『どうして泣いてるの』
おなじ顔を突き合わせている。
目に映っているのは、泣き顔だ。
まるで鏡を見ているようだ。
だが、彼らはそれが本当に本当の自分自身の顔ではないということを知っていた。
その目が、言っていたのだ。
眩しい真っ青な空の色と、夕焼けの血のような赤い空の色。
彼らは決定的に違った存在だった。
それぞれ自我を持ち、そして互いを愛していた。
信頼すべき、もうひとりの自分として。
『まだ、寂しい?』
『俺じゃだめ?』
『おれと一緒でも、やっぱり、寂しい?』
『可哀想なリュウ』
『可哀想、アジーン』
『あいつが繋がなきゃだめ? 手を……』
『手を、離さないで……』
『こんなに俺は安心してるんだぞ』
『おれはこんなに安心してるのに』
『やっぱり俺たちは、ひとりきりなんだろうか?』
『おんなじものなのか? だから寂しいのか? ふたりじゃないから、寂しいのか?』
『俺は、ずうっと手を引いていてやらなきゃならなかった。だってあいつ、すぐふらふらどこかへ行っちゃうんだ。俺よりあいつ、ナンバーみっつぶん年下なんだ』
『ずうっと、手を引いていてほしかった。背中で、守っていてほしかった。もうなんにもいらない、それだけでおれは安心だった』
『弟は俺を嫌っていた。何をする時も突っ掛かってきて、それは多分、俺が完全じゃないくせに、一番先に造られたからっていうだけの理由で、一番てっぺんでエラソーにしていたからだ』
『ボッシュ、おれのことを蔑んでいた。おれがローディーでどんくさくて迷惑ばっかり掛けて、手を繋いで、片方の手を塞いでしまったから。邪魔だったから。なのに、選ばれたから』
『手、繋いでやらなきゃ。俺がいなきゃ、あいつバカなことばっかりやってるんだ。俺の方が年上で、なんでもできるんだから。バカでヤキモチ焼きで、ほんとにいっつも好き勝手ばっかりやってる、俺の弟。どこ? ちゃんと呼べよ。呼ばなきゃわからない。どこにいるんだよ』
『ボッシュ、手、繋いで……。おれやだよ。ひとりはいやだよ。ディクが来るよ、背中、見せてよ。引っ張ってってくれなきゃ、おれはどこへ歩いて行けばいいの? 真っ暗だよ、わかんないよ。おれ、ここだよ。さっきからずうっと呼んでるのに、気付かないの? ここだ、見付けてよ、おれはここだよボッシュ!』
そこは混沌だった。
彼らの叫びだけが、悲痛を帯びて反響し、ぐるぐると回って、それだけだった。
そして、それをチェトレは静かに見ていた。
判定するべきもの、世界をあるべき姿へと導き、彼らの判定を済ませ、もう眠るべきもの。
(ほんっとうにもう、どうしようもないんだから)
チェトレは肩を竦めた。
それらは脆かった。
あの脆弱な人間たちそのものみたいな、その象徴みたいな、ぼろぼろの弱さでできていた。
(おれ、こんな奴らに負けちゃったんだあ……)
それは、彼の兄弟だった。
一番はじめに分かたれ、てっぺんの特等席で他の兄弟たちを見ていた。
チェトレは4番目だった。
少し他より遅く、だからその竜は中途半端に歳の離れたチェトレのことなんかまともに見てもくれない。
気まぐれに年上風を吹かせ、手を引いて、それが気に入らなかった。
チェトレを、まるで自分よりも弱い庇護するものとして扱うのが、どうしても気に食わなかった。
その竜の隣は、2番目のドヴァーの特等席だった。
彼らは見た感じ、対等だった。
アジーンはドヴァーを信頼していた。
信頼し、きちんと空を奪い合う敵として認識していた。
そしてチェトレには手を引いてやるべく、腕が差し出された。
おれのこと、自分よりもずうっと弱いと思ってるんだ!
チェトレはアジーンに自分の強さを、その力を認めさせるなら、手段は何だって良かった。
地の底で蟻のようにちっぽけな人間なんかに力を与えてやることも、躊躇しなかった。
空だって開けてやる。
だが最後に空を開けたのは、やはりアジーンだった。
チェトレは届かず、ただ彼らの父の遺言に従って、来るべき判定のために新たなプログラムを起動した。
そうなった時、2番目のドヴァーの場所に、チェトレはいた。
彼はそれに少し優越感を覚えた。
だがそれだけじゃあ足りなかった。
アジーンを好きに判定できる役割、これは素晴らしいものだ。
来るべき時には、きっと彼らの長はチェトレをまっすぐに見るだろう。
その判定がどんなものであっても。
だが彼の兄弟は、彼が思っていたよりずうっと不完全なプログラムだった。
その判定は不定形で、チェトレには理解出来ないかたちをしていた。
(……なんで、泣いてるの?)
チェトレにはそれが不思議だった。
理解出来なかった。
あのアジーンが、泣いている?
(……なんで、おれを探してるの? おれを呼んでるの、アジーン)
チェトレのことなど見ようともしなかったアジーンが?
(……おれの、兄弟……)
チェトレが見ていたのは、ずうっとアジーンの背中だった。
アジーンはチェトレを見ようともしなかった。
それは、ほんとうは、ほんとうのところは……
(前だけ、見て……)
まっすぐ前を見て歩いて、歩いて、ずうっとそうして、アジーンは?
(おれの手……引いてて、くれたの、アジーン……)
判定するべく、チェトレはアジーンを見ていなければならなかった。
それは、チェトレの知らなかったことばかりだった。
なんで泣いてるんだ。
なんで呼んでるんだ、アジーン。
チェトレには理解出来ない。
『判定を』
『判定を、チェトレ』
時は満ちた。
混沌の中で、ふたりのおんなじ顔をした少年が、チェトレを少し不安そうに、見つめて言った。
『竜は必要ない。それ、おれの判定だ』
『最後の判定者、判定を。オマエだけが、俺たちを判定できる』
『おれが選んだのは正しいこと? 教えて、判定者』
『教えてくれ。正しいなら、なんでこんなに寂しい?』
『アジーン、泣いてる。ずっとずっと寂しいって言ってる。おれじゃ駄目なんだ。なら、誰が欲しいの?』
『リュウが泣いてる。手を繋いで、背中を見ていたい。手をはなさないで……ボッシュがいない世界で、リュウは誰に手をひいてもらえばいいんだ? 俺じゃ駄目なんだ』
『おれたちの判定を』
『チェトレ……』
チェトレは、静かな心地だった。
あのアジーンが、じっとチェトレだけを見ていた。
選べるのはひとつだけだった。
そして、本当のところはもう決めてしまっていた。
後悔は、ない。
「……そうだろう?」
ふたりの少年は、チェトレに泣き笑いみたいな表情でもって、頷いた。
『ああ……』
『後悔なんて、あるわけ、ない……』
そして選択があり、最後の判定は成された。
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