光が消えた後にあったのは、さっきまでリュウだった「もの」だった。
ボッシュの腕の中で力なく四肢を垂れていた。
その体温は急速に下がっていき、身体は泥のように重くなった。
ボッシュには、その感覚は馴染んだものだった。
人間が死ぬとこういうものになるのだということを、彼はレンジャーであったので、職業柄良く知っていた。
「……リュウ?」
ボッシュはリュウを呼び、ぴたぴたと頬を叩いてやった。
返事も、目を開けることもなかった。
もう共鳴もなかった。
ボッシュはばっと顔を上げて、チェトレを探した。
彼はまだそこにいた。
どうしたもんかな、という顔をして――――そして、その姿はさっきまでの『リュウ』のものではなく、ボッシュが過去そうであった姿をしていた。
それがふっと消えた。
まるで竜などはじめから世界のどこにもいなかったように、あっさりといなくなってしまった。
「チェトレ! 待て!」
チェトレは姿を見せなかった。
ただ一度、ボッシュの心臓が、ドラゴンに浸蝕された時にそうであったように、どくんと大きく鳴った。
リュウはもう息をしていなかった。
「リュウ?」
心臓の音も、聞こえなかった。
リュウはもう動かなくなって、ボッシュの腕の中にいた。
「……リュウ?」
ニーナが恐る恐るリュウを呼び、そしてボッシュへの警戒も放り出して駆け寄ってきて、リュウの腰に抱き付いた。
「リュウ、リュウ!」
呼んで呼んで、そうして彼女は泣き出した。
ひどくストレートな感情表現だ。
少なくとも、ボッシュにそれはできないものだった。
「……リュウ? ニーナ……」
「…………」
リンは真っ青になって震えていて、ジェズイットは無表情だった。
ボッシュはもう一度、ニーナに取り縋られているリュウを見た。
その顔は僅かに微笑んでいた。
安堵で満ちていた。
それは最期の瞬間に、ボッシュに向けられたものだった。
もう憎しみも憤りも怒りもいとおしさも、こっちを見ろよ、という子供っぽい自己主張も彼の中から消えていた。
彼はただ焦燥していた。
リュウが目を覚まさないことに。
その夜、世界からドラゴンが消えた。
◇◆◇◆◇
ニーナは泣いて泣いて泣いて、ある日すくっと立ち上がった。
ずうっと泣いてばかりもいられないと思ったのだろう。正しい判断だ。
リュウが夢に出てきた。
そうニーナは言っていた。
泣かないでって言った。ごめんって言った。
わたしが泣くとリュウは泣くから、泣かない。彼女はそう言った。
ボッシュの夢にリュウは出てこなかった。
少し不公平だと思ったが、それはまあいい。
ボッシュは別に彼の為に泣いてやっていないのだし。
二代目オリジンリュウの遺言に従い、ボッシュは自動的にオリジンの役割を押し付けられた。
あれの後釜なんて絶対嫌だと断ったが、なにせ人手不足なのだと半ば強引にそれが決まってしまった。
ただ条件付きだった。
期間は再び世界が竜を必要とし、リュウが1000年の眠りから目を覚ますか、それとも新しいオリジンが見つかるか、それまでだ。
それまでは、オリジン代行者。
それはほとんど一生この街でオリジンとして骨を埋めろと言われているに他ならない気がしたのだが。
なにせリュウはもう死んでいた。
そして、日々は忙しく過ぎていった。
歴代オリジンの墓が作られた。
リュウの寝室が造られ、エリュオンの遺品が飾られた。
空を開いたオリジンのドラゴンたち、アジーンとチェトレの彫像も造られた。
最初は地獄のように慌しかったが、やがて日々は穏やかさを取り戻し、ゆっくりと流れるようになった。
執務にはすぐに慣れた。
おそらく父親に叩き込まれた統治学のおかげだろう。
それは無駄にはならなかったようだ。
日々はあっと言う間に過ぎていった。
どうでもいいことはひとつずつ忘れていった。
だがいつになっても、ボッシュの記憶のすぐそこには、そいつがいるのだった。
目の前で笑っているのだった。
リュウが、ちょっと不安そうに手を差し出して、ちゃんと繋いで、はなさないで、連れてってとでも言うような顔でもって、そこにいるのだった。
それはどうしても忘れられない記憶だった。
鮮やかで、色褪せがなかった。
リュウ=1/8192……いいや、リュウ1/4がボッシュの中から消えてくれる日がくるなどと、期待するだけ無駄なようだった。
それはいつまでも消えることがない、鮮やかな痛みだった。
リュウ。
「……リュウ……」
セメタリ―の中で、ボッシュはもうぬくもりのないリュウを抱き締めた。
ニーナが捧げた花が、ばっと飛び散ってしまった。
生きている時はあんなにも憎しみや嫉妬、怒りと憐憫と愛情を混じらせた執着であったのに、リュウがこうなってしまうとそれは静かなものだった。
ボッシュは静かにリュウを愛した。
彼に触る時、そこには静寂があった。
再会し、身体に触った時の敵を見るあの目も、「ボッシュたすけて」もくぐもってきしきしした悲鳴も、神経を侵されての真っ赤に上気した顔も、可愛い声も、彼にはひどく不似合いなくらいいやらしく腰を振る姿もない。
「リュウ」
コートをはだけてアンダーを捲っても、リュウはなんにも反応しなかった。
裸の身体を隅々まで舐めても、声ひとつ上げなかった。
顔を赤くしたり声を上げたり、可愛い反応もなかった。
死体なら、こんなものだろうな、とボッシュは思った。
もうなんでも良かった。
死体でさえも構わなかった。
リュウ=1/4という人間に対する執着は、ボッシュにとってはじめての、異常なまでにくるおしい感情だった。
好きとか愛とか憎いとか、そういう人間の感情で言葉に出してしまうと、なにもかもが嘘のように思えた。
だからただ身体を触っている。
そうすると、それだけがただひとつ大事なことのように思えるのだった。
リュウはもう、確かに崇拝するべき偶像だった。
ほかの人類どもとはまったく違った意味で、ボッシュにとっても。
「リュウ……」
名前を呼んで身体を触っている。
リュウの遺骸と、ずっと手を繋いでいる。
それだけが、彼にとっては本当のことだった。
「リュウ……」
その身体は、いつのまにか聖なるものになっていた。
ただの死体だ、それもリュウのものだ。
馬鹿馬鹿しいとボッシュは思ったが、だが彼はリュウをまた汚してやる気にはなれなかった。
死体を本当の意味で抱いて、腹の中に体液を流し込んでやることができなかった。
ボッシュ自身も、本当のところはそうした崇拝の感情を受け入れているのかもしれなかった。
想像の中でだけ、彼はそうした。
妙に可愛らしいふうに、苛めてほしいとボッシュに懇願したあのリュウの記憶を引っ張り出した。
ボッシュは確かにリュウを愛していたが、彼はそれをそんな安っぽいひとつの言葉で済ませてしまうことが癪だった。
憎悪でも憐れみでもなんでも、そう、全ての感情と言葉でもってしか表現されない感傷。
そんなものだ。大それたものだ。
だが、ただ手を繋いでいればそれで事足りるものだ。
ボッシュはリュウの足を広げ、両膝を折り、胸から下腹を、股座を、太腿の裏側を、丹念に舐め上げた。
リュウが萌えることはなかった。
もう死んでいる。
そうして、
『やだっ。ボッシュのえっちー』
「…………」
ボッシュは、顔を上げた。
声がした方向に、そいつがいた。
慣れた、そのぴりぴりと毛が逆立つような感触があって、目の前には確かにそれがあったのだった。
「今までどこ行ってやがった……チェトレ」
見上げた先には少年がいた。
金髪で、にやにやと締まりない顔をして(記憶の中の自分は、断じてこんなだらしない顔をしていない、とボッシュは思った)、ただ突っ立っていた。
彼はそっけなく、当たり前のことだというふうに答えた。
『判定中だった』
「……何の」
『おれの仕事だよ。ずーっといろいろ見てて、ノゾキやったりしてた』
「オマエ、もう封印されたんじゃなかったのかよ……」
『だってまだ全然仕事残ってるしさ。おれ、なんにもまだ選んでない。そうだろう?』
チェトレは言って、笑った。
『でもそろそろ決めちゃった。ねえボッシュ、聞いててよ、おれのリンク者。
おれの判定は――――』
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