ジェズイットは正直言って頭を痛めていた。
 理由はいろいろある。
 大体が彼らのオリジンに関してのことだ。
 ただでさえ人手不足だというのに、トップを完全封印などと、この時期に厄介なことになったものだ。
 仕事は増えるだろう。
 地獄のように忙しくなるだろう。
(……これも全部、あのアホのせいだな)
 ジェズイットは溜息を吐いて、現オリジンの顔を思い浮かべた。
 青い夜色の綺麗な髪、同じ色の目、前オリジンと同じコスチュームを渡したら泣いて嫌がったので、彼はその上に以前のレンジャージャケットの丈を極端に長くしたようなコートをいつも羽織っている。
 堂々と見せりゃいいのに、とジェズイットは思いながら、この明るい地上で確かにあの格好はちょっと犯罪かもなあ、などと思ったりもする。
 まあ、尻が良く見えるのでそれでも良いんだろうが。
(ていうか、俺は男の尻なんか興味ないんだがなあ)
 いっそのことリュウが女なら良かったのに、とたまに思う。
 控えめで、おとなしく細かいところに気がついて、優しく、穏やかにいつも笑っている。
 手を差し伸べたものを全て受け入れて、無条件に愛することができる。
 そして綺麗な世界を夢見ている。汚い世界を、絶対に許さない。
 男なら「もっとしっかりしろよ」と尻を引っ叩いてやりたくなるが、女としてなら理想だ。
 ただし、男の理想、というやつだ。
 実際に現実にいるはずのない女だ。
 それには自動的に「儚い」なんて美しい言葉が貼り付いたりする。
「まったく、ままならないもんだねえ」
 理想の、現実にいない女。それでは聖女様ではないか、とジェズイットは思う。
 彼が世界で一番いい女だと思っている聖女オルテンシア。彼女はもういない。
 死んでしまった。
 だがいまだに彼女以上の女は世界には現れない。
 そして、彼女はリュウの中に生きているのだとクピトは言う。
 それはひどくジェズイットを複雑にさせた。
 クピトはしっかりしているが、あれはリュウやニーナと同じように子供だ。
 彼がやろうとしていることは読めた。
 クピトは世界よりも彼の「オリジン」を選ぶだろう。
 責めるつもりもない。
 元々、彼はあの男のためだけに生きてきたようなものだ。
 世界の判定者に収まっていることだって、あの男のやったその先のことを見届けていたいからだ。
 リュウが眠れば、彼の優しい夢の中に呑み込まれたエリュオンは永遠に生きる。
 クピトはそれを望むだろう。
 あれはリュウと同じでガキなのだ。
 そしてリュウだ。
 彼はなにを選んだのかは知らないが、それはこの世界で生きるものたちではないことは確かだった。
 彼は生きたモニュメントのようになって、このセントラルの最上階でずっと夢を見続けるらしい。
(観光名所になるかな。これが空を開いた空のオリジンです!とかなんとか。『手を触れませんよう。噛みつきます。次に世界に危機が迫ればまた彼は目を覚まし、人々を救ってくれるでしょう。』……アホか。大体ああいう種類の英雄は、平時には本当に邪魔っけにされるもんなんだよな。普通の人間には)
 だがリュウはトップに納まってそれで終わり、という人間ではなかった。
 泥塗れになってプラントの作物の収穫を手伝い(そしてシロウトは邪魔だと怒られ)技師の仕事を覗きに行き(そして学者どもが苦手な力仕事を引き受けさせられ)メディカルセンターでは病気の子供に苛められ、商業区にこっそりニーナと茶を飲みに行っては、クリオにぼったくられて帰ってくる。
(……ていうかほんとにろくでもねえな……)
 なんであんなのがオリジンなのか、ジェズイットには良くわからない。
 だがリュウは嬉しそうに話した。
 どんどん新しく大きくなっていく街のことを、詳しく、正しいかどうかは別にして、知っていた。
 街に住むほぼ全ての人間の顔を、リュウは覚えているようだった。
 まあ、元々が小さな街だ。無理な話じゃない。
 だがそれを、あのまともに本も読めなかったあまり頭の良くないリュウがやっているということが、ジェズイットには小さな驚きだった。
 彼はオリジンとして地上に、街に愛されていた。
 誰にも必要とされないなんて馬鹿なことを言っているのは本人だけだろう。
 そして今回の封印で、最も大きな問題点がそこだった。
 オリジン封印の報は、瞬く間に街に広まった。
 リュウを愛する街の人間が、そんなものを黙って聞き入れるわけがない。







◇◆◇◆◇







「だからぁ、ここは入っちゃいけないんだぞ。わかるか?」
 セントラルゲートを入ってすぐの階段前で、ジェズイットは平気な顔をして不法侵入を働いている数人の小さな子供たちに辛抱強く言い聞かせたが、鼻を垂らした小僧共はまったく聞いていないようだった。
 金髪の可愛げない顔をした少年が、不満そうに言った。
「でも、この前リュウが入ってったよ」
「あいつはいいの。ここがあいつの家なんだから」
「リュウの家ならいいじゃん、入っても。だって俺ら、あいつに会いにきたんだもん」
「そうだよ。最近全然病院に来ないから、つまんないんだもん」
 赤毛と茶髪が口々に言った。
 どう説明すべきかジェズイットは悩んだが、そのまま言う事にした。
 言葉を濁して綺麗なものだけを見せるのは簡単だが、そういうのはあまり好きではない。
「リュウはなあ、と――――っても悪いことして、お仕置き中だ。多分当分部屋から出られない」
「どのくらい?」
「1000年くらいじゃねえ?」
 ジェズイットは適当に答えた。
 案の定、子供たちからはブーイングが起こった。
「ふざけんなよ! それ、死んじゃうよ!」
「リュウ、死んじゃうの?」
「え。リュウ、殺されちゃうの?」
「そんなわるいことしたの?」
「うん、そう。あいつが悪いんじゃないんだろうが、大人ってのは責任を取らなきゃならん時が……いてっ」
 ジェズイットは肩を竦めて言い掛けたが、脛を蹴られて顔を顰めた。
 下を見ると、極限までむくれた子供の集団がジェズイットを睨んで見上げていた。
 ジェズイットは溜息を吐いた。
 大体子供の扱いは上手くない。苦手なのだ。
 だが周りは皮肉なことにガキばっかりな訳なのだが。リュウとかクピトとかニーナとか。
 子供らは揃ってふらふらとしているので、大人のジェズイットが引っ張り戻して方向修正してやらなければならない。
 得意でもない作業だが、彼がメンバーとしてここにいるのはそういう役割のためだ。
 最近はてんでばらばらな方向に歩いていっているので手が回らず、あまり上手く行っていないが。
 ともかく、小さな子供たちは思いっきり不満をぶつけてくれた。
「うそだ!」
「リュウがそんなすごく悪いことなんて、できるはずないじゃないか。あいつ弱いもん」
「そうそう、ジョーに関節キメられて泣いてたもん」
「そうだ、いつもパシリなんだぞ。ベリージュースを人数分買ってこなきゃいけないんだ」
「罰ゲームでメアリのスカート捲れって言われた時も泣いてたよ。絶対できないって。
あいつ、女の子のスカートも捲れない弱虫なのに、死ぬ程悪いことなんてできっこないよ」
「…………」
 ジェズイットは呆れた。
(へタレにも程があるぞ二代目……)
 だが彼は確かに愛されていた。
 食って掛かる小さな目を見ていると、そういうことは聞くまでもなくわかるのだった。
「泣き虫リュウ、悪いことなんてしてないよ」
「そうだ、してないよ」
「おじさんの方が、ずうっと悪い顔してるよ」
「そうだ、そうだ」
 ごつっ、とジェズイットの頭に、金髪の少年が投げたボールがぶつけられた。
「あいてっ、ボールを投げるな! 誰がオジサンだ! 俺はまだお兄さん!!」
「うそだ、オジサンだよ」
「生え際やばいよ」
「うるせえな! 気にしてなんかいないからな、そんなこと!」
 怒鳴って、顔を上げて、ジェズイットは気がついた。
 セントラルゲートの向こうに、街の住人たちが集まっていた。
 彼らは一様に困惑した顔をしていた。








◇◆◇◆◇








「……どうしたんだ?」
 わかっていながら、ジェズイットは聞いた。
 良く見るプラントの科学者、技師、商業地区のおかみさんや、センターの医師たちの姿が見える。
 顔見知りの人間はいくらかいたが、リュウのように全員の顔と名前が一致する、ということはジェズイットにはできない。
 綺麗な顔と尻をした女はすぐに覚えるのだが。
「……判定者ジェズイット様。オリジン様が封印されるとは、本当ですか?」
「ああ。先日の一件はあいつの力が暴走したせいだ。迷惑を掛けたな」
「いえ、誰も怪我人は出ませんでした。あの方が、我々を守ってくださったので」
 それにしたって、元凶はリュウなのだ。
 だが誰もそれを責めるふうでもない。
「ジェズイット様、どうかオリジンに会わせてください」
「あいつは魔法陣に簡易封印中だ。不安定なんだ。ドラゴンの制御がきいていない。外に出すと、今度こそ何が起こるかわからん」
「だが、あの方が我々を傷付けることはありません」
「考えられない!」
「お優しいお方なのです」
「オリジンさま、かわいそう」
 小さな少女が、母親の服の裾をぎゅっと握って呟いた。
 ジェズイットは割合辟易していた。
 こういう役回りは、あまり得意ではない。
 クピトはもう慣れた顔をしているが、損な役だ。
「あいつはあんな感じだが、一応は空を開けたドラゴンだ。暴走すれば大変なことになる。判定者全員総掛りで止めに入っても、どうにもならんだろう。俺らは一度、空を開けようとするあいつを止めることに失敗してるんだ。だから聞き分けのいい今の内に封印する。わかってくれ」
「それでもあの方は我々のオリジンなのです!」
 誰ともなく叫んだ。
 ジェズイットは黙って聞いていた。
 人々の声をひとつひとつ拾って、彼らの言い分に耳を傾けた。
 オリジンを愛する人間たちの声に。






「私みたいな新米医師に頭を下げてくださるんです、あの方は。
高圧的でも傲慢でもない、オリジンだからと特別扱いされることをとても嫌っていらっしゃるので、いつも一般病棟で順番を待っていらっしゃるんです。
質素な長椅子に座って、病院の子供らの相手をして笑っている。おかしな方です。
だが、私は頂上で私たちを見下ろしているだけではない、そんな人間らしいオリジンの方が好きです」







「野良仕事の最中にふらふら見に来るんだよ。
畑を耕したり、種を植えたり水をやったり。邪魔だつってんのに、せっかくのいい衣装が汚れるって言ってんのに、手伝うってきかなくてよ。
これは俺らの仕事なんだから任せといて、自分の仕事しろよって言ってやったら、みんながどんなことしてるか知らないとそんなのなんにもできないなんて言うんだ」







「私の娘が死んだんです。流行り病のワクチンを作る実験台になりましてな。
これもみんなのためだとあの子には言い聞かせていたし、私もそうだと思い込もうとしていたんです。だがあの方は、それを聞いてすごい勢いで怒りだしましてな。
みんなって、なんなんだってな。一人の子供も救われないのに、みんなが救われるはずもない、そんなのはおかしい……青いから言えることなのかもしれませんが、あの方は真剣に怒るんです。お恥ずかしい話だが、この歳になるとああやってまともにまっすぐなことを言って怒ってくれるものがおらんのです」







「オリジンにしちゃ頼りない若造かもしれんが、でも生まれたばかりのこの頼りない街を生かして守ってくれてるのは、あの方だと信じてるんですよ。
人に優しくする、嘘をつかない。弱いものを守ってやる……なにを当たり前のことを、と思いますが、そんなものさえ今までの世界にはなかったんです。
あの方なら、新しい世界を造ってくれるかもしれない。もう無力だ絶望だと泣き寝入りしなくてもいい世界をです。そう思うんですよ」






「私らはあの方についていきますよ。
あんたがたメンバーが止めるなら、そうすればいい。その覚悟くらいなら、私らにもあるんです。私らはあの方のように空を開けることはできないが、種を撒いて、食べ物を作ることができる。病気を治せる者もいる。大雨や嵐に負けない丈夫な建物を建てる者もいる。あの方や、あんたがたメンバーにできない仕事ができる。私らだけの仕事です」








「私達は、私達を見守ってくれるあの、頼りないがまっすぐに統治する者が必要なのです」
「判定者、どうか我々のオリジンにお慈悲を」
「あの方を解放してください」
「どうか」
「お願いします、どうか」







「……少し、待ってくれ」
 ジェズイットは静かに頷いた。
 彼自身、頭の整理がつかなくなっていた。
「あいつとちょっと話、してくるわ」













 
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