うねうねと蠢く気持ちの悪いかたちのディクを剣で斬り、止めを刺したところで、もう一匹が後ろからおれに襲いかかってきた。
 邪公だ。
 だが、その爪の切っ先はおれに届くことはなかった。
 ボッシュが無造作に突き出したレイピアに貫かれ、絶命する。
 そして赤い光になって弾け、消えていく。
「ありがとう、ボッシュ」
「当然だ。オマエは俺が守ってやるって言ったろ?」
 ボッシュはにっと笑った。
 おれは一応男なので、守ってやるとかそういうことを言われても――――いや、正直なところはとても嬉しいのだった。
 ボッシュにそういうふうに言われるなんてことが。
「そ、それにしても、ディク増えたね? 前は……前は、こんなふうじゃ、なかったような……」
 照れ隠しに話題を変えてみたが、それでおれはちょっと変なことに気がついた。
 邪公には、あんな硬い鱗があったろうか? 
 こんなに大きくて、真っ黒な身体をしていたろうか?
 まるで爬虫類みたいな感じで、金色の眼をぎょろぎょろさせている。
 ナゲットもそうだ。
 あんなにぼうっと霞んだ、黒い霧みたいな姿をしていたろうか?
 そもそも、ディクっていうのは急にぼこっと地中から沸き出てくるものだったろうか?
「相棒、どうしたんだよぼーっとして。先行くぜ?」
 ボッシュはとんとんとレイピアで肩を叩き、おれに「はやく来いよ」と言って、歩いて行ってしまった。
「あ、待ってよボッシュ!」
 おれは慌ててボッシュを追い掛けた。
 一度振り返って背後の闇を見ると、また地面がぼこぼこと波打っていた。
 おれが立ち止まると、またボッシュの声がした。
「いちいち構ってるときりがないぞ、相棒」
「え?」
「そいつらは、ひずみだ。オマエが怖いって思ってるモンなの。子供の頃、そいつらがらみで怖い思いをしたんだろ」
「……おれが怖がったら、ディクが生まれるの?」
「そういうもんだろう?」
 ボッシュは当然のように言った。
 彼の言うことに間違いはないので、おれは頷いた。
 じゃあ、そういうものなのだろう。
 そして、慌てて先に行ってしまったボッシュを追い掛けた。
「……ボッシュ?」
 でも、ボッシュの姿は見えなかった。
 おれは恐る恐る辺りを見回しながら、もう一度彼を呼んだ。
「ボッシュ、どこ?」
 自分でも情けないと思うが、足が震えてきた。
 ボッシュの姿が見えないだけで、こんなにも不安だ。
――――ボッシュ!」
 地面がぼこぼこと泡立った。
 真っ黒なあぶくが沸き上がり、またディクが、おれよりずっと巨大な怪物が現れるのが見えた。
 リフトで遊んじゃいけない、ディクに取って食われてしまうぞ。わかったな、リュウ。
 いつだったか、おれはそう言ってひどく脅されたことを思い出していた。
 確か施設にいた時だ。とても昔、おれが小さい子供だった頃だ。
 おれはボッシュの名前を呼びながら、ぎゅっと目を閉じて駆け出した。
 剣を振るうことさえできなかった。
 おれは恐怖に取り付かれていた。
 暗闇そのものが、まるで幼い子供のように、怖くて怖くて仕方がなかったのだ。





◇◆◇◆◇





――――なあ。オマエ、またなんかやってたろ。あのピンクのガキに妙なこと吹き込んでさ。死人はおとなしく死んでろよ、オリジン」
 ボッシュは不機嫌な顔をして、腕を組んだ。
「あーあー、リュウが泣いてる。怖い思いさせちゃってる。オマエのせいだからな」
「…………」
「あとで怒るんだろうなあ。守ってくれるって言ったくせにってさ。可哀想なリュウ。おいオリジン、なんか聞きたいコトあんだろ? 手短にさっさとしろよ、俺早く帰らなきゃ。オマエは昔からはっきりものを言わないのが駄目なんだ」
「……昔、か……」
 エリュオンは、ふっと口の端を上げた。
「おまえは……そんなに、過保護なドラゴン、だったか……」
 エリュオンは顔を上げ、まっすぐにボッシュの目を見た。
 真っ赤な目、ドラゴンの目だ。
「……おまえは、死者ではない。その姿は、リュウの記憶と罪悪感から生み出されたものなのだろう……だが、おまえは本当にアジーンなのか……?」
「ハア? なにわけわかんないこと言ってんの、オリジン」
 ボッシュは肩を竦めた。
「そんなこと、どーでもいいだろ。重要じゃない」
「……どんなことをしても……保たなければならない、か? 来るべき時までは、彼の、意思を……」
「さあ? まあ、アイツをどうにかできるのは、もう相棒しかいないのは確かなんだけど……俺はなんだろうな、これ」
 ボッシュは、そこで少々困ったように、視線を宙にやった。
「なんだか俺は、もうなんでもいいよ。リュウが幸せだって言ってるから」
「……我々の、優しい世界か……アジーン、おまえはおそらく……」
「ボ・ッ・シュ、だよ、オリジン。リュウがそう呼ぶんだ」
 ボッシュはにいっと笑った。
「いい名前だろう? この身体も、行動パターンもさ。リュウが憧れた姿だ。だからあいつ、俺のことが大好きなんだってさ。嬉しい話」
「…………」
 ボッシュの身体は、そうしてほどなく掻き消えた。
 後にはエリュオンと白い世界だけが残った。
 この世界は竜の精神で構成されている。
 中心の鮮明な記憶が再現された世界から離れるにつれ、不確かな霧に覆われて、かたちを失っていく。
 死者たちの楽園だ。
「……おまえは、アジーンではないな……」
 エリュオンはボッシュの消えたあたりをしばらく見遣っていたが、やがて、そういうことか、とひとつ頷いて背を向け、去った。





◇◆◇◆◇






 泣いてるおれを、ボッシュはやっと見付けてくれた。
 暗い線路は恐ろしいディクでいっぱいで、おれは連絡通路の扉を閉め切って、剣を抱いて座り込んでいた。
 涙が後から後から零れてきた。暗闇が怖かった。
 おれは子供のように泣いていた。
 おれを見付けたボッシュは、慌てて駆けつけてくれた。
「相棒、リュウ、大丈夫? 怖かった?」
 ボッシュはしゃがんでおれを抱き締めて、頭を撫でて、もう怖くない、と言ってくれた。
 おれはたまらず、わあっと泣き出してボッシュにしがみついた。
「ボッシュ、ボッシュ!」
「ハイハイ、もうなんにも怖いことなんてない。最強で無敵の俺様が来たから、オマエを守ってやるよ。だいじょうぶ、だから泣き止めよ。カワイイ顔が台無し」
 カワイイってなんだよとかボッシュは自信過剰すぎとか、おれはそんなことも突っ込んでやれなかった。
 ただボッシュが来てくれたので、とても安心してしまって、また泣けてしまった。
 口からは、うう、といううめきしか出ないのだった。
 おれはちょっと情けなくて仕方がなかったが、ボッシュがそばに来てくれると、得体の知れない恐怖は薄らいでいった。
「ほんとうに弱虫で泣虫。しょうがないね、オマエ」
 ボッシュはそう言って、またこんなところで急にキスなんかくれて、おれを甘やかしてくれる。
 そうしていると、おれはもうなんでもないのだった。
 ローディーでも、サードレンジャーでもなかった。
 おれは暗闇で泣いているただの小さな子供だった。
 ここは、そういうことが許される世界だった。
 おれは――――
「帰ろうぜ、リュウ。立てる?」
「……ん……」
 ボッシュはおれの手を引いてくれた。
 おれの涙は、まだ止まってはくれなかった。
「リュウ、まだ泣いてんの?」
「…………んん」
「いーよ、基地につくまでで。隊長に俺が泣かせたと思われるから、それまでには泣き止めよ」
「……ん」
 おれは世界がいとおしかった。
 優しいボッシュがいとおしかった。
 甘えてばかり、泣いてばかりで、そんなことすら許される優しい世界だった。
 ボッシュがおれを守ってくれた。
 怖いものなどもう何もなかった。
「選ぶの?」
 泣きながら歩いていると、ボッシュはふいにそう訊いてきた。
「いいよ、選べば?」
 おれは頷いて、ボッシュの手をぎゅっと握った。
 おれはもう、この優しいボッシュのほかになんにもいらないのだ、と思った。
 後悔はない。












 
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