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 裏路地の荒れたアスファルトを、<サンライト・ユニコーン>の蹄が小気味良く叩いていく。たてがみが、青白い彗星のように尾を引いている。赤煉瓦のおんぼろホテルのフェンスに腕をかけて、巨大怪獣が緩慢な動作で後を追ってきた。神に捧げられた生贄の小羊の一体だ。<幻魔皇ラビエル>。薄いブルーの体躯は、洗い晒された骨格標本みたいだった。龍可の腰に掴まっている龍亞が振り向いて、月の光が眩しそうに目を眇めた。
「あいつ、何でオレ達のことしつこく追い掛けてくるのかな。何か悪い事した?」
「さあ」
 龍可は首を傾げた。
 蒼い幻魔の指先を飾っている爪は、美術館のエントランスに屹立している前衛的なモニュメントのようだ。伸びてくる腕だけで視界が一杯になる。<サンライト・ユニコーン>が身をかわすと、勢いを殺せないまま<天界蹂躙拳>が地面を突いた。天を目指して傲慢に増築を繰り返してきたトップス区画は、薄いクレープ状の階層が幾重にも積み重なって造られている。整然と設えられている反面、一度崩れ始めると脆い。
 自分の拳で壊した道路ごと落下していくラビエルに巻き込まれて、<サンライト・ユニコーン>がいななき声を上げた。ユニコーンはヨハンの<サファイア・ペガサス>とは違い、飛翔能力を持たない。龍亞が不安定な体勢で、素早く龍可の手を掴んだ。砕けたアスファルトの下から、鉄骨の枠組みが剥き出しになっている。その端に手を掛け、宙ぶらりんの恰好で、怒鳴った。
「ちゃんと掴まってろよ。龍可、絶対離すんじゃないぞ!」
 眼下には吹き抜けになった地表が霞んで見える。眩暈がする位に遠い。龍亞の腕では、そう長く二人分の体重を支えることはできないだろう。
「龍亞。手を離して」
「馬鹿言うな。龍可はオレが守るんだ。それがオレの使命なんだから、絶対に離すもんか」
「平気よ。だって本当は、私は……」
 ―― 人間じゃない。悪魔なんだから。
 不吉な翼も醜い爪も持っている。無敵の鱗に守られた全身は頑強で、空から大地に叩き付けられた位の衝撃では、きっと死ねない。そう言おうとした声は、かぼそく途切れた。
 龍可は兄に怪物の本性を晒すことが怖いのだ。弱虫で、龍亞が守ってくれないと何もできない、かよわい人間の妹でいることが好きだった。ヒーローに相応しいヒロインでいたかった。
 それももう終わりだ。覚悟する。龍亞の指が汗で滑って、二人は宙に投げ出された。心許無い浮遊感が訪れる。だが、全身が一度大きく揺れ、止まる。
 月明かりに影が差していた。崩落した穴の縁に、強面のブルドッグが白い腹を見せてあぐらをかいている。チェーンが切れた金の棘付き首輪を巻いていて、<クリボン>位なら丸呑みにしてしまいそうな程に大きな口をしていた。
 子供の頃に、龍亞が近所で飼われていたボクサー犬に追い駆け回されていたことをふと思い出した。龍亞も同じ記憶を蘇えらせたのだろう。息を飲んでいる。
 ブルドッグは恐ろしい顔とは裏腹に、敵意はない様子だ。龍亞の襟を咥えていた。改めて見ると、皺だらけの黒い顔の真ん中に、ピンク色をした可愛い鼻がアンバランスにくっついている。普通の犬ではないことは、背中に生えているハリネズミのような棘と、広い肩を飾る二門の火砲で知れた。実体化した精霊だ。強い顎の力で龍亞を持ち上げてから、一緒に龍可を鉄骨の際まで引っ張り上げてくれる。二人で這うようにして道路の真ん中に座り込んでから、大きな溜息をついた。
「はぁ、どうなるかと思ったぁ……」
 龍亞が強張った手で、お座りの恰好の犬の頭に触ろうとした。しかし、唸られてすぐに腕を引っ込める。
「な、なんだよ。助けてくれたのに怒るなんてどうしてなんだよ。せっかくありがとうって言おうと思ったのに」
 ブルドッグは首にハンカチを巻いていた。見覚えのある花柄だ。ハンカチの結び目を解いて、四角にたたんでポケットに仕舞ってから、龍可はぽつりと零した。
「……ほんと、素直じゃない」
 少し唇の端を上げる。龍亞が、「あ、龍可また十代みたいな意地悪な顔してる」とぼやいた。龍亞と龍可を助けてくれたブルドッグ―― <ヘル・ガンドッグ>の精霊は、のっそりと起き上がると、役割は終わったという顔で、大きな尻を揺らしながら去っていく。主人の所へ帰るのだろう。頭の上には、いつの間にか黄緑色をした小さな豆の精霊を乗せていた。
 シティは呑み込まれた悪夢の奥深くまで沈み込んで、更なる変貌を始めていた。夜空に孤立する大地から、無数の竜の首が生えてくる。今、街の住人達は、巨大な亀に背負われた神話の世界にいるのだ。龍亞が腕を組んで難しい顔をしている。
「どうしよう? 遊星や、ジャックやクロウやアキ姉ちゃんや、牛尾さんに学校のみんな。どうしたらみんなを守れるかな」
「知らない。ママに聞いて」
 龍可は肩を竦めた。十代の絶望を写した街は歪み、いばらで黒く塗り潰されていて、あの人の人類への憎悪の深さを思わせる光景へと成り果てている。ヨハンが、それとも龍亞が、龍可が、たった一言をあの人に向かって囁くまで、十代の悪意は止まらないだろう。
 ―― お前なんか大嫌いだ。必要ない。この世界から消えてしまえ。
 龍可は言えない。龍亞には言って欲しくない。ヨハンが言うのは赦さない。誰にも言えるはずがない。だから、もう全部が終わってしまうのだ。
「そうだよ、十代だよ」
 龍亞がぱちんと指を鳴らす。
「十代がみんなを困らせてるんだから、十代なら何とかできるはずだよね」
「ママがどうにもできないから、みんなが困ってるんじゃない」
「それならオレ達が助けてあげないとダメでしょ。家族なんだから。龍可も考えてよ。一緒に十代を助ける方法を考えようよ。オレさ、昔の十代知ってるんだ。元気で明るかった十代も、ぐれてひねくれちゃった十代も、上手く言えないけど、人が困ってるのを見て嬉しそうな顔する奴じゃなかった。意地悪だしすぐ人をからかうけど、誰かを傷付けるくらいなら、ずっと部屋に閉じ篭って寝てる方がましだって言ってた。そうだよ、正義の味方に憧れるヒーロー使いが、悪い奴なはずないじゃないか」
 龍亞の言葉は、まだ子供っぽい純粋さが抜けきらないが、真っ直ぐだ。龍可は、あまり気が進まなかったが、大分迷ってから口にした。
「……ひとつだけ」
「さっすが龍可。何か思い付いた?」
「ママは昔、アカデミア島に何か大切なものを隠したんだって」
「ああ、それ聞いたことあるかも。確か、えっと、十代が一緒にいた時に言ってたんだ。オレにとっても龍可にとってもパパにとっても大切なものじゃないけど、十代には宝物なんだって。隠し場所はわかんないけど、十代のことだからきっとお気に入りの場所に仕舞ってあるんだよ」
「私も探したの。もうずっと探してた。でも見つからなかった。ママはアカデミア島が全部好きだったから、どこが特別なのかなんて分からなかった」
「十代の友達なら知ってるかもしれないね。ほら、一緒に本校で過ごした同級生なら」
 龍亞と龍可は顔を見合わせた。


 海馬コーポレーション第二ビル駅から、直結したエレベータに乗ってビルへ戻ると、中にはまだ隼人がいた。十代がオシリス・レッド一年生の頃、ルームメイトだったという男だ。彼に十代のお気に入りの場所を尋ねると、何故そんなことを訊くのかと不思議そうにしていたけれど、当たり前のように「憶えてるんだな」と頷いた。龍可は、龍亞と一緒に頭を下げた。
「案内して欲しいんです。その、母のお気に入りの場所に」
 龍可は、小鳥の翼の形に削り出された十代の骨の欠片を胸の前に翳して、次元の扉を開いた。建て付けの悪い木製の扉だ。錆びたノブを回すと、先にはデュエル・アカデミア島の光景が広がっている。龍可が留学している本校とは別の時間軸に存在する、二十九年前のアカデミア本島だ。今は空き地になって、草が生い茂り、森の一部に取り込まれている場所に、赤い屋根のおんぼろ寮は建っている。
「レ、レッド寮なんだな」
 隼人が振り向いて、通り抜けてきた扉とクリーム色の壁を見比べ、今にも柱が折れて落ちてきそうな二階を見上げた。丸い目を忙しなくまばたきさせている。
「もう取り壊されて無くなったって聞いてたけど、この黴が生えた壁、錆びた手摺り、抜けそうな階段、確かにおれ達が暮らしてたオシリス・レッド寮なんだな。こんなものまで再現できるなんて、最近のソリッド・ビジョンは本当に進化してるんだなぁ」
 暢気に感心している。龍亞が「急いで!」と叫んで、隼人の背中を押した。
「オレ達の肩に世界の命運がかかってるかもしれないんだから!」
「あ、ああ。そうなんだな」
「おじさん、みんなが危ないって時になんで笑うのさ?」
 隼人は龍亞の剣幕に気圧されながら、どこか懐かしそうに頬を緩めている。彼を急かす龍亞の姿は、のんびりとくつろいでいるコアラの周りを、チーズを咥えて走り回る子鼠みたいだった。
「やっぱり、親子なんだなぁって思ったんだな。十代も良く同じことを言ってた。世界を救う為に戦うとか、自分がみんなを守るとか。あいつはいつでも、おれ達みんなのヒーローだったんだな」
「……みんなそうやって十代のこと、すごいとか強いとか本物のヒーローだとか言うけど、オレにはわかんないよ」
 龍亞は、戸惑いがちに俯く。
「オレは家族が守ってあげなきゃなんない十代しか知らないから」
 隼人の後について、緩やかに蛇行する道を行く。舗装されていない道路は、黄色い土が剥き出しになっている。物資輸送車が通る為のものだろう。この道も、やがて舗装道路に取って代わられることになる。オシリス・レッド寮の終焉と共に、今はもう使われなくなって、背の高い雑草に覆い隠されて消えてしまった。
 改装がされる前のラー・イエロー寮を通り過ぎて、正門に到達する。岸壁を大回りする道のりだ。ヨーロッパの古城風のオベリスク・ブルー寮が校舎に隣接しているのに比べて、オシリス・レッド寮は立地の条件が悪すぎる。毎朝目が覚める度に鉄橋の横を通り抜け、校舎まで伸びている長い道を、旧制服の赤いジャケットを翻しながら駆けていく、思い出の中の少年のまぼろしを見た気がした。その人は、どんな時でも人の輪の真ん中で、楽しそうに笑っていたんだろう。誰を憎むこともなく、世界を呪う言葉を知りもしないまま、太陽を真っ直ぐに追い掛けていたはずだ。思いを馳せると、何だか寂しい気持ちになった。
 隼人は無人の校舎へ駆け込んで、教室の脇を通り抜けると、廊下の突き当たりの扉を開けた。重い鉄の扉だ。立ち入り禁止の紙が貼られている。
「いいの? こんな所勝手に入って」
 龍亞が怪訝そうに口を出した。周りにあるものが全て過去を再現した幻に過ぎないと知っていても、注意書きを見ると気後れをするものらしい。隼人は困ったような顔をして少し微笑んだ。
「駄目だけど、十代はいつも勝手に中に入って授業をさぼってたんだな」
「やっぱ十代って不良だ」
 龍亞は授業中に居眠りをするし、物覚えが良くないせいで成績も振るわないが、基本的な所では真面目な性格だ。呆れて三白眼になっている。
 ステンレス製の非常階段を駆け上っていく。頭上に眩い光が見えた。屋上だ。本校を象徴するオベリスクが間近に見える。階段板の最後の一段を蹴り上げたところで、後ろから気取らない足取りで階段を上ってくる誰かの靴音に気が付いた。振り向いて、少し驚く。
 エメラルド色の頭に、ブルーのベストを羽織っていて、袖口にフリルが付いた紫色のシャツを着た少年だった。ヨハンだ。神に呪われて歳を取れなくなった現在の父親よりも、ほんの少しだけ幼い姿をしている。ヨハンに先行して、四つ耳の不思議な生き物が小さな脚を動かして駆けていく。
「パパ」
 龍可が呼び掛けても、ヨハンには聞こえていない様子だった。半透明の身体が龍可を擦り抜けていく。本物のヨハンではない。ソリッド・ビジョンでもない。ただ、この場所に強い思い入れを持った誰かの残留思念が再生されているだけだ。空気に染み付いている幽霊みたいなものだ。
 十八歳のヨハンの視線の先には、赤いジャケットを着た少年がいる。チョコレート色の頭は、とても目に馴染んだものだ。その人は、ヨハンの肩の上に乗っている精霊を珍しそうに眺めている。
『よぉ。そいつ、ルビーっていうのか?』
『こいつはカーバンクルのルビー。伝説上の生き物さ』
『ふーん。伝説って?』
『ああ。それってハネクリボー?』
 話が噛み合っていないのは、元々の言語の違いによるものだろうか。ともかく、二人はそんな些細なことは気にも留めず、まるで生まれる前から仲の良い親友だったみたいに握手をした。初対面から、龍可が知っている二人と変わらない両親だった。
「ここ、十代のやつが、いつも寝転んでた場所」
 隼人が言った。彼には十代とヨハンの姿が見えていないようだ。硬く手を握り合って、お互いの眼をじっと見詰め合っている二人を通り越して、屋上の縁に立った。柵は設置されておらず、壁は真下の森へ垂直に落ち込んでいる。風も強く、危険そうだが、だからこその『立ち入り禁止』なのだと思い当たる。
 隼人の巨体に追い散らされるようにして、両親の幻は消え去った。龍可は目を擦って隣の龍亞を見た。余所見をしている。精霊視の力を持たない兄にも、二人の姿は見えていなかったようだ。
「デッキの調整も、授業さぼって昼寝をするのも、あいつ誰にも邪魔されないからっていつもここでやってたんだな。寝転がって空を見るのが最高に気持ちがいいって言って、一番のお気に入りだったんだな」
「ほんとに?」
 調子の良い龍亞は、隼人にそう聞かされるなり自分も試しに寝転んでいる。龍可は呆れて口を出した。
「龍亞。今そんなことやってる場合じゃないでしょ。世界の命運がかかってるんじゃなかったの?」
「いや、ほんとに気持ちいいよ。空しか見えない。それもすごく近い。……あ」
 腕をまっすぐに、空を掴もうとするかのように伸ばしていた龍亞が、大きく目を開いた。頭を振りながら起き上がって、床を指差し、自分でもあまり信じていないふうな声で呟いた。
「見付けた」
 龍亞が示した先には、床と同化していて気が付きにくいが、確かに凹凸がある。目で見るよりも指で触れてみると良く分かる。窪みは縦が十センチ弱程で、横はそれよりも短い。ちょうどデュエル・モンスターズのカードの大きさだ。すぐに、スキャン・パネルだと気付いた。
「いかにも宝物の在処ですって感じ。えーと、じゃあ、とりあえず」
 龍亞がデッキからエース・カードを抜いて、ちょうど床の窪みに添うように触れさせた。反応は無い。やはり、そう上手くはいかない。
「<パワー・ツール・ドラゴン>は駄目みたい。<エンシェント・フェアリー・ドラゴン>は?」
「……こっちも違うみたい」
 龍可のエース・カードにも反応はない。パネルの形状から、何かのカードが鍵になって仕掛けが動くはずなのだ。双子で鼻先を突き合わせて真剣な顔をしていると、そこに隼人が口を出した。
「もしかして、二人はあのカードを探してたんだな?」
 顔を上げる。隼人が頷いた。
「おれ、大分昔なんだけど、十代に頼まれてカードのデザインをしたことがあるんだな。宝捜しゲームの景品にするとかで、このスキャン・パネルの先に隠してあるのは、多分あのカードだと思うんだけど」
「隼人おじさん、それ何て言うカード?」
「わかんないんだな」
「なんで。おじさんがデザインしたんでしょ?」
「カードが完成する前に、十代が事故に遭って、その……」
 隼人は言いにくそうに目を白黒させている。十代の子供の前で、母親の死を語ることに抵抗があるのだろう。いい人なんだろうなと、龍可は思った。当の十代本人はひねくれ者で分かりにくい性格をしているけれど、十代の友人は、皆まっすぐで優しい人間ばかりだ。
「そ、それで、景品のカードは結局お蔵入りになってしまったはずなんだな。ずっとずーっと昔に企画だけはあったカードなんだけど―― 企画段階での仮名称は確か、<レインボー・ルイン2−ワールド・エンド>だったと思うんだな」
「<レインボー・ルイン>。パパの為のフィールド魔法カードね」
「おれがデザインした<スカイスクレイパー2−ヒーローシティ>と対になるカードで、元々はヨハンの誕生祝いになるはずだったんだな。十代とペガサス会長が、ヨハンをびっくりさせるプレゼントを用意しようって、何か悪い顔で企んでたんだぁ。でも、その時は<ゼロ・リバース>騒動のせいで、誕生日を祝うどころじゃなくなっちゃったから……」
「それじゃあ、パネルにスキャンするキーカードはパパの宝玉獣のどれかだよ。エースの<レインボー・ドラゴン>じゃないかな」
「ううん、違うわ。そうじゃない」
 龍可は首を振った。十代が龍亞に聞かせたという言葉を思い出す。
 ―― 龍亞にとっても、龍可にとっても、ヨハンにとっても大切なものではない。形もない。求めるだけで傷付く。だけれど、十代には何よりも大切な宝物なのだ。
「ねぇ、隼人おじさん。変な事を聞くけれど、私達のママが事故で死んでしまったっていうのは、いつのことだったでしょうか?」
 隼人の中で十代が死んだことになっている『事故』とは、歴史上から遊城十代の名前が抹殺された<ゼロ・リバース>のことか。それとも人としての十代が無惨な死を迎えた十六年前の<NEX>ビル炎上事件なのか。隼人の十代の死に対する認識が、二つの事故のいずれにあるかで、十代がカードに込めた意味が随分変わってくる。
「十六年前なんだな」
 隼人が、気が重そうに答えた。
「十代が急におれの所に現れて、あのカードを完成させたいって言い出したんだな。もうおれも忘れてたからびっくりしたけど、でも十代が作りたがってたのは、昔企画があった宝玉獣デッキ向けの、<レインボー・ルイン>の派生カードじゃなかったんだな。あいつのヒーロー・デッキにも全然関係ない感じで、十代が自分で使うにしても、変な感じだったんだな。あれは、他の人へのプレゼントだったのかなぁ」
「そう。……分かったわ。ありがとう、隼人おじさん」
 龍可は眼を伏せた。
「ママは、パパと初めて出会った大好きな思い出の場所に仕舞っておいたそのカードを、ヒーローに渡したかった。鍵になるのは、大切なカードを使うに相応しいヒーローのエース・カード。遊星の<スターダスト・ドラゴン>が、きっとキーカードなんだわ」
 龍可の腕に赤き竜の痣が浮かび上がった。隼人が驚いて、巨体がボールのように跳ね上がる。シグナー同士の絆を繋ぐ痣が、遊星を導いてくれるだろう。
 だが、遊星の到着をゆっくり待っているわけにはいかないようだった。地面が一度、大きく揺れた。十代が創造し、前世の龍可が発展させてきた仮想空間そのものが、外部から殴り付けられている。屋上に屹立するオベリスクを軸に、じぐざぐに空間に亀裂が入る。かすかな隙間が開いて、過去を再現した箱庭を覗く銀の眼が見えた。
 <幻魔皇ラビエル>だ。あの女が、生贄になってもなお執念深く龍可を追い掛けて来たらしい。デュエル・アカデミア本校上空をガラスのように突き破って、青ざめた腕が伸びてくる。遊星がこの場所へ着くまでは校舎を破壊させるわけにはいかない。龍可はデュエル・ディスクを展開して、幻魔の降臨を待ち受けた。
 <ラビエル>がどういう存在なのかを、前世で影丸に話して聞かされたことがある。かつて、伝説の始まりとなった決闘者がいた。彼が従えた<三幻神>のカードの対として、<三幻魔>という神の影のカードが存在する。<ラビエル>は他の二体の幻魔、<ハモン>と<ウリア>を束ねる幻魔の皇だ。
 洗い晒しの蒼躯がドーム天井に降り立った。正面から向き合うと、高層ビルと対峙しているようだった。至近距離にいると、首を真上に向けても相手の頭が見えない。
「負けるもんか。オレ達は地縛神とだって戦ったんだからな!」
 <パワー・ツール・ドラゴン>を従えて、龍亞が叫んだ。龍可の前に立つ兄に脅えはない。妹を守る為なら、龍亞はいつもどんな敵とだって勇敢に戦ってくれた。
 幻魔の皇の背中に火球が着弾した。巨体が揺らぐ。<パワー・ツール>の<クラフティ・ブレイク>じゃない。次元の裂目から、<ラビエル>が攻撃を受けている。
 誰に?

 * * * * *

 もう何十年も昔のことだ。ある夜に、月明かりに照らされたアカデミア島の森の小道を、顔つきに幼さを濃く残した少年達が歩いていく。意地の悪い声が怪訝に尋ねた。
「おい十代。さっきは貴様、なんであの間抜けなファラオに死ぬのは百年待てなんて言ったんだ? まったく譲歩が見えなかったぞ」
「ん? そりゃあ、決まってるじゃないか。翔もカイザーも明日香も万丈目も、大徳寺先生もクロノス先生も、トメさんも校長もファラオも、オレみーんなだーい好きだぜ!」
「アニキ、ボク感激ッス!」
「オレも、十代が大好きなんだなぁ」
「あら、ありがと」
「そうだな」
「オレは大嫌いだ」
「嬉しいですにゃあ。ね、ファラオ〜?」
「にゃ〜?」
「だから、すっげー長生きしてー。あと百年くらいはさぁ」
「いや……オレ達はともかく、大人に向かってあと百年は、さすがに無茶振りだろう」
「校長先生あたり、普通に生き残ってそうで怖いっス」
「あのね、みんながみんな、貴方みたいに頑丈でしぶとくて生き汚くはないのよ」
「明日香はトメさんみたいなおばちゃんになってるかな?」
「……トメさんに免じて、今は殴らないでおいてあげる」
「憎まれ者世に憚る。貴様のような余計な者に限って、最後の一人になるまで見苦しくこの世に生き残るんだ」
「えー、ひとりぼっちかぁ!? それはヤだなぁ、うーん。オレはさぁ、朝起きてみんなの顔見てデュエルして、授業サボって原っぱで昼寝して」
「できれば授業には出て下さいにゃあ、十代くん……」
「ドローパン引いて、カードパックをワクワクしながら選んで部屋で開けて、めざしと納豆とたまにエビフライ。オレ、ずっとそんなのがいーなぁ」
「まったく。それじゃ、永遠に十代のガキのままではないか。馬鹿者め」
「えいえん。あはっ……ヘンな言葉!」
「何笑ってる」
「だって、永遠に十代だってさ。永遠って百年位かな? すっごく長い時間だよな。百年経っても十代なんてさ、やっぱおかしいぜ万丈目。そんなのお化けじゃないか。すっごくヘン!」
「オレの方を見てヘンとか言うな!」
「あははは!」
 少年達は歩いていく。未来に待ち受けているものを彼らはまだ何も知らず、知らないからこそ、そこには希望が一筋の救いの光となって残されている。

 * * * * *

「カイザー。カイザー?」
 人懐っこい声がする。チョコレート色の頭が、居間のカーペットに寝転がって見上げてきていた。トレードマークの赤いジャケットを丸めて枕にしている。開け放たれた窓から昼下がりの光が差し込んできていて、四角い形に陽だまりができていた。十代の頭の上を定位置にしているファラオが、短い牙を見せて大欠伸をした。
 デュエル・アカデミアを卒業した十代は、<幻の決闘王>と呼ばれるようになってもプロ・リーグへやって来ることはなく、就職も進学もせずに世界中を飛び回っている。何に夢中になっているのかは知らないが、時折こうして翔を心配して様子を見に訪れることもある。翔の兄貴分としての気遣いかららしいが、翔に言わせれば心外なことで、十代の将来の方が余程心配なのだそうだ。
 たまに十代がこうして姿を見せてくれると、翔も安心するようだった。二人の思いやりはそれぞれで多少ずれているが、亮としても十代に会えるのに悪い気はしない。
 十代は少し前までは、異世界で負った心の傷の痛みのせいですれてしまっていたが、今はまた昔のように笑う。笑える余裕が持てる程には、成長したのだろう。大人びた顔をしている十代も悪くなかったが、こちらの方が十代のあるべき姿のように思えて、好感が持てた。
 宙に向かって見えない誰かと会話をしている十代の姿は、デュエル・モンスターズの精霊達が支配する異世界の存在を身を持って体感しなければ、奇妙な癖に見えただろう。袖を動かして、新聞広告の裏に黒の顔料マーカーで幾何的な模様を書いている。誰かの似顔絵だろうか。
「なぁ、これ、どう思う? オレのサイン」
 十代が鼻先を天井へ向けて得意そうにそびやかした。サインというからには、紙面には遊城十代の名前が書いてあるのだろう。細い腕が誇らしげに掲げている紙には、毛むくじゃらの新種のみみずの絵が描き込まれているようにも見えた。しかし亮には十代の美意識がそうさせたものを貶す筋合いはないし、元から理解できないものを頭ごなしに否定するのは主義に反する。だから、自分は黙っておくことにした。
「吹雪にでも訊け」
 親友に丸投げをする。十代の猫のような目は、木の実のような艶があって、不思議な色をしている。
「うん。でもさ、またきっと変な事件が起こるぜ」
「確かにそうだ」
 思い当たる所があって、亮は読み掛けの新聞を諦め、ダークグレーのコーナーソファの上で額に指を当てて考え込んだ。まあ味がある。感想を言うと十代は素直に喜んだ。かなりの自信作の様子だった。表情は大人びたが、子供の心を忘れない姿を見ていると、少し羨ましいとも思う。チョコレート色の頭に触る。感触はファラオとそう変わらなかった。
「カイザーってさ、オレのこともう子供じゃないって言う癖に、扱いは子供だよな」
「子供扱いをしているつもりはないが」
 十代の頭を撫でるのと同じふうに、ファラオの背中を撫でる。今日は機嫌が良いようで、嫌がらなかった。気持ちが良さそうに喉を慣らしている。
「にゃ〜」
「猫ぐらいの扱い?」
 十代が上目遣いで言った。
「お前は猫じゃない」
「もちろん猫じゃないけど」
 吊り上がり気味の目が大きく開くと、昔のようにりすに似た顔になる。トレイに三人分の麦茶を乗せてきた翔が、「また不毛な会話を繰り広げて」と呆れていた。
「はぁ、まったくこの若年寄り達は。なんか部屋の空気が乾燥してるというか、干乾びているというか」
「加湿器を入れるか」
「そうじゃなくて、言葉の微妙なニュアンスで。……まあ、お兄さんとアニキには、分かってはもらえないんだろうけどさ」
「お、前に来た時とお菓子棚の場所変えたのか。棚の中、難しそうなこと書いてある紙ばっか」
「あ、上の段、右。全然整理できてなくて、物ばっかり増えていくんだよ」
 十代が、買い置きのかりんとうと甘納豆を出してきて、テーブルの上に並べている。亮と翔の二人の兄弟の間に十代が一人入って、それがごく自然でちょうど良い。元からそう生まれ付いていたかのように当たり前だった。
 遊城十代は、気が付いたら傍にいるが、いなくなっていても気が付かない。亮にとってはそういう存在だった。翔がよく喩えるように太陽のような男だった。日は気が付いたら昇っているし、気が付いたら暮れている。たまに目を上げて、そこに輝いていることを確認することはある。空に太陽が浮かんでいるのは当たり前で、暮れない朝はないし、明けない夜もない。
 だからその太陽のような少年が、見上げた空から消えてしまって二度と昇らなくなった時にも、なんだかぼんやりとしていて、実感が湧かなかったというのが正しい。
 その人は、亮が死んだ時には泣いてくれる者だった。だけれど、その人が死んだ時に、亮は泣けなかった。夜空を見上げて、また太陽が昇るのを待っていた。そうして気が付いたら、いつの間にか十六年もの月日が流れていた。
 ―― 鈍いんだよ、あんたは。
 十代ならそう言って苦笑いをするだろう。
 そうなのかもしれない。


 亮は、気が付いた時には、弟の翔を思いやるのに似た感情で十代を想っていた。十六年前にネオ童実野シティのトップスに浮かぶ空中庭園で、鮮やかな花の匂いの中で泣いている十代の姿を見た時に、とても強い既視感に襲われたことを覚えている。膝を抱えて柔らかい手のひらで顔を覆っている十代の姿が、幼い頃の翔に重なっていた。
 翔は小柄で痩せた身体と気の弱さに加えて、他人を思いやる余裕のない心から、子供の頃はいつも同級生達からいじめを受けていた。亮は、お下がりの自転車を引いて泣きながら家に帰って来た翔を、決まって腕を組んで見下ろしていたものだった。弱さとはどういうものなのかすらも知らなかった頃の亮は、弱い翔のことが何も分からなかった。
 強さと勝利のみを追い求め、弱さと敗北を拒絶したこともあった。異世界の砂漠で、心も身体も消耗しきって、ただヨハンのまぼろしに縋って逃げ場所を探していた十代の姿を見た時には怒りさえ覚えていた。
 だが、亮も翔も十代も成長する。変化と進化こそが、純粋な強さよりも弱さよりもデッキが求めていることだと、翔がいつの間にか亮を追い越す程の気高い決闘者になった時に教えてくれた。初めて弟と本当に視線が合った気がした。
 そして、空中庭園のベンチで幼児のように泣きじゃくっていた十代の頭を撫でてやった時に、ようやく頼りのない弟をいたわる兄の心を知った。
 言葉はいらない。慣れない慰めの言葉も、強者の忠告も必要じゃない。泣虫の頭を撫でてやれば、それで良かったのだ。
 子供の頃の亮は、立派で模範的な年長者としては振舞えていたかもしれない。だが良い兄ではなかったようだと自嘲する。泣いている弟をただ見ているだけの傍観者だ。妹の明日香を抱き締めて、不安を感じていれば敏感に気が付いてやり、砂糖菓子のような慰めの言葉を言える吹雪の姿勢が、彼には何度も困らされはしたが、羨ましかった。
 十代は亮にとっての理想の弟のようだった。翔に悪いとは思わない。翔も十代を理想の兄として見ていることを知っている。翔が立派に一人立ちをすることができたのは確実に十代のお陰だし、十代がいなければ、亮と翔の兄弟はいまだにお互いが接し方を知らず、疎遠だったかもしれない。翔がリスペクトを込めて『アニキ』と呼び、亮自身も期待と慣れない熱意を込めて成長を見守っていた十代だからこそ、時には間に入って緩衝材となり、時にはほつれ掛けた絆を繋ぎ直す架け橋になることが可能だったのだろう。
 十代がいる空間がいとおしいと思う。とても気持ちが良い空気に満ちている。自分で思っていたよりも彼という存在に甘えていたらしい。それにようやく気が付いた時には、その人は神に変貌していた。
 亮が上を見上げているうちに、十代はまっすぐに前を向いて遠くへ走り去ってしまっていた。もう赤い背中も見えない。


 青白い空に浮かんだ月が、身動きもしないまま、ネオ童実野シティ上空に見える。射し掛けてくる光がゆらいでいる。星すらも呑み込んでしまいそうな大きな口を開けて、大地から生えた竜の首の影が踊っていた。先が二つに分かれた舌を突き出して、赤い眼が燃え上がり、頭の数だけ重なった咆哮は鳴り止む気配がない。
「厄介な兄貴分を持ったな。翔は」
 亮は呟いて、隣の翔へ視線を落とした。
「ほんとだよ」
 翔がぼやく。
 <世界の終わりを告げる竜>は、ヨハンに焼殺されて土の中に葬られてから、自身の遺骸を種として、発芽し、十六年の月日を掛けてネオ童実野シティの地中深く隅々にまで根を張り、浸蝕を広げていた。
「ボクが初めて出会った頃のアニキは、何も知らない子供だったんだ。心の闇をいらない玩具みたいに親に棄てられて、楽しいこと以外何もかもを失った子供で、まるで幸せの見本だった」
 翔が言った。
「どうしてあの子が永遠に幸せな子供でいられなかったんだろう。確かに人が成長を続ける為には、ずっと停滞していることなんてできない。それは分かってるんだ。でもやっぱり少し哀しいよ。こんな無惨な姿を晒すくらいなら、ボクは、あの人に心の闇なんかいらなかったんじゃないかって思ってしまうんだ。誰かがずっと子供のまま守ってあげられたら……でもそれじゃ駄目なんだ。アニキの前で一人ずつ仲間達の死を見せ付けて愛を囁いていた、<破滅の光>に狂ったユベルと同じなんだ。分かってるんだ」
 十代の血で汚染され、呪われた街には、神に捧げられた生贄のモンスター群として<幻魔皇ラビエル>の姿があった。世界を滅ぼそうとしている十代が、今の双子の子供達と同じ年齢の時に、世界を守る為にヒーローとして戦い抜いた怪物だ。皮肉にも程がある。
 翔が無心に慕っていた頃の十代の赤い背中を思い出した。亮にとっても、それは破天荒で予測が付かず、味があって好ましいものだった。
「異世界をさまよううちに、ボクらのアニキへの絶対の信頼は、一から築き直すことすらできない位に粉々になってしまった。アニキにとっても、それは同じだった。アニキはもう二度と、アニキを見捨てたボクらを無条件でひたすら信じてくれることはないと思う。どれだけお互いに信じ合ったとしても、『たとえ裏切られたとしても構わない』という前提条件が付いてしまったんだ」
 <ラビエル>は、鋭い爪の先で大気の壁を引っ掻く仕草をした。薄いレースのカーテンを引き千切るように、容易に次元を裂いていずこかへ消えていく。
「だけど、空を見上げてアニキを待ち続けてたあの日のボクには、壊れた絆だとか負い目とか疑いの心だとか、そんなのはアニキが元の世界に帰ってきてくれたらどうだっていい話だったんだ。ボクが初めて出会ったアニキは、空の果てに消えていく間際に、自分は犠牲じゃないと言った。でもあの時アニキは世界の存続の為に、ユベルを救う為に、人として一度死んでしまったんだ。
 そして十六年前にも、アニキは同じことをした。アニキを置いて逝ったヨハンを蘇らせる為に肉体も魂も神に捧げた。犠牲以外の何だっていうのさ? ボクにはアニキの行動と犠牲の違いが分からない。理解できないまま、ただ空を見上げてたんだ。あの人が帰って来なきゃどうしようもないもの。どんなに悪に染まっても、闇に堕ちても、ヨハンに穢されて輝くことすらできなくなっても、それでもアニキはボクにとって誰よりも大切な人なんだ。見ているだけと見守るのは違う。どうしようもなくなった時には、手を差し伸べてあげなきゃならない。泣いている人を傍観しているだけなのは、そんな人間いないのと同じだ」
 翔の性根はまっすぐ過ぎて、心の闇を許容する亮にも十代にも、時折痛い程に妥協がない。赦しもない。おそらく亮が知る中で、最も潔癖で苛烈な人間は翔だ。
「だから、目を逸らさないだけじゃ駄目なんだ。命を懸けて向き合うんだ。隣を歩いていた人が転んで泣いてしまった時には涙を拭ってあげられる位に、ボクは強くあらなきゃならないんだ。……あの人の一番の弟分なんだから!」
 翔が<パワー・ボンド>を発動して、三体の<サイバー・ドラゴン>を墓地へ送った。亮にとっても馴染んだ手順だ。兄から弟に受け継がれた機械の竜が召喚され、三つ首をもたげた。<サイバー・エンド・ドラゴン>の重量のある体躯が<ラビエル>を追い、次元の彼方へ飛翔する。



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