簡易ゲートをくぐって、リュウは街へ帰ってきた。
朝もやのプラントに人気はない。
もう普段なら稼動していてもおかしくはない時間だが、きっと人々はまだセントラルにいるはずだ。
メベトが完全に安全が確認できるまで、待機させていることだろう。
ゆっくりと歩いていたリュウは立ち止まった。
セントラルまでの一本道に、二人の人影が差した。
「……ジェズイット。クピト?」
リュウは軽い驚きを含んで、彼らの名を呼んだ。
ふたりは固い表情をして、リュウを見ていた。
「……よお。少しばかり、手荒にさせてもらうぜ。クピト。やってくれ」
「すみません、二代目」
クピトは杖をリュウに向けた。
リュウはしばらくぼんやりとそれを見ていたが、やがてのろのろと口を開いた。
「……どういうこと?」
彼らは何も言わなかった。
「少し眠ってもらいます」
杖の先端が発光し、なにか魔法を掛けられたのは分かった。
急速にリュウの身体は泥よりも重くなり、意識が萎んで、失われていった。
倒れた身体を誰か男の腕が支え、抱え上げられ、浮揚する感触を最後に、感覚も消えた。
クピトにはリュウの体重を支えるなんてことは無理だろう。
なら、ジェズイットだろう。
(……また、へんなところ触られなきゃいいけど)
場違いなことを考えながら、それを最後にリュウの意識は暗く沈んだ。
そして次に目を覚ますと、身体が非常に重かった。
なにか光の網のようなものが全身を地面に繋いでいて――――そして気がついたのだが、固い床の上にいた。
魔法陣が身体の下で発光していた。
「…………?」
リュウは身体を起こそうとした。
網目のひとつひとつはリュウの身体を縛っていたが、それはねばねばとした、菌糸のような印象のものだった。
全身にくっついていたが、リュウの動きを妨げるものではない。
じゃら、と手首の間で鎖が擦れる音がして、リュウは目線をやった。
両手には、なにかの魔法らしき発光文字が刻まれている太い枷が嵌められており、どうやら実質身体を拘束しているのはこいつらしい。
「……よお。お目覚めか」
ジェズイットの声がして、リュウは顔を上げた。
彼は無造作に燭台置きに腰掛け、軽い仕草で手を上げた。
「おはよう、二代目」
「おはよう、ジェズイット……」
「なんだ、ねボケてるのかよ?」
「ここはどこ?」
「セントラルだ。おまえさんを担いで帰ってきてやった。安心しろ、尻しか触ってない」
「……やだなあ……」
リュウは正直に眉を顰めた。
そして、手枷を差出して、これなに、と訊いた。
「なんだか、すごく重たいよ……」
「ん? まあな。制御装置がドラゴンの力を封印してるんだ。重いだろうよ」
「……どういうこと?」
「クピトに訊いてくれ。俺は良く分からん」
肩を竦めたジェズイットにそう言われて、リュウはクピトの姿を探した。
たしかさっきは、彼にネムリィを掛けられたところまでは覚えているのだ。
何がどうなって、こういうことになったのだろうか?
「話はもういいんですか、ジェズイット」
すうっ、と部屋に、クピトが現れた。
彼はどこか居心地悪そうな顔をして、リュウの前に立った。
「オリジン、リュウ。ぼくらは安定と調和を司る判定者として、世界を壊すあなたを封印する」
「……おれが?」
「昨晩のディクは、あなたが産み出したもの。あなたの悪夢。あなたの望みの残滓だ。そうですね?」
「ちょっと、待ってよ。なんだかよくわかんないよ……」
リュウは混乱して、クピトに近寄ろうとした。
しかし、
「――――っつ!」
障壁に弾かれた。どうやら、魔法陣から外には出られないらしい。
「あなたは死者の魂を呑み込んで、生かしている。その為に新しい世界を作り上げた。ぼくの主やオルテンシア、統治者のみんなを。可哀想な死に方をしたみんなを。あなたが殺してしまった人たちを。……サードレンジャー時代にあなたの相棒だった、あの剣聖に連なるもの、ボッシュ=1/64を。そうですね?」
「……おれ、が……?」
「ちょっと待て! オルテンシアが生きてるのか?!」
ジェズイットが割って入った。
クピトにほとんど食って掛かるような剣幕だ。
「どういうことだそりゃあ!」
「生きてはいません。彼女は死者だ。でも、リュウの世界で生きている。その証拠に、彼女はあの頃とまったく変わりない姿でいました。ぼくはこんなに背が伸びたのに」
「会ったのか?! なんで俺も連れてかないんだよ!」
「無茶なことを言わないで下さい」
クピトが、自分よりもいくらも背の高いジェズイットを窘めるように言った。
「それより話を続けますよ。ぼくらの主の見立てでは、リュウ、あなたは容量よりも大きなものを抱え込み過ぎた。ひずみができたんです。あなたの世界のあなた自身が片付ける分には、少々手に余ったんでしょう。それがこちらに零れてきた。昨晩の一件は、そう言うわけです」
「……おれのせいなのか?」
「ええ、あなたのせいです」
「おいクピト。あんまりそいつをいじめてやるなよ」
「今までさんざん苛めておいて何を言ってるんです。ともかくリュウ、今の所方法はひとつしかない。ぼくらはあなたを封印する。このままでは、どの程度まで現実が浸蝕されるか、わからないんです。最悪の場合、世界はもう一度壊れる」
「……クピト。おれは、どうすればいい?」
リュウは静かに、訊いた。
みんなを守るはずのオリジンが、街を脅かしたのだ。
リュウは虚ろに、言った。
「おれが死ねばそれ、消えてくれるかな」
「おい、リュウ! 大体おまえはそういう自分に対して投げやりな物言いが……」
「あなたが死んだら、それこそ何が起こるかわかりません。あなたはこのセントラルに封印される。人々の偶像として、希望の象徴として、あなたの身体はこちらに残る」
「身体?」
「ええ」
クピトは頷いた。
そして、宣告した。
「あなたはずうっと夢を見続ける。死んだ人たちと一緒に、ずっとあの世界で」
◇◆◇◆◇
「……二ーナは、何て言ってた?」
「ものすごく怒って泣いてました」
「そうか……あとでちゃんと謝らなきゃなあ」
「あなたにじゃありませんよ。ぼくらにです」
「リンは?」
「なんにも言わずに、メインシャフトで門前払いを食らいました」
「そう……ごめん、クピト」
リュウは心底申し訳なさそうな顔をして、謝った。
「嫌な役を押し付けたね」
「……あなたの封印を決定したのはぼくなんですよ、リュウ」
「うん」
リュウは頷いて、困ったように微笑んだ。
「クピトは、なんだか……おれにずうっとあそこにいてもいいんだ、って言ってくれてるみたいだ」
「…………」
「おれがここから抜け出すなんて、それ以外の方法ではもう無理なんだから」
「……意外ですね。あなたがそんなに臆病なことを言う人だとは思わなかった」
クピトは、静かに首を振った。
そしてしばらく二人は黙り込んだ。
セントラル最上階の封印の間には、今はリュウとクピトの姿しかない。
二ーナは入室を禁じられてここには来られない。
彼女はまた一人で泣いているのかもしれないと思うと、リュウはひどい罪悪感を覚えるのだった。
だが、それもあともうすぐだ。
リュウがいなくなってしまえば、きっと彼女はようやく今度こそ本当に解き放たれる。空へ。
リュウはニーナの枷なのだ。
沈黙の後で、クピトがほとんど囁くようにして声を上げた。
「……大好きなひとがいるんです」
ともすれば聞き逃してしまいそうになるくらい、微かな言葉だ。
リュウはなんにも言わず、ただ訊いていた。
クピトは途切れ途切れに、ほとんど自分に言い聞かせるようにして、呟いていた。
「もうあの人以外なんにもいらない。世界も、空も、人々も、メンバーであることもほんとうはどうでも良かったんです」
それはリュウにも覚えがあった。
あの人さえ――――ボッシュさえいれば、もうなんだって良かった。
彼はリュウを無条件に愛し、守ってくれた。
憧れていた背中が、リュウに振り向いて笑い掛けてくれた時のことを忘れていない。
あの綺麗な赤い目。ボッシュの目。
「ぼくにはあの人さえいればいい。必要とされたい。ぼくだけを見て欲しい。でも、そんなことが許されるはずはない……あの人はぼくと違って、価値ある人だ。世界が必要とする人だ。何故あの人が死んで、世界に選ばれないぼくが生き残らなきゃならないのか、ぼくには分からない」
ボッシュはきっと、本当ならリュウなんかを見てくれるはずもない人間だった。
遥かな高みにいた。
彼はリュウを軽蔑していた。
だがあの『ボッシュ』は振り向いてくれた。あの赤い眼。
彼がここにあるべきなのだ。
彼は完璧だった。
不完全なオリジンを苗床に、殻を破って、リュウを食い尽くして、そして彼がふたたびこの世界に現れたら。
彼が空を見ることができたら。
リュウは切望していた。
そのためならリュウはどんなに無残な死骸を晒しても構わない。
「……そばにいたいんです」
クピトは俯いていた。
泣いているのかもしれない。
リュウは目を伏せた。
もう言葉はなかったが、共有する感情があった。
クピトはリュウに背を向けて、あなたはオリジンだと思ってたんですけど、と言った。
「あなたはぼくの主と同じ種類の人間だと思ってたんですけど。ニーナを泣かせて、想われるほうはいつもわかってないんだって。……今ならわかりますよ」
クピトは濡れているせいで震えている声で、言った。
「……あなたはぼくらと同じ側の人間だ」
そう、想われているほうはいつだってこっちの気持ちなんか知ったこっちゃない、という顔をしているのだ。
背中を追い掛けて追い掛けて追い掛けて、叫ぶ。待ってよボッシュ。
もっとゆっくり、早いよ、なんて言葉は聞いてやしない。
どんどん先へ行ってしまう。
置いてかないで、とリュウは叫ぶ。
だけど彼はどんどん先へ先へと行ってしまって、ついには見えなくなってしまう。
独りぼっちで暗がりの中、ディクの呼吸に怯えながら、蹲ってリュウは泣き出す。
帰って来て、おれを見付けて、ボッシュ。
おれをたすけて。
ひとりにしないで。そう呟く。泣きながら、小さな声で。
でもボッシュは戻ってこない。
「……もう行かなきゃ。行きますね、リュウ」
「うん」
リュウは膝に顔を押し付けたまま頷いた。
「またね、クピト」
「またあとで、リュウ」
クピトの姿が闇に消え、扉の閉まる音がした。
リュウはそのまま、しばらくそうしていた。
最近少し涙腺が緩過ぎるようだ。
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