ボッシュはとても不機嫌だ。
良くわからないが、それはおれのせいらしい。
(……おれ、なんにもしてないよ……)
ただ覚えがないのにとか理不尽だとかは、ボッシュを相手にする時点でもう慣れていたので、おれは彼がいつものように他に面白いものを見付けて、急に機嫌を直してくれるのを待っていた。
それはなんでも良かった。
買い物できずぐすりをひとつおまけしてもらったとか、賞がもらえたとか、なにか面白い悪戯を思い付いたとか。
最後のはおれが巻き込まれる羽目になったり、下手をするとおれ自身が標的にされてしまうので、あまり嬉しくないけど。
(……ボッシュって、なんでもできるくせに子供なんだよ、おれより)
おれは溜息を吐いた。
面倒を見てやってるんだ、とボッシュは良く言ったが、面倒を掛けてるんだ、っていうのは彼自身にも当て嵌まるんじゃないだろうか。怖くて言えないけど。
「リュウ」
「あ、な、なに?」
まさか考えてたことを読まれてたってわけでもないだろうが(もしそうならボッシュはすごい)おれは慌てて返事をした。
ボッシュはこっちに来い、というふうに、二段ベッドの下段に座って(おれのほうのだ。彼は二段目に上がるのがめんどくさいと言って、良くおれのベッドでくつろいでいる)手招きをしている。
「うん……」
今度は何をされるのかなあ、いきなり殴られるのは嫌だなあ、などと思いながら、おれはボッシュのそばに寄った。
「座れよ」
「うん……」
言われるまま、おれはボッシュの隣に腰掛けた。
ていうか、おれのベッドなんだけど。
「あのさあ相棒」
ボッシュはもうどうしようもないんだ、というふうに首を振った。
彼は良くこういう仕草をするが、それはいつも最悪に機嫌が悪い時と決まっていた。
おれはちょっと冷汗が出てきた。
ひどい仕打ちをされなきゃいいけど。……レイピアで腹に馬鹿、とか書かれるとか。血文字で。
「オマエ、ちょっと他人に対する警戒心とか持てよ。誰かれ構わずいい顔してると、つけあがる奴だっているんだからさ」
「……うん」
「……俺の言ってる意味、わかる?」
「……ううん」
適当に頷いてるとまた怒られるので、おれは正直に首を振った。わからない。
ボッシュはまた肩を落とした。
そして、オマエが悪いんじゃないけどさ、と言った。
それでおれはちょっとほっとした。
どうやらボッシュはおれに怒ってるわけじゃないみたいだ。
「オマエが悪いんじゃないけど、オマエのせいなんだよ」
「なにそれ……」
ボッシュの言ってることは良くわからない。
おれの頭が悪いんだと思う。
「リュウ」
ボッシュはちょっと鋭い声でおれを呼んで、肩をぐっと掴んだ。
おれは反射的に目を瞑った。
そしたら、ボッシュはおれにキスをしたのだ。
いきなりだ。
おれはびっくりして、固まってしまった。頭も、身体も。
ボッシュは呆れたようだ。
「……まだ慣れないの?」
「な、慣れるはずないだろー! もう、いつも急にこんなことして、おれは男なんだ! 女の子じゃないんだから」
「そのわりに顔赤いけど」
「……しょ、しょうがないだろ。ボッシュなんだから」
おれがぐっと詰まると、ボッシュは「オマエは支離滅裂だね」と言った。
「なんで俺だと赤くなるくせに、そんな不満そうな顔するんだよ」
「だ、だってボッシュがおれにそんなことするはずない! ボッシュはさ、いつだっておれのことなんかどうでも良さそうにして、おれなんかほっといて先へ先へ行っちゃって……」
おれは言い訳を並べているうちに、なんだか変な気分がしてきた。
ボッシュはそんなことしない、と他ならないボッシュ本人にそんなことを言うのは、すごく変じゃないだろうか?
「……おれ、なに言ってるんだろ」
「ホントだよ」
ボッシュは『くくっ』て感じで笑った。
「ホント、しょーがない奴。相棒俺、オマエのことが好きなんだ。だからああいうコトがあると、嫉妬なんかもしてみちゃうワケ。わかる? わかんないよな、オマエ馬鹿だもんな」
「……悪かったね、馬鹿だよどうせ」
確かに自覚はしてるし、ボッシュにそう言われるのも当然だと思う。
ボッシュは頭が良くて、強くて、エリートで、ローディーのおれなんかが太刀打ちできる人間じゃない。
性格とか、いろんなものも含めて。……意地悪で根性悪。
それにしても、『ああいうコト』とはなんだったろう?
おれはまたボッシュを怒らせるようなことをしただろうか?
覚えがないんだけど。
「おまえはいいよ。余計なコトを考えなくて。俺の後ろに隠れてりゃいいの」
「……なんか、変だね……」
おれは苦笑した。
「ボッシュが優しいよ」
「俺様はいつだって、ローディーのオマエには寛大なの」
「あはは、嘘だそれ」
「なんだよ、失礼な奴だな」
ボッシュもなんだかんだ言って、くすくす笑っている。
そうして彼は、おれの肩を掴んだまま、ベッドに倒れ込んだ。
潰されて息ができない。
「お、重いよボッシュー!」
「リュウ、黙ってなよ。ムードないなぁ」
「ムードって……あ」
はっと気がついて、おれは顔を赤くした。
ボッシュを見ると彼は、そういうこと、と涼しい顔をして言って、いいだろ?と訊いてきた。
おれは頷いた。
「……また触りっこするの?」
「うんそう」
「ふうん……変なの」
「おまえ、これキライ?」
「ううん。好きだ。……ボッシュ、でもやっぱりおかしいよ。なんだか優しいし、おれなんかに触りたいっていうし……」
ボッシュは変だ。
服を脱いで、おれの身体をただ触っているのが好きなんだって言ってた。
ボッシュはおれに触っていると、なんだか安心するのだ、と言っていた。
確かに、そうしているのはおれも好きだった。
ボッシュの言うとおり、安心するってことなのかもしれない。これが。
(……でも、これって相棒同士がするにしたら、ちょっとおかしくないかなあ?)
ボッシュは恋人にするみたいにおれに触る。
いや、そういうのをほんとに見たことがあるわけじゃないが、なんだか優しくて、べたっとしてくるのだ。
「あんまり余計なこと考えてんなよ。俺だけ見てればいい。リュウ、俺のことがすごく好きなんだろう?」
おれは頷いた。それに関しては嘘じゃない。
「ほら、やっぱり。おまえの頭の中に入って見たら、記憶の中にそういう感情ばっかりくっついてたんだ。どう? 触られて嬉しい? 相棒」
「うん……嬉しい。なんだか信じられないよ、ボッシュがおれなんかに触ってくれてるなんて」
「そ。良かった」
ボッシュは嬉しそうに笑った。
おれも笑い返した。
ボッシュはたまにおれによくわからないことを言う。
でもおれはわからないまま頷いて、笑い返して、ボッシュはそれで何も言わない。
ホントにちゃんと聞いてんのかよ、ローディー? そんなことも言わない。
だからこれで大丈夫みたいだ。
「相棒、喜んでくれて嬉しいよ」
おれはまだにこにこしていると思う。
ボッシュはおれに優しい。
誰かにひどくしてもらいたい時なんかは、彼はほんとにおれを泣くまで苛めてくれる。
でも、なんでそんなことを思ったんだったろうか?
おれは何か悪いことしたんだっけ。
そんな大それたことはしてないはずなんだけど。
ローディーのサードレンジャーだから、することだってたかが知れてる。
任務失敗? ボッシュと組むようになってからしてない。
隊長にもこの間誉められた。剣の持ち方がさまになってきたって。
――――おれは何を、そんなに悪いなんて思ってたんだろう?
「好きだよ、相棒。……なあ、幸せ?」
「うん」
おれは頷いた。
「すごく幸せだ」
ボッシュはまた、良かった、と呟いた。
「オマエ、もうずうっとここにいてもいいんだよ。この『ボッシュ』が守って、めいっぱい優しくして、甘やかしてやるからさ」
「ほんとう?」
ボッシュは頷いた。
「ああ、ほんとうさ」
彼は真っ赤に燃える炎みたいな目で、おれをじっとまっすぐに見つめて言った。
「―――― リュウ。オマエを、助ける」
おれはそんなことを言われたのは初めてで、どうすれば良いのか分からなかったから、ただぎこちなく微笑んだ。そして頷いた。
このボッシュは、おれを守ってくれる。
すべての悪意ある汚い世界から。
彼に触られたところから染み込んでくるこの安心は、そういうことだろう?
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