セントラル最上階、竜の封印の間。
ジェズイットは足を踏み入れた。
ID認識装置からは、ニーナとリンのIDは外してある。
彼女らは間違いなくリュウを連れて逃げるだろう、と踏んだのだ。
オリジンのリュウは、部屋の中央の魔法陣の中で、身体を光の糸で冷たい床に縫い付けられ、仰向けに寝転んでいた。
「……二代目、起きてるか?」
返事はない。
リュウは眠っているようだった。
おそらく部屋全体に張り巡らされたガラス窓から、空を眺めているうちに眠ってしまったのだろう。
「……毛布でも持ってきてやりゃあ良かったかな?」
どのみちクピトがいなければ、複雑な魔法陣のルールが良くわかっていないジェズイットが立ち入れるわけでもない。
こちらからも向こうからも触れ合えやしないのだから無駄なことであるが、ジェズイットはそんなことを言いながら、リュウに近付いた。
障壁越しに見るリュウの顔は、またやつれたように見えた。
ほとんど食事を取っていないのと、あとは精神的なものだろう。
「おーい、二代目。街のやつらのことで話があるんだけどよ」
リュウは眠っている。
少し瞼を震わせて、だがまだ目を覚ましてはいない。
「二代目よお」
どうやら本格的に寝入っているようだ。
いつもの癖で手を伸ばして尻に触り掛けて、魔法陣の障壁に、ばち、と弾かれた。
そう言えばそうだった。
「……リュウ」
床にどっかりと座り込んで、ジェズイットはじっとリュウの寝顔を観察した。
リュウは一応整った顔をしている。
地味な印象を受けるのは、その穏やかで自己主張のない性質のせいだろう。
彼は穏やかに、どこにだっていて、誰にでも手を差し伸べる。
ただ自分には呆れるほど頓着しない。
リュウは特別ではない。
そうならないように、見えないように、「普通」に振舞っているところがあった。
(特別の代名詞みたいな奴なのになあ)
そういうところは嫌いじゃない。
まあ尻も、男にしては悪くない。
(ていうか、男っていうのが致命的なんだが、そもそも)
ジェズイットはリュウ観察を続けた。
顔は可愛い。
女にはモテるタイプだろう、たぶん。
ただ今の地位と、ほとんど潔癖症と言っても良いくらいの奥手さで、本気でリュウを追い掛けてる女はニーナくらいのものだ。
それにしたってニーナは見返りを期待している訳ではない。
(……おまえ、やっぱり女に生まれてくるほうが世界の為だったんじゃないか、二代目)
やれやれ、とジェズイットは肩を竦めた。
あと、俺の為だったんじゃないか、と思ってもみた。
男の尻が悪くない、なんてとんでもないことに目覚める前に、女なら問題はなかったのだ。
勝手にそう思ってみた。
「二代目、顔は確かに可愛いんだけどなー……ところでさ」
ジェズイットは、独り言と世間話の延長といった調子のままで、言った。
「おまえさん、何者?」
ジェズイットの首筋に、細く鋭い針の先のようなものが突き付けられていた。
背後に何者かがいた。
「ここさあ、一応判定者しか……いや、ニーナとリンは除いてだが、俺たちしか入れないんだ。なんでこんなところにいるのかなあ?」
ジェズイットは振り向き、訝しく目を細めた。
侵入者がいた。
その顔をジェズイットは見知っていた。
確か、統治者時代に旧中央省庁区で何度か見掛けたことがある。
「おまえ、ヴェクサシオンとこのガキじゃねえか……」
その消息を、ジェズイットは知らない。
リュウの相棒だったそうだが、彼は何も語らなかった。
ニーナもリンもそうだ。
その相手がセントラルの封印された竜の間で、ジェズイットの首筋に剣を突き付けている。
わけがわからない。
見たところ、しかしおかしなことに、リュウと比べてふたつほど年下に見えた。
緑色のレンジャージャケットはサードのものだ。
妙だった。何もかもが。
「ソイツの寝顔は見世物じゃないよ、おっさん」
「……いきなり人をオッサン呼ばわりかよ、ボッシュ=1/64。5年ぶりくらいだっけ? おまえさんがレンジャーになるって話を聞いてから省庁区で見なくなったからさ」
「いい歳してさあ、人の相棒の尻を勝手にじろじろ見てんじゃねえよ。歳の差考えろよ。十年前にやってたらソレ、犯罪だよ。ショタコン中年、痴漢。最悪。ていうか生え際やばいよ」
「……口が悪いなあ、ボッシュ君。とうさまとうさま言ってたくせに、いつの間にそんなやさぐれたんだか」
「ていうかオマエ、マジウザイし。リュウに気安過ぎ。こないだもさあ、相棒嫌がってんのにいきなり押し倒して、俺ちょっと本気で殺してやろうと思ったよ。あの時は邪魔が入ったけど。ちゃんと見てたんだぜ」
「……あれ、ね……」
リュウをデスクに押し付けた時、確かに耳元に殺意が通り過ぎた。
鋭いものだ。
今こうやって、突き付けられているレイピアの先端と同じ、殺気に満ちたものだ。
「……ちょっと読めてきたんだけど、ボッシュ君。俺の考えを言っていいかな」
「どうぞ、おっさん」
「おまえさん、もう本当は死んでるんだろ。そんでリュウの中で生きてる。先代やオルテンシアも一緒か? ならおまえさんじゃなくてオルテンシア出してくれないかな。くれるのは、平手でもグーでもなんでもいいからさ」
「残念はずれ。他のはあんまり思い入れがイマイチ「ボッシュ」と比べて薄いから、うまく定着しないんだよね。俺、結構仕事あるし忙しいから、これが一番便利なわけ」
どうせおっさんにはわかんないだろうけどね、と言って、少年はレイピアをやっと引っ込めた。
「リュウもさ、俺のこと大好きだって言ってくれるし」
「……二代目、やっぱその手の趣味があったのか?」
「男の尻触って喜んでるおっさんがノーマルぶったって、あんまり説得力ないよ」
「……参考までに聞かせてもらうと、二代目は君にどこまで許してるんだい? ボッシュ君」
「なんであんたにそんなことまで教えてやんなきゃなんないの」
少し機嫌を損ねたように、ボッシュは目を鋭くした。
どうやら、あんまり大した事はしてないな、とジェズイットは直感した。
「まあこんな話はどうでもいいんだけど、時間稼ぎにもならないよ。どうせあんたが俺に勝てる訳ないじゃん」
「……言うねえ」
下らない話を仕掛けながら、相手の出方を覗っていたジェズイットは、にやっと笑って言った。
「なんだ。最近の幽霊は昼間っから堂々と明るいところに出て来るのか?」
「いっしょにするなよ」
ボッシュは剣を腰のホルダーに差して、やってられない、というふうに大きく手を広げた。
「俺はあいつらとは違うさ。別に、相棒のお情けで生きてる訳じゃない」
「ここで何やってるんだ?」
「簡単。リュウを守ってるよ」
ボッシュはにいっと笑った。
「小賢しいやつらがいっぱい沸いてきてさあ、結構大変なわけ。一番厄介な『あいつ』も出てきちゃったし。もうすぐリュウ、全部俺のものにしてやれるのに」
「……リュウになにをするつもりだ?」
「相棒の嫌がることはなんにもしないよ」
ボッシュはひどくいとおしいものを見るように、リュウに目を向けた。
「ソイツの身体さ、本当に美味いんだ。血も肉も、心の欠片も。全部食い尽くして、俺のものにしてやりたくなるんだ。アンタにはわかんないだろうけどね、おっさん」
「……リュウを食ってる?」
「悪い? そいつが言うんだよ、俺に。食ってくれってさ」
ボッシュはにやにやしている。
「俺の中で生きたいって。もうひとりにしないでってさ」
「……おまえさん、ちょっと今の内に止めといた方が良さそうだな」
ジェズイットは、そうして立ち上がり、ごき、と関節を鳴らした。
だがボッシュは、知らん顔をしながらリュウを見ている。
背中を無防備に晒している。
「おっさん、リュウはさあ、この世界なんかほんとはだいっきらいなんだよ」
ボッシュは世間話をするくらいの気軽さで、言った。
「汚いものでいっぱいでさ、リュウを泣かしてばっかりだ。相棒としては、色々許してやるわけにもいかないだろう?」
振り返ったボッシュの目は、赤く瞬いていた。
ジェズイットは背中に怖気を感じた。
そして、ようやく気付いた。
彼はボッシュ=1/64ではない。
別のものだ。
人間ですらない。
その赤い眼、それはドラゴンの目だ。
「おまえが、アジーンってやつか……!」
「どうだか」
ボッシュはだが、肯定も否定もせずに肩を竦めた。
「またリュウに下手なことすると、今度はこの街ごとぶっ壊すよ。封印なんてムダ。俺は、もうすぐ――――」
ボッシュはそこで打ち切り、眠ったままのリュウを見て、その鋭い眼差しには不釣合いなくらいに優しく微笑んだ。
「相棒が呼んでる。暗いリフトは怖いってさ。こいつ泣き虫でさあ、また泣いちゃうから……じゃあな、おっさん」
「――――! 待て!」
ボッシュの姿は、魔法陣などなんでもないようにリュウの身体に溶け、消えた。
そしてまた何ごともなかったように静寂が戻ってきた。
しーんとして、何の音もない。
リュウの寝息は微かに胸が上下する程度で、聞こえない。
感じたものは、本能的な危険だった。
野生動物が、生態系の頂点に立つ肉食の獣を前にした時のようなもの。
巨大で、危険。
「あれ」には、人の生命など、容易に吹き消されるだろう。
まるで最初から、文明など存在しなかったかのように。
「……何だって……言うんだ、ありゃあ……」
ジェズイットに答えるものは、もうなにもなかった。
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