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 不動遊星が物心ついた頃には、すでに両親がなかった。孤児院に引き取られ、経営者のマーサを本当の母親のように慕い、同じ境遇の子供達で寄り合って暮らしていた。身寄りのないことをからかわれたり、理不尽な目にも沢山遭ったけれど、マーサハウスの仲間がいつも傍にいてくれたから、寂しさを感じたことはそれ程無かった。だから、少しの物足りなさは感じても、幼馴染のようにサテライト暮らしを苦痛だと思ったことは無かった。
 誰も、生まれたばかりの頃の光景なんて覚えているはずがない。だからこれは、誰かから聞かされた両親の人となりについての話や、古ぼけた写真を元に遊星の想像力が見せた夢の話だ。まぼろしか、白昼夢か。現実ではありえないけれど、もしかすると、本当にあったことを何度も繰り返して夢に見て、憶えていた事実だったのかもしれない。
 ゆりかごが揺れる。メリーゴーランドのモビールが天井から吊られていて、星のような輝きを放ちながら、オルゴールに合わせてゆったりと回転している。レースのカーテンが気持ちのいい風になぶられてはためき、木々の葉が擦れ合う気配がした。金木犀の匂いがする。目を一杯に開けても、視界はまだぼんやりとしている。柔らかい鈴の音が鳴った。玩具だろうか?
「あはは。オレのこと見て笑ったぜ、この子」
 傍にいる人が笑った。大きな手が頭を包み込む。冷たい手だが、機械とは違って親愛が篭っていた。
「くもりのない、いい眼をしてる。透き通ってて真っ直ぐに人を見る。どこまでも青い、まるで太陽をいつも抱き止めてくれてる大空みたいな眼だ。心が広いんだ。あったかくて、みんなを愛することができて、人を好きになった気持ちが沢山報われる優しい子なんだろうな」
 記憶を手繰ると泣き出したくなってくるくらいに、優しい、とても優しい声がした。おぼつかない視界の中で、焦茶色をしたぎざぎざが動いた。誰かは後ろを振り向いたのだ。面白がるように声のトーンが少し上がる。
「なぁ不動博士、予言してやる。オレには少々人知を超えた力が……まぁあってもなくてもあんたの子だから分かるんだけどさ。強くなるぜ、未来のこの子は。悪い奴をやっつけて、みんなを守るヒーローになる。大きくなったらこの世界だって救っちまうかもしれない」
 その人の後ろで、誰かが何かを言った。困惑しているようにも聞こえるし、どこか誇らしそうにも聞こえる。穏やかで、落ち付いた声だ。また男性の声が短く何かを言って、女性が言葉を繋いで、一緒に笑ったようだった。とても懐かしい声だ。誰の声だろう? ―― 考えたくない。
「まだカードも握れねぇよな。大人になったらだ。いつかオレと楽しいデュエルをしよう。……ゆーびきーり、げーんまーん、うそついたらハネクリボー、のーます。指切った。約束だぜ。はは、ちいせぇ小指!」
 言葉は理解できなかったが、とても好きな音階だった。紡がれる音全部が、歌だ。子守唄を聴いているみたいに、心地が良くて眠くなる。
 メリーゴーランドのねじが緩みきって、止まった。オルゴールはさらさらという風の音に変わる。静かで、眩い光の中で、柔らかなゆりかごは揺れる。ぬくもりが空気に満ちていた。
「待ってる。遊星」
 歌が紡がれる。冷たい手が離れていき、見放されたような気になって、腕を伸ばすが届かない。寂しい余韻だけを残して、まぼろしは消え去った。何もかも、何もかも。


 シティ沿岸は深い霧に覆われている。ふと、海上を蛇行するハイウェイの高架上に、ぼんやりとした黒い染みがちらついた。それはやがて人の形を作り、赤い服がドレスの裾のように翻った。デュエル・アカデミア本校にかつて存在した、オシリス・レッド寮に所属する生徒の証明だ。その旧制服を纏っていた最後の一人のことを、遊星は良く知っている。
「十代さん!」
 呼び掛けると、その人は気だるげに首を傾げた。腕を組んだ恰好のまま身体を向ける。猫のような瞳が細くなり、妖しい光を帯びている。
「また会えたな。久し振りだ。<ゼロ・リバース>を引き起こした張本人の不動博士の息子。不動遊星。ヨハンを、龍亞と龍可を殺した男の息子。……オレの家族の仇!」
 左右がちぐはぐな虹彩異色症の瞳が、憎しみを込めて遊星を睨んでくる。その人に悪意を投げ掛けられると、冷たい手で心臓に触れられるような心地がした。
 後ろから強い力で襟を掴まれた。ジャックだ。遊星を猫の子のように引っ張り上げると、不満そうに鼻を鳴らす。
「本物は悪趣味な塔の天辺で、偉そうにふんぞりかえっていただろう。ここにいるはずがない。簡単に魅入られるな。それは幻だ。お前の心の一番弱い部分を突く卑怯な幻覚だ」
「まぼろし」
「<ゼロ・リバース>の罪悪感から、お前は犠牲になった人間が皆恐ろしいのだ。理屈も理由もない。恨み言を言いながら枯れ木のような腕を伸ばしてくる幽鬼どもが、ただ怖い」
「……オレが、あの人を怖い?」
 愕然とした。かつて共に世界の危機に立ち向かった時、絶望的な程に劣勢のデュエルをも諦めない勇気をくれたその人の印象を、遊星の罪悪感が恐ろしい魔物のように変えていた。
 すぐ隣で銃声が鳴った。一度目は威嚇射撃だ。視界が悪いせいで、ほんの数歩分の距離が霞んで見えた。牛尾の指揮下で、ネオ童実野シティに現れた巨人の対策に当たっているセキュリティの警察官が、十代に向かってニューナンブ式リボルバーを構えている。止める間もなく、立て続けにもう一度発砲した。ほぼ同時に胸から血を噴き出し、制服が異様な色に染まっていく。真鍮製のカートリッジを残したまま、リボルバーのバレルが湿ったコンクリートの上で一度跳ね、こまのように回転した。
「おい、生きてるか。救護を呼べ。早く!」
 牛尾が倒れた警察官に駆け寄った。弾痕は発砲したニューナンブに装填されていた三十八スペシャル弾によるものだ。部下に指示を出す牛尾の袖を、倒れた警官が掴んだ。虚ろな目を宙に向け、うわ言のように頼りのない声を上げる。
「あの男、……やはり、ずっと私を、恨んでいたんだ」
「いいから黙れ。すぐに病院へ運んでやる」
「見えますか。憶えていますよね? 牛尾さん。あいつですよ。昔、私が追跡中にクラッシュさせて死なせてしまった、レアカードの密売人です。幽霊になって、私に復讐しに戻って来た――
「馬鹿馬鹿しいこと言ってねぇで黙ってろって言ってるんだ。そんな幽霊なんかどこにもいねぇ。なんにもいねぇじゃねぇか」
 振り向くと、視線を外した一瞬の間に十代の姿は消えていた。ただ濃い霧の海の中を、大きな蛇のような影がぐるぐると渦を巻いて、音もなく泳いでいた。警察官達が、ちぐはぐでばらばらな名前を叫びながら発砲し、その度に、恐ろしい程正確に跳ね返ってきた弾丸が辺りを血に染めていく。
 傍にいた警官が、「なんだよ、これ……」、そう呟いてくずおれた。静寂は一変して、悲鳴と絶叫と怒号に満ち、生臭いにおいが立込めている。
「無闇に撃つな! 相手の姿も良く見えねぇんだ。まだ下手に手を出すな。怪我人の搬送! 急げって言ってんだろ!」
 牛尾が拳を振り上げて怒鳴った。底意地の悪い幻が戯れに形を変え、見る者にとって最も恐ろしい姿を取り繕っているのだった。向けられた悪意には、かならず同じだけの悪意が還ってきた。
「くそっ、いい加減にしろよママさん!」
 クロウが焦れて、叫んだ。
「龍亞と龍可にはわりぃけど、あんたを放っておくわけにはいかねぇ。家族ってのは、もっとあったかくて優しいもんじゃねぇのかよ。あんまりだぜ。母親がこんな化物なんて、あいつらが辛過ぎるだろうが!」
「同感だ。おい化物。貴様仮にも人の親なら、子供に恥ずべき姿など見せるな!」
 ジャックが一喝し、<レッド・デーモンズ・ドラゴン>を召喚した。悪魔の姿態を持った黒竜が、山羊めいた角を誇らしげに掲げて顕在化する。かぎのついた尾が風を切って、翼を伸ばした。光る眼で霧の海を泳ぐ変幻自在の影を捉え、あぎとを開いて炎を吐いた。放たれた攻撃衝動は、霧の中へ吸い込まれると、<レッド・デーモンズ・ドラゴン>とまるきり同じ恰好の影法師に変化していく。三本角に、凶悪な爬虫類の頭を持ち、大きく開かれた口蓋の奥で蒼い舌がちらついている。
 ―― その人に悪意を向けた者は、必ず憎悪の報いを受ける。そういうふうにできている。<アブソリュート・パワーフォース>が還された。
「……止めてください! オレの仲間を傷付けるのは!」
 遊星は叫んだ。咄嗟にカードを翻し、エース・モンスターを召喚していた。<スターダスト・ドラゴン>。まだかろうじて人の形を保っていた頃のその人が、幼い遊星の元へ導いてくれた竜が、天にきらめく彗星のように霧の街へ舞い降りた。銀の翼の輝きがホワイトアウトを裂き、夜を貫いていく。遊星はその時、彼方から飛来する真紅を纏った竜を見た気がした。
 『君を選んだデュエル・モンスターズの精霊か』―― 昔、その人がどこか嬉しそうに言ったのを憶えている。<神の化身>としていにしえの人々に崇められていた気高い精霊、<赤き竜>の咆哮が轟いた。
 濃霧は消え、ハイウェイも、空も夜景も、誰の姿も消えた。どんな存在も、何の音も失われた世界に、遊星は立ち尽くしている。
 空から降り落ちて来る仄かな光の粒が、肩に触れると、春の雪のように溶けて消えた。まるで、無数の白い花びらの嵐の中にいるみたいだった。聞き覚えのある穏やかな声が、遊星の耳のすぐ後ろで囁いた。
「待ってた。ヒーロー」
 背中合わせに、とても懐かしい気配がする。
「……貴方なんですか」
 遊星は、青い瞳を見開いた。
「十代さん」
 返事はない。そのかわりに、手を握られる。強く握り返した。グローブ越しだが、冷ややかな手の感触が伝わってくるようだった。
「敵意には敵意を、殺意には殺意を。悪意には悪意を、力には、振り上げた同じだけの力を。それが、オレの能力。精霊ユベルの悪魔の力。人の心の闇が見えるようになってから、ずっと人の悪意と向き合ってきた。昔はそれでも人を信じていられた。なんでかな。分からないけれど、好きだったんだ。でも今は、……どうだろうな。好きになるのも嫌うのも、もう疲れた。なぁ遊星、世界が自分の手のひらの上にあるってのはどんな気分だと思う?」
 十代が言った。傲慢からの問い掛けではなく、それはただ事実を口にしているだけだ。それが遊星には恐ろしかった。項垂れ、頭を振った。『もしも』を思い描くことすら辛かった。
「……オレなら怖い。そんな大それた力は、恐ろしいです。大切なものが身動き一つで壊れてしまいそうで」
「うん」
 その人が、何ということもなく頷く。
「……だからオレはお前が好きなんだ、昔と同じに」
 微笑む気配がした。
「全知全能を騙る無知無能の神に刃を向けた時、人類はその悪意の報いを受ける。たとえ、オレから分かたれた、まだ幼い悪魔の力で不死の<超融合神>を可死のモンスター・カードに変えることができたとしても、死んだ神の夢は永遠の闇に沈み―― 世界は、人類は、完全な終わりを迎えることになる。お前の友達の警察官が、あの小賢しい男の遺産なんて引っ張ってきたみたいだけど、奴は神の生贄にもなれなかった役立たずだぜ。今更悪意の上手い隠し方を見付けたくらいで、どうにもならないさ。玩具の飛行機に、未来を切り開く力なんてない」
「それは貴方が……」
 唾液が粘つき、舌が乾く。両足が地に縫い止められたかのように動かない。
「貴方が殺した、十代さん、貴方の父親のことですね」
 十代は喉の奥で、不気味に笑ったようだった。
「父親に望まれなかった孤独。疎まれた寂しさ。銃口を向けられた時の絶望。分かるか、遊星。……分かったら、嫌だな。お前は、理解なんかしないのがいいんだ」
「オレの父は、物心ついた頃にはもういませんでした。だからオレには父親がどういうものなのかも分からない。ただ、オレの父は沢山の人を殺した。でもオレ一人は救ってくれた。守ってくれた。オレだけ生き延びた」
「オレの父は沢山の人を守る為にオレを殺そうとした。龍可を殺そうとした。だから殺した。鉛の塊に頭を壊されただけで死んじまったんだ。悪魔の父親を名乗るには脆過ぎる。あの男の心は、悪魔よりもずっとえげつなかったのに」
「止めて下さい。そんなふうに悪ぶったって、何も隠せない。過去の世界で貴方はオレと出会って未来を知った。だから貴方は、オレが幼い頃から護り導いてくれていた。過去で見たエース・カード、<スターダスト・ドラゴン>をオレの元へ引き寄せ、貴方はオレにヒーローになれと言った。それは、つまり、貴方を殺す人間になれということだ。貴方がオレを導こうとしていた運命の正体を知ってしまってからは、貴方の影さえ怖かった。オレの親父が貴方の家族を殺し、息子のオレが貴方を殺す未来が恐ろしかった。それがオレの心の闇。
 貴方が、向けられた悪意に悪意を還さず、人の心で好意を還すのは、たとえ傷付けられても傷付け返すことができない、大切な仲間だ。貴方はどんな姿になっても絆を守り続けてきた。血に染まった手で幼かった頃のオレを遠くから護ってくれていたように、貴方が記憶を食らった大切な人達のこともずっと見守り続けてきた。でも皆は貴方を忘れていて、好意を還してくれる者はいなかった。本当は、貴方は……寂しかったんだ」
 ひとときの沈黙があって、十代が幼子をあやすような口調で言った。
「……貫け。オレの心臓は、ここだ」
 遊星は振り向いた。左胸に繊細な指を当てている、とがった後ろ頭が見えた。横顔は俯いていた。眩しくて表情は見えない。
 赤き竜の力が見せた刹那の幻影はそこで終わる。
 元の世界が戻ってくる。ベッドの上で隠れんぼ遊びをしていた小さな子供から、かぶったシーツが剥ぎ取られるように、濃霧は散っていき、星を散りばめた夜空が現れた。良く晴れていて、大きな月が架かっていた。ぽっかりと開いた丸い穴のようだ。月を背に佇む覇王城の黒ずんだ尖塔は、より一層不気味に見えた。視界を遮るものがなくなり、初めて街中を見渡すことができた。
 整然と佇む高層ビル郡が、死んだ光に照らし出されて仄かに白く輝いている。時折窪地になっているのは、円を描いて佇む十二体の巨人が、芝の植地でも作ろうとするように、人の営みごと大地を踏み荒らしたせいだ。
 海上をはしるハイウェイから臨むと、旧サテライト島沖で海面が突然ぶつ切れになっている。海水が、何処とも知れない闇の中に、滝のように零れ落ちていた。まるで蛇と亀と象に背負われた神話の世界観だ。それとも、誰かの悪夢の中に、この街が呑み込まれてしまっているのだ。
 気まぐれな神は今、取るに足らないジオラマとして、この世界の全てを眺めているのだろう。遊星は、その人へ届くように、星空に向かって叫んだ。
「貴方は誰よりも破天荒な決闘者です。神、悪魔、そんな言葉で括れる人じゃない。貴方は言葉ひとつでオレに立ち上がる力をくれた。貴方の隣に立つだけで、オレは勇気が湧いてくる。初めて出会い、貴方を一目見たあの日から、一度もこの想いを忘れたことはありませんでした。十代さん、オレは貴方とデュエルがしたかった。
 赤き竜が皆を守る為の最善の方法を教えてくれる。不死の神を不死のまま、オレ達の力で再びこの地に封じれば良いと。それが十代さん自身の望みでもあるんだと。……それで、どうするんですか。かつてナスカの地に封じられた邪神達のように、貴方はこれから五千年も寂しい夜の中で独りぼっちで眠るっていうんですか。オレは嫌だ。そんなことは耐えられない。他ならない貴方がそんなふうになるのは、耐えられるはずがない。犠牲の上に成り立つ人々の営みは、とても脆いものです。貴方はそんなものに相応しい人じゃない。もう帰りましょう、龍亞が、龍可が、ヨハンさんが待ってます。……オレも。貴方を待っています。いつでも、いつまでも待っています。貴方が好きです、十代さん。大好きだ。オレは貴方のどんな時でも楽しむことを忘れない姿勢を、何よりリスペクトする」
 少し離れて、仲間達の目と口がまるく開いていた。構わず、遊星は続けた。
「記録映像の中で貴方は言っていた。どんなに愛されていても、大切にされていても、嫌われるのは一瞬だと。絆なんてまぼろしに過ぎないと。そんなはずがない、貴方は、一瞬で人を嫌ったりなんかしないじゃないですか。どんなに人から向けられた悪意に胸を痛めても、護るべき者を護って傷だらけになっても、絆の力を信じて人間を愛していた。家族の仇のオレのことすら、子供から大人に成長するまでの間、守って、導いてくれたじゃないですか。一方通行なんかじゃないんです。貴方が人に向けた好意は、確実に同じだけ、それ以上還ってきていたんです。皆貴方が好きなんだ。貴方に関わると、皆元気になる。
 オレを憎んでいると思います。オレは貴方の家族を殺し、貴方の運命を狂わせた男の息子です。けれど、何かしたいんです。貴方の為に何かをしたい。だから、立ち止まっていることはできません。オレの親父が壊してしまった貴方を救うのは、オレの使命。罪悪感で手を差し伸べている訳じゃない。貴方が困っている。苦しんでいる。悲しんでいる。泣いている。ならオレは心の通りに、感じるまま、愛の名の下に、貴方がこの世界と共に守ってくれた命を懸けて貴方を救いたい。貴方の為に何かしたい。ワクワクしていると、愛する貴方の口からもう一度聞きたいんです」
 <レッド・デーモンズ・ドラゴン>を背中の後ろに従えたジャックが、不機嫌そうに呟いた。
「オレの遊星が」
 慄きながら、クロウが後を続ける。
「壊れちまった」
 逆立った赤毛を更に逆立たせ、ヘッドギアごと自分の頭を乱暴に両手で掻き混ぜて、地団駄を踏んでいる。
「だあぁ。もぉ見てらんねぇ。耐えらんねぇ。いつの間にどんな精神攻撃を食らったのかは知らねぇが、蟹頭茹でてる場合じゃねぇだろうが。相手は蜥蜴の化物だろうが、何より人妻だろうが、ダチの親だろうが! お前の年上趣味は昔から知ってたけどよ、……何たって初恋がマーサだったんだもんな」
「年上にも程があるだろうが!」
 年下好みの牛尾が目を剥く。その隣で、ジャックが無表情で頷いていた。
「……非常に不本意だが、オレもだった」
「ああ実はオレもだったよ。奇遇だな。子供の頃の忘れ去りたい思い出のひとつだ」
「あの肝っ玉母ちゃん、つくづく魔性の女だ」
 牛尾が呆れ果てた様子で、黙った。
 十代の返事はない。だが、全てを知りながら全てを黙殺する神に、声は聴こえているはずだった。どんなに変わり果てた姿になろうと、絆で繋がった仲間の想いが、その人の心へ届いているはずだった。
「約束を果たして下さい」
 遊星は夜空を真っ直ぐに睨み付けた。
「オレと楽しいデュエルをして下さい。二代目決闘王。オレの永遠の憧れ、遊城十代」

 * * * * *

 ネオ童実野シティ、世界の中心都市。そのトップスに、奇岩の城塞が屹立している。違和感と威圧感を胞子のように辺りに振り撒いている。針山じみたシルエットは、何十年も前に特撮番組で見た悪の秘密基地にそっくりだ。幼い子供の悪夢の中を覗き見ているような気分になる。
 月が、武骨な尖塔へ白々とした明かりを投げ掛けて、剥き出しの岩肌を冷たく光らせていた。ヨハンは<サファイア・ペガサス>の背中から降り立って、覇王城の頂きに立つその人と向き合った。
 記憶とは、心の欠片の連なりだ。記録とは、歴史の上に並んだ文字の羅列だ。神は、肉体から分かたれて、あらゆる次元に飛び散った感覚器から送信される情報を、ただ受け止めるだけの存在に成り果てていた。全ての記録を抱きながら、記憶が伴わないせいで、森羅万象を他人事のように感じているのだった。それは<超融合神>とひとつになった十代なのか、それとも十代とひとつになった<超融合神>なのか、誰にも判別がつかない存在だった。
 ただ、記憶と記録の整合を諦めて思い出の理解を放棄しても、十代はただひとりの人間だけは認識していた。異形の悪魔に、あるいは崇高な神に成り果てても、鏡の向こう側にいる理想の自分として、魂の半身のヨハンを見ていた。
 ヨハンが十代に感じている憧れが、同じだけ還されてくる。この十二次元を統べる<超融合神>が、人間のヨハンへ、神を崇める敬虔な使徒の眼を向けている。ひどく滑稽だった。
「なんだか夢みたいだ」
 十代が言った。
「ヨハンが眼を開いてる。そこにオレが映って見える――
 冷たい宝石のようだった碧と橙のちぐはぐ色の瞳が、ヨハンの姿を映した途端に優しいぬくもりを帯びた。
 腕を伸ばせば、竜を抱き締められる距離だった。隣に並んでヨハンは街を見下ろした。十代の感覚器を積み上げて生まれた覇王城からは、息を潜めて、脅え、縮こまって窮屈そうに喘いでいるネオ童実野シティが一望できる。とても見晴らしが良くて、世界の王のような憂鬱な気分になった。
 高層建築群を絡め取って、瑞々しい巨大花が咲き誇っている。花々は闇色のいばらの上で、それぞれの美しさを見苦しいまでに誇張していた。鋭い棘が心音のリズムを刻みながら蠢いていた。甘い花の匂いの中で佇むその人が、少しだけ微笑んだ。泣きそうな笑顔だった。十六年前に、トップスの空中庭園でヨハンが見たまぼろしと、全てが良く似通っていた。
「俺、小さい頃は十代がちょっと邪魔だった」
 静かに切り出した。十代は黙って耳を傾けてくれていた。声を伴わない言葉で、知っているんだと聴こえた気がした。
「十代がいたせいで、俺は十代の為にしか生きることができない。デュエルに出会うまでは、楽しいことも嬉しいことも知らなかった。子供の頃の俺は毎日世界と家族と十代を呪って生きてた。優しくて、誠実で、俺を認めてくれる精霊達の住む所が本当の居場所なのに、十代のせいで、いてもいなくても誰にも省みられず誰も愛してくれない、こんな意味のない人間の世界で生きる羽目になったんだって。逆恨みだぜ、もちろん。俺こそが誰にも優しくなくて嘘吐きで、誰のことも認めない、どうしようもない人間だったってのにさ。
 だけど十代は、俺と出会えたことを嬉しいって言ってくれたんだ。お前に悪意を向けていた子供の頃の俺のことさえ、救いだと言ってくれた。まるで母さんみたいに、人として俺が生まれたことを祝福してくれた。
 俺が死んでも替わりはいくらでもいたから、お前に出会うまでそういうの無かったんだ。その、誰か他の人間にさ、生まれてきておめでとうだとか、ありがとうとか言われたのはさ。……嬉しかった。守るって決めたお前に向けた想いが、ずっと大きく育って還ってきた気がして、すごく嬉しかったんだ。俺の心臓が動いてることが、この人間の世界に認められた気がした。それから、なんで十代が俺の母親じゃなかったんだろうって、ちょっと悲しくなった」
「オレは、ヨハンがどうしてオレの父さんじゃなかったんだろうって、それが分かんねぇし理不尽だって思ってた。どんな時でもヨハンはオレのことを突き放さなかった。オレを棄てたみんなみたいに見捨てなかった。無条件で、かならず、絶対に愛してくれた。未来に夢を見ることを教えてくれて、言葉ひとつでオレに立ち上がる勇気をくれた。どうしても辛い時には泣いていいんだって抱き締めてくれた。子供の頃オレが何より欲しかった理想の父親みたいだって思った」
「それでも俺はお前の父親にはなれない。十代が俺の母親にはなってくれなかったみたいに。無理なんだ。あの人の子供なんだ。普通の人間よりも少しだけ個性的な、ただの不良息子だぜ」
「……そう思ってたのは、馬鹿な子供だった昔のオレだけさ。あの男には人の親の心なんて死ぬまで分からなかったんだ」
「中身が空っぽのロケットを、空に飛ばすつもりだった」
「……何の話だよ?」
 月の光が、金属の質感を持った虹彩に反射して、まるでこの世界で最も美しい一対の宝玉のようにきらめいていた。神の眼はあどけない。純粋過ぎる。穢れを知らない赤ん坊の眼だ。かつてそこに混在していたはずの不純物は、死の眠りの中に洗い落とされていた。
 昔の十代は、もう少しは聡かった気がする。それとも、まだ寝惚けているのかもしれない。
「覇王十代を乗せたロケットは宇宙の彼方に旅立って、もう二度と地球には戻って来ない。……そういうことにするつもりだった。<優しき闇>をいかがわしい実験に使おうとしていた俺の親父も、相手が地球上にいなきゃ諦めるしかない。ネオ童実野シティの良からぬ奴らから息子を取り戻して、あとはただ誰にも利用されることなく、使命も輪廻も関係ない静かな場所で穏やかに生きてくれればいいって思ってた。―― お前は守られてたんだよ、父さんに」
 十代は信じていなかった。呆れて、肩を竦めている。
「何を言い出すかと思えば。そんなのお前の妄想だ。ヨハンは綺麗な世界ばかり見てる。だからヨハンには分からない」
「ああそうさ。お前みたいに斜めから世界を見て、全部疑ってかかってる奴には分からない。夜の闇も朝の光も、人も花も星もきれいだ。この世界は美しい! それを一番良く知ってるのは、十代、この世界を何度も救い、どれだけ傷付いても守り抜いたお前じゃないのか?」
 ヨハンは十代へ、預かり物の記録装置を放ってやった。ボールペン程の大きさで、筒型の形状をしている。スイッチが入るとソリッド・ビジョンがスライドし、保存されていたデータが投影された。
「遊星が……お前がずっと気にしてた、不動博士の所の男の子さ。彼が俺に届けてくれた。それは、お前が見るべきなんだ」
「これは、―― 日記?」
 テキストを読み進めるうちに十代の顔色が青ざめていく。
 それは、ある父親の日記だ。大いなる宿命を背負って生まれた子供と、この宇宙の命運を、両手に秤のようにぶら下げた男の苦悩の記憶だ。

 * * * * *

『二月一日。―― アークティック観測所に、定期便で小さなメダルが届く。十代はまだ幼いが、既にデュエルに精通し、先日のキッズ・デュエル大会では優勝までしたそうだ。町内でも天才児だともてはやされているようで、自慢に思う。聞けば、父親の長い出張旅行のお守りにと、どうしても金メダルが欲しかったのだという。強く、優しい子に育ってくれた。』
『五月二日。―― 今日、二人目の犠牲者が出た。<ユベル>があの子の願いを叶える力は日毎に増していく。これは、十代が生まれ持った<優しき闇>の力が、増大を始めた兆しだ。』
『七月七日。―― デュエル・アカデミア・アークティック校のアンデルセン校長から、父親の名誉の為にも、異能児の十代を養子として受け入れたいという提案を受けた。関わった人間を皆不幸にするあの子が、この先も日本で普通の子供として暮らしていくことは難しい。アークティック校小等部に編入させ、精霊と人間の架け橋となり得る能力の開発を行いながら、<ユベル>のコントロールを行う方法を研究してみてはどうかということだ。
 手放すことなどできるはずがない。あれは私の息子だ。あの子を見るアンデルセン校長の目にも何かが引っ掛かる。正直を言うと、あまり関わらせたくはない。』
『十月六日。―― アークティック校にビデオテープを贈る。オサム君が撮影してくれていた、普通の子供として暮らす十代の映像だ。あの子は気の弱い所はあるが、誰より優しく、正しいことは何なのかを知っている。自慢の息子だ。アンデルセン校長も、これで<優しき闇>に対する警戒を少しでも解いてくれればいいが。
 大きな力には常に責任が付き纏う。あの子の進む道は、この星に生きる誰よりも険しいものになるだろう。運命とはいえ覇王の力を持って生まれたことが不憫でならない。
 だが、あの子だからこそ、決して道を誤ることはないだろう。もしも道を誤った時は私が守ろう。たとえ人類全てを敵に回したとしても、父親の私がたったひとりの大切な息子として――

 * * * * *

 漆黒の戦闘機の不吉な影が、星空を横切って行った。蝿の羽ばたきに似た音を立ててエンジンを吹き上げ、搭載された悪意の妨害装置が不快な唸り声を上げている。機首は正確に十代を向いていた。<フィールド・マーシャル>が直立している。十代は表情ひとつ動かさない。
 ヨハンは間に割り込んで、静かに告げた。
「対<世界の敵>兵器の攻撃解除キーワードは、―― <我が最愛の息子、覇王十代>」
 おそらく初めから取り決められていた言葉に応えて、ドッグファイト・デュエル機がその機能を停止した。夜空の上で満月を背にして、困惑気味に旋回をしている。これから地上に降りるつもりだろう。その位は持つはずだ。ヨハンは、十代をまっすぐに見つめた。
「お前は愛されてたんだよ、父さんに。誰よりも、誰よりも」
 十代の表情は動かない。揺るがない。頬に触れると、奥歯を噛み締めているのが、指に伝わってくる感触で分かった。強がっている十代の表情の裏側には、いつも溜息が隠れていることを、ヨハンは正しく知っていた。その人の、胸の奥に悪いものを溜め込んでしまいがちな性質が悲しかった。
「世界の終わりを告げる竜なんてどこにもいない。神様がみんなに呪いを掛ける言葉なんて、全部嘘だ。うそつき。お前にはできないよ。誰かを、人を愛さないなんて、俺の大好きな十代には無理だ」
 そして、ようやくヨハンが良く知っている十代が還ってきた。眉が上がり、怒っているように唇が引き結ばれ、瞳孔は川面に映る月のように震えていた。精一杯の虚勢を張っている。いつかその強がりが本当の強さになることを、その人は知っているからだ。だが、独りぼっちの強がりは虚しい。脆い。差し伸べた手の指先が触れ合っただけで、あっけなく崩れ去ってしまう。
「……うそだ。嘘ばっかりだ。こんなの偽物だ。父さんは、本当の息子の肉体を乗っ取って生まれてきた覇王だって、オレを憎んでいた。宇宙の果てへ棄てようとした。龍可を殺そうとした!」
「お前は<チェーン・マテリアル>を発動して、自分自身が<超融合神>に捧げる十二の生贄になろうとしてた。俺と子供達を冥界の門の向こう側から呼び戻す為に、最後の犠牲者になろうとしていた。<D3>を造ったおじさんが、ユベルと融合したお前への悪意には必ず報いが還ってくるってことを忘れていたはずがない。それなのに、ただのピストルをお前に向けたのは何故だ? 分からないのか。お前も親なら、分からないはずがないじゃないか。
 お前の父さんは、息子に生きてて欲しかったんだ。だから身代わりになろうとした。世界なんかどうでもいい。覇王だって関係ない。還された悪意が自分を殺すのも覚悟の上だ。大切な子供を失いたくなかった。お前を命を懸けて守ったんだ」
 息子を神の気まぐれから救い出す為に、悪魔の力に悪意を向けた父親の姿が、わざとヨハンへ向かって牙を剥き出してみせた哀しい竜の姿と重なった。偽悪の癖がそっくりだと思った。
 赤茶けた鱗に覆われた蜥蜴の手が耳を塞ぐ。緩く、何度も頭を振る。
「黙れっ、―― いやだ。聞きたくない!」
「聞け!」
 ヨハンは怒鳴って、十代の肩を強く掴んだ。一瞬、互い違いの虹彩が脅えを孕んで収縮した。
「目を閉じるな。前を見ろ。耳を塞ぐな馬鹿野郎! 甘ったれるな十代!」
 十代が瞳を大きく開いた。焦点が合わないまま、全身を震わせた。頬が引き攣る。吸血蝙蝠のような長い犬歯が半開きの唇から覗いていた。
「ヨハンが」
 声が裏返っていた。ふと、幼い頃の十代を思い出す。親や友人に異端視され、冷たく当たられて、省みられず、それでも愛されたいと願って不自然な笑顔を取り繕っていた。その度に、何度も殺されていた子供の悪意を想った。甘えから生まれる怒り、他人を傷付けずにはいられない悲しみ、独りぼっちの息苦しさ、自分を怖れる者達への憎悪、両親が今日にも息子を棄てようとしているかもしれないという疑惑。怖がりの子供にも、愚かな少年にも、聡明に成長した大人にも、存在しないものとして葬られ続けてきた遊城十代の剥き出しの悪意が、そこにはあったのだ。
 神の見る悪夢の世界が、十代の感情に呼応するかのように変貌する。どことも知れない次元を漂うネオ童実野シティを乗せた大地が、いびつな円を描いて浮き上がった。世界から孤立した街そのものを胴体として、奈落へ落ち込んでいる海上へ無数の竜の首が突き出してくる。
―― ヨハンが! 甘やかすのが悪いんだろぉ!?」
 十代が咆哮した。



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arcen>安住裕吏 10.06.23 - 10.06.29 −