明るくて、眩しい。
 光が瞼に透き通って、ああ、朝が来たんだ、とリュウはおぼろげに思った。
 ただ身体のほうは、どういう訳か泥のように重くて、上手く起こせない。
 目を薄く開け、何度かまばたきをした。
 そこは何故か自室ではなかった。
 そもそも、部屋ですらなかった。
 グラスグリーンの下草の上だ。
 朽ちた古木も見えた。
 鼻先で覗き込んできていた小鳥と目が合った。
「……え?!」
 リュウは慌てて起きあがろうとして、
「……っ!! いたたた……!」
 がんがんと耳元で鐘を鳴らされるような鈍痛が襲ってきて、ぎゅうっと目を瞑った。
 ひどい頭痛がするのだった。
 またうずくまるようにして頭を抑えて、涙目になりながら、リュウはそおっと顔を上げた。
 まったく覚えのない場所に、リュウはいた。
 森の中である。
 どうしてこんなところに、といぶかしんで、リュウははたと気がついた。
 記憶を辿ってみたところ、昨晩のある時点から途切れている。
「あ……もしかしておれ、またやっちゃった……?」
 ニーナに酒を喉に流し込まれて、それから何も覚えていない。
 ふわふわした感触と、くるくると急激に変化した感情の波だけをかろうじて覚えていた。
「まさか……今回は、街ごと全壊、なんてこと、は……」
 リュウは青くなった。
 だがその恐ろしい空想が杞憂であることは、すぐに降ってきた声が吹き飛ばしてくれた。
「街の被害はゼロ。安心していーよ。安全圏まで運んでやったんだから」
「わあ!」
 リュウは驚いて、頭痛も放り出して顔を上げた。
 そこにはひどい不機嫌な顔をしたボッシュがいた。
「ただし、俺様の拘束と安眠妨害は重罪だ、リュウ」
「ボ、ボッシュ!」
 リュウは赤くなって、それから青くなった。
 なにか馬鹿なことをボッシュに仕出かしやしなかったろうか、と不安になって、そしてまた自分の格好に気がついて、ぐあっと顔を赤くした。
「……オマエの顔色ってすげえカラフルだね」
「ボ、ボッシュ、ゴ、ゴメン!! おれなにか変なことしなかった?!」
 リュウは焦りながらボッシュに訊いた。
 身に纏っているものというのが、例の恥ずかしい空色のドレスと、その上からボッシュのコートという無茶苦茶な格好だ。
 どうりで寒くないはずだ。
「お、おれ、もしかして、コート取っちゃってた……?」
「窃盗罪。拘置室送りだな」
「うう」
 リュウは俯いて、ゴメン、と謝った。
「か、返すよ……」
「いらねえよ、汚いし」
 ボッシュはそっけなく肩を竦めて言った。
「泥落として、洗ってから返せよ」
「あ、う、うん。わかった」
 リュウはこくこくと頷いて、もう一度ボッシュに謝った。ごめん。
 ボッシュは別にいいけど、と本当にどうでも良さそうに言って、溜息をひとつ吐いた。
「それより、さっさとどけよ。重い」
「あ」
 リュウはそこでようやくはたと気が付いた。
 ボッシュの手をぎゅっと握り締めながら、上で、膝抱きになるような形でいたのだ。
「ご、ごめん!」
 慌ててリュウは飛び退こうとして、ふらふらとして、顔から下草に倒れ込みそうになった。
 頭がぐらぐらする。がんがんする。
 吐きそうだ。気持ち悪い。
 幸い、顔面から地面に激突することはなかった。
 ボッシュが腰を抱いて支えてくれたのだ。
「……まったく、どうしようもないね、オマエ。世話を掛けるな」
「ご、ごめんね……」
「謝ってばっかりだし」
 はあ、と呆れきったようにボッシュはまた溜息をついた。
 そういうふうな仕草をされると、リュウはひどい罪悪感が湧くのだった。
 リュウは救いようのない馬鹿だと言われているような気がする。
 もう少し賢くなれれば良いのだが。
「……おれ、ほんとにどんくさいよね……」
「今更だろ、ローディー。育ちが悪いんだ。一応これ以上俺に迷惑掛けないように、努力でもするんだな」
「が、がんばるよ、うん」
 頭痛を押して、リュウはへにゃっと笑って見せた。
 それは少々引き攣っていたが、暗い顔をしているよりましだろう。
 ボッシュはまた不機嫌の度合いを一層深めたような顔をして、リュウの身体の具合を確めるように、片腕で腰を抱いたまま胸を触った。
「……あ、あ、あ、あの、ボッシュ?」
 リュウは困惑しながら、顔を真っ赤にした。
 ボッシュはそっけないままだった。
「ホントになんでこんな馬鹿、憎んでやらなきゃならないんだ。これじゃまるで俺が茶番みたいじゃねえか」
「あ、あの……」
 リュウは震えながら、ボッシュに縋り付いた。
「あ、あんまり触ら、ない、で」
「うるさいよ。オマエが俺に口出しするなんて1000年早い」
「だって、おれ、こんな……き、気持ち、悪いだろ?」
 ボッシュは肩を竦めて、今更、と言った。
「オマエがどうなろうと、ローディー、これ以上悪くはなりっこないよ。安心しろ」
「う、うん……」
 リュウは困ってしまって、とりあえず頷いておいた。
 やはりボッシュは、リュウのことを軽蔑しているらしい。
 なんでもない話の合間にそんなふうに今更に思って、リュウはまた引き攣った顔のまま、笑った。
 胸はまた、少しぎゅっと痛くなった。
「あ、あのさ、ボッシュ」
「うん?」
「あのさ……思ったんだけど、そろそろ、おれのこと殺しちゃっても、いいんじゃないかな?」
「まだ早いよ。なに、さっさと楽になりたい?」
「そ、そうじゃなくて、ええと……だってボッシュ、おれのこと、嫌いだと思うから……」
「嫌いじゃないよ、リュウ。何言ってんだ」
 あっさりと言われてリュウは、え、という顔をしてボッシュを見上げた。
 少しの期待が、リュウに訪れた。
 ほんとはボッシュも、リュウのことが、その――――
「憎いんだ。嫌いなんて生易しい表現をするな。馬鹿にしてるのか?」
「あ、はは、そ、そうだよね。ごめん……」
 リュウは慌てて頷いた。
 恥ずかしい勘違いをして、顔から火が出そうになった。
 リュウは自分のあんまりのポジティブ思考がおかしくなった。
 好きだなんて、何を考えているんだ、と思った。
 チェトレは判定を済ませた。
 アジーンがリュウにしたみたいに、精神を操作する必要もないと思う。
 ならボッシュは、もうリュウには本当は何の執着もないのかもしれない。
 繋いでいるのはただ憎しみだけなのかもしれない。
 だが、それすらもリュウには過ぎた感情である。
 ボッシュが向けてくれるものなら何だっていい。
 憎しみでも軽蔑でも、忘れてしまわれないものなら、何でも。
 そしてそれに満ち足りていることで、リュウは自分を許せなかった。
「で、でもボッシュ。おれ……」
「なに」
「でもおれ、それでも、嬉しいんだけど。き、君と一緒にいられるだけで……いいの? こんなの」
「憎まれて嬉しいって、オマエちょっと価値観とかおかしくない?」
「そ、そうかな、あはは」
「……安心しなよ、リュウ。ちゃんと最期には、ひどい殺し方してやるからさ」
 ボッシュはそう言って、リュウの首筋に鼻先を埋めた。
「そ、それ、いつ?」
「さあ。1000年後くらいかな?」
「じゃ、じゃあそれまで、おれ生きてていいの?」
「いいんじゃない?」
「ボッシュと一緒にいていいの?」
 リュウは少し切羽詰まった声で訊いた。
 ボッシュはそれには答えず、リュウに優しく触れながら、穏やかな声音で、あのさあ、と切り出した。
「……リュウ、剣聖ヴェクサシオンって知ってる?」
 リュウはびくっと震えた。
 顔は強張っていたかもしれない。
 その名前を、良く知っていた。
 その姿を知っていた。
 ボッシュと同じ獣剣技の使い手で、対峙した時は馴染んだその技に不可解なものを感じていたものだ。
 リュウがそれを知ったのは、地上に出てからだ。
「……うん。統治者のひとり、竜殺しの英雄。強い人、き、きみの……」
 ボッシュは、良く知ってるね、偉いよ、とリュウの頭を撫でた。
 そしてあっさりと、軽く言った。
「そ、俺の親父」
「お、おれが……」
「殺しちゃったんだよね、リュウ。強いね、オマエ」
 リュウは俯いて、目をぎゅっと瞑って、ゆるく頭を振った。
 そう、ボッシュは確かにリュウを憎んでいた。
 親を殺し、身近な人間を殺し、栄光に続くはずの道を閉ざし、奪って、自分のものにしてしまったリュウを。
「罪悪感とか、感じることないよ。ただ俺が倒さなきゃならなかったんだけど。オマエって何でもないような顔して、いつも横から掻っ攫っていくんだからさあ。本当油断ならない」
 リュウは更に頭を振った。
 ボッシュの言葉は、リュウの胸に鮮やかな傷を刻み、抉った。
 彼はいつだってリュウを痛め付ける。そういう人だった。
 そして、それだけのことをリュウはいつも仕出かしていたのだ。
 無能でどんくさい、迷惑を掛けてばかり、裏切り、道を閉ざして、親を殺した。
 なのにとても優しく触りながら、ボッシュはリュウを責めるのだった。
 着衣を腰まではだけて、露わになった胸に噛みついて、柔らかい乳房に歯型をつけた。
 腰を弄りながら、脚を開かせた。
 リュウはぎゅっと目を閉じながら、ボッシュにされるがままになっていた。
 抗いなどという言葉は、リュウの中にはなかった。
 ひどくされて、そうすれば少しは彼の怒りを和らげることになると思っていた。
 その為なら、身体くらい喜んで差し出そうと思っていた。
 だが、ボッシュは全然ひどくしてくれなかった。
 優しく、リュウに触れた。
 キスをして、何度も口腔を陵辱し、胸を揉んで、股座を撫で上げた。
 リュウが呼吸を荒くして、顔を赤くして、名前を呼んで、それでも彼は穏やかな軽蔑の眼差しを向けていた。
 ボッシュはリュウの身体に触り、熱を灯して、だが応えてくれることはなかった。
 彼はリュウを高めて放り出した。手を離した。
「……1000年俺の姿を見て、苦しんであがけ。薄汚いローディーのくせに、俺を煩わせたことを懺悔しろ。リュウ、オマエ……」
 リュウは呆然とボッシュを見上げた。
 どうしてリュウは、ボッシュのその軽蔑の眼差しに晒されることが、ひどく辛いのだろうか?
 それすらもおこがましいほどに大それたことであるはずなのに、何故悲しいのだろう?
「ウザイよ、マジで」
 ボッシュが吐き捨てた。
 リュウは、目に涙が滲んでくることを自覚した。
 リュウは本当は、こんなにひどいことばかりしているというのに、本当は、アジーンがいつかそうしてくれたように、ボッシュに優しくしてもらいたかったのだ。
 ボッシュはそんな泣きそうになっているリュウを見ながら、表情ひとつ変えずに囁いた。
「……今晩、俺の部屋に来い。言ってる意味、わかるな?」
 返事など、決まっていた。
 ボッシュはリュウの答えに、満足したように、ようやくちゃんと微笑んでくれた。
 昔からそうあったように、あの憐れみと蔑みの入り混じった優しい微笑を。
 











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