夢は、見なかった。
 それはひどく寂しいことのように思えた。
 リュウは目を開いた。
 冷たい床の感触が背中にあって、辺りは薄暗く、じめじめとしていた。
(……?)
 二三度目をぱちぱちとして眠気を払った。
 どうも、とても長い間眠っていたような気がした。
 その証拠に眠りのせいで、身体が重い。
「……ボッシュ……?」
 リュウは、相棒の名を呼んだ。
 そばに彼の気配がないことが、ひどくリュウを不安にさせた。
 それは、そう、例えば暗いリフトで彼に置き去りにされ、独りぼっちになってしまった時のような、不安と恐怖を混ぜこぜにした孤独だった。
 リュウは身体を起こそうとした。
 だが両手に嵌められた枷が、がつんとリュウの身体を引っ張って、上手くいかなかった。
 リュウは目を上げた。
 手枷には太い鎖が巻き付けられていて、それは地面にいくつも突き刺さったパイプに繋がれていた。
「よ、お目覚め?」
 暗がりの中から、声が響いた。
 それは空洞に反響して、何重にも響いた。
 はたして、現れたのは例の黒い男だった。
 身体を緊張させ、リュウは力任せに手を引き、どうにか身体を起こして男をきっと睨んだ。
「……ここは、どこだ」
「俺んち。旧世代のシェルターの中だよ。わりといいところだろ?」
「おまえは一体誰なんだ」
「……多分、オマエの知り合い。でも忘れちゃってるみたいだね。寂しいよ、オリジンのリュウ=1/8192」
 奇妙に思って、リュウは眉を顰めた。
 今になって『1/8192』とリュウを呼ぶ人間が、こんなところで現れるとは予想外だったのだ。
「何者だ。おれはおまえなんか知らない」
「まあ、そう怖がるなよ。仲良くやろうぜ」
「……誰がボッシュの敵なんかと」
 リュウはそっけなく目を逸らしてやった。
 ふと、胸の激痛が消えてなくなっていることに気がついた。
「おれは死んだんじゃなかったのか」
「ああ、塗ってやったよ、きずぐすり。応急セット分のゼニーは、おまえのポケットからいただいといた」
 どうも腑に落ちない。
 リュウは疑惑の眼差しで、言った。
「……おれを餌にしても、なんにも釣れやしないよ。元々封印される体だから、セントラルになにを要求したって無駄だ。それとも、ボッシュを誘き寄せようとでもいうのか?」
「だとしたら、オマエどうするよ」
 男はにやにやしながら、じっとリュウを見ている。
 頭のてっぺんからつま先まで、舐めるように、今にも舌なめずりでもしそうな具合だ。
 リュウは居心地の悪さを不快に思いながら、言った。
「ボッシュはもう、傷付けさせないよ」
「オマエになにができるよ」
「……おまえの名前は」
 リュウは馬鹿にするような調子の男に取り合わず、無表情に訊いた。
「もう一度聞く、目的は何だ。――――ボッシュになにをしたんだ」
「ああ、あの負け犬なら、とっととご退場いただいたけど」
「……?! 殺したのか?!」
「だったら?」
 始終男はにやにやしている。
 リュウはかっと頭に血が上った。
「嘘だ! ボッシュが負けるわけない、おまえなんかに!!」
「でもその証拠に、ほら、オリジン様。あんた、俺に攫われてきてるわけなんだけど」
「ボッシュは……おれ、が……」
 リュウは項垂れた。
 思い付くのは、ひどく苦しい考えだった。
「おれなんか……どうでも、良くなっちゃったんだ。そっちの方が、わかるよ。彼は負けない」
 リュウは顔を上げて、きっと黒い男を睨んだ。
「おれの相棒は、最強なんだから」
「まあ、そうだね。でもおまえを助けてはくれなかった?」
「…………」
「きっともう、ボッシュはおまえを守ってなんかくれやしないよ」
 男はにっこりとして言った。
 その証拠にさ、と言いながら、リュウの腹を蹴っ飛ばした。
「……ぐっ!」
「こんなことしちゃっても、助けてくれやしないもんなあ」
 両腕に嵌められた制御装置を鎖で繋がれ、自由に動かないリュウの体を、その男はサディスティックな笑みを浮かべながらいたぶった。
 胸を、腹を、倒れれば背中を蹴り、最後には頭を足で地面に押し付けられて、踏み躙られた。
「言ってみろよ、助けてボッシュ。おれを助けて。情けない声上げて、泣き喚いてみろよ」
「っああ!」
 まだ完全には塞がりきっていない貫通された胸の傷を、靴の先で押し開くように抉られて、リュウはうめいた。
「誰が……おまえなんかの前で!」
「可愛くない顔。余計苛めたくなる顔するよな、おまえってさあ、たまに。……昔から、そうだったよ」
「なにを、わけのわからないことを……っ、ぐう!」
 髪を掴まれて床に額を叩き付けられ、流れた血が目に入り、リュウの視界を真っ赤に染めた。
「あーあ、オリジン様、せっかくの地味カワイイ顔が台無し。どうしようか?」
「……馬鹿に、するのも……いい加減にしろ」
「あっそ」
 無造作に投げ捨てられ、リュウは繋がれているパイプに叩き付けられた。
 ずるずるとまた地面に倒れたリュウを、男は掴み上げた。
 次は殴られでもするのか、とリュウは歯を食い縛った。
 目は開けたままだ。
 弱いところを見せたくなんてなかった。ボッシュが敵だと断定した男に。
 だが、次に受けた仕打ちは良く解からないものだった。
 オリジンのコートを無造作にはだけられ、薄いアンダーを難無く引き裂かれた。
 訝しく目を細めると、その男は呆れた顔で、破いたリュウのアンダーをまじまじと見ていた。
「……こんなセクシーな格好しちゃって、オリジン様、オトコ誘ってるわけ?」
「な……」
 リュウは、かあっと頬を染めた。
 それはリュウが恥ずかしくてたまらない、体のラインがぴったりと浮き出るボディスーツのようなものだった。
 それについては、散々からかわれたことがある。ジェズイットに。
「赤くなっちゃってまあ、その通りってこと?」
「ち、ちが……何を言い出すんだ!?」
 リュウは慌てて、ふざけるな、と言おうとした。
 だがそれは無駄に終わった。
 いやらしい、蜘蛛みたいに蠢く男の手が、リュウの身体を弄りはじめたのだ。
「やめろ……さわ、るなっ!」
「へえ、どーいうコトされるかっての、知ってるんだ」
 にやついた声で、だが目は笑っていない顔で、男は言った。
「オマエ、男に抱かれたことあんの」
「……! そ、そんな、こと……!」
 ない、と言おうとして、リュウは変なことを思い出して、目を逸らした。
 ジェズイットだ。彼があんな変な真似をするから悪い。
 黒い男はそれを肯定と取ったようだった。
「『ボッシュ』に? それとも、あの統治者ども? そーいう趣味があるなら、オリジンの地位なんてよりどりみどりじゃん。変態」
「ち、違う! それにボッシュがそんな、おれなんかにそんなふうに――――触るわけない!」
 触ってくれるわけがない、と言おうとしたことに、リュウは自分で驚いていた。
 リュウは、したいのだろうか。
 ボッシュと、こういうことを。
 こんな、男同士で気持ち悪い、おぞましいことを。
「じゃ、誰」
「……おれは、そんなこと、しない」
「この状況でそういうこと言うなんて、オマエ、やっぱり面白い奴だね」
 その男はひどくたちの悪い笑い方をした。
 乱暴に地面に押し付けられて、くっ、と足を抱えられ、リュウはびくっとした。
 胸部から太腿にかけて、びりびりに破られたアンダー。
 脚を開かされ、股座が丸見えになるはずだ。その男の視線の真中に。
 中途半端に開かれたコートは、リュウをなんにも隠してはくれなかった。
「……う……」
 かちゃかちゃと、ベルトが外される音がする。
 リュウは顔を青ざめさせた。
 ほどなく、リュウの視界に大きく膨らんだ他人の男性器が現れた。
「……んっ」
 嫌悪に顔を逸らしたが、無理に唇に擦り付けられた。
 続いて、顎。胸、腹。
 そして、リュウ自身の性器。怯えを含んで、小さく萎えている。
 きゅ、とすり付けられて、その硬さと熱さに、リュウは震えた。
 こわい。
 ねばねばした液体が零れて、リュウのそれに纏わりついた。
「……これだけで妊娠しそうな顔してるよ、オマエ」
 くすくすと、ひどく意地悪く笑う声が遠くからする。
 先端、裏筋と睾丸を通り、撫でて、それはリュウの尻にあてがわれた。
 硬いものが、リュウの中に入ってこようと、穴のまわりを押していた。
「震えてる。そんなに怖い?」
 リュウは震えていた。
 誰とも知れない男に犯される恐怖、『敵』にこんなにされている屈辱、抵抗もできない情けなさ。
 そんなもののせいだ。
 そして何より、誰もそんなになっているリュウを助けてくれないことだ。
「……ボッ、シュ……」
 リュウは、もう一度ボッシュを呼んだ。
 ボッシュは、もしかしたらリュウがどこにいるのか、わからないのかもしれない。
 ひょっこり現れて、オマエこんなところにいたの、探すのに苦労したよ、と言ってくれるかもしれない。
「いや……いやだ、やだ、やだ、ボッシュ……」
 リュウはふるふると首を振った。
 逃げようと腰を浮かしても、太腿をしっかり抱えられていて、身動きが取れなかった。
 リュウは必死で逃げようともがいたが、だがその男はまるでどうってことがないように、リュウの腰を抱いているのだった。
 リュウは喚いた。
「ここにいるよ! おれ、ここだよ! 見付けてよ! 助けてよ、ボッシュぅッ!!」
 つっ、と先っぽの尖った肉が、リュウの中へ入ろうと、頭を押し付けてきた。
 リュウはパニックに陥りながら、恐怖と嫌悪と不安とに悲鳴を上げた。
 いつも守ってくれるはずのボッシュに、助けを求めた。
 はやく、みつけて。ここにきて。この『敵』をやっつけて。いやだ。いやだ。いやだ。
「やだあああっ! たすけて、ボッシュうう!!」
 ぐっ、と身体の中になにか熱くて硬い異物が潜り込んでくるのがわかった。
 いやだ、とリュウは悲鳴を上げた。
 だが、そんなものもすぐに止まった。喉に詰まった。
 剣に胸を貫かれ、そしてまたこういうかたちで串刺しにされて、リュウは目を虚ろに見開き、唇をわななかせた。
 いたい。
「いや……いた、いたい、いたいい……」
 ボッシュ、たすけて。
 そう泣きながらリュウは呟いた。
 ボッシュはだが、どこにもいなかった。
 リュウがこんなに突き刺されて苦しく、痛いのに、彼は約束したというのに、守ってくれると言ったのに!
「……なんで……きてくれないの?」
 リュウは手を伸ばそうとした。
 何に向かってなのかはわからない。
 いつまでも追い付くはずのないボッシュの背中に向かってだろうか?
「おれ……の、こと……ほんとに、」
 いくら伸ばしてもそんなもの、届くはずもない。
 ここにボッシュはいない。
 ただ制御装置が床を擦って、ざらざらした音を立てただけだった。
「きらい、に……なっちゃったの、ボッ、シュ……」
 返事はなく、ただ男が呑み込むだけ呑み込ませようと力まかせに腰を押し付けて、リュウの奥には得体の知れない誰かの体温が届いた。
 それは一番深くまで、リュウを汚した。













 
Back  Contenttop  Next