走って、走った。
目に溜まった涙の粒が、ぼろぼろと零れて頬に当たった。
夢中で駆けた。
自分が泣いていることも、息が上がって苦しいことも、髪が解けてしまったことも、随分と遠いところにあるようだった。
二ーナはさっきのクピトの言葉を思い出した。
「彼をこのセントラルに封印します」
それはどういうことなの、とニーナは訊いた。
リュウは殺されるの。
もしそうなるなら、二ーナはリュウを守らなければならない。
世界の全てが敵になったってリュウ、わたしはひとりきりでもあなたを守って戦ってみせる。
そうニーナは思っていた。
二年前リュウはニーナのために、本当にそうしたのだ。戦って戦い抜いた。
彼女を空に連れてきた。
優しいリュウ。何故彼がそんな目に遭わなければならないのだ?
「殺しはしません。あのディクたちの対処法が見つかるまでただ眠ってもらうだけ」
「それ、いつ見つかるの」
ニーナは訊いた。
クピトは首を振った。
それは見つからない、と言っていることと同じ意味を持っていた。
二ーナはすぐにセントラル最上階、リュウが閉じ込められている部屋へ向かった。
「リュウ――――!!」
部屋は、固く閉ざされていた。
二ーナは重厚な扉を力いっぱい叩いた。
それは小さな彼女の力では、びくともしなかった。
「ニーナ!」
後ろから、追い掛けてきたクピトの声がした。
二ーナは振り返った。
「あけて! リュウに会わせて!」
「駄目です、二ーナ。きみはきっと彼を解放する」
「あたりまえよ!」
二ーナは憤然と言った。
当たり前だ。
二ーナはまずなによりもリュウが大事なのだ。
空よりも世界よりも、ほかの何よりもずうっと大事なひとなのだ。
「リュウ、待ってて! すぐに助けてあげるから!」
「ニーナ!」
クピトが、珍しく怒ったようにニーナを呼んだ。
二ーナはきっと彼を睨み付けた。
リュウに関しては、二ーナは相手が誰だとしても譲るつもりはなかった。
「……駄目なんです。行かせてあげてください」
「どうして?!」
「もう眠らせてあげてください。夢を。優しい夢をずっと見せてやってください、彼に」
「リュウはそんなもの、きっと欲しくないわ。リュウは強いもの。ずっとわたしを守ってくれたもの!」
「ニーナ……」
クピトは項垂れて、二ーナに囁いた。
「リュウはそれを望んでいます。たったひとつだけ欲しいものを、彼は選んでしまった。そして、そこにはぼくの望む夢もあった。ぼくは彼を眠らせてあげたい。彼の、夢の欠片が
――――ぼくも欲しい」
「……クピト、なにを言ってるの?」
「ともかくニーナ、帰りましょう。この部屋の魔法陣は、いくらきみでもリセットできない」
「……リュウ」
二ーナは閉ざされた扉を見上げた。
それは冷たく巨大で、リュウを閉じ込めている。
「リュウ……」
リュウはなにを選んだというのだろう?
彼はニーナをいつだって選んでくれたはずだ。
二ーナを守って、二ーナのために空を開けた。
二ーナをいつもにこにこしながら見つめ、そばにいた。
オリジンになっても、リュウはリュウだった。優しいリュウ。
ニーナは強い愛情と慕情、安らぎをリュウに感じていた。
血の繋がった肉親にだって、こんな感情――――彼がそこにいるだけで何ものからも守られているような、条件のない、ひどく安堵する気持ちは感じないだろう。
彼女の肉親は、血の繋がった父と母は二ーナを守ってくれなかった。
だが、リュウは自分の命を削ってまでニーナを守ってくれた。
リュウ。ニーナのリュウ。
「リュウ……やだ……」
二ーナはごつんと強く額を扉に押し当て、哀願した。
「――――行っちゃやだあ……」
だがリュウは、いつものようににっこりして頷いてはくれなかった。
扉を開けて二ーナの頭を撫でながら、安心して、おれはここにいるよ、とは言ってくれなかった。
「泣かないで」も「だいじょうぶ」もなかった。
それはニーナを極限まで不安にさせた。
「リュウ……!!」
いくら呼んでも、リュウは出てきてくれなかった。
扉は静かに閉じていた。
走って、走って、足が縺れた。
もう自分が走っているのか、それとも立ち止まってしまったのかもわからなくなるくらいに苦しく、息が切れていた。
二ーナは倒れ込んだ。
ぐるんと視界が一回転し、次に見えたのが赤い夕焼け空だった。
『驚いたね。空って、こんなに真っ赤に変わるんだ……』
思い出の記憶の中から、リュウの声が聞こえた。
地上に出た直後だった。
迎えた夕暮れ、リュウとニーナとリンの三人きりで、原っぱに寝転がってずうっと空を見ていた。
リュウがぽつりと言った。
『真っ赤だ。なんだか、怖いね』
ニーナはリュウがなにかを怖いなんて言ったところを初めて聞いたので、不思議そうに彼を見た。
リュウは、あ、という顔をして、ごめんね、と言った。
『二ーナを不安にさせようとして言ったわけじゃないんだ。ただ、怖いくらい綺麗だねって』
『……うーう、リュ?』
『青、黄色、赤。次は何だろう、『夜』かな? 紺色、黒』
指折り数えて、リュウは空を指差した。
『どこまでほんとかわからないけど、もっといっぱいいろんなものがあるんだ。空から水が降る『雨』、雨上がりの『虹』。『夜明け』は薄い紫色で、赤いこの空は『夕焼け』って言うんだ。ねえ、ニーナ。世界を見に行こう』
リュウはいつもの、二ーナが安心してしまう笑顔で言った。
『綺麗なものをいっぱい見に行こう。だいじょうぶ、どこまででも行けるよ。ニーナとリンとおれと、三人で』
二ーナはリュウに笑い返した。
リュウがいれば、二ーナはどこだっていい。どこまでも行ける。
地の底でも、地上の世界の果てでも、どこだってかまいやしない。
『連れて行ってあげる、二ーナ……』
ただ不安なのは、時折見せるリュウのふっと微笑んだ顔が、零れる声が、まるで死に際の老人の遺言めいた感触を帯びることだった。
たくさん未来を夢見て、しかしもう手が届かないことを本当は知っているような、そんな顔だ。
二ーナは何も言わず、気付かないふりをした。
気付いた素振りを見せると、リュウがあのジオフロントであったようにまた目を閉じて、動かなくなってしまうんじゃないかと思ったのだ。
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