おれはリュウ=1/8192。ローディーだ。
 下層区でレンジャーをやってる。
 どんなに頑張ってもサード止まりだって基地のみんなには良く馬鹿にされるけど、別に偉くなりたいわけじゃないし、それでいいと思う。
 街のひとたちはいつもありがとうって言ってくれるし、彼らはおれが子供の頃からおれのことを知っていたから、あの悪ガキがなあ、今は街を守ってるんだなあ、と感慨を込めて(……おれはそんなに悪いことをしてたっけ?)ごくろうさん、なんてねぎらってくれる。
 おれはそれが嬉しかったし、レンジャーの仕事が好きだった。
 おれは誇らしかった。
 子供のころから憧れていたヒーローの一員になれたことが。
 おれはまだまだひよっこで、万年落第生のおちこぼれだったけど、おれはレンジャーのひとりとして任務についているだけで、ちょっとでもかっこいい彼らみたいに見えるのだろうかなんて思って、ひとりで嬉しくなっていた。
 おれの相棒は、おれとは違ってすごい人だった。
 こんなところにいるべきじゃないくらい高いD値を持っていて、みんなに尊敬されていて、完璧で、非の打ち所がない。
 彼の名前はアジーン=1/64と言った。








「リューウ! オマエまあたミスしたろ!」
 アジーンがしょーがないなあって顔をして、おれの分の始末書を持ってきてくれた。
 おれは慌てて食事の手を止めて、顔を上げた。
「えっ、な、何? 何? おれ、またなんかやっちゃった?!」
「……やっちゃったみたい。いーよいーよ、メシ食ってからで」
 アジーンは呆れたように言って、おれの口にくっついていた食べかすを取ってくれた。
「おまえどんくさいから、一度にひとつのことしかできないんだよ。自覚しろよ」
「ん、ん」
 おれは頷いて、ハオチーのスープを慌てて掻き込んだ。
 案の定喉に詰まらせて、噎せてしまった。
 アジーンは「やっぱり」って顔をして、ゆっくりでいいよ、兄弟、と言って、背中をさすってくれた。
「ご、ごめんね、アジーン」
「ていうか今更」








 アジーンはおれの兄弟だ。
 おれとほんとに一緒の姿をしていて、でも目だけは綺麗な赤い色をしている。
 D値があんまり違うから一緒には暮らせないけど、でも今だけは一緒にいられるのだ。
 アジーンとおれは相棒だ。
 でもアジーンはすぐサードなんかより上に行っちゃうんだろうなあ、と思ってたんだけど、そう言うといつも彼は決まって言うのだった。
 だいじょうぶだよ、リュウ。いつでも一緒だ。俺とおまえを離そうとする奴なんか、誰もいないさ――――そう言われると、おれはアジーンとずうっと手を繋いでいくのだ、という気がした。
 おれはいつだったか、彼とそう約束したような気がした。
 思い出そうとするとひどい痛みが胸にくるので、あんまり考えないようにしている。
 おれがアジーンと手を繋いで歩いていると、ふっと顔を上げた先に幻覚が見える時がある。
 それはおれが大好きな背中だった。
 綺麗な金色の髪だった。
 顔は見えないが、薄いグリーンの目があるはずだ。
 ひどい安堵と、それから諦めが、おれを打つのだった。
 彼が振り向いた。
「……どーしたの、リュウ?」
「え……あ、ああ、なんでもないよ、アジーン」
 おれは慌てて笑って誤魔化した。
 振り向いたのは、いつものアジーンだった。
 青い髪、青いジャケット、全部おれと同じ。ただ目の色だけが違う。
 金色の頭も、緑の、ちょっと人を馬鹿にしたみたいな目もない。
「ねボケてんなよー」
「ねボケてないよー! アジーンはいつもそうなんだ、おれのこと子供扱いばっかりして!」
「俺の方がずうっと年上だもん。1000くらい。たまには、ちゃんと「お兄ちゃん」って呼んでくれよ」
「……1000って、それじゃおじいちゃんだよ」
「えー、ソレあんまり可愛くない呼び方じゃん……」
「……兄ちゃんって、呼んでほしいの?」
「……ちょっとだけ」
「しょうがないなあ、もうアジーンはあ」
 おれはくすくす笑いながら、変なところで兄さん風を吹かせたがるアジーンに、ちゃんと呼んであげた。
「……兄ちゃん。こ、こんなかんじ?」
「うんそう。すごく気分がいい感じ」
 アジーンは機嫌よくにこにこしている。
 まったく、どっちが子供なんだか。
 おれは笑い出しそうになるのを抑えて(多分笑ったら、アジーンは怒る)
「兄ちゃん、ぜったい兄ちゃんの方が子供だよ」
「なんだとコノヤロウ、ローディーのくせに! 俺のが年上!」
「精神年齢ならおれのが勝ってるよ!」
「まあたオマエは、そう無理して難しい言葉を使わなくっていいんだぞ? 馬鹿なんだから」
「……う。たしかに頭は良くないけど」
 おれたちはいつも手を繋いで歩く。
 それを変なふうに見られたことは一度もなかった。
 きっとおんなじ姿をしているから、兄弟だってことがすぐわかるからだと思う。
「兄ちゃん、手、繋ぐの好きだね」
「ああ、大好き。ていうか、はじめに繋ごうって言ったのオマエなんだぜ?」
「えー。そうだっけ?」
「そうだよ。オマエ、ずうっと手を離さないでって、アイツに言ってた」
「……アイツってだれ? 父さん?」
「ううん、まあいいんだけど」
「良くないよ、言い掛けて途中でやめないでよ。気になるよー」
 おれは口篭もったアジーンに口を尖らせて、大体ねえ、と言った。
「ぜったい兄ちゃんが先だよ、繋いでって。兄ちゃんすごい寂しがりじゃないか」
「良く言うよ。オマエ、夜ひとりでトイレも行けないくせに」
「い、行けるよ! もう!」
 おれは膨れた。
 アジーンはいつも、なんだかちょっとおれのことを馬鹿だと思ってるみたいに話をする。
 確かに馬鹿だけど……。
 そうしていると、基地が近づいてきた。
 おれは「兄ちゃん」から「アジーン」に呼び変えて、ねえ、と呼んだ。
「アジーン、今日はディク、出なかったね?」
「ずっと出ないよ。今日も明日も明後日も、ずっとずっとずっと」
「それじゃあレンジャーの仕事干されちゃうよ」
「だいじょうぶ、リュウ。なんにも心配しなくていいよ」
 だから手を繋いでいて、とアジーンは言った。
 おれは呆れてしまった。
「やっぱりアジーンのが子供だよ」
「そーかな」
「そうそう」
 おれたちはくすくす笑い合って、ふざけ合った。
「ほんとにもう、いつもいつもおれのこと、子供扱いして……お荷物とかローディーとか、役立たずとか、そんな、こと、ばっかり……」
 ふいに、何の予告もなく、おれの目から涙が零れた。
「あ、あれ?」
「リュ、リュウ?」
 アジーンはすごく焦った顔をして、大丈夫か、と言った。
「どこか痛いか? リュウ、どうした?」
「な、なんでもないよ。アジーン、心配性……」
 おれは笑おうとした。
 でもうまく笑えない。
 なにか、一番大事なものを自分の中へ押し込めて、鍵を掛けて沈めてしまったような、そんな取り返しのつかない寂しさが込み上げてきた。
「なんだろ、おかしいなあ」
 おれはアジーンを心配させないように、ことさら何でもないように言おうとした。
 でも声は震えてしまった。
 アジーンはおれをぎゅうっと抱き締めて、戸惑いながら、泣かないでリュウ、と言った。
 おれはアジーンにぎゅっと抱き付きながら、しばらくそうしていた。
「……アジーン、にい、ちゃん……」
「なに、リュウ?」
「て、つないでて……」
 アジーンはすぐにそうしてくれた。
「……リュウ、さみしい?」
 おれは首を振った。
 アジーンがいる。寂しいことなんて、なんにもないはずだ。
 怖いことも、なんにもない。
 アジーンが背中に回して、守ってくれる。
 なのに、なんでおれは泣くのだろう?
 一番大事な感情を諦めてしまったような虚しさがずうっとあるのだろう?
 おれにはわからない。
「リュウ、かわいそうに……」
 アジーンが、おれの頭を撫でてくれていた。
 おれは幸せだ。
 そのはずだ。
 もうそのまま死んでもいいくらいに幸せなことがあったはずだ。
 おれがそれより多くのことを求めるのは、少し欲が深すぎる。そう思うのだ。
 でもその思い出は、なんにもおれの中にない。
 おれはこの下層区で生まれ、この街しか、この空の絵が描かれた下層の天井しか知らない。
 なのにこの感情はなんだろう?
 きみに空を。おれは、それがとてもうれしい。これは、なに?
「リュウ……ゴメン、リュウ」
 アジーンはなんでだかおれに謝った。
 おれはわからなかったから、なんで謝るの、と訊いた。
 アジーンは答えてくれなかった。
 ただぎゅうっとおれを抱き締める腕に力が篭った。

 











 
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