メンバーたちの居住地を兼ねた中央区は、地上の街の真ん中にある。
 周りを実験プラントに囲まれた、背の高い建造物だ。
 急ごしらえなので、未完成と言っても良い。
 なにせおおよそ半分弱が、まだ壁から鉄骨が剥き出した『工事中』なのだ。
 街はまだ生活実験区画と呼ばれる小さなもので、普段はリュウとニーナ、そして大体はジェズイットが滞在している。
 地下にある旧中央省庁区にはメベトとリン。
 トリニティが、まだ呼吸を止めてはいない地下世界の管理を引き受けている。
 クピトはふたつを繋ぐ役目を担っている。
 彼らの仕事は今の所こんなものである。
 まだ真っ暗な中を手探りで進んでいる状態だ。

 
 



「おそくなってごめんなさい、リュウ……。もう会議おわっちゃった?」
「ううん、二ーナ。おかえり。大丈夫、いつもの通りだよ」
 息を切らせて会議室に飛び込んできたニーナに、リュウはにっこり笑い掛けた。
 彼女こそがこの世界を開く鍵となった少女である。
 二ーナ。彼女は澄んだ空気の中で、ようやく言葉を取り戻した。
 まだたどたどしいところもあるが、日常的な会話に関しては完璧にこなせるようになった。
 少々長くなった金髪を、頭の上で束ねている。
 髪留めは、空に辿り付いて間もない頃、リュウが髪を切った時に彼女が欲しがったものだ。
 デザインもなにもあったものではなかったので、新しくもっとちゃんと可愛いものをあげるよ、とリュウが言っても、彼女はそれが欲しいと言って聞かなかった。
 二ーナが駄々をこねるところなんて見たのは、出会ってから今まででそれっきりだ。
 結局、それは彼女の頭を飾ることになった。
「身体の具合は?」
「だいじょうぶ、わるくない」
 二ーナは微笑みながら、背中の真っ赤な羽根を震わせた。
 彼女のベンチレータはそのままだ。
 空の大気に浄化された肺はラボで切除することもできたのだが、二ーナはどういう訳かあれほど嫌がっていた翼をくっつけたままでいる。
 理由は一度聞いたが、教えてくれない。
 だからそれから聞いていない。
 ただヒトにありえない器官を無理矢理取り付けられたせいで、ニーナは月に一度、街のメディカルセンターに身体と羽根の接合に不具合がないか、検査を受けにいく。
 そしてそのついでに、
「はいリュウ。リュウのおくすりよ」
「……ありがとう、二ーナ。ごめんね」
「リュウもいっしょにげんきになろうね」
 二ーナはちょっと心配そうにリュウを見上げ、いっぱいにカプセルの詰まった薬袋を渡してくれた。
 リュウに関しても彼女と事情は、その症状も大体同じなのだ。






◇◆◇◆◇






 生きていた。
 でも身体はぼろぼろだった。
 注がれた竜の血と、人間の血がせめぎあっているような感じ。
 アジーンに託された世界の判定の任を全うするために、身体は限界を迎えているのに、うまく死ねなくなった。
 竜の強靭さ。そして、人間の脆い精神が、危ういバランスでそれを制御していた。
 ある意味空を目指していたあの頃と、変わるところはなかった。
 浸蝕されていく恐怖はなかったが、突如としてその狂暴な衝動が頭を擡げるのだった。
 それを抑えることに、リュウは必死だった。
 変わらなければ良いものはどんどん移り変わっていくのに、皮肉なことだ。
 リュウはご大層な飾りをいっぱいに貼り付けられても、ローディーの能なしのままだった。
 リュウ=1/8192のまま。
 だが、誰もそれをわかってくれない。 おそらく、生きている人間は、ひとりも。






 このごろ、一日の半分くらいは寝て過ごすようになった。
 唐突な睡魔に襲われるのだ。
 そして大体はかなりの長い時間、帰って来られない。
 そいつに抗うことはできなかった。
 昔は寝覚めは良い方だったんだけど、とリュウは思った。
 D値というのは、高くなると比例して睡眠欲が増すのだろうか。
 確か相棒のレンジャーもそうだった。
 D値が高く、朝はとても寝汚い。
「……二代目!」
 呼ばれて、リュウははっとした。
 クピトが目の前でまた、例のしょうがないな、という顔をしている。
「今度は居眠りですか……」
「い、いや、ゴメンちょっと……」
「口、よだれがついてますよ」
「え? あ」
 リュウは慌ててごしごしと口元を拭った。
 ちょっと赤面して、もう一度謝った。ごめん。
 クピトは溜息を吐いて、ちょっと心配そうに眉を顰めた。
「最近ずうっと眠そうにしてますね。そんなに寝てないんですか?」
「ううん、十分すぎるくらいに寝てるはずなんだけど」
「……どこか悪いんですか? 二ーナに薬を貰ってきてもらってるって聞きました」
「ああ……あれのせいかな。風邪薬でも、副作用で眠くなるって言うし」
「……もしかして、それは例の安定剤っていうものですか?」
 クピトが、静かにそう言った。
 リュウは目を丸くした。
「なんでわかったの?」
「先代も一時期、お世話になってましたから。身体は確かに楽になると」
「……一時期ってことは、その後は、飲まなかった?」
「ええ、なんだか……」
 自信なさそうに、クピトは言った。
「飲むと決まって悪い夢を見るそうなんです。だから、やめた」
「……そうなんだ」
 リュウは俯いて、おれはそんなことはないと思うけどなあ、と呟いた。
「あんまり夢を見ないよ。……いや、よく覚えてないんだと思う」
「そうですか。まあ副作用なんて、それぞれですし……」
 それで話はおしまい、というふうに首を振り、
「じゃあ二代目、次の書類にサインを。今度は居眠りはなしです」
「はい」
「あまりひどいと、二ーナに言いつけますからね」
「……はい」
 リュウは困ったように笑って、頷いた。





◇◆◇◆◇






 これは、一年と半分ほど前の話だ。





 リュウはそわそわと、長椅子に座りなおした。
 緊張と心配と不安と、そんないろんなもので顔が強張っているのが、リュウ自身にもわかった。
 もしかしたら青ざめてすらいるかもしれない。
「しっかりしなよ。あんた、それじゃまるで子供が産まれる時に立ち合ってる父親みたいだよ」
 病院の壁にもたれているリンが、呆れたようにぼそぼそ言った。
 リュウはばっと顔を上げた。
 とんでもないことを言われた。
「ち、父親って! おれはただちょっと心配なだけで、大丈夫さ」
「……私も死ぬ程心配なんだよ。けどねえ、リュウ」
 リンが、頭を振った。
「あんたみたいに自分より動転してるやつを見ると、ちょっとだけ冷静になれたよ。ありがとう」
「……そんな変な礼を言われたのって、はじめてだよ……」
 リュウは項垂れて、深い深い溜息を吐いた。
「二ーナはどうなるんだろう」
「そうだ、ねえ……。地上の空気があれば、ベンチレータがあっても生きられるって聞いたけど」
「……でも、身体に負担が掛かるんだろう? 普通の身体に、戻してもらえないのかな」
 リュウが顔を上げたところで、ちょうど診察室の扉が開いた。
 リュウもリンも慌てて立ち上がった。
 中から現れたのは、歳若い医師だ。
「オリジン様、リン様。ニーナ様のお身体のことで、少々お話が」
「は、はいっ!」
 びしっと背筋を正したリュウを、リンが小突いた。
 言外に冷静になりなよ、という仕草だったが、リュウにしてみればそれどころではない。
「二ーナは! 二ーナは、治るんですか?」
「そのことですが、オリジン様」
「ニーナはどうなるんです? あの肺は……?」
「リュウ、ちょっと黙ってな」
「……う」
 リンに子供にするように窘められて、リュウはすごすごと一歩下がった。
 医師はちょっと困ったふうに肩を竦めた。
「それが、二ーナ様はあのままがいいと……」
「は?」
「ですから、ベンチレータを切除しない、とおっしゃられております」
「ど、どうして?!」
「わたくしに聞かれましても……」
 医師は困ったように、診察室へ促す仕草をした。
 本人に聞いてくれ、ということらしい。
「二ーナ!」
 診療台の上に座って、足をぶらぶらとさせているニーナに駆け寄るようにして、リュウは少しかがんで彼女と目線を合わせた。
「どうしたの? 二ーナ……」
「…………」
 二ーナはちょっと困ったふうに頭を振っただけだった。
 リュウはますますわからなくなった。
「この羽根、イヤだって言ってたじゃないか。取ってもらえるんだよ。普通の身体に戻れるんだ」
 二ーナはなおも首を振るばかりで、リュウには答えない。
「あ……手術がこわい?」
 また、首を振る。
「ほかに怖いこと、された?」
 ニーナは首を振る。否定の仕草だ。
 リュウは途方に暮れてしまった。
 この人工肺は、地上に出てもなお、彼女の命を縮めるかもしれないのだ。
「……わたし……とら、ない」
 たどたどしく、話せるようになったばかりの言葉でそう言って、二ーナは診察台を降りて、リュウの横を摺り抜けた。
「あ、二、二ーナ?!」
「リュ……かえ、ろう。わたし、しゅ、つ、いらない」
「い、いらないって、でも……」
 リュウが眉を寄せて黙り込んでいると、ぽんと肩を後ろから叩かれた。
 リンだ。
「……リュウ、じゃあいいじゃないか。ニーナは羽根を取らない」
「でも……」
「無理に取ってしまうこともないだろう?」
「そうだけど」
「大丈夫さ。ここは地上なんだから、ベンチレータが直接ニーナの命を縮めることはない。そうだろう?」
 同意を求められた医師は、ええ、と頷いた。
「ただ定期的な検査が必要になりますよ。本来あるはずのないものを埋め込まれたのですから、長く放置したままだと、確かに少しばかり危険かもしれない」
「二ーナ……」
 リュウは困った顔をしてニーナを見た。
 二ーナは頷いた。そして、笑った。
「わたし、これ、ちょっと好き。嫌い、でも好き」
「……いいの?」
 二ーナはもう一度頷いた。
 これではリュウが何を言ったって無駄だろう。
 彼女は、結構意思が強い。
「じゃあ……二ーナがそう言うんなら、しょうがないね。でも、ちゃんと検査には来るんだよ」
「うん」
「先生……二ーナのこと、よろしくお願いします」
 リュウはそう言って、深く頭を下げた。
 医師はぎょっとしたようだった。
 慌てて手を振り、
「顔を上げて下さい、オリジン様! あなたが我々に頭を下げる必要などありません! 二ーナ様のお身体には、我々が全力を持ってあたらせていただきますから」
 リュウと医師の後ろで、リンがくすっと笑った。
 まったく、親馬鹿なんだから。そんな顔をしながら。
「あんたはほんとに、いくつになってもニーナ離れができないんだから。ニーナはもうあんたが思ってるよりも大分大人なんだよ、一人前のレディ」
「……わ、わかってはいるんだけど……」
「嘘。ぜーんぜんわかってない。ねえ、二ーナ?」
 そうして、少女たちは具合が悪そうな顔をしているリュウを見て、笑い合った。
「じゃあ親馬鹿のリュウを連れて帰ろうか、二ーナ?」
「かえる……」
 まだ顔は笑ったまま、二ーナはリュウに手を差し出した。
「リュ、いっしょに……」
 リュウは恥ずかしさをごまかすように、ちょっと微笑んだ。
 そしてニーナの手を取ろうと、腕を伸ばした。
 そこで、彼の視界は急に暗くなった。
 続いて、顔が地面にぶつかった鈍い衝撃がきた。
 しかしそれはまったく痛みを伴わないものだった。
 遠くの方でニーナの悲鳴が聞こえた。
 それが一瞬ひどく彼を不安にさせたが、リュウの意識はすぐに途切れてなくなった。






◇◆◇◆◇






 その時に夢を見たように思う。
 あまり覚えていないが、そこは真っ暗で、奇妙な既視感を覚える岩穴の中だった。
 おれはおぼつかない足取りで、蒼暗い闇の中を歩いていた。
 時折足元に地下水が溜まっていて、それは足首のあたりまで浸蝕してきた。
 その黒い水溜りには鏡みたいに、青い空が映っていた。
 だが、向こう側の光は、おれのいる場所にはまったく届かなかった。
 だからどこもかしこも真っ暗なままだ。
 何度も滑った。
 転ぶ度にかさかさした感触の、短く切ったはずの長い髪の毛が、頬にべったりと張り付いた。
 紺色のジャケットは泥で汚れていた。
 グローブに覆われた手は、見慣れたものよりいくらか小さいように思った。
 気のせいだろうか?
 おれは歩き続けていた。
 しかし足取りは重く、のろのろとしていたので、そう長い距離を歩いてきたというわけでもなさそうだった。
 ふいに遠くで赤い光が瞬いた。
 おれは顔を上げ、鈍く重い身体のことも忘れて、杖代わりにしていたぼろぼろの長剣を放り出して、駆け出した。
 光はどんどん近くなり、やがておれの身体を覆い、纏わりついた。
 光の粒が触れた部位は溶け出した。
 足首、頬、腹。腕も。
 どんどん光に変わっていく。
 しかしおれの自我っていうだろうものはそのままだった。
 四肢と頭、胴体も。
 おれは瞬く間に光でできた人型になって、そしてその中心にあった輝きの源を、形を失った手のひらで包み、抱いた。
 それはひどく大事なもののように思えた。
 とても愛しいもののように思えた。
 心地良い温かさだった。
 それはやがて細長く伸びて、赤い輝きはそのままに、一振りの剣へと変化した。
 おれは迷いなく柄を握り、逆手に持って、鋭く自分の喉を貫いた。
 痛みはなく、安らかな安堵と恍惚があった。
 そして光は霧散した。
 おれも剣も一緒くたに弾け、暗闇を覆って、やがて世界は真っ白に染まった。






◇◆◇◆◇







 そして、次に目が覚めた時にはベッドの上だった。
 傍らにニーナがいて、ぎゅっと手を握っていた。
 どうやらずっとそうしていたらしい。
 リュウは彼女に何か言おうと口を開けたが、二ーナが眠っていることに気がついて、そのまま黙り込んだ。
 手の甲と腕には栄養剤の点滴が打たれていた。
 どうやら倒れたようだ、とリュウはその時になってやっと気が付いた。
 睡眠不足、過労、栄養失調。どれもあまり覚えがない。
(ていうか……熱でもあったかな)
 頭がぼんやりしていて、良くわからない。
 新種のウィルスにでもかかっていたのだとすれば、二ーナは近付けないほうがいいだろうが、医師が止めなかったのだから、そうでもないらしい。
 やっぱりただの過労かもしれない。
 今までのつけがきたのかもしれない。
 レンジャーからお尋ね者へ。空へ届いて、放浪の旅。
 そろそろ家でも建てようかという話になっていたところで、追い掛けてきたクピトに捕まってオリジンに。
 そして今は地上の街を管理している。ここ半年で、こんなことになっている。
 急激過ぎる変化に、身体がついていっていないのかもしれない。
(二ーナ……)
 ニーナ離れができていないとリンに笑われた。
 リュウは、確かにその通りだと思う。
 世界の扉を開けたのも、ニーナを空に連れて行きたかったからだ。
 他のことも自分の身体もどうでも良かった。
 そんなリュウから、二ーナが離れていってしまったらどうなるだろう、とリュウは考えて、苦笑した。
 きっとほんとに空っぽになってしまう。
 これではリュウは、ニーナ依存症だ。
 そして、これはきっと彼女のためにはならないだろう。
(……おれも、しっかりしなきゃなあ)
 そんなことを考えながらぼんやりしていると、扉がノックされた。
 はい、と返事を返すと、かちゃっとノブが回され、開いたドアから顔を出したリンが、起きてたの、と驚いたような顔をした。
「……ごめん、おれ、迷惑掛けた?」
「何言ってるんだい。リュウ、あんた……」
 リンは言いにくそうに口篭もった。
 それから、はあっと溜息を吐いた。
「あんた、自分のことはなんにも言わないんだね。人の心配ばっかり。ニーナの心配ばかりだ」
「……そんなことないよ。ただの過労だと思う。最近いろいろあったし」
 そう言ってリュウは、おれだけ弱いみたいだ、と苦笑した。
 だけど、リンは笑わなかった。
「自分に頓着しなさ過ぎる。前だってずうっとそうだったろう? 空へ届く手前までさ」
「……リン、なんだかお説教してるみたいだ」
「してるんだよ」
 リンは静かにそう言って、喉元まで出かかった言葉を飲み込もうとするように苦しげに顔を歪め、そしてそれは無駄に終わったようだった。
 彼女は、診察カルテをリュウに突付けた。
「『適格者の例に漏れず』ってことらしい。あんたの身体はぼろぼろだ。出た数値、読んでみな。普通に動き回れるはずないくらいのネガティブばかり」
「ああ……そうなんだ」
「そうなんだって、リュウ!!」
 リンは声を荒げて、そして眠っているニーナに気が付いて、慌てて口をつぐんだ。
 リュウは彼女を静かに見上げた。
 そして、大丈夫だよ、と言った。
「でもおれは、殺されたって死ねない。アジーンのかわりに、ずうっと世界を見ていなくちゃいけない。次の判定者が現れるまで、きっとそうだ」
 ゾンビみたいだな、とリュウは自嘲気味に呟いた。
「だから、心配ないよ。おれは今のところ何があっても大丈夫。二ーナもリンも、おれが守るよ」
「わ、私も?」
 リンが、びっくりしたようにきょとんとした。
 リュウは真面目な顔をして、頷いた。
――――おれは多分、好きなんだと思う」
 そして微笑んで、眠ったままのニーナの髪を撫でながら、リンを見上げた。
「人間がこの空の下で、なにもかもが知らないことだらけであがきながらも、毎日を一生懸命に生きていく姿が」
 おれは人間が好きなんだ、とリュウは呟いた。
 そして、これじゃまるで自分が人間じゃないみたいな言い方だな、と思った。



 







 
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