雨が降ってきた。
曇り空からは濁った光しか差さず、あたりは薄暗かった。
セントラルの会議室にもこうこうと蛍光灯が点けられ、まるで地下世界のような冷たい明かりを落としていた。
判定者たちが集っている中、オリジンの姿が欠けている。
「わたしが悪いの」
ニーナは床に座り込んで、死んだように眠っている『ボッシュ=1/64』に膝を枕がわりに貸してやりながら、暗い声で言った。
「取り引きをしたのよ。セントラルの最上階まで案内すること。そうしたら、リュウを助けてくれるって。そのあとのことなんか、ほんとはわかりきってたのに」
「あんたは悪くない、ニーナ。悪いのはあんたからリュウを取り上げようとした奴らだよ、ねえ?」
わかりきっていたことだろう、とリンは言った。
壁に預けていた背中をとっと離して、ふたりの判定者をきっと睨んだ。
「あんたら、わかってたんだろう? ニーナが泣くってことはさ」
「ええ、とっても」
ひとり会議室のデスクについているクピトが、静かに頷いた。
「憎まれ役は統治者時代から慣れています」
「あんたたちはいつもそうだ。世界の歪みを黙認して、あまつさえ手助けするようなやりかたは、やっぱり好きになれないね」
「まあまあ、喧嘩してたって仕方ないだろ、お二方」
「ジェズイット、黙っててください」
「邪魔だよこの痴漢男」
「…………」
ジェズイットは肩を竦めたが、それより、と話題を振った。
「二代目のことだろう。無事なのか?」
「そこの『彼』がまだいますからね。死んではいないでしょう」
クピトが、『ボッシュ』に視線を向けた。
リンはまだわけがわからなさそうな顔をしている。
「ていうか、なんなんだい、これ。チェトレじゃないのかい?」
「リン、これ、リュウよ」
ニーナが『ボッシュ』の頭をぽんと叩いて、言った。
「怒った時のリュウとおんなじ赤い眼をしてるもの。「あのひと」はもっと怖い顔をしてるわ」
「……わけがわからないね。そいつの格好はどう見ても……いや、そいつがリュウだとしてだよ、ニーナ。連れてかれたリュウはどうなんだい?」
困惑しているリンに、クピトが冷静に答えた。
「あれがリュウですよ。そちらで『ボッシュ=1/64』の姿をして寝てるのは、彼のドラゴンです。名前は『アジーン』、知っているでしょう? ニーナ、君と初めて遭った時にはもうリュウは選ばれていたんだから、君にとってはその彼も『リュウ』だと言えるんでしょうね」
「……なんでリュウを苛める人の格好なんてしてるの?」
「決まってるさ。二代目がマゾなんだろ」
「……砕け散りたいかい、ジェズイット」
「いや、嘘です。すみません」
「ともかく、彼は何なんです?」
クピトが、頭を振って、これはぼくも知りません、と言った。
「あの黒い竜、あれはチェトレが再起動してたってことでしょう。何故リンク者は、リュウを連れ去ったんです?」
意味がない。
それは全員が思っていることだった。
ドラゴンはここにいるのだ。
リュウをその場で殺しもせず、わざわざ連れ去る理由がない。
だがニーナがひとり、わかりきったこと、という顔をして言った。
「リュウのことが苛めたくって仕方ないのよ」
彼女は「大嫌い」を浮かべた顔をしていた。
「ひどいことをいっぱいしてやりたくて仕方ないのよ。そうすれば、リュウが自分だけのものになるって思ってる。ジョーたちと同じよ。子供なの」
その表情はひどく凄惨だった。
リンは衝撃を受けたように目をぱちぱちとして、ジェズイットは「またアレが出た」と額を押さえた。
「……ニーナ?」
「リュウ病だよ、姐サン。リュウ・シンドロームだ。ほっといてもすぐ治る。あいつが無事でさえありゃあな」
だから「あの可愛いニーナが」も「育て方を間違えたかもしれない」も今はなしだ。見ないことにしといてやれ。ジェズイットはこっそりリンに耳打ちした。
「クピト、リュウはどこに連れて行かれてしまったの?」
「わかりません。ただ、まだ遠くへは行っていないはず。彼はもう一度現れるでしょう、そこのアジーンを殺しに来るはずだ」
「それまでにリュウになにかあったら、どうするの? リュウ、ひどい怪我をしてるのよ」
「まだ殺しはしないでしょう。おそらく、アジーンを誘き寄せるのが目的だと思います。ドラゴンもいない、剣も持たない、加えて制御装置で半分封印されている二代目なんて、それ以外ほとんど何の役にも立たないでしょうし」
「……おまえ、結構言ってることひどいぞ、クピト」
「事実です。彼は万能じゃない」
「でもリュウは優しいわ」
ニーナは言った。
「優しいだけでどこが駄目なの? リュウは今頃あのひとに苛められて泣いてるかもしれない。リュウなら、泣いてる人を見たら絶対にほっとかないわ。だから、わたしも待ってるだけなんてイヤなの」
「ならどうするんです?」
クピトに訊かれて、ニーナはうつむいて、アジーン、今は『ボッシュ』と呼ばれる少年の姿をしたドラゴンの髪を、ゆるやかに撫で付けた。
「起きて、もうひとりのリュウ。アジーン? どっちでもいいわ。ねえ、ほんとはもう起きてるんでしょう? わたしにはわかるの」
『ボッシュ』は返事をしなかったが、ニーナは続けた。
「大事なわたしたちのリュウ、助けたいんでしょう? わたしもよ。助けるわ。だからわたしも連れてって」
ニーナは優しい声で、その少年に訊いた。
「リュウは今どこにいるの?」
『俺は『ボッシュ』だ、ニーナ』
急にぱっちりと目を開いて、『ボッシュ』がそう答えた。
『あいつ地上にはいないよ。共鳴がない。あの邪魔っけな制御装置のせいで、相棒がどこにいるのかはわかんないけど、チェトレのバカならなんとなくわかるんだよ。地上か地下か、そのくらいのことだけどな』
ボッシュは起き上がって、ううん、と伸びをした。
先ほどまで黒焦げの炭だった腕が、もう復元している。
『旧世界のシェルターなんて、この辺にごろごろしてるよ。見付けるのは難しいね』
「十分よ。そのうち出てくるわ。ごはん、食べなきゃならないもの」
『モグラ叩きってやつだね。いいよ、嫌いじゃない』
ボッシュは皮肉に顔を歪めて、にやっとした。
ニーナもうっすらと微笑んだ。
「どこにいるのかしらね?」
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