薄く目を開けると真っ白な天井とニーナの顔があった。
彼女はなんだか泣きそうな――――いや、もう泣いていた。
目は真っ赤だ。隈もある。寝てもいないようだった。
「……リュウ……?」
彼女は、恐る恐るリュウの名を呼んだ。
まるで、あまり大きな声を出したらリュウがびっくりしてまた眠ってしまうんじゃないか、とでも心配しているような、小さなかすれ声だった。
ニーナに、ひどい心配を掛けてしまったようだ。
リュウはまだぼんやりしていたが、それだけは真っ先にわかった。
罪悪感がリュウの胸を突き刺した。
(……おれなんかが目覚めなければ、彼女にこんな顔をさせることもなかったろうに、二ーナ)
リュウは手を伸ばして、二ーナの頬に手のひらを当てた。
彼女に触れるリュウの手は思っていたより大きかった。
なんだか変な感じがした。
リュウの身体は、こんなに大きかったろうか?
背も、腕の長さも、手のひらも、全身がいきなり膨張したようで、リュウは戸惑った。
あとで持て余しやしないだろうか。
「……リュウ、おきたの……?」
二ーナはまた泣き出しそうに眉を下げて、リュウの手を握った。
リュウの心配をしてくれる優しいニーナ。
でもリュウは、今からまた彼女を悲しませなきゃならないのだった。
リュウはひどく喉が詰まったようで、最初の一言を発声するのに、ひどく骨を折った。
だけどニーナに、言わなければならない。
リュウは口を開いた。
「……エリーナが、死んだ」
ニーナは目を見開いて、それからもう一度リュウを見た。
ぎゅっと目を瞑った。
微かに頭を振った。
そうして彼女は黙ったまま、走って部屋を出て行ってしまった。
「嘘でしょう」も「どうして」もなかった。
「なんでリュウが助けてくれなかったの」もなかった。
ニーナは今頃、ひとりきりで多分、泣き出してしまってるんだろうと思う。
昔はあんなに泣いてばかりだったのに、彼女は最近、リュウに泣いた顔を見せないようになった。
「苦しい」も「辛い」も彼女は言わない。
まるでそんな言葉なんか知らないように言わない。
彼女はただ、リュウの心配ばかりしている。
検査で反応がネガティブばかり出る身体や眠ってばかりいること、その他リュウを悲しませるいろんな出来事などに関して。
(……おれは……何故空を開けた?)
リュウは自問した。
後悔はないはずだった。
だが今は、本当にあれが自分の意思だったのか、そのことを疑問に思ってばかりだ。
ニーナを助けようとああまでして空を開けたことに、しかし何の意味があったのだろう?
空を開けた。
だがニーナはまだ泣いている。
世界はまだ彼女を悲しませてばかりだ。救いはどこにもない。
いや、彼女を悲しませているのは、世界ではなく――――
(……おれが、悪いんだ)
リュウはニーナを泣かせてばかりいる。
かたちだけのオリジン。なにをすればいいのか、全然わからない。
子供ひとり救えない。
出遭ったばかりのあのころ、リュウに縋って泣いていたニーナも、全然救うことができていない。
いつかリンに、二ーナ離れができていないとからかわれたことがあった。
リュウはニーナ依存症らしい。
確かに、彼女に必要とされたかった。
弱い、儚い彼女を守ってやりたかった。
その為に命を掛けることになっても、かまわなかった。
だが彼女はいつのまにか、もうリュウが守ってやる必要はどこにもないくらい、自立した大人になっていた。
そして、彼女を救う為に掛けたリュウの命は、ぼろぼろに摺り切れていた。
そのことにニーナがひどい罪悪感を感じていることを、リュウは知っている。
二ーナはリュウが救った命が、いつか人間として掻き消える遠い未来まで、オリジンへの忠誠というかたちにすりかえて、彼のために捧げようとまでしてくれているのだ。
リュウはそんなものが欲しかったんじゃない。
ただ二ーナに空をあげたかった。
背中の、彼女の命を奪う枷としての羽根から彼女を解放し、空の下で自由に生きてほしかった。
(……死んでいいよ、だったっけ、ボッシュ……?)
薄く笑って、リュウは懐かしい友人の言葉を反芻した。
リュウは本当に死んでいいかもしれない。
正統なプログラムの条件として、リンク者として死亡。
そのままで終わっていれば、
(……ごめんね、二ーナ。……ほんとに……ごめん……)
こうやってまだ彼女を泣かせることもなかったろうに、二ーナ。
リュウは目を閉じた。
(おれは……)
二ーナを解放するために目指した空で、今度はリュウが彼女を縛ってしまっている。
それはリュウにも、二ーナにも絶ち切ることができない。絶対に。
(おれは、もうきみを助けてあげることはできないのかな、二ーナ……)
ニーナはリュウの前で泣くこともできない。
彼女はいつもひとりぼっちで泣いている。
リュウに心配を掛けないように、そんなことのためだけに、誰かに縋って泣けなくなった。
リュウは彼女の邪魔っけな足枷――――あの羽根のように彼女を蝕むことしか、もうできないのだろうか?
笑いながらニーナが言うあの言葉が、何故かひどく残酷に胸を貫きながら、リュウの頭の中をぐるぐる回るのだった。
『大丈夫、泣き虫リュウ。ニーナお姉ちゃんが守ってあげるわ』
(きみに……おれは、もう……必要ない……?)
リュウは虚ろに天井を見上げた。
ひどく寂しい気持ちだった。
リュウは、もう小さなニーナにすら置いていかれてしまったらしい。
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