煙が晴れてきた。
ボッシュは、目を擦った。
「……あ」
なにが、起こったのだろう?
どうして、リュウが目の前にいるのだろう?
確か、ちゃんと「おあずけ」は食らわせていたはずだ。
何故例の黒い男に突き殺されているはずのボッシュが傷ひとつなく、眼の前に頼りないリュウの背中があるのだろう。
リュウの声が震えながら、ボッシュの耳に届いた。
「……ッシュ、ごめん、おれ、約束……破っちゃった」
何故そんなに震えているんだ。
嫌いになるぞ、なんて言ったから、怖がっているのだろうか。
それともただ単純に、ディクにそうするように胸を突かれて上手く声が出せないのだろうか。
血が喉に、声帯に、肺に詰まってしまったのだろうか。
リュウの背中から細長いレイピアの剣先が生えていて、そこからは赤黒い液体が零れはじめていた。
オリジンの御印入りのコートに、徐々に染みができていく。
「……けが……してない? だいじょうぶ、ボ、」
ボッシュ、とリュウは言い掛けて、ごぼっと血を吐き出した。
それは更に胸を汚し、リュウのコートを血で染め上げた。
リュウを串刺しにした黒い男は、少し驚いたように眼を見開いていたが、すぐにすっと細め、リュウの胸を抉るように剣を動かした。
ぐちゅぐちゅと血が泡立てられる音がした。
リュウが、あぁ、と弱々しい悲鳴を上げた。
そして唐突に剣は抜かれ、リュウは力なくふらふらと放り出された。
ボッシュは慌ててリュウを抱き止めた。
このリュウは『ボッシュ』よりもいくらか背が高かったので、少し苦労したが。
そしてボッシュは見た。
リュウを突き通っていたレイピアに、べったりと綺麗な赤い血が付着し、滴っていた。
リュウの血だ。
『――――リュウッッ!!』
両腕の中に抱いたリュウの胸と口元は、真っ赤に染まっていた。
ボッシュは焦燥し、リュウの頬を触った。
温かかった。
痛みを堪えるようにぎゅっと瞑っていたリュウの目がうっすら開き、焦点が合わないようにぐるぐるとさまよい、そして黒い男と、血だらけの自分と、それからようやくボッシュを見付け、安堵したように微笑んだ。
「……ッ、シュ……、しん、ぱい……して、くれてる、の?」
リュウは、まるでそれが信じられないくらいに嬉しいことだというふうに、緩く頭を振った。
「おれ……を? ……きみを、ころした……おれを。どうして……」
リュウは、戸惑いながらも嬉しくてたまらない、という顔をしていた。
その蒼い目には涙さえ浮かんでいた。
自分自身の深い傷のことなど、お構いなしといったふうだった。
「……うれしい……」
ボッシュは息を飲んだ。
リュウはこんな時なのに、とても儚く綺麗に微笑んだ。
ボッシュはリュウをこんなにした男に激昂した。
悪鬼の形相で、彼のリュウを傷付けた男を睨み付けた。
『てめえええェッ!!』
赤光が『ボッシュ』の全身を包んだ。
力ある輝きの粒子の一粒一粒が身体を変えていき、そして塗りたての壁に水をぶちまけて、綺麗にペンキを流し去っていくように、その擬態を剥がし、あるべき姿へと彼を変えた。
彼の本性、ドラゴンの姿だ。
金色の髪は色を失って銀色に。
赤い角が生まれ、腕には炎を纏った硬質の爪が生まれた。
それはリンク者「リュウ」をベースに生み出された彼の分体だった。
だが、彼はまだ『ボッシュ』なのだった。
彼の愛すべきリュウがそう信じているのだ。
いや、そう認識させているのだ。
そのうちは、『彼』はボッシュ=1/64なのだ。永遠に。どんな姿であっても。
『ぶっ殺してやる!!』
『ボッシュ』は吼えた。
手のひらに光が収束し、赤い光が激しく瞬き、そして高熱を伴ったエネルギー波が放たれた。
その黒い男に向かって。
そして、セントラル最上階は一瞬にして消滅した。
骨だけになった窓枠も魔法陣も消し飛ばし、天井を溶かして、光は飲み込んだもの全てを、まるではじめからそんなものなど存在しなかったかのように消し去った。
破壊の限りを尽くし、ようやく光が消えた頃には、ボッシュは瓦礫でできた床の上にひとりで立っていた。
『リュウっ! 大丈夫か?! くそっ!』
ボッシュはリュウの上半身を抱いたまま、彼の身体の深く抉られた痕に舌打ちした。
かなり深い。
ドラゴンが分離している今、リュウだけの体力でどうにかなるものではない。
『リュウ……!』
ボッシュは焦燥に顔を歪めた。
中に「戻る」にしても、間に合うかどうか――――そんな、時だった。
ドラゴン、1/2の彼の兄弟がそばにいる時に決まって訪れる怖気、共鳴とも呼ばれるものが、ボッシュの身体を震わせた。
ほどなく蒼い光が炸裂し、先ほどのボッシュが放ったものとほぼ同じ熱量でもって、彼の身体を飲み込んだ。
『ぐぁあぁっ!!』
ボッシュは体皮が溶けるような激痛に苦悶の絶叫を上げた。
弾き出されて、直撃を食らった左肩を見ると、焦げ、胸の少し上あたりから炭となっていた。今にもぼろっと崩れそうなくらい。
ボッシュは顔を上げた。焦燥の表情で。
そこには彼の兄弟がいた。
黒い男、その背後の空に、透明な巨体が浮かんでいた。
ボッシュは、その名を呼んだ。
『チェトレ……! 再起動してやがったのかよ、この負け犬が! こんちくしょう!』
「今は負け犬はどー見てもオマエの方だぜ、アジーン……いや、『ボッシュ』か?」
男は面白そうに、たちの悪い笑みを顔に浮かべていた。
まるでやりたくて仕方なかった手品の種明かしをしてやった、というような、得意そうな顔だ。
「オマエみたいに、「外」に出られるようになったのに、まだ人間の姿を引き摺ってんのがおかしいんだよ。……もしかしてさ、ドラゴンだってのに、おまえそのロクデナシに惚れちゃったのか? 可愛い可愛い大事な宿主のお願い、聞いてやったってわけ?」
男は嘲笑った。
そして、地面に這いつくばっているボッシュを無造作に蹴り上げた。
『がっ!』
「おっとゴメン。俺、足癖悪くてさ。知ってるだろ?」
黒い男はそう言いながら、ボッシュの焼け焦げた肩を踏み躙った。
炭化していた部位は、あっけなく崩れてさらさらと黒い砂になり、最後に赤く弾けて光になり、消えた。
『ぐ……っ、テメエ、絶対後でぶっ殺す! 覚えてやがれ!』
「へえ、それっていつの話?」
にや、と馬鹿にしたように笑って、男はボッシュからふいっと視線を逸らした。
その先には、リュウがいた。
血も止まっていない。
あと少し放置すれば、失血死するだろう。
男はリュウに近付き、無造作に抱き上げた。
ボッシュは吼えた。
『気安くリュウに触るんじゃねえよ!!』
「うるさいね。俺に指図するなよ、能なしドラゴン」
抱えたリュウの顔をしばし無表情で眺めていた男は、やがて苦笑めいた溜息を吐いて、そして空に浮かぶドラゴンを見た。
それは透き通って、向こう側の空を透かして見えた。
「行こうぜ、チェトレ。ソイツ、もう負け犬だよ」
『リュウ!』
ボッシュは叫んだ。身体が動かない。
チェトレのD−ブレスは、確実にボッシュの身体を行動不能にしてくれていた。
唯一の友人を、彼を必要として、弱っちく、『ボッシュ』がいなければなんにもできない、ほんとうにどうしようもない小さな子供を呼んだ。
だが、青ざめて意識を無くしたリュウは、返事をしなかった。
ただうわ言でも呟くように、唇が少し動くのが見て取れた。
それは見た限り、ボッシュ、と刻まれていた。
ごめんね、と。
黒い男はボッシュと共にそれを奇妙な表情で見ていたが、やがて背を向け、歩き出した。
『リュウ! リュウううッ!!』
ボッシュは腕を伸ばした。
だが遠ざかっていく男が振り向くことはなく、リュウは彼の手から離れ、消えてしまった。
跡形もなく、あの温かく心地良い共鳴ももうどこにもなかった。
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