おれたちは下層区を任されたレンジャーだ。
街の治安を守り、街を脅かす外敵を排除する。
バイオ公社が造りだして、そのまま誰かが廃棄するか逃げ出したりして野良になったディクを倒すのが仕事だ。
この辺はまだ食用のディクしかいない。
上になると、工場で働いたりガードマンの役割をやっていたいろんなディクがいたから、ここよりはちょっと野良ディクも厄介になる。
そのはずだった。
でも昨日もその前も、今日もずっと、ディクの姿はなかった。
「平和になったってこと?」
「そうじゃないの」
ぎゅう、とおれの腰に抱き付きながら、おんなじベッドの中で、眠そうにアジーンが言った。
彼は実は一人寝が苦手なのだ。
暗いところが怖いって、子供じゃあるまいし、と思ったが、それを言うと拗ねてしまうので黙っている。
みんなには内緒だからな、っていう。
これじゃ、絶対おれのほうが兄さんだと思う。
ほんとにアジーンったらもう、しょうがない。
「ほら、眠いんでしょ。話はまた明日。寝ても大丈夫」
「……リュウは」
「おれ、なんだか昼間あんまり動き回らなかったから、今日……。まだあんまり眠くないや」
「駄目だ……オマエ、俺が寝ると、自分のベッドに、帰るだろ……」
「帰らないよお。もういつものことなんだから」
おれは呆れてしまった。
「一緒にいるったら。ほら、手を繋ごう?」
「うーん……」
アジーンはもう半分寝てしまっていた。
でもおれの手をぎゅうっと握って、ゆっくりゆっくりと、言った。
「……リュ、ウ……どこにも、行かないで、くれよ……」
「もう、アジーンのバカ」
おれは笑ってしまった。
どこに行くって言うんだよ、この狭い部屋の中で。
アジーンのほかには、もうおれを必要としてくれる人なんていないんだ。
「ここにいるよ」
◇◆◇◆◇
『あーあ。甘えちゃって、もう。恥ずかしいなあ……』
チェトレは、赤くなったほっぺたを手で覆って、はずかしい、ともう一度言った。
これが確か「恥ずかしい」の表し方だったと思う。
『おれがずうっと見てるの、気付いてる?』
その同じ姿をした少年たちは、監視されていることにも気付かずに、穏やかにまどろんでいる。
手を繋いで。
◆◇◆◇◆
そこには家具がいくつか並んで、家のかたちを取っていた。
クピトを見るなりオルテンシアは、また背が伸びましたね、と言って微笑んだ。
「もう私とおんなじくらいですね。美人になりました、クピト」
「できるなら早く女の子みたいに言われるの、卒業したいんですけど。もう、オルテンシア。ぼくは男なのに」
クピトが口を尖らせると、彼らはおかしそうに笑った。
オルテンシアと、エリュオン。大事なひとたち。
クピトの特別なひとたちだ。
「……リュウはどうしています?」
「ああ……アジーンと、共にある。ずっと……下層区の記憶で」
「あんまり仲良しなので、この方ったら嫉妬しているんですよ、クピト」
オルテンシアが、クピトにこっそりと耳打ちした。
「仲間はずれにされるのが嫌いなんです」
「へえ、そうなんですか」
「そんな……ことは、ない」
エリュオンはそう呟いて、そっぽを向いてしまった。
クピトはオルテンシアと一緒になって、くすくす笑った。
それでエリュオンの機嫌が更に悪くなっていくのが知れた。
それも、おかしかった。
「みんな、どうしてます? 変わりありませんか?」
「ええ、ここではなんにも変わりません、クピト。死者は停滞するものですよ」
「でも、いつも様子が違いますね」
クピトは首を傾げた。
「前は真っ白だったのに…」
「アジーンが……ヒトの生活を観察し、積み木を組み立てるように、世界を創っている。世界は、上塗りされ続けている……死者さえ、停滞していられない」
「それは死者とはもう言えないのでは?」
「どうかな……」
クピトがそう口にすると、エリュオンは緩く首を振った。
「だが、こうしてオリジンという役目のない世界というのも……悪くは、ないものだな」
「エリュオンは、けっこう庶民的なんです、クピト。元々がレンジャーだったせいかしら? 最近はナゲットがお気に入りで、気が向いては餌をやって懐かせて……」
「……食べるんですか?」
「食べない……」
エリュオンは憮然となった。
クピトは、冗談です、と苦笑して言った。
「……この世界に、ぼくもずうっといられれば良いのに」
「命が燃え尽きてしまえば、ずうっとここにいられますよ、クピト」
オルテンシアは、いつものように目を閉じたまま微笑して言った。
「……だからクピト、今は一生懸命生きなさい。あなたが、今あなたを受け入れている世界で、あなたを必要としている人たちのため。……でもそれだけでなく、何より、私たちが愛するあなた自身のために。一生懸命、生きて、生きて、生きて……」
オルテンシアの声はとても優しかった。
そして、エリュオンがいつものぼそぼそとした小さな呟きでもって、クピトに苦笑めいた微笑を向けた。
「死のその瞬間まで、あがき、もがき、生きて、生き続けるがいい」
穏やかで、優しい声だった。
クピトが大好きだった、あの声だ。
「私は……ヒトの、その姿が、生命の輝きが、とても好きなのだから……」
クピトは微笑んで言った。
「……当分、ここには来る暇がなさそうですね」
もう、手をはなさないでと泣くことはなかった。
ただ少し寂しかった。
だが、決めていた。
彼らが愛した世界で、彼らの愛する姿を晒そうと決めた。
「またいつか、エリュオン、オルテンシア」
クピトは精一杯、にっこりとした。
唇が震えたが、それはどうにかなんでもないふうを装った。
「尽きれば……また会おう」
「またね。私たちが愛するクピト。また、いつか……」
彼らの姿は、白い霧に覆われはじめていた。
クピトは目を閉じた。
あの、いつもの「戻る」感覚が、身体に浸蝕してきた。
オルテンシアの声だけが、クピトに直接聞こえてきた。
「いつかあなたが、生きて生きて生きて、生ききって、私たちのように尽きてしまった時に」
ええ、とクピトは頷いた。
それまでは、今は――――
(さよなら)
世界が開かれ、クピトは戻った。
彼のあるべき、愛すべき眩しい地上の世界へ。
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