酔っ払いの相手などしていられるか、というのが、正直なところボッシュの感想だった。
 魔法陣やヴィールヒが出れば無駄な被害を被るだけだし、めんどくさい。
 街の中で静かに呑める店を適当に見付けて、いくつかアルコールを注文した。
 あまり上手く酔えるほうではない。
 それだけ賢いのだ、とボッシュは思った。
 間違っても、あの馬鹿ふたりみたいにべろんべろんの前後不覚に陥るようなことは一度もない。
『リュウ、可愛かったねえ、ボッシュー?』
「・…………」
 酒は嫌いじゃない。好きでもないが。
 やっと静かに呑める、と思った矢先、頭の中に声が響いて、ボッシュは顔を顰めた。
「ひっこめ」
『ああー、つめたいー。なんでうちのリンク者、こんなに可愛くないんだろう。アジーンとこのと交換してもらいたいよ』
「俺をペットみたいに言うんじゃねえよ」
 ボッシュが掛けているカウンター席の、そのテーブルに、うっすらと半透明のもうひとりの自分の姿が映った。
 鏡があるわけではなく、ドラゴンのチェトレである。
「不気味な喋り方するな。俺の格好で」
『リュウの姿の方がいい? でもアジーンと被っちゃうしなー』
「どっちも止めろよ。なんかないのかよ、犬とか猫とか、もっとミニサイズでコンパクトなの」
『便利アイテムみたいに言わないでよ……』
 チェトレは大体、こうやって気まぐれに出てくる時はボッシュと同じ姿をしている。
 ただ違うのは、目だ。
 瞼がずっと閉じっぱなし。
 そして、その奥にあるのは暗闇と、赤い光だ。
 融合しているので、リンク者の姿そのままで存在するのが楽らしいのだが、一度リュウの格好をさせてみたところ気に入ってしまったらしく、ずっとそれっぽい口調で喋る。
 それをボッシュの姿でやるのだから、不気味極まりない。
「何の用だ? 無駄に出て来るな」
『ん、だいじょうぶ。みんなには見えてないはずだよ』
「そういうのを心配してるわけじゃない」
『知ってるよ。もうほんとボッシュったら可愛くない!』
 チェトレは膨れて、もう、と唸った。
『まあいいけど、ところでボッシュ』
 それからボッシュの開けたワインボトルに興味の矛先を向けたらしい。
 チェトレはボトルのラベルを目を眇めて見て、へんなの、と言った。
『リュウは真っ赤になって可愛かったのに。今頃アジーンねえちゃん、大喜びだよ。可愛いの、実は好きみたいだし』
「メスだから?」
『そうかも。でもおれなら、ボッシュがああいうふうになっててもぜんぜん可愛くないし、きっと顔に落書きとかしちゃう』
「変なとこばっかり人間くさくなりやがって……」
 ボッシュは呆れて、肩を竦めた。
「で、なに。酒が珍しくて出てきたってわけ?」
『知ってるくせに』
「なんのことだか」
『……あんまり、リュウ苛めないほうがいいよ。アジーン、怒ると怖いんだから。おれは知らないからね』
「さあ」
 ボッシュはすっとぼけて、またワインを口に運んだ。
 甘い果実の香りが、口腔に広がった。悪くない。
「……あいつが言うんだよ、いじめてくれってさ」
『それ、苛めッ子の言うことだよ。ドヴァーもいつもおれを苛めた言い訳に、アジーンにそう言ってた』
「……オマエらドラゴンって、そんな生活臭かったっけ?」
『もう1000年も前のことだよ。幼体の時のことさ』
 チェトレはふっと天井を、その先を見上げて、目を閉じた。
 そして、そのままで口を開いた。
『……ねえ、まだ憎んでるね』
「憎めるか、って聞いたのはオマエだったろ」
『……憎い、許せない、殺してやりたい。真っ暗々だ、でもなんだろうこれ、言っていい?』
「やめとけ」
 ボッシュはそっけなく言った。
 だがチェトレは聞いていないようだった。
『1000年憎んで欲しいなら、そうしてやる……だっけ』
「…………」
『ボッシュはものすごく優しいんだね。顔に似合わず』
「…………」
『……人間って、複雑すぎてプログラムには理解できないね』
 やれやれと、チェトレは首を振って、それから「あ」という顔をした。
 ボッシュも気付いた。
 少しちりちりとするこの感じ、同族が近くにいる共鳴だ。
 世界でふたりきりしかいないのだから、誰かなんてことはわかりきっていた。
『じゃ、おれは寝るよー。おやすみボッシュ』
「…………」
 ボッシュは壁に掛けておいたコートを掴んで、席を立った。







 店を出た。
 馬鹿騒ぎは深夜になってようやく収まったようで、あちこちで店を片している様子が見えた。
 まだ照明は灯り、光ってはいるが、残っているものと言えば散乱した空き瓶と塵屑と行き倒れみたいな酔っ払いばかりだ。
 そう気候も悪くはないので、道に寝転がって眠っても凍死はしないだろう。
 少し肌寒いので風邪くらいはひいてしまうかもしれないが。
 共鳴の元は店に面した通りの向こうから来た。
 ゆっくりゆっくりと、ふらふらとした速度と足取りで、近付いてくるのだった。
(あの馬鹿、まーだかなり酔ってるな)
 ようやく姿が確認できた。
 頼りない足取りで歩いてくる姿は、リュウだった。ひとりきりだ。
 頭でも痛いのか吐きそうなのかは知らないが、手で顔を抑えている。
 だが、それが何なのかはすぐに知れた。
「……馬鹿だ……」
 リュウはめそめそと半分泣いていたのだった。
 ごしごしと手で目を擦りながら、子供みたいに、それも迷子で親とはぐれて途方に暮れているような調子だった。
 そして顔を上げて、リュウがボッシュの姿に気が付いたのと同時だった。







「うわあああああん!!」







「……ハア?」
 これには、さすがのボッシュも呆気に取られた。
 見事な大泣きだ。
 間違っても、大の大人がやることじゃない。
 リュウは泣きながらボッシュに駆け寄ってこようとして、見事にすっ転んだ。
「・………」
 それでもふらふらと立ち上がり、懸命に千鳥足でボッシュのそばまで来ると、リュウはボッシュのコートの袖をぎゅうっと握った。
 転んだせいだろう、リュウは泥塗れになっていた。
 ボッシュは顔を顰めて腕を引いた。
「うわ、オマエやめろよ。汚れるだろ」
「……うっ、うえぇっ、ボッ……シュう……」
「……なんなんだよ」
 ボッシュは溜息を吐いて、リュウの手を引き剥がす作業を諦めることにした。
 そして何が言いたいのか、唇を震わせているリュウの顔を覗き込んだ。
 リュウはぼろぼろと泣いていた。
 泣き上戸というわけではなさそうだったが、アルコールが入ったせいで、感情の起伏が激しくなっているのかもしれない。
「どっかいっちゃ、ったと、おもったあ……」
 しゃくりあげながら、リュウはたどたどしく言った。
 ボッシュは呆れてしまった。
「どこのガキだよ、オマエ、バカ? 俺は一人で酒も呑めないワケ?」
「……う、うっ、やだあ……」
「何がやなんだっつーの。ガキみたいなこと言ってんなよ……」
「やだ、っ、ボッシュう、やだ、やだ……」
 リュウはぶんぶんと首を振って、ボッシュの手をぎゅうっと握った。
「……て、はなさ、ないで……」
「…………」
 どうしたもんかな、とボッシュは肩を竦めながら、リュウの肩を引いて、抱いた。
 リュウの身体は、以前よりちょっと小さかった。
 死体みたいになっていたあの身体より小さく、柔らかく、少し震えて、温かかった。
(……どーするよ、これ)
 リュウはボッシュの手のひらに安心したように、少し落ち付いて、時折ひくっ、としゃっくりみたいな、泣き出した余韻を零した。
 ほんとにどーするよ、だ。ボッシュは思った。
(ていうか、俺はオマエを憎んでんだけど)
 リュウはボッシュにぎゅうっとしがみ付いている。
 子供が庇護者に良くやる仕草だ。
(憎まなきゃならないんだけど)
 重い。身体を預けきっているのだ。
 リュウは手を繋いだまま、ボッシュの腕をぎゅうっと抱き締めた。
(憎んで、いつかひどい殺し方してやるのが仕事なんだけどさあ……)
 ボッシュは顔を顰めた。
 この酔っ払いめ、ろくでもねえな、と思いながら、耳までなんだか熱いようなのは気のせいだ。
 胸が当たって柔らかくて変な気になってくるのは気のせいだ。
 泣き顔が、そしてボッシュを確認して安堵した表情が、首筋が、前より少し小さくなった身体が、薄い耳朶を飾るボッシュのものであるはずのピアスが、リュウのくせに、こんな身体になって、それがとても可愛いなんて思ってやしない。絶対。
(……オマエは、なんで「1000年愛してくれ」って言えないのかね?)
 リュウは痛め付けて欲しいのだ、ボッシュに。
 1000年憎んで、ボッシュを殺したことをずうっと責めて、首筋を絞め続けて欲しいのだ。
 そうすることがつぐないになるとでも思っているのだ。
 馬鹿で無教養のローディーなのだから、それはしょうがない。
 愛して欲しいならそうしてやるし、憎んで欲しいなら望み通りにしてやる。
 ボッシュはリュウに負けた。
 気に食わないが、ひとつくらい聞き入れてやることがあっても良い。
(あーあー、愛してるとか好きだとか、オマエはそーいうこと言ってやったって、全然信じやしないんだろうな)
 ぎゅうっと握られたリュウの手を、なるだけ乱暴に振り払って、肩を掴んで引っ張った。
 さっさとこの場所を離れたほうがいいだろう。
 道の真中で最高位の判定者がふたり抱き合っている姿なんか、見世物にならないはずがない。
(ま、せいぜいひどくしてやるよ、リュウ)
 口笛と野次が飛び交っている中、見世物じゃねえぞ、と舌打ちだけ残してボッシュはリュウを引き摺って歩き出した。











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