次に気がついた時には、リュウはベッドの上にいた。
 白いシーツの上で、寝かされていた。
(ひどい、夢だ……)
 ボッシュから引き剥がされて、ここまで攫われて来て、悲惨な辱めを受けた。
 あんなものは夢だ、夢だ。リュウはそう思い込もうとした。
 だがあのパイプに繋いだ鎖こそなかったが、封印の手枷は相変わらずリュウの両腕を拘束していた。
(悪い夢だ。あんなこと、ほんとにあるわけない)
 男が、男にああいうことをすることが。そしてされることが、そのどちらも普通じゃない。
 リュウは起き上がろうとして、びくっと強張った。
 下腹と尻にひどい鈍痛がはしった。
「……っ、はくっ、……ん、ん……」
 ベッドの中で身体を丸めて、どうにか激痛をやり過ごして、リュウは脂汗を拭いながら顔を上げた。
 そこは小さな部屋の中だった。
 古びた壁には、消え掛けた絵が描かれている。
 空だろうか?
 朽ちた度合いからいって、1000年前の大災害の時のものなのかもしれない。
 部屋の中には外から持ち込まれたと見える簡素なベッドとテーブルがあった。
 ほとんど何もない部屋だった。
 照明もテーブルに置かれた携帯照明だけで、薄暗い。
「……くっ……」
 身体中が痛い。
 表皮から身体の芯まで隅々だ。
 これの理由をあまり考えないようにしながら、リュウは今度こそ、そっと身体を起こした。
(……ここは、どこなんだ?)
 リュウのほかに誰の姿も見えない。
 リュウをここまで連れてきた、あの黒い男の姿もない。気配も感じなかった。
(どこへ……?)
 リュウは焦燥を感じた。
 世界を統べるオリジンを攫ってきて、そこで終わりという訳でもないだろう。
 なにか目的と理由があるはずである。
 見返りを街に要求するのか、それとも判定者たちに反抗するテロリストなのか、それとも――――ほかに、理由があるのか。
 リュウは急に不安に取り付かれた。はっと気付いた。
「ボッシュ……」
 リュウを餌にしておびきよせようとしているのだろうか。
 彼らは敵同士だったはずだ。ボッシュがそう言っていたのだ。
 なら、今あの男はボッシュを殺しに行っているのか。
「駄目だ……!」
 リュウは慌ててベッドから降りようとした。
 ボッシュのところへ行かなければならなかった。
 行って彼を守らなければならなかった。
 なんでもいい、枷が邪魔だったが、役に立たなければこの前みたいに彼の盾になっていればいい。
 だが、リュウは耐えがたい痛みに足を強張らせて、ベッドから転げ落ちた。
 ごつん、と顔から落ちた。
 腰が抜けていて、うまく動けない。
 そうしているとシェルターの扉が開いて、例の黒い男が入ってきた。
 彼はリュウを見て、つまらなさそうに言った。
「なにやってるんだよ。逃げようって?」
「……おまえは、ボッシュを殺しに行ったんじゃないのか」
 リュウは痛みを堪えて、男を睨んだ。
 男は、ああ、と肩を竦めた。
「べつに。いいとこ邪魔されることもないだろ」
「……いいとこ、邪魔? 何をしようっていうんだ」
「オマエってさ……まあいいんだけど」
 男は真っ黒のコートを壁に掛けて、椅子に腰を下ろした。
 テーブルに無造作にいくつかの果実をばらばらと置き、そのうちの青い実を掴んで、かじった。
 食料調達、ということらしい。
「オマエも食う?」
「……いらない」
「なに、いつももっといいもん食ってるって?」
「べつに」
 リュウはそっけなく言って、男から顔を背けた。
 彼を見ていると、嫌でも先ほどの悪夢みたいな行為を思い出してしまうのだった。
 おぞましく、気持ちの悪い、汚れたことだ。
「腹減ってないわけ。飯、食ってないんだろう?」
「…………」
「シカトかよ」
 男はやれやれとわざとらしい溜息をついて、また果実を一口かじった。
 そしてどういうつもりなのか立ち上がって、リュウを掴み乱暴に放り捨てて、またさっきと同じようにベッドに戻した。
 彼はリュウにのしかかって、手枷ごと腕を押し付け、あっけなく自由を奪った。
 そして唇を塞いだ。
「……んっ!」
 リュウが顔を顰めて、咄嗟に離れようと身をよじってもお構いなしだった。
 甘い味と匂いがリュウの口腔のなかに広がった。
 口移しで果実の欠片を押し込まれて、喉が詰まる。
 リュウはそれを飲み込んでしまった。
「……ん、ん」
 やめろ、とリュウは言ったつもりだった。
 離せ、きたない。だがその男はそんなもの、全然聞いてもいなかった。
 声にならない視線に気がついたそぶりもない。
 あるいは気がつかないふりをしているのかもしれない。
 リュウが窒息仕掛けたところで、ようやく解放された。
「何の、つもりだ。こんなこと……」
 リュウは怒りを込めて、怒鳴った。
 そうでなければ、あまりにも惨め過ぎた。
「こんなことが何になるんだ!!」
 だが、その答えはあっさりしたものだった。
 彼は肩をすくめただけ。そして、言った。
「いい加減もう夢見る乙女を卒業しなよ、潔癖症のオリジン様。だあれも、あんたなんかの中で生きたくないって」
 そうしてあてつけがましい優しい声を出した。
「勝手にひとりで泣いてろって」
「……おれ、は……そんなんじゃない……!」
 リュウは強張った顔で、そう言った。
 だが男は相変わらず聞いた様子もない。
「その証拠に、ほら、だあれも助けに来てくれないだろ? ニーナも、メンバーも、ボッシュもさ、だーれも」
 男はリュウがそれを聞いて、微かに震えているのを見取って、嬉しくて仕方がない、という顔をした。
 そしてまた、目覚める前に何度もそうしたように、リュウの下腹部に手を伸ばした。
 性器にはほとんど触りもせず、尻を弄くった。
 リュウは怒りとあまりの情けなさに泣き出したくなった。
 既に何度も出入りされたそこは、精液で満たされ濡れていて、押し開かれただけで白い液が零れた。
 太腿を伝った。
――――やめろ!」
 リュウは叫んだ。
 だが、すぐにまた尻に硬くなった肉が突っ込まれたせいで、くぐもった悲鳴を上げる羽目になった。
「ああぁあ!」
 乱暴に、そして無造作に貫き通された。
 その男はひどく凄惨な笑みを浮かべて言うのだった。
「誰もかれも、オマエのことなんかどうでもいいってさ」
「あああ、ああっ、いやだ、やめろ、やめっ」
「オマエのこと、厄介なドラゴンが残ったって思ってるぜ。空を開いてそこで終わり、そうすりゃ世界は綺麗だったのにって」
 くすくすと笑う声が、リュウの胸を冷酷に突き刺した。
「あのまま死んでくれてれば良かったのにってさ。汚いもんの代表みたいな失敗作のD検体が、どのツラ下げてオリジンなんかやってんだろうって、街のやつらは思ってるよ」
「いやだ、やだ、やめ……ああああっ!」
「ニーナって言ったっけ。あの女もそうだよ。おまえが生きてぼろぼろの体をこれみよがしに晒してる。まるであてつけられてるみたい。リュウが生きてる限り、幸せになんてなれない。そう言ってたよ」
「うぁ、あっ、うそだ、やめろ、……うそだ……」
「おまえは、本当にどこの世界にも必要とされないんだよ。生まれてからずっと、地下にも、地上にも、どこにも」
 男の声は優しく、正しかった。
 リュウはぎゅっと歯を食いしばり、痛みと不快感、体の震えを誤魔化していた。
 狭い部屋に嫌な音が響き渡った。
 ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅと、止まらず、血と腸液と精液がぶつかって混ざり合って、泡立つ音。
 きっとなかは傷だらけだ。
 何もかもが痛くて、気が遠くなりそうだった。
「誰かに必要とされたいなんておこがましいね。おまえ何人殺した? そのくせ聖人みたいな、悪いことなんてなんにも知らないし、そんなものは許さないみたいな顔してへらへら笑ってる」
 男はリュウの耳元へ唇を寄せて、ほとんど触れるくらいの近さで、囁いた。
「おまえの邪魔をした奴ら、ゼノ隊長。ボッシュ。同僚のレンジャーを、何人も。政府から、おまえの邪魔をするように言われたやつら。トリニティ。統治者たち。それから、」
 その男は、ひどく優しい声で言った。
 まるでおまえは悪くないよ、と言っているように。
 そして、それが更にリュウを抉るということを知っているふうに。






「……俺の親父もさあ、殺されたんだよね、オリジン。あんたに」






――――!!」
 リュウは、びくっとして勢い良く顔を上げた。
 男は、救いようがない、というふうに首を振っていた。
――――イイね、今の反応。ぎゅーって締め付けてくれてさ、すごい良かったよ」
「……あ……おれ、おれ、が……」
 リュウは呆然と目を見開いていた。
 男は、ああそれね、とそっけなく頷いた。
「家族らしい家族は全滅。まあ大したもんじゃないんだけど、なあオリジン。あんたは悪いことは絶対に許さない、みたいな様子だけどさ、何様のつもり。殺人鬼。偽善者。エセ聖人。最低だね」
 くすくすと男は笑っていた。
 その男はまるで、それら何もかもがリュウを苛めてやれる素晴らしい材料であるように囁くのだ。
 何故、こんな話をしながら笑えるのだろうか?
 何故こんな話をしながら、笑いながら、こんなおぞましいことができるのだろうか?
 この男は気持ちが悪くないのだろうか?
 それとも、とリュウは静かに思った。
 これが、復讐か。
「……死んでいいよ」
 彼はリュウの顎を優しく捕まえ、上げさせた。
 間近に、とても近くに、その緑の目があった。
 そこに映ったリュウの顔は、哀れなほどだった。
 怯えきって、虚ろに目の光を失い、弛緩しきった、そんな顔。
「……俺が殺してやるよ、オリジン様。死ぬよりもっとひどいことしてから、ゆっくりゆっくり嬲って、最悪の死に方をさせてやるよ」
 唇にぎりぎりと男の歯が立てられて、噛み切られ、鉄臭い味が口の中に広がった。
 リュウはそれにすら反応できなかった。
 空虚が彼の中を支配しはじめていた。
 これから誰にも必要とされず、死んでしまえこの人殺しと罵られ、この世界から零れて消えてしまっても誰も悲しんでもくれず、泣いてもくれず、死体にすら石を投げられることを空想しながら、見知らぬ男に犯されながら、ひとりきりで死んでいくのだ。そう思うと、リュウは震えが止まらなかった。
 彼は恐怖を、生まれてから今までで初めて味わう種類の空虚な、この上ない恐怖を覚えていた。
 空っぽになってしまったようだった。
 こんなこと、知らずに死ねれば良かった。
 ドラゴンブレードを胸に突き刺され、永遠に眠れれば良かった。
「……ッシュ……」
 リュウは、幼い子供が親に縋るように、引き攣れた掠れ声で救いを求めた。
「ボッシュ、ボッシュ……」
 男が不快そうに眉を顰めるのが見えた。
 リュウはなおも、彼のヒーローの名前を呼んだ。
 だが、ボッシュはやはり助けに来てはくれなかった。
 本当の記憶で、暗いリフトで座り込んで泣きじゃくっているリュウのもとへ現れてはくれなかったように、彼は来てくれなかった。
「ボッシュぅ……」
 恐怖のあまりリュウが泣き出してしまっても、彼は現れなかった。
 リュウのもとへ、ヒーローは駆け付けてくれなかった。
 子供たちのヒーロー。幼いころからずうっと憧れ続けていたレンジャーは来なかった。
 リュウはひとりきりで泣いていた。
 リュウの全てを許してくれる世界は、もう彼を包み込んでくれなかった。
 遠いところへ行ってしまっていた。
 リュウは無駄だと知りながら、なおも懇願した。
「ころして、ボッシュうう……」
「うるさいよ。『ボッシュ』、『ボッシュ』ってさ。俺が殺してやるって言ってんじゃん」
 黒い男がリュウの頬に舌を這わせて、流れてくる涙を飲み込みながら、ぽつりと言った。
「力加減がわかんないから、今度は上手くいかないかも。可哀想だから優しくしてやるけど、ちょっと手とか足とかもげたらゴメンね、オリジン様」
 ひどく、優しい声だった。
 リュウは絶対的に抗えないものを、目の前に突き付けられたような感じだった。
 彼の緑の目がそう言うのだ。
 その感覚を以前どこかで何度も経験したように思ったが、リュウは思い出せなかった。














 
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