今しがた執務室に大量の書類を抱えて運び込んだと思った矢先、クピトが怒りを浮かべて飛び出してきた。
「メベト! 代行を知りませんか?!」
廊下でばったりと顔を突き合わせたメベトは、ほんとうにもう、という顔をしているクピトに、ああなるほど、と納得した。
どうやらまたしても地上管理者が行方不明らしい。
「まったく、さっき連れ戻して来たと思ったらもういないんですから……今までのオリジン中最悪の記録ですよ。2分45秒! エリュオンの15分18秒、リュウの7分21秒を大きく引き離してる。代が進むごとにどんどん記録が更新されています。ほんとに今まででワーストの執務脱出記録です」
はああ、とクピトは溜息をついて頭を抱えた。
「……なんでオリジンってみんなこうなんだろう……」
「しかし彼は優秀だろう」
「ええ、まあ」
クピトは苦い顔をして、そこだけは、と頷いた。
「先代たちに見せてやりたいくらい、一応完璧です。ただものすごいエラソーですね。二代目の控えめで穏やかなところをちょっと分けてもらったら、ほんとに完璧なのに」
「お互い苦労するな、クピト」
「メベトはいいですよ。地上のメンバーを見てると、トリニティが常識人の塊に見えます。執政放り出して魚釣りに行くオリジン、性格最悪ですぐ行方不明になって、カフェでパフェ食べてるところを発見されるオリジン代行。しかも連れ戻しに行ってもおとなしく帰ってこない。痴漢罪で牢屋に入ってたり、友達と花摘みに出掛けたりしてほとんどメンバー不在。……ぼくもちょっと、そろそろメンバー辞めたくなってきますよ」
まだあどけないと言っても良い少年が、悟りきったような顔をして溜息を吐くさまがおかしい。
メベトは笑い出しそうになりながらも堪えて、心当たりは、と言った。
「またセメタリーじゃあないのかね」
「……一番厄介な場所ですね。礼拝の邪魔すると刺されますし」
「信仰が厚いことだ。まあ、いいんじゃないか。彼に顔を見せて貰うと、リュウ君も喜ぶだろう」
「まあ、そうですね」
クピトは、諦めきったように頷いた。
「じゃあメベト、手伝って下さい。今日中に目を通さなきゃならない資料が、山になってるんです」
「……しょうがないか」
そうして、彼らふたりで肩を竦めた。
◇◆◇◆◇
中央区のセメタリーは、街において一種の神聖な場所だった。
空を開き人々を解放したドラゴンの偶像が、街を守るように二体並んでいる。
礼拝堂からは空をのぞむことができる。
奥へと続くと、一般の人間は立ち入り禁止の区域に聖体安置室があった。
空のオリジンの遺骸が安置されている。文字通りの墓だ。
オリジン代行者ボッシュ=1/4は、IDカードを通して安置室に入った。
狭い部屋の中は花だらけで、必要以上に少女趣味だ。
これはニーナが暇さえあれば摘んできた花を持ち込むからで、捨てると彼女が怒るのでそのままになっている。
部屋の中心に据えられた棺の中には、リュウが眠っていた。
「……よお、相棒」
ボッシュは軽く手を上げて、返事などあるはずもなかったが、挨拶してやった。
リュウの胸の上には小さな花飾りが置かれていた。
割合器用にできている。
花はみずみずしくまだ生きていて、さっきまたニーナがここに来てたんだろうな、とボッシュは思った。
「くそ、厄介ごと押し付けやがって……この馬鹿」
棺の縁に腰掛けて、ボッシュはリュウの頭を小突いた。
その身体にはもう体温はなかった。
ただ、喉元に時折赤くうっすらと発光する模様が現れては消えて、ゆるやかな点滅を繰り返していた。
それはドラゴンたちの身体に浮き出る判別不可能の文字に良く似ていた。
メディカルセンターの医師団によると、もうこれは死んでるってことらしい。
ただ時間が止まったようになって、中途半端なぬくもりが身体に残っていた。
死んだくせに腐って土に還ることもなかった。
まるでまだ本当は生きていて、起きろよ寝坊だ遅刻だぞなんて言ってやったら、慌てて目を覚まして、ほんとにごめん今何時なんて言いそうな。
そんな。
「……リュウ」
ボッシュはリュウの頭にぽんと手を置いた。
オリジンのコートは新調された、綺麗なものだ。
アンダーも予備のものだ。リュウの部屋から引っ張り出して着せてやった。
「……やっぱ俺さ、今でもオマエが憎いよ」
ボッシュは、リュウに囁いてやった。
リュウの未来予想図は大外れだ。
たしか、おれがいなくなればボッシュはきっと笑えるようになる、だっけ?
「忘れてやりゃあしないよ」
記憶からすぐに消えてしまう、だっけ?
そんな馬鹿なことがあるはずない。
判定は済んだ。
だが、感情の渦はなにひとつ変わらないのだ。
どうやらチェトレは、ボッシュの精神も記憶も、そのどちらも操作はしていなかったらしい。
アジーンとは違って。
今でもボッシュは、つい先ほどのようにあの瞬間を思い出すことができる。
抱いた崩れ落ちた身体は軽かった。
細く、華奢だった。
確かに、死の病が何年も彼を蝕んでいた。
それでもまだ温かかったのだ。
ボッシュはまだ目の前にあるように思い起こすことができる。
最期の瞬間、無理をして作られたリュウの笑顔を。
安堵を。
彼の我侭を。
懇願を。
手を引いていて、ボッシュ。
背中で守って。
てをはなさないで。
「ばあか、泣き虫リュウ……」
そしてボッシュはリュウの不名誉なあだ名を呼んで、低く背中を屈めた。
「ほらリュウ。助けてって、言ってみろよ……」
リュウの唇に口付けた。
かさかさとした、乾いた感触がした。
そこには人のあたたかさなんてものはなかった。
「そしたら1000年、オマエの好きなように、オマエのことばっか考えてやるってのに。憎んでほしいならそうしてやるし、……愛してほしいなら、ほんとに、そうしてやる。手も繋いでやる。そのままひいて、どこにでも行ってやる。離さないで。この俺が? ったくほんとに馬鹿ローディー、身のほど知らず、どうしようもない」
リュウはもう先がないものだった。
未来を見る目も閉じられたまま、呼吸も心臓も止まっていた。
何をしても目を覚まさなかった。
死というかたちの、完全で圧倒的な眠りのまどろみの中にいた。
そして、誰もそこから彼を呼び起こすことはできない。
「……なあ、いい夢見てるか?」
リュウは安らかで、怖いものなど何にもないような顔をして寝ていた。
本当にあの夜から少しも変わらない姿で、表情で、何日も何週間も、何ヶ月もずうっと。
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