「こら、ジョー! トマスもマイケルもみんな、病院で騒いじゃだめ! あたまがいたいひとだっているのよ」
病院の廊下でメンバーごっこをする子供たちに、ニーナは雷を落とした。
「しずかにしなさい! でなきゃ、メコムなんだから」
「しっ、しずかにするよお」
「いま、しようと思ってたんだよ」
「なあ?」
三人の少年たちは、顔を見合わせて頷いた。
もう、とニーナは腰に手を当てて、しょうがない子たちね、と言った。
「おとなしくカードであそびましょ?」
『はあい』
今日もいい天気だった。
真っ青な空が窓の外にある。
ニーナは自ら申し出て、判定者としてメディカルセンターの管理を任せてもらっている。
バイオ公社被検体出身のニーナにしてみれば、それはラボでの恐ろしく、おぞましい記憶を呼び覚ますものだった。
だが、だからこその仕事だ、とニーナは思っていた。
汚く残酷な、隠された裏面をニーナは知っている。
彼女はそれを見付けることができる。
見て見ぬふりをするかしないか。それを判定すること。それがニーナにできる仕事だ。
少なくとも、わたしにはそんなもの知ったこっちゃない、と空ばかり見ているより、こうしてラボに似たセンターで働きながら少しずつ中から汚いものを吐き出させるほうが、ニーナは綺麗だと思った。
ニーナを救ってくれた「あのひと」ならそうするだろう。
「それにしても、ほんとうにいい天気ねえ」
ニーナはメディカルセンターの窓を開けて、空を見上げた。
どこまでも遠く高く、空の色はとても明るかった。
ニーナは後ろで、暴れ回りたくて仕方がないという顔をしながらカード遊びに興じている子供たちに振り返り、
「いい天気よ。メンバーごっこは外でしなさい」
「え、いいの?」
「プラントに突っ込むのはなし。原っぱもきっともういっぱいに花が咲いているわ。メアリ、お花は好き?」
「大好きよ、ニーナお姉ちゃん!」
黒い髪の可愛らしい女の子が、にこっと嬉しそうに微笑んで頷いた。
「じゃあ外に出ましょう。午後の診療にはまだ時間があるし、わたしも一緒に行っていい?」
「ニーナお姉ちゃん、オリジンの役する?」
「そうねえ」
ニーナはくすくす笑いながら、緩く首を振った。
「わたしは判定者ニーナ。オリジンはできないわ。きっと「泣き虫リュウ」が拗ねちゃう。ジョーがいいんじゃない?」
「え、いいの?」
「ええ」
ニーナはにっこりして、ねえメアリ?と呼び掛けた。
「お花を摘むんでしょう? 花飾りのつくりかた、あとでわたしに教えてくれないかしら」
「いいわよ、お姉ちゃん。リュウに持っていくの?」
「ええ、エリーナにも」
「うん。めいっぱい綺麗なの、教えてあげる!」
メアリはぱあっと顔を輝かせて、頷いた。
彼女は、あまり激しい運動には向いていないのだ。
メディカルセンターを出て、二ーナは子供たちと野原へ向かった。
空を見上げて、ニーナは歩いた。
背中の翼も、今日はいつもよりも軽く感じた。
エリーナが羨ましがった、そしてリュウとの思い出がいっぱいに詰まった、ニーナのお気に入りの羽根が。
てきとうに作った歌を、子供たちとそれぞれちぐはぐに合唱しながら、ニーナは空に向かって、そこにいるはずの大事な人達ににっこり笑いかけた。
(ほんとうにいい天気ね、リュウ。エリーナも、そこにいる?)
光はまぶしく、あたたかかった。
地上の街でそうして時間は穏やかに流れ、昼下がりのひとときはゆるやかに過ぎていった。
◇◆◇◆◇
「リーン。もう勘弁してくれてもいいんじゃないかなー」
「あんたは毎回毎回ぜんっぜん反省の色が見えないねえ。もうそのままそこで骨でもなんでも埋めな」
「いやホラ、なあリン。白状しちまうと、俺の手は磁石なんだ。そんで可愛らしい女の子のお尻はさ、実はあれ、柔らかい鉄でできてるんだよ。吸い付いちゃってもそりゃあ俺のせいじゃない」
「……あんたはほんとに一回死んだほうがいいねえ」
「ちぇー、リン、尻はいいんだが、ちょっと頭が固いぞ」
飄々とした顔で、ジェズイットはブーイングした。
彼がいるのは、旧中央省庁区の拘置室である。
リンは、はあっと溜息をついて額を押さえた。
「ちょっと今月に入ってからの痴漢件数の増加はどういうことだい?いい歳なんだから、もう冗談で済ませられないよ。ていうか犯罪だよ。新聞で、メンバーが痴漢罪で捕まったなんて情けない報道されたらどうするつもりなんだい?」
「……後悔は、ない。そうだろう?」
「……言いたいことはそれだけかい」
リンは俯いて、怒りにぶるぶる震え出した。
まずいかな、とジェズイットは考えた。
これはキツーイのを一発、食らわされる覚悟はしておいた方がいいかもしれない。
「……あんたいくつだい」
「年齢不祥」
「いい大人だろう?」
「子供にはこの楽しみはわからんだろうなあ」
「大人ならもうちょっと、自制と理性と常識の均衡ってものがあるだろう? あんたは本物の馬鹿かい。どうしようもないね。大体生え際やばいよ。そんなツンツンに立てちゃってさ」
「オイオイ、リン、そりゃないだろ!」
「ああもう、また二三日そこで頭を冷やしてな。メシは抜きだよ」
「リ、リンー! メシ抜きは勘弁! 今はほら、「もうこんなことしちゃ駄目なんだからね」って言いながら差し入れ持ってきてくれる可愛くて優しいオリジンとかがいないんだからさあ!」
「……たしかにあいつは、そんなたまじゃないね……」
「だろ?! 代行に優しさは期待できねーよ! 大体可愛くないし口悪いし」
「まあこれに懲りたら、痴漢罪が激減することを祈ってるよ。じゃあね」
「ぐあっ、オイオイ! 待てってリン!」
空気圧を利用してドアが閉じて、リンは出て行ってしまった。
ジェズイットは拘置室の中にひとりで取り残された。
仮にも中央省庁区にあるものだ、そこはなかなかに快適だったが、やることと言えば居眠りくらいで退屈極まりない。
「……あーあー……」
背中を壁にもたれさせて、ジェズイットは溜息をついた。
区切られた隣の拘置室は空っぽで、誰もいない。
信じられないことに御印入りのバックルを投げつけてくるようなオリジンも、もういない。
「リュウー……。くそっ、おまえの眩しい笑顔が目に浮かぶようだぜ……」
ぐうう、とジェズイットの腹が鳴った。
「今だけひょっこり帰ってきて……メシとか、差入れてくんねーかなー……駄目かなやっぱり」
今となっては食料の補給は期待できない以上、リンのお情けに期待するしかないようだ。
それは絶望的だと、ジェズイットは理解していた。
はあ、とジェズイットは溜息と共にがくっと項垂れた。
世界には、穏やかな時間が流れていた。
竜はいない。
どこにもいない。
もう、地上は開け放たれ、空が静かにそこにあった。
人間たちだけが、彼らだけの力で、あがきながら毎日を生きていた。
そのさまは生命の光に輝いていた。
もう世界から零れてしまったオリジンたちが深く愛した、あるべき人々の姿がそこにあった。
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