はヨハンしか見てない。遊城十代の、アニキの眼中にあったのはヨハンの幻だけだ。ずっと昔、学園が異世界に飛ばされた時も、あの日のネオ童実野シティでもそうだった。
 もう忘れていいって、大切な思い出に苦しめられることはないって笑ってた。でもアニキは大人になってひねくれて、すれて天邪鬼になっちゃって、だから、泣いてたんだ。本当に忘れられたいはずなんかない。だって言ってたんだ。自分がいなくなったら泣いてくれるか。忘れられるかって。アニキはすごい人で、周りで誰が支えてくれなくても一人で立ってられる人なんだと思ってた。違う。ひとりじゃなんにもできないんだアニキは。ボクよりできないんだ。<覇王>だ<NEX>の<赤い悪魔>だ人食い怪獣だって怖がられて、変わり果てていたって」
 <NEX>の<赤い悪魔>。パパが、触れてはいけない決まり事を破るみたいに、後ろめたそうに口にした。非情で非道、この地上に現れた本物の悪魔と畏れられた、遊城十代の後任者。その闇が明るみになった時、<KC−NEX>は一度解体された――
「機関再編成の時に、そいつが残してったデータを見たことがある。とても人間の仕業とは思えなくて、だけど人間しかやりえないような、おぞましい<赤い悪魔>の罪の記録だ。あれが、<十代の後任>じゃなくて<十代本人>が遺したものだったとしたら、じゃあ俺が消し去ったデータは――
 <私>がパパの畏れを肯定する。
「そう。<旧NEX>の負の遺産を消却する時に、パパは生まれたばかりの『私達』に組み込まれようとしていた『得体の知れないデータ』を廃棄した。パパが処分したメモリー・チップに入っていたのは、肉体を失って零と一に置き換えられた、『私達の魂』。ママは新しい肉の器に私達の魂を呼び戻して、人間として蘇らせようとしてくれてた。だけどパパは、私達の魂を消去した」
 <私>が言う。
「……空野さんが助けてくれなかったら、あの時私は消えてた。龍亞は、駄目だった。私の右半身はずっと眠ったまま目を覚まさない。私が生きてるから息をしてるだけ。死んでるのと同じ。龍亞もママと同じ、パパが殺したみたいなもの」
 <私>が私を指差した。とても忌々しい、呪われた生物のように。
「空っぽのまま転生した身体だけが成長して、どんどん先へ進んでいく。それはもう私じゃない。ママが愛してくれた私じゃない。普通の子。パパがきっと欲しかった普通の子」
 <私>は、母親の雌雄同体を二つに分けたような異様な体を生まれ持った、奇形の双子だったって言う。
「パパは、シャム双生児の私達を二人の身体にしてくれようとしてた」
 双子の兄妹を、二つの身体に分ける為の研究。腰の所で癒着している双子を手術で切り離すのは、出血がひどくて死に至る可能性もある。実現は難しかった。
「私は、私の身体が好き。ママと同じだから。私の、誇り。龍亞はずっと私と一緒にいられるから嬉しいって言ってくれた。私をひとりぼっちにしないで済むって。いつでも守ってやれるって。だからパパとママに感謝してた。ママもきっと、私達のことが羨ましかった。ママはパパのことが好きだったから。ママを見捨てたパパが、世界よりも宇宙よりもずっとずっと大好きだったから。でもパパは言った。人間っていうのは、自分の足で立って走ってようやく誰かの支えになれるって。もたれかかってるのは違うんだって。私達は……駄目だった?」
「そうじゃない」
 パパが呆然と頭を振る。
「そうじゃ、ないんだ」
 繰り返す。<私>は、パパの自失に悪意を返す。抑えられた声は地底の洞窟をさまよっている隙間風のように、虚ろに響き渡る。
「こんな身体に生まれてきたのは意味があるって言ったじゃない。こんな身体でも愛してるって言ったじゃない。ママによく似たかっこいい身体だって誉めてくれたじゃない。でもやっぱりパパは普通の子の方がいいんだ。贋物でも、普通の『私』の方がいいんだ」
「違う。龍可、違うんだ、俺はそんな意味でお前達を――
「愛してくれないパパなんていらない。私達には、優しいママだけいればいい。ママは私達を愛してくれる。無条件で、かならず、絶対に愛してくれる。口先だけのパパとは違う。私達と同じママは私達のことを誰よりわかってくれる。普通のパパにはわからない。化物の気持ちなんてわからない!」
 <私>が、叫んだ。
 目の前にいるのは兄の龍亞じゃない。<私>だ。私は自分自身の幻と向かい合っている。<私>がデッキからカードを引き出した。私は、立ち尽くしているパパの代わりにフィールドに立った。
「……パパを傷付けるのは、赦さない」
「あなたがパパを守ってあげるつもり? あなただって何年も寂しい思いをさせられて、パパが大嫌いだったはずなのに」
 <私>は、少し面食らったようだった。それでも私を相手にモンスターを召喚した。野原に咲くタンポポのような姿のライオンが守備表示で実体化して、狂暴そうなのこぎり歯を剥き出しに凄んでくる。黄色い花びらが小刻みに震えていて、威嚇は脅えの裏返しだと分かる。少しだけ肩の力が抜けた。
「随分可愛いモンスターね?」
 この世界には、ダメージが現実のものとなるデュエルが存在する。敗者は死を迎える。戦えない者も倒れる。生き延びる為には敵を踏み潰して勝つしかない。そんな命がけのゲームを仕掛けてきておいて、相手がまず召喚したのは星が三つ、攻守共に三百の植物族モンスター。間を置かずに、一角獣のホーンを装備した私の<サンライト・ユニコーン>が蹴散らした。
 ただパパは、墓地へ送られた小さなライオンの存在にひどく驚いたようだった。
「<ダンディライオン>……十代がデザインした、十代の為に存在するカード。<龍可>、お前もしかして十代のヒーロー・デッキを使っているのか?」
「可愛いモンスターなんて言ってられるのは今の内よ。<ダンディライオン>の効果。破壊された時、<綿毛トークン>二体を守備表示で特殊召喚」
 タンポポは、命が尽きる前に綿毛に包まれた種子を空へ放つ。相手フィールドに、小さなライオンが遺したトークンが現れた。攻撃力と守備力は共に零だ。すぐにアドバンス召喚の前兆と知れる。
 思った通り、<綿毛トークン>達はリリースされて高位モンスターを呼ぶ贄になった。全身銀色に輝く巨人が、別の宇宙から飛来する。悪い怪獣をやっつけて地球を守る超人だ。龍亞が大好きな特撮番組に出てきそうだ。だけどヒーローにしては、すごく滑稽で皮肉で不自然だ。怪獣に使役されている。
「<エレメンタルヒーロー・ネオス>」
 パパは、正義の味方に追い詰められた悪の怪人みたいな、ひどい顔をしていた。
「十代のエース・モンスター……」
「全力で行く。私かあなた、どっちかが消し飛ぶまで」
 <私>の声は、何もかもを突き放すように冷たかった。
「ママはヒーローだった。だけどみんなはママに何度も救われた癖に、都合が悪くなると捨ててしまった。流行らなくなった服みたいに、飽きた玩具みたいに。人間も精霊もみんなママの哀しみの報いを受ければいい。全部壊れて消えて滅びてしまえばいい。フィールド魔法<ネオスペース>発動。あなた達を、誰にも必要とされなくなったヒーローに相応しい舞台に招待してあげる」
 <私>が魔法カードを翳すと、絶え間なく揺らぎ続ける極彩色の宇宙が生まれた。氾濫する無数の色が、世界を覆った闇を優しく包み込む。ここは、オープニングで唐突に始まって、エンディングできっかり幕を終える、正義と悪が喧嘩をする為だけに存在する単純な世界だ。
 私は<私>に、さっきからずっと覚えている違和感がある。
「あなた、<私>だって言う割にヒーローを名乗るわけ? 似合わない」
「私はヒーローなんかじゃない。最強無敵、絶対のヒーローの助けを必要としている弱いもの。そうありたかった。あなただってそうでしょ。龍亞のヒロインでいたいんじゃない」
「私は守られてばかりのヒロインなんかにはなりたくない。龍亞の傷付く姿なんて見たくないもの……」
「嘘。強がらないで。私だけのヒーロー、私だけの王子様。龍亞にそうあって欲しいくせに」
「……そんなのただ寄り掛かってるだけよ。それじゃ、龍亞の妹に相応しくない。私はもう昔みたいに龍亞の重荷にはなりたくない」
「私は重荷になりたかった。龍亞をこの世界に繋ぎ止めていられる存在になりたかった。ヒーローに相応しいヒロインになりたかった。私だけを見て、私の隣で笑っていてくれるなら……ただ兄妹だから、それだけの理由じゃなくてもよかった」
 <私>が口にした『理由』の意味を、理解したくなかった。だけど私には、どうしても分かってしまうのだった。自分のパラレル・ワールドを見せ付けられている気分になる。
 だけれど、それは、龍亞にも私にも相応しくない姿だ。『普通』から掛け離れた『異質』だ。あってはならない姿だ。
―― なに、言ってるの? 兄妹なのよ?」
「関係ない」
 <私>は、当たり前のように断じた。
「パパとママだってそうだもん。<カーレン・アンデルセン>。それがママのもうひとつの名前。雌雄同体のママはヨハン・アンデルセンの兄であって、姉でもあった。パパとママは姉弟で愛し合って結ばれたのよ」
 視界が傾く。私の価値観は何度打ちのめされれば済むんだろう。
「……パパ?」
「ああ」
 恐る恐るパパを見上げると、その人は、何の問題もないというふうに頷いた。思わず呆れてしまった。この人のモラルは一体どうなっているんだろう。<私>やパパの『当たり前』は、私の日常から掛け離れ過ぎている。排斥され、傷付けられることが怖くて、身の丈に合わなくてもずっと大切に纏い続けてきたものなのに、『普通』や『みんなと同じ』が分からなくなる。
 <私>は<ネオス>に続けて、ぼんやりと発光する苔のようなモンスターを通常召喚した。
「<NEX>の力で、召喚した<グロー・モス>を<ティンクル・モス>に変換。<ティンクル・モス>は攻撃する時、カードをドローして、その種類により効果を得る。私が引いたのは」
 <私>が、デッキからドローしたカードを指先で器用に翻した。青緑色の表面があらわになる。
「<シグナル・チェック>。魔法カード<融合>。相手に直接攻撃することができる」
 不気味な陽炎のようだった<ティンクル・モス>の姿が、悪意に穢れた槍に変化した。こちらへ向かって寸分違わずに飛んでくる。闇のデュエルの決まり事にのっとって、発生したダメージはすべて現実のものとなる。腕程の長さがある槍の、鋭い切っ先が皮膚を貫通する――
「龍可!」
 仰向けに転倒した私の身体を支えてくれたパパの手のひらが、瞬く間に赤く鮮やかに染まっていく。激痛に悲鳴を上げても、いつものように私のヒーローが助けに来てくれることはない。龍亞の顔が、残酷に私を見下ろしてきていた。
「いいなあ、普通の『私』。いいなあ……普通の子に混じって学校にも行けちゃうんだ。学校の帰りには憧れの人の家に遊びに行って、楽しいことが沢山あって……本当は私の為にママが一生懸命造ってくれた体なのに。ずるいなあ……」
「龍亞……目を覚まして」
「龍亞に守ってもらってるんだよね。私の龍亞は目を覚まさないのに。どれだけ呼んでも大好きな声を聞かせてくれないのに」
 <私>はブーツのつま先を一定の間隔で地面に打ち付けていた。苛立っている。表情は醜く嫉妬に歪んでいる。攻撃はまだ終わらない。<ネオス>が<サンライト・ユニコーン>の角を力任せに折り、額を固めた拳で割った。殺されたサンライトの痛みがダイレクトに伝わってくる。死の体感。絶叫は声にならない。ただ唇が震えて、空気の塊を吐き出して喘ぐことしかできない。
「やめてくれ……」
 僅かな間、痛みの中で意識を失っていた。耳の傍で震え声がした。気が付くとパパの腕が私の肩を抱いている。
「……もうやめるんだ。傷付けるなら俺をいくらでも痛め付ければいい。お前の気が済むまでそうすればいいさ。二人が争うなんて間違ってる」
「パパは本物だけど化物の私と、贋物だけど普通のその子、どっちが大切?」
 <私>が唄うように言った。邪悪な、とてもひねくれた呪いの詩を口ずさむように。パパの返事は澱みなかった。
「どっちも大切だ。決まってる。かけがえのない存在だ」
 <私>は、喉が詰まったような吐息を零した。眉が顰められて、唇が捻じ曲がった。拳を強く握り締めて、癇癪を起こして叫んだ。
―― どっちが大切かって聞いてるのよ……答えてよ!」
「親にとっては、子供は誰もが唯一の存在なんだ。俺は龍亞も龍可も同じくらいに大切なんだ。それと、同じなんだ。十代もきっと同じ答えを言うに決まってる」
「あなたにママを語る資格なんかない。あの人を殺したくせに」
 <私>が吐き棄てた。パパは痛みを感じたように、悲壮に顔を顰めている。
 『ヨハンという人間は、何かを選ぶっていうことができない』。明日香さんの言葉を思い出した。
 ずっと昔からこの人は、大切なものを切り捨てることができない人だった。ママか私達かを選べずに、どちらも失ってしまった。精霊と人間のどちらも選べず、その架け橋になることを夢だと叫んでいた。優柔不断な理想主義者だ。
 だけど『選べない』という選択は、『すべてを選ぶ』と同じ意味を持っている。それを私は良く知っている。今より子供の頃に、私は、この世界には不必要なものなんて何もなく、全てのものに意味があると教えてくれた優し過ぎるヒーローと出会った。
 その人は私の憧れで、龍亞の憧れでもあった。ヒーローの背中を追い続けた龍亞は、泣虫だった昔とは比べ物にならない位に強くなった。それを私はすぐ隣で見てきた。あの人ならきっとパパの選択を笑わないと思った。
 私は立ち上がった。まだライフが千削られただけで、私の命は四分の三も残っている。龍亞ならどうってことないと強がって指で鼻の下を擦る。遊星やアキさん達なら表情も変えない。私も戦う。パパを守る為に、龍亞を助けて私達の普通を取り戻すために。
 手札にある魔法カードを発動する。<光の護封剣>。三ターンの間、相手の攻撃行動を封じるカードだ。それだけの時間を稼げれば、削られたライフを取り戻して私のエースを召喚することができる。
 チューナーの<サニー・ピクシー>に、死者蘇生のカードで蘇った<サンライト・ユニコーン>と<ピクシーナイト>をチューニングする。煌きの光輪の向こうに、新たな世界が広がっている。
「聖なる守護の光、今交わりて永久の命となる。シンクロ召喚! 降誕せよ、<エンシェント・フェアリー・ドラゴン>!」
 幼い頃から私の心に語り掛けてきていた聖なる竜が、呼び声に応えてくれた。薄桜色の妖精の羽根を広げて、水棲の生物を思わせる優美な体躯が、空を泳ぐように尾をしならせて降臨する。パパが妖精の竜を見上げて、
―― すっげぇ、かっこいい……!」
 全てを忘れて子供が喜ぶみたいに、本能的に呟く。私がいつも龍亞に呆れている性質だ。
「……そんなところも、ママにそっくり」
 <私>が、暗い顔で囁いた。
「そっくりなのに、どうして裏切ったの」
 <サニー・ピクシー>に導かれた<エンシェント・フェアリー・ドラゴン>の優しい指が、私の傷を癒して、力を与えてくれた。護りの光が呪われた宇宙を破壊する。
 <サンライト・ユニコーン>が破壊された時に装備していた金細工の角は、私のデッキの一番上に舞い戻ってきている。再び手札に還ってきた<一角獣のホーン>を飾ったエンシェント・フェアリーの輝きが増し、<ネオスペース>の加護を失ったネオスを焼き尽くした。
「<古の森>を発動」
 手札から、フィールド魔法を選択する。青々とした木々が、命が溢れる神秘の森が、闇の世界を清浄な空気で満たしていく。
「攻撃を行ったモンスターは破壊される。この森で争うことは赦されない」
 あらゆる悪意を跳ね返す<魔法の筒>を足元に伏せて、ターンを終了する。エンシェント・フェアリーが傍にいてくれて、<光の護封剣>が私を直接的な敵意から守ってくれている。ひとまずは、息がしやすくなる。
「<エンシェント・フェアリー・ドラゴン>。力を貸して、龍亞を助けたいの」
 龍亞の肉体に入っているのが<もう一人の私>という得体の知れない存在でも、闇のデュエルで傷付くのは龍亞本人だ。私の手で龍亞に怪我なんてさせたくはない。<私>に向き合っていて感じるのは、濃い夜の気配だ。対極にあるエンシェント・フェアリーの聖なる力があれば、龍亞から闇を炙り出すことができるかもしれない。
「なんでパパなんか守るの? パパは私から龍亞とママを奪ったんだよ」
 ふと、<私>がぽつりと言った。
「あなたもママの血と肉から生まれた。だから、普通の女の子じゃありえない。いつかママの血が濃く顕れる時が必ず来る。爪と牙が鋭く尖って、手も足も、触れた者がみんな傷付いてしまう硬い鱗に覆われていく。甘い心の闇の匂いが分かるようになる。二目と見られない程に醜い嘆きの竜に変わり果ててしまう。パパはその時、きっと普通じゃなくなったあなたも殺す。新しい<三人目の私>を造るかもしれない」
「私はあなたとは違う。普通の人間よ。そんなこと、絶対ない。あれは私のママなんかじゃない。人殺しの怪物よ。関係ない。欲しいならあげるわ」
「龍可!」
―― 私を、ママを馬鹿にしないでよ!」
 パパの叱責と、<私>の怒声が重なった。龍亞の指がカードをドローして、飢えと乾きに両眼をぎらぎらと光らせたもぐらを召喚する。
「私は<グラン・モール>を喚ぶ。そして魔法カード<オーバーソウル>の力で、<ネオス>を特殊召喚」
 エンシェント・フェアリーが破壊した銀色の巨人が、墓地から再びフィールド上に舞い戻った。<私>が手札から翳したのは、ついさっき青先輩が次元の彼方へ除外したパパのモンスターだった。奪われた<レインボー・ドラゴン>の姿を認めたパパの顔色が変わる。
「……よすんだ。俺達の絆で――
「このモンスターは、儚いまぼろし。裏切りの象徴。幸せな夢の終わりをもたらす、途切れた絆の残骸よ。フィールドの<ネオス>と、手札の<レインボー・ドラゴン>。パパとママのエース・モンスターを融合し……」
 正義の巨人と、美しい白金の肢体を持った竜が、一筋の揺るぎない光に導かれて融け、交じり合ってひとつになる。
「<龍可>、絆を……自分自身を傷付けるのはやめてくれ!」
 <私>はパパの慟哭にも耳を貸さない。冷酷非情な暴君のように、淡い紫色のカードを繰り出した。
「私はエクストラデッキから、<レインボー・ネオス>を召喚する」
 虹色の宝玉が散りばめられた白金の鎧を纏って、途方もなく巨大な白騎士が私の前に立ちはだかった。あまりにも大きくて、高い塔を見上げているような気分だった。背中に負った一対の翼は神々しいまでに眩しく、汚しようがない、どこまでも圧倒的な純白色だ。絶対正義が具現化したような姿だ。向き合っている全てのものが、薄汚れた、矮小な悪党ででもあるみたいだった。
「<ビヨンド・ザ・レインボーホール>、<レインボー・ネオス>の効果。私は魔法・罠ゾーンの<ヒーロー見参>を墓地へ送り、あなたの魔法・罠カードを全て手札に戻す」
 <魔法の筒>、<古の森>、<光の護封剣>―― 私を守ってくれていたカードが剥ぎ取られてフィールドから消え去り、手札に舞い戻ってきた。頼りになる魔法も罠も、『無かったこと』にされてはどうしようもない。
「<グラン・モール>の効果。戦闘を行った時、ダメージ計算を行わずに双方のモンスターを手札に戻す」
 小さなもぐらが、無謀にもエンシェント・フェアリーへ特攻していった。長い歯と爪を持ってはいるけれど、私よりも背の低い頼りない身体。それが雄大な竜に触れた途端に、二体は仄白い粒子になって、お互いの手札に戻ってしまう。
 私はひとりになった。共に闘ってくれるモンスターはいない。魔法も使えない。仕掛けた罠は突破されて、いつも守ってくれる龍亞は<私>の顔で―― 嫉妬に狂った女の子の顔で、私を睨んでいる。
 私には、もう何もない。
「<NEX>の寵愛を受ける<ティンクル・モス>。ママのパパへの変わらない愛の証明、<レインボー・ネオス>。パパをこの二体のモンスターで焼き尽くすのが、この十六年間、私の夢だった。でも――
 それがとても良い思いつきみたいに、<私>が言った。
「パパの目の前であなたを消し飛ばす方が、ずっといいね」
 圧倒的で慈悲もなく、ただ破壊するだけの光が膨れ上がっていく。気高いまでに純化された攻撃衝動が解放される。人を傷付けることに何の躊躇いも持たない<私>の声が、頭の中に直接響いた。
―― <レインボー・フレア・ストリーム>!!」
 目の前で、死の光が炸裂した。



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−「P.W.E」…<
arcen>安住裕吏 10.05.07 - 10.05.12 −