「ボッシュ?」
 リュウの、声がした。
 アジーンは怪訝に思って振り向いた。
 リュウ、どうしてここにいるのだろう?
『……リュウ?』
 暗く生い茂った木の間から、彼に心地良さといとおしさを与えてくれるリュウの顔が覗いた。
『リュウ、無事か?』
「……なんでオマエが出て来るわけ。ちゃんとねむりキノコで寝かし付けてやったのに」
 憮然とした声で、金色のドラゴンは面白くなさそうに『彼』を睨み付けた。
「監督不行き届きだ、アルター・エゴ」
『ゴメンね、ボッシュ。ホラこの通り』
 片手を胸の前できゅっと持ち上げて、「ゴメン」の仕草を作って、二人目のリュウが茂みから顔を出した。
 そして場に不似合いな底抜けの明るさで、あはは、と笑った。
『おれ、ローディーなんだもん』
「開き直るなよ。そんな設定してねえぞ」
『あれ? リュウってこんな子じゃなかったっけ、いつも笑ってるの』
「四六時中馬鹿笑いしてる奴ではなかった」
 驚いたのは、リンとニーナだ。
 彼女らはドラゴンと相対している怖れも忘れて、ぽかんと口を開けて目を丸くしている。
「リュ、リュウがふたりいる」
「どういうことだい、これ?!」
『やあニーナ、リン。この前は殺してくれてありがとう。おれから空を奪ってくれてありがとう。おかげでうちのボッシュ、大変なんだ。リュウを盗られた上に仲間はずれにされて拗ねちゃって、子供なんだから』
 『リュウ』はそう言って、ずうっと目を瞑ったままだ。
 そうして、彼はレンジャーエッジをリュウの首筋へと向けた。
『アジーン、動かないで。リュウ刺しちゃうよ。ちょっと話を聞いてよ』
『リュウッ!!』
 アジーンは足を踏み出し掛けて、ざっと踏み止まった。
 『リュウ』のエッジが、リュウの首の皮を切り裂いたのだ。
 血が流れた。
 だが、リュウ本人には気にしている様子がまったくない。
 ふいに、がさがさと茂みが鳴った。
 現れたのはジェズイットだ。彼は「お手上げ」の仕草をして、『リュウ』を見た。
「おいボッシュ君たち、この強烈なハーレムはいいんだが、この『リュウ』ちょっと性格設定間違ってるぞ。二代目はもっと可愛い」
「可愛いってなにジェズイット。……頼むからへんなこと言わないでよ、ここにはニーナもいるのに」
 最後のほうは小声で言って、じとっとリュウはジェズイットを睨み付けた。
 その目は少し濡れてはいるけれど毅然として、頬の赤さも暗闇ではわからない。
 ニーナにあの醜態を見せる訳にはいかない、と神経を張詰めているのだろう。
「『ボッシュ』、だいじょうぶ?」
『……あ、ああ、リュウ……』
 アジーンは、慌てて『ボッシュ』の姿を取り繕った。
 いつもの姿に戻り、なにリュウ、と呼び掛けた。
『心配してくれんの?』
「……うん、あのね、『ボッシュ』……」
 リュウは、困ったように俯いた。
「みんな、変なこと言うんだ。『ボッシュ』はボッシュじゃないって、ねえ『ボッシュ』、そこにいるよね?」
『ああ、ここにいるよ』
「……おれを置いてかないよね、もう、あんな、ことは……」
 リュウはまっすぐにぴんと立っていた。
 おそらく、ニーナに心配を掛けまいとしているのだろう。
 だがその声は震えていた。
「……はやく連れてって」
 リュウの声は、ひどく乾いていた。
 まるで干乾びた死体のような、生気のないものだった。
「おれが迷わないように、手を引いて、繋いで、前を歩いてよ。助けてよ。おれのことディクみたいに見ないでよ。あんな目で、もう……」
 まずい。アジーンは舌打ちした。
 リュウを傷付ける思い出を、あまり意識しないように記憶の流れを少し弄ってやっていたのが、『リュウ』がなにかしたようだ。
 同じ種類のドラゴンの気配を感じるそいつを睨んでやると、ふいっとすっとぼけた顔をして目を逸らした。
「いつもみたいに、邪魔だから下がってろって、背中に回して守ってよ。地下に閉じ込めて。隊長も友達もエリュオンさんたちもみんないる。この世界は、おれなんかいらないって言ってる。そうだろう?」
 リュウは俯いて、ほとんど独白めいたそれを、『ボッシュ』に向けた。
「おれを、ローディーにしてよ……。じゃないとおれ、おれ、は……自分のこと、殺したいくらい、許せなくなっちゃう。きみの、敵を」
 リュウは顔を上げた。
「そのひと、『ボッシュ』の敵なのに」
 その顔には、場違いな笑顔が浮かんでいた。
 優しく、少し困ったような、リュウの笑顔だ。
「きみの敵なのに……おれは、そのひとがいるとすごく安心する」
 リュウは、アジーンと同じくクールダウンして、黒ずくめに戻っている男のほうをゆっくりと見遣って、ゆるゆると頭を振った。
「背中を見ているとほっとするんだ。まるで、ずうっと昔からおれのこと守ってくれてたみたいに。ひどいことばっかりされてるのに、なんでだろう」
 リュウは眉を下げて、泣き笑いみたいな顔を作った。
「すごく懐かしい。なんだろう、会えて嬉しいとか……ゴメンとか、いろいろ浮かぶんだ。あと、これは言わなきゃならないことだっていうのがあるんだ」
 リュウはその男をまっすぐに見て、静かに告げた。
――――おれを殺して」
「リュウっ?!」
 ニーナが悲鳴を上げたが、リュウはまた首を振った。
 まるで死刑台に上がった死刑囚みたいな、しょうがないよ、といった感じ。
「おれは、きみに殺してもらわなきゃならないような気がする。それも一番ひどいやりかたで……ずうっとそうだったような気がする。この二年、ずっとそう思ってたような気がする。どうして?」
 男は答えなかった。
 リュウは『ボッシュ』に振り返って、だからボッシュ、お願いだよ、と言った。
「はやく、連れてって……。このままじゃ、おれはおれじゃなくなる。きみに手を引いてもらえなくなってしまう。おれは、おれが殺したきみに食われて、きみをもう一度世界に生まれさせなきゃならないのに」
『リュウ、じゃあ、おいでよ?』
 アジーンはリュウに手を差し伸べた。
『オマエは、俺をひとりにしないよな?』
「うん、しない」
『ずーっと、俺の言うこと聞いてるよな』
「うん、なんでも。そうすればおれのこと、好きになってくれるだろ、ボッシュ?」
『大好きだよ、リュウ』
 アジーンは、に、と笑った。
 だが、その顔はすぐに強張った。
 『リュウ』が、リュウの肩に剣を振り下ろしたのだ。
 肉の切れる音が生々しく響いて、鮮血が飛び散った。
『リュウううっ!!』
 アジーンは叫んだ。
 リュウは悲鳴もなくゆっくりと膝をつき、空を見上げた。
 夜空を、月のない真っ暗がりの空を。
「チェトレ、この馬鹿! そいつに傷はつけるなって言っただろうが!」
『ボッシュだってすごくつけてたじゃないか』
 ぷう、と頬を膨らませて、『リュウ』の姿をしたチェトレ、ボッシュのアルター・エゴはリュウの眉間に剣を突き付けた。
『目を覚まして。じゃなきゃ、今すぐ「判定」しなきゃならない』
「はん、てい?」
 失血が過ぎたようだ。
 リュウは薄くなっている視界のなかで、昔の自分と同じ姿をしたものの顔を見た。
 その少年は、目を開いた。
 その場にいたものたちが、その黒ずくめを除いて、息を呑んだ。
 『リュウ』の目は、暗い空洞だった。
 その眼窩のくぼみの奥深くに、赤い光が瞬いていた。
『おれは世界の判定者を判定するためにここにいるんだ。空は開かれて正しかったか、チェトレはアジーンを判定するプログラムなんだ』
「……アジーン?」
『アジーンったら、おかしいよ。誤作動起こしてるんじゃないかな、ちょっと、もう。世界より空よりリンク者が大事なのか?』
 『リュウ』は、もう、という顔をした。
『だから判定者、オリジン、リュウ=1/4。目を開いて、正しい目で見て。くもりない目で、判定を。じゃなきゃチェトレは、空閉じちゃうよ』
 リュウと『リュウ』の額が、こつん、と合わされた。
 限りなくリンクに近い共鳴が、リュウの魂の底深くまで、鳴り響いた。
 次の瞬間、目の前にはもう『ボッシュ』はいなかった。
 『リュウ』も、ニーナもリンもジェズイットも、誰もいなくなってリュウは暗がりの中でひとり立ち尽くしていた。









◇◆◇◆◇









「ここ、は?」
 おれまた死んだのか、とリュウは思ったが、そうでもないようだ。
 五体の感触が完全に残っている。
 さっきまでと同じ姿だ。
 オリジンのコート、ぼろぼろのアンダーが身体に引っ掛かっている。








 そうしていると、赤いひかりが見えた。
 リュウには、その感触に覚えがあった。
 暗がりの中、リュウは光へ向かって歩き出した。
 そう、あの時もこんな感じでぼろぼろの身体だった。
 確か、リフトから地底に落下したのだった。
 リンに撃たれて、ニーナが閉じ込められたコンテナと一緒に。
 青い闇が、まわりにあった。
「アジーン?」
 リュウは、共にあるドラゴンの名を呼んだ。
 答えはなく、そのかわりに目の前の風景が変わった。








 
 部屋の中にいた。
 そこは確か、レンジャールームだった。
 目の前に、『ボッシュ』がいた。
 その隣には『リュウ』がいた。
 彼らは仲良くベッドに並んで座って、『ボッシュ』は面倒そうに柱に肘をついて、『リュウ』はにこにこと目を閉じたまま微笑んでいた。
『ようこそ、リュウ・……ていうか、今は帰っていいよ。勝手にひとの中に入ってきた馬鹿がいるから』
『ここは竜の世界だよ。帰っちゃ駄目、きみに見せてあげる。ねえ、アジーン?』
「……アジーン?」
 リュウは変なことを聞いて、訊き返した。
 『ボッシュ』はそっぽを向き、『リュウ』は、そう、アジーン、と頷いた。
『フェアじゃないだろー? 駄目だよ、あんまりリンク者の頭の中弄っちゃあ。ボッシュ、怒るよ。きっとさ、俺たちの父さんも生きてたらすごく怒るよー』
「どういうことなの? 弄るって……おれの記憶?」
『そう、リュウ』
「なにを?! おれの思い出、なにか弄ったの?!」
『……オマエの思い出はなんにも手をつけてない。心も。語弊があるんだよ、馬鹿チェトレ』
「チェ、チェトレ?!」
 リュウは目を剥いて、身体を硬直させた。
 倒したんじゃなかったのか!?
 リュウは数年前の自分と同じ姿をしているものを凝視した。
 だが、一向にあの黒いドラゴンには見えない。
『これじゃおれたちのプログラムに反してるもの。全部知った上で選ぶんなら、おれもなんにも言わないけどさあ』
『嘘つけ。全力で俺様に歯向かう気だろ、負け犬』
『あはは、まあねえ。でも負け犬じゃないよ、こないだ一回勝ったよ!』
『セントラルのアレか……あれはまぐれ勝ちだ』
『まぐれじゃないよー!』
「あのー……」
 リュウはおずおずと声を掛けた。
 どうも目の前にあるのは、あの巨大なドラゴンのアジーンとチェトレにはどうしても見えないのだ。
 どう見ても、それは二年前までの、サードレンジャーで相棒同士の、リュウとボッシュだった。
 リュウはボッシュにこんなふうに、強気な発言なんて絶対できなかったけれど。
「それで、なにを見せてくれるの」
『ああ、えーと、それねえ……』
『……見たくないなら、別にいいんだよ、相棒』
『もうアジーン、リンク者に甘過ぎー! 駄目だよ、ドラゴンなんだから体くらい食い破るくらいの気負いがなきゃ』
『食ってやる気は満々だぞ』
「ええっと、あの」
 リュウは口を挟むのが、なんだか嫌になってきた。
 こんなふうに、ボッシュとリュウが普通に、友達みたいに喋っている。
 それがドラゴンだという。
 悪い夢であって欲しい気分だった。
『ほら、あれだよー』
 『リュウ』が、にっこりと微笑んで、リュウの顔を見た。
 そしてとっておきの秘密を話すみたいに、ちょっと得意げな顔をして、言った。
『ほんとうにあった話さ』















 
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