がちっ、と剣の先が擦れ合った。
 『ボッシュ』は剣先を流して、その男の喉を貫こうとした。
 だが、ばん、とガラスのテーブルを両手のひらで思いきり叩くような音がして、弾かれた。
 アブソリュードディフェンスだ。
『……?』
 ボッシュは怪訝に顔を顰めた。
 チェトレにしてはその強大な力の共鳴が不充分だ。
 先日やりあった時に感じたものより、幾分か小さい。
 ばちん、とまた剣を合わせて、『ボッシュ』はその男と睨み合った。
『リュウ、返せよ……!』
「あんなすぐ壊れる玩具、オマエいらないだろ? ドラゴンはドラゴンと遊んでればいい」
『うるさいな。オマエこそ、こないだより弱くなってるじゃん』
 『ボッシュ』はちっと舌打ちをして、剣を振るった。
『チェトレはどこだ?』
「ここにいるさ、なあ」
 にやにやと男は笑って、ざっと腕を広げた。
 彼の背後に、夜の暗がりをぎゅっと濃縮したような竜の巨体が現れた。
 大きな翼を持ち、青い光を吐いている。
 真っ黒の身体には、幾筋も赤い血管が浮き出ていた。
 『ソレ』は男の身体に吸い込まれるように混じっていき、やがてひとつに融合した。
 竜をもとに体皮は硬くなり、角が、爪が、翼がその男の身体を突き破り、生まれてきた。
「……これで満足?」
『さあ?』
 ドラゴナイズド・フォームとなって目の前に現れた敵に、『ボッシュ』はざわっと全身を震わせた。
 どくん、と心臓が高鳴った。
 鼓動が早まり、少しずつ身体が変わる。
 髪は銀へ、赤い角、鋭い爪、硬い鱗。本来の姿により近いものへと変化していく。
 同じく本性を現した『ボッシュ』と、その男の腕が交錯した。
 赤と青の炎が眩しく震えた。
 純粋な力がぶつかり合って、夜の森の中に衝撃がはしった。






◇◆◇◆◇






――――リュウ!」
 ジェズイットはその名を呼んで、水辺で横たわっている見慣れた姿に駆け寄った。
 リュウの意識は無いようだった。
 力無く四肢を投げ出している。
「おい、大丈夫か、おまえ……」
 抱き起こしてやって、ジェズイットはそこではっと気がついた。
 リュウはひどい有様だった。
 コートはあちこち泥と血でべとべとになって、ほつれていた。
 アンダーに至ってはぼろぼろで、ほとんど身体を覆う役割を果たしていない。
「……こいつは……」
 コートを乱暴に広げて、ジェズイットはそれを確認した。
 まず、血が固まってコートと肌がくっついている肩の傷。
 なにか鋭利な刃物で突き刺したようなもの。
 身体は傷だらけだった。
 爪と歯で散々嬲られたような痕だ。
 そして最も正視に耐えないのが、下半身だった。
 手酷く犯された陵辱のしるしが生々しく残っていた。
 リュウの身体は熱かった。
 熱を出しているようだ。
 その症状を観察して、どうやら薬物によるものだと彼は感付いた。
 それも間違いなく、合法のものではない。
「くそっ」
 舌打ちをして、ジェズイットはリュウのコートの前を合わて抱き上げた。
 今はとにかく、メディカルセンターに連れて行かなければなるまい。
 ふいにリュウの瞼が震えた。
 人の気配で、彼が目を覚ましたらしい。
「……リュウ?」
「あ、あれ? あ、ジェズイット。おはよう……」
「……おはようっておまえなあ」
 ジェズイットは正直脱力してしまって、リュウを取り落としそうになった。
 この状態で「おはよう」ときた。
 リュウはやはり余程のバカか、それとももしかしたらものすごい大物なのかもしれない。
「……あ……」
 リュウはやっと自分の身体の惨状に気がついたようで、顔を真っ青にした。
「お、おれ……」
「なんにも言わなくていい。とりあえずメディカルセンターだ」
「……さ、触っちゃだめだよ、ジェズイット」
 リュウは、俯いてふるふると首を振った。
「おれ、汚いよ……」
「汚いことがあるかよ。そりゃむしろ、おまえさんをそんなにした奴の方だ」
「と、とにかく下ろして。立てるし、歩けるから」
「膝笑ってるぞ」
「いいから……!」
 リュウはちょっと焦ったように言って、ばたばたともがいた。
「は、離して……っ」
 ぎゅうっと目を瞑って、リュウはかすれ声で言った。
「や、やだ、駄目だ。触っちゃまた、変な、感じが……」
「…………」
 リュウはぴくっと震えて、熱の篭った吐息をついた。
 毒にやられているせいだろうか?
 艶っぽい種類のそういうものだ。
 リュウはその状態の言い訳でもするように、おれ、変なんだよ、と呟いた。
「きっと、最悪に汚いよ。変なんだ、おかしくなっちゃ……うう」
 リュウは、あんまりに恥ずかしくて情けないのを殊更恥じ入っている顔で、泣きそうに眉を顰めた。
「もうやだ……」
「うわー……」
 ジェズイットの喉から、呆れたような、いや感心したような声が勝手に漏れた。
 あの潔癖症のリュウが、まさかこんな姿を晒して、こんな仕草をするなど想像もつかなかった。
 まあ状況はどうあれ、こういう姿も悪くない。
 貞操とかは、あまり気にしない方だ。と思う。大体リュウは男なのだが。
「……また、汚いから近寄るなって……置いていかれるう……」
 ぐすぐすと、リュウは子供みたいに泣き出してしまっていた。
 きっと見知った人間の顔を見たせいで、安心して気が抜けてしまったのだろう。
「……可哀想にな」
 なら歳相応の対応をしてやらなきゃならん、とジェズイットはリュウの頭を撫でてやった。
 こういうのはあまり性には合わなかった。
 男ならもっとしっかりしやがれ、と尻をひっぱたいてやるほうが似合っている。
 それもこれも、リュウだ。
(こいつ、ホントにどーしようもないくらいガキなんだよな……)
 ローディーからハイディーに、でもそれでリュウが変わるかと言ったらそうでもない。
 どっちにしろどうしようもない。
 自分の身体に無頓着で、人のためには強くしっかり立っていられても、守るものがなければまったくの駄目な人間だった。
 空を開けたのだって、ニーナのためだ。
 リュウが自分のために何かやってるところを、ジェズイットは見たことがない。
(そーいうのに力ずくで、ってのは、あんまり感心しないなあ)
 自分が先日やろうとしたことを棚に上げて、ジェズイットは思った。
(若いってことかね)
 セントラルで遭ったあの黒ずくめを思い出して、やはり育てられ方が歪んでたんだなあれはと思いながら、ジェズイットは溜息を吐いた。
 とりあえず座り込んで、リュウを抱いたまま頭を撫でてやる。
 リュウは小さく丸くなって、ジェズイットの胸に縋りついて、声を殺して泣いていた。
 自分の置かれた状況が、許容範囲を超えてしまったのだろうな、という感じだった。
 殴られても罵倒されても笑いながら、へいきだよ、と言えるリュウだが、こういうことにはめっぽう潔癖症で、融通が利かないのだ。
「……お、れ……おれっ、自分、から……」
 リュウは震えていて、その先の言葉が続けられないようだった。
 うそだ、とか死にたい、とか小さな声でぼそぼそ吐いている。
 まあ彼の身体を蝕んでいる毒から察する所、なんとなく見当はついたが、黙っておいた。
(畜生、なんて羨ましいことを)
 またこれ以上リュウを泣かせるだろうと思われたので、それは口にはしなかったが。
 ジェズイットは黙ってリュウを地面に寝かせた。
「……っ、うっ、うっ。な、なに……?」
 嗚咽を抑えようと努力はしているようで、リュウは途切れ途切れに言いながら顔を上げた。
 紅潮した頬でもって、涙で潤んだ上目遣いだ。凶悪極まりない。
(自覚とか……ないんだろーなー……)
 リュウ自身は知らないんだろうが(そしてだからこそそういうものを見せるのだろうが)それは正直なところ、かなりくるものだった。
 だが精一杯の努力をもって、注意深くジェズイットはなんでもない顔を作った。
 ここで泣き喚かれては、そばにニーナがいる。
 聞き付けて駆け付けて、絶対ぶっ殺されるだろう。あまり歓迎できない。
 いや、べつにやましいことをするつもりではないのだが。
「リュウ。身体、見せてみろ。そのままメディカルセンター行きなんて嫌だろう」
「……や、やだ……」
 リュウは更に青ざめながら、ぶんぶんと首を振った。
「こんなの、みんなに見られるくらいなら、死にたい、死ぬ」
「そういうことを簡単に口に出すんじゃねえよ。オリジンだろ」
「だ、だって」
 ぐっと喉を詰めたようなリュウのコートをまたはだけて、ジェズイットはその無数の痣を観察した。
「……うう、みないで、あんまり……」
「恥ずかしがってる場合か。とりあえず、血とその下品な汁くらいは流しておいたほうが良さそうだな」
 ぎゅう、と目を瞑っているリュウの身体に触ると、小さく震えてびくっとなる。
 猫の鳴き声を極端に押さえ込んだみたいな音が、リュウの喉から漏れた。
「はぁ……っ」
(……可愛いねえ、こいつ……)
 もうほとんど呆れるくらいに可愛い。
 確かに苛めてやりたくなるわけだ。
 ほんとに、なんだか目覚めてしまいそうだ。
 いや、もう目覚めてるんだろうか、これは?
 男相手に、なんだこの感覚は。
 微妙な心地でジェズイットは苦い顔をした。
 ほんとにこいつが女なら、どれだけ惚れてたことだろう。
 今もちょっとぎりぎりだけど。
「痛いか?」
「んん……へい、き。でも、あんまり、さわらないで……っ、また……へんに、なりそう」
「変?」
「おれ……おれ、へんなんだよ……」
 リュウは、ぐしゅ、とガキみたいに鼻を啜って、あれ誰なの、と聞いた。
「知って、るんだろ? 彼を見て指差して、あいつかって顔してた。ジェズイット」
「……ああ、あの男か」
「あのひと、だれ? おれへんだよ、なんで、こんな気持ち悪いことばっかりされてるのに、汚いことばっかりで、大嫌いなんだ。でもなんでおれ、こんなにほっとしてるんだろう?」
 リュウは混乱していた。
 困惑と不安で顔面をいっぱいにしていた。
「……なんであのひとの背中を見て、こんなに安心してるんだろう……?」
 リュウは開いた目からぼろぼろ涙を零しながら、虚ろに声を揺らした。
「ひどくされて……でもおれのほうがずっとひどい。あのひと、家族をおれに殺されたって、おれが憎いって、1000年ずうっと憎み続けてやるって言って、でも助けてくれた。なんで?」
 リュウは両手で顔を覆った。
 彼の手を拘束している制御装置が擦れ、じゃらっと鳴った。
「こんなに汚いのに、なんでおれ、気持ちいいなんて思うの?」
 リュウはしばらく泣いていた。
 やがて静かに呟いた。
「……おれもう、死んだほうがいいかなあ……?」
「……馬鹿野郎が」
 リュウをこれ以上喋らせてやりたくなかった。
 ジェズイットはリュウの腕を、彼の頭の上でひとつに纏めて地面に押し付けた。
 びくっと震えたリュウの胸に、いつかそうしたように、口付けてやった。
 リュウは呆然としたままだった。
――――!!」
 ふっと強烈で、凶悪な圧迫感を感じた。
 背後だ。
 まるで空を目指したころの二代目オリジン、今ジェズイットの下でめそめそやっているリュウを初めて見た時のような、圧倒的な力、その存在感。
 ジェズイットは、ばっと後ろを振り向いた。
 そこには、そのままの彼がいた。
 オリジンとなった二年前と変わらない姿のままのリュウ。
 目を閉じて、木の幹にもたれかかり、座っていた。静かに。
 彼は、ゆっくり口を開いた。








『ジェズイット、なにをするの?』








 それは奇妙な声だった。
 音こそリュウのものだった。
 だが頭に直接響いて、空気を震わせない。
「……おまえさん、なんだ?」
 ジェズイットは戦慄しながら、リュウを後ろに回して、庇った。
 リュウのドラゴンはいない。
 あまつさえ丸腰、できることと言えば腰が抜けてしまって、がくがくに笑っている膝でキックくらい。
 超絶に役立たずな、そんなリュウだ。
 これはどうしようもない、守ってやらなきゃなるまい。
『それに手を出しちゃ駄目だよ、ボッシュのものだもの。きっとまたすごく怒るよ』
「ならもうちょっと大事に扱ってやれ。壊れちまうぞ」
『大丈夫。リュウはすごく丈夫だもの。あの変なアジーンとリンクしてまだ生きてるんだから、ボッシュとおんなじくらい丈夫だよ』
 『リュウ』の姿をして、そいつは言うのだった。
『ボッシュが言ったんだ。「アルターエゴ、オマエディクどもからリュウを守れ」……言うこと聞かなきゃ、ボッシュすぐ怒るんだもん』
「……俺、人間なんだけどな」
『人間もディクもどっちも同じだよ。だっておれ、』
 『リュウ』は、なにをへんなこと言ってるの、という感じで首を傾げた。
『ドラゴンだもん』













 
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