セントラル前の広場には、大きな幕が掲げられ、そこには黒い文字でこう書かれていた。
「『空のオリジンリュウ様、ご復活おめでとうございます!!』だってさ。愛されてるねえ」
「まあ、ああいう性格ですからね。人に好かれる体質って、羨ましいですよ。確かにちょっと頭は足りないところがあるけど、ぼくは彼が好きです。……「彼」でいいんですっけ」
「なんだ、二代目に惚れちゃったか、クピト」
「ふふ、冗談。ぼくはこれでも女の子ですよ、ジェズイット」
「……えっ、マジ、やっぱり!!」
「……冗談ですよ。なんですか、そのやっぱりっていうの」
「いやあ……」
がりがりと頭を掻いて、ジェズイットはそっぽを向いた。
こういう話が好きでないと見えて、クピトもそれ以上話題にせず、別の話をはじめた。
「そういえば代行、どこ行ったんでしょうね。朝から見掛けませんけど」
「さあ。俺の予想だと……綺麗なお姉さんのお尻に誘われて、こうフラフラと……」
「あなたじゃありませんから」
「いや、普通ついてっちゃうだろ! 男なら!」
「行きません」
そっけなく言って、クピトは作業の手を早めた。
「無駄話はこのくらいにして、さっさと済ませてしまわないと、あとで遊びに行けませんよ」
「あ、ヤベ。せっかくリュウのオモシロ可愛い格好が見られるってのに……」
「サインは丁寧に。あなた字が汚いんですから」
「うるっせえな。ていうか、最近おまえさん、前みたいに仕事仕事!ってあんまり言わなくなったな」
「ええ、まあ」
クピトはにっこりとして、言った。
「楽しまなくちゃ損ですよ。せっかく生きてるんですから」
「……ふうん」
ジェズイットは、最近この少年は少し前よりも柔らかい性格になったもんだが、まあなんかあったんだろうな、と思いながら、頷いた。
◇◆◇◆◇
(なんだこのバカ騒ぎは)
ボッシュは渋面を浮かべた。
街は花と電飾で埋められていた。
夜になれば発光する手筈なのだろう。
広場のあちこちに『寄贈・オリジンへ』と書かれた樽の中身は、見なくてもわかる。酒だ。
その中央、丸い石畳の真中に立てられている、木彫りの、妙な人形はなんだろう?
てっぺんの方に青い花輪が掛けられて、こう書かれている。『オリジンさま』。
ボッシュが見た感じ、それはどう好意的に見積もってみても、リュウには似ていなかった。
(……なんか……よくわかんねえ……なんだこの狂ったリュウ祭りは)
ちょうどいいところに祭りの口実を見付けた、という感じにも見えたが、それはボッシュの穿った見方なのだろうか?
広場を突っ切って商店街に出ると、そこもまたおんなじように花と電飾だ。
行き付けの店に入って、そのままベリーパフェを食い、そのままふらふらとする。
仕事はメンバーどもに押し付けてやったし、ほかにすることもない。
リュウは朝からなんだか知らないが、部屋でとっつかまっていた。
なにか大事な仕事があるらしい。
プラントから重要機密と書かれた荷物が届いていたが、そのことだろうか。
(なんにしろ、俺にはもう関係ないけど。オリジンなんてめんどくさいの、こりごりだし)
そうしてやると、見慣れた黄色い頭が見えた。
ちょこちょこと周りを見ながら、何か探しているような様子だった。
判定者のニーナだ。
実の所彼女とは、初めて遭った時からあまりうまが合わなかったが、ニーナはボッシュを見付けると、あ、という顔をした。
「見つけた、ボッシュ!」
「……なんだよ。オマエが俺に何か用?」
「こっち、はやくきて」
そして、ニーナはボッシュの手を掴んで、引き摺るようにして歩き出した。
そう、彼女はボッシュ相手にも平気でこういう無礼なことをするのだ。
おそらくは育てられ方が悪かったのだろう。なにせ、あのリュウである。
「なんだって言うんだよ。俺は忙しいの」
「わたしはもっといそがしいの」
「……それ、何の理由にもなっちゃいないだろ」
「いいからはやくはやく」
彼女はボッシュの顔を見上げ、ちょっと得意そうに笑った。
(あ。なんかむかつく)
「びっくりするわよ」
ニーナはそう言った。
セントラルに帰るなり、ボッシュは妙なものを見た。
「ほらほら、泣かない。化粧が崩れるだろ」
「な、泣いてないよ……もう、何言ったって無駄なんだって、わかってきた、だけだよ……」
「諦めたかい。偉いね。あ、いいとこに帰ってきたね、ニーナ。アホの代行は見つかったかい?」
「うん、いたー」
「オイ」
また無礼なことを聞いて、ボッシュは目を眇めて凄んだが、三人の女は全く気付いた様子もない。
(……て、三人?)
ボッシュの目の前には、三人の女がいた。
金髪のニーナ、耳付きリン、それから青い髪の――――
「……誰、ソイツ?」
判定者に青い髪の女はいなかったはずだ。
ボッシュが怪訝に聞くと、ニーナとリンはしてやったりという顔をして、もうひとりの女は恥ずかしそうに俯いた。
「わかんなかったってさ」
「リュウよ、ボッシュ!」
「……ハア?」
ボッシュは疑わしげにその「リュウ」らしき女の手首を掴んで、顔を上げさせた。
びくっ、と震えて、きゅうっと恥ずかしそうに縮こまってしまった、その女の顔は、確かに、
「……リュウ?」
「うう……」
目を逸らして、視線をふらふらとさせているその女は、リュウなのだった。
「……何やってんの、オマエ?」
「あらまあ、ほんと綺麗になっちゃって、見違えたよリュウ」
「リュウ、きれいー」
「うううう」
さっきまで泣いていたのだろう、少し赤くなった目に、またじわっと涙が溜まった。
そして、その「リュウ」はボッシュに見られていることが耐えられないという真っ赤な顔をして、べたっと床に座り込んでしまった。
「見ないでえええ!!」
「お行儀悪いよ、リュウちゃん」
「ボッシュ、リュウ、かわいいよね?」
「……なんつーか……」
ボッシュはとりあえず、返答に困った。
必死で泣くのを堪えているらしいリュウをじっと見つめながら、そして腕を組んで言った。
「……リュウ、ちょっと立ってみろ」
「……え?」
リュウが、不思議そうな顔を上げた。
「いーから、オラ」
「う、うん」
リュウは従順に言う事を聞いた。
なに、という顔をして立ち上がり、ボッシュを恥ずかしそうに見た。
そのさまは、確かに非常に可愛らしいのだった。
青い髪に空色のドレスが、良く似合っている。
そういうことに手馴れたリンに、ほとんど改造されたんじゃないかというくらいに化粧を施されている。
それがリュウのくせに、不自然なところがなにもないのだった。
可愛い女と言ってやってもいい。
ボッシュはまず、目下の疑問から片付けることにした。
リュウの胸をぎゅうっと掴んで、揉んでやったのだ。
「……え? えっ?」
「なあ、オマエなんか胸でかくない? パット入れてる?」
「ううん……良くわかんないけど、背中からちょっとぎゅってなってるかな……」
「寄せて上げてるワケ。まあ、それなら実力のうちって認めてやるよ。問題ナシ」
「……? う、うん。ありがとう」
リュウは良くわかっていなさそうな顔をして、頷いた。
「あの……ボッシュ。なんで胸、触るの?」
「イヤ?」
「ていうか、おれの胸なんて触っても、男だからおれ」
真面目な顔をして、戸惑ったように言うリュウは全然わかっていないようだ。
馬鹿だから。これは問題ない。
だが、その他に問題があった。
それを見て、顔面を真っ白にして怒っているものたち。二人の女だ。
リンと、ニーナ。
「リュウに、なにするの?!」
「昼間から堂々とセクハラ、良い度胸だね、代行」
そこで、一戦あった。
◇◆◇◆◇
空気がぴたっと止まった。
時間が凍るっていうのは、こういうことかもしれない、とリュウは思った。
セントラルを出たところで、これだ。
広場の飾り付けをやっていた人たち、セントラルに書類を提出しにきた人たち、彼らが本当にぴったりと時間が止まったようになっていた。
彼らの視線の先には……認めたくはないが、間違いなくはっきりと、自分がいた。
「……ええと」
リュウは困っていた。
恥ずかしさと情けなさはもう極限のところまで来ると、後は慣れが訪れるようだった。
つまり、笑うなら笑え。開き直りである。
だがやっぱり、こういうふうな反応をされると、それすらとてもやり辛い。
「ご、ごめんなさい……おれ、生き返ったんだけど、こんな変な身体になっちゃって……」
なんとか言い訳がましいことをぼそぼそと述べてみた。
だが答えは返って来ない。
それは、さらに一層リュウを惨めな気分にさせた。
「あ、あの……」
リュウはおずおずと顔を上げた。
それを合図に、ようやく時間が動き始めた。
「オ、オリジンー!?」
「女の子になっちゃったって、マジだったんですか?!」
「冗談だと思ってました……!」
「プラントのやつら、そんなドレス贈ったんだけど、まさか女だなんてほんとは冗談だと思ってたんだよ」
「あらまあ、ほんとに可愛くなっちゃって! どっからどう見ても立派な女の子だよ!」
「似合ってるっすよ! その胸、ホンモノなんすか?」
「あんた、オリジンになんてこと言うんだい。しょっぴがれるよ」
「いや、あのその」
リュウは顔を真っ赤にして、返答に窮した。
しばらくわあわあと囲まれ、物珍しく変わってしまった身体の話題をいっぱいに吹っ掛けられたが、やがて彼らはそうだ、という顔をして、言ったのだった。
「オリジン様、ご復活おめでとうございます」
「いや、朝イチであんたを怒鳴るクピト様の声を聞かないと、1日が始まったって気がしなくて」
「またニーナ様と一緒に、うちの店にも顔見せて下さいよ」
リュウはまだちょっと赤い顔をしながら、ふにゃ、と笑って、ありがとう、と言った。
しばらくすると、ニーナも街に降りてきた。
見ると綺麗に髪を結われ、薄く化粧もされている。
ドレスはリュウとおんなじものだ。
色だけが違う。彼女のものは白だった。
「……わたし、ぜんぶリュウといっしょがよかった」
「でも、可愛いよニーナ。白い色がニーナに良く似合ってる」
「そう?」
ニーナはリュウを見上げて、ちょっと首を傾げた。
リュウは、そう、とにっこり頷いた。
ニーナはとても可愛らしかった。
とりあえず自分の仮装みたいなものと並んでいると、彼女の愛らしさは余計に際立った。
「リュウのほうが可愛いわ」
「お、おれは……勘弁してくれよ……」
男なのに可愛いなどと言われて、あまり嬉しいものでもない。
だが、ニーナは嬉しそうに言った。
「わたし、うれしい。これからいっぱいリュウとおそろいできるんだもの。かわいいの、いっぱい」
「そ、そうだね」
リュウは、ちょっと引き攣った笑顔で、ニーナに頷いた。
できれば早く元に戻りたいところなのだが、ニーナがこんな嬉しそうな顔をしているので、言い出せない。
「ほら、リュウ、いこう」
「あ、うん。早いよ、ニーナ……」
ニーナにぎゅっと手を引っ張られて、リュウは慌てて彼女に引き摺られるようにしてついていった。
最近彼女は、前よりもずうっと逞しくなったように思う。
リュウは苦笑しながら、おれがたよりないせいかなあ、などとぼんやりと考えてしまうのであった。
「なあ、相棒。オマエもうちょっとそこのちまっこいのの調教、しっかりやっとけよ。油断すると火を吐いてくるんだからさあ」
「ボッシュがわるいのよ。リュウにへんなことするから」
少しばかり焦げてしまった毛先に、ボッシュが不機嫌そうにしている。
リュウが何とも言えず、困ったふうに笑っていると、リュウの腰にひっついたニーナが口を尖らせた。
「セクハラ、っていうのよ。リンが言ってた」
「ハア? なんで男が男の胸触ってセクハラになるワケ。頭おかしいんじゃないの」
「へんなのはボッシュよ。いつもリュウをいじめてばっかりなんだから。これだから、もう、男の子って。みんないつまで経っても子供なのよ」
「……おれも男なんだけどなあ……」
リュウは小さく主張してみたが、どうやら誰にも聞き入れてもらえなかったらしい。
もう日は落ちかけていた。
辺りは日の光が薄くなり、小さな、色鮮やかな光がいくつも連なって、街を照らした。
それは美しい光景だった。
広場のベンチに座っていると、少し肌寒くなってきた。
リュウは、ニーナ、大丈夫、と言い掛けて、彼女の方を見て、目を点にした。
正確には、彼女の手にあったものを見てだ。
「……ニ、ニーナ?」
「あら、なにかしら、リュウ……」
「なにって、それ、お酒じゃないか!」
「そーなの? おいしいけど……」
「だっ、駄目ー! まだニーナには早いったら! すぐにほかの買ってきてあげるから、それはもう呑んじゃ駄目!」
あのボッシュに食って掛かれるわけだ。
ニーナは既に、いつのまにか出来上がっていた。
リュウは慌ててニーナからアルコールの入ったカップを取り上げたが、時はすでに遅かったようだ。
底の方が見えるくらい、ほんの少ししか残っていない。
つまり、その消えた分はどこに摂取されたかというと、
「……ニーナ?」
「うふふ、リュウがいっぱいいるぅ……」
「ニ、ニーナ!」
ぽーっと頬を赤くしているニーナに、リュウは慌てた。
「ま、待ってて、すぐに水!」
「だーめ、リュウ。わたしと、おそろい……」
「……へ?」
ドレスの裾をぎゅっと握られて、リュウはニーナに引き止められた。
「おそろい、するの」
そして、ニーナの手にあるのは……その瓶は、何なのだろうか?
酒瓶に見えるのは気のせいだろうか?
リュウは青ざめながら、恐る恐る聞いてみた。
「あの……それ、もしかして、ニーナ? きみ、そこから……」
「いっぱい、呑むと、ぽーっとして、きもちいいの。ね、リュウ」
ずい、とほぼ空の、没収したカップに、液体がなみなみと注がれた。
琥珀色をしたそれからは、果実が発酵した甘い匂いがする。
果実酒である。
地上で造られたもので、甘酸っぱく、みずみずしい。
リュウも一度だけ、口にしたことがあった。
確か地上へ出たばかりのころだった。
「果物」というものから作った試作品です、飲んでみてください、オリジン――――プラントでそう言われて口にして、そこから先の記憶がない。
次に気がついたのは、セントラルの自室のベッドだったように思う。
何故だかぼろぼろになったプラントに引っ張ってこられて、クピトに散々覚えのないことで理不尽に説教されたので記憶している。
それから確かアルコール禁止令が出たのだった。
リュウはふるふると首を振った。
「あ、あのね、ニーナ。おれ、お酒は駄目なんだ」
せいいっぱい、リュウは頑張ってみた。
だがニーナは笑っている。
気持ち良さそうに、とても可愛らしく、ずい、とリュウの顔の前に酒瓶を差し出した。
「おいしいの、リュウもいっしょに、のもうね?」
「……わぷ、ボ、ボッシュー!」
なんとかして、とリュウはボッシュの方を見たが、彼はそっぽを向いて知らんふりを決め込んでいる。
「しらねー」
相手してられるか、といった調子だ。
「ボ、ボッシュう! た、たすけてえ……っんん!」
ざあ、と容赦なく喉にアルコールを流し込まれて、リュウはじたばたもがきながら声にならない悲鳴を上げた。
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