ふわふわとしてだらしない口元、ちょっと涎つき、顔は真っ赤でへらへらしている。
酔っ払いの素晴らしい見本のようなのがふたつ。
ニーナとそれからとばっちりを食ったリュウ。
リンは頭を抱えた。
「……こりゃあ、またできあがっちゃってるねえ」
「そうみたい」
ほとんど素面で、リュウの隣のボッシュが頷いた。
我関せずという顔で、そっけなくそっぽを向きながら、ボッシュはベイクド・ベリー・パイにかじりついていた。
どうやらまず食欲を優先したらしい。
「……子供の面倒は見てやってくれなきゃ困るよ」
「俺そこのローディーオリジンとタメなんだけど」
「おれ、子供じゃないよー、リン! 立派な大人さ。仕事もちゃんと持ってるしい、大人っていうのは、世間さまのために働いて一人前ってことなんだって、昔たいちょー言ってたもん。おれ大人大人」
「わたしもー、じゃあちゃんとお仕事してるから、大人だもん」
「……代行あんた、前から思ってたんだけど、実は歳サバ読んでるだろう? あんたがリュウと同い年なんて」
「オマエに言われたくないね」
「どういう意味だい」
「さーあ」
ボッシュは馬鹿にするように鼻で笑って、また食事に集中したようだった。
見るとテーブルの上には、パイの他にも様々な料理が並んでいた。
木の実のタルト、アナセミ卵のプリン、タフィー、棒つきキャンディ、その他いろいろ。
どれも甘いものばっかりだ。
「うえ……」
リンは顔を顰めた。あんまり甘いものばかりで、見ていて気持ちが悪くなったのだ。
「よくまあ、そんだけ甘いものばっかりがっつけるね……」
「この二年、甘いものなんてほとんどお目に掛かれなかったからな。誰かさんたちのおかげで」
「逆恨みもいい加減にしな。だからって食溜めできるもんでもないだろうに」
「やらないよ」
「いらないよ。まったく」
リンは肩を竦めて、それからぎょっとした。
「うわああ!」
ぎゅう、とニーナが尻尾に抱き付いてきたのだ。
「な、なんだい、ニーナ?!」
「リンの尻尾、わたしだいすき」
ニーナはにこにこしながら、ぎゅう、とリンの尻尾に頬を摺り付けた。
「く、くすぐったいよ! やめな!」
「うふふ、ふわふわする……」
「ああー、いいなあ、ニーナ」
「リュウ! あんたも羨ましそうな目をしてんじゃないよ! ちょっとニーナはあんたの管轄だろう、ちゃんと見とかないと……」
リンは慌ててリュウに注文をつけたが、すぐに怒鳴るはめになった。
「って、ちょっと! あんたまで抱き付いてきてどーするんだい、リュウ!」
「だってニーナばっかり、ずるい」
「ニーナと対等に張り合ってるんじゃないよ! あんた、お兄ちゃんだろう?! ああもう、今だからいいものの、男のままならぶっ飛ばしてるところだよ!」
「ね、リュウ、ふわふわー」
「ねえ、ニーナ」
ニーナとリュウはリンの尻尾にぎゅうっと頬をくっつけたまま、顔を見合わせてにっこりした。
その様は大変可愛らしいものであったので、リンはぐっと詰まってしまったが、あまり甘やかしてもこの酔っ払いたちをつけ上がらせるだけだろう、と思い当たった。
「ああもう、この酔っ払いども! ちょっと代行、リュウだけでもなんとかしな! あんたの言うことなら聞くんだろう?!」
「俺、忙しいから」
ボッシュは何の役にも立ちそうになかった。
見ると、パイをホールごと片付けて、次はパフェに手を出している。
「あああ、役に立たない代行だね」
「リン、ボッシュをいじめちゃだめだよ……」
「あーもう、はいはい」
リンは諦めて、溜息を吐いた。
今夜は無礼講、仕方がない。ばんばんとリュウの頭を叩いて、言った。
「前みたいに酔った勢いでプラント半壊なんてことさえしなきゃ、もうなんでもいいさ。勝手にやってな。今日はあんたのためにあるんだ」
「……コイツ、そんなことしてたの?」
「酒癖最悪だよ。めったに飲み付けないけど、相当たちがわるいね」
「あ、リン、ひどーい」
「そうだよ、ひどいー。おれ最悪じゃないよ。お酒なんてへいきさ」
リュウとニーナからブーイングが上がって、リンは額を押さえた。
「この酔っ払いども……後でお仕置きだよ」
「ニーナ。髪がほどけてるよ。なおしてあげる」
「あ、ほんとう。ありがとう、リュウ」
「聞きな」
リンが、ほんとにどうしようもないね、という顔をしたが、ニーナもリュウも気付かなかった。
リュウが慣れた手つきでニーナの髪どめを解き、纏めて、きゅ、と結んだ。
「リュウ、そーいえば、なんで髪の毛、きっちゃったの?」
「ううん、長いほうが良かった?」
「女の子だもん。長いの、きっとかわいいよ」
「おれは男なんだけどなあ……」
リュウはちょっと困ったみたいに、へにゃ、と笑った。
「わたしと会う前も、ずうっと長かった?」
「うん、そうだねえ。ずっとあんなかんじ」
「あー、わかった。しつれんでしょ」
ニーナが邪気なく言った言葉に、リンは思わず吹き出した。
だが当のリュウの方は、あまりなにも考えていない調子で、そうかも、なんて言った。
「しつれんー?! ちょっとあんた、そんな話聞いてないよ、リュウ」
「わー、リン、息ができない」
リュウがちょっと苦しそうにじたばたしたので、リンははっとして、腕を離した。
「うーん、なんていうかね、おれが殺しちゃったからあ」
リュウは話題にそぐわない、あっけらかんとした声で、笑いながらそう言った。
「……もしかしてあの、ゼノって女かい? あんたの隊長だったって……いや、まあ、いいんだけどね、なんでも」
リンは言葉を濁した。
酔った勢いというやつかもしれない。
あまり突っ込んで訊いてやるのは可哀想だろう。
だがリュウはリンの考えていることになど、まったく気付かないようだった。
そして、まったく気にも留めていないようだった。
アルコールが入っているせいだろう、とにかくふわふわとしている。
「それでね、この髪どめ! すごいんだよー、なんでも願い事が叶っちゃうのさ」
「あんた、会話が成立してないよ」
へらへらしているリュウに、リンは疲れた顔で溜息を吐いた。
酔っ払いらしい突拍子ない話題だ。
だがニーナは目を輝かせた。
「それほんとう?!」
「うん、ほんとほんと。すごいよ! おれ、ほんとに叶っちゃったんだからあ」
「……実証済みって、あんたがかい?」
「そうそう」
リュウはにっこりと笑った。
「子供のナゲットの触覚を持ってるといいことがあるっていう話、知ってる? これも、まじないなんだけど」
「……子供のころになら、友達同士でそういう話したことあるけど、リュウ」
「?」
「あんたはオリジンなんだから、そーいうガキっぽいおまじないはそろそろ卒業しなよ……」
「でもほんとに効くんだったら!」
リュウは顔を赤くして、ちょっとむきになった。
ニーナの頭を飾っている紐をきゅっと摘んで、これ、そうなんだ、と言った。
「ナゲット、小さいのの」
「リュウはどんなお願い事、したの?」
ニーナは興味津々という調子で、リュウを見上げていた。
リュウはまたへにゃっと笑って、それはね、と言った。
「おれ、強くなれますように!って」
「……は?」
「もうリン、信じてないだろー。ほんとだったら! 1/8192のおれがアジーンとリンクしちゃうくらいご利益あるんだから」
「それは……なんていうか……ちょっと……」
リンは少し、顔を引き攣らせて笑った。
「……効き過ぎ?」
「だろー」
リュウは得意そうににっと笑って、でもさあ、とちょっと顔を伏せた。
表情がくるくる変わるのは、アルコールのせいだろう。暗い顔をした。
「これ以上、なんていうか……もらっても、困るし。いっぱいいっぱいだし、おれが強くなりたいって、そーいうことだけじゃなかったような……」
「それで怖くて切ったの、髪?」
「うーん、そうかも」
リュウはまた曖昧に頷いた。
どうやらさっきの「失恋」もあてにはならないらしい。
「じゃあ、わたしもお願いしようっと。強くなれますようにー」
「ちょっとニーナ! あんたまでリンク者になっちゃったらどうするんだい?!」
「ん。リュウとおそろい」
「ううん、ニーナ……そのおねがいは、あんまり、やめといたほうがいいよー……」
「そうかなあ、じゃ、みんなでずうっとたのしくいられますように」
「う、うん。それがいいよ。ねえリュウ」
「ねー」
どうやら「馬鹿な話」と思いつつ、少しばかり信じてしまったようなリンだった。
安堵したように頷いてしまい、リュウはそれがおかしかったようでまたふにゃっと笑って、あれ、と顔を上げた。
「ボッシュ、どこ行っちゃったんだろ」
ボッシュが、テーブルの上で食い散らかしたものはそのままに、いなくなっていた。
まだ綺麗な皿もあるところから、席を立ったわけではないだろう。
「トイレかなあ」
「食い過ぎて吐いてんじゃないのかい……」
リンが、またちょっと気持ち悪そうな顔をした。
あの甘いものばかりの光景が、やはり耐えられなかったのだ。
「あ、そうだ。ねえ、リュウー? リュウはもう、髪は伸ばさないの?」
「ううん、どうしようかなあ……」
「ぜったい可愛いのに。あ、でもピアス、見えなくなっちゃうね」
「ううん、そうだねー。……ほんとは、おれのじゃないんだけどね……」
リュウは、それについてはちょっと困ったように笑った。
「どうしよう、返したほうがいいかなって思ったんだけど、ボッシュなんにも言わないし、また窃盗罪で拘置室送りかなあ、リン……」
「考えておくよ」
「わあ。やだなあ」
それは、あの男の目の色をした耳飾りだった。
二年前、リュウがジオフロントであの男の残り香を探し回って、見付けてきたものだ。
弾けて転がったのだろう。そんな小さなもの、良く見付けてきたな、とリンは感心した。
鋭く光って、実の所あまりリュウには似合わなかったが、それは平たく言えば遺品だった。
だが二年経って当の所持者が戻ってきたのだから、滑稽な話としか言いようがない。
「それにしても、三人で話をするなんて久し振りだね」
「そうだね、リン、明日からまた地下に戻っちゃうの?」
「ああ。そのうち全員地上に出てくりゃ一番いいんだけど、モグラがいいやつもいるのさ」
上層区の人間は問題ない。
中層、下層もぎりぎり、なんともなかった。
まずリュウ、ニーナ、リンの三人が最初の被験者のようなものだった。
それからテストを兼ねて各階層から集められたものたちは、問題なく街に適応し、順応していった。
だが最下層区で、長年真っ暗闇の中で何代にもわたって生活していた者たちは、ほぼ目が悪かった。
退化してしまっているのかもしれない。
バイオ公社で生活していたニーナは問題なかったが、最下層区の中でも最も深いところに住むものたちは、光に拒絶反応を示した。
もしかすると、少なかれ他の人間たちも、そういう反応が出る可能性は持っているのかもしれない。
それに関しては、今の所研究中だ。
「それに、地下のほうが性に合うやつもいるのさ。あたしらみたいにね」
「リン、地上、嫌い?」
ニーナが、ちょっと不安そうにリンを見上げた。
リンは、そーいうんじゃないよ、と笑った。
「大好きさ。ただ、ちょっと眩しすぎるんだよ」
「ふううん……」
ニーナは良くわかっていないように、頷いた。
そうして久し振りに三人でゆっくり話をした。
二年前のようにそうやって話すのは、数えるほどしかなかったが、久し振りだが三人が三人とも、何にも変わっちゃいなかった。
だが、劇的に変化していた。
「まさか女になっちゃうとはねえ……」
「そ、そういうリンこそー、ええと……な、なんでもない……」
「……言ってみな」
「い、いいよー! きっとまた怒るから!」
「リュウは、いつもリンに怒られてるのねえ」
「ニーナは偉いのにねえ。綺麗に喋れるようになった、背も伸びた、身体も女の子らしくなった、中身もちゃんと大きくなってるのに、この子ほんとにぜんぜん変わってないよ、バカなんだから」
「あー、またバカっていったー……」
「リンー、リュウはバカじゃないよー」
「ああもう、次はちゃんと素面で話をしたいね。あんたたちはアルコール禁止。酒癖最悪だよ」
「ひどーい、リン」
「そーだよ、ひどいー」
大分長い間、三人で話をした。沢山。
ニーナはこっくりと半分船を漕いでいる。
眠そうだ。
リンがニーナを抱き起こして、寝るんなら部屋に帰るよ、と揺さ振っている。
リュウもとろとろと心地良くアルコールのおかげでまどろんでいたが、ねえリン、と彼女に訊いた。
「ボッシュは……どこお?」
「代行? さあ……どっかで胃薬でも貰ってんじゃないのかい。あんな甘いものばっかり、気持ち悪くならない方がおかしいよ」
「ボッシュー……」
リュウはフラフラしながら、立ちあがった。
頭がぐらぐらする。
どうやらかなり回っているみたいだが、まだまだ大丈夫だ、とリュウは判断した。
実際のところ、地面も夜空もぐるぐると回っていたが、リュウにしてみれば『大丈夫』なのだ。あまりあてにはなりそうにないが。
「あ、リュウ! 代行探しに行くのはいいが、男子トイレにだけは入っちゃ駄目だよ! あんたは女の子なんだから!」
「んー、わかってるわかってる、だいじょうぶ、おれ男……」
「ぜんっぜんわかってないじゃないか!」
遠くの方で、リンが怒鳴っているのが聞こえる。
早く帰ってきなよ、と彼女は諦めたように言った。
泥のように寝込んだニーナの介抱で、リュウにまで手がまわらないようだ。
リュウはゆらゆらしながら、いつのまにかどこかに消えてしまったボッシュを探しはじめた。
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