かさかさに乾いた拘置室の暗い部屋の中で、判定者が二人顔を突き合わせ、ぼそぼそと小さな声で話し合っていた。
リンとジェズイットである。
リンは腰に手を当て、固い表情をしていた。
「……地上で一体なにがあったってんだい? リュウはあんな顔をしていたかい? 私が知っていたあの子とは、随分違うね」
「まあ、いろいろあるさ。オリジンだ」
「私が言ってるのはそういうことじゃない。リュウ、潰れちまわないかってことだよ。人の上に立つなんて仕事、リュウには似合わない。それは私でもわかる」
「そうでもない、上手くやってるさ。ちょっと自分の理想と世界の現実とのギャップに混乱してるだけだ。じきに慣れる」
「……それは、慣れて良いものなのかい? あのねえ、言っておくが、私やリュウは本当は世界なんて大嫌いなんだよ。こんな歪んだ世界。地上まで歪まされちゃかなわないから、てっぺんでちょっとはマシになるようにあがいてるんだ、あの子。めんどくさい役割を押し付けるようなことはやめな」
「……まったく、どいつもこいつもあいつを甘やかし過ぎなんだよ。過保護だ。あのガキ、おっと二代目はもうちょっと大人になる必要があるな。……ガキすぎんだよ、あの馬鹿。
いっそのことさあ」
ジェズイットは、檻の中でやれやれと肩を竦めた。
「どこまでも行っちまったら良かったんだ。はじめのうちにクピトの鬼ごっこで逃げきってれば、オリジンなんかに据えられることはなかったんだよ。それがあいつはどんくさいから……おっと、リンとニーナも一緒か。まあ、あいつは負けたんだ。捕まった。次はあいつが鬼。多分あいつより適任なんている訳もないから、随分鬼のまんま」
「……リュウは、あの身体なんだよ」
「ボロボロだってか。そりゃ、昔からだろ。あいつはそれで空を開けた。……なあリン、あいつ、オリジンに向いてないと思うか」
「そりゃあね。リュウはほんとに普通のガキさ」
「……今の空に必要なのは、そういうやつなんだって思わないか」
「必要とするんなら、もうちょっと優しくしてやるんだね。リュウ、もう心がこっちにないみたいな顔してたよ。何があったら、いつも前だけまっすぐ見てたあの子がああいう顔をするようになるんだか、私には見当もつかない」
「それは俺もわからん」
「そのわりに訳知りなふうじゃないか?」
責めるリンの声に、ジェズイットは溜息を吐いて項垂れた。
「……心当たりはあったんだが、どうもハズレみたいだ。直接の原因じゃない。本人に聞いてくれ。確かに最近のあいつは、どこかおかしい。何ていうかさ……」
ジェズイットは、良くわからんが、と付け加えてから、言った。
「前からガキだガキだとからかってやってたんだが、本物のガキみたいなんだ。小さい子供さ。誰かがすぐそばでいつも守ってくれてるってのを無条件に信じてるような、そんな感じなんだ」
「……誰がそばにいるってんだい? ニーナ?」
「さあ。ドラゴンかな?」
ジェズイットは冗談めかして言ったが、その声は乾いていた。
ぼそぼそと、彼はリュウの顔を思い浮かべて、言った。
「あいつ、どこに行っちまったんだか……」
彼の心は、ここにはない。
――――じゃあ、どこにあるというのだ?
◇◆◇◆◇
セントラルに戻った時には、もう夕暮れだった。
リュウは会議室に顔を出し、久し振りに見る顔にまず挨拶をした。
「久し振りです、メベト」
「久し振りだな、リュウ君。どうだ、オリジンは」
「……そうですね、みんなのおかげで、なんとか」
リュウは曖昧に笑って、ふっと辺りを見回した。
「ニーナは?」
「ああ、空を見ていた。君が帰ってきたのだから、もうそろそろ戻ってくるだろう」
メベトの言うとおり、ほどなくぱたぱたと小さな足音が近付いてきて、
「おかえり、リュウ!」
ばん、と会議室の扉が開いた。
背中の赤い羽根を尻尾のようにぱたぱたと揺らしながら、二ーナはリュウにぎゅっと抱き付いてきた。
「リンは? げんきだった?」
「うん、変わりないよ。いっぱい、怒られてきた……」
「リュウ、悪いことしちゃったの?」
「うん、ちょっとだけ……」
「ちゃんと謝った? リンに、ごめんなさいって」
「うん、謝った。許してくれたよ。呆れてたけど。あ、ジェズイットは多分、帰って来るのは明日になるだろうね。牢屋に入れられてた」
「あたりまえよ。リュウにへんなことしたんだから」
「……彼が、なにか?」
話が見えないふうにメベトに聞かれて、リュウは慌てて笑って誤魔化した。
「あ、あはは、な、なんでもないんです!」
「……? そうか」
ひとまず、メベトはそれ以上聞いてはこなかった。
リュウにとってはありがたかった。
あんなに恥ずかしい仕打ちをされたなんてことを、人に言える訳がない。
「あ、リュウ。もう身体はだいじょうぶ?」
「うん。なんともないよ。へいき。ちゃんともう動けるし」
「ほんとうにびっくりしたんだから。リュウが死んじゃう病気になっちゃったりしたら、わたし……」
「おれは大丈夫だよ、二ーナ。ドラゴンだもの」
二ーナは眉を曲げて、悲しそうな顔をしていた。
リュウはニーナの頭を撫でてまた、だいじょうぶ、と言った。
「もう全部治ったよ」
「ほんとう? 怖い夢も見ない?」
「うん。もうおれ、怖い夢なんて見ないよ」
「……びっくりしたんだから。リュウ、起きるなりエリーナが死んじゃったなんて言って。いくら夢の中だって、エリーナが可哀想よ」
「うん……エリーナには内緒にしててくれないか、二ーナ。言ったらきっと怖がっちゃうし」
二ーナは、いいよ、と言って頷いた。
「ニーナ。さっきまで、またエリーナと一緒にいたの?」
「ええ。一緒に空を見てたの」
二ーナは笑って嬉しそうに言った。
「セントラルの空はとても綺麗ねって、楽しそうだったわ、ほんとうに」
◇◆◇◆◇
(くそ……なんだ、こりゃあ)
ジェズイットは忌々しく舌打ちしながら、気持ちの悪いぶよぶよしたディクを踏み潰した。
時折視界の端っこにちらちら引っ掛かるディクの影は、始終つくりかけの粘土細工のように形を変えていた。
夜が来ると、彼らが現れた。
リンに拘置室から解放された頃には、もう真夜中になっていた。
まあ一晩中拘束されていないだけでもましなほうだ。
ジオフロントを出て街への直通リフトへ――――そう思ったのだが、残念ながら営業は終了。
仕方なく歩いて帰る羽目になったのだった。
いくらなんでも判定者が駅のベンチで寝転がって、新聞を被って寝ている訳にもいかないだろう。
幸い街への距離は、そう遠くなかった。
だが、そのおかげでこういうふうに気持ち悪いディクと格闘する羽目になったのだ。
まったくついていないとしか言い様がない。
(きりがねえな)
倒しても倒しても、次から次へ、地面からぼこぼこと沸き上がってくるのだ。
それはまるで子供の頃に良く見た、怖い夢の中の怪物や幽霊たちのようだった。
まるで、誰かの悪夢の中から零れ出してきたようだった。
ぐるぐると不定形に姿を変えるお化け。
そいつらは街の光には寄り付かないようだった。
暗闇がお好みのようだ。
まったくお化けの特性そのままだ。
携帯ライトを向けると、うっすらと透けて、慌てて暗闇の中に隠れてしまうのだ。
「新種のディクかな」
一体一体はそれほど強くはない。
むしろ、子供を脅かす性質だけに特化したような存在だ。
これでもかというくらい、想像力の限界までおどろおどろしい外見をしているくせに、結構弱い。
(しかし、子供が見たら泣くよなぁ……)
そんなことを考えながら、真っ黒な鱗の生えた巨大なディクを屠った。
もしかすると、こいつがドラゴンに見間違えられたんじゃないか、と推測してみた。
飛ばないけど。
ふっと、なけなしの星明かりの中に影が落ちて、ジェズイットは振りかえった。
「げ」
すると背後では、こんもりとした山のような黒い影が、わさわさと蠢いてにじり寄ってきていた。
その数は大したものだ。
一匹一匹ならば大したことがないが、このままでは押し潰されてしまう!
「うわっ、冗談じゃねえし!」
ジェズイットは慌てて飛び退こうとした。
だがその時、黒いお化けの山の中で、明るい光が白く輝いた。
「――――これで……どうです!」
まだ声変わりもしていないあどけない少年の声が響き、辺りはぱあっと昼のように明るくなった。
黒い山はじたばたとコミカルに慌てた後、すうっと透明になって消えた。
ジェズイットはその声に聞き覚えがあった。
最近彼に仕事を押し付けて雲隠れしていた同僚のひとりだ。
「クピト!」
「やあ、ジェズイット……。無断欠席、すみません」
光り輝く杖を抱えた少年が、そこに立っていた。
「おまえ、どこから出てきたんだ?」
「まあそれに関しては、後程。……駄目ですね、こっちにまで零れてきてるんだ」
「おまえ、知ってるのか、このお化け」
「ええ」
クピトは、それより先に街へ、と行った。
「明かりがあれば大丈夫だとは思うんですが、心配です。早く街へ」
「……ああ」
そして二人は緊張した面持ちで、足を早め、彼らの街へ向かった。
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