□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
黒く塗られた三角形の機影。中心より僅かに前部に、機体の小型化を可能とするカナードが付いている。安定性には少々問題があるが、それを補って余りある程の運動性を持つエンテ型の戦闘機だ。
「何代か前の本国長官が、ノーベリー賞を取った世界的天才科学者に造らせた対巨大怪獣兵器だそうだ。特殊な装置でデュエル・モンスターズのカードを実体化させることができる。加えて、相手の餌の匂いを嗅ぎ付ける鼻を麻痺させちまうんだと。名前は漆黒の……何だったか」
「<D3>」
「そう、それだ龍可ちゃん。……なんで女子高生が軍用機の名前なんかに詳しいんだ?」
「<ドッグファイト・デュエル>専用機。人の心の闇を覗き込む悪魔の視線を遮断する、<ナイトメア・ペイン>妨害装置を搭載した対世界の敵兵器。本国の世界長官の遺産」
龍可は澱みなく言い放つと、深く、とても深く溜息を吐いた。
「愚かで無知で傲慢で、手にした力は誰かに振り翳さなくちゃ気が済まない。報いを望んで傷付けあう、死にたがりの滅びたがり。これだから、脆弱な人間は……」
「ぜ、ぜいじゃく?」
「救えない」
龍可は呆れ果てて、困惑している牛尾の足を思いきり踏んだ。悲鳴が上がる。それから、空に向かって盾を構えているセキュリティを掴まえて忠告した。
「もう遅いかもしれないけど、絶対に攻撃しちゃ駄目。悪意はすべて自分に還るわ。死にたくなければ――」
封鎖された森林公園の入口の前で、言い争うような声がする。視線を上げると、見慣れたエメラルド色の頭が見えた。ヨハンだ。セキュリティに食って掛かっている。ビルの外の異変に気がついて、かつての怪物の終焉の地へ訪れたのだろう。
十代の罪を知ってもなお、ヨハンの宝石のような瞳に曇りは見えない。そのことに龍可は、勝手に救われたような気持ちになる。安堵する。
「やめるんだ。攻撃を止めさせろ、あいつを傷付けるな。何でも力で解決しようとするな。分からないのか? 暴力じゃ誰の心にも届かないんだ。愛さえあれば、話せば分かる!」
そう言いながら、龍可が見ている前で、ヨハンは手近な所にいた隊員の胸倉を掴み上げて殴りつけていた。ヨハンの肩を捕えて左右から取り押さえようとする二人の隊員の頭を、<アメジスト・キャット>と<トパーズ・タイガー>が肉球で張り飛ばす。ターザンの映画みたいだ。隣の牛尾の口が半開きになっている。さすがに少し恥ずかしい気持ちになってきて、龍可は頬を赤らめながら、そっと目を逸らした。
「いくら<ナイトメア・ペイン>を除去したって、『人間』は普通殴られたら殴り返すだろ!?」
空を見上げて、ヨハンが叫んだ。
「誰だ? あの言動がちぐはぐな若造は」
「ごめん、あれうちのパパなんだ」
龍亞があっけらかんと言う。
「あ……そうなのか」
牛尾は何かを言いたそうにして口を動かしたが、結局何も言わずに黙り込んだ。
戦闘機は渡り鳥のように一群になって、優美に弧を描いた。稀少金属製の機体に装備されたガトリング式の機関砲が、トタン板を大粒の雨が叩くような音を立てて火を吐いた。<コズミック・クローザー>が上部へ迫り出してくる。銀色のパイプが帯電し、放たれた熱線が雷のように闇を白く切り裂いて、空の彼方からこの世界を覗き込んでくる眼球に鋭い切れ目を入れた。
悪意を背中の後ろに隠して、笑顔でナイフを刺す。そんな感じがした。崩れやすいゼリーのような目玉が傷付けられた途端に、空を覆い隠している靄が形を変える。不定形だった闇のヴェールに、次第にはっきりとしたフォルムが見取れるようになる。無数の長い管へと変貌し、<D3>機を絡め取る。漆黒の戦闘機はそのまま巨大な眼球の中へと吸い込まれていった。悪意の妨害装置ごと捕食されてしまったのだ。
「……あの目玉、飛行機も、人も食ってるんだ」
ぞっとしたような声で、誰かが囁いた。
目玉が咀嚼するように何度か蠢くと、空に入った罅割れから、涙の滴に似た偏方多面体が溢れ出して地に堕ちた。真下に存在する穴ぐらの中で無数の眼球に抱き止められ、人知を超えた宝石は輝きを放ちながら罅割れていく。卵が孵るように、内側から破裂する。
しばらくの時間が経つと、奈落の穴を遠巻きに眺めている人間達の前に、生まれたばかりの赤ん坊めいた頼りなく危なっかしい動作で、奇怪なモンスターが這い出してきた。
巨大な腐肉の塊を、どうにか人の形に見えるように整えた不恰好だ。ぐずぐずに溶け出した身体を、汚れた包帯が無造作に縛っている。頭だけが不自然に大きく、短い手足は魚のひれに似ている。肉体の巨大さと引き換えに整合を失った、<グレイブ・スクワーマー>の奇形児だった。
空に浮かんだ感じやすい瞳は、涙を流し続ける。悼むように、哀しむように、またはひどく嬉しいことがあったように。なりそこないの<グレイブ・スクワーマー>の後に続いて、産まれたばかりの怪物の行進が始まった。
おぼろげに色付く発光体。<ジャイアントウィルス>。<カオス・コア>。<ファントム・オブ・カオス>、不定形な闇のプール。
<暗黒の召喚神>。六本足の棘付き蜥蜴、<炎獄魔人ヘル・バーナー>。<合成魔獣ガーゼット>。金属質の骨格標本のような体躯、頭部には蝿の眼球のような視覚センサーが嵌め込まれている。そして、灼熱の溶岩が胎児を思わせる姿で蠢いている、<溶岩魔神ラヴァ・ゴーレム>。
鳥類の翼にいかめしい獅子の頭、力強い牛の下半身に、人の胴を不自然に繋ぎ合わせた合成獣。青くきらめく成形された人工の炎、双子の<ヘルフレイムエンペラー>。<三幻神>と対をなす<三幻魔>の一角、蒼躯の<幻魔皇ラビエル>。長大な腕を持て余す金属人形、<ゲート・ガーディアン>。
かつて異世界で、ユベルによって<超融合神>の目覚めを祝して生贄に捧げられたモンスター達だ。どれもが、ほぼ原形を留めてはいなかった。体色を失い、巨大な石人形のように変わり果てた十二体のモンスター達が、乱立する超高層ビル群を薙ぎ倒し、高架を踏み潰し、人々の営みを紡ぐ家屋を蹂躙しながら、ただ何者かの呼び声にのみ従い進む。
龍可は目を閉じて耳を澄ませ、静かに呟いた。―― ママの声が聞こえる。
遠く、近く、笛のような音が鳴っている。かすかな太鼓が、単調なリズムで続いている。今や本物の異形の魔物へと変貌した異能者の楽団が、悦楽と恍惚の音楽を不快に奏で続けている。
トンネルのように太く深い血管が、舗装された道路のアスファルトを突き破って大地から生え出してきた。規則正しく脈打つ表面は黒ずんでいて、いばらのように鋭い棘が生えている。瞬く間に街を覆い尽くし、巻き付き、締め上げる。針山のような光景が現れた。
そして、強烈な腐臭を放っていた奈落の穴から、間欠泉のように無数の目玉が噴出する。上空へ吹き上げられた目玉は、細胞のように寄り添い、融合し、変質して、漆黒の塔を形作った。剥き出しの岩肌。不器用に削り出されたシルエット。かつて、思い出の中に生きる少年の悪夢に存在した城が再現される。
―― それとも街は、思い出の中に生きていた少年の悪夢に引きずり込まれてしまったのかもしれない。
覇王城。天高く聳え立つ罪の象徴。
その周りを、十二の怪物が正円を描いて取り囲んだ。巨大な体躯を折り曲げて頭を垂れている。その姿は、主に祈りを捧げる敬虔な神の使徒のようで、ある種の荘厳さすら感じられた。
いばらのような血管は、やがて闇色の葉を繁らせて、人の背丈ほどの蕾を付けた。花びらが開いていく。大気に混じり込んでいた耐え難いまでの死臭は、甘く、不安をもたらす程にかぐわしい花の香りに取って変わられた。優しい永遠の夜の中を、色とりどりの花が咲き誇る。白のアネモネ、マリーゴールド、マーガレット、青い矢車菊、アイリス、夏椿の丸い蕾。ただ赤い花だけは、どこにも咲いていない。
いつの間にか、空に浮かんだいびつな瞳は閉じていた。罅割れごと消失していた。
その代わりに、城の頂きには、人さながらの姿をした神が降り立っていた。背に負ったベルベットの翼を外套のように夜風にはためかせながら、白目のない虹彩異色症の双眸を見開いている。
<超融合神ワールド・エンド・ドラゴン>。世界の終わりを告げる竜が、地に満ちた人類を見下している。
十三番目の生贄の血肉は、白痴の神にほんの僅かな瞬間の思考を呼び戻していた。それで充分だった。一瞬は、まどろむ神が滅びの歌を謳うには、充分過ぎる時間だった。
「全部壊れてしまえ。全部消えてしまえ。誰も愛してくれない人間たちなんて、こんな世界、こんな星なんてすべて滅びてしまえばいいんだ。みんな纏めてひとつに融かし、優しい愛で満たされた新しい次元を創造する。我が名は――」
薙ぎ払われた鱗の腕が、鋭く空気を切り裂く音がした。
「我が名は<超融合神>。この宇宙を支配する者」
良く通る気高い声を夜に響かせて、目覚めとともに自分の名前すらも忘れ果ててしまったその人が、高らかに終末を宣言した。
龍可の隣で、牛尾が電波を乱されて馬鹿になった無線機を足元に投げ付け、唾と一緒に吐き棄てた。
「化物め」
その人の姿を瞳に映した瞬間に、ヨハンはデッキから宝玉獣のカードを翳していた。有翼の白馬が実体を伴って出現する。軽い身のこなしで天馬に飛び乗り、太い首を叩いて叫んだ。
「<サファイア・ペガサス>! ―― 頼む、俺をあいつの所へ連れて行ってくれ!」
<サファイア・ペガサス>が甲高い声でいなないた。力強い蹄で地を蹴り、白翼を広げて夜空に舞い上がる。
龍可も、ヨハンのペガサスに続けてユニコーンを喚ぶ。広い背中に跨り、精霊と触れ合えることに感激している兄を急かして引っ張り上げてから、たてがみを撫でて耳の傍で囁く。
「パパを追い掛けて。お願い、<サンライト・ユニコーン>」
ユニコーンが青白く燃え盛りながら、角で誇らしげに天を突く。駆け出した。ヨハンが向かう方角、異形の城へ。取り残された形になったセキュリティ隊員達は、どこか羨ましそうな顔だった。牛尾に尋ねている。
「牛尾さん。俺達もモンスターに乗ってっていいですか?」
「D・ホイーラーの誇りを何だと思ってんだ! 正義の味方のプライドはねぇのか、お前らには!」
案の定、雷と拳骨が落ちた。
半クラッチの<ブラックバード>を傾けて、クロウが遊星を振り向いた。特別製のD・ホイールに搭載された永久機関が、すべらかに動力を満たしていく。だが、遊星は動かない。
遊星は無口だが、魂の中に真っ直ぐに通った強い芯を持っている。正義感に溢れた熱い男だ。それが、両足が竦んだように立ちんぼうをしている。クロウは幼馴染のそんな姿を見たことが無かった。ヘルメット越しのやぶ睨みの瞳が、困惑を孕む。
「どうした。シティの危機にお前が突っ走らなくてどうするんだ? らしくねぇぜ」
「……あの竜は、<ゼロ・リバース>が生んだ悲劇の具現化だ。オレの親父の罪の形そのものだ。モーメントの光に穢れてしまった人の、なれの果てなんだ」
「かぁーっ。また出たよ、遊星の『オレの親父のせいで』病!」
クロウが手のひらで額を叩いて、神を呪うように天を仰いだ。握り込んだ拳を乱暴に宙に突き出す。
「<ゼロ・リバース>は、あの頃まだ赤ん坊だったお前本人にゃ何の罪もねぇって何回言ったら分かるんだよ。そんなこたぁ関係ねぇ。あの化物はオレの仲間達も、シティに住む奴らも、怖がって家に閉じ篭ってるガキ共も、皆まとめて無差別に傷付けてやるって、世界を滅ぼしてやるって叫んでるんだぞ。ナレだかハテだか知らねぇが、そんな物騒言ってる奴を野放しにできるかよ!」
「たまにはクロウの言い分も正しい。ふぬけたか? 平和ボケしたか。見損なったぞ遊星。お前が戦いもせずにここで黙って見ているというのなら勝手にするがいい。災いをもたらす悪しき怪物は、このジャック・アトラスが退治してくれる!」
「―― あの人は」
遊星は、ひどく重く感じる唇を動かした。口の中がべたついて心地が悪かった。
「龍亞と龍可の母親だ」
クロウが拳を持ち上げた格好のまま凍り付いた。ジャックは耳を疑うような顔をして、呪われた尖塔を見上げた。牛尾がパッドを取り落とし、狭霧は口に手を当てていた。
「……あれが?」
精霊と心を通わせる能力を持ったシグナーの少女、龍可。龍可の心の拠り所であり、ヒーローに憧れる少年、龍亞。双子の兄妹。赤き竜の痣に導かれ、出会い、共に世界を救った仲間だ。
『パパとママはいつも家を留守にしてるんだ。仕事が忙しいから』、いつか、双子の片割れが言った。
『またしばらく帰って来ないの。もう慣れちゃったんだけどね』、もう片方がそう言っていた。
ネオ童実野シティの中心を貫く覇王城。その頂きで、一匹の異形のモンスターが、まるで世界の王気取りで傲慢な振舞いを見せている。闇を凝縮したような鱗と翼を有し、蜘蛛の脚のような角が四肢を危なげに飾っている。怪獣は二目と見られない程に醜い姿をしていたが、全体を俯瞰すると忌々しい程に人に似ていた。
それは慈悲も容赦も脈絡も無く、完全なる世界の終わりを人々に告げる為に、この星に降臨した滅びの神だ。人間の子供を孕んで産み落とす母親には決してなり得ない、人類とは相容れない存在であるはずだった。誰も上手く信じることができなかった。だが、遊星が悪趣味な冗談を言う性質の男ではないということを、絆で繋がれている仲間達は知っている。
「嘘だろ。……マジかよ」
クロウが、奥歯を強く噛んでぼやいた。
サンライト・ユニコーンの背に跨っていると、後ろから龍可の腰に掴まっている龍亞が、上下動のせいで何度か舌を噛んでいる。その度に情けない声が上がった。
「喋るからよ」
龍可は短く返す。黒いからすの翼のような風が吹き荒び、耳元で悲鳴に似た音が鳴っていた。
「なんか、意外。龍可がパパのこと心配して追い掛けるなんて」
龍亞は懲りずに話し掛けてくる。だんまりが耐えられない様子だった。不安からのものでもあるだろうが、兄は元々そういう所があるのだ。喋っているうちに自然にリラックスすることができる、便利な体質だった。繊細さに欠けているとも言う。
「心配するふりをして、パパを見張ってるのかもしれないわよ。やっぱり嘘吐きかもしれないって疑って」
「あ、それ龍可、ママにそっくりだよ」
龍亞は呆れたようだった。目付きが湿って、三白眼になっている。
「当たり前でしょ。親子は似るものだって、昔ママが言ってた」
龍可は澄まして言った。
円形を描いて佇んでいる十三の巨人が、神が降りた覇王城に近付こうとする不躾な闖入者を排除するべく動き出す。間近に迫った<ヘルフレイムエンペラー>の双生児が、四本の腕を<サファイア・ペガサス>に伸ばしてきた。サファイアの身体が木の葉のように翻る。振り落とされそうになりながら、ヨハンは逆さまの視界に映る怪物を注意深く観察した。洞窟のような眼の奥にある光を、以前どこかで見たことがあるような気がした。
ふと、思い当たる。
<完成品>の証。光に傾倒した銀の星。同じ色の瞳を持った双子を、ヨハンは知っている。
嫌な想像が脳裏をかすめた。
荒い岩壁の前に立ち塞がった<グレイブ・スクワーマー>の、眼窩の闇の奥に仄かにまたたいている光の色は、ヨハンと寸分も違わない虹彩だ。純粋なエメラルド色の瞳。できそこないの証。
急に、涙が溢れてきた。胸がいっぱいになった。何故かは分からないが―― いいや、本当は理解しているはずだった。ただ、ヨハン自身が信じたくなかったのだ。それだけだ。
怪獣の咆哮が鼓膜を震わせる。どこか、ヨハンを羨んでいるようにも聞こえた。<サファイア・ペガサス>へ伸びてくる石の手のひらは、良く晴れた日の穏やかな湖面のようにすべらかだ。まるで鏡に向かい合ったようだ。避け切れずに衝突した時も、衝撃は無かった。透過し、鏡の向こうの世界へ吸い込まれていく。視界が白い光に染まる。いつか故郷で見た、冬の終わりを告げる太陽のきらめきが、雪の上に降り注いでいた風景に似ていた。自我の境界線がぐずぐずに溶かされていく。
* * * * *
極北の国の長い冬がようやく終わり、春の予兆が、空気をにわかに浮き立たせていた。永遠のようだった夜の中に引っ込んでいた太陽が、ようやく顔を出して、あたたかなぬくもりをステンドグラス越しに投げ掛けてくれている。虹が描かれたガラスを日の光が透過すると、冷たい床の上に七色の架け橋が鮮やかに映り込んだ。
外は良い天気だった。まだ肌寒く、冬の名残が色濃く残ってはいたが、かっこうが鳴きながらとんがり屋根の向こうへ飛んでいくのが見えた。かたくりが下向きに桃色の花をつけて、春の短い命を謳歌している。
不揃いの煉瓦を組み合わせた壁は、経過した年月分の重みを背負い、厚く佇んでいる。いつも厳かな静寂に満ちていたアイリス教会の礼拝堂は、今は少し様子が違っていた。
無垢材のテーブルが縦に長く並べられて、若草色のテーブル・クロスが引かれていた。清潔な白い皿が積み重なっていて、木苺のジュースの瓶と、はすのジュースがなみなみと満たされたグラスが並んでいる。グラスの数を数えてみる。十四。
温かい料理が湯気を立てている。ふかしたジャガイモを付け合わせたトナカイのミートローフ、隣にヤンソンの誘惑。なすびとアンチョビのグラタン。サーモンとエビのオープン・サンド。日本料理もある。スシ、テンプラ。オハギ。塔のように重ねられたジャム付きパンケーキ。甘いクリームが乗った人参のケーキ、焼きたてのアップルパイ。クーラーボックスの中に、チョコレート・チップ入りアイスクリーム。ヨハンが好きな物ばかりだ。
テーブルの真ん中には、大きなバースデイ・ケーキが乗っている。マジパンのプレートには、ヨハンの名前と、『誕生を祝して』というメッセージが記されている。円形に並んだ十三本の蝋燭に火が点り、仄かな橙の温かみを振り撒いていた。
長テーブルの両側には、礼拝用のベンチが並べられている。左右に三つずつ、特等席に一つ。左右のベンチには、父と、まだ幼かった頃の兄弟達がついていた。
<親指姫マーヤ>と<マッチ売りの少女>が、耳打ちをしながらひそひそ話に夢中になっている。<小さなニッセ>は目の前のごちそうを睨んで、忍耐の限界を試しているようだった。<はだかの王様>は図書室で借りてきた本を広げて、行儀の悪さをやんわりと父に窘められている。
<正直者で乱暴な大クラウスとひ弱な詐欺師の小クラウス>が、向かいについた<雪の女王に運命を狂わされたカイとゲルダ>の双子とジェスチャー・ゲームをやっている。意地悪な<パンを踏んだインゲル>が、眼鏡を掛けた<善いヨハンネス>の足をテーブルの下で踏んでいた。<みにくいアヒルの子>が、<赤い靴を履いたカーレン>に玩具の交換の取引を持ち掛けて、おとなしそうな年長の兄弟を困らせている。
小さなヨハンは特等席の真ん中に座っていた。左右の空いたスペースには、カラフルな包装紙とリボンで綺麗にラッピングされたプレゼントが積み上げられていて、少し幸せに窮屈だった。
ブリキのハーモニカと、七色のインクで字を書くことができるペン。こま、手作りの肩掛け鞄。野球のバット。金色の星が付いた紙の輪飾り。木でできた恐竜の玩具。光る石。デュエル・モンスターズのカードパック。子供の頃のヨハンが欲しかったり、欲しがっていたのに結局は手に入らなかったものばかりだ。
十三人の家族が、ヨハンの誕生日を祝う為にテーブルについている。親と兄弟にとても大切にされていて、愛で満たされた子供だけが見ることを赦された幸せな風景だ。だからヨハンは、本当のことではないのだとすぐに悟っていた。これは、まぼろしだ。
みんなは声を揃えて、楽しそうに、羨ましそうに、あるいはうらめしそうに誕生日の歌を唄った。ハッピー・バースデイ・ディア・ヨハン。おめでとう!
ヨハンは、自分がどこかずれた世界にいるのだと理解した。本来なら、手を伸ばしても決して届かない世界にいるのだと。太陽が沈まない、朝が連続する白夜の世界。天国よりも地獄よりも、現世よりも冥界よりも救いのない、輪廻転生に見放された世界。
歌が終わると、うるさいくらいに拍手が湧いた。カーレンがベンチから立ち上がった。花に興味も無さそうな性格なのに、細い腕を伸ばして、手作りの花輪をヨハンの頭に乗せてくれた。タンポポにマリーゴールド。白いデイジー。リナリアの花。不恰好だが、とてもいい匂いがした。王子様みたいなカーレンの手で頭に花を飾られると、ヨハンはまるで宝石を散りばめた黄金の冠をかぶった王様になったような気がした。
<赤い靴を履いたカーレン>、十代は、記録媒体の中でしか見たことがない幼少期の姿をしていた。傍らには精霊が猫を抱いて控えている。ヨハンと目が遭うと、そっけなく視線を逸らした。
『俺はお前のわかんない事でも、お前が何だってわかるんだ』。―― それが、十代と出会ってからというものの、長い間ヨハンの口癖になっていた言葉だった。事実ヨハンは、十代自身が言葉にできない複雑な心の動きでも、自分の想いのように悟ることができた。人の心の闇を覗く悪魔の瞳などという大仰なものが無くても、長い長い間追い掛けて見守り続けてきたもう一人の自分として、不安、迷い、痛み、安堵、そんな十代の感情の移ろいを繊細に感じ取ることができた。
だから、ひとりだけ他の兄弟と髪の色が違うその人が、何も言わずに微笑んでいる姿を前にした時もそうだった。言葉にしなくても、十代のことは何だって分かった。彼の心の声は何よりも雄弁にヨハンに語り掛けてくるのだった。
―― 言ったよねヨハン。ぼくさえいなければこんな世界に生まれて来なくて済んだのにって。ぼくがいて、ヨハンが生まれてきてくれたのなら、ぼくはこの世界に生まれてよかったんだ。生まれてきておめでとう。出会えてありがとう。
―― ぼくはきみが大好きだ。
ヨハンは十代の肩を両手で乱暴に掴んだ。頭を垂れて、喉からしゃがれ声を絞り出した。
「ああ、もう、どうしてなんだよ。なんで……」
息が上手く吸えない。苦しい。舌が乾く。頭が痛い、胸が腐りそうだ。
「なんで優しいお前が、俺の母さんじゃなかったんだろう」
納得がいかない。分からない。
* * * * *
―― そして光は収束し、現実が還ってくる。
幻視の風景を覗いたヨハンは、もう理解していた。怪物達は、ヨハンを蘇らせる為に十代が殺めた死人達が行き着いた姿だ。彼らが二目と見られない醜い怪獣に変わり果てていても、魂は昔のままだ。変わらない。ただ、押し込められる器が大きく変質しただけだ。
<グレイブ・スクワーマー>。レベル一、最初の生贄。アンデルセン家の十七番目の末弟。無邪気に<白鳥>に憧れていた、頭が空っぽな<みにくいアヒルの子>。
レベル二の<ジャイアントウィルス>、レベル三<カオス・コア>。―― 八番目と九番目の<正直者で乱暴な大クラウスとひ弱な詐欺師の小クラウス>、ヨハンの兄。レベル四の<ファントム・オブ・カオス>―― 四番目の<善いヨハンネス>と、いつも三人でつるんでいた気がする。あまり口をきいたことが無かったから、同じ顔以外は良く覚えていない。
レベル五の<暗黒の召喚神>と、レベル六、<炎獄魔人ヘル・バーナー>。―― 十一番目の<親指姫マーヤ>と、七番目の<マッチ売りの少女>。二人の姉妹はいつも一緒に昼下がりの礼拝堂で過ごしていて、二人にしか分からない内緒話ばかりしていた。妹の十六号と仲が悪くて、陰険な喧嘩ばかりしていたと思う。
レベル七、<合成魔獣ガーゼット>。―― 六番目の<小さなニッセ>。短気で声が大きい割に、いつも病気がちな兄だった。
レベル八、<溶岩魔神ラヴァ・ゴーレム>。―― <はだかの王様>、五番目の兄。難しい本ばかり読んでいた。頭の鈍そうなあだ名が気に食わなくて、数字で呼ばれることを好んでいた。
レベル九、一対の<ヘルフレイムエンペラー>。―― <雪の女王に運命を狂わされたカイとゲルダ>の双子。十四番目と連番の、兄弟随一の天才児達。
レベル十、<幻魔皇ラビエル>。―― 傲慢で残酷だった、十六番目の妹の<パンを踏んだインゲル>。幼い頃に倉庫に閉じ込められたことを、今でもたまに夢に見る。一生忘れられそうにない。
レベル十一、<ゲート・ガーディアン>。―― <優しい闇>に生涯取り憑かれていた<靴屋のヨハン>、老アンデルセン。親らしいことを何もしてくれなかった男だが、いざいなくなってみると、なんとなく胸に穴が開いたような気がする。息子の恨み言のひとつも聞かずに逝ってしまった卑怯な父親だ。
そして最高位のモンスター、最後の生贄。<ユベル究極態>。十番目の<赤い靴を履いたカーレン>―― ヨハンの最愛の妻であり、最敬の兄で姉であり、最強のライバルで、最高の親友。悪魔の半身、遊城十代。
殺害者を含めた十三人の家族達。彼らはヨハンの身代わりにされ、神への生贄に捧げられた。神の気まぐれで怪物に成形されて、知性も感情も失い、ただの石人形のようになってしまった。
兄弟達はヨハンと同じように、父から複製された肉体に、魂が宿った分身達だった。ヨハンがそうあったかもしれない姿、ヨハンのパラレル・ワールドだった。
巨大な怪物の玩具めいた風貌は、父の操り人形だった頃と一体何が違っているというのだろう?
人に似た形をしてはいたが、人の心が分からなかった時分と、さほどの差があるとも思えなかった。それでも、完全に人を諦めてしまった寂しい姿を見せ付けられると、心が不穏にざわめいた。馬鹿にされた者も、馬鹿にしていた者も、憎んでいた者も、憎まれた者も、省みてくれなかった者も、長い間憧れていた美しい人も、皆物悲しい異形の姿に変貌してしまったのだ。
ヨハンにとって<人>の家族は四人きりだ。ヨハンと、守るべき愛しい妻と大切な二人の子供達。それでも、むしょうに落ち付かない気持ちになった。悼んだ。哀しかった。虚しいと思った。
<サファイア・ペガサス>が翼を空打ちし、夜空を星のように横切り、駆け抜ける。冷たい剥き出しの石の城塞が、眼前に迫っていた。
「―― 十代ぃいいいいっ!!」
ヨハンは絶叫した。この十二次元を統べる性悪の神が、輝く宝石の眼にヨハンの姿を映し込んでいる。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
戻る ・ メインへ ・ 次へ
|