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 十数年前から、ネオ童実野シティではある都市伝説が囁かれていた。
 <竜の財宝>。おそらく、十六年前にトップス地区に出現した<世界の敵>の記憶が人々の間から失われていくにつれて、あやふやな不安だけが残り、それが形を変えながら一人歩きを始めたものだろう。ソリッド・ビジョン・システムを応用した体感型ゲーム<デビルバスター>にも、この噂話を下敷きにしたシナリオが存在する。
 ―― 昔、世界を支配していた竜が、世界よりも大切にしていた宝を二つに割って、このシティの一番高いところに隠した。
 ひとつはこの世で最も美しく輝く一対の宝石だ。竜にとっては、それはかけがえのない双子の子供達だった。
 もうひとつは、この世に終わりをもたらす程の力を宿した、竜を倒すただひとつの伝説の剣。それは、一枚のカードだ。フィールド魔法<パーフェクト・ワールド・エンド>。
 竜は確かに財宝を遺していた。だがそれは竜の心が価値を定めた宝だ。人々にとっては何の意味もない。やはり、ただの都市伝説でしかない。
 まぼろしのデュエル・アカデミア本校校舎の屋上で、黄色い床の上に、龍可がカードを並べていく。円を描いて十二枚。
「これが、十二ある次元。十二個の宇宙とするわね」
 カードを示して、龍亞を見上げる。円形に伏せられている十二枚のカードを一纏めにして、続けた。
「十二枚のカードをリリース。墓地へ送り、」
 ―― <超融合>によって十二の次元を統合し、
「一枚の融合カードを召喚する」
 ―― <超爆発>によってひとつの次元を創り出す。今まで円があった場所に、新しくカードを一枚置いた。
「これが今、<超融合神>が行っている<超爆発>。宇宙を光と闇のバトル・フィールドとして、あの神様は、そこに十三番目にして唯一の次元、新しい世界、それを生み出そうとしてる」
 一纏めにした十二枚のカードを、十三枚目のカードから少し離れた所に置く。龍亞が、薄々予感はしている様子で、十二枚のカードの行き先を指差して、龍可に尋ねてきた。
「ここは?」
「墓地」
 龍可はそっけなく言った。
「この世界に置き換えると、冥界ね」
「そもそも、その超なんとかって神様って何なの? 神様なのに悪いヤツなの? 遊星も龍可も全部分かってるって顔してるけど、オレには全然さっぱりなんだよ。オレに分かるように説明してよ、龍可。オレでも分かる教え方は龍可の得意技なんだから」
「ずっと昔ね、私達が生まれるよりも何年も昔なんだけど、<ユベル>っていう闇の精霊が、私達が今いるこの世界を含む十二の次元をひとつにくっつけて、<超融合神>っていう神様を生み出そうとしたことがあったの。その神様と自分の身体をくっつけてひとつになって、自分がこの宇宙で唯一の存在になろうとしていたのね。<ユベル>は<チェーン・マテリアル>っていうトラップ・カードを使って、永い眠りから神様を目覚めさせて、十二体のモンスターを生贄に捧げた。いよいよ今ある宇宙が滅びようとしていた」
 龍亞が唾を飲み込んで、「それで、どうなったの?」と言った。
「もちろん、世界はヒーローに救われたんだよね」
「そう。あるヒーローが、<ユベル>がひとつになろうとしていた<超融合神>の替わりに、寂しがりの<ユベル>と自分の魂をくっつけたの。人間の身体を棄ててね。ヒーローは十二の宇宙よりもずっと広い心を持っていて、冷たい宇宙なんかよりも、全然あたたかかった。<ユベル>はそのヒーローのことが大好きだった。だから<ユベル>は満足してヒーローと一緒に歩いて行ってしまったけれど、放り出された<チェーン・マテリアル>と神様は全然満足していなかった。置き去りは嫌だったから、自分とひとつになるはずだった<ユベル>を探した。自分だってヒーローとひとつになりたいと思ってた。執念深い神様の願いは叶って、神様と<ユベル>とヒーローはひとつになった。それが今の私達のママ。遊城十代。
 初めて<ユベル>が<チェーン・マテリアル>を発動させた時、現世でも冥界でもない、<超融合神>がいる暫定的な十三番目の次元が生まれた。それは、十二の次元がひとつに統合されてしまったら消えるはずだったんだけれど、次元の統合は破棄された。そこは神様ごと棄てられてしまった宇宙なの。神様がママとひとつになった時、その次元はいらなくなって、空っぽになった。
 ある時、<コクーン>っていう女の子がその空き家を見付けて使っていたことがあった。その子がずっと探してたカードが、このフィールド魔法。<パーフェクト・ワールド・エンド>」
 手に入れたばかりのフィールド魔法カードを、十二枚のカードが置かれている『墓地』と、フィールドに一枚だけ並んでいる十三枚目のカードの間に置いた。<パーフェクト・ワールド・エンド>。十代が大切に守っていた神殺しのカードだ。
「<パーフェクト・ワールド・エンド>は、墓地の十二枚のカードと、フィールドのカードを入れ替える」
「つまり、それって?」
「新たに生まれた統合次元を冥界に送り、それと引き換えに滅びた十二の次元をあるべき形で復活させる。世界は<超爆発>発動前の姿を取り戻す。みんな、きっと帰って来るわ」
 十二枚のカードと、融合カードの位置を入れ替える。
「でも、十三枚目のカードは墓地へ送られる―― 今私達の街が取り込まれている十三番目の統合次元は、冥界へ送られる。新しい宇宙とひとつになっている<超融合神>ごと、消滅する」
 神が見ている夢の世界は、十二の宇宙から、今は全てがひとつになった十三番目の新たな宇宙へと移行している。龍可が遊星を見上げた。確かに遊星も、疾走するD・ホイールの上から、ネオ童実野シティを抱く大地から生え出した無数の竜の首を見た。
「神様から夢を切り離して、完全な無の中に殺すカード。それが<パーフェクト・ワールド・エンド>」
 その魔法が発動すれば、神の死と引き換えに十二の世界は救われる。龍可が、張り詰めていた糸が途切れるように力無く肩を落とした。
「……全然、思ってたカードと違う」
 呟く。
「ずっと、意地悪な神様を殺してママを取り戻せるカードだって思ってた。それさえあったら全部が元通りになって、家族四人で揃って、また幸せな未来へ歩き出すことができる希望だと思ってた。だからずっと探してたのに」
 『完全なる世界の終わり』の名を冠するフィールド魔法だった。だが、カードが宿した効果は真逆だ。生まれた世界を生贄にして、終わった世界を蘇生する力を持っている。龍可にも、龍亞にも、ヨハンにも、触れるだけで痛いカードだ。
「こんなの違う。私が欲しかったのはこんな結末じゃない」
 遊星は床に一纏めにされた十二枚のカードと、寂しく一枚きりで並べられている融合カードの間で、金色の光を放っているそのカードを拾い上げた。優しい春空を描いた絵柄を見つめた。
 十代は、愛する家族の手を家族の血で染めることを怖れていたのだろう。夫に妻殺しの罪を二度と背負わせたくはなかった。娘に、息子に、母殺しの罪を背負わせたくなかったのだ。だからこそ、正義の名の元に潔く断罪をくれるヒーローを望んでいた。
 過去の世界で、沢山の仲間と絆で繋がっていて、人の未来と可能性を信じ、世界を愛する遊星の姿勢を隣で見ていた時に、あの人は予兆のようなものを感じていたのかもしれない。幼い頃から自身を裁くべく導いてきた遊星の手に、神を倒すカードが渡ることを望んでいた。<スターダスト・ドラゴン>をキーカードとして発動する仕掛けからも、容易にそれを悟ることができた。
 遊星は敬愛する十代の期待になら、何でも応えたいと思っている。だけれど、あの人の願いを叶えることは、あの人を失うことと同じだ。十代を殺せば世界は救われる。街は蘇り、昨日と同じ人々の営みが帰ってくる。仲間と共に幾度も守り抜き、これからも守ってゆくべきネオ童実野シティの景色が戻ってくる。選ぶのは、世界か、個人か。
 やるべきことは知っていた。望まれていることも知っていた。
 十代を殺すカードを握り締めた手が動かない。赤い背中に、勇気を示せと笑われているようだ。
「……でもオレは、十代さんのように潔くはなれない」
 遊星は項垂れた。
「この世界には何も不要なものなんかない。捨てられない。遊戯さんなら、どうしただろう。わからないけれど、あの人ならきっとどちらも救ってくれたはずだ。十代さんなら……」
 十代なら守るべきものを選択する覚悟を決めただろうか。多くの犠牲を生み出しながら、志を貫いて家族を取り戻したあの人なら、選ばれなかった片方が必ず消えると分かっていても、背筋を伸ばして胸を張っていたのだろうか。
 それとも神に侵される前の破天荒な十代なら、当たり前のようにひとりもみんなも救ってくれただろうか。
「人を殺して世界を救って、犠牲を許容して、それで正義を語ってヒーローを騙るなんて、まるで悪魔みたいだ。十代さん、貴方の涙を拭うことすらできないオレに―― そんなものになれと、貴方は言うんですか」
 『街を守れ』、『皆を救ってくれ』、『頑張れ、俺達のヒーロー』。そう言って未来へ続く希望を遊星に託して、死んでいった人々の声が、耳にこびりついている。離れない。
「悩むことないよ遊星。オレに任せて」
 龍亞の、まだ柔らかさを残した少年の指が、金色に輝くカードに触れる。
「簡単だよ。こんなカード、こんな方法いらない」
 そして少年は、<パーフェクト・ワールド・エンド>―― 世界を救う為の唯一のカードを、何の迷いもなく破り捨てたのだった。
 遊星は口を開けたまま、言葉を失った。龍可も虫の触覚のような髪の束を逆立たせていた。少女が、まばたきすら忘れたように瞳を見開いたまま、兄に食って掛かる。
「る、龍亞? それはママが私達に残してくれた大切なカードなのよ。それを破るなんて、バカ、なんてことするのよ!」
「いいじゃん。いらないんだから。オレはひとりもみんなも救いたい。犠牲なんておかしいよ。十代は間違ってる。十代を犠牲にしようとする世界も間違ってる。何か方法があるはずなんだ、他に、なにか、みんなが笑顔になれる終わり方があるはずなんだ。こんな意地悪なカードに頼らなくてもいい方法が。犠牲なんかで救われる世界は弱いんだ。こんな結末は全然ヒーローに相応しくない。本物のヒーローなら、『パーフェクト・ハッピー・エンド』しか認めない!」
 普段はお調子者で、単純な戦略を立てて龍可にも勝てない龍亞が、妹が困っている姿を見ると急に凛々しい顔つきになって、悪い人間にも、巨大怪獣にも、神にも悪魔にも負けない決闘者になる。まるで本物のヒーローみたいに強くなる。今もまた、そんな顔をしている。
「十代に今度会ったら文句言ってやんなきゃ。遊星を、オレのヒーローを人殺しになんて絶対させるもんか!」
「龍亞」
 遊星は深い藍の瞳を揺らしながら、龍亞を見つめた。いつも後ろにくっついてきていた龍亞が、弟のように思っていたのに、いつの間にか背が伸びて逞しく成長していた。気が付けば一歩分前を歩いている。そんな感じがした。
 龍亞の言う通りだった。何か方法があるはずなのだ。ひとつも取りこぼさずに世界を救う方法があるはずだ――
 デュエル・アカデミア本島の上空に、黒い雲が渦を巻いて出現する。<超爆発>の影響が、この暫定的に創られた次元にもとうとう及んだ。島ごと空へ吸い上げられていく。悪疫のような雷雲の海の中で、稲光が波飛沫になって飛交っていた。雲を抜け、更に上昇を続けて、辺りはやがて原初の暗黒に包まれた。混沌の中には生命を育む優しい闇の宇宙が広がっている。
 宇宙を滅ぼす破滅の光―― かつて十代が戦い続けてきたという絶対悪、それと対をなす正しい闇の波動を受けて、龍亞に破かれてばらばらになったカードの紙片が、パズルのようにひとつに組み合い復元されていく。元の姿を取り戻すと、カードは再び金の光を放ち始めた。
 フィールド魔法<パーフェクト・ワールド・エンド>が、始動する。
「……誰も発動宣言をしていない。何故だ?」
 唖然としていた。魔法効果は停まらない。
 <赤き竜>の痣を通して、十二の次元に生きる人々の声が聴こえた。全ての生命と非生命の意志を感じた。世界の望みが伝わってきた。終わりの竜を滅ぼして、隣人を、友人を、仲間を、家族を、好敵手を、恩人を、愛する世界を、みんなを救いたいと、人々の祈りが<赤き竜>に集まっていた。人類の希望がカードの力を発動する。想いは報われる。強い絆が奇跡を起こす。
 宇宙に金色の光が満ちていく。まるで朝の訪れのように眩しい。暖かい。優しい輝きに、救いではなく絶望を憶えていた。
 ―― これでは、昔と同じだ。
 遊星は呟いた。
 十六年前の繰り返しだ。あの人はまた世界に殺される。

 * * * * *

 空から、踊るように、光の粒が落ちてくる。音はない。黒々とした夜空を、まるで満開の桜が花びらの嵐で覆い尽くしているかのような錯覚をする。
 視界一杯の白はどこか懐かしい故郷の風景に似ている。だがあの冷ややかな印象はどこにも見えない。途切れなく落ちる燐光を呑み込みながら、朝焼けの光を受けた雲の縁の輝きに似た金色が燻っていた。
 ぽっかりと口を開けていたせいだ。口の中に光の粒が舞い込んできた。慌てて口を噤んだヨハンの隣で、妻が笑う。
「……もう行かなきゃ」
 十代が、ヨハンの胸から身体を離した。それを追って腕を伸ばし、細い手首を掴まえる。この手を離した時、きっと魂が死んでしまうのだと思った。十代の眉が困ったように下がっている。
「オレは罪を償わなきゃいけない。だから、もう一緒に未来へ歩いてはいけないんだ」
 「お前の罪は俺の罪でもあるんだし」、ヨハンは底抜けに能天気だなと自覚をしながらそう言った。十代の隣にいると、ヨハンはいつも馬鹿になる。極めつけの馬鹿になった自分が結構好きだった。十代の肩を抱いて、正面からしっかりと見据える。
「じゃあ旅に出よう。お前が傷付けた人の数だけ人を救う旅に。困っている人や精霊がいたら手を差し伸べて、悪い奴がいたら闘おう。どれだけ時間が掛かるか分からない。だけどいつかお前が、お前の罪を赦せる日まで、共に歩いて行こうぜ。夫婦なんだから」
「……だけど、オレといたらヨハンは不幸になる」
「まだそんなことを言ってるのか?」
 ヨハンは、呆れた。
「冗談言うな。十代が隣を歩いているから、俺はどんな時だって笑えるんだ。お前と家族になれたこと、誇りに思う」
 抱き締めてやる。心のままに零れてきた言葉に、その人が救われたような表情をするのが、いとおしかった。裸の心で触り合っている感じがした。鋭い棘を生やし、鱗に覆われた竜の身体の柔らかい部分を探して触れると、敏感に震えて、今にも泣き出しそうな顔をする。冷たい身体だ。凍えないように温めてやらなければならない。
「誰かを抱けない不器用な怪獣の腕だっていうのなら、俺がお前のことを抱き締めてやる」
「ヨハン――
 十代が、安心した様子で溜息を吐いた。心に染みいる声で、「あったかい」と呟く。
「髪を触ってくれる手も、抱いてくれる胸も、優しい腕も……ずっと探してた。やっと見付けた。オレの大好きなヨハンだ」
 ヨハンの胸に、チョコレート色の寝癖顔を埋める。ぽつりと言った。
「もう少しだけこのまま……傍にいさせてくれ」
 指を絡めて、手のひらで触り合って、体温を分け合い、くっついて身体中でお互いの存在を確める。ただ触れ合うことが、昔は当たり前だった。ありふれていた。今の十代は、それがとても特別で難しいことなのだという顔をしていて、少し切なくなる。
 気が付くと、光が溢れたまっさらな空間に佇んでいる。友達の顔が近くにある。知らない人間の顔もあった。皆真っ直ぐな良い目をしていて、その未来を損なってしまうのは、あまりに寂しいことだと思う。彼らを振り向いて十代が言った。
「オレのカードを見付けてくれてありがとう。遊星」
 声は落ち付いていて、安堵を感じさせた。神はどんなに自身を憎んでも、自分の手で自身を滅ぼすことはできない存在だ。そういうふうにできている。自分フィールドに立っているモンスターを自分で攻撃することはできない。対戦相手が使うカードでしか、デュエルの可能性でしか神は殺せない。
 だから十代は、自分を断罪してくれる強いヒーローを、長い間探し求めていた。しかし、実直に十代を慕う青年にその役割を押し付けるのは、いささか酷だ。遊星が頭を振る。ひどい顔をしていた。闇の力を宿したカードが、青年の傍で金色に輝いていた。それは誰もが恐れて触れることをためらう、世界の救いの象徴だ。龍亞が十代と遊星を交互に見上げて、我慢ならないといった様子で叫んだ。
「十代はひど過ぎる! もう遊星を傷付けるのは止してよ。確かに正義の味方は、悪を滅ぼす為ならどんな強い敵とだって戦わなきゃなんない。だけど、大切な人が大切な人を傷付けるところなんてオレ見たくないよ。遊星に謝って。十代。傷付けて悪かったって! オレのヒーローを、悪い奴だからって友達を殺して平気な人間だって思ってるのなら取り消してよ!」
「龍亞」
「……もう犠牲なんか止めよう。十代!」
 十代は、困った顔で息子を諭した。
「自己犠牲とか、そういうのじゃない。ただ、けじめをつける。―― それだけなんだ」
 十代は幼い頃に両親に甘えさせてもらえなかった反動で、自分の子供達には際限無く甘い顔を見せる。龍亞と龍可が泣き出したり、怒り出した時にあやしてやることがとても苦手だった。本人も子供のような性質をしていることもひとつの原因だろう。今も龍亞をなだめようとして、逆に怒らせている。
「迷惑だよ!」
 龍亞が怒鳴った。仔犬のように人懐っこい純粋少年が、親に向かって声を荒らげた所を初めて見た。ヨハンは驚いたし、十代も瞳孔が三日月型に小さく窄まっている。
「十代は勝手だ。オレだって寂しかったんだ。龍可の前ではカッコつけてたけど、十代に抱き締めてもらいたかったし、もっと沢山話をしたかった。オレ達が世界を救った話を聞いて欲しかった。オレのデュエル見て、コンボが決まったらすごいって誉めて欲しかった。愛してるなら愛してるって言って欲しかった。学校の授業参観にだって、代理の人じゃなくてちゃんとほんとの両親に来て欲しかった。お仕事なんかよりオレのこと大事にして欲しいってほんとはずっと思ってた!
 ……ガマンしてたんだ。龍可が不安になるから。パパとママが困るから。でもオレ、寂しかったよ。長い間姿も見えなくて、家族の顔も忘れちゃうことが、すごく寂しかったんだ」
 十代は弱り果てて、泣かせてしまった龍亞を抱き締めてやろうとする素振りを見せた。だけれど、人の柔らかい皮膚をたやすく切り裂く爪と鱗のせいで、血に汚れた腕のせいで、大切な息子に触ることができない。そのことが何よりも哀しそうに項垂れた。
 家族の中で、調停はいつもヨハンの役割だった。だからヨハンが、妻の分まで龍亞を抱き締めてやる。龍亞が何度も頭を振って、しゃくりあげているのを、背中を撫でてあやしてやった。十代は安心した様子で、ただ家族に触れることができない竜の身体を省みて、寂しそうに見えた。
「……泣かしてごめんな。オレはいつもこうだ。余計なことばかり言って、ヨハンみたいに優しい言葉を掛けてやれない。だけどさ、こんなに大きくなってくれて嬉しいんだ。二人の成長した姿を一目でも見れたことが、本当に嬉しいんだ。できれば親子でタッグ・デュエルをやりかった。夢だったんだけどなぁ」
「……できるよ!」
 龍亞が怒鳴った。
「オレのディフォーマー・デッキ、見てよ。ヒーローだよ。エース・カードも見せてあげる。<パワー・ツール・ドラゴン>。かっこいいんだ。龍可の妖精デッキもすごいんだよ。十代が家にいない間に強くなったんだ。オレ達が住んでる街も、シティとサテライトがひとつになってすごく変わっちゃってる。一人で歩いてたら迷子になりそうなくらいにね。オレが龍可と一緒に十代を案内してあげるよ。そうだ、本校の制服も、ほら」
 龍亞がそう言いながら、慌しい動作で自分が着ている上着の裾を引っ張って広げた。本校で寮ごとの色分け制度が廃止された後に制定された、青を基調としたブレザー制服だ。細部は異なっているが、ネオ童実野校の制服に良く似ている。昔のデュエル・アカデミア本校の制服よりも少し大人っぽい印象がある。
「今は随分変わってるんだよ、十代がオシリス・レッドにいた頃と。明日からまた楽しいことを沢山しよう。オレとデュエルしようよ。悪いことをしたんなら、これから同じだけ良いことをすればいいじゃない。だから、ママ。……帰ろうよ」
 龍亞は、太腿の横で両拳を握って俯いている。鼻を啜って、頬が歪んだ。
 十代がしゃがみ込んで、蝙蝠の翼で龍亞と龍可を包み込む。血が通っていて、使い慣れた毛布に包まれているように温かい、ベルベットの手触りだ。
「心配するな。ずっと傍にいる。オレの魂は、オレから分かたれた血は、いつも龍亞と龍可を守ってる」
「やめて。十六年前、そう言ってママは前世の私を置いて死んじゃったじゃない」
 龍可が「嘘吐き」と短く叫んで十代を責めた。
「パパ、お願い。ママを、もう、殺さないで」
 少女の声がたどたどしく言った。震えている。怖い夢を見て眠れなくなった子供みたいに、少し先の未来に脅えながら、龍可の手がヨハンのシャツを握っていた。
 十代は、やはり困ったように微笑んでいる。減らず口は良く回るが、双子の子供達をなだめることが何よりも下手糞なのだ。
「最後の仕事が残ってるんだ。少しだけ、旅に出なきゃなんない。いつも寂しい思いをさせてすまない。そばにいてやれねぇダメな母さんでさ、本当にごめんな」
 十代の手のひらの上で、一枚の金色のカードが浮かび上がった。カード自体が意志を持っているかのように、宙でくるりと回転する。神を殺す<パーフェクト・ワールド・エンド>じゃない。<超融合>。十代の魂を象徴するカードだ。十二の次元をひとつに束ねる始まりのカードだ。
「<超爆発>が十二の宇宙を収束する。<パーフェクト・ワールド・エンド>の完遂をもって、ここは完全に冥界に入れ替わる。だから……みんな逃げろ。元の世界に帰るんだ」
 十代が言った。それから子供達には聞こえない程かすかな声で、目に見えない誰かへ向かって囁いた。
「逃がさねぇぜ、大嫌いな神様。お前はオレと一緒に永久に冥界をさまようんだよ」
 大いなる寄生虫へ呼び掛ける声は、どこか面白がっているふうだった。生も死も創造も滅びも、何もかもを楽しんでいるように見えた。その人はきっと悲しむことや、苛立ったり怒ったり、絶望したり、そういうことにはもう飽き飽きしてしまったのだ。昔のように不敵に笑った。思えばヨハンと共に何度も<世界の危機>と対峙してきた十代は、隣でいつもその顔をしていたのだ。皮肉るような余裕の表情が、格好良くて好きだった。
「沢山のものを壊して穢して滅ぼしてきたけど、怪獣になっちまったけど、オレはまだこの手で仕切り直せるかもしれない。子供達の未来の可能性を繋ぐことができるかもしれない。ワクワクするぜ。だってそれって、まるで精霊と人間の架け橋みたいじゃないか」
 竜は、夢を見る人の目をしている。竜の声は、希望を語る人の声だ。龍亞が涙を拭って、十代を見上げた。睨み付けた。
「オレもここに残るよ。家族だから、最後までパパとママの傍に一緒にいる」
「……わ、私も!」
 龍可も慌てて頷いた。うろたえていて、いつもの澄まし顔が跡形もなく失われている。
「もう置いていかれるのは嫌なの!」
 双子を包み込んで抱き締めていた翼を緩めて、十代は苦笑気味に遊星を見上げた。黒髪の青年は、本当に困った顔をしていて、彼もまた十代の気まぐれと破天荒と強引さの犠牲者なのだと知る。半分不憫に思って、半分誇らしく思った。
「遊星。二人を、頼む」
 十代が言った。遊星の返事は、短くて簡潔だった。
―― 嫌です」
 青年は不似合いに幼い素振りで頭を振った。十代が眉を下げる。
「遊星。お願いだからさ……」
 竜に変わり果てた怪物が、胸の前で両手を合わせて人間の青年に頼み込んでいる。二人の姿はちぐはぐで、どこかユーモラスな光景に見える。
「オレも、オレも一緒に残ります! オレはずっと、十代さん、貴方のことを想って――
 遊星が十代の肩を掴んで怒鳴った所で、その背後から鈍い音がした。長身に白いコート姿の金髪の男が、もう何も言うことはないという呆れ果てた顔で遊星の後頭を殴り倒したのだ。その友人らしい青年の肩に担がれて、ヒーローが退場する。去り際に一度睨み付けられて、十代の目が猫騙しを食らった猫のように丸くなっていた。
「たとえ一瞬でもキングの称号を背負ったことがあるのなら、……オレ達後輩の敬意をこれ以上穢すのは止せ」
 金髪の青年が少し怒った調子で言った。嫉妬をされていたのかもしれない。見下ろされて、十代が頷く。
「離してよクロウ! オレはここに残るんだってば!」
 龍亞が小柄なとさか頭の青年に肩を掴まれて、言い合いをしながら引き摺られていく。
「アキさん、私、一緒に行けないの。パパとママの傍にいてあげなきゃ」
 龍可が赤い髪の女性に腕を引かれて、縋るようにヨハンを見た。なんとなく、退場者が続出したデュエル・アカデミアの卒業式を思い出していた。
 やがて見知った友人や仲間達の顔が次元を離れ、最後までぐずっていた子供達の姿が消え、夫婦が二人きり残った。
「あいつら、賑やかでいい友達を持ったなぁ」
 ヨハンは感心していた。十代と視線を合わせて微笑み合う。
「な」
「ああ……少し、羨ましいぜ」
 十代が呟いた。十代のことが大好きな友人達が聞いていたら本気で怒り出しそうな言葉だなと、ヨハンは思った。
 金の光はどんどん力強さを増していく。闇に蝕まれた十代には、強烈過ぎる光のようだった。眼球を焼かれて涙が止まらない。それでも瞳を空洞のように開けっぱなしにして、ただヨハンを見上げてきていた。柔らかい頬を流れる涙を拭って、ヨハンは言った。
「いつか約束したよな。十代、病める時も健やかなる時も、共に笑い泣いて生きて死ぬ。そいつを果たす時が来たんだ。俺は最期の一瞬まで、隣を歩いてお前を守る」
「ヨハンは……いつもオレのことを守ってくれた」
 その人は鮮やかに微笑んでいた。まただ。十代は無心の信頼をヨハンに寄せてくれている。この目を向けられる度に、自分はこの人に信じてもらう価値のある人間なのだろうかと、長い間自問を繰り返してきた。今になってやっと、追い掛けてきた不確かで形のないものを手に掴んだ気がした。
 神と人は求め合い、抱き締め合って、幼い子供同士が秘密の約束を取り付けあうような懐かしいキスをした。すべての宇宙があるべき姿に還ろうとしている。
 静かな心地だ。その人の心へ届き、一緒に歩き出せる気がしていた。光の彼方へ。

 * * * * *

 光の中を歩いていく人影がうっすらと見える。現世から過ぎ去った人々の姿だ。まぼろしとなった死人達の姿だ。沢山の後姿の中に父の背広姿を見付けた時、十代がまず憶えたのは一瞬の脅えだった。ヨハンが隣で手を握ってくれていなければ、逃げ出してしまっていたかもしれない。
 父の背中は、いつものように大きくて広くて、無口で威圧感があって、まるで大きな熊みたいで怖かった。幼い頃からいつもがらんどうの家に置き去りにされてきた十代にとって、父の背中は母の両腕と同じで、手を伸ばしても届かないものの象徴だった。
 十代は視線をさまよわせて、項垂れ、足元の赤い靴を睨んでいた。黙って立ち尽くしている。隣からヨハンが、年少の弟か妹を気遣う兄のような仕草で首を傾けて、十代を見つめてきていた。なんだか無性に恥ずかしい気持ちになって、耳が熱くなった。
「人知を超えた存在は人の輪廻から外れてしまった。もう二度と転生することはない」
 父の背中が言った。慌てて顔を上げた。
「再生か、消滅か。この身が再び生まれ変わっても、もうお前の父親になることはない」
 十代は、生と成長と死と輪廻を繰り返す人の身体を棄てて精霊の魂と同化した瞬間から、世界に弾き出されて異端の存在となった。父の言う通りに、もう二度と人として転生をすることはない。十代は十代のままで成長を止め、いつか気の遠くなる時間が過ぎた後の未来で魂が消滅するその時まで、現世を、それとも冥界をさまよい続けなければならない。
「それでも……これからも、ずっと愛しているぞ」
 死んだ世界で父が言った。抑揚のない、武骨で、不器用な声で。
「十代」
 背中越しに、一度父が十代を振り向いた。視線が交わり、涙が零れた。幼子のように、溢れて流れて止まらなくなった。愛されたがっていた子供の心が、永い時間を隔てて呼び覚まされて、ようやく報われたと思った。だから、父の大きな背中が、十代にはもう怖くなかった。
「オレも。愛してる―― 父さん」
 十代は囁いた。父の姿は何処とも知れない彼方の世界へ白くかすんで、やがて見えなくなる。
 そして、もう二度とその人の面影に出会うことはなかった。


 旅の途中で、歩き疲れて眠り込んだ時に夢を見た。望んで走り続けてきたものだった。
 瞼の裏側で、あの滅びの日の続きの光景が再生されていた。空っぽの家。寂しいダイニング・ルーム。テーブルの上に並んだ不恰好な料理はもう冷めてしまっている。
 そこに、エレベータの扉が開いた。玄関はにわかに騒がしくなって、十代は、ダイニングの椅子を引いて立ち上がる。
「ただいま、ママ」
 龍可が澄まして言った。車椅子の車輪がすべらかに回転する。
「ママただいま! パパにお弁当ちゃんと届けたよ」
 龍亞が元気に叫んだ。
「ただいま、十代」
 ヨハンがどこか楽しそうに言った。十代は帰ってきた家族を出迎える。料理を温め直して、みんなで食卓を囲む。
「もぉ、お腹ぺっこぺこだよ! 今なら何だっておいしく食べれちゃう」
 龍亞が死にそうな顔で言った。
「スーパーのお惣菜の方がおいしい」
 龍可はシビアだ。隣から龍亞が箸を伸ばした。
「いらないなら龍可のエビフライはオレがもらうからね」
「いらないとは言ってないでしょ」
 そう言って、龍可が兄の腕を叩き落す。子供達の姿を、ヨハンがにこにこしながら眺めている。十代と視線が合うと、首を傾げて目を細めた。
 そんな、家族で過ごすありふれた食卓の風景こそが、十代にとってはゴールでありスタートでもあった。目指していた場所へやっと辿り付いたと思った。脇目も振らずに形振り構わず走り続けてきたのは、帰らない家族に腕を広げて、宇宙で一番幸福な人間の笑顔を浮かべて、
「……おかえり、みんな」
 ―― その言葉を言う為だったのだから。
 いい夢だった。醒めてしまったら、胸にぽっかりと穴が空いたような、寂しい気持ちになってしまう程に。人間らしい夢なんて見たのはいつぶりだろうか。
 ぬるい水の中に浮かぶようなまどろみの中で、今この場所から遠く離れたところに存在する星に、朝を取り戻した銀盤の街に、子供達の未来の幸運を願った。
 レジェンドからジェネレーション・ネクストへ。そうして物語は紡がれ、永い時間の中で幾度も語り続けられてきた。伝説は終わらない。絆は育まれ、血は連なり、ヒーローからヒーローへと受け継がれてゆく優しい正義が守る世界は、決して棄てたものじゃない。
 神は人に祈った。どうか、次の世代に幸福を。



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<ワールド・エンド(完)>

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−「P.W.E」…<
arcen>安住裕吏 10.07.09 - 10.07.10 −